詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー 「小澤征爾の思い出」& ショートショート「 亡き囚人のためのパヴァーヌ」

エッセー
小澤征爾の思い出

 小澤征爾が亡くなった。偉大な足跡を残した指揮者だったので残念だ。若い頃小澤に入れ込んで、大谷ファンのように海外にまで行って演奏に触れることがあった。日本で小澤の演奏に接するのは当たり前の話だったが、欧米では「東洋人に西洋音楽が分かるか」と思われていた時代だ。そんなときに、東洋人の指揮者が西洋人ばかりで構成される名門オーケストラを指揮し、聴衆もほぼ西洋人だったという現象は、大リーグで日本人選手がホームラン王を獲得するのと同じような快挙だった。ファンだったらそれを本場のオーケストラで観てみたいと思うのは当然だろう。

 小澤の指揮は、他の指揮者や演奏家が解説しているので、僕のような素人がなんのかんのという筋合いのものではない。よく音楽好きが昂じて音楽評論家になった人がいるが、そういった人が書くものは単なる聴衆が感じる印象のようなもので、音楽の神髄に切り込んだ評論は少ないだろう。しかし大谷さんのバッティング技術を云々するより、ホームランを打つことがファンを熱狂させるのだから、聴衆の耳に入った時点の印象を紹介するのは、評論家の重要な仕事というわけだ。評論家はミス・ユニバースの審査員だと思えばいい。それぞれの理想や好きなタイプはあるし、そこから外れたマイナス部分はたちまち言い立て、鬼の首を獲ったようにあげつらうのならそれで良しとしよう。ほんの小さな汚点でも、針小棒大にしなければ紙面を埋めることはできないのだから……。いずれにしても、大谷ファンは豪快なホームランを期待してワクワクしながら球場に向かうし、小澤ファンは独自解釈の個性的演奏を期待してワクワクしながら演奏会場に向かうのだから、その心境は同じだ。

 当然、音楽もナイスバディーのようなものだ。それは表面的に美しく官能的だが、その肉体にメスを入れると骨格が現れ、内臓も現れる。例えばピアノ曲の場合、ピアニストは解剖医のように楽譜全体を切り刻んで分析(アナリーゼ)し、そこから得た情報をもとに、解剖医なら死因を類推し、ピアニストなら作曲家の意図を類推する。解剖医はそれを警察に報告して終わるが、そこからが芸術家たる演奏家の真骨頂だ。もし再生医療が発展すれば、解剖医も切り刻んだ肉体を縫合して、フランケンシュタインのように生き返らせることが可能だろう。一方、再生芸術に従事するピアニストは、楽譜の紙背に作曲家の意図した骨格や内臓を分析・把握してから、それを色々考えながら彼なりの解釈で縫合し、自分の子供として生き返らせる。この部分は、あらゆる芸術家に共通のものだろう。画家も小説家も、詩人もデザイナーも、ひょっとしたら美容整形外科医も、ツールは違えどきっと似た作業をしている。 

 ピアニストのツールはピアノだが、個々のピアノに個性はあっても、それは所詮道具に過ぎない。裕福な演奏家は相棒である自分のピアノと一緒に世界中を旅するが、多くの演奏家は劇場付の3、4台からチョイスする以外ない。真の相棒は十本の指と、二つのペダルを踏む両足だ。どんな状態のピアノでも弾きこなして、自分の思い描いた音の子供たちを生み出し、会場の隅々まで飛び立たせるために、一日8時間以上も練習し、中には腱鞘炎でピアノ人生を終える人も出てくる。ピアニストは高齢になると、多くがこの腱鞘炎に悩まされる。

 指揮者のツールはタクト一本だ。だから演奏寿命は永く、車椅子からでもタクトは振れる。しかしオーケストラも劇場付の「ツール」だといえば、たちまち顰蹙を買うだろう。構成員は一人一人が人間で、鍵盤ではない。それが一期一会であったとしても、音楽は指揮者と彼らの共同芸術なのだ。仮にそれをツールと考えれば、40名~150名ぐらいの楽器を相手にしなければならず、その一人一人が批評眼を持った生身の専門家だ。だから下手な指揮者が棒を振ると、小馬鹿にしたような雰囲気が全体を覆ってしまい、指揮者の要求に中々応えなくなる。一度馬鹿にされると、そのオーケストラからは二度とお呼びが掛からなくなる。指揮者は恐ろしく孤独な存在だ。指揮者のチョンボをカバーしてくれるのは機転の利くコンサートマスター(第一バイオリン)ぐらいで、彼(彼女)は第二の指揮者として緊急時のフォローを担う。

