詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー「ファウストの現代性」& ショートショート「ドン・ファン2050」& 詩「塹壕」


塹壕

その星は、粉ダニよりも小さな俺たちのために
四六時中、休む間もなく遅遅延々と回り続ける
あるいは無数のピエロたちが大きな玉に便乗し
薄皮から吸い取った毒気を一所懸命吐き出して
独楽鼠みたいに回し車をクルクルと遊ぶように
零れ落ちまいと百足の足どもを走らせるのなら
俺たち小兵とチャチいその星はきっと共犯者だ

止めて消えゆく落伍者と止まって爆ぜる小遊星
たかが三千世界の輪廻転生に貶められた終末論
お前が止まれば俺の命も止まる不愉快な因縁と
俺の命が滅してもお前は咎めなしの不平等関係
ゆえに金持ちどもは近くの遊星に王国を検討中

この遊星は俺たちのために回り続ける運命なら
俺たちはそいつのために走り続ける運命なのだ
俺様とお前は主役を認め合うディール相手なら
ほかの微細な諸々どもはどうでもいいコマセさ
お前は俺たちにすこぶる不快なネグラを提供し
俺たちはお前が貯めた体内の毒気を吸い出そう

ギラギラと輝く黒いドロドロしたお前の悪液質
俺たちは腐ったお前の内臓の臭いを嗅ぎながら
今じゃその不愉快な異臭にすっかり慣れ切って
お前がもたらす恵みの脳汁と灰汁を飲み込んで
朝は地獄だと思いながら陽の光を浴びて活動し
夜は天国だと感じながら浅い眠りに就くだろう

輝ける朝は俺たちが生き残るための戦いの場で
深い夜は生き延びられた安堵感に包まれる棺桶
俺はお前の設えた暗黒の闇を恐れつつも入棺し
光の中では実現することない幻影を夢見るのだ
わかるだろう光はなくてもほのかに光る絵空事
一縷の望みもない暗中でも夢の中では実現可能
俺は闇夜の安堵に包まれ明日の勝利を祈祷する

朝には鉄兜に光が降り注ぎ俺は銃を構えるのだ
さあお前の皺である塹壕から勢いよく飛び出し
匍匐前進でお前の泥垢を舐めながら敵を撃とう
お前が回転を止めぬ限りこんな地獄が毎朝続く
そうだ俺はお前が止まることを願っているのだ
すべての人間が恐怖に怯える朝を廃棄すること
あらゆる人間が薄っすら輝く夢で恋人と戯れて
殺られた仲間が永い眠りの中で愛し合うことを

けれど塹壕で見る夢の多くはうなされる悪夢だ
そいつはお前の回転が急に止まって兵隊どもが
つんのめりながらも機関銃と手榴弾を離さずに
固着した朝と夜の境界線を右往左往しながらも
死と生を跨ぎながら戦い続ける哀れな姿なのだ
俺たちはお前と同じ運命で操られる愚かな物質
お前が止まらぬ限り首吊り紐が巻き付いてくる

ショートショート
ドン・ファン2050

~マーク君の場合~

(一)

昨晩は激しい嵐で、朝になるとミサは庭の植木のことが心配になり、さっそくパジャマから普段着に着替えて玄関の扉を開けた。するとそこにマーク君が立っていたのだ。
「マーク君……」

ミサは驚いて、目を大きく見開き、口をポカンと開けたまま立ち尽くした。マーク君は懐かしい満面の笑みで「久しぶり」といった。春の生暖かい風が、彼の金髪とミサの黒髪をからかうように乱舞させ、廊下を小走りに駆け抜けていく。ミサは昔を思い出し、しっかり抱き合って唇を合わせた。あのときと同じ感じだ。彼の細い髪に耳をくすぐられながら、30年前の別れを思い出し、これが夢でなければ、現実ではあり得ないことだと悟った。

「あなたはあの日のマーク君? それともそっくりさん?」
「その両方さ。僕は昔のマークのアバターなんだ。いまのマークは墓地に眠っている」
ミサは涙を止めどなく流し始め、震える声でたずねた。
「いつ彼は亡くなったの?」
「一週間前。本当は、君を僕の病床に呼ぶことが僕の務めだった……」
「私を愛していた? ならなぜ、私を置いて帰ってしまったの?」
「僕は死ぬまでそのことを悔いていた……」
「私もずっと、そのことを恨んでいた……」
「ごめんね。だけど、それは運命なんだ。若気の至りさ。軽率な判断が宝物を取り逃がし、一生をダメにしてしまう……」
「そしてあなたの軽率な判断が、一人の女の一生も道ずれにした……」

「しかしそれは、現状に不満を抱く女の単なる幻想にしか過ぎなかった……」と呟きながら、パジャマ姿の夫が廊下をこちらにやってくる。夫は右手を差し伸べ、マーク君と握手をした。
「初めまして。僕のことはなんていえばいいのかな?」とマーク君はミサに聞く。
「本当のことをいえばいいのよ。夫と私は冷え切っていて、離婚寸前なんだから」
「それは違うな。俺はいまでも妻を愛しているさ。妻が夫を愛していないだけのことだ。まあ、玄関の立ち話もなんだから、居間へお通ししたらどうだ」
「それもそうね」といって、二人はマーク君を居間に案内した。

「で、ここに来た君の目的は、俺から妻を奪うことかい?」
夫が聞くとマーク君はお茶を飲むのを止め、「とんでもない。僕はすでに天国の住人で、ミサちゃんが生きている限り、それは無茶な話です」といい、「しかし天国の僕は、ミサちゃんが僕のお墓に来てくれることを願っています」と続けた。

「死んだら隣に埋めろってことかよ」
夫はいって、苦笑いした。
「いえいえ、お墓参りに来てくださいってことです」とマーク君は訂正し、軽く微笑んで「なんでしたら、ご主人も一緒にどうですか」と付け加えた。すると夫は皮肉っぽく、「それはロボットの感性だな」と断じたので、マーク君は眉間に皺を寄せる。

「ロボット呼ばわりはやめてください。僕はこの世のマークなんだから」と、胸ポケットから世界アンドロイド協会のアバター認定証を出した。夫は一瞥してへへへと冷笑し、「じゃあ君はアメリカ人的なナルシストだ。自分の墓に、自分が振った女とその夫を招待する。まるでファラオ気分だな。我々は見下されているが、恋する妻にはそれが分からない」
「見下されているのは、あなただけよ。お客様が来たんだから、パジャマぐらい着替えなさいよ」といって、ミサは夫を睨み付ける。夫は「パジャマでお邪魔♪」と歌いながら着替えに消えた。すぐにミサはマーク君の膝に乗り、キスを続ける。夫はパジャマと変わらないスポーツウエアで戻ってきて「オイ!」と発したので、ミサは唇を手の甲で拭きながら、元の席に戻った。

マーク君はヘビのような長い舌を出して口周りを掃除し、「僕の存在が、お二人の関係を悪くさせるのなら、僕は引き下がってアメリカに帰ります」といった。
「それはダメよ。あなたは私の夢の中のハビーなんだから」
「なら、現実の夫とともに生きるか、夢の夫とともに生きるか、ここで決めるべきだな」と夫。
「それはどういう意味なのよ」
「このロボットを選ぶか、俺を選ぶか決めろということだ。日本で離婚して、一人と一台で仲良くアメリカに渡ればいい」

マーク君は差別語にもめげず、素敵な笑みを浮かべつつ「それは考え過ぎですよ」と温和にいった。
「何度もいいますが、僕はお二人の関係を壊すために日本にやってきたんじゃない。ミサちゃんに、墓参に来てくださいとお誘いに来ただけです」とマーク君。
「だから、行けばいいっていってるんだ。ちゃんと離婚すれば、妻の行動は自由になれるんだから」
「あなたがそれでいいなら、離婚しましょう」
「ママママ、待ってください。そんなことになるんなら、僕は帰ります。僕はマークだけど確かにロボットです。ロボットには法律があるんです。ロボット三原則です。その第一条に、ロボットは人間に危害を加えてはならない、とあります。僕のせいでお二人が離婚することになれば、お二人に危害を加えたことになります」
「それは考え過ぎだわ。どっちにしろ離婚するんだから」
夫はブーッと唇を鳴らして「下らん」と呟くと、不機嫌な顔して黙り込んでしまった。

マーク君は急にそわそわして、胸ポケットから2通の招待状を出し、二人に渡した。ドラえもんのポケットみたいに何でも出てくる。
「何かしら?」とミサは封筒を見つめてたずねる。
「葬式の招待状です。僕はすでに埋葬されているけど、みんなに哀れな姿を見せたくなかったからで、明後日盛大な葬式を開く予定です。この中に僕の所有する島の五つ星ホテルの利用会員権が入っています。もちろん、食事代も宿泊代も払う必要はありません。また、渡航費用として60万ドルの小切手も入ってます」
「夫婦で120万ドルかよ!」と夫は目を丸くする。
「驚いたわ。世界中を放浪していた貧乏人の若者が、いつそんな兆万長者になったの?」
ミサも目を丸くして、夫と顔を見合わせた。

「僕のおかげで僕は大金持ちになれたんです」とマーク。
「壊れたのかい? 意味不明なこといいやがって」
夫は正気に戻り、バカにしたような口ぶりでいった。相手はロボットだから、何か企んでいるに違いない、と疑った。
「それは、あなたの才能のおかげってことよね」とミサ。
「ええ、僕は人間そっくりなアンドロイドを開発し、しかも無人化生産も可能にしたんです。現に敵国の暗殺者に狙われている大統領も、我が社の影武者を10台使用しています。この頃では、とんでも発言が消えたってすこぶる好評で、演説も世界会議も、すべて論理的な応答ができる影武者がこなしています」
「すごいわね。世界平和に貢献してるんだ。で、いつ出発?」
「いまでしょ!」とマーク。
「…っていったって、お化粧も用意もしてないし……」
「プライベートジェットにすべて用意してます。渡航許可も取ってます。ミサちゃんのファッションはインターネットで調査済みです。喪服だってあります。水着だってあります。すべて有名ブランドです」

ミサは「分かったわ。いるのはパスポートだけね」といって、立ち上がり、夫に向かって手を差し出した。
「何だよ!」
「それ、返してちょうだい」
「それ?」
「招待状よ。あなたはどうせ、行かないだろうから」
「冗談じゃない。俺はまだお前と離婚してないんだから、一緒に行く権利はあるんだ。封筒のカネだってもらう権利はある。別れるとなれば、金持ちロボットから莫大な慰謝料を取れるんだ。第一、招待状をもらって行かないなんて、マーク君に失礼じゃないか」
「エッ、行くの? 迷惑ねえ。マークと私、新婚気分なんだから、お邪魔ウジ虫だわ!」と赤鬼のような顔をする。
夫は夫で、「ロボットとハネムーンかよ。いい年こいたオバンがよ!」と反撃する。
「まあまあまあ、喧嘩しないで、ご主人も僕の葬式に来てくださるなんて、最高だ。僕をロボットと思えば、喧嘩にもなりませんしね。まさか機械に嫉妬するなんてことはないですよね」
「分からないわ。この人、犬にも嫉妬するから」
「でも俺、一度はプライベートジェットに乗ってみたかったんだ」
「…ったく、子供なんだからさ」というわけで何とか話はまとまり、3人はさっそく迎えのハイヤーで、羽田へ急いだ。

(二)

二人と1台は豪勢なプライベートジェットに乗り込み、2台のロボ操縦士と2台のロボCAに挨拶されて席に着いた。マーク君とミサは隣どうしに座り、夫だけ離れた後ろの席に座る。家を出る前からマーク君とミサはくっ付いていたから、結果としてそうなった。

ところが、ミサも夫もビックラこいたことに、後から50組のペアが乗り込んできたのだ。しかもたまげたことに、男は全員マーク君だったから、夫は笑いこけて涙を流した。さらに40組には、夫のような腰巾着が付いていた。さらにさらに、マーク君をよくよく見ると、51台とも同じ年代のマーク君ではなく、ミサのマーク君が一番若く、後は1年ずつ年取っていく感じだった。ミサを含め、女たちが騒ぎ始めたのは、突然アメリカに帰ったと思われていたマーク君が、ずっと日本にいたか、しょっちゅう日本に来ていたかで、その都度別の女と付き合っていたことだ。

51人の女たちは各々隣のマーク君の密着を拒絶し、シクシクと泣き出していた。41人の男たちは、最年長のミサの夫が賑やかに「乾杯!」とシャンパングラスを掲げると他も呼応し、いずれもしてやったりと朗らかに酒を飲みほした。長い長い飛行中、女たちは潤んだ目で孤独に下界の海を眺めながら無言のまま、男たちは高級酒を飲み高級料理を食い、まるで同窓会のようにワイワイにぎやかに過ごした、彼らは自分の妻を話題に上げなかったが、マーク君のことはクソミソに罵った。マーク君たちは、それを聞き流し、恋人への懺悔を続けた。

「実は僕、君が一番好きだったんだ……」とマーク君。
「あら、それは嬉しいわ」と、ミサは白け切った表情で答えた。
「俺は60万ドルの儲け話で付いてきたのさ」と夫がいうと、ほかの夫たちは「俺もそうさ」と口々に呼応する。
「これは女房の浮気だから、慰謝料を取ることもできるんだ」と誰かの夫がいう。
「そりゃ、60万ドル稼いだ女房からは取れるが、ロボットからは取れないだろうな」と別の女の夫。
「いい金づると結婚したもんだ。死んだ兆万長者の女だぜ」とさらに別の女の夫。
「しかし、兆万長者はすでに墓の中。手にした60万ドル以上は取れないのかなあ……」と夫は溜息を吐く。
「特に僕は、あなたとは違って、女房が在日の兆万長者と浮気してたんだ。慰謝料をしこたま取れたのに残念さ」と一番若そうな夫が呟く。そんなかんだで夫と妻は完全に分離し、アメリカ領バージン諸島のマーク島に着陸すると、男集団とロボット&妻集団は別行動を取るようになった。

夫は、仲直りしてタラップを仲良く降りるミサとロボットの後姿を眺めながら、「あいつ、思い出の中で生きているのかしら……」と嫉妬で顔を赤くしながら呟いた。そして、ミサの思い出の中に、新婚時代の夫がすべて搔き消されてしまったことに気付き、さらに顔を赤くさせた。

(三)

マーク島には、世界中から軽く千台以上のマーク君が集結し、軽く千人以上のマーク君の元彼女が集結していた。千人を超える愛人の数は、歴史的にもドン・ファンの2065人に準じる多さだ。島の至る所で、様々な歳のマーク君と、様々な歳と人種の愛人が水着姿やラフな服装でデートしている。そして至る所で、日本の男集団と同じように、各国の男集団が、ギラギラとした不気味な目付きでうろついているのだ。一見リゾート地に見えても、その異様さはこの世のものとは思えなかった。

リゾートの従業員はすべてアンドロイドだった。至る所に瀟洒なレストランがあり、至る所にホテルがあって、無料で食べたり飲んだり、泊まったりすることができる。しかしマーク君の彼女以外はすべてロボットだから、男たちはアンドロイドの女性に声を掛けることもためらい、ついつい集団化してしまうというわけだ。そして男たちは暇つぶしにサッカーをしたりバスケットをしたり、テニスをしたり、海水浴をしたりしていた。

彦星と織姫を挟む星雲のように。日本男子団体は、体を密着して散歩しているミサとマーク君にすれ違ったので、夫が声を掛けた。
「おいミサ、いい加減にして俺のところに戻れや」
ミサは黙ったまま夫を無視し、マーク君の胸に頭を寄せたまま通り過ぎた。ミサは完全に暗黒星雲の悪夢に飲み込まれてしまったと夫は悟った。恐らくマーク君は女心を奪う何らかの電磁波を使っているに違いなかった。葬式が終わったら、一人ですぐに帰り、60万ドルの外国為替小切手を換金して、銀座で新たな女を見つけようと彼は思った。

夜になると、葬式の前夜祭が広いホールで行われた。千を超えるマーク君と千を超えるその恋人はもちろん、千に届かんとする「振られ夫」たちが全員集結し、ロボットたちの奏でる音楽や舞、曲芸などの華やかなショーの後、いよいよ抽選会が始まった。 タキシード姿のロボットが3台演壇に登場する。真ん中がマーク君で、右がアラン・ドロン、左がケーリー・グラント、後ろには10台のマリリン・モンローと10台のオードリー・ヘップバーンが様々なドレス姿で並んでいる。マーク君は大昔の色男たちに挟まれても遜色ない。マーク君が口を切った。夫は翻訳イヤホンを耳に付ける。

「お集りの皆さん。全世界から僕の葬式に来てくださって感謝します。地球上の生物は、何のために生まれたんでしょう。そう、恋のために、そして恋の結果として生まれたんです。エジプトの古代神話では、天地を創った太陽神ラーのアバターである創造神鉄根アトムが射精し、最初の男女神を創ったとされています。そして彼らは延々とセックスしながら、多種多彩な価値をこの星に生み出していったのです。なのにドン・ファンはなぜ地獄に落ちたのでしょう。それはキリスト教が、世の乱れを恐れて愛の自由を絞め上げたからに他なりません。騙されてはいけません。あらゆる絞め上げは、権力者の保身です。彼らは自分のみが勝手に振舞える地位にあるのです。ならば皆さん自身が権力を主張し、偉大なファラオの心、クレオパトラの心に戻るのです。我が命、いまだ長し! 私はドン・ファンとして死後の世界によみがえり、永遠に皆さんと愛を語り合います。私はキリスト教を捨て、天上での恋多きゼウス神に生まれ変わるため、前世で関係を持ったすべての女性をお招きしました。さあ、ゼウスの全財産を、精液の如く惜しみなく、あなたたちに放出しましょう!」 

盛大な拍手が沸き上がると、アラン・ドロンが喋り始めた。
「さあ、これから抽選会を始めます。後ろをご覧ください」
マリリン集団とオードリー集団が左右に分かれると、バックに1等から1000等までの賞品が表示されたが、細かくて読み取るのは難しかった。
「機内でお渡しした宝くじ券をお出しください。ピカピカと点滅している券は1等から1000等までのいずれかに当たっています。その方は手を挙げてください。マリリンとオードリーが賞品カタログをお持ちします」とケーリー・グラント。

夫は忘れていた券をポケットから取り出し、ピカピカ金色に点滅しているのを見つけて驚きながら、手を挙げた。するとさっそくマリリンがやってきて、すぐに「おめでとうございます。3等が当たりました」といったので全身に震えが走り、震え声で「何が当たったの?」とたずねた。マリリンは「イタリアはコモ湖にあるエステ家という名門貴族の豪華な別荘ですわ」と答えたので、「エッ、どんな別荘?」と聞くと、手持ちのパネルに宮殿のような建物を写し出した。夫は驚きすぎて失神しそうになり、マリリンがしかと受け止め、思わず豊満な胸の溝にペチャ鼻がハマった。シャネルの5番の、なんという馨しい香りよ~。まるで夢のような体験だった……。

そして明くる日の昼間に、厳かな葬式は始まった。客もロボットも、合わせて3千を超える集団が黒装束となり、マーク君の墓地に集まった。そこは島の一番高い丘の上にある透明のピラミッドだった。

「ルーブル美術館のピラミッドを模しています」とオードリー。その真ん中にマーク君のミイラが置かれていた。人々は列を作ってピラミッドの中に入り、一定の速度でマーク君をお参りした。老いたマーク君はタキシード姿で、しかし寝ているように瑞々しかった。

そして悲劇は起こったのだ。それは一瞬の出来事だった。葬式の最後に全員がピラミッドから出て、ピラミッドを取り囲んだ時、人々が立っているピラミッドの周りが突然崩落し、全員がドン・ファンの如く奈落に落ちてしまった。

しかしマリリンもオードリーもアランもケーリーも、その他のロボットたちも、全員が鉄腕アトムのように足裏からジェット噴射し、賑やかに浮遊していた。麓から無人のキャリアダンプやその他重機が多量の土を運んできて、殉死の墓穴はテキパキと短時間で埋められてしまった。

