詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー「 必要悪の哲学」& 詩

エッセー
必要悪の哲学

 

 プーチン大統領は6月9日、初代ロシア皇帝ピョートル大帝を扱った展示会を訪れ、大帝が参加した18世紀のスウェーデンとの戦争(大北方戦争)をいまのウクライナ軍事侵攻になぞらえて、二つの戦いの正当性を主張した。大帝はロシアに元々帰属する領土を奪い返したのであり、プーチンの軍事作戦も同じくロシア領を取り戻すための正当な戦いというわけだ。もっとも歴史学者に言わせると、大帝が奪取したバルト地方(ネヴァ川河口付近)が元々ロシアの土地だというのは嘘っぱちで、バルト海へ出るための侵略戦争に過ぎなかったという。

 

 しかし大北方戦争は悲劇性の面で、いまの戦争とは少し違っていた。18世紀の戦争は兵隊さんたちの陣取りゲームのようなもので、戦死者が出たとしても多くは兵隊で、一般市民が巻き添えになるとすれば、農地荒廃や流通破壊による飢餓といった副次的な要因だった。第一次世界大戦まではそんな感じだったが、ナチスによるスペインのゲルニカ空爆(1937年)以降は、一般市民を巻き込む戦法が普通になってしまった。戦いの場は戦場だけでなく、市街地も含まれるようになったからだ。広島・長崎の原爆投下はその象徴的な出来事で、市民を殺して国民全体に厭戦気分を広めることも大きな戦法となった。いまのロシア軍はそれを実践している。

 

 昔は戦争する高貴な方々と民衆は分離していて、城主がクルクル変わろうが、その命令に従って年貢や税金を納めていれば何のお咎めも無かった(異民族の襲来を除けば)。しかし市民意識が醸成されて民衆が城主を選ぶようになると、彼らにも城主を選んだ責任が出てくる。敵から見れば、そんな連中は城主の手下に見えるから、町ごと焼いても道義的責任は感じないということになる。しかも国民総動員令に従って、市民はわざわざ自分の町に敵を誘き入れて市街戦で抵抗するから、なおさら無差別攻撃になってしまう。

 

 戦争が起これば一般市民が死ぬのは当たり前のこととなり、侵攻する側の国民も、それに対して必要悪程度の感覚しか持ち合わせていない。広島・長崎の悲劇も、多くのアメリカ人にとっては必要悪だったろう。イラク戦争だって、民主有志連合は少なくとも10万人以上のイラク市民を犠牲にしているが、日本でもそうした事実がマスコミで大々的に取り上げられることはなかった。マスコミも国民も、サダム・フセインを殺し、民主化を進めるための必要悪だと思っていたのだろう。民主主義の視点からはサダム・フセインは悪の権化だが、付き従うイラク国民も一蓮托生だと思えば、彼らを殺戮するのは必要悪ということになってしまう。

 

 この10万人の中には、フセインのシンパもいれば、反フセイン主義者も、長い物には巻かれろ主義者や臆病者、子供たちもいただろうが、十把一絡げで必要悪にされてしまうのは、近代兵器の破壊度が一気に上昇し、人々がなす術もなくそれにぶら下がっている状態だからだ。少なくとも産業革命以降、加速度的に文明を進化させてきたのは科学技術であり、人々の日常もそれに振り回されてきた。科学が主導し人間が付き従う状況の中、次々と便利なシステムが登場して儲ける連中が波を起こし、人々は考える余裕もなくそれらを受け入れてきた。そして金持国だろうが貧乏国だろうが、儲ける者はますます富を蓄積し、末端の労働者は企業の宣伝工作に乗って、なけなしの金を新製品に費やしている。

 

 世界中で開発競争が加速し、科学全般が利権やら利益やらを巡る競争の中で凌ぎを削っている。その結果、科学立国はますます豊かになり、科学後進国はますます貧乏になっていく。例えば薬の研究者が人々を救おうと新薬を開発しても、出資している企業が開発費プラス利潤を取ろうと思えば薬価は高く、金持患者しか救われない。どんな製品であれ、良いものを開発しても儲からなければ死の谷(デス・バレー)にお蔵入りとなる。発明の多くが目先の儲かる、儲からないで決まっていくなら、いま儲からないものを切り捨てる行為は「必要悪」だろう。しかし、死の谷には、50年後に人類を救うかもしれない発明品が朽ちて転がっているかも知れない。いや、きっと転がっている。

 

 欧米主導のグローバル経済体制に不満を持つ国々は、世界が分裂するベクトルで歩き始めている。彼らの一部は、現状打破には軍事力が鍵を握ると思っているし、現状に安住している先進諸国はそれに対抗し、結局は武力を増強するハメに陥る。武器削減への取組が機能しないなら、これは明らかにデス・スパイラルだ。豊かな国も貧しい国も、兵器開発に金を注ぐ。兵器も科学技術の端くれだから、技術(殺傷)力№1を目指して苛酷な競争劇を演じている。

 