 この孤独的立場を払拭するには修練しかないので、指揮者は恐ろしく勉強する(他の演奏家もそうか……)。野球の大谷さんと似ていなくもない。特に小澤は駆け出し時代、凡ミスをきっかけにNHK交響楽団から排斥された苦い経験があり、なおさら頑張ったに違いない。彼の場合は、遠征先の居場所を身近な者以外は漏らさないようにしていたらしい。訪問客に邪魔されたくはなかったのだろう。その結果、長大なオペラだって暗譜で指揮できる。クラウディオ・アバドも暗譜が得意だったが、やはり研鑽の賜物だったろう。すでに地位を確立した指揮者だって、寄る年波にはかなわず、散々暗譜でこなしてきた曲も忘れたりタクトの切れも悪くなったりで、演奏の質はどんどん落ちてくる。楽譜に噛り付きながら、のたのた指揮すれば、音楽もヨロケてしまうのは当然だ。それを老醜と感じる井上道義氏は、今年いっぱいで演奏活動を停止する予定という。しかし野球みたいに成績が数値に表れないので定年退職はなく、聴衆の前で突然天寿を全うする指揮者も出てくるわけだ。

 第二次世界大戦以前は、指揮者も連隊の司令官みたいに振舞っていた時代があった。司令官は兵隊を駒のように扱う。イタリアの名指揮者トスカニーニも、ドイツの名指揮者カール・ベームも団員には厳しかった。ベームより14歳若いカラヤンも、この権威主義的な伝統指揮法の持ち主で、小澤の先生だった。ナチスに協力したとされ、戦後しばらくはドイツ音楽界から敬遠された。しかし映像を重視した宣伝相ゲッベルスを知る彼は、独自の宣伝工作で復活を果たす。端正なルックスを武器に、名門ベルリンフィルを指揮した数々の英姿を世界中に映像配布した結果、絶大な人気を獲得し、彼一人のギャラが楽団員の総ギャラよりも高いという逆転現象まで起きた。

 小澤は横でそれを見て、別の選択をしたに違いない。カラヤン先生より背丈はちょい高だが、先生のように美形ではないし、何よりも東洋人だ。当時の欧米では、人種差別も当然根強く残っていた。そんな小澤にカラヤンの目を瞑った(重要な部分では綺麗な青い目を開けている)端正かつ上品なバトンテクニックは似合わない。だから小澤は、もう一人の先生であるバーンスタインのスタイルを真似たに違いない。時には指揮台で跳びはねるような派手な指揮ぶりは、古い批評家からは下品と顰蹙を買ったが、小澤はその開放的で快活、かつ柔軟性に富んだバトンテクニックをマスターして、魔法の杖から鳩を出すように、斬新な解釈の音楽を次々と羽ばたかせ、客を昂奮の坩堝に陥れた。

 名演奏は、耳と目から得た昂奮が一生の思い出となって記憶に残る。例えば小澤では、ストラビンスキーのバレー音楽『春の祭典』を演奏会で聞いたことがある。演奏の難しい曲で、多くの指揮者はリズムを間違えないことだけに集中する。特に指揮者泣かせといわれる最終部の「生贄の踊り」において、異なるリズムが対位法的に演奏される変拍子の極みがあるが、突然小澤が交通巡査のように両腕を激しく振り回したのに驚いた。右手で三角形、左手で四角形を素早く描きながら難しいリズムを的確に団員に伝えていたのだ。両腕がブチ切れるぐらいのエネルギッシュなバトンテクニックで、『春の祭典』の激しい音楽に彩を添えるパフォーマンスだった。バーンスタインもそうだが、こうしたスポーティーなバトンテクニックの持ち主は、その技術を幅広く応用できるので、バッハから武満徹までレパートリーをどんどん増やすことが可能だ。小澤より21歳年上にカルロ・マリア・ジュリーニという名指揮者がいたが、彼のバトンテクニックは武骨かつ昔風で、その守備範囲もさほど広くなく、ドイツ・オーストリア音楽が主体だった。

