詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー 「枯山水」& 詩

エッセー
枯山水

 陽気が良かったので、久しぶりにぶらぶらと散歩を楽しんだ。すると、近くにある大きな家の庭が雑草に蹂躙されて、荒れ放題になっていることに気付かされた。高齢のご夫婦が住んでいて、奥さんがこまめに庭の手入れをしていたのだが、いつの間にか空き家になっている。たぶんお二人で高齢者施設にでも入られたのだろう。

 僕はしばらくの間佇んで記憶にある以前の庭を思い出し、背の高い雑草が支配する殺伐とした光景を眺めながら、ふと『奥の細道』の「夏草やつわものどもが夢の跡」や「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」という一節を思い浮かべた。義経のような武将でなくとも、市井の人々にもそれぞれの人生で輝いていた時期はあったに違いない。このご夫婦も長い間幸せな家庭を築いていて、ゆとりのある暮らしが手入れの行き届いた庭に反映していた。経済的に破綻したり夫婦仲が悪かったりすると、家屋敷はたちまち荒れると言われる。このご夫婦の場合は、「寄る年波」という自然の摂理には勝てず、住み慣れた家を去ったということになる。

 僕がこの庭にしばらく見とれていたのは、きっと芭蕉が草茫々の城跡に感じたものと同じく、仏教的な無常観を覚えたからなのだろう。平安時代の恋愛文学でも、恋人の来なくなった女性の家を表現するのに荒れ放題の庭の様子が書かれたりするが、庭というものは家人の意に反して、家庭の事情を道行く人に知らしめる情報の役目を果たしているものかもしれない。通行人はその光景を見て、大なり小なり無常観のようなものを感じる。誰でも壮年期を経て老年期を迎えなければならないし、荒れ果てた庭はかつての幸せな生活が失せた抜け殻を連想させるからだ。

 だから富や権力を誇る王様は、広大な庭を造ってその維持に金をかけ、俺はまだ凋落していないぞ、との自己アピールに余念がなかった。特に文明間の衝突を繰り返してきた西洋では、厳しい自然を征服することは厄介な異民族を支配することにも等しく、伸び放題の樹木はそれらと同じ御し難さを感じたのだろう。彼らは自然を手なずけるように池や樹木を左右対称に配置し、枝は徹底的に刈り込んだ。そして規則性を一分の隙もなく維持することが、権勢の永続性にも繋がると思っていた。

 一方で、農耕民族の血が濃い日本では昔から自然との共存意識が強く、仏教由来の浄土や禅の思想とも相まって、自然を征服対象とはしない中国庭園の考えを基本コンセプトに庭造りを進めていった。限られた敷地内に、その土地の形状を生かしながら、島のある池を中心に庭石や築山などを巧みに使って自然の営みを再現し、四季折々の景色を楽しめるようにしている。だから剪定にしたって、木々が自然の形をとどめたまま美しい姿に成長することをイメージし、日当たりや風通しなども考えて、余分な枝や衰えた枝を切り落としていく。しかしメンテナンスを怠ればたちまち理想的な景観が崩れてしまうのは、西洋庭園と変わらない。木が枝を広げるのは、そばの木を枯らして太陽を独り占めするためで、庭の主人は秩序を乱す構成メンバーを許すはずがない。神社のご神木なら神主よりも偉いから、勝手気ままに成長しても枝を切られることはないだろう。

 日本庭園のコンセプトを象徴するのが枯山水だ。これは大名屋敷の広大な名園とは似て非なる意味合いを持っている。大名庭園は自分の屋敷の中に自然の景観を取り入れ、家人が楽しむと同時に部下にも見せて権勢を誇示する目的があった。これに対して枯山水は、イメージを共有する庭師(僧)の技を借りて、内なる心を外に表わし、五感を通して再び内に戻し入れ、いまの心境をじっくりと味わうものだ。人は枯山水を通して、自分自身の心を見る。その心は「わびさび」と言われている。「わび」は栄華とは真逆のわびしさや質素な趣を表していて、自分の思い通りにならない現状を静かに受け入れ、悲観することなく人生の糧として楽しむ心だ。「さび」は無常観と孤独感からくる寂しさを趣として楽しむ心だ。きっとニーチェが生きていたら、「弱者によるルサンチマンの反逆」などと揶揄されそうだが、ヒトラープーチンを見れば分かるように、強者がどんなに栄華を誇っても「おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」になるのだから、枯山水に感ずる美意識を持ち続けるのは意味のないことでもないだろう。

