人はなぜ展覧会に行くのか。哲学者のワルター・ベンヤミンは有名な『複製技術の時代における芸術作品』で、コピーでない本物を観たときの状態を「アウラ(オーラ・霊気・風)」という言葉で表し、「時間と空間が独自にもつれ合って一つになったもので、どんなに近くにあってもはるかな一回限りの現象である」と言っている。例えば避暑地で夏の午後にくつろぎながら、木陰で遠くの山々を目で追いながら、木々や山やそよ風のアウラを呼吸すること(意訳)、などとも付け足しているが、要するに写真などの標本的な複製をいくら見ても、作品やら自然やらがその場で流動的に発散しているアウラを味わうことは出来ないよ、ということらしい。
しかし僕にとっては、美術館に行ってもそのアウラを感じ取ることは至難の業だ。いつも観に行って、「ああこんなもんだ…」と思って帰ってくる。あの人混みの中で、そんなものを感じるわけがない。しかし避暑地では心身共にリラックス出来て、ある種の感動は覚える。それは、そのアウラが全て身体に良い要素を含んでおり、僕の全ての細胞が、生命を育んできた良好な歴史、さらにはそれが生命の母体であることを記憶していて、なによりもいまここに、その母体の中に居るのだという本能的喜びから生じる感動だ。
ベンヤミンは同じ論文の中で、自分が描いた絵の中に入り込む中国の画家の話をしている。思うに芸術作品のアウラ、例えば絵画の場合は、その多くはキャンバスの裏に隠れていて、素人見物人の我々が絵の表面から受け取ることのできるものは、キャンバスというフィルターを通して発散する微々たる香りのみであるに違いない。ならば、そのアウラを思い切り吸い込んでいる連中は、作品そのものを描いている画家か、その画家に心を奪われてしまった研究者や信奉者ぐらいなものになってしまう。当然のこと、全てのアウラを浴びているのは画家本人だ。要するに、展覧会に行く前に、その作家のことどもを徹底的に知らなければ、作品に対する本当の感動は得られないということなのだ。芸術作品におけるアウラとは、その作家が背後に背負っている生涯(歴史)と溶け合うことと言い換えることもできるだろう(当然環境や社会的背景も含まれる)。
黒澤明監督のオムニバス映画『夢』の中に、『鴉(カラス)』という小題の夢物語がある。彼はゴッホのアウラをこよなく愛した人だった。寺尾聰氏演じる青年画家(私)が、ゴッホの展覧会に行って『アルルの跳ね橋』という作品を観るうちに、その絵の中に引き込まれてしまい、麦畑で晩年の名作『カラスのいる麦畑』を夢中になって制作しているゴッホに出会うといった粗筋だ。この映画の想定は、「私」が彼のオリジナルの作品を観たときに始まる。「私」はゴッホの作品の虜になってしまい、キャンバスの裏側に潜むアウラを求めて絵の中に入ってしまった。映画の中に「私」が求めていたアウラの核心の台詞が現れている。「私」がゴッホの顔に巻いた包帯に気付いて尋ねると、ゴッホは「耳がうまく描けないので切り落とした」と答える。この狂気とも思える言葉こそ、ゴッホの全ての作品の背景にある特徴的なアウラなのだ。そしてその狂気は、芝居の複製芸術(ベンヤミンにおいて)とも言える映画の巨匠、黒澤監督に通じるところがあるだろう。
黒澤監督は、シェイクスピアの『マクベス』を時代劇化した『蜘蛛巣城』の製作で、ラストシーンの撮影時に大学の弓道部員を雇い、当たらないように主役の三船敏郎に向かって何本も矢を射させた話は有名だ。それによって三船の恐怖の表情は監督が求めているものとなったが、三船はノイローゼに罹って監督の家の周りを何回も車で回り、「俺を殺す気か!」と怒鳴ったという。これは製作の裏話だが、それは作品の裏側に霊気(アウラ)として残っているに違いない。ゴッホも黒澤監督も、作品のイデアを狂気のように追い続けた人間だ。ニーチェは「一切の書かれたもののうち、私はただ血をもって書かれたもののみを愛する。血をもって書け。そうすれば、あなたは血が精神であることを経験するだろう」とツァラトゥストラに語らせているが、これは文章家に対してだけでなく、全ての芸術家、さらには全ての人々に対する厳しいアドバイスとも言える。血が精神なら、「血を持っていまを激しく生きなければならない」ということだろう。しかし彼はゴッホと同じ狂気の中で血の気(精神)を失い、死んでいった。『鴉』の導入で「私」が絵の中に入り、跳ね橋の下で洗濯する女たちにゴッホの居場所を尋ねると、「用心おし、精神病院から出てきたばかりだからね」と返して女たちはゲラゲラ笑う。血を持って生きる精神は、しばしば安穏とした社会との軋轢を生む。彼の死因は自殺だが、村の不良少年によって殺されたという説もあるぐらいだ。同じように頑固な芸術の求道者であったセザンヌも、村人たちからバカにされていた。