 小澤が名門ミラノ・スカラ座でオペラデビューしたとき(1980年)、取り上げた作品はプッチーニの『トスカ』だった。これはプッチーニの作品の中でも『ラ・ボエーム』とともに1、2の人気を争うオペラだ、……ということはスカラ座の客は腐るほど名演に接していて、一人ひとりがちょっとしたミスに過剰反応する厳しい耳を持った評論家だということだ。イタリアオペラの殿堂に、その中でも代表的な作品を背負って殴り込みをかけたのは、スクーター一台で欧州を駆け巡った、武者修業時代の心意気を髣髴とさせるものがあった。

 しかしこのデビュー公演は散々なものとなった。元々個性の強い演奏を旨とする小澤は、合わせもの(協奏曲、オペラなど)が不得意であるとの噂があった。普通、欧州のオペラ指揮者は歌劇場の専属となって下積みを経験し、楽譜もろくに読めず、リズム感も悪く、美声や発声のテクニックだけで有名になった歌手たちの扱いに長けていた。そうした指揮者はイタリアオペラのコツを掴んでいて、フェーシングの剣を握るように、歌手を掌の中のカナリアだと思い、特にアリア部分では彼らの歌を殺さぬようにある程度歌唱の自由を認め、オーケストラは要所要所で伴奏に徹した。その要所要所とは、イタリアオペラにも歌舞伎の「見栄を切る」部分があるということなのだ。

 歌舞伎では感情の盛り上がった場面で、役者が一時動きを止め、目立った表情や姿勢を示す。それと同じに、イタリアオペラのアリアや二重唱では、歌手が自分の声を最高音(ソープラ・アクート)にうまく嵌めたとき、できるだけその声を維持して伸ばし、自分の美声をアピールしようとする習わしがある。しかも始末の悪いことに、歌手は自分のことしか考えないから、あの強靭な肺の中に入っている空気を使い果たしてまで続けたがる。客もそれを期待しているからだ。反対に、うまく嵌まらなかったときには直ぐに下降して恥ずかしそうな顔をする。歌舞伎に「大向うをうならせる」という言葉があるが、スカラ座の大向うは天井桟敷の人々だ。彼らがうなるときは「ブラボー」を連発し、失敗に対しては容赦なく「ブー」と罵声を浴びせる。

 当然、スカラ座オペラデビューの小澤は、音楽総監督であったトスカニーニムーティのような絶対的権力を確立した立場ではなく、「黙って俺の指示に従え」などと歌手に強い要求はできなかったろう。ムーティなどは、この見栄を切る部分を「楽譜にないから」とカットしたり、別の部分では「楽譜にあるから」と、カットが習慣の繰り返しまで歌わせたので、歌手は疲れてふてくされ、聴衆は呆れ返った。しかし彼は主義として楽譜に忠実なだけで、小澤と同じ天才型のマエストロだ。小澤デビューでの共演歌手は、世界的テノール、ルチアーノ・パバロッティ(トリノ冬季オリンピックで口パクで歌った)だったから、対等の立場といっていいだろう。ベルカント唱法の発声術を完璧に身に着けた彼は、あの巨体を使ってどこまでも高音を伸ばして歌うことが可能だ。当然その手の大御所は、ゲネプロでは隠し玉の高音を全開して披露することはない。だから小澤にとって彼の高音は未知の領域で、恐らくその計算を間違えた。

 彼はオーケストラ指揮者として、オペラ指揮者のテクニックである歌手が高音から下りた0コンマ数秒後に、伴奏オケの音階を下げるという技術に習熟していなかった。オケを保持するのにこらえ切れずに、「もうこのぐらいだろう」と類推して、下降音を指示してしまったのだ。きっと脳裏に、駆け出し時代の同じ凡ミスが過ぎったに違いない。当然、まだ伸ばしたいパバロッティと降りてしまったオケとの間に大きなズレが生じて、聴衆を驚かせた。おまけにそんな場面が数度あったものだから、天井桟敷の連中が黙っているわけもない。会場は大ブーイングとなったわけだ。後になって小澤は、師のカラヤンから「わざわざブーイングを受けるために、スカラでイタリアオペラをやることはない」とたしなめられたという。カラヤン自身、昔スカラでヴェルディの『椿姫』を指揮して、ブーイングを受けていた。