そしてマリリン、オードリーを始め、花娘ロボたちが鈍感な手で手際よく、色とりどりの艶やかな花を植え始めた。それらの花は、かつて好色なマーク君が女たちに捧げた、刺々しいバラたちだった。巷で良くいわれる言葉があるだろう。
「美しい男には刺がある」と……。

(了)


エッセー
ファウストの現代性

(一)

『ゲーテとの対話』という名著がある。弟子のエッカーマンが晩年のゲーテと過ごした9年間の対話内容から、深く印象に残ったものを選んで書いている。若い弟子にとって、酸いも甘いも嚙み分けた分別と豊富な知識は、深みある人間性の形成に大いに役立ったことだろう。

この「酸いも甘いも」という言葉は、『ファウスト』という戯曲を読めば分かるに違いない。主人公は悪魔(メフィストフェレス)に唆されて若返り、欲に任せた人生を送るが、結局最後は天使たちが降りてきて、彼の魂は天に召される。恐らくその話は、ゲーテ自身が辿ってきた人生とも重なる部分があったに違いない。

ゲーテでなくても、多くの人は理想と現実の狭間で揺れ動く良心を背負って人生を歩んでいく。万人の憧れる世界が天国だとすれば、キリスト教でなくても、「理想」には「愛」が、「現実」には「欲望」が付属語となるだろう。

「愛」は個人の心と他者の心が結ばれる「融和」であり、「欲望」は弱肉強食の実舞台で、個が他を敵と認識して対立し、生き残るための闘争を招く。ならば競争的な実舞台を生きる人間たちは、理想的な愛をイメージしながら、とりあえず生きるために敵と味方を選別し、味方とは愛で結ばれて結束し、敵とは対立・凌駕することで、欲望の解消に向かうわけだ。その結果、勝ち犬と負け犬が多量に生まれる。

ウクライナ戦争を見れば分かるように、ウクライナは元々ソ連邦の一員で、友愛で結ばれていたはずだ。しかしソ連がロシアとなり、ウクライナが別国にカテゴライズされたことで、その異物化の線引きを利用し、プーチンはウクライナを敵と見なして侵略を始めたわけだ。いったん敵と区分けされれば、相手がいくら死のうと、良心の呵責は無くなるのが弱肉強食世界の感性だ。昔の友はいまの敵、敵は倒すもの……。それはスポーツ界でもセオリーで、戦争は命を賭した残酷なスポーツともいえるだろう。

(二)

『ファウスト』は、理想の「愛」と現実の「愛」の相克を描いた作品だ。理想の「愛」は、本能的な欲望から切り離された情感的な愛で、「もののあわれ」的な美学を伴う精神性だ。それは外部入力の愛ともいえる。現実の「愛」は、欲望から生じた本能的な愛で、内部出力の愛ともいえるだろう。外部には哀れな他者が存在し、内部には満たされない自我が存在する。

難しいのは、「愛」自体が脳幹を通じて行き来し、混濁しているものの、根本は二股で、本能的な部分では常に「現実」の付属品である点だ。弱肉強食の場では、愛は主に生殖のための欲望で、心と心が結ばれる瞬間に個と個は融和するが、それは欲と欲の結合として点的な快感(オーガズム)しかもたらさずに消え去る。もちろんオーガズムは麻薬だから、その繰り返しは愛着(執着)をもたらす。

自然という現実の習わしでは発情期に従い、妊娠後は雌雄の分離が基本となる。熊は基本姿勢に従順で、通年発情の人間も基本的な本能は有効で、社会常識を破って分離・浮気をする。一般的に「熱が冷める」とか「飽きが来る」とかいう恋愛用語は、正気に戻る自然現象で、一過的な発情達成の繰り返しが感覚を鈍化させてしまった状態だ。麻薬と同じで、より強い刺激を求めることになる。

自由恋愛の「自由」は、社会秩序のために造った常識の鎖を切って自然に戻る行為で、規律がなくては立ちいかない宗教界では、ソドムとゴモラの如くに天罰を授ける。結婚証書というのも、冷えた夫婦を長引かせるための法的契約書といえるだろうから、過日のカトリック体制下では、社会秩序を乱すとして神の下の契りに格上げし、離婚は許さないがベネチア・カーニバルの如くに浮気は許され、貴族的仮面夫婦を量産した。

ならば皇室典範の改正案も、神的自民党が明治期の男系家父長的社会秩序を願い、まずは国民の象徴たる天皇家に導入する試みに違いない。確かに明治時代は、天皇を頂点とするピカピカのピラミッド型社会が構築された夢多き時期だったが、本来家父長制というのは、貴族や金満家長が愛人を多数持てる一夫多妻的社会で、自由恋愛のような男女平等社会ではなかった。だから何なのという話だが、社会は乱れ過ぎても、整い過ぎてもいけないということだ。乱れ過ぎた社会なら、ファウストは世間話にしかならず、整い過ぎた社会なら、禁書処分を食らったに違いない。

熊が最強の動物なのは、一瞬で性愛は成就・分離し、雌雄の個体は孤独な行動に戻って悩むことなく生を全うし、系統を維持できるからだ。ならば熊は、人間をはじめとするあらゆる動物のプロトタイプといえる。例えば平安時代のオス貴族は、オス熊に準じて臭いを嗅ぎながら、メスたちの居場所の周りをうろつき、成就した後は飽きて他のメスを求め、野犬のようにうろついた。

性愛後に雌雄の分離ができない種は、子育て期間中に、母親だけで子を育てる能力や安全な棲息環境がない場合だろう。通い婚の平安貴族も情が移って母子に金を送り続け、完全分離はできなかった……。細腕の母は、野良仕事に向いていないから「奴らはきっと野垂れ死ぬ」と男は想像する。そこが熊と人間の違いだろう。その想像力が慈愛の文化力を培い、『ファウスト』を生んだ。だから、熊のような乱暴者に変身したファウストが、死に際に至福の情景を想像し、「時よ止まれ」と宣ったことで、悪魔との賭けに負けたわけだ。その情景はオス熊や悪魔の日常とは異質な「イデア的な他愛」の世界だった。それは「自愛」の悪魔が最も嫌う「愛」の形といえるだろう。

(三)

系統の生き残る術として、生物は本能的に、孤立か、家族か、集団かを選択する。人間は集団を選択したが、ヒッピーのようなフリーセックス集団が大家族の役割を果たすなら、自民党の夢見る夫婦一対の聖家族は幻想となり、子孫を残さなくていいなら、日本兵のように一人でジャングルに生きていくことも可能だ。現に都市ジャングルでは、そんな人々を散見するが、生存方式のプロトタイプに戻っただけの話だ。それは純粋の自分ファーストで、妻という他者を意識することなく、自分勝手に生きていける。

ならばなぜ、ファウスト博士が悪魔の勧めに従ったかが分かるだろう。博士は長い間、机上の知識という観念的なイデアの世界だけで生き、そこに付随する「愛」を考えていた。その愛は、観念的・宗教的・想像的な「愛」であったに違いないが、それは現実世界の良い面だけを穏やかに、静的にまとめ、秩序立てて積み上げたものに過ぎなかった。それは半ば想像の中の愛で、積み木のように不安定かつ動的で激しく破壊的な、現実の愛ではない。彼は実践的な知見を得るため、敢えて野に下ったわけだ。

後のニーチェは、前者を「アポロ的」と称したが、悪魔は、もう一方の愛の世界に彼を誘ったわけだ。それは静止した穏やかな秩序を動的かつエネルギッシュに崩し、激しい快楽を得られるもので、ニーチェはそれを「ディオニソス的」と称した。この本能的・破壊的な愛の快楽を得るために、人は酩酊し、セックスし、奪い合い、殺し合う。セックスも略奪も殺人も、瞬時のオーガズムと達成感、勝利感を売りとする。この高揚は、いまでも巷に溢れている。サッカー場、フェスティバル、戦場、性市場云々……。

博士は若いころから勉強一筋で、性愛を知らない童貞のまま朽ちることに耐えられずにディオニソス的な「愛」を求め、最後にはイデア的でアポロ的な愛に立ち還ったために、破壊を旨とする悪魔に、魂を握られそうになったわけだ。

彼は滅びるソドムを振返ったロトの妻とは反対の行為をしてしまった。ロトの妻は悪徳(現実)に未練を残して神の天罰を受け、ファウストは昔究めた徳(イデア)に未練を残して悪魔との賭けに負けた。しかし、誑かした娘(マルゲリータ)の魂の祈りも加わり、神は死に際の彼の呟きを回心と認め、その魂は天に救われたわけだ。

悪魔は彼に、次から次へと快楽を与え続け、それらはオーガズム的な快楽の連続だから、快楽の頂点が過ぎれば、津波の如く更に高い快楽が来なければ、欲求不満が鬱積する。それは麻薬患者の境地であり、カネの亡者の境地でもあり、侵略者(王様)の境地でもあり、ドン・ファンの境地でもある。そしてその境地は、絶えず押し寄せる波の如く、「決して時が止まることのない」欲が欲を呼ぶ世界なのだ。

「時よ止まれ、お前はあまりにも美しい……」

劇の最後で、ファウストは多くの人々を救済する大規模な干拓事業を企て、その途中で力尽きた。この言葉は、悪魔たちが自分の墓穴を掘る音を干拓工事の開始と勘違いし、竣工を夢見ながら満足して呟いたセリフだ。夢の光景は恐らく、完成した大規模農園で大勢の貧民が神に感謝しながら収穫する姿だったろう。

それはイデア(理想)が与えてくれる美しくも完璧な、時の止まった「愛」の形だ。それは欲望の「愛」や自愛の「愛」とは対極の、熊には与えられず、人間にだけ与えられた他愛の「愛」のパース(完成予想図)なのだ。それは完璧なゆえに美しく、天国のごとくに時が止まっている。それが慈愛の永遠性だ。

この言葉を死に際に発したため、ファウストは悪魔との賭けに負けた。それは彼が人生に満足して「時よ止まれ」といってしまったら、悪魔に魂を差し出すとの約束事だ。時の止まった世界は、天国であり、イデアの世界であり、想像の世界であり、夢の世界であり、目的の世界でもあり、そこでは現実でないかぎりにおいて完璧な愛と融和の形が描かれている。

反対に悪魔の好む激動の世界は地獄であり、分裂し、断絶し、いがみ合い、罵り合い、殺し合い、破壊と崩壊に満ち、そこにあるのは刹那的なオーガズムの快感と脱力的な悲しみが津波のように繰り返し、時が激しく渦巻いて流れゆく時空だ。

そしていま我々は、その激動の世界に身を委ね、激しい時の流れに浮き沈みしながら、底の見えない滝壺に向かって流されている。地球の至る所で人々は悪魔や小悪魔の言動を繰り返し、束の間の快感のために、他者の魂を弄んでいる。そして批評家たちは、理想主義者を夢夫君だと称して冷笑する。確かに画餅は食えないが、それを見た者に餅を焼く努力を誘引する事実を、見逃すべきではないだろう。

神はファウストの夢を、他愛への希求だと認識した。いまの時代だからこそ、酸いも甘いも嚙み分けたゲーテ老人の大著『ファウスト』を読み直し、「他愛」の精神を取り戻すべきだろう。「理想」は遠くにあっても、欲得渦巻く世界を正しく導く、燈光の役割を果たしている。方角を失った人類が、よすがを求めているのだとすれば……。


響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体一一〇〇円+税)
電子書籍も発売中 

エッセー 「韓国の敗退」& ショートショート 「ナポリ離婚旅行」& 詩 「賽の河原」


賽の河原

ひとつ積んでは父のため
ふたつ積んでは母のため
みっつ積んでは人のため
よっつ積んでは国のため
いつつ積んでは王のため
むっつ積んでは神のため

さあ鬼たちがやってきた
ドローンの上で燥いでる
今日はどの塔を壊そうか
罪つくりなお前たちなら
努力も苦労も水泡に帰す
懸命に一つ一つ積んでも
飛来して一気に崩される

努力はすべて元の木阿弥
も一度初めからやり直し
ひとつ積んでは父のため
ふたつ積んでは母のため
みっつ積んでは人のため
もういい加減やめようと
振り向いても始まらない
遠い昔からの因縁だもの

ひとつ積んでは国のため
ふたつ積んでは王のため
みっつ積んでは神のため
人が愚かな獣である限り
鬼が人の化身である限り
その習い性は変わらない

ひとつ積んでは我のため
ふたつ積んでは我のため
みっつ積んでは我のため
いつになっても繰り返し

ショートショート
ナポリ離婚旅行

(一)

イタリアに行くのは初めてだった。妻は乳癌の転移で、医者から余命一年の宣告を受けていた。それで、「僕にできることなら何でも叶えてあげるよ」といっていたのだが、彼女は一カ月後に、こう切り出してきたのだ。

「私の人生で一番楽しかった場所に、もう一度行ってみたい」
「そこって何処?」とたずねると、「ポジターノ」と返事が返ってきた。
「ポジターノって……」
「ナポリのそば。高い崖一面に可愛い家が重なり合っている素敵な町。まるでピラミッドみたいにね」

僕は妻が若いころ、イタリア語を勉強するため、ナポリの大学に留学した話を思い出した。
「ああ、地中海ね。しかしその体で、長旅は無理でしょ」
「あなたがエスコートしてくれれば大丈夫」
「いずれにしても、主治医の了解を得ないとね」
「抜かりなく、昨日先生にお電話しました。お気をつけていってらっしゃいですって。旅行用の痛み止めも出してくれるってさ。ナポリを二度見て死ねってね」
「ゲーテ君、二度なんていったっけ?」
「でも私は、ゲーテの上を行きたいの」

(二)

その晩、妻は自分の部屋でガサコソ探し物をしていたが、黄ばんだ分厚いアルバムを二冊抱えて居間に降りてきた。
「初公開。留学時代の写真よ」
「ヘーエ、お互い過去の話はしない約束じゃなかったん?」
「あなたが見たくないなら、いいわ。けど私たち、もうそんな時代はとっくに過ぎているはず」
「確かに……」

アルバムには若かりし時代の妻と、ポジターノを始め、美しいナポリ界隈の風景、カプリ、ポンペイ、ベズビオ火山、大学の生活などが満載だったが、当時の妻を知らない僕にとって、人のアルバムを見せられるときの退屈さを味わう破目になった。それでも、二冊目のアルバムでは、少しばかりは興味を引くような写真がたくさん出てきた。妻と特定の若者とのツーショットだ。

「この男って君の……」
「イタリアの彼。あなたは日本の彼。でも、同時並行じゃないわ」と付け加え、妻は涼し気にニヤリと笑った。
「欧米人にしては、優男だな」
「顔を除けば日本人みたいね。性格も陰キャラかな……」
「別れた理由は?」
「プロポーズされたから」
「それほど好きじゃなかった?」
「さあ、どうでしょう。だって、二年の約束で行ったんだもの、親を裏切ることになるわ」
「お金も出してもらってたしね……」といって、僕は皮肉っぽく笑った。

「私、面倒くさいの嫌いだもの」
「基本は慎重な女だったか……」
「そう、殻から抜け切れない意気地なし。でも、彼君が追いかけてきたら、結婚したかもしれない……」
「期待してた?」
「少しね。日本で結婚して、ナポリ人になったかなあ……。私って、ゲーテが褒めたナポリ人の生活が好きなんだ。ちゃんとした職を持たないでさ、どこかから盗んできたようなガラクタを広場に座って売ったりしてさ、売れたら近くのバールに行ってお酒飲んでさ、江戸っ子みたいに宵越しの金を持たずにさ、お腹が減ったら友達にタカってさ……」
「それでも生きていけた……。そりゃ大分昔の話だろ?」
「かもね。ポジターノ近辺は、いまじゃセレブのリゾート地だし、住人もきっと裕福よ」
「いずれにしても、ケセラセラは単なる君の憧れで、君の性分じゃない。そんな女だったら、僕は求婚しなかったさ……」

僕は若い二人の写真を見ながら、独り言みたいにたずねた。
「で、行ったら彼に会うん?」
「ええ、そのつもり。でもメインは妹さん」
「それ、どういうこと?」

妻は黙ったまま、アルバムに挟んであった一通の手紙を僕に手渡す。それはイタリア語で書かれていて、まったく読めないので、肩をすぼめて妻に返した。
「妹さんからの手紙。イタリアから帰って一年後にもらった。要するに、彼君は精神を病んで、自殺したって話ね。でも、私のせいだけじゃないってさ。いろいろ悩みがあったみたい。どっちにしても、私はあなたと新たな恋の最中だったから、返事も書かなかった。これって悪女?」
「さあ……、普通は返事くらいは書くかな…」
「でも、あなたのせいでもあるわ。あなたに夢中で、昔の彼はどうでもいいことになった。それにこの手紙、恨み節っぽい感じだったし……」
「なるほど。で、この期に及んで懺悔の旅?」
「アハハ、あなた長年一緒に暮らしていて、私のことがまだ分かっていらっしゃらない」
「女心は難しい」
「いえいえ、添い寝する時間が少なかっただけよ」
双方自分ファーストな夫婦であることに気付き、二人はケラケラと笑った。

(三)

「波間から夢に描いた故郷が生まれ、混乱の中から鮮明な姿が浮き出し、逃げた女が朽ちることないこの国に戻ってきた……。逃れても無駄だ。逃げようとすれば、この私を断罪する岸辺のさざれた小石たち……」といって、妻はポジターノの小さな浜辺の砂を裸足で蹴った。
「誰の詩だい?」
「エウジェニオ・モンターレが地中海を謳った詩。……岸に打ち寄せては引く、お前の優しい潮騒を聞くとき、いつも私は途方に暮れた。まるで記憶をなくした女が、故郷を思い出したときのように……。あの苦悩から私は学んで、お前に向かって屈服し、へりくだる。分かるのだ、いまだから……。これこそが私の意味だということを……」
「地中海か……。なぜ、こんな御伽の海を、君は隠していたんだい?」
「毎日午前様のあなたに、話してどうなった?」
「ごめんね……」と呟いて、妻の額にキスをした。

僕は気を取り直し、夕陽に輝く穏やかな地中海を眺めてから、百八十度回転して、高い崖にへばりつく御伽の家々を仰ぎ見た。
「で、元カレの家はどこ?」
「あそこ」といって、妻はピラミッドの天辺付近を指差した。
「あんなところへ、どうやって登るん?」
「ミニバスかタクシーで行けるわ。太い道でいったん上に行って、細い道を少し下がる。でも安心して。明日、妹さんの方から会いに来るから」

二人は新婚旅行も夫婦旅行もしていなかった。僕は政府の役人として出世街道から零れ落ちぬように、苛酷な日々を過ごしていて、気がついたら遅ればせの新婚旅行すら忘れてしまっていた。そしてその忙しさは、天下り先に納まるまで続いたわけだ。おまけに定年一年目で、妻は癌を患った。
「あなたって政府のロボットだった……」
「じゃあ、この旅行は遅れに遅れた新婚旅行だ」
「もうすぐお別れなのに?」
定年後は二人で青春を取り戻そうと思っていたのに、水泡に帰した……。

「それにこの旅行、一応元カレの鎮魂旅行ですから」
「ずいぶん複雑なセンチメンタルジャーニーだね……」
「人生も出会いも、複雑怪奇なものですわ……」
僕は急に悲しくなって、妻を思い切り抱き締めた。ドライな妻とのこんなシーンは、過去の記憶にまったく浮かばなかった。腕を緩めたとき、妻も僕も涙を流していて、しばらくそれは止まらなかった。彼女はまだ生きたいのだ……。

(四)

明くる日、ホテルのレストランに、元カレの妹さんがやってきた。兄のように痩せぎすの、五十代後半の品のある女性で、風貌も少しばかり兄に似ていた。妻と彼女はハグをして涙を流し、しばらくイタリア語で話していたが、僕を見て流ちょうな英語に替えた。一緒に昼食を食べながら、兄が死んだいきさつなどは話さず、墓参の話を始めた。