こうしてみると、ゴッホの絵が世界中で人気を博している理由も分かってくる。多くの素人が彼の作品の詳細を知らないくせに、絵画の裏に潜む「激しくも悲しい生涯」というアウラだけは知っていて、絵の前に立ったときに、キャンバスの裏からそいつを引き出すことが出来るからだ。不勉強の僕がいくら展覧会に行っても、さして感銘を受けない理由もそこにある。その画家にはグッと来る人生が無かったからか、僕が知らないからだ。つまり、作品は作者のアウラと結び付いて初めて、作品の価値が出てくるわけなのだ。だから、千住博氏をはじめ多くの画家が、「創作芸術家は死んでからが勝負だ」と言う意味も理解できる。生前有名になってどんどん絵が売れても、死後は人気が落ちて売れなくなる画家もいれば、ゴッホのように生前一枚も売れなくても、死後は高額な値段が付くような画家もいる。しかしそれは、考古学的な難しさを伴っていることも事実だろう。発掘者が熱狂し、インフルエンサーとならなければならないからだ。
また、このアウラを生きているうちに発散させようとすれば、何かしらのパフォーマンスが必要になってくる。ゴッホもセザンヌも技巧的に上手い画家ではないから、写実主義が隆盛の時代には画家になることは出来なかっただろう。彼らは印象派革命後の比較的良い時代に生まれたが、それでも中々認められなかった。さらに現代は小便器すら芸術とされる時代で美に対する価値基準などは崩壊し、バンクシーのようにほとんどパフォーマンスが芸術として認められる時代になってきている。つまり元々作品の背後に隠れていたアウラを、作者自身が積極的にアピールする時代になってきたわけだ。これは音楽にせよ文学にせよ、似たり寄ったりの現象に違いない。もとから作品もアウラも込み込みで一つの作品と捉えると、裏に隠れようが表に出ようが客と融合させれば、さして変わりはないだろうということになる。
音楽といえば、再現芸術にもアウラは存在するのかといえば、しっかり存在すると言えるだろう。例えばソ連時代に活躍した名ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルは血をもって弾いたピアニストの一人で、奇人としても知られていた(1915~97年)。ある演奏会の前日、練習中に演奏予定曲のワンフレーズが上手く弾けなくて徹夜の練習になったが、結局満足しなくて本番ではその曲を弾かなかったという完璧主義者だ。彼の父親もピアニストで、41年にスパイの嫌疑で処刑されている。彼自身は同性愛者で、当時は法的に危険な立場だったため偽装結婚までしたという話だ。こうした暗い背景がアウラとなって彼に纏わり付き、演奏会にも表れていた。彼はしばしばキャンセルするので有名だった。例えば、舞台に出てピアノの前でお辞儀をすると、直ぐに袖に引っ込み、主催者に文句を言った。最前列に座る老女が目障りで演奏出来ないから、どかしてくれと言う。仕方なしに主催者が老女に掛け合ったが、プライドを害された彼女も絶対に動かず、結局演奏会は中止になったという。客に対して無礼な話だが、「血をもって演奏するんだから妥協したくはない」となれば、一理はあるわけだ。演奏には極度の集中が必要で、何かの理由で気が散れば、気の抜けた演奏になってしまう。
日本に来たときも、ファンだった僕は演奏会に数回行ったが、舞台上でお辞儀をするものの、仏頂面でニコリともしない。大阪に移動するとき新幹線を使ったが、テレビが乗り込んで「新幹線はどうですか?」と尋ねると、いつもの仏頂面で「どうってことはない」と答えていた。そして演奏といえば、ニコリともしない表情や、愛用していた日本製ピアノの派手ではない音色と相まって、客の感性に媚びないロシア的な骨太の演奏は、彼の悲しい過去を漂わせたアウラを思う存分聴衆に叩き付けてくれていた。演奏会場では、演奏者と客が一つとなって醸成するアウラの中に、双方とも包まれることが理想的な状態なのだろう。
さて、ここまで書いてきて、いきなり僕の話になってしまうが、仕事を辞めて残った少しばかりの金で細々と暮らしながら、ニーチェの「血をもって書け!」という叱咤激励を受けて血を出そうとしても、コレステロールが溜まってドロドロで、ペン先まで届かない状況だ。耄碌(もうろく)って嫌ですねえ~。(これはあくまで個人的な自虐であり、高齢者全般に対するヘイトスピーチではございません)
詩
八月の光
病む者にとって
八月の光ほど
美しいものはない
まるで大きな爆弾が
破裂したように
アポロンの
ギラギラした眼差しの
放たれた弓が
体内の腐ったしこりを
焼け切って焦がされ
灰たちは
熱々の血潮に乗って
赤暗色の血汗となり
大地の彼方へ滴り落ちる
病んだ脳味噌に溜まる
腐臭を放つあれらの芥も
メスのような閃光で
一瞬にして蒸発し
霞となって
青空の彼方に飛んでいく
そして私は霊気を取り戻し
再生できると希望を抱き
すっかり萎えてしまった足を一歩だけ
恐る恐る進めてみるのだ
嗚呼、我が麗しき八月の光
見つめることなく瞼を閉じ
再び祈れることを感謝しつつ
萎えた肺胞で
その熱い情を受け取りながら…