 戦争の形態だって、その変化を先導してきたのは新しい武器で、我々はそいつが引き起こす惨劇に対して為すすべもなく、肩を落として後からとぼとぼ付いていくだけだ。あるいは、次々に登場するミサイルの後翼にぶら下がって振り回され、苦しんでいる。逃れるためには人間らしい感性や知性を駆使しなければならないが、むしろそれらを鈍磨させているのが現状で、それ以外に苦痛や不安から逃れる方法を見出せない。当然、いくら鎮痛剤を飲んでも根治には至らない。なぜなら、各国とも武器を国家繁栄の最先端グッズと位置付けているからだ。いざ戦争となれば、すごい武器を持った奴が勝ちなら仕方ない。

 

 為すすべがなくなると、動物は死んだ振りをする。上司から罵詈雑言を浴びせられる中、部下は首を縮めて感性を鈍磨させ、ただただ聞き流すことに専念する。部下がなぜキレないのかというと、その状況が会社を辞めるよりはマシだと思うからだ。彼にとってパワハラは生きていくための必要悪だ。科学技術は社会を豊かにする一方で、社会を破壊する。その最たるものが武器の進化で、似たように地球温暖化や環境汚染などの諸々だって、科学技術の進化がもたらす副作用だ。しかし人々が、社会を破壊すると分かっていながら負の側面に積極的な対応を取れないのは、自分の周りの快適さを削るよりか、それらを必要悪とカテゴライズし、目を瞑るほうが簡単だからだ。社会活動のあらゆる場面に「必要悪」は存在する。金がなくなれば嗜好品を買わなくなるのは、そいつにとっての必要悪だ。会社存続のため、社員の首を切るのは必要悪だ。温暖化で島が沈み島民が追い出されても、豊かな生活を求め続ける全人類から見れば必要悪だ。だから、自分の周りから快適さが失われたときにようやく目を覚まし、嗚呼もう手遅れだとバンザイする。

 

 おそらくロシア国民の多くは、心の中に「大ロシア」のプライドを持っていて、プーチンにシンパシーを感じている。ロシアはもっと豊かになるべきだと思っていて、プーチンの実行力に期待している。プーチンピョートル大帝に準じて高邁な理想で戦争を起こしたのだから、自国兵の犠牲もウクライナ市民の犠牲も必要悪として、さほど意に介していない。この侵攻に賛成しているロシア民衆もきっと同じ感性に違いない。プーチン核兵器ウクライナに使用すれば、プーチンは「やむを得なかった」と必要悪を主張するだろうし、プーチン支持者も同じに思うだろう。プーチンが軍事作戦の目的と謳った「ロシア語を話す保護すべきウクライナ人」も犠牲になるが、それも必要悪の範疇だ。

 

 戦争の目的は勝利で、どんな武器を使おうが、どんな犠牲が出ようが、それらは必要悪になってしまう。それはきっとロシア側でもウクライナ側でも変わらない。ロシアの場合、政府が始めた戦争ならイカサマ御題目でも勝てば官軍というわけで、勝利に犠牲は付き物だという感覚が共通認識となる。死ぬのがロシア兵だろうがウクライナ市民だろうが、損失や殺戮は「必要悪」に追いやられてしまうのだ。

 

 これは世界中の人々の共通認識かもしれない。敵も味方も勝利という目的のために人が死ぬのは、いまも昔も「必要悪」なのだ。つまり戦争は、地震と同じに天災であると思わなければならない。明らかに人災だが、人類が石頭を振るって歴史的に繰り返す限りにおいては「天災」だ。

 

 地球の性が地震なら、人類の性は戦争だ。だから、地震で何万人死のうが、戦争で何万人死のうが、人々はほとんど同じ反応を示すことになる。顔を歪めはするだろうが、茶の間でテレビの画面に食い入りながらお茶を啜り、地球のどこかで起きた惨事を、地震の場合は「恐ろしい……」、戦争の場合は「愚かな……」と呟きながら眺めている。しかし、そんな冷えた石頭が戦場のど真ん中に投入されれば、たちまち焼け石となって辺り一面を燃やす力になる。そうして破れかぶれに地震も戦争も連綿と繰り返していく。

 

 日本人は地震ですら危機意識が薄いから、戦争についても「日本ではそんなことは起きないだろう」などと思ったりして、アリストテレスカタルシス理論にもなっていない。きっと世界的にも、プーチンが核を使えば、平和を願う人類の感性はさらに大きく鈍磨するだろう。広島・長崎の悲劇が現在どのぐらい鈍磨しているかを見れば分かることだ。本当は核廃絶に向けて、全世界が身を削ってでも抵抗を示さなければならないはずだ。人類の未来のためには、それしか方法はない。現状、プーチンのようなヤクザ者が間々国家元首になるのだから……。

 

 前回のエッセー『イメージとしての枯山水』で、大きな力が小さな力を呑み込むのが宇宙法則であり、宇宙の端くれである地球生命体の世界でも、それが法則になっていることを述べた。しかし太陽系のように、長い間平和的な均衡を維持しているものもあるが、それは宇宙時間では一時的なもので、親分である太陽の力のもとに各惑星がちょうどバランス良い位置取りで納まっている、ほんのひと時に過ぎない。パックスロマーナ(ローマ帝国の平和)は200年続いたが、その前にはローマ軍の侵攻が続いた。プーチンはパックスロシアを目指して現在侵攻中だ。その原動力となっているのは、おそらくロシア国民の民族的誇りを傷付けるほどの生活への不満だろう。だって、エネルギー資源の儲けはみんなオリガルヒに行っちまうのだから……。