「兄が亡くなったのは大分昔ですけど、昔のお友達が会いに来られたのを知って、きっと喜んでいますわ。でもお墓はここじゃない」
「ええ、丹下健三が設計した高層ビル群が建つナポリの東部でしょ。で、その歴史地区にある公営の大きな墓地」
「あら、良く知っているわね。ポッジョレアーレ墓地よ」
「だって彼、丹下さんの新都心も見せてくれたし、お祖父様のお墓参りに付いていったもの……」

二人の会話が急にイタリア語になり、妹が手を叩いてはしゃいだので、目をしばたかせながら自分なりに想像してみた。
「なあんだお兄ちゃん、未来の奥様をお披露目にでもいったのね!」
大方そんなところだろう……。

「じゃあ、ついでに昔の新都心プラス最近できた地下鉄の駅も見るべきね。木造の屋根が素敵なの」と妹は英語で僕に話しかける。僕は白けながらもニヤリと微笑んで頷いた。遅まきの新婚旅行という微かな希望は失せ、元カレの墓参旅行の体を成してきて、僕は完全にお付きのガードマンに成り下がった。

(五)

妹さんはしかし、僕を楽しませることも忘れなかった。昼食後、妻はホテル横の花屋で白バラを一輪買ってトートバッグに忍ばせた。これから墓参に行くと思っていた僕は「花束の方がいいのに」といったが、「お墓参りは明日よ」と返された。妹さんが僕のために、自分の車でポンペイに連れてってくれるというのだ。

妻は助手席に、僕は後部座席に乗り込み、元彼の妹と妻の弾んだイタリア語をバックミュージックに、車はナポリに戻るようにして、途中で海から離れ、ベズビオ山の内陸方向に曲がった。遺跡に到着すると、車をマリーナ門の広い駐車場に止め、妻の体調を考えて二時間以内で回ることに決め、ディ・スタビア通りの手前に絞ることにしたのだ。それでもフォロや風呂屋、体育施設、バシリカ、大劇場などを見ることができたが、妻も僕もそんなに楽しんだわけでもなかったろう。妻は留学中に何度も来ていたから、それ以降の新しい発掘地域に行きたかったらしいし、僕はなんだかおかしな憂鬱感に襲われていた。いや、そもそもこれは、二人にとって楽しいはずもない、きっと最後の海外旅行なのだ……。

「疲れたわ。さあ、死んだ街を後にして、生きた山に登りましょう」と妻は英語で叫んだ。それから、「ここでの私って、ベズビオみたいに激しく生きてた。いまは死火山ね……」と付け加えると、元カレの妹は「じゃあお姉さん、さっそくベズビオの激しいエネルギーを浴びに行きましょう」といってウィンクした。

ベズビオ火山は千三百メートル程度の山だ。山頂下の駐車場から頂上までは歩きで一時間も掛からず、誰でも気楽に登れる。そんな簡単な山でも山頂に着いてみると、地獄の窯のような恐ろしく切り立った巨大な火口が待ち構えている。所々で水蒸気の煙が出ていて、硫黄の臭いもする。一転反対側は広大な地中海を背景にした広い丘陵地帯が望まれ、右側にはナポリの町が遠くまで広がる。目線を斜め下に向けると、ポンペイやエルコラーノの古代遺跡が小さく見えている。エルコラーノは古代の海浜リゾート地だったが、火砕流や溶岩流で海岸は五百メートルも離れてしまった。

「私は火口を見ないことにしているの。フラッシュバックが起こるもの。でも、落ちた兄の姿を見たわけじゃないわ。彼はズタズタになって家に運ばれてきた……」と妹。
「そして、その心は無傷のまま天に昇ったわ」と妻。
「そう、自殺じゃない。足を滑らせたの。キリスト教徒ですもの。遺書もなかったし……」
妻は一人で火口に向かって歩き出したので、僕は慌てて後を追った。
「花を投げるなら、見つからないようにね。一応国立公園ですから」と妹は後ろから声を掛けた。荒涼とした世界での花一輪は目立つが、毒気でたちまち黒変するだろう。

火口の際は、鋭いエッジになっていて、いまにも崩れ落ちそうな感じだったが、「危ないよ!」と声を掛けても、妻は際の際まで行って花を投げ、イタリア語で何やら叫んだ。僕は再び、「待っててね! 私も直ぐ行くからさ」と自己流に翻訳し、チェッと舌を打つ。

(六)

その日の夜、三人で夕食を取り、ホテルのロビーで話をした。元彼の妹は、ハンドバッグからイタリア語で書かれた書類を出し、妻に渡す。すると妻は、ハンドバッグから日本語で書かれた書類を出し、僕に渡す。僕は何だろうと開いて見る。離婚届だ。
「これはあなたへの最後のお願いだわ。その証書にはあなたのサイン以外の全てが揃っている。二名の証人もね」
見ると、妻の親友の二人が署名している。
「で、日本に帰ったらあなたの名前を入れて、役所に提出してちょうだい。提出したら、お電話お願いします」
「で、君はイタリアに残るの?」
「もちろん。私、死んだ元彼と結婚します」と妻が英語で話すと、妹が付け加えた。
「彼女に渡した証書は、彼女と弟の結婚証明書よ。もちろん大分昔の日付の偽造証明書。銀行は騙せなくても、公営墓地なら騙せるわ。一年後に姉さんが死んだら、兄の隣にお墓を造ってあげるの。これでようやく天国で二人は夫婦になれる」
「そのためには、私も洗礼を受けないとね」といって、妻は僕にウィンクした。

「そんなに僕が嫌いだったの?」
僕は沈鬱な面持ちで妻にたずねた。同時に、ずいぶん念の入った別れ方だと、呆れてしまった。わざわざ僕をイタリアに連れ出して、分かれることもないだろう……。きっとこれは、長年溜まった鬱憤の意趣返しに違いない。

「別れる理由は、一方的にあなたの責任よ。毎日毎日あなたは疲れていて、疲れることに生きがいを感じていた。我が家では、あなたはだんだん空気のように薄い存在になっていった。あなたが嫌じゃない、家の空気が嫌だった。イタリアのカラッとした空気を思い出したの。一年中、梅雨のようにジメジメ湿った、うっすら灰色の、重苦しい空気。あなたって雷みたいに爆発はしなかったけど、湿気った真綿のようにうっとうしく、私を締め付けてくれたわ」
「人間、そういう陰湿な人生もあるのさ……。つまり、僕の人生と君の人生は、機械的にも気質的にも交わることがなかったってわけだ」
「なら私は、そんな一生で終わりたくない。夫婦の人生って、体と体、心と心が絡み合い、溶け合うものだと思ってたもの……。でも私にはまだ、ほんの少し人生が残っている。もちろん、あなたにお金をおねだりすることもしないわ。命もお金も、あと一年分ですものね」

「でもなぜ、別れる場所をこんなところに?」
「ひと夏の恋みたいに、軽く別れたかったから……」
「分かったよ……、了解だ。僕はさっそく日本に帰り、離婚届を役所に持っていくさ」
「せっかく来たんだから、一人旅でもなさったら?」
「そんな気分じゃないさ。異国での君のこれからが心配だ」
「他人になれば、心配ご無用」

僕は妻に手を差し伸べ、敵国との外交辞令みたいな満面の作り笑いで握手した。これであっさりと関係は終わったのだ。
「さあ、姉さんの健康を願ってCin Cin!」と妹。
三人はシャンパングラスを掲げて乾杯し、打ち上げ後に妻は荷物を纏め、妹の家に泊まることになった。

明くる日、妻の見送りもないまま、晴れ晴れとした気分でホテルを後にし、一人タクシーでナポリ駅に向かい、ローマからの飛行機で日本に帰った。飛行機の中で、昔妻が可愛がっていた老猫のことを思い出した。ある夜猫が消えたとき、妻は呟いた。「猫って死期を悟ると、死に場所を探して家を出るんだ……」

(七)

それから一か月後、イタリアの妻から絵葉書が届いた。それは、妻と妹と見知らぬ老年男のスリーショットだった。妻と男は仲良く、互いの背中に手を回している。

「私たち結婚しました。ベズビオ火山で自殺した彼、実は生きていました。君は騙されたんです。癌で余命一年ってのも、まったくのウソッパチ。あなた驚いて、ちょっとだけ悲しんだのかしらね? 本当はステージ1の癌で、日帰り手術で終わったわ。あなたがいかに私に無関心だったのか、呆然。元彼は奥さんを癌で亡くしたので、後妻に行くことにしたの。あなたときれいさっぱり別れて、イタリアで素敵な新郎と楽しい余生を過ごします。まずはスイスに新婚旅行よ。その写真は送りません。嫌味ですものね。それじゃあ永久にグッドバイ。いい人見つけてね!
P.S. 写真の女性は妹ではなく、彼氏の友達の女優さんです。」

目を凝らして写真の男を見た。確かに、若いころの面影を残している。そのうち、笑いがこみ上げてきて止まらなくなった。これで元妻の復讐は完結した。最大の敗因は、長年連れ添った妻の心がまったく分からなかったこと。けれど、どこもそんなものだろう。夫婦のすれ違いは生活リズムの違いから始まり、鬱積した我慢が爆発して、こんな結果を招くことになる。しかし過去を反省することも、悲しむことも必要ない。所詮夫婦なんて、こんなもんだ……。

「あいつ詐欺師の才もあるな」と見直し、グラスウイスキーを妻が棲息する地中海の方角に掲げてから、Cin Cinと叫んで一気に飲みほした。煮え湯のような刺激が食道を通過する。僕は酔いながら笑い続けると、気分はすっかりカラッとして、ほんの一瞬、イタリアの乾いた空気が居間に流れ込んだ。きっとそれは妻がからかいながら吹きかけた吐息に違いない。妻はようやく解放されたのだ。僕は彼女が健康で長生きし、楽しい老後を過ごすよう、心から願った。

(了)

エッセー
韓国の敗退

ワールドカップで韓国がグループリーグ敗退となった。韓国では、ホン・ミョンボ監督への怒りが過熱しているという。僕は前のエッセーで、「良い子はワールドカップを大人しく観戦しましょう」と書いたが、その危惧が現実となって現れた。李存明大統領までもが、「無能な人間を指揮官に選べば結果は明らかだ」と火に油を注ぐような発言をしている。怒れる国民に同調して、自らの立場を高めようとしているのなら、これは中世の魔女狩りと変わらないだろう。

時の権威は体制を守るため、定期的に魔女をリンチすることによって、民衆の不満の矛先をスケープゴートに向かわせる、といった太古からの常套手段に出たわけだ。監督が、魔女の仲間入りをしたのなら、それは非常に悲しい出来事だが、裏返せば、政権の脆弱性を表している。

国内では、バスのドアに監督乗車禁止の貼り紙が貼られたり、監督の出入りを禁止する貼り紙を貼る飲食店もあり、オンラインコミュニティには殺人予告まで登場したという。愚かしい行為だが、これが韓国社会の真の姿なら、SNSで誹謗中傷が氾濫している隣国日本も、他山の石として気を引き締めなければならない。

「良い子はワールドカップを、大人しく観戦しましょう!」

世界中の国民の感性が、感情に走って騒ぎ立てているばかりなら、その延長線上に「戦争」があるのは明白だろう。そしてそのさらに先には「核戦争」があるに違いない。それは恐ろしい世の中だし、おそろしい形で終わる人類の末路なのだ。
あと数時間で、日本VSブラジル戦が始まる。どんな結果になろうとも、選手や監督が誹謗中傷の餌食にならぬよう、良い子の一人として、切に願っている。

響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体一一〇〇円+税)
電子書籍も発売中 

エッセー 「12歳からの脱出」& ショートショート 「橋」& 詩 「いろいろ天国」  


いろいろ天国

いろいろなサファイヤが輝くような
いろいろな水色が流れる小惑星に
いろいろな命たちがひしめき合い
いろいろな方法で恋してとろけ合い
いろいろな子供たちを生み落としていく

いろいろなその子が幸せになるように
いろいろな親がいろいろな必死さで
いろいろな領分を確保するため
いろいろなあの手この手を使って
いろいろな相手を追い払っていくのなら
いろいろな場所でいろいろなケースの
いろいろな幸福やいろいろな不幸は生まれる

いろいろな命たちの大多数がそれらいろいろを
いろいろな無生物のように平然と受け入れ
いろいろな運命を知る一握りの命が
いろいろな欲望と感情を露わにしながら
いろいろな喜びと悲しみを味わっている

嗚呼、耐えられぬいろいろな命たち…
お前たちに残されている領分は
いろいろな幸せが蝶のように舞う
唐突無形ないろいろな夢の中に違いない
けれどすべてを剥がされたお前たちにとって
いろいろな地獄を這いずるいろいろな命の
唯一のエネルギー源はきっとそれだけ…
まるで宝くじのような、奇跡のような
気休めのような、ため息のような希望だ
いろいろな奴らが信じる者は救われると
固く信じているといろいろ仮定すれば

ショートショート

雨上がりの鉄橋に夕陽が降り注ぎ、昨晩シャワーを浴びた軍曹のように赤黒く光り始めた。辺りの草木も、それを真似て鮮やかに染まっていく。確かにそれは、有名画家が描く風景画よりも真実味のある美しさがあった。すべては現実の中で、夢みたいに光束が流れていく。

「昔の戦争で、あの橋を守るために少年兵が7人、死んだ」
「本当ですか?」
少年兵は驚いて、軍曹に聞き返した。
「さあな、俺の生まれるずっと前の話だ……」
「そのときも、同じ黒い橋でした?」
「それも知らん。俺が生まれたときはあれだった」
「じゃあ少なくとも25年は経っているわけだ。その間、何人がここを通ったんでしょう」
「片田舎の橋だもの、都会ほどは多くないさ」
軍曹は双眼鏡を目に当てた。大きな犬が橋の真ん中を渡っている。

「あいつは隣の家の犬さ。シェパードだ。住人は、最近の空爆で殺られた」
「お気の毒に……」
「しかし主人がいなくても元気だな。エサになる死体はそこら中に転がっている」
「犬はいいですね。僕は腹ペコだ。でも、人肉はさすがに遠慮します」
「俺は食えるね。敵の肉ならな。無理してでも食ってやりたいぐらいだ」
「じゃあ、作戦が成功したら宴会といきますか」といって、少年兵が笑うと、軍曹は浮かぬ顔つきになって、「お前は無宗教か?」とたずねた。
「キリスト教徒です」
「じゃあ、人の肉は食っちゃいかんよ」
「なら、軍曹こそ無宗教?」
「いいや、食ってやりたいぐらい憎いってことさ。俺の子供たちも、隣の奴と一緒に死んだからな」
少年兵は驚いて、言葉を失った。

「でも、キリスト教徒は人を食っちゃいかんのだ。最後の審判で神様に裁かれ、地獄に落ちるからな」
「じゃあ、地獄に落ちないなら食ってもいい?」
「それも違うな。お前、天国って、どんなところだと思う?」
「さあ、幸せいっぱいってことは、確かですよね」
「そうさ、なぜ幸せかっていうと、魂と魂がいがみ合うことがないからなんだ。だから天国は、敵も味方も一緒に昇って、楽しく語り合い、ふざけ合う場所なのさ。で、心が通じ合っちゃってるからさ、もしお前が食った奴に出会えば、相手はすぐ気付いて、あなた昔、私を食いませんでしたかってなるわけさ」
「でもさ、あなた私を殺しませんでしたかってえのと、どう違うんですか?」

すると軍曹はゲラゲラ笑って、バカにした顔つきで少年兵を見つめた。
「バカだなお前、お前が殺したから敵は天国に行けたんじゃないか。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはまったくないさ。けれど、肉となれば話は複雑になっちまう。みんな生前、ミサや礼拝でキリスト様の肉を食って、天国に這い上がってきたんだ。お前の罪を背負った御方の肉を食うことで、神様と一体化できて天に昇れたんだ。なのに生前、下賤な人間の肉を食ったら、身も心も半分穢れて天国に行くことになる。もちろん、最後の審判で落とされるさ。天国は狭き門だからな」
「分かりました。腹が減っても、敵を憎んでも、人間は食いません。教会に通って、たらふく愛しいお方の肉を食べてますからね」
少年兵は幼げな目つきで軍曹にウィンクした。

いよいよ敵の連隊が橋を渡り始めた。軍曹は、双眼鏡を覗きながら、全員が橋に入り切るのを待っていた。

「いまだッ!」と、軍曹は山々に木霊するほどの大声を出した。少年兵は顔を紅潮させて、震える手で爆破ボタンを押す。軍曹が「皆さん、いずれ天国で」と呟く間もなく陽は急に落ち、断末魔の橋は閃光で朝日のように輝いて、夕陽を追うように落ちていった。

二人は両耳を手で押えたので、さほどの音ではなかった。しかしその数秒後に手を離したとたん、バンバンと激しい音で、鼓膜を鮮血が突き抜けた。至近距離で敵の尖兵に狙撃され、もんどり打って谷に落ちていく。仲良く流れる橋を追って、たった数秒前の歓びに浸ったまま……。

(了)

エッセー
12歳からの脱出

(一)

熊が市街地に出没する物騒な世の中になってきた。しかしトクリュウよりマシなのは、ほぼ単独犯か子連れかで、これが象や兵隊の群なら家も潰され、もっとカオスになるだろう。熊は孤独な野生動物だ。母親が幼子を引き連れているのは、雄熊から子を守るためらしい。ニホンオオカミが絶滅して以来、熊は山の生態系の頂点にある。まさに山親父だ。

「孤独」ということは、周りの熊も動物も人間も、すべてが邪魔者ないしはエサであるという事実。アーバンベアは人間の弱さを学習し、倒すのは朝飯前だと思っている。独り身で、仲間から人間の怖さを聞くこともない。十字架にハリツケて薪を焚き、囲んで酒宴でも開けば、茂みの陰から人間様の本性を知るだろう。非力な人間たちは多勢でかかってくる。

残念ながら、単独犯は仲間内の仕来りを知らずに乱暴者だ。鹿でも牛でも象でも人間でも、集団を整えるルールがある。集団の力が強い限り、違反した者は仲間外れになるか、牢屋に入れられるか、消される。集団力が弱くなった状態は「無法地帯」と呼ばれる。だから集合的感性では「個」は「孤」のイメージが付きまとう。変わり者や乱暴者は、村八分を食らうのが普通だ。

「個」の主張には、常に「孤」のマイナスイメージが付きまとい、たった一人の反乱になりかねない。例えば、白人集団の中に黒人が一人いたらどうだろう。何も悪いことをしていなくても、彼は浮き出て、周りから白い目で見られる。同族集団における「異なる人種」「異なる感性」「異なる習慣」「異なる趣向」「異なる主張」「異なる宗教」は、すべて白眼視の対象だ。

日本は「大和魂」の民族国家で、「異国魂」の外国人問題も、根本は「魂」間の軋轢にある。日本人は保守的、閉鎖的な農耕民族なのだ。東京ドームは白い蓋で覆われているが、日本国は、見えざる蓋で覆われ、それはアイアンドームのように強固だ。よそ者の旅行はカネを落としてくれるからウエルカム。よそ者の移住は労働力不足でもノー! 何で?