 しかしその後、小澤はイタリアオペラではなく、チャイコフスキーの歌劇『エウゲニ・オネーギン』で、見事な復活を遂げる。スカラの天井桟敷は、小澤のタクトさばきの妙に魅了され、そこから放出される音の渦に酔いしれ、「ブラボー」の渦に変えて返した。特に主役を演じたミレッラ・フレーニの「手紙の場」におけるアリアは、若い娘の初恋の吐露とオーケストラの熱情的なリズムのうねりが渾然一体となって、作曲家が生きていたら絶賛しただろう完璧の極地に到達していた。前回は散々こけ下ろした評論家は、「恐らく小澤はイタリアものよりもこっちのほうが合っている」などと、澄ましたことを書いたが、誰もこの名演にケチを付ける者はいなかった。

 小澤の絶妙なリズム感から湧き出る音のうねりは、演奏会方式の劇的物語、『ファウストの劫罰』(ベルリオーズ)でも存分に示された。特に驚かされたのは、その中に挿入されているハンガリー風行進曲「ラコッツィ行進曲」(ラデツキー行進曲ではない)だった。この行進曲はよく抜粋されてオーケストラのアンコールで演奏されたり、ブラスバンドで偶に演奏される曲で、一度は聞いたことのある人が多いに違いない。行進曲は、元は軍隊が足並みを揃える目的で作られたもので、僕は行進曲に勇ましさや華やかさは感じるものの、芸術性を感じることはないと思っていた。ところが小澤は、この速歩行進の単純なリズムの小曲を起承転結の音の流れとして捉え、始まりから終わりまで、完成された一つのうねりとして、至福の芸術作品に仕立て上げたのだ。小澤はフェアリー・ゴッドマザーのように、バトンの魔法でカボチャを美しい馬車に変え、僕はそれに乗って体を揺らしながらシンデレラのようなワクワク気分になったことを覚えている。彼はまさに、行進曲まで気高い芸術に変えてしまう魔法使いだった。小澤は逝ってしまったが、舞台からいきなり投げつけた衝撃音は僕の心に刺さって古傷となり、老化した脳に刺激を与え続けている。 

 

 

 

ショートショート
亡き囚人のためのパヴァーヌ

 フロレスは極寒の地で19年も、刑務所の狭い懲罰房に閉じ込められていた。政敵の独裁者ピッツァが大統領になったとき、直ぐに逮捕されてこの流刑地に運ばれたのだ。彼がここに来てから、時は止まったようだった。牢番のロックはそのときから彼の世話をしていた。フロレスはいまでも囚人で、ピッツァはいまでも大統領だった。時は止まっていても、ロックは背の曲がった老人になり、体躯の良かったフロレスはガリガリの体に変わり、髪も髭もすっかり白くなってしまった。妻のレオナラは、あのとき以来音信がない。恐らく手紙を差し押さえられているに違いなかったが、生きているのか死んでいるのかも分からなかった。ピッツァは邪魔者を平気で暗殺するから、フロレスは妻が国外に逃れたことを信じる以外に、気を宥める方法はなかった。

 牢番は囚人と親しくならないことが、この刑務所の仕来りだった。それを怠ると、たちまち解雇されてしまう。だから彼は極力寡黙を貫いたが、囚人の世話はきちっとしていた。一日一食の食事は粗末なものだった。しかし狭い檻の中で身動きの取れないフロレスにとっては、細々と生き続けるのに不足することはなかった。時たま雑穀汁の中に肉の塊が入っていることがあったが、そんなときロックは、フロレスに向かってニヤリとウィンクした。フロレスはそれに噛り付いて涙を流した。ロックの差し入れであることが分かっていたからだ。

