詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー「バカタレの壁」& 詩

バカタレの壁
~「核」という現人神~

 僕は現在病気療養中だが、病気になる少し前に、道に落ちていた明治神宮のお守りを拾って家に持ち帰った。きっとそのとき、そのまま無視して通り過ぎると、何か悪いことが起こるのではないかと思ったに違いないが、いまになって考えると、拾ったから病気になったのかも知れない(不信心で罰が当たり)。しかし実際病気になってみると、しばしばこのお守りに手を合わせている。僕は信心深くはなく、無神論者でもなく、いわゆる不可知論者だ。神様はいるかも知れないし、いないかも知れない。語り得ないことは、沈黙するに越したことはない。きっと多くの日本人もそう思っているに違いない。だから、咄嗟のときの神頼みじゃないけれど、人間窮地に陥れば、中途半端な立ち位置を少しずらして、信心寄りに傾いても不思議ではない。中途半端は「ニュートラル」という言葉に言い換えることができ、それは周りの変化でいかようにも動ける態勢にあるということだ。これは国民全員が「神国日本」と叫んでいた時代を思い返せば明らかだろう。維新を経て全ての日本人がギアチェンジし、現在明治神宮に祀られている神は、京都から東京に居を移して現人神となられた。

 しかしなぜ僕は道端の汚れたお守りを拾ったのだろう。さらになぜ多くの人々は、なんとなく神社に行ってお詣りし、お守りを買うのだろう。恐らくそれは、日本の風土の中に、「お詣り」という古来からの習慣がしみ込んでいて、稲穂がその大地のエキスを吸収して成長するように、我々は子供の頃からその土の上で成長し、その伝統をエキスとして吸い込んできたからだ。そしてそれは汚染物質のように、脳内の無意識の領域に溜まっていて、何らかのきっかけで意識内に入り込み、一見非合理な行動として現れる。つまり「神」は無形の文化なのだ。すると神社もお守りも、その無形物を具象化した有形の文化で、我々日本人はそれらの有形文化を介して、無形文化と繋がっていることになる。いかに神を信じなくても、日本の土壌に生まれ育ったからには、その無形文化のエキスを吸い続けることになり、そいつは時たま無意識の中から飛び出してきて、心に風波を送るのである。「罰が当たるぞお~」。そして自分の身に不幸なことが起こると、天罰じゃないかと思うわけだ。霊能者と称する連中は、その心のかすり傷に取り入って祟り物語を醸成し、高額な治療費を要求する(真偽のほどは分かりません)。

 これは日本人に限らず、世界中の民族にベーシックに付随する現象とも言えるだろう。宗教を持たない民族はほぼいない。観念を獲得した人間は、反射本能で動く動物から離脱し、何かを信じることで行動を取るようになった。そしてその観念は妄想を生み、それは集団的妄想となって民族を形成していく。共産主義政府がいかに宗教を弾圧しようが、その土壌にしみ込んだ数千年にわたる無形文化としての宗教を、根こそぎ絶つことは出来ないはずだ。隠れキリシタンのような積極性は無くても、国民の無意識領域には古来からの宗教的残さが黴のように潜んでいる。だから共産主義のリーダーは宗教を邪魔者として弾圧し、代わりに自分が有形文化財としての現人神になろうとする。何かを信じなければ人は行動しないからだ。信じることは神話を創ることに等しい。一人一人の神話が集団内で纏まれば、それは宗教となり、その宗教の下で人々は行動する。それは神や現人神だけでもない。集団の考えが統一されれば、例えば「原発神話」、「リバタリアニズム(完全自由主義)」などの妄想や思想や主義も、宗教の亜種と言うことができる。ならば共産主義だって宗教亜種だろう。

 沙漠のような厳しい環境下では、人と神は契約で固く結ばれる。我々にとっては不合理な「男女不平等」も、その民族の土壌に根付いた無形文化である宗教の教えなら、その神と契約した支配階級が神との約束だと思う限りは、世界的な非難を受けようが、なかなか解消できないことになる。いろんな土壌に根付く民族運動についても、その民族にとっては合理的でも不利益を被る他民族にとっては不合理なものもあり、俯瞰的には過激なものと映る。ウクライナ侵攻も、「ウクライナは10世紀以来ロシアの土地だった」と考えるロシア人の過激な民族運動と捉えることは可能だ。そう考えれば、台湾を中国の土地だと思う中国人と変わらないことになる。

 人々には古来の土地から吸い上げた養分が血液として流れているから、有事においては過去の歴史の血が騒ぎ、時たま制御が利かなくなる。そうした人々は、「ウクライナ人はロシア人に戻るべきだ」、「台湾人は中国人に戻るべきだ」と思うわけだ。このエキスの濃度を差配するのは「宗教(亜種を含め)」で、キリストの大地では神道より濃く、ユダヤイスラムの大地ではさらに濃いに違いない。侵略国がまずやるのが同化政策なのは、その土地の信仰を含めて、有形無形のあらゆる文化を消滅させなければ、いずれ反乱が起きると思うからだ。かつての日本も、朝鮮や中国などでそれを推進した。