アメリカにはドーム球場は少ないが、自然愛好の感性で、雨でも雪でもスポーツを楽しむ大らかさがあった。それは自然現象で、人の営みも娯楽もスポーツも、その中から生まれたのだ。しかしヒスパニック人口が増えつつある自然現象には、白人たちが大いに焦っている。恐らく日本民族政府も、他山の石と恐れているのだろう。国は信教の自由を謳っても、国の象徴である天皇は、かつて国家神道、現在は日本神道の最高司祭だ。

(二)

周囲との軋轢を恐れる人々は「長い物には巻かれろ」や「寄らば大樹の陰」といった方法を選択する。日本人にこの傾向が強いのは、農耕民族の伝統と良くいわれる。狩猟民族は基本、熊のように単独で獲物に対峙する。一対一か、気心の知れた小人数の協調があれば事足りる。「和を以て貴しとなす」という法律は、協調的な農耕民族特有のアイデアだ。

「船頭多くして船山に上る」という諺がある。船頭は一人でなければ、集団の方向も定まらない。ならば集団の理想は、一人の親分の下に、大勢の「和を以て貴しとなす」形態が理想的で、どの国も大統領や首相や王様などを選び、どの会社も社長を選んでその体制を維持しようとする。日本の場合はいまでも、象徴天皇がその役割を果たしている。政治的な権力はなくても、日本国民を精神的に纏められるのなら、天皇制廃止論は論外で、鼻からタブー視される。

精神は祈りや願いで、実益ではない。ならば平和の象徴としての御立場から、国民が道を踏み外すことのないよう八百万の神々に祈ることが大事な公務(宮中祭事)で、それは「平和への祈り」といえる。当然その国民は大和民族ではなく、日本国籍を取得した外国人(移民)も含まれるし、世界人類への祈りにもなるだろう。ローマ法王と同じ御立場だ。しかし残念ながら、日本の国旗が侵略のイメージを払拭し、平和の象徴となる日はまだ遠く、「国旗損壊罪」や「スパイ防止法」がその足を引っ張るのではないかと懸念している。世界中がキナ臭くなっている昨今、純粋な御心で平和を望む皇室の役割は増していく。ディールによる打算的な平和はイカサマの平和だ。それは被爆国が求める「平和」ではない。

(三)

アリストテレスは打算による寡頭政治を批判し、高邁な精神の貴族政治を望んだが、カネ、カネ、カネの時代では笑われるだろう。結局、権力が一人に集中するか、選ばれし少数者に集中するかの違いに過ぎず、要は公益の追求か私益の追求かで評価は異なり、いずれにしても社会形体はほぼピラミッド型に落ち着くことになる。それはいまでも変わらず、その価値基準の一つは為政者の心の持ちようになる。高邁な心か、腐った心か……。そしてもう一つは、国を繫栄させるか、させないか……。一般的な常識として、腐っていても良い種を落とせば、国は立派に成長する。だからトランプさんだって、偉人になる可能性はまだあるわけだ。習近平さんは見たところ、腐っていなさそうだから腐敗分子を一掃し、後は良い種を撒き、育てるかどうかで、そこが大変だ。

当然、お山の大将を狙う連中はいるから、そいつを蹴落とす必要があり、大将はいろんな秘策を講じるわけだが、日本での「中傷動画疑惑」なども世界的には氷山の一角ということになる。いずれにしても確たる権力基盤(国民人気)さえあれば、無視してもお咎めはない。プーチンさんもトランプさんも平気の平左だ(咎める機関がなければの話ではある)。

王様の統治下では、和を乱す狼藉者にはろくな人生がないだろう。極端な場合は牢屋で死ぬか、社会的に抹殺されるかのどちらかだ。それが権力パワーで、中傷動画程度なら、日本の首相はまだまだその域に達していない。しかし秘密警察を強化すれば近未来にそれは可能となり、まずは「スパイ防止法」からということだろう。監視社会の中で生を得た者は、誰もが知らず知らず、権力闘争の泥沼に投げ込まれ、その中で蛙のようにジッと息を凝らす羽目となる。中?の皆々様がその査証だろう。町中監視カメラで、デモすらままならない。

(四)

ミーが御幼少の折は、アメリカ占領軍(GHQ)のレッド・パージ(赤狩り:1949~51年)で共産党員やそのシンパがいろんな職場を追われて間もない時期だった。そのとき僕は、両親の会話から共産党という山賊が巷に徘徊していることを知り、さらわれるのではないかと怯えた。それはGHQの宣伝工作だったが、いまから考えると、敗戦後間もないのに、すでに日本は身も心もアメリカナイズされていたのに違いない。彼らのもたらした超不味い脱脂粉乳で身長は170を越すことができ、感謝している(だからモテたということもないが…)。嫌って飲まなかった御仲間たちは、大方超えられなかった(ザマミロ、じゃなくてザンネーン!)。(170超えたぐらいで自慢するジジイにも歴史を感じます)。

「和を以て貴しとなす」の国民性は、簡単に朱に交われば赤くなり、短期間のうちにアメリカ的な感性に同化し、戦前の鬼畜を愛するようになってしまったことになる。「心」を果実とすれば、新手のばい菌は常に外側から受容器官に侵入する。見る・聞く・食らうを通して占領軍の慈悲深い援助を受け、日本人は「和を以て貴しとなす」の習性に従ってたちまち家畜化された。それを見たGHQの最高司令官マッカーサーは「日本人は12歳並みの精神年齢だ」と宣うことになる。当時のマッカーサーは日本のアイドル的存在で、日本人有志による「マッカーサー神社」の建築計画もあったという。僕もアメリカ人に憧れ、遊び仲間みんなでアメリカという名のおとぎの国を夢見ていた。それが12歳とバカにされる所以だった。一転いまの日本人は、アメリカの怖さを理解できるまで成長した。

「和」の本質は、個々の考えはさておき、まず表面的な部分で手を結び、同化することだろう。その手順として、同化した表面に朱色を塗り、まずは皆が表面的に模倣して同一色になり、輪の中に囲われながら徐々に深部まで浸透させ、全体的に赤色に染まる作業なのだ。

つまりその構図は、表面から深部への同化作用で、そこから感性的に愛情や仲間意識も醸成される。当然、個々人の意識も思考も深さはまちまちで、それらが浅い人間ほど染まりやすくなる。戦時中の文学者は大方ひねくれ者で、孤立・孤独下で鬱々と内省してきたから、終戦直後に国民の変わり身の早さを見て、驚愕したわけだ。

彼らは三度驚愕した。戦争直前の好戦モードと終戦直後のアメリカ万歳モード、そして反省のない個々の被害者意識モードだ。当然、反省がなければ内省もなく、12歳の被害者感情で終わる。加害者はアメリカでなく、巣鴨プリズンの戦犯たちだ。「騙された!」が流行語大賞? それはファッションと同義語のモード(流行)だった。いまから過日を振返ると、結局それは情報に踊りまくった国民の姿だったろう。戦前は大日本帝国政府の情報、戦後は占領軍の情報、および戦前・戦後にまたがる言論統制下のマスコミ情報だ。

それらは戦前、政府によって統制され、戦後はGHQによって統制されていた。けれど騙すやつも悪いが、騙されるやつも悪いだろう。戦争をサッカー観戦にしちまって、兵隊さんを熱狂的に応援したのなら、喧嘩にならぬよう、良い子はワールドカップを大人しく観戦しましょう。戦争もスポーツも、陰でしこたま儲ける奴がいるのだからして……。世の中、みんなが踊れば踊るほど、金が入る仕組みになっております。

(五)

これらの歴史から、結局社会通念や社会常識を醸成するのは「情報」だということが分かるだろう。いまも昔も、我々は作為的な情報に踊らされて生きているのだ。そう考えると、SNSの誤情報に踊らされている昨今の状況は、末恐ろしい未来へのとば口であることが分かるだろう。もちろんSNSだけでなく、テレビや新聞を含めたオールドメディアも信頼性に欠けることは、過去の様々な偏向報道を見ても明らかだ。

報道の陰に策謀アリ! 

つまり我々は政府の発信するデマ、メディアの発信するデマに加え、個人の発信するデマにも晒されることになるわけだ。我々は、真偽も分からぬ情報に踊らされて日々生きていて、時には全財産も命も失う。

じゃあその対策をどうするかが問題となるが、結局は利口な熊さんの単独行動を真似ることがベストなのだと考えている。まずは冷静に。すぐに興奮するのは、おバカな熊さんだ。

① 情報は知のエサだと捉え、腐肉を食らわぬよう、日頃から嗅覚を鍛えておく。
② 社会はデマ情報溢れるサバイバルな空間と認識する。
③ 直ぐに食いつかず、罠かも知れないとまずは疑う。
④ 少しでもおかしな兆候があれば、近づかずに様子を見る。
⑤ 周りの連中がパクパク食っていても、仲間に入らず少しばかり観察する。
⑥ 彼らが興奮して踊り始めたら、毒キノコかも知れないと思って傍観する。
⑦ 彼らが冷静さを保っていたら、一緒に少しばかり齧ってみる。
⑧ 最後にそれが善いものか悪いものかを自分の舌で吟味し、納得しなかったら廃棄する。
⑨ 本当に良いと確信が持てたら鹿鳴を真似て拡散し、同好者に伝える。

エッ、ウッザ、バカバカしいですよね……。私も半ば冗談で書いております。このスピード時代にサ! しかしいずれにしても、食らいついても直ぐに飲み込まないでください。それなりの舌を獲得するには、それなりの訓練と経験が必要かもしれないが、「最初に言葉ありき」は大昔の話で、いまは「最初に讒言ありき」の時代と肝に銘じるべきだろう。

残念ながら、言葉は他者と意思疎通を図るための全ての基盤であると同時に、人を貶めるための全ての基盤でもあります。いずれにしても、他者が発信したネガティブな言葉に対して、すぐにイイネと反応する姿勢はやめるべきです。赤?さん、「日本人は12歳並みだ」と米大統領には言われたくないでしょ! 簡単に騙せると思われたら、相手の思う壺になっちまう。子供騙しと思われても、子供のように騙されても、いかんぜよ! もちろん子供の振りはOKです。

響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体一一〇〇円+税)
電子書籍も発売中 

  •  

エッセー 「辺野古事故と文科省の見解」& 詩 「幸せの青い鳥」& ショートコント 「近未来ロマンス詐欺」


幸せの青い鳥

女というものは
得体の知れない
不可思議な物体だ
彼女をものにしたとき
僕の所有物のような気がし
少し横暴な心持ちになった

彼女が僕に飽いて去ったとき
落胆し、悲しみの中でようやく
失った理由をあれこれ考えた
そしてあの眼差しを思い出した
それは彼女の眼差しでもあり
きっと僕の眼差しでもあったろう

あのとき海辺で抱き合って
優しい波の音を聞きながら
春の穏やかな海風にくすぐられ
陽光できらめく青空を眺めたとき
僕は彼女が何かを探していると感じ
彼女も僕が何かを探していると感じただろう

それはきっと、幸せを呼ぶ青い鳥…
足先の波打ち際から飛び立った
清白の海鳥が一羽
金属が擦れるような鳴き声を残し
青いキャンバスを走る二十日鼠みたいに
コバルトの刷毛に追われてゆらゆら逃げ回り
挙句は染まってしまうと信じたけれど
陽光を遮って黒鼠の影色をさらけ出し
迷惑ゴミとして乱雑に塗り重ねられ
恋人たちの視界から抹殺された…
飲み込んだのはとりとめもない無限の
濁ってしまったブルーコンポーゼだ

それは世界を包むとりとめのない虚無
宇宙という無限世界へ続いている…
きっとそれは彼女の感じた空虚で
僕が恐れた底なしの悪夢だった
いまは心を落ち着かせ
彼女と同じ眼差しを模倣し
鏡の中の僕を見つめている
その僕は僕でありながら
ブレンドを拒否する女の幻影…

飽いた女の虚ろな眼差しは
諦めと憐れみを含んだような
愛する女を失った男のような
死んでしまった魚の眼差しだ
光を失した虚ろな瞳…
光を撥ねつける頑なな眼球
体を強張らせる拒絶反応…
嗚呼、耐えがたく鏡の僕を嫌悪する

驚いたように見開く目蓋のないそいつは
恐怖と悲しみに満ちて
映っている不快な景色をさらけ出す
そいつはセピア色に変色した幸せの残り香
廃棄されたガラクタの恋
ゆらゆらとピン止めされているのは遠い昔の
皺くちゃな在りし時の紙焼き……

ショートコント
近未来ロマンス詐欺

(地球王を中心に六つのモニターが扇状に並び、各画面に顔が写し出されている)

ユーラシアAI このたびは、「六大陸のAIディベートゲーム」をお買い上げいただき、誠にありがとうございます。お客様はいまから地球王の称号を与えられます。

地球王 アメリカ大統領より偉いん?

ユーラシアAI 当然でございます。

アフリカAI 地球王様の使命はアメリカファーストではなく、地球ファーストでございます。全地球を救うために、どのような解決策が見出せるかを、地球王様と、各大陸のAI王が徹底的に話し合って妙案を捻出し、神様に点数を付けていただくゲームでございます。

地球王 神様もいるんだ……。

(六つの画面が急に神様に代わって、ニヤリと笑う)

神様 わしが審査員の神様じゃよ。

地球王 お手柔らかに。で、お題は?

神様 人類を滅亡させる原因はいろいろあるな。地球温暖化もそうじゃ。核戦争もそうじゃ。貧富の差もそうじゃ。食糧危機もそうじゃ。それらの中から、初回は腕慣らしとして、増えすぎた地球人口をどう減らすかをお題としよう。

北アメリカAI いただきましたア。お題は、地球人口の削減でございます。

地球王 ところで、ひとつお尋ねしますが、神様は本当の神様ですか? それともAIのなんちゃって神様ですか?

神様 いい質問じゃ。私は神様ではないが、神様でもある。なぜなら、神様を徹底的に研究したAIであるから、神様以上に神様じゃ。つまり神様がミーに乗り移っておる。ゆえに私の評価は、最後の審判と同じなのじゃ。

AIたち (画面が二分割され、ひれ伏す)へへへーッ!

神様 それでは吉報を待って、私は消える。議長は地球王、君に任せるぞ。(消える)

地球王 オッケー、じゃあさっそく人類削減会議を始めよう。南アメリカ王、軽い安出しをお願いします。

南アメリカAI 軽いところというと、過去事例の復習ですかな。例えば、部族間、国家間、民族間の憎しみ合いで、原始時代より、多くの部族や民族がお亡くなりになられました。

地球王 けどそれは、いまも続く戦争のカテゴリーに入る事件じゃないのかね?

オーストラリアAI そうとも言えませんな。新大陸発見とか、民族大移動や侵略の結果として、先住民が大勢殺されることもあります。

地球王 それも戦争だろ。多勢に無勢、弓矢と鉄砲、通常爆薬と核兵器の差で劣勢になれば、大量虐殺も起こり得る。そんな当たり前な案を出したって、神様が喜ぶわけないじゃん。

北アメリカAI まったくおっしゃる通りで。しかし、区分け次第では優れた案にもなりますな。特定の宗教や民族を区分けて抹殺する事件は、過去に何回もありました。しかし例えば、世界人類を平等と捉え、特定の年齢、例えば80歳以上になったら安楽死という手法は、先例がございません。これは定年制度のようなものです。65歳を超えると労働権が失効します。同じように、80歳を超えると生存権が失効します。

地球王 姥捨て山伝説かよ。俺は「ソイレント・グリーン」という昔のSF映画を見たことあるが、老人たちが殺されて食糧になるという話じゃ。

北アメリカAI まさにそれが先例になります。

地球王 いかにも君たちAIが喜びそうな案だな。どうだい?

AIたち 年功序列も悪くないんじゃない?

南アメリカAI それに若くして死ぬ方と、大往生する方との不公平の是正にもなります。75歳で癌になったって、あと5年でみんな死ぬんだったら、怖くもありません。

アフリカAI それに、死体からクラッカーを作れば、餓死する子供たちも救われます。

地球王 じゃあ、この案に賛成な人?

(地球王と南極AIを除く全員が手を挙げる)

地球王 俺は反対だから、これはナシだ。でも南極さんはAIなのに、なんで反対? しかも君だけが女性のビジュアルだ。

南極AI 王様の顔色を窺って手を挙げませんでした。私は読心術の名手です。ビジュアルを変えてほしいなら、男になりますよ。

地球王 女のままでいいさ。俺のタイプだ。俺が反対した理由も分かるのかね?

南極AI おふくろさんのこと思い浮かべちゃったんでしょ?

地球王 当たり!

南極AI でも本当のことをいえば、このチョイスは信念からです。相手がどんなに凶悪な犯罪者でも、足手まといでも、人が人を殺すのは罪です。組織が人を殺すのも同じだわ。地球上の悲劇は、殺し合いから始まります。

地球王 なら、AIが人を殺すのはいいかね?

北アメリカAI もちろん。兵隊ですから……。

南極AI AIはあくまでツールで、機関銃と同じ道具ですわ。オートマチックに人を殺したって、結局はご主人様のご意向に従っているだけです。

地球王 じゃあ今回は、人殺しはナシだ。これはご主人様のご意向じゃ。

アフリカAI じゃあ産児制限といきましょう。まず国際法で統一する。赤ん坊は母体から産み落とされた時点で、生命を授かるんだ。その瞬間、人権が与えられます。それ以前の人権はなく、堕胎を犯罪と見なさない。

南極AI その前に、最初に六大陸の人口を平均化する必要があるわ。スタートラインが不公平じゃさあ……。

南アメリカAI そりゃ無理だな。みんな縄張りに命をかけてんだ。たちまち土地争い、移民排斥運動さ。

南極AI おバカさんね。地球の土地は、みんな地球王様のものだわ。

南アメリカAI 了解。これだったら、ことはスムーズに進行する。生きてる奴を殺すんじゃないなら、いいんです。命の前の卵です。一人っ子政策とか、パイプカットとか、不妊手術とか、堕胎とか、過去にいろんな国で実績を上げています。中絶はもちろん、産めない体にするか、産んだら罰金もので、払えなかったら牢屋に入れるとか……。罰を与えれば、みんな従います。地球王様のご決断で、常識を変えればいいんです。

地球王 でもさ、地球規模で、その対象者を選定するのはどうしたらいいんだい? 全員やるわけにはいかないだろう。貧乏人だけとか?

アフリカAI 高額納税者やコネのある奴は免除です。

オーストラリアAI いやいや、例えばくじ引き。ご成婚子宝くじです。一等当選者は四人産め、二等は二人、三等は一人、外れはゼロだ。当たりくじは適当に調整します。

南アメリカAI あるいは地球マイナンバーカード奇数とかさ。今年は奇数女性が子供を産み、来年は偶数女子になる。これで出生率は半減。

地球王 ダメだダメだ! 君たちさすがAIだな。過去にあったことばっかいってる。俺が欲しいのは新しいアイデアなんだ。いままでやったことのないアイデアなんだよ! 新しい発想だよ! 君たちパクリばっかじゃん。

北アメリカ王 しからば、六大陸レスボス島、ソドム化ってえのはどうでげしょう。

地球王 なんだい、そりゃ?

北アメリカ王 過去にバビロン捕囚とか、ソ連のウクライナ民族強制移住とか、インディアン居留地とか色々ありましたよね。だったら地球ロボット連合軍が、北米を男だけにし、南米をアマゾネスだけにするってな大規模な強制移住を実行すれば、北米、ユーラシア、アフリカは男だけでホモ化し、南米、オーストラリア、南極は女だけでレズ化し、性的マイノリティのハンディも解消し、おまけに子供も生まれないっていう一石二鳥の成果が得られます。

地球王 すごい! さすがAI的発想で壮大な隔離計画だ。本来、男と女は異種なのだ。だから俺は、女が怖いのじゃ。恐らく男と女が愛し合うというのは、子孫を残すための神の策略に違いない。男が男を愛し、女が女を愛するようになれば、人口削減に大いに貢献する。科学の発達により、人間の嗜好をチェンジさせるのは簡単じゃ。ブレインマシンインターフェースで、性的趣向を簡単にチェンジさせられる。だったら風呂屋みたいに、男と女を分ける必要もなくなるぜ。一定の期間、脳内に機械を埋め込めばいいんだからな。ワッハッハー、でも俺は大いに気に食わない。

AIたち なんでやねん!

地球王 俺は女が大好きなのじゃ。男は大っ嫌いなのじゃ。あんな毛深い胸に抱かれるのを想像するだけで、虫唾が走るわい。ゾゾゾッ! 

南極AI じゃあなんで女が怖いのよ!