 収監されてから4年目のことだ。フロレスはやたら悲しくなって一日中泣いていたことがあった。それを見かねたものか、ロックが鉄格子に近づいて、小声で優しい言葉を掛けてきた。
「どこか、痛むところでもあるのかね?」
 フロレスは涙声で、「ただ悲しいだけさ」とつっけんどんに返事した。するとロックは軽く苦笑いして、「莫迦だな4年もここにいて、住めば都という諺を理解していないなんて……」と続けたのでフロレスは頭に来て、「ここが都かよ!」と叫んでマットから飛び上がり、鉄格子を揺すろうとした。しかし、鉄格子がビクともしなかったのは言うまでもない。ロックは鉄格子から出たフロレスの手の甲を軽く握り、「娑婆の人間だって牢獄のような世の中で生きているのさ。俺たちがどうやって生きているのか知ってるかい。みんな夢を見て生きているんだ」と呟くように言った。フロレスは号泣しながらマットに突っ伏して、泣き疲れてそのまま寝てしまった。

 その晩の夢枕に、レオナラが現れた。彼女はフロレスに口づけして囁いた。「初めて出逢ったダンスホールを覚えている?」
 二人のダンスは習い立てで、足を踏まないようにぎこちなく、大昔の貴族の舞踏のようにゆったりしたものになった。彼女は彼に胸を合わせて耳元で囁いた。
 「待っててね。きっと助けに来るから。でも私はあなたを助けるけど、あなただけを助けるためじゃない。なぜって、あなたを愛してるけど、あなただけを愛しているわけじゃないから。わたしはあなたと同じに、この国の人たちを愛しているから、あなたを助けるの。だって私はおバカさんで、愛の力はあなたで精いっぱい。あなたの愛の力はもっともっと大きいはずだわ」

 翌朝目が覚めると、フロレスの心の中は一変していた。この狭い牢獄の中にも、無限大の夢の世界があることに気付いたのだ。彼はピッツァと政権を争っていた頃の情熱を取り戻していた。彼の心臓は高鳴り、激しい血の流れを右脳に送り込んで、そこに蔓延っていた悲しみを一瞬で押し流した。たちまち理想の国造りのイメージが流れ込んできて、右脳領域を満たしていく。それに応えて左脳では、政権を獲得した後の具体的な国政が時系列的に創られていった。フロレスはロックからペンとノートを貰い、新しい国のタイムスケジュールを克明に記していった。

 月に一度の風呂の日、フロレスが浴場にいるとき、ロックは独房の掃除を行い、マットの上に転がっていたノートを開いた。そして二人の監視とともに彼が戻ってきたとき、急いで丸めて内ポケットに隠した。監視が去るとフロレスは牢内を探し回り、鋭い目つきでロックにたずねた。
「僕のノートをどうした?」
 ロックは黙って内ポケットからノートを出し、直ぐにポケットに戻した。
「取り上げるつもりか?」
 フロレスは厳しい顔つきで鉄格子から両手を出し、「返せよ!」とロックに迫った。ロックは涼しい顔して、「このノートは次期大統領のために、しばらく俺の家で保管することにしたのさ。俺はいつか君の出所が決まったときに、ここにいるかは分からない。だから、いまのうちに15年後の君を祝福しておくよ。おめでとう。君は苛酷な環境の中で逞しく生き抜いてくれた。君は無事刑期を終えて出所することが決まったんだ。君の所持品の中にこんな物が含まれていたら、たちまち出所は取り消されちまう。出所して大統領になったら、俺の家を訪ねてくれたまえ。ちゃんと返してやるさ。けれど、書かれていることを本当に実現すると誓ってくれなけりゃ、家の暖炉に投げ込んじまうからな」

 フロレスは泣き崩れて、ロックに約束した。
「ありがとう。僕はここから抜け出し、大統領になる。その時まで、そのノートは大切に保管してくれよな」

 ロックはその時以来、フロレスにメモ用紙すら与えることはなかった。上の者に見つかったら、自分の身も危なくなることを知っていたからだ。しかしフロレスは失われたノートの内容を克明に記憶していることに気付いて、マットの上で転げ回るほどに大笑いした。ロックが不思議に思ってたずねると、「僕は譜面台に花束しか置かないマエストロよりも記憶力がいいのさ」と自慢した。そして狭い檻の中で悲しい顔もしない小動物のように、毎日毎日含み笑いをしながら、心を夢の世界に解き放って国造り構想に没頭し、長大な月日を一日一日消化させていった。そうして丸々15年経ったとき、待ちに待った言葉をロックから受け取った。
「いよいよ来月、君は刑期を満了して出所できることになったよ」