 誰でも若い頃は「力への意志」が旺盛だが、それが叶わなかったときには挫折し、これまでの野心は消失して、カッカとしていた頭も冷えていく。そのとき、醒めていく情熱の片隅に佇む悟りの心境が、鈍く輝きながらある種の美しさで現われてくる。川には青々とした水がなく、山には緑のないモノクロームの世界だが、ピカソが『ゲルニカ』で描いたモノクロームとは異なる世界だ。『ゲルニカ』の色は、「力への意志」を実行したナチス空爆が、市民の生を吹き飛ばした死の色で、それは絶望の色でもある。枯山水は「力への意志」を邪念として、それを払ったときにようやく訪れる無我の色だ。どんなに人生を楽しもうが、最後は衰えて死んでいくのだし、そうした喜怒哀楽を越えた無我の境地が、岩と砂で簡潔に表現されているのだ。

 こうしてみると、竜安寺の石庭はベルサイユ宮殿の噴水庭園の対極にある庭であることが分かる。ルイ14世は10キロ離れたセーヌ川から水を引いて巨大な噴水を造り、貴族を周りに住まわせて庶民も自由に入場できるようにし、その豪華さで人々を驚嘆させ、王朝の権勢を誇示した。徹底的に樹木を刈り込み、「反抗するとこのように首を刈るぞ」と貴族を脅したものの、その孫は庶民によって首を刈られた。こうした西洋庭園は、一糸乱れぬ軍事パレードの背景には相応しいだろう。統率された軍の行進と徹底的に刈り込まれた樹木、左右対称の池や豪華な宮殿等々、すべてが絶大な富と権力を象徴しているからだ。

 これに対して竜安寺の石庭は、一人で座って沈思黙考する場を提供してくれるが、こんな所に軍隊がやって来れば討ち入りになってしまう。もっとも、いつも観光客でごった返していて、一般人が沈思黙考できる状態ではない。しかし、ほかの日本庭園だって、軍事パレードとの相性が良いはずはない。基本的にそれは自然の景色なのだから、隊列を作る連中は無用だし、そこに佇む人々は身も心も自然に溶け込むことを求められる。

 生まれてから死ぬまでの長い人生の中で、人間の欲望は常に二つの心の間を揺れ動いている。サプライズに溢れた奢れる日々を求める心と、質実な生活に甘んじようとする心だ。そうした二つの心を満足させる場として、庭も造られてきた歴史があったに違いない。ときには華やかに、ときには純朴に。ちょうどベルサイユ宮の絢爛豪華な噴水庭園の近くに、マリー・アントワネットが愛した田舎風の庭があったように……


未知との遭遇

異星人どうしが惹かれ合うのだから
ほとんど好奇心に近いものさ
理解し合えるとすれば
皮膚の上を滑っていく 軽く快い 
意味のないシニフィアン・ミュージック
君はしかし 時たま遠い故郷を思い出し
分かり合えた仲間たちの会話を懐かしむだろう
いいや君も僕も生まれたのは蒼々としたこの星だ

一番鳥が時を告げると獣たちはいっせいに目を覚まし
鉛色の妄想から逃れようとせかせか体を動かしはじめる
それがこの星の上手な利用方法なのだから…
けれど暗闇好きな夜行動物たちは確かに息づき
不器用ながらも頑固に生きている
太陽の恐ろしさを知って目をしっかり閉じ
雷の恐ろしさを知って耳をしっかり塞ぐ
ヤマアラシみたいに全身針にして じっとじっと夜を待つ