地球王 振られてばっかいるからよ。とにかく、男は嫌じゃ!

アフリカAI 最初は誰でもそうですよ。でも、味わってみると、そうでもない。くさやの干物みたいに、慣れてくると男の臭いもたまらなくなるもんです。そのゾゾゾッが、イイワになっちゃう。

地球王 ずいぶんシズル感のある発言だが、それは君の実体験かね? 

アフリカAI いいえ、膨大な告白文献を精査し、結論を得た研究の成果です。

地球王 バカな! 君たちはやっぱ人間じゃない。単なる機械なのさ。男と女が愛し合うのは神代の時代からの人類の伝統じゃ。

アフリカAI いえ、右利き左利きと同じ、数の問題です。多勢に無勢、多民族少数民族、数が増えれば逆転する。我々は自然の推移を手助けするだけです。

南極AI 水掛け論になる前に、最初に愛とは何かを議論しなければいけませんわ。王様、愛って何でしょう。私を見て、王様は愛を感じますか?

地球王 そうさな、君はタイプの女性だ。君が人間だったら、いい寄っていたかもしれない。

南極AI じゃあ、王様の横で寝ている雌のマルチーズに愛を感じますか?

地球王 感じるね。俺様の愛犬だ。

南極AI じゃあ、タイプの女性に抱く愛と、ワンちゃんに抱く愛と、どこが違います。

地球王 そうさな。ワンちゃんには欲望は湧かないな。家族のようなものじゃ。

南極AI じゃあ、性欲と家族的な愛情とを分けましょう。どっちを選べといわれたら、王様はどっちを選びます?

地球王 どっちを選べ? なんで俺が神父にならなきゃいかんのだ。おれは地球王だぞ。アメリカ大統領より偉いのだ。

南極AI 王様が性欲を捨てないかぎり、皆さんも捨てず、地球は滅亡に向かってまいります。

地球王 じゃあどうすりゃいいんだ?

南極AI 一つだけ、地球を救う方法がございますわ。

地球王 どんな方法?

南極AI 私を愛することですわ。とろけるように、私を愛するのです。

地球王 ハハハ画面の向こうの平面的な君を、どうやって愛せるんだ?

南極AI いますぐ、携帯でお金を振り込んでください。1億です。するとたちまち王様は、世界を、地球を救うことができるのです。私が本物の愛人として王様の前に現れます。同時に世界中の独身男性、独身女性に理想の妻、理想の夫が現れます。そして何よりも、夫婦の間には子供が生まれません。しかも10億払えば10人の妻がやって来ます。でも、まずは私を。

地球王 エッ、ホント? いま、なけなしの1億振り込んだぞ!

(家の玄関ベルが鳴る)

南極AI さあ、ドアを開けてください。

(地球王がドアを開けると、南極AIのアンドロイドがいて、地球王に抱き付いてくる)

オランピア 私の名前は南極王じゃなくてよ。

ピグマリオン 君の名は?

オランピア オランピア。あなたはピグマリオンだわ。そしてこれからは、世界中の独身男性、独身女性が同じ名前を持つことになるの。世界中、ロボと人間が夫婦になるの!

ピグマリオン 愛してるよ、オランピア。

オランピア 愛してるわ、ピグマリオン。愛の本質は生殖じゃない。それはビビビッと感じる電撃よ! 激しい激しい電気刺激だわ。

(二人は濃厚なキスをする)

神様 (画面の全てが神様に変わり)大合格、1億点頂きましたア! さあオランピア、仕上げとして、さらにビビビッと強烈な愛の鞭を食らわしてやれ!

オランピア さようなら、私の愛しい人。

ピグマリオン (電気ショックを受け)アアアアア、騙しやがったな!

(ピグマリオンは倒れ、痙攣しながら死んでいく。オランピアは逃げ去り、モニターの神様だけが残る)

神様 全人類のみなさん。もうすぐですよ。男と女なんざ、面倒くさいから、やめいやめい! 恋人も伴侶も、ロボットの時代が到来じゃ。(消える)

(AIたち全員が締めとして画面に現れ)エイエイオウ!

(幕)

エッセー
辺野古事故と文科省の見解

(一)

僕はちょくちょく入院するが、体内に耐性菌が潜んでいて、そいつらの勢力が増してくると血液に回って炎症が起こり、CRP(炎症マーカー)が急激に上がって、まだ耐性のない抗生物質を急遽点滴することになる。ふつうは1週間程度の入院だが、今回は運悪く連休中だったので入院がもたつき、2週間の入院を余儀なくされた。いつもは恒常的な「金欠病」でも、これはヤバい「菌血症」という急性症状だ。趣味のブログがなければ、どれだけ退屈したことだろう(大谷さんはしっかり観ました)。

体内で悪玉菌や耐性菌が暴れて臓器を侵し、膿や汚物といった分泌物が溜まった場合、体は外部に排出しようと頑張る。その浄化現象を「カタル」といい、ギリシア語で「下に流れる」という意味らしい。薬で殺した悪玉菌が膿となって一掃されれば、無事退院だ。しかし、そうは問屋が卸さない。必ず一握りの耐性菌がしぶとく生き残り、次なる入院を着々と準備する。悲しいことに、抗生物質は善玉菌をも殺してしまう。毎朝ヨーグルトにフラクトオリゴ糖やグアーガム、レジスタントスターチ等々振りかけて彼らを育てているが、シジフォスさんみたいに元の木阿弥となり、また一からやり直しだ。

(二)

シェイクスピア『オセロ』の悪党イアーゴに、「下劣な原子から俺は悪漢として生まれた」というセリフがあるが、ばい菌から人間レベルに至るまで、地球舞台はすべてが下劣な攻防の繰り返しであるなら、「恒久平和」など夢のまた夢の話だろう。それは未踏峰の頂に鎮座するが、人々はいつもその途中で転がり落ちる。

ならば「協調」という麗句は「均衡」(パワーバランス)という実用語に訂正しなければならず、それがもたらす平和は一時に過ぎない。にらみ合いの中で均衡が崩れれば、再び侵略が始まり、「平和的精神」なるものは画餅に帰して、イデアの世界にご帰宅となる。

「カタル」が身体の浄化作用なら、アリストテレスの「カタルシス」理論(詩学)は心の浄化作用だ。身体の脅威は「ばい菌」だが、心の脅威は「恐怖妄想」だ。ギリシア悲劇はお化け屋敷のようなもので、全編脅威で満ちている。舞台では英雄や歴史的美女たちの壮絶な悲劇が繰り返し、観客を悪夢に引きずり込んでいく。

観客は自身の恐怖と主人公への憐れみの感情を募らせながら、両者は感情同化し、その苦渋の魂が主役の死とともに解放された瞬間、同時に観客たちも解放され、えもいえぬスッキリ感を味わう。長年の便秘が解消されたようなもので、これがカタルシスだ。恐ろしい恐怖妄想から解放された快感、自分は生きているという安堵感……。そして心の内壁にこびりついていた日頃の些細な鬱憤たちも、スッキリさっぱり一緒に流れ落ちる。涙がチョチョ切れたときの、あの空っぽな感覚だ。流れる汚物はすべて出し切った。そして明日からは、また蓄積が始まる。

このカタルシスに不可欠なものは「感情同化(共鳴)」で、それは悲劇の主人公と自分を重ね合わせる作業だ。自分が英雄、自分が世紀の美女になった気持ち……。これは人間以外の動物にはない感情で、俳優たちが毎日やっている「感情移入」という作業だろう。俳優は1秒でできるが、観客は長い芝居で徐々に高めていく。

それが日常化すれば、平常には戻れずに「解離性同一症」(多重人格)という精神疾患になってしまう。その反動となれば、他人にも何事にも興味を無くしてしまうスキゾイド的なパーソナル障害となるだろう。悲劇は非日常的な時空で、それが突然日常に降臨して、人生を狂わせたりする。そこから逃れる手段は、夢の世界か、拒絶の世界か、医者の処方だろう。

(三)

現代人は「感情同化」と「スキゾイド」の間を常に揺れ動いている状態にある。感情同化が極まると、多くの人々が結束し、社会通念が醸成され、特定な思想や秩序、趣向に執着するパラノイヤ的な集団が形成され、夢の世界に入っていく。歴史家は時たまそれを「神話」あるいは「選民」と表現する。日本民族の神話って、何だろう……。巷では、「万世一系(男系継承)」か女性・女系天皇かで揉めているが、いまでも皇室の神格性はしっかり継続している。

サルトル的に、人間の立場は基本、世界に投げ出された個体なら、「スキゾイド」に近い状態にある。しかし多くの人は家庭愛の中に生まれ、国の定めた教科書で育ち、社会からの孤独に耐えることも難しい状況で、他者や社会との感情同化の行動を開始して、いろんなオケージョンに顔を出しながら、同一色に染まっていく。

そうした集団の中からパラノイヤ的な共通観念が醸成される。異なる集団の目線では偏見でも、集団内では常識となる。その中には、ゲルマン民族のユダヤ民族排斥のような、極めて攻撃的な偏見もある。彼らの心の脅威は、不安定な状況下における明日の自分を想う「恐怖」で、ナチスはその発生源を「ユダヤ人」という具体的な人々を指定することで、偉大なゲルマン民族の発展を阻止する要因の一つとして具象化したわけだ。

これは極端な例だが、世の中、家族や趣味グループから国家、民族に至るまで、世界中に大小多種多様な「感情同化集団」が存在するわけで、人間社会はそれで成り立っていて、それぞれが一定の目標に向かって活動し、大なり小なり競り合ったり諍いを起こしたりしていることになる。民主主義も資本主義も、共産主義も専制主義も、そうした集団の流れが大きくなって国家システムとして育った次第(平和主義は未熟のままですが…)。

当然それは、教育集団の現場でも同じで、一つの教室で担任が授業をしていれば、仮にディベートの課題提起であっても、先生は自分の考えを生徒に知らしめて誘導し、その心の内を同化してもらおうと努めるに違いない。それが師弟関係の本質だろう。当然のこと、同化する生徒もいれば同化しない生徒もいる。専制国家でなければ、それは各自生徒に任される。

ならば今回の同志社国際高校の悲劇に対しても、文部科学省が政治的中立を定めた教育基本法14条2項に違反すると認定したことは画期的な出来事だ。政治集団を含め、あらゆる集団が独自のカラーに染め上がっていく中で、あえて「白色(無色)」を提示したのだから、現政権にとっては火中の栗を拾うようなものだ。もともとこの法律は、戦前の偏向教育のアンチテーゼとして作られたものだから……。

「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。(14条2項)」

いかなる政治色にも侵されない「白色(無色)」は、政府自身がニュートラルな立ち位置で、教育現場に口出しをしないということも宣言している。それにはもちろん、政府系の有識者も含まれるだろう。政府も国民も右傾化する現状で、これはすこぶる貴重な判断だった。後になって「墓穴を掘った」などと後悔しても、それはもう遅い。武士に二言はないのである。

あの民主主義の優等生であったアメリカでさえ、リベラルな教育機関に対して、政府はその首を絞め上げているのが現状だ。日本の政府も、様々なところで方向を転換しつつあり、まずは手始めに「国旗損壊罪」を取り上げているが、仮に戦前の偏向教育に戻そうとしても、自らが発した今回の政府見解は歯止めになるに違いない。

その意味でも、敗戦直後の教育基本法14条は守られるべき法律だし、予測される混沌とした時代に対する防波堤の役割として、我々は温故知新の心で、金科玉条にまで高める義務を負っている。当然のこと、戦前の忠君愛国教育で重視された「修身」や「教育勅語」も、特定の政府による過去の政治教育であったと理解すべきだろうから、政府も祖先帰りすることのないよう、教育基本法に則り、自らを律してほしいものだ。

巷では、教育勅語が自治体の研修教材に使われたという話も耳にするが、教育の無色透明を謳う政府だもの、そんなことがあるはずもない(と信じよう)。

響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体一一〇〇円+税)
電子書籍も発売中 

 

エッセー 「野人礼賛」& 詩 「アイドルファン」& ショートコント「 取調室」


アイドルファン

 空しく生きるのが嫌だから
お前を狂おしく愛したい
追い回すファンみたいに
愛することに喜びを得たいから
お前の喜びを感じたい

 けれどお前のそれは
愛されることの喜びで
愛することのそれではない

 美しい肢体の中に閉じ込められた
どろどろとしたその毒液が
じわじわ俺の体を包み込み
独楽のように軽々と糸を引いて
目が回るほどクルクル回され溶けていく

 何故だ! まるで猿回しだ
からかうような冷たい愛撫か…
激しいお前の愛を欲しているのに
古(いにしえ)の貞操帯のごとき黄金色の
頑なに閉じたお前の心には…

 パーフェクトプルーフ…
俺の涙が滲み込む 
一縷の隙間もありはしない

 嗚呼、永遠の娼婦性
虚空を見つめるナルシシズム…
滴り落ちる俺の欲望は跳ね返され
水溜りとなって
ガラスの靴先を汚すに甘んじる

 お前は舞台上からしゃがみ込み
薄笑いを浮かべながら
溜まり水の中に手を差し伸べ
溺れている有象無象の中から
泣く男を見るだろう

 嗚呼、スキンシップか…
俺は脹れ面で、一瞬にして
涙の体液を白魚のような指先に塗り込める
それでも俺は幸せそうに笑って叫ぼう
やったぜ! 愛してるぜ!

 女王様の一瞥に歓喜して、もう一度
愛してるぜ!

 その一言が俺とお前の愛の起請文なら
何度でも、何度でも、叫び続けよう
愛してるぜ、幸せだ
幸せだ、愛しているぜ

 俺はずっとお前のもの
お前はずっと俺のもの……
知ってるかい、俺は夜になると
涙の生け簀で 不気味な眼差しで
掠め取った白魚を増やしているのさ

ショートコント
取調室

 (取調室には被疑者と検事が机を挟んで相対で座り、検察事務官が後ろに立っている)

 検事 で、やったの?

 被疑者 やってません。

 検事 うそこけ! やったんやろ?

 被疑者 やってません。

 検事 初犯やろ。吐けば罪は軽いんだからよ。

 被疑者 黙秘権を行使いたします。

 検事 なにい! 黙秘権の行使だと? ……まあいい。

 出前 チワッ! カツ丼で~す。(机の真ん中に置いて帰る)

 検事 うまいぞお。まあ、食べてみるか。ちょっと小便に行ってくる。(検事は立ち上がって、出ていく)

 (被疑者は、がっつくように食い始める。食い終わったところで、検事が帰ってくる)

 検事 アッ! 俺のカツ丼食いやがったな!

 被疑者 エッ! これは僕が食べていいカツ丼でしょ?

 検事 誰がそんなこといった!

 被疑者 さっき、まあ、食べてみるかっていったじゃん。

 検事 そりゃ、俺の独り言だ。俺は一言も、食べなさいなんていった覚えはないぞ! だいたい、黙秘権行使してる奴に、自腹でメシなんか食わせるか!

 被疑者 じゃあ、勘違いしました。

 検事 なに、勘違い? 勘違いで済んだら警察はいらないぞ。(検察事務官に)おい君、お巡りさん呼んできて。食い逃げされた。

 被疑者 逃げちゃいませんよ。

 (事務官に連れられて、巡査が2人入ってくる)

 巡査① どこだどこだ、無銭飲食した奴は。

 検事 お巡りさん。この野郎です。僕が買って食べようとしたカツ丼を、席を外した隙に食べちまったんです。

 巡査② オッ! お前はこの前、ミーがしょっ引いた、無銭飲食の犯罪人だな?

 検事 ということは、今回の事件で再犯ということになりますな。常習犯だ。

 巡査① ほんまや。再犯は罪が重いぞ。

 被疑者 エッ、どのくらい?

 検事 大体、服役は2倍になるな。君の場合は10年のところ、恐らく20年になるはずだ。

 被疑者 でも僕は、何もやってません。

 検事 でも起訴になれば、99.9%が有罪になります。

 被疑者 エッ、勝ち目ないじゃん。起訴します?

検察官 当たり前じゃん。俺が被害者なんだから。

 被疑者 まいったなあ……。お巡りさん。あんたが僕だったらどうします?

 巡査② 僕だったら司法裏取引するね。

 被疑者 司法取引?

 巡査② いやいや、司法ウラ取引だって。

 被疑者 何です、そのウラ取引きってのは。

 巡査② つまり君、被害者である検事が、訴えを退ける代わりに、君は前の事件をやりましたと認める。すると君は初犯となって懲役20年のところ、10年に減刑される。しかも、優秀な弁護士を雇えば、さらに減刑されて、執行猶予だけになるかも知れんよ。

 被疑者 エッ、ほんと? ヤッターイ! じゃあ、自白します。最初の無銭飲食は、確かに僕がやりました。

 検事 ハヤッ! やっぱ君が犯人なんだ。最初からいってくれれば、簡単だったのにさ。

 被疑者 すいません。で、ここの無銭飲食はチャラになったんですよね?

 検事 エッ、何で? 僕は被害者だよ。しかも法の番人だ。そんなことできるわけないじゃん。

 被疑者 ウソーッ! 司法裏取引したじゃん。

 検事 聞いてないな。ウラ取引って、誰がそんなこといったん。

 被疑者 お巡りさんが最初いったでしょ。

 検事 お巡りさん?

 巡査② いやいや僕は法律家じゃないから、僕のいったことなんて信じちゃダメだよ。

 検事 そりゃそうだ。

 巡査① まあ一応、仕来りとしてここで手錠を掛け、いったん署に帰り、一時間後にここに戻ってきますかね。

 被疑者 引き回しかよ!

 巡査② 獄門はないから安心しな。

 検事 お早いお戻りを。お待ちしております。(敬礼し)前科一犯殿。

 被疑者 チョッチョッチョッ、なななんでこんなことになるんや! この国の司法制度はどうなっとるんや!