 

 彼らの豪華ヨットでも分かるように、ロシア国内の貧富の差はかなりのものだ。しかし、貧富の差は世界的な問題でもある。第二次世界大戦が終わるまでは、これの解消手段として、他国への侵略が公然と行われてきた。戦後は少なくとも、人々のこうしたエゴ的感性は否定的に扱われてきたが、今回のウクライナ戦争で連綿と生き残っていることが分かった。この感性はコロナウイルスのようなものだと思っている。人類は一丸となってこの病気に対処した。ワクチンだって、世界中に行き渡るように努力したはずだ。それは、世界の一部でも手当てが遅れれば変異株が出現し、全世界に影響を及ぼすことが分かっているからだ。これはある意味で宇宙(自然)法則に抵抗した人類の知恵だったと思う。

 

 いまウクライナで起こっていることは、人類に潜む「戦争菌」という常在菌が表面に出て、ケロイド状に広がっている状況だ。万が一にも親玉の核が飛び出せば、とびひとなって世界中に拡散していくに違いない。地球市民の立場では、これを食い止める薬は、「人類愛」や「友愛」「平和への願い」くらいしかないのが現状だが、パンチ力に欠ける。必要なのはいま流行りの「免疫力」だろう。ロシア国内の免疫抵抗力は確かに存在する。プーチンの戦争を止めるには、その抵抗力(反戦力)を高めることが第一だと思っている。それには、世界中の「結束力」や「知恵」を加えた混合治療薬を、遠隔治療でロシアの手足に注入する必要がある。あらゆる方法でロシア国内の反対勢力を支援し、焼け石化した中枢部の暴走を食い止める必要がある。これ以上の犠牲者を出さないためにも、「戦争病」という悪疫の早期治療を目指してほしいものだ。

 

 

 

 


地底人

 

あるとき 年老いた科学者が新事実を発見した
人類が 誰も気付かぬうちに進化を続けているということを
現象はまずはじめに皮膚から始まっていた
少しずつではあるが硬いかさぶたに覆われていく
衣服を貫く放射能から身を守るためだと推測した
それは土の中に入る準備であるかもしれない
祖先である哺乳類が恐竜時代に考えたことだ
そう モグラが人類の祖先であった時代に
マヤ暦の最初のサイクルが始まったのだ
そして何順目かの初期化を迎えたいま
人類の歴史はモグラに戻る準備段階に入った
空気という軽重浮薄な環境を嫌い
根無し草の浮遊を放棄して
ぎっしり詰まった土の中に帰っていく
がんじがらめに固定され 吹き飛ばされる心配もない
窒息しない工夫はひたすら動かないことだ
口の前のほんの少しの空間で目の前のミミズを食らい
不味い不味いとぼやいて噛み締めるだけだ
「ボリボリ、ギシギシ、クチャクチャ」
きっと仲間たちの耳元までは届かないが
自分の耳には大きく聞こえてくれるだろう
下卑た雑音、必要最低限の生きてる証…
それこそ未来人だと科学者も認めてくれた
仲間などはいらない 有性生殖は無意味だ
ようやく人類は発見したのだ 循環型社会の理想を
狭隘な地中が最後のフロンティアであることを…
広大な空中に自由なんかなかったことを…
そして誰にも気付かれぬままに心肺を停止して
ミミズたちの餌となって、自然に戻されることを…

 

 

マゾヒスト讃

 

犬も猫も兎もライオンも
快感を得ることが生きることだった
ある日僕は 人間も同じで
彼らの求めるものが単なる信号であることを理解した
快感は信号だ 生きることは快感という信号を得ることだ
ならば僕の人生の不快感もまた 単なる信号に過ぎないことを知った
不快感は信号だ 生きることは不快感という信号を無くすことだ
いいや 快感も不快感も単なる信号に過ぎないなら
信号の回路を逆に繋げばいいにちがいない
僕の場合 快感よりも不快感が圧倒的に多いのだから
回路のプラスとマイナスを逆にすれば
不快感よりも快感が圧倒的に多くなるにちがいない
妻からの罵倒も 上司からのいじめも 腹痛も歯痛も 不評も悪評も
回路を逆さにすればすべては快感だ
嗚呼僕は ついに立派なマゾヒストだ
すべてのストレスが すべての過剰な攻撃が
僕にあっては快楽の肥しになるのだ
きっと首根っこをへし折られるまでは…

 

 

僕はクローン

 

父はいないセックスもない
母は垢のような一片の皮膚
それでも人間として育った
文明はグロテスクに進化し
人はグロテスクに退化する
嗚呼僕たちゼウスの申し子
昔は動物の一族と罵られて
今は交換可能な機械の一種
単に脳髄が嘆いているだけ
それも単なるパルスですか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう) 詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。|note

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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