思い描くのはまだ知らない故郷 きっと祖先はそこから来たと願う
さあ帰ろう 安らぎの故郷へ さようなら不可思議な君と君たち
酸素が多すぎるこの世界は 昼ごもりの動物には息苦しいのさ
彼らの故郷はさほど遠くない未知の暗黒星雲――微少酸素空間

阿波踊り

一年に一度
阿呆どもが
あらゆる虚飾を脱ぎ捨て
まことの自分をさらけ出す
この大いなるカタルシス
所詮持っているものは
これだけという
人間の悲しさよ

虚飾と虚飾がぶつかり合い
時間だけが食われていく
これだけという
社会の虚しさよ…

PIETA

この醜さを哀れんでください
…同情は人が獣でない証だから
この渇望を哀れんでください
…慈しみは人だけの愛のかたちなのだから
この憎しみを哀れんでください
…賢しさは人が授かった望みの一滴だから
この激しさを哀れんでください
…皮肉は人が育む理想の糊代だから
この惨たらしい結末を哀れんでください
諦念は人が土となるための通過儀礼なのだから…

敗残兵
(戦争レクイエムより)

暗闇の中で
タッタッタと雫の落ちる音がする
規則的な間隔で不規則なトーンで
ひとつの悲しいメロディーになって
頭の奥深くまで響き渡る
グレゴリア聖歌の死の旋律を真似ている
タッタッタ 勇ましい騎兵隊の行進にも聞こえる
狭い狭いカラカラの洞穴で 誰かが焼け付く喉をゴクリと動かす
タッタッタ 誰もが恵みの雨を連想する
タッタッタ それは砂の上に水が落ちる音だ
タッタッタ 嗚呼もったいない たちまち砂に吸い込まれちまう
タッタッ…、突然数個の音が飛んで闇に消え
不気味な沈黙がみんなを包み込む
誰かが雫の下で口を開けた大馬鹿者を連想した
誰かが笑うとみんなが笑い シーッと怒るとみんな黙る
タッタッタ 死の旋律はもうすぐフィーネにさしかかる
ドサリと倒れる音はエンディングの不協和音
嗚呼また一人、みんなの誰かが消え去った
いつもと変わらぬアクシデントのように……

断食芸人

僕はあるとき気が付いた
人類は大きな思い違いをしていることに…
地球上の生物 とりわけ人間は
食べなくては生きていけないという思い違い
考えなければ生きていけないという思い違いだ
あるいは 動かなければ生きていけないという思い違い
さらには 愛さないと生きていけないという思い違いも…

人類は思い違いをすることで
どれだけ苦痛を強いられていることだろう
食わなければ死んじまう 考えなければ死んじまう 
動かなければ死んじまう 愛さなければ死んじまう
バカな 誰がそんなウソッパチを言いふらしたのだ
君たちは強迫観念に苛まれ たちまち殺し合いを始め 生き残ろうとするのだ
たらふく食べ たらふく妄想し たらふく動き たらふく愛することが幸せか 
大きな大きな不幸をもたらすだけさ 

君たちは僕のように路傍の草となって ひっそり呼吸をするべきだろう
何も食べず 何も考えず 何も動かさず 何も求めない
ひたすら自然の中に溶け込もうと透明になっていく
自然が胸襟を開き 僕がすっかり自然の一部となったときに 
人々は僕を忘れ 僕は彼らの異形に体を震わせる
僕は理解するのだ 悲しき人間たちの行く末を
自然とかけ離れた迫力の彼らが、二度と自然に戻れないことを
追放者たちよ 大いに奪い合い、騙し、争い、求め合うがいい
たらふく食べ、たらふく夢み、たらふく動き、たらふく愛し、たちまち滅びよ

 

 

 

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エッセー「百毒繚乱」& 詩ほか

エッセー
百毒繚乱

 北国では雪が融け、茶色一色で満たされていた野原のあちらこちらから、黄や緑の淡い色合いが現われ始めてきた。その瑞々しさに胸ときめかす人も多いに違いない。反対に、茶系統の色を綺麗な色と思わないのは、それが死んで枯れた植物の色だからだろう。草の多くが、冬になると水分を吸収する力を失って枯れていく。それは寿命という自然の循環システムだが、気まぐれな天気のせいで干ばつにでもなれば、土台の土からも水分が失われ、冬を待たずに枯れていく。そしてそれらはすべて、潤いのない茶色という汚らしい色調に統一される。