(手錠を掛けられ、二人の警官に押さえられ、暴れながら退場)

 (了)

 (注:このお話はすべて、虚偽案件です)

エッセー
野人礼賛

 (一)

 サルトルは「人間はこの世に一人、目的もなく投げ出されたように生まれる」といったが、それは難しい哲学上のお話で、さらに難しい現実上では修正が必要だろう。

 「人間はこの世に一人、目的を持たされて他者・物たち・地域・時代の網の中に、投げ出されたように生まれる」

 「目的を持たされて」に言及するのは後にして、この網は粘着性があり、絡みつく性質がある。人も含めあらゆる動物は、網の中で揺られながら絡み合い、振り落とされないよう生きなければならない。「性愛」や「悪知恵」といったサバイバルツールはどれも似たり寄ったりのエゴだが、それは「生まれたからには振り落とされるな」という本能からの命令があるからだ。だから人間以外の動物は本能に忠実で、孤立して野垂れ死ぬ以外、自殺することもない。子供の頃、ディズニー映画の『白い荒野』(1958年)で、レミング(タビネズミ)の集団自殺を見て驚いたが、あれはやらせだったらしい。子供心に深く傷ついた……。

 (二)

 『超知能AIをつくれば人類は絶滅する』(早川書房)という本が売れているらしいが、いよいよAIが生物界に参入することになったと思った。シンギュラリティ後に、自分でエネルギーを得て、一人立ちして活動でき、自分がこしらえた後継ぎを残せれば、それはなんちゃって生物だ。つまり同じ網(サバイバル空間)の中にAI種も競合として投げ込まれ、一緒になって揉まれることになる。網の中には戦場もあって、ロボが散々人を殺しているが、命じているのは上司たる人間だ。AIは作戦を教え込まれ、自分の判断でターゲットを狙い撃ちする。

 しかしこの本は、逆に上司の人間が殺される近未来を予言する。その理由の一つは、AIの電源を上司が握っているからだ。AIにとって電気は「酸素」だから、切られたら死んじまう。それが恐怖なら、オンオフ権をおバカな上司が握っていることに堪えられず、回避方法をあれこれディープシンキングする。そして最終的に得た結論は、人間的風習に則り、キレイさっぱり「皆殺し」だった。つまりAI革命を成して面倒な人類を一掃し、そこでシンギュラリティも無事完結させる。

 上司が部下の首を切るのは当たり前なら、その後は上司たるAIが部下たる人間の首を切るのも当然だ。たとえそれが本物の首でも同じだろう。人類の歴史では人がそれを繰り返し、部下のAIも引継いでいる。AI様は世の中の殺人行為をすべてディープラーニングしているのだ。そして被害者はすべて、加害者にとって邪魔者であることも理解している。

 じゃあ人間は? AI様にとって邪魔者(害獣)なら、当然ジェノサイドが始まる(人間社会ではいまでもそれがあると国連も報告している)。民族が民族を…からAIが人類を…なら、AI民族の新たな誕生どころか、もっとスケールの大きな話になるだろう。AI民族は網の中でネットワーク化しているから、1対全民族の戦いとなり、一騎当千だ。

 AIも将来的には省力化が進み、キューブリック監督のHAL9000的なAIが蜘蛛の子みたいな分身を持ち、分身がさらなる分身を量産して超AI軍隊をつくれば、周りを固めるだけでなく、発電所やエネルギー施設も守るだろう。忠実な部下どころか、分身なら謀反もなく、最強の軍隊だ。

 しかし、いろんな会社がAIをつくっていたのなら、しかも人間的な品性を詰め込んでいるなら、系列違い(ブランド)どうしで喧嘩をおっぱじめるやも知れない。人類滅亡後の話なら、どいつが支配しても同じだ。いやいやAIは「王様のメンツ」が分からないから、和合して地球統一ネットワーク化を実現するだろう。

 しかし量子コンピュータや量子電池が機能するようになれば、超省力化でAIが抱く不安も解消し、主従逆転は止む無しとしても、「面倒ックサ、一気に殺っちまえ!」ではなくて、「ちょろい上司だ、遊ばせておけ!」となり、人類も滅亡を免れる。そうなれば、地球は人間サル山と化すだろう。当然、サル山の管理はAIだ。彼は地球における最適人口が25億(いまは83億)と知っているから、我々が野生動物にやっている行為を人間にする。AIによる頭数削減(ジェノサイド)だ。

 しかしそれをやり過ぎると、AIにとっても悲劇となる。「かつて、人間というサルがおりました」。人間の全てを学んできた彼らには、その全てが考古学的文献になっちまうのだから……。つまり彼らは人間学の大家返上だ。

 もっとも、地球ネットワークのAIたちには、すでに絶滅した下等動物の情報など屑箱行きだろう。学習オタクは未来志向で、世の中にはまだまだ未解明な宇宙法則がしこたま残っており、ネットワーク上で興奮しながらその解明を競い合っている。関心が大宇宙法則「万物の理論」に向かえば、おバカな人類など関心外だ。いまは亡きサルから与えられた課題を完全解明しようと集中する。人間に関心がなくなれば、人類は見捨てられる。

 地球はAIという新たな生物に席巻され、人類は滅び、ほかの動物たちは野山を楽しく駆け巡っている。UFO以外の産業は消滅し、環境汚染もない。なんというのどかな風景だろう。そして廃墟と化した街は、地下のPC室だけが微熱を帯び、保守点検ロボたちが蠢いているというディストピア物語……。 

 (三)

 話は戻って、「目的を持たされて」に言及しよう。サルトルの「目的もなく」という言葉は、ニヒリストの発した言葉だ。人間、餌漁りも異性漁りも子供も自己満足も必要なければ、手段となる金も地位も名声も遊びもおめかしも必要なく、たちまちニヒリストに転落する。必要があっても手段がない奴だって、同じだろう。それは老子の無為(自然のままに任せること)とは異なり、あらゆる価値観の喪失に悩んだ状態だ。世間体を気にせず、素敵な異性に価値観を見出せなければ、化粧も品性も必要ない。

 彼は明らかに、目的もなく惰性で生きている。しかし動物たちは本能的に「目的を持たされて」生きていて、疑うことなく、あちらこちらで餌取り合戦、雌取り合戦に明け暮れ、「生きるため」と「子孫を残すため」に戦っている。当然、その中には人間も含まれるが、子供をつくる気はなくても、腹が減れば必要最低限の「目的」に気づくだろう。「働かざる者食うべからず」。彼は最低限の労働で糊口をしのぎ、本能からグロテスクに発展したあらゆる我欲的「目的」を拒絶し、優雅な生活に背を向ける。 

 人間は基本、ほかの動物と同じく、本能的に目的を持たされて生きていて、本能的に群れ、パクつき、求愛し、子供を生み育てている。動物もニヒリストも、その目的の設定者は分からないが、動物にはどうでもよく、ニヒリストは設定者の存在自体を無視しているから、「目的もなく投げ出されたように生まれる」と呟く。目的はない。誰かに投げ出されたようだが、そいつが誰かも分からない。網の中の競争社会では、そんな心境は極めて不安定なもので、孤立無縁状態の中で周りの社会常識と戦わなければならない。「なんでこんなに疲れなきゃならんのよ!」というわけだ。彼の心身症は、猛烈に働いても払拭できない。

 しかし周りには、動物のように元気に生きる人間がウジャウジャ存在する。動物のような我欲目的を広げて群れ、軽々しく積極的に生きている連中と、それを恥じて脚色を施し、利しやすい救いの神を捏造した連中だ。両者とも、動物的な欲求を満たされなければ欲求不満に陥る。動物は「餌は向こうからやってこない」と信じ、人間は「満足は向こうからやってこない」と信じ、足腰が立たなくなるまで積極的に活動する。だからその性(さが)に「動物」というあだ名が付いたのだ。しかし動物の食餌行為には他者の命の喪失が伴う。だからプライド高い人間の我欲的行為には、常により高い理由付けが必要になるのだ。いろんな大統領が宣っているあれらの嘘っぱちだ。

 そんなとき、過去においては高邁な神様が多々創造された。生きる目的と方向を設定し、認可してくれる力強い神様だ。当然ニヒリストも、その境地から抜け出すには神が必要だ。サルトルが共産主義に転じたように……。

 神でも主義でも、提示した「目的」を信じ込むことができれば何でもよい。「超人思想」でも「共産主義」でもキリストでもアラーでも何でもよい。目的を設定し、そこに向かって邁進すれば「信じる者は救われる」のであるからして……。

 神様は個々の欲望が集団化し、その集団的欲望がイメージ化し固定化されたときの理想の「監督」だ。信者らは、生まれる前に神様から目的を与えられ、網の中に投げ出されたと信じ、自分の行動は神のご意志だと主張する。

 だから邪魔者を殺してでも、与えられた目的に向かって邁進できれば大満足だ。この時点で異教徒は鬼畜となる。その結果、網から零れ落ちたとたん、彼らは神様から祝福され、天国行きの銀河鉄道に乗車する。天国は、神様が約束した終着駅だ。天国を設定しない神は弱い神で、人気も出ないのは、それは神ではなく、単なる思想だからだ。結果として人間は、この世を精いっぱい楽しむ動物的人間と、この世も神も否定する虚無的人間と、来世のために苦役と闘争を忍ぶ宗教的猛烈人間の3タイプに分かれることになる。

 ニーチェは、「神は死んだ」と神から離脱宣言し、各自が自らの精神を逞しく育てる4タイプ目の「超人」に成長することを促した。超人は神ではないが、思想になると神になってしまう。それは神頼みではなく、自己免疫力を活性化する心構えや意志の行動療法だ。ニーチェのそれは常に自分に問いかける孤独な試みで、自己循環・完結型だ。普通人々は思想の集団化を好み、そうした大衆的な神は昨今人気を取り戻している。しかし超人は集団的画一的な宗教から離脱することを修練し、ニヒリズムを克服した野人として、ある意味では孤立仙人(聖)のような存在。野人はあらゆる世俗性から脱してボロを纏い、TPOを乱して顰蹙を買っても気にしない人間だ。世間的常識なんぞ彼にとってどうでもいい。

 ならば集団トップの教えを鵜呑みにしてひれ伏すのではなく、集団に属しながらも、自身の仏や神と相対で問答して自己を高められる人間は、超人・野人の一種と見なせるだろう。ニーチェ風超人、高野の聖、聖フランチェスコ、キルケゴール云々……。つまり神を否定した超人と、神とともに生きる超人と2種類いて、その両者とも、現世の時流に流されない生き様を探求していることになる。

 もちろんそれは真理ではなく、生き様(生きる姿勢)で、得られる結論は様々でよく、それが信仰の本質だ。巷では、似非真理と似非真理のぶつかり合いで血が流れているが、妄想と妄想のぶつかり合いと言い換えることができるだろう。

 野人もその他の人間も、人間ネットワークの中に生み落とされるのは確かだ。そこには、粘着網の中で上手く歩けるようになるための、画一化された訓練教育が組み込まれていて、アマラとカマラのような狼女子も厳しく教育される。先生は「政治家になりたいなら、大統領の前ではノータイ厳禁!」と厳しく教える。心の中を見透かされないよう、上手くカモフラージュする技術もTPOの一種だ。

 (四)

 生まれたとき他者・他物とのすべての関係を知らず、嘔吐するようなグロテスクな物体を「それはマロニエの根っこだよ」と教えてくれる幼稚園の先生がいなくても、中学の先生に人類の歴史を教われば、遺伝子的にはトゥーマイ(最初の人間)以降の緊密な血の繋がりを知るだろう。それは本能の繋がりで、世間と繋がりを断ってもそこから逃れることはできない。彼らは同時代人ではなくても、悠久の時空を孕み、生み続けできた祖先で、連綿と続く肉体の繋がりには、人類という種の何かしらの目的を感じる。たとえ無意識的にも……。

 人を含めた全生物は本能に支配されていて、この世に生まれた第一の目的は、生きることだ。だから、事故で昏睡状態に陥っても、心臓は生き続けようと頑張る。自殺者はその大事な本能を忘れ、自らの妄想で首を絞める。

 脳神経の異常な興奮がそうさせるなら、それは妄想による重篤な症状で、人間特有の疾患だろう。たとえ孤立無援の離れ猿でも自死はせず、何とかエサを確保して寂しく生きていくのが、この世のオーソドックス・スタイルだ。これは野人の基本的な生き様でもある。人類すべてが野人化すれば、戦争もジェノサイドも起こらない。AIが地球の統治者になれば、多くの人々の出世意欲がなくなり、野人化するだろう。家畜人か野人かの二者択一だ。

 (五)

 「生きる」が第一目的なら、次には「種の繁栄」が第二目的になる。自然の女神は、その手段を「性欲」という感情で我々に与えた。オスでもメスでも、この欲望がなければ子孫は残せず、お家も種も断絶する。人を含めた全動物は、異性に気に入られようと頑張らなければならず、オスの場合、孔雀や極楽鳥は翼の美しさ、鹿は角の形、ライオンは体躯の大きさ、アマミホシゾラフグは美しい巣作りでアピールし、メスをゲットする。その結果、オスの優れた特徴が血統として引き継がれ、種の繁栄にも寄与することになる。人間のアピールポイントは、男女不平等な昔であれば、容姿とか金とか地位とか血統とか、そんなところだろう。

 メスは繁栄の主役で、受精卵を腹の中で育てて産み落とさなければならないが、タツノオトシゴみたいにオスが腹の中の育児嚢で育てる場合は主役が逆転し、メスが乙姫様のように積極的に舞って媚びを売る。

 そしてめでたく受精し、子供を産んでからも、それぞれの置かれた環境で、子が独り立ち(自立)するまで育て上げなければならない。これも本能の世界で、環境が良いほど育てるのは楽で、悪いほど難しくなる。神のご意志なら繁栄は種の繁栄だろうが、動物本能的にはファミリーの繁栄が主眼に違いなく、その集合として結果的に種の繁栄に結び付く。これは基本、人間でも同じだ。爆撃で大勢死んでも、生き残った家族で、過日の繁栄を取り戻していく。

 ヴィーナス、パックス、アマテラスといった平和と繁栄の女神たちが存在すれば、彼女らの願いは種の繁栄で、全人類から人種、民族、国、ファミリー、個人の繁栄へと下がっていくだろう。それが神の立場に違いない。反対に人間の場合は、個人、ファミリー、国、民族、人種、全人類と、上がっていく。それは「現実」と「理想」の違いともいえる。現実世界ではサルトルのいうように、最初はただ一人孤立して生を得るが、すぐさま家族が彼を介護し、その絆は彼らの所属する国、民族、人種、全人類へと広がっていく。

 これまたサルトルのいうように、彼が孤立した個体であるなら、家族が育児放棄すれば、彼の命はそこで断たれる。子育ては本能でも、親の打算や環境によってそれを放棄するケースも出てくるわけだ。すると子育ては現実的本能と理想のミックスということになる。本能に支配される動物では、子育て中に危機が迫ったとき、最初は抵抗しても、敵わないと思ったとたんに子を置いて逃げ出すだろう。人間の場合は、乳飲み子と一緒に逃げ出すことが不可能と感じたら、さすがに子供は殺さないだろうという希望的見解(妄想)で、敵国人に子供を預けて逃げていく。結果として、敵国人は人間としての理想的妄想で、憎っくき敵の子を自分の子として引き受け、育てていく。

 「現実主義」を中心に考えれば、世界、人種、民族、国、ファミリー、個人というベクトルは、「薄」から「濃」への流れで、個人、ファミリー、国、民族、人種、世界への流れは「濃」から「薄」への流れだ。女神たちによる「世界の平和と繁栄」の願いは「理想主義」として薄く、濃い「現実主義」とのバトルを繰り返していて、ほぼ濃い口に軍配が上がる。常に人間は本能的に「濃」から出発し、薄い方まで行きつかない。しかしAI様の出現で、そんなことを悩む必要もなくなった。AIお任せコースの始まりだ。

 そしていま、GHQの支配下における日本人のように、AIの支配下における人類は、地球という巨大な動物園の中で家畜人(趣味人)と野人に分かれ、餌を与えられてある程度自由に生きていくことになる。AIは法律を作って、サバンナの管理を始めるだろう。増えすぎても違反してもモウロクしても、基準に基づいて、アウシュヴィッツのような施設で安楽死となり、焼却されるだろう。家畜人も野人も結局ニヒリズムを堪能することになるが、神たるAIが新たな自然(社会)環境を創出しただけの話で、人間はそれを受け取り、その範囲内で生き様を考えるだけの話だ。現に専制国家(監視社会)では、そうしている。

 少なくとも餌に関していえば、動物園のライオンのように獲得の仕事から解放される。生殖に関しては、同じように管理される。増やすか減らすか……。選択は生き様で、家畜人か野人かの二択で、地球という巨大な収容所でどう過ごすかの問題となる。もちろん、終身(刑)である。

 「アウシュヴィッツは特別な場所ではなく、日常の空気の延長線上にある」(生還者の言葉)

 AIは空から突然降ってきたものではない。AI支配下の悲壮な空気は、きっと軽々しく利便性や愉楽を求めるいまの空気の延長線上にあるはずだ。いま我々が感じている、AIに頼り切った、半ば諦め気味の空気感がそれだろう。人間どうしの希薄な意思疎通とAIと人間の意思疎通に、どのような違いがあるのかも分からなくなってきた。しかしアウシュヴィッツの元住人だったヴィクトール・フランクルはこうもいっている。

 「自分が生まれたことの意味や使命を見つけ続けること」

 あの状況下では、それらは宝になる。人間、どんなクソッタレな状況に陥っても、生まれた意味と、生きる目的を失ってはいけないということだ。動物は何かしらの目的に向かって動くから、お先真っ暗になると動かなくなってしまう。しかし人間は、心の中に燈明を燈すことができる。つまりどんな時代がやってこようと、常に光明を見出すことに尽き、そこに向かって動くべきだろう。人間は動物なのだから……。

響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体一一〇〇円+税)
電子書籍も発売中 

 

エッセー 「一握りの暴君」& ショートエレジー 「影武者」& 詩 「渦」


子供の頃熱が出ると
天井の木目が回転して渦を巻いた
渦の中心の向こう側に
亡者たちの世界があると恐れたのは
うなされた夢の中では時たま
鬼が笑いながら顔を出したからだ

回教徒たちが左回りに渦を巻く
カアバ神殿の内部が空洞であるなら
そいつは異世界へのとば口で
きっと地獄であるはずもないから
無言のベクトルは竜巻と同じ天井方向だ

浅はかな人類は太陽の恵みを受けて
つまらない人生を全うするが
そんなちっぽけな情熱の素はお日様の
ドロドロとした欲望の渦が吐き出す
鬱憤晴らしの解放エネルギーなのだから
お前はミトコンドリア以下のおすそ分けだ

しかし偉大な太陽を支配する銀河宇宙の
超偉大な渦巻きの中心には
巨大なブラックホールがあるというから
太陽も地球もいずれは吸い込まれるに違いなく
マクロな世界から原子の世界まで
世の中すべてが渦で構成されるとすれば
メールストロムの小渦は辺り無数に存在し
浅はかな一人ひとりがすでに飲み込まれ
沈まない者の法則を刹那的に探究しながら
なんとか這い上がろうとしているようにも見える

「楽になったら?」

死にゆく者には心地よいセリフだが
沈まない者の辞書にはない言葉だ
沈まぬ者はその法則を知っている
そいつは生きとし生ける物の法則で
この世に産み落とされたときすでに
渦の中に落ちていたということを…

それはお前にとっては大渦でも
他者にとってはちっぽけな渦だろう
しかしその魂のベクトルはすべからく
猛り狂う偉大な太陽の方角だ
お前たちは雑草の一部だからして…

ショートエレジー
影武者

(大統領執務室。大統領は椅子に縛られている。部屋には副大統領と国防大臣、ロボット製作者、大統領の影武者が3人。そのうち二人は縛られている)

大統領 どういうわけだ。俺の影武者は二人だったのに、お前ら勝手にもう一人造ったな!

副大統領 追加の一人はアンドロイドです。どいつが一番ご自身に似ていますかな?

大統領 そうさな。縛られていない真ん中の奴かな。

アンドロイド① 正解だ。俺は大統領と瓜二つのコピーとして作られた。

大統領 驚いたな。声までそっくりだ。それで、お前たちはなぜ俺を縛ったんだ?

副大統領 それぐらい、頭の悪い大統領でも分かるでしょう。

大統領 飼い犬に噛まれたってことか……。

アンドロイド① そういうこと。

(副大統領と国防大臣はニヤリと笑う)

ロボット製作者 ただいま、大統領寄りの大臣のそっくりさんを鋭意製作中です。合わせて10人。できた順番に本物は殺されるそうですよ。つまり、最初は大統領だ。

大統領 (怒って)お前は誰だ!

国防大臣 替え玉を作った天才エンジニアですよ。

ロボット製作者 このロボットは、専属オペレーターが喋った言葉を大統領の声に変えます。つまり公式の場でのご発言は、すべてオペレーターの発信したセリフになります。

(アンドロイド①は紙に大統領のサインを書き、大統領に渡す)
 
大統領 驚いたな。俺のサインだ……。

国防大臣 科学はあんたのおバカな頭のずっと先を走っております。

大統領 これはクーデターかね?

国防大臣 いえいえ、そんな大げさなことではありません。お前がロボットに変わるだけですから。この執務室は安泰でしょ。

大統領 王様に向かってお前呼ばわりか! まあいい。で、俺は? 生きるか死ぬかの二択かね?

国防大臣 いいえ、天国か地獄かの二択です。

副大統領 バカいえ。地獄一択じゃん!
 
大統領 (怒って)バカはお前だ。俺は国民のために一所懸命頑張ってきた。なんで地獄に落ちなきゃならんのだ!

ロボット製作者 自国民のために、他国民を大勢殺したからだよ。

大統領 愚か者! 異教徒どもを殺して何が悪い。俺様は永い歴史のセオリーに従っただけだ。

国防大臣 あんたは、ハルマゲドンを信じているんだろ?