 民族の土壌エキスは、焼き鳥の秘伝ダレのように、古ければ古いほど価値を持つ。時代時代で時の権力者は、秘伝ダレに追い足しし、火にかけて腐らないようにする。なぜならそのタレを、統治の道具に使おうとするからだ。統治の天敵は精神的ダイバーシティだ。国民の感性がバラバラでは御し難い。彼らは国民を焼き鳥ぐらいにしか思っておらず、同じ味にまとめるため、一つのタレの中にどっぷりと漬ける。政権は大なり小なり、似たような同化政策を推し進めていく。

 明治政府は日本の神々をタレにしようと、神の子孫とされる明治天皇を担ぎ上げ、神道国教化を目指して廃仏毀釈を焚きたてた。いまの例で言えば、ウクライナ戦争を起こしたプーチンロシア正教に近付いて、その威信を利用しようとている。宗教というタレのない中国では、習近平自身が現人神(タレ)となるべく、教育改革を推し進めている。いまの日本もその例外ではないだろう。ダイバーシティは日本政府にとっても目の上のたん瘤だ。民主主義国家である限り、政府の暴走を制御することは可能だが、人権については欧米先進国と異なる古臭い法律が残っていることも事実だし、それを変えようとしないことも事実だ。教科書検定の「近現代史歪曲問題」も同じことだろう。

 しかし、なぜ日本の政府がドイツとは異なって、国が犯した侵略戦争の歴史的残虐性をオブラートで包めなければならないのだろう。それは日本政府を含めた右翼たちが、日本国民の感性をスズメバチのように、いずれ戦闘モードにチェンジさせなければならないと考えているからに他ならない。国民総動員令が公布される前に、負の歴史などの障害物をあぶり返すわけにはいかないだろう。知識人の多くも、政府も、次なる戦争を考えざるを得ない時代に入ったと認識している。その最大の原因は地球沸騰化だ。これは次なる東南海地震と同じく、もうほとんど人智では制御できない状態に入りつつある。温暖化で世界中が沙漠化すれば、世界中で食糧の争奪戦が始まり、それが国単位となれば、生き残った国の勝ちということになる。

 戦争が始まれば、日本は防衛戦争だと思うのは大間違いだ。食糧自給率の低い日本は、他の国の食糧を奪うか、餓死するかの選択を迫られる。餓死は嫌だというのが国民の総意ならば、政府は侵略を開始するだろう。それを見こして、いまから防衛費をどんどん増強していくに違いない。それは防衛費ではなく侵略費かも知れない。アメリカ大統領が徳川家康なら、日本首相は本多忠勝で、中国主席は石田三成の役どころだ。日本はアメリカのケツに乗って、甘い汁を吸おうとするだろう。ならばそのとき、日本の御旗として天皇が現人神に復活するかというと、それは違う。その理由として、現代の現人神は無形の神が降臨して有形の神となるものではないからだ。現代人には無神論者や不可知論者が多く、現実主義者も増えていることから、現人神には現実的なパワーが求められる。それはいまのロシアを見れば分かるだろう。

 1970年に公開されたアメリカ映画『続・猿の惑星』では、核戦争で生き残った人類の子孫であるミュータント人が、核ミサイルを神として祭壇に祀り、崇めている情景が映し出される。神は「核」として降臨された。いまのロシアは核脅しを繰り返しているが、自国を戦火から守っているのは、現人神としてのプーチンではなく、核兵器なのだ。反対に、ウクライナは核を放棄したから、神を失ってああした惨状になった。核はいまのところは守護神にとどまり、祭壇に祀られているだけだが、切羽詰まれば破壊神シヴァのごとく鞘を抜く可能性は否定できない。それはロシアに限らない。核を保有する全ての国が、最終的に祖国を守ってくれるのは、現人神たる「核」だと認識している。核を持つ理由はそこにあるのだから……。ならばいずれ日本にも、北朝鮮の真似をする時代が来るかもしれない。

 この切羽詰まった状況は、地球沸騰化によって加速される可能性は否定できないだろう。そのとき、地球規模の核戦争が勃発するかも知れない。そんな状況を想定して、政府内では秘密裏に「核を持つべきか、持たぬべきか」の議論が展開されている可能性はあるだろう。嗚呼、我がノストラダムス神よ、僕はつくづくジジイで良かったなあと思っております。

 

 

 

 


ゴキブリ哀歌

あなたは私を忌み嫌って
キャッキャと逃げるけど
あなたが寝静まった後に
私は一介の虫けらとして
時たま深夜の薄暗がりの
窓に差し込む月光を受け
脱衣室の大きな鏡の前で
自慢の触覚を撫でながら
流線形の黒々とした体を
いろんな角度で映し込み
月の光が茶羽に反射する
玉虫の如き多彩な色彩を
憧れつつも見惚れながら
ああ負けてはいないなと
ナルシスみたいに微笑み
やっと自信を取り戻して
明日になれば再び白々と
舞台の袖の暗闇から出て
クライマーの如き白壁に
アイゼンの爪を引っ掻け
ちょこちょこケツを振り
あなたに認められようと
いろんな芸で注目を集め
あの微笑みを望みました
しかし美しい笑顔は消え
鬼のような形相になって
恐ろしいスプレーを放ち
天国に召されたわけです
私はあなたに捨てられた
ただあなたの香りを愛し
家族の一員として招かれ
この幸せ溢れる家に暮し
薄明りのベッドの傍らで
清かな寝息を触覚に受け
儚い生命を終えたかった

あなたを慕っていたのに
本当に、心の底から……

 

 

 

 

 

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