 きっと人間だけでなく、草食動物も肉食動物も、猿や熊のような雑食動物も、茶色を綺麗だとは思わず、緑色を見て胸ときめかすに違いない。緑色は苛酷な冬を凌いだ生命を象徴する色だ。草食動物にも雑食動物にも緑したたる植物たちは生きる糧だし、肉食動物にとってもそこに集う草食動物が糧になる。さらに、草食動物の胃袋に溜まった緑色のお粥は、肉食連中のビタミン剤でもある。そして彼らの仲間が死んだときにも、潤いのある色調が徐々に失われ、最後には干からびた茶色になるのを知っているだろう。茶色はミイラとか、死を象徴する色でもある。

 ならば緑を育む大地の色はどうだろう。土は茶色だと日本人は思っているが、酸化した鉄分のせいなので、鉄分が少ない地域ではきっと灰色になるだろうし、含まれる鉱物によって、黒だとか赤だとか地方ごとにいろんな色があるという話だ。でも、住んでいる人たちは、それをさほど綺麗だとは思わないだろう。草の生えない土は、厳しい環境を意味するから。僕自身、むき出した土の広場や崖を綺麗と思ったことはない。子供の頃はそんな地面で遊んでいたが、泥だらけになって家に帰ると母親に叱られた。広場は毎日子供たちが蹂躙するので硬い土のままだが、普通はすぐに草が生え、緑で覆われる。そして昆虫たちが集まり、それを目当てに小鳥たちが飛んできて、それを狙って野良猫も集まり、たちまち小さな生態系が形成される。

 多くの人が裸の土に違和感があるのは、普通は雑草が生えて緑で覆われるからだ。草が生えないのは、それを阻む何かしらの理由が存在する。寒すぎたり水がなかったり、陽が差さなかったりすれば生えないが、それらに耐性のある植物だったら生えるに違いない。しかし、厳しい気象条件がなくても草がまったく生えないとなれば、人も動物も不気味に思うだろう。普通ではありえないことで、ふだん見ることのない景色を見てしまったことに対して本能的に恐怖を感じる。我々動物は五感を通じて危険を察知する。腐った食べ物は臭いで分かるし、入るべきでない場所は目で判断できる。それらの五感から得る結論は「死」だ。

 そんな場所には死んでしまった土が横たわっている。土にも生死があるのだ。水気のない沙漠は死んだ土だから植物が育たない。植物が生えるには太陽と水だけでなく、土の中で生活するミミズや線虫、菌根菌などの土壌微生物も必要だ。だから沙漠に植樹しても、成長した木が葉っぱを落として、そいつを分解する生き物や微生物がいる循環システムができるまでは、人が面倒を見なければならなくなる。たくさん植樹しても雨が降らなければ、永遠に水を与え続けることになるだろう。

 ところが周囲の土地には植物が生えて、そこだけがずっと赤土だとすると、そいつは不気味な現象になる。誰もがそれを見て、自然の摂理に反すると思う。その土はきっと死んでいて、草はもちろんミミズも微生物も生きていられないということになるからだ。きっと原因のほとんどは毒物だ。例えは火山や温泉地で硫化水素の出るところは独特の硫黄臭がし、「賽の河原」とか「地獄谷」とか呼ばれて観光地になるが、人が訪れるのは、その異様な景色が地獄みたいな不気味さをたたえているからだ。毒気のある湯気で付近の植物は育たないし、近くの小川に魚も棲まず、淀んだ硫化水素でまれに人が死ぬこともある。この毒はウラン鉱の放射能や地下水に含まれる有害な鉱物とともに、自然由来の毒ということになる。