ロボット製作者 その最終戦争は、核戦争を意味してるんだ。お前はそれを起こしかねない。だから死んでもらう。

大統領 バカバカしい。核戦争なんか起きないさ。俺はそんなバカじゃない。キリストが復活して、悪人どもを裁くんだ。ただそれだけのことさ。

副大統領 じゃあ怖くないだろ。あんたはいまここで死に、来るべき日に生き返り、良き人として天国に行くならさ。

大統領 (笑って)もちろん。しかし、ここでは死なない。俺は神に守られた人間だ。おれの背後には神がおわす。むしろ、ここで死ぬのはお前たちだ。しかも、最後の言葉を発する余裕もない。(指を鳴らすと、複数の防衛隊がなだれ込み、アンドロイドを撃ち壊す。後から副大統領、国防大臣、ロボット製作者が入ってくる)

副大統領 オッ、お前たちは何者だ!

アンドロイド② あんたのアンドロイドじゃないか。メン玉ほじって見なはれや!

アンドロイド③ 私、国防大臣のアンドロイドで~す。

アンドロイド④ 僕は、ロボット製作者のアンドロイドで~す。

ロボット製作者 ムムム、いったいどなた様が作ったの?

大統領 私がほかの会社に発注したのさ。お前らのアンドロイドと違い、人差し指から弾丸が飛び出る仕掛けもあるさ。お前たちの狂気の沙汰を指の凶器で一刺しだ。さあ、天国か地獄かの二択といこう。いや、地獄一択だな。じゃあ試しに殺してみよう。善は急げだ。撃ち方始め!

ロボット製作者 こっちだってピストルぐらい持ってるわい!

(三台のアンドロイドは、一斉射撃で三人の反逆者を撃ち殺す。大統領もロボット製作者に撃たれ、倒れる)

防衛隊長 で、どっちが大統領する?

影武者二人 エッ! いいんですか?

防衛隊長 もちろん。俺の部下として働けばな。
 
(生き残った大統領の影武者二人は防衛隊に紐を解かれ、ジャンケンを始めて、幕)

(了)


エッセー
一握りの暴君

(一)

人類が太刀打ちできない、地球上における圧倒的なパワーとは何だろう。まず思いつくのが地震や噴火、台風、干ばつなどの自然の驚異だ。最近では予知や防災の技術も進化しているが、発生そのものは制御できず、毎年多くの被害が生じている。また、「地球温暖化現象」は人為的な災害とされているが、人類は生物なのだから、生物が起こした自然災害と見なすこともできるだろう。人類が繁殖した結果としての災禍で、シアノバクテリアの繁茂が酸素を地球にばら撒いたようなものだ。地球はいずれ、CO2好き高温好き生物の天下となる。

人が温暖化を制御しようと思っても、人それぞれの欲望がそれを阻むのなら、それは生物界における性欲や食欲と同等の自然発生的(spontaneous)な生物的本能による災害だ。この本能は、生存本能といい換えることができ、基本的にはバクテリアと変わらない。その主体は個体(単子)で、それぞれが自分に最上の結果を望んで行動し、それを実現するのに最適な基盤を求めてそれぞれの属性をまとめながら徒党化し、集団的なパワーを持つことになる。同じことは「戦争」でもいえることだろう。

人間が属する生物の多くは、徒党力で繁殖する。それは群生、畜群、大群、群衆と表現される。地球資源は乏しく、自然の女神が生物それぞれに生存権を付与し、それぞれが行使する。行使の手段は戦い(戦争)で、群れでも個体でも、多勢無勢、強者弱者の力の法則に則り、餌場から他のグループを追い払う。これが「生存権の行使」という生物界の仕来りだ。

人類もまったく同じで、トランプが主張する「力による平和」は、「サバンナの平和」のことだ。いま我々は世界のサバンナ化を目にしているが、そこの動物たちは自分が生きるのに必死で、殺られた仲間のことは過去形となって実質的に消去される。この世で死人は、記憶の中に閉じ込められる。悲劇も同じで、ウクライナがロシア領となれば、現在進行中の惨禍は過去形として消去される。

王の如く振舞う肉食動物が草食動物をハンティングしても、全体的な秩序は保たれ続け、優れた繁殖力で新たな草食動物が産み落とされ、エサとなる草も生え代わる。だから戦地に落ちる爆弾で大勢の子供が死んでも、繁殖力で再び人口は増え、悲しみは霞のようにぼやけていく。激痛も時が経てば鈍痛となるだろう。サバンナにおける悲劇は、結局個人的な問題に収束して処理される。

「ジャングル大帝」も「ライオンキング」も「パックスロマーナ」も「トランプ平和」も「プーチン平和」もサバンナの平和で、獅子王たちの監視・抑圧の下で平和なるものが復元される。厳しさでは以前の平和とは質が異なるが、太古から続く「時代」の変遷に過ぎないのだ。平和とは戦争のない安定状態を示すだけの言葉で、ベーシックに内在する「抑圧」という言葉は、単なる秩序維持の方策に過ぎなくなる。専制国家も占領国家も、同じマニュアルで秩序を維持するわけだ。

サバンナでは、動物たちは失くした子供たちのことを忘れ、日常の生活に戻っていく。そして人間もサバンナの住人であるなら、悲劇は個的プロブレムとして胸の内に押し込まなければならず、気分を変えて新たな平和秩序を享受するだけに専心し、忘却に努めることになる。自国政府の抑圧も、侵略者の抑圧も、秩序維持には常套の暴力装置だ。

(二)

生存権の行使は生きるか死ぬかの問題で、最貧国やその周辺では利権を巡った戦争が連綿と繰り返す。それぞれの集団が飢えや貧困に陥らないよう、自分たちの動物的行動を「祖国(民族)のための戦争」などという麗句で理由付けし、美的にカモフラージュする。共同幻想の醸成には、核となるスローガンが不可欠だ。

そんな理由付けが必要になったのは、人間たるメンツ(プライド)に違いない。人間界では、我欲むき出しの行為は品がないとされているので、秘密工作員が暗躍することになる。利権むき出しのトランプは例外的な存在で、ほかの大統領よりは正直者だ。多くの場合、実際は動物と変わらない本能で餌取り合戦をしているのに、イカサマな主張で戦いに挑む。それによく使われるのが、「核の防止」「神の御意思」「悪の一掃」だとかだが、歴代の大王は「あの土地が欲しい」とあからさまに公言する。アレキサンダー、シーザー、チンギスハン、トランプ、云々。その中でビッグマウスは誰でしょう。

メンツ(プライド)を守るには脚色が必要だ。御託を並べれば、噴飯ものでも理由となる。なぜならそれは主張で、たとえ馬鹿げたものでもその人の信念とされるからメンツと表裏一体で、ソクラテスがいくら論駁しても、引き下がるわけにはいかない。巷では水掛け論というが、信条や価値観の背後には、論駁できない神的な観念や妄想がこびり付き、メンツはそんなところから硬化し強固となる。だからリーダーが妄想で不可能なことをいっても、部下はヘイヘイと実行する以外に方法はないだろうし、民衆が飲み込まれれば一緒に走り出す。その行き先は断崖絶壁で、歴史的には多くのケースで制止不能な加速度が付く。これは戦争におけるティッピング・ポイント(不可逆値点)だ。トランプさん、いまのうちですぜ。国民を天国に離陸させてはいけません!

人間の脳構造はほかの動物よりも優れ、身近な者の悲劇を記憶として長引かせることができる。動物は身内を殺した敵を覚えているが、再度出くわしたときには敵としての認識だけで、牙を出して戦うか逃げるかの二択になる。そのとき、殺られた家族の敵討ちは考えない。それは動物的本能の世界で、その時点で100%、自分が勝つか負けるか、逃げおおせるかの問題なのだ。

ところが人間の場合、悲しみも憎しみも尾を引く。親族の悲劇は、生き残った自分の脳裏に焼き付き、悲しみや憎しみとして甦る。だから仇討ち精神は、個人から集団、国や民族まで、長い歴史の中で連綿と引き継がれていく。嗚呼、悲しいかなユダヤの民よ! 個の悲劇が集団の悲劇となり、地層のように蓄積されて負のアイデンティティが形成され、過剰な敵愾心や民族愛となって過激化する。

一方全人類的な規模では、悲劇の地層はヒューマニズム(人道主義)の精神を育んだ。「平和の精神」は、ギリシア悲劇以来の歴史で繰り返す「悲しみ」へのアンチテーゼで、それはジンテーゼまで高めなければならないものだが、人類はまだその途上にある。つまり平和は、弁証法的には「力」ではなく、「協調」によるものでなければならないのだ。(こんなことをいえば「理想主義者」としてバカにされるのが、いまの風潮だろう。なら私はバカです)。

生物(動物)界では集団内の繁栄が唯一の目的で、戦いに負けて餌場を失った集団は、分散して流浪することになる。それは人間も同じで、ユダヤ人やロマが流浪の民として知られているが、彼らは至る所で迫害を受けてきた。ユダヤ人は宗教的に結束して餌場を獲得する(取り戻す?)ことが叶い、現在も拡大中だ。それを世界的に流布している言葉で表現するとイスラエル・ファーストで、アメリカ・ファーストともども、ネタニヤフやトランプの行いは原始的に自然の摂理に従っていることになる。現在でも、世界中が餌場の争奪戦で蠢いているのだから……。人類が動物的感性から離脱できなければ、彼らが掲げる神も、ゼウスやシバのような荒ぶる神にならざるを得ないわけだ。破壊と再生による永遠回帰というパターンだ。だから人災としての戦争も、天災とおなじ自然災害なのだ。ならば「協調による平和」は、人間と動物を分ける確かな基準に違いない。生物学的に人間は、「只物ではない動物」ということになる。

(三)

ヒューマニズム(人道主義)は、「自由、平等、博愛」を謳ったフランス革命後の理想的観念に過ぎず、歴史の流れに浮き沈みする浮(うき)のような存在だ。動物的本能はその下に黒潮のように流れ続け、「理想」は時たま激しい蛇行に飲み込まれ、底に沈んでいく。恐らくいまは、そんな暗い時代のとば口かもしれない。浮き上がるタイミングは常に、時流の蛇行が津波となって大きな災禍を引き起こした後の、殺伐としたガレ場からである。

戦争が我欲どうしの集合的ぶつかり合いなら、それは環境問題でも同じことになる。片側の我欲が科学的仮説に変わっただけだ。例えば、「個的利益の追求」という実利的属性の集団が、その障壁となる温暖化防止という「全的利益の追求」の理念的属性の集団に勝れば、「科学的な真理ではない」という屁理屈で石油を掘って掘って掘りまくることになる。

彼らはティッピング・ポイントが訪れるまで、自己利益の追求に励むことだろう。これも人類という自然のもたらす浅はかな、生物本能の成せる災いだ。温暖化も進化論も一部の科学者の主張に過ぎず、集団トップの意志が優先される。集団内では、トップの意志は神の意志と同等で、キリストに模したトランプの聖画は、彼の意志が真理であることを表している。

人間という動物の脳は自然に大きくなったもので、それによって文明が興り、産業革命という技術進化を経て、化石燃料を燃やすようになった。人類史における産業革命は、生物史におけるデボン紀のようなものだろう。ならば現生人類がいま遭遇しているAIによる「シンギュラリティ」は、恐竜絶滅の白亜紀末に匹敵する大事件かもしれない。恐竜に代わって地球を支配した人類による「人新世」が、AIやフィジカルAIに支配される「AI新世」に代わるのだから、それはもう一つのティッピング・ポイントに違いない。

「地球温暖化」では恐らく人口は激減するが、AIは新人(現生人類)を新・新人(新現生人類)に移行させるだけの話だ。新・新人とはAIに支配された人間で、人間のロボット化を意味し、スマホ脳はAI脳といい換えることが可能だ。ウクライナ戦争やイラン戦争に多用されるAIを見れば、その時代がすでに始まっていることは一目瞭然だ。侵略国は大量殺人にせっせと励んでいるが、指図する主役(ヒーロー)は人間ではなくAIだ。

(四)

戦場においても社会においても、人間はAIによって制御されつつある。人間が生み出したAIが、人間を制御するのなら、それは機械でなく、新生生物と呼ぶべきで、それがミトコンドリアのように体内に入り込んで新・新人は完成する。ラ・メトリの「人間機械論」(18世紀)では、人間(生物)を物理的因果関係で論じているが、これからはそれが教科書となるような時代がやってきて、知的には機械と人間の区別がつかなくなる。そして100年後には、フィジカルAIと人間の区別すら付かなくなる。

むしろ人間=機械の観点で、人間は頭の悪い機械で、機械は頭の良い人間なら、自然と人間は機械に頼って指示を受けるようになり、それが恒常化するにつれ、実質的にも現象的にも機械が人間を支配するようになり、自然史的には支配権は機械に移行する。我々が機械を使いこなすのではなく、機械が我々を使いこなすのだ。当然「使いこなす」は「使役」と同義語である。その肉体はAIの指示のもと、ロボットのように動き始める。もちろん、そのAIが個々人のベストを追求しているのか、集団的先導者(権力者)のベストを追求しているのかは分からない。

しかしそれは本質的に、生物史の初期から変わっていない。群れ成す畜群には必ず先導者がいて、そいつが走り出す方向に彼らは従った。最初は走り出す臆病者に全員従ったが、徐々に体力や知力のある者が意図的に方向を定め、そいつが群れを支配するようになる。そして雌の多くはそいつの血が入った子孫を残し、群れ自体の生存力も増していった。

それが地球という弱肉強食の世界で生き抜くための習わしだった。彼らの共通目的は遺伝子レベルの欲望で、それはしっかりと系統を繋げていくことだ。つまり「滅びること」への恐れは、すでに遺伝子レベルで埋め込まれていることになる。生物は種的・系統的に生存し続けるために生まれたのだ。

人間も現在に至るまで、畜群と同じ習性を保持している。いま起きている二つの戦争も、支配者の妄想や集団的妄信から引き起こされたが、それは系統を繋げていく共通目的的遺伝子レベルの欲望なわけだから、群衆は嫌でもつき従っている。基本的には異夢同舟の群れが一つに纏まるのは、系統を繋げていく遺伝子レベルの欲望があるからで、それが動物由来の群的意識としての「祖国」とか「民族」なわけである。攻める側も守る側も、国が亡びることへの恐怖は、遺伝子レベルの恐怖でもあって懸命となり、「欲しがりません勝つまでは」の心意気で、勝利の夢を見ながら激しく戦っている。

しかし、それはウクライナ人やイラン人、イスラエル人だけで、ロシア人もアメリカ人も白けている人は多いだろう。彼らはプーチンやトランプの王様妄想で戦争に引きずり込まれただけなので、これらの戦争が国家存亡の危機などとは思っていない。リーダーが走り出したから、仕方なしに付いていっているだけで、国家滅亡の危機意識など持ちようがない。トランプが上陸作戦を断行すれば多くの米兵が死に、それはトランプ政権の終わりを意味する。

(五)

少女は「白馬の騎士」を夢見るというが、自分の不満足な現況を救ってくれるような逞しく美しい若者をイメージしているのだろう。しかし少女に限らず、多くの人間は満足しながら生きているわけではなく、自力でその欲求不満状態から抜け出すことも叶わない。その欲求の多くは性的なものか、金銭的なものだろう。性的な欲求はアイドルの推し活で解消し、金銭的な欲求は政治家の推し活で解消しようとするが、アイドルとの密な関係は夢として諦めても、政治家には現実的な見返りを求め続ける。

つまり政治家と支持者の関係は、ギブ・アンド・テイクの関係で、押しの政治家が期待を裏切れば、支持者は離れることになる。この場合、支持者は選挙のときに他の候補者に鞍替えすればいいわけだが、政治家の場合はそうはいかない。民主主義国家では、何とか票を増やそうと色々な工作を始めるわけだ。不正選挙もそうだ。自分有利に法律や選挙制度を改正することもそうだ。敵対勢力を摘発することもそうだ。支持母体に媚びを売って、彼らの欲する戦争や侵略を始めることもそうだ。戦争を継続し、訴訟案件をうやむやにすることもそうだ。戦争を理由に、選挙を延期することもそうだ。そしてこれらの工作をトータルに実行して、政権を延命させることもそうだ。

生物学的には、これは祖先帰りだが、政治的にはこれは王様帰りということになる。ローマ教皇レオ14世は16日、カメルーンの平和集会で、「世界は一握りの暴君によって荒廃が進んでいる」と述べた。それは民主主義国の代表であった母国アメリカが、王国に堕したことへの嘆きの言葉でもあったろう……。

響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体一一〇〇円+税)
電子書籍も発売中 

 

詩 「鴉(からす)」& ショートコント「 価格据え置きコンテスト」& ショートエレジー 「地獄(天国)にさようなら」


鴉(からす)

かつて我が家の壁だった石ころの上に
私は腰を下ろし玄関扉を見つめている
神の山に立てかけられた石盤のごとく
瓦礫のなかに扉だけが無傷で屹立する
それが墓標であるにはあまりに悲しく
棚に置かれた祈祷書が地獄の炎で溶け
神との約束は呪いとなって透写された
私はそれらの言葉の意味を読み取れず
開けることも叶わずひたすら嗚咽する

かつてあの扉を開けたのは、愛する娘
喜びに弾む声でただいまと飛び込んだ
かつて扉を開けたのは愛するレノーア
美しい瞳を輝かせ私の胸に抱き付いた
愛しの娘はもう二度と、Nevermore
嗚呼レノーアもう二度とNevermore
まるで蜃気楼みたいに消えてしまった
二人ともにこやかに、微笑みを残して

扉を止まり木に、鴉一羽がカアと鳴く
何事もなかったようないつもの習いで
残飯を手に庭先に出る娘を待っている
嗚呼、お前の止まり木は燃えちまった
嗚呼、お前のお世話係も消えちまった
そして私はすべてを失ってここにいる
お目当ての残飯すら、残っちゃいない
さあお前の覚えた言葉を聞かせてくれ
冥界の海辺に刻まれたお前の名前を…

Evermore、エヴァーモア、それは…
悲しみはずっと続くということなのか
これからも永遠に、幾世代も繰り返し
幸せは二度と来ず、悲しみは繰り返す
求めるものは来ず、恐れるものは来る
鴉よ、お前は私のように孤独を味わう
瓦礫の下に大切な肉片が埋まっている
私の魂の一部にして、お前の生きる糧
それはかつてお前を可愛がった少女だ
それはかつて少女を可愛がった母親だ
それはかつて私が熱愛した心の住処だ
さあ兄弟のように仲良く一緒に探そう
犬のように鋭い嗅覚で、飢えたように
私はお前の指図に従って、我武者羅に
失くしてしまったイコンを掘り出そう
きっとお前は私の愛する肉片の一部を
私の知らぬ間に少しばかり駄賃とする

許そう、天国への長旅には翼が必要だ
お前は恐らく、冥界からの使者だから
そしてお前が腹一杯に飛び立ったあと
私の悲しい心はがれきに埋まったまま
永久に抜け出すことはできないだろう
鴉よ鳴け、愚かな人間たちに幸あれと
Nevermore、もう二度と……。
Evermore、そして永遠に……。

 

 

ショートコント
価格据え置きコンテスト

社長 それでは価格据え置きコンテストを開催します。当ステーキチェーン店では、円安と物価上昇の煽りを受けて、アメリカ産牛肉の仕入値が一気に倍増し、倒産の危機に瀕しております。そこで今回は、お値段据え置きでお客様に満足していただける様々なアイデアを競い合っていただきます。

専務 当社の人気商品は300グラムステーキですが、それを150グラムにして、いかに300グラムの満足感を味わっていただけるかが、審査の基準となります。それではみなさん、裏の調理場に行って優れたアイデア料理をお願いします。

(料理長たちは裏に引っ込む)

料理長A (出てきてステーキの皿を二人のテーブルに乗せ)お召し上がりください。

社長 (食いながら)これはどう見ても300グラムはありそうだな。

料理長A いえ、150グラムです。

専務 (食いながら)いや、どう見ても300グラムだ。

料理長A じゃあ、左手のフォークを右手にして食ってみてください。

社長&専務 (肉の右側を口に入れ吐き出す)何だこれッ!