 そのとき、フロレスの目から一滴の涙も流れることはなかった。もう何年も涙を流したことがなかったから、出し方まで忘れてしまったのだ。その代わり、瞼に映し出された理想の国は寸分の狂いなく、涙で歪むこともなかった。いよいよこの廃れた国を希望の国に変えるため、ピッツァを打ち負かすときが来た。彼はロックに向かって直立し、「ありがとうございました」と言って深々と頭を下げた。ロックは鉄格子の中に手を入れて、フロレスと固く握手をし、「頑張って!」と励ました。

 それから二週間後、ロックは所長室に呼び出され、袋に入った白い粉を渡された。
「こいつを小匙一杯分、フロレスの晩飯に振り掛けるんだ」
 ロックはそれが何であるかは知っていた。過去に同じことをしたことがあったからだ。今回も黙って受け取り、所長室を後にした。ロックは愛する妻と娘の顔を思い浮かべながら配膳室に入り、十字を切った。目分量でトレイの上に乗った粗末なスープに振り掛け、スプーンでかき回してから、残った粉を流しに捨てた。それから毒の入ったトレーをフロレスの独房に持っていき、鉄格子の隙間から差し入れた。フロレスはいつものように、「ありがとう」と言ってウィンクし、食事を受け取った。ロックは独房から離れると職員便所に駆け込み、声を出して泣いた。

 夢の中でレオナラがイブニングドレスを着て現れた。
「どうしたんだい。今日はばかに綺麗じゃないか。まさかカーニバルでもないだろう」
 するとレオナラは悲しそうな顔つきで、「あなたを迎えに来たのよ」と溜息混じりに呟いた。
「僕はどこに行かなければならないの?」
「天国……」
 フロレスは驚いて、「まさか、来月出所するんだ!」と叫び、「君は刑務所の門の外で迎えなければならないはずだ」と続けた。
 するとレオナラは笑って首を横に振り、「そんな年寄りの私を、あなたはお望みだったの?」と返した。
「嗚呼、君はなんて美しいんだ……」
 フロレスは長い溜息をつき、諦めたような顔つきで、再び彼女の唇を求めた。

 二人はしばらくの間、唇を合わせていた。大分久しぶりに、フロレスの心に悲しみが戻ってきた。二人はキスをしたまま、天に昇って行く。雲の上では、礼服で着飾った多くの人々が二人を出迎えてくれた。その中にはフロレスの知っている同志たちも含まれていた。彼らは二人に向かって列を作ると、昔風の優雅な舞踊を始めた。彼らの列の間に、歩むべき道が現れた。二人は手を繋いで、青い絨毯の上をゆっくりと祭壇に向かって進んだ。

 祭壇の玉座に、神が鎮座していた。神は戴冠式のナポレオンと瓜二つの格好をしていて、頭上には王冠が輝いていた。二人は頭を下げながら玉座への階段を昇り、小さな金の翼が生えた清らなるサンダルに接吻した。
「苦しゅうない。顔を上げよ」
 フロレスは頭を上げて神を仰ぐと、唖然としてポカンと口を開けた。そして一秒後には怒りがこみ上げてきた。
「お前はピッツァ!」
 驚いた天使が玉座の横から金の槍をフロレスの首に向け、「控えおろう、神への無礼は許されぬぞ!」と怒鳴ると、優雅な踊りはピタっと止まった。しかし神はまったく動じず、太々しい顔つきで大笑いした。
「下界でも、多くの誤解はあるだろう。お前の知るピッツァはまだまだ生きておる。下界には独裁者、地獄には閻魔大王、そして天国はこの私。結局、三者とも同じ顔をしているのさ。どの世界でも、権力を握る者は似た顔つきになるものだ。わしはこの椅子に座る前に、多くの神々を蹴落としてきた。しかしピッツァはまだまだ修行が足りない。き奴の顔は、時たま怯え顔になるからな。わしと同等の顔つきになる前に、あいつは地獄へと堕ちるに違いない」

 神はそう言うと、覗き込むようにしてフロレスを見つめ、優しい眼差しで微笑んだ。
「お前は生まれつき、権力の座から見放された顔つきをしているようだ……」

(いまは亡き愛国者に捧げる)

 

 

 

 

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