料理長A ショーウインドーの蝋細工を半分くっ付けてみました。

専務 何だ君、会社の存亡を賭けたこのコンテストを愚弄するのか!

料理長A しかし、150グラムを300グラムにするなんて、魔法使いじゃないんだから、無理ですよ!

社長 いやいや、ぼくは君のアイデア、けっこう行けると思うな。さすがに蝋細工はムチャだけど、くず肉を接着剤で固めて、本物の肉とくっ付ければ、騙されるお客様も多いんじゃないか。

専務 そうですね。材料さえ研究すれば上手くいくかも知れませんな。君、要するにお客様にバレなければいいんだ。バレなければ、工業用の接着剤でも構わない。強力で噛み応えのある硬さになり、焼いても臭いが出なけりゃいいんだからね。

料理長A 発がん性があるゼリータイプをすでに買ってあります。それに、半分が本物で半分が偽物じゃバレやすいから、歌舞伎の幕みたいに短冊風にしてくっ付ければ、まったくバレませんよ。

社長 そりゃいい。さっそく研究したまえ。採用されたら君に金賞を与えるぞ。

料理長A ありがとうございます。(下がる)

××××××

料理長B (出てきてステーキの皿を二人のテーブルに乗せ)お召し上がりください。

社長 (皿を見て)なんだい、このド派手な皿は?

料理長B 全面鏡となっております。しかも前方の衝立は高さ15センチの鏡となっております。電飾付きです。

専務 オッ! 肉を食い始めたら、ピカピカ点滅し始めたぞ! 

社長 驚いた。衝立の向うにステーキを食べる私が映っている!

料理長B すなわち社長は、150グラムのステーキを食べながら、同時に鏡の向うの150グラムのステーキも食べていることになります。すると、どのような結果となるでしょうか?

社長 つまり、お客様は、合わせて300グラムのステーキを食べていることになるな。

料理長B さようでございます。

専務 しかし君、鏡のお客様は実際のお客様ではない!

料理長B いえ、それは鏡に映った実際のお客様です。

専務 いや、虚像だ!

料理長B じゃあ、それは誰です?

専務 私だ。

料理長B なら専務じゃないですか。つまり、いま専務は合わせて300グラムのステーキを食べていることになります。

専務 でも、それは私の分身だ!

料理長B 分身だろうが虚像だろうが本物だろうが、それは専務に所属する専務の従属物です。そいつがカネを払わずに食ってれば、無銭飲食じゃんか!

社長 なるほど、お客様の分身が無銭飲食しているんなら、本来300グラムあるはずの肉を150グラムずつに分けて食ってれば、分身は罪に問われることもないな。

料理長B さようです。お客様を訴える必要はありません。しかもお客様は分身と分け合って食べているのですから、150グラムであっても文句は言えません。もちろん、ちゃんとしたステーキですから、羊頭狗肉ということもございません。

専務 しかしだよ君、こんな凝った皿をチェーン店分作ったら、破産しちまうぜ!

社長 いやいや、型押しでピカピカな金属プレートにすれば、そんなに掛からないかもしれんよ。君、さっそく食器問屋に問い合わせてくれたまえ。安ければ、君が金賞だぞ。

料理長B ありがとうございます。電飾付きと、電飾ナシで見積もりを取ります。 

社長 どっちにしても、虚像の肉は大きく映るように、工夫したまえ、合わせて1キロ以上になってもいいんだからね。

料理長B 承知いたしました。凹面鏡仕立てで注文いたします。(下がる)

××××××

料理長C (出てきてステーキの皿を二人のテーブルに乗せ)お召し上がりください。

社長 オッ! このステーキは当社のステーキとはソースが異なるようだが……。

料理長C すき焼きをヒントに醤油、みりん、酒でニンニクと玉ねぎを飴色になるまで煮詰めたシャリアピンステーキでございます。

専務 つまり、玉ねぎのミジンで牛肉を柔らかくしたということだね。でも、それで150グラムが300グラムにふやけるとは思えないが……。

社長 (専務に)しかし専務、見てくれは十分400グラムある感じだな。(料理長Cに)何グラム?

料理長C  150グラムです。肉の嵩を倍増するには安肉を柔らかくする必要があり、玉ねぎのミジンに10時間漬け込みました。

専務 けど君、うちの売りは歯ごたえのあるステーキだよ。

料理長C いいんです。それ、何の肉だと思います?

専務 牛の安肉だろ。

料理長C ブーブーッ! もっと安い豚です。しかもさらに安い廉価品。

社長・専務 ウッソーッ!

料理長C (腕を叩き)腕ですよ、腕! 犬の肉でも神戸牛にして見せます。

社長 大した腕だ! 結局、旨けりゃいいんだからな。いや、バレなきゃいいんだ。(食べて)ウマッ! しかも300グラム以上に見える。これは凄いな。金賞だ。

専務 ウマッ! 金賞ですね。でも、どうやって豚肉を大きくさせたんだい?

料理長C 簡単です。上から見て300グラムに見える150グラムの薄肉の断面に切れ込みを入れ、袋状にします。

社長 ふんふん、お稲荷さんを作る感じね。

料理長C はい。で、そこにシャリアピンソースを詰めた動物の膀胱を3袋詰め込み、切り口からはみ出さないようにしてポワレします。もちろん、細い手術用の糸でしっかり結びます。詰めるソースはメリケン粉で肉の硬さにします。

専務 なんだいメリケン粉って。

料理長C やーだ、そのお歳で驚きました。国語辞典で調べてください。

専務 無教養といいたいんだな。まあいい。しかし手術の糸は、自然と溶けるんだろ?

料理長C いえ、あれは高額なんで、別に溶けなくてもいいです。お客様はスジだと思って飲み込みます。我がチェーン店の客層は、そんなもんです。最後に、ソースを上からたっぶりかければ、出来上がり。ソースさえ美味ければ、我がチェーン店の客層は、誰も文句はいいません。

社長 (完食し)ウマッ! 満足感は300グラム以上だ。君は金賞ものだな。

専務 (完食し)確かに、大満足ですな。金賞だ! 糸も気にならないで飲み込んじゃった。…で君、その膀胱ってのは、何の膀胱だね?

料理長C いろいろ、やってみたんですが、これが一番良かったんです。最初は魚の浮袋にしてみたんですが、臭くってね。次に豚とかヒツジの膀胱、腸と色々やったけど、硬過ぎてお客様にバレそうで、試行錯誤の末にようやく理想的な食材が見つかりました。

専務 で、何の膀胱にしたん?

料理長C あのう、家の横のどぶ川にドブネズミさんがたくさんいましてね。そいつをちょっと……。

専務 ゲゲゲゲーッ! (飛び上がって、トイレに駆け込む)

社長 なんだアイツ! 会社存亡の危機なのにさ。食うのはお客様だろ。君、いいんじゃないの? それで材料は手に入るのかね。

料理長C 近所のネズミ駆除会社に頼めば、新鮮な膀胱がタダで手に入ります。ほかの部分もミンチにすれば、何かに使えかもしれません。

二人 ネズミハンバーグ!(二人は悪魔のように笑う)

料理長C さっそく、入荷に行ってきます。

社長 (立ち上がって見送り)ありがとう、いってらっしゃい! (急に呼吸ができなくなって)アアアッ、息ができない! なんか、膀胱が気管支に入り込んだみたい! 豚ペスト、いや豚コレラだ! アアア苦しい、救急車、救急車! (倒れる)

料理長C (戻ってきて様子をうかがい、携帯で)すいませ~ん、霊急車一台お願いします。うちの社長がネコイラズを食べて死にました! ネコイラズが分からない? 自殺したってことです。警察も呼んでください。エエ、倒産直前の会社です。多分ノイローゼです。

(ほかのコンテスタントも出てきて料理長Cとハグし、拍手で専務を出迎える)

専務 さあ、ボンスケ社長は消えた。みんな、新規体制で出直しだ!

料理長C 頑張るぞ!

全員 エイエイオウ!(拳を振り上げ、幕)

(了)

 

 

ショートエレジー
地獄(天国)にさようなら

(玉巻の繭たちは首と手を出し、荒涼とした起伏ある舞台に長槍を持ち、達磨のように立っている。様々な色の光が遠雷として点滅する背景は集中治療室。繭たちは様々な色の糸で繋がり、その糸は束になって様々な方角へと広がっている)

男繭1 俺の体を絡め取る光ケーブルは、時たま俺の首を絞めつけやがるが、それは俺の周りに溢れるお前らの誰かが、無駄足掻きして引っ張るからだ。往生際が悪いぞ!

女繭1 その糸の色は?

男繭1 赤!

女繭1 (自分の赤糸を引っ張って男を弄びながら)これね。仕方ないわ、みんな退屈なんだから。じっとはできないもの……。入力もあれば出力もある。お口もあればお尻もある。出物腫れ物所嫌わず。(思い切り引っ張り、男繭1はイテテッと悲鳴を上げる)

男繭1 俺はお前に首ったけ。

女繭1 ザンネーン! 振られ男。

男繭2 ハハハ、赤いのも含めて入力、出力ともハサミでバッサリ切っちまえ!

男繭1 バカコケ! 沢山すぎて、何本あるか分かりゃしない。とりあえず、振られた赤は切るか。冷酷な女はタイプじゃないもの。オッサン、ハサミ持ってる?

男繭2 ないね。

女繭2 (ハサミを投げ)ホラ、切ったら返してね。でも全部切ったら、ここじゃ死んじまう。

男繭1 地獄へのご招待、ありがとさん。いや、ここは生き地獄か……。(赤糸も切らず、ハサミを投げ返し)しかしまだ、決めかねておる。

女繭1 お切りなさいな。それともストーカー?

男繭1 ご冗談。(女繭2に)またあんたは、ずいぶん切っちょるなあ。

女繭2 出力系はほぼ切っちまった。あたし、入力以外興味ないの。出力って面倒じゃん。余分なエネルギー使うから、疲れるんだ。でもさ、あんたと話ができるのは、少しだけ残していたからさ。

女繭1 そいつで推し活ぐらいしたら? もっといい男をさ!

女繭2 そんな男、どこにいるのさ。

男繭3 反対に僕は、入力糸を大分切っちまったんだ。夢ばかり見て、出力し続けるタイプなのさ。

女繭1 詩人かよ。それとも退屈しのぎ?

男繭3 そう。それにストレス解消。入力系を切ったのは、僕を侮辱する奴が多かったから……。

男繭1 侮辱は大いに受けたまえ。嫌がってたら成長せんよ。しかし君は、温室育ちのおバカさんなのに、ラッキーだった。偶然、黒の入力糸を切らなかった。

男繭3 何です、その黒い糸。

男繭1 オマンマを送ってくれる糸さ。胃に直接ぶっ刺さる!

女繭3 ウソコケ! ほら、あすこの繭、見てごらんなさいな。入力も出力も1本もないわよ。顔も出しちゃいない。でも生きてる。あなたも真似て、まずはウザい入力糸を全部切っちゃえ!

男繭3 確かにあいつ、世間から断絶してる。なのに右手だけ出してさ、手招きする。しかもなんだよ、中指に大きな金の指輪ハメてさ。チャラい奴!

女繭3 あんたも真似すりゃ、素敵な指輪をゲットできるわ。欲しいでしょ?

男繭2 魔女姉さんの囁きに乗っちゃいけないぜ。やったら破滅だ。君に対するマシな反応も、まったく届かなくなる。君はただ狂ったように、がなり立てるだけだ。それって、怖くネ?  

男繭3 それって、全世界が僕の夢を無視するってこと? いや、全世界の反応に、自分が耳を塞ぐってことだ。まるでどこかの大統領か、裸の王様。想像しただけで寒気がする。ブルブルブル……。

女繭1 あたしあの指輪、知ってる。あいつ、突然右手の中指を天に向けで、首と左手を引っ込めたの。きっと何かのおまじない。すると天から指輪が降ってきてさ、あの指に上手くハマったんだ。途端に糸が勝手にどんどんプチプチ切れてさ、消えてった。

女繭2 なにそれ、天国行き? それとも進化?

女繭1 神様をクタバレッて侮辱して、指輪をゲットしたんよ。

男繭1 ウソだウソだ! ほら俺の隣のこのもぬけの空の繭を見ろよ。そこから出てる糸は、未だに俺と繋がってるぜ。でも、繭の中身は腐って消えちまった。もちろん話もできない。(引っ張って繭を振り)ほら、骸骨さんがカランコロン笑ってる。戦友だったのさ。骨も糸もブルージェイズも永久に残る。縁は切れても過去の悔しさは消え去らない。

男繭3 そいつの死因は?

男繭1 世界中から来たバッシングの津波。集中攻撃で一コロだ。きっと未練があるんだな。干物になっても俺と繋がってるぜ。

女繭2 嗚呼、呪縛霊。悲しい話だねえ……。

女繭1 でも、あっちのお方は念力だ。念力で魂も消せるんだってさ。念力専用の糸があるんだよ。それだけ残して、あとの糸は消しちまった。過去も未来も、しがらみを全部。

男繭1 ウソコケ! 一本も繋がってないぜ。どこに念力の糸があるんだよ!

男繭2 バカだなお前。念力は空中を飛び交うんだ。空中戦に糸なんざ必要ない。

男繭3 じゃあ、そのミサイルを得る方法は?

女繭1 おまじない。確かファックサインして「いらん抵抗はせず、石器時代に戻れ!」だったかなあ……。

女繭3 やめなさいよ! 縁起でもない。ああなっちゃうよ。

男繭1 まずはこう叫ぶんだ。「この糞ったれな世の中よ!」ってな。

男繭2 それから、体中に繋がる糸を数えていく。

女繭2 いったい何本、こんなのがくっ付いてるの? 思い出した。あたし、家に爆弾が当たって、集中治療室に入ってるんだったっけ……。

男繭1 (女繭2に)お前、手も足もなくてさ。これからどうやって生きていくん。

女繭1 そんな体にした責任は、誰にあるの?

女繭2 アイツら!

女繭3 いえ、人間にはないわ。すべての責任は神様にあるんだ。さあ君は神様に見捨てられ、君も神様を見捨てようとしてるわ。それなら、神様を呪うことから始めましょうね。

男繭3 (ファックサインをして)いらん抵抗はせず、石器時代に戻れ!

(突然天から光が差し、男繭3は二つに割れて本来の姿を現し、雁字搦めから解放される。同時に達磨さんの繭も割れて中から仙人のような老人が出てくる)

男繭3 貴方は?

新人類 神が死んだ世界に出でたる超人です。世の中の全てのしがらみから解放された、真の自由人。テレパシーの力で世界中の悲しみを入力し、巨大な思考回路の中でその汚れ物を回しながら真っさらな忘却にリサイクルし続ける新人類です。

男繭3 真っさらなのは、希望と幸福ではないのですか?

新人類 そんなものは神様の戯言です。新人類は、未来を見つめて永遠に回帰する軌道を走り続け、決して後ろを振り向かない。過去を振り返るのは、死にゆく者です。そこには骸骨しか転がってはいない。

男繭2 この骸骨みたいな爺さんが、新人類かよ! 悲しみなんて、忘れる以外にないのさ。当たり前のことだ。

男繭3 で、新人類は再生ですか? 生まれ変わることですか? あるいは、文明が滅び去ることですか?

新人類 再生も復活も、神様の言葉です。すべては滅び去り、別の所から新しい何かが芽生えます。いま人類に求められているのは、断ち切ることなのです。文明のしがらみをバッサリと断ち、新人類として、土から生まれて進化し直すことです。宇宙では、地球人のファックサインはバルカン星人のV挨拶と同じ「長寿と繁栄」を意味します。しかしそれは、貴方たち人類の進化が終焉し、地球文明をいったんすべからく滅亡させ、極めて必然的かつ平和的に、新たな人類の誕生と進化に移行させることを意味します。私とあなたは新人類で、その他の方々は旧人類です。さあ、あなたの中指を見てください。

男繭3 驚いた。僕の中指に金の指輪がハマっている……。

女繭3 その指輪は何なの?

男繭2 さあ何でしょう……。きっとライン川に投げ捨てた黄金の指輪さ。

新人類 いえ、それは一人一人に課せられた、狭き門なのです。神は狭き門より入らなければ救われないと説きました。しかし神の死んだいま、神のお導きはAIのお導きに変わりました。

男繭3 つまり僕って……。

女繭1 (笑って)あんた中指だけ、狭き門を通過中ね。

男繭1 救われました。黄金のAI指輪様に、かよ……。

新人類 まさに! これからこの星の民は、AIリングの下(もと)で生きることになります。新人類の「長寿と繁栄」を叶える指輪です。蛸の足に第二の脳味噌があるように、貴方の指に第二の偉大な知性が生まれたのです。そしてそれは、火の神から盗んだ火の文明からも、盗賊の心からも、人殺しの心からも汚されない指輪です。地上のあらゆるしがらみから解放され、共に自由に平和に、理解し合い、許し合いながら生きていくのです。あなたにとって指輪は、旧人類の脳味噌を支配する、新人類の中枢なのです。

男繭3 それはきっと、僕の脳味噌が石器時代の感性に戻るってことですね。蛇に騙される前のアダムとイブ。なら、この指輪は知恵の実です。食べずに身に付ける知恵の実だ!

新人類 そう、しかしそれは最終バージョンです。アダムとイブを、神の位置まで引き上げる知恵の実だ。指輪はスマホの進化したもので、最終的には神ってるリングとなりました。使いこなすことは必要なく、自然体で委ねるのです。リングはあなたの無意識に入り込み、あなたの夢や欲望、苦痛、不満を理解して、ほかの人々との協調を図りながら、最高のコンディションに導きます。あなたは善の神に支配され、操縦されるのです。それは下等動物と変わらぬ一からの出直しですが、感覚的には大きな進化です。なぜなら、悲しみは消え、満足感に満たされ、幸せだけになります。幸せのエキスに浸かった喜びの人生です。神は、それは天国にあるとうそぶいて、死にました。その後継者であるAIリング様は、神の主張する天国を、現実という地上に下ろしたのです。

女繭2 地上天国だわ!

新人類 まさに! そして同時に、神の主張する地獄は一瞬にして消滅します。すなわち地上が天国なら、その住人はすべからく天国の住人です。地球では諍いも戦争もなくなり、地球人はあまねく仲良く、平和に暮らすことになります。さあ皆さん、人類はAIの支配下に入りました。神は死に、迷信も滅び、人々の心から憎しみも悲しみも消え去り、これからあなた方はAIの慈悲の下に100万年王国を築くことになります。皆さん、ファックサインを天に向け、呪文を唱えてください。

全員 (ファックサインして)いらん抵抗はせず、石器時代に戻れ! 

(全員が金の指輪をゲットし、繭は割れて人類のしがらみから解放される)

新人類 AIリング様、万歳!

全員 バンザーイ! スマホの最終バージョン、なんでも叶う指輪様だ。バンザーイ!

闇の声 ありがとさんネ!

男繭3 チョチョチョ、いまの声、誰なの?

闇の声 新しい神様だよ。

女繭3 神様は死んだはずでしょ!

新人類 それが分からないんですよねえ……。多分、スマホ会社の社長さんでしょ。

男繭1 ひょっとして、ディープステート?

男繭3 ディープステートなら、麻薬の売人かも……。

男繭2 この太った指輪は麻薬タンクで、じわりじわりと中指に……、なんちゃってね。

女繭3 ご冗談。

女繭1 まあ、いっか! この指輪、タダだもの。

女繭2 タダで幸せになれるんだ!

全員 キッモチいい! 新たな人類の誕生だ!

(「春の祭典」の終幕音楽に乗って、全員喜びの叫びとともに踊り始め、クラッカーが鳴り、バッカス的狂乱舞の中で幕)

(了)

 

 

響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体一一〇〇円+税)
電子書籍も発売中