 しかし草が育たない場所に温泉も有毒な天然鉱物の地下水も流れていないとなれば、その原因のほとんどが人由来だろう。誰かがそこに毒物を埋めたか、地下水に毒物を流したか、あるいは化学工場の跡地だったり、付近の工場から近くの川に毒物が流れ込んだりだとか、結局そんな原因に行き着いてしまう。水俣病(水銀)やイタイイタイ病カドミウム)などは、公害訴訟となって世界的にも名を知られたが、土の異常がなくても、水俣病では最初に魚好きの猫がおかしくなり、イタイイタイ病では飼い馬が骨折したり、付近の鉄橋がやたら錆びるなど、不気味な予兆を人々は感じていたという。

 ウクライナのチョルノービリ原発は1986年に爆発したが、木が育たない「赤い森」と呼ばれる汚染地域に最近進攻したロシア軍が塹壕を掘り、土ぼこりを吸い込んだ若い兵士たちが被曝した。これは無知な上官の命令によるものだが、ここら辺の土は微生物が少なく、埋めた遺体も腐らないと噂されている。また、1955年から20年間に及んだベトナム戦争では、ジャングルに潜む敵兵を炙り出そうと米軍は枯葉剤を空中散布し、付近では奇形児の生まれるケースが急増した。

 第二次世界大戦末期、中国大陸から日本軍が撤退するときに化学爆弾を地中に埋めたため、それを知らずに土を掘り返した農民が汚染されるケースも未だにあり、日本政府は処理に追われている。ずいぶんの量を作ったものだ。毒はシェイクスピアの戯曲でもおなじみだが、ヨーロッパでは錬金術の伝統もあり、当時の貴族は敵将を殺すために盛んに研究して化学も進化した。いまでもこの伝統はしっかり引き継がれ、ロシアがウクライナ戦争で使用するのではないかと危惧されている。ロシアは化学兵器禁止条約に加盟しながら陰で作っているらしいし、すでに逃亡スパイや反体制の政治家・ジャーナリストの暗殺に使ったと疑われている。

 こうした毒物の多くは即効性だが、匙加減で遅効性の毒にもなる。硫化水素は猛毒だが微風で飛んでしまうので、地獄谷が観光地として成り立っているわけだ。昔ナポレオンの死因を調べた学者が、骨に溜まったヒ素の量から毒殺説を主張したが、従来どおり胃がん説に落ち着いた。当時のワイン樽はヒ素で洗っていたらしく、ワイン好きのナポレオンの骨にヒ素が溜まっても不思議ではないとの結論だ。でも「和歌山毒カレー事件」にも見られるようにヒ素が猛毒なのは事実で、胃がんになった原因はヒ素かもしれない。

 「薬は毒だ」と言う人がいるが、毒か薬か分からない物質から特効薬が開発されるわけで、当然副作用は付き物だ。それに、猛毒を薄めれば薬になることもある。トリカブトなどは漢方薬に使われるし、ヘビの毒だって、その成分が降圧剤や鎮痛剤に使われたり、手術の際の組織接着剤に使われたりしている。抗がん剤は正常細胞ともどもがん細胞を殺す毒だし、一般的なワクチンは死んだり弱めたりしたウイルスやばい菌を体に入れて免疫細胞を特訓し、これから侵入するだろうウイルスなどに備える薬剤だ。だから抗がん剤もワクチンも人によっては副作用が厳しく、使うか使わないかはご本人の最終判断に委ねられている。

 こうしてみると、人を殺すものも人を救うものも、世の中には多種多様な毒が存在している。殺すことに特化して言えば、即効毒はすぐに分かるから判断しやすいが、問題は遅効性の毒物だ。この種の毒は判断が付きにくく、毒であることを知らずに使って命を縮めてきた時代もあった。それらの多くが個性的な特徴を持っていて、見た目で効くと思われ薬になっている。ヒ素や水銀は古代中国で長寿の秘薬だったし、秦の始皇帝は水銀を長年愛飲し早死にしている。

 古代ローマの水道管は純度の高い鉛で作られ、人々は脳をやられてローマ帝国の文明が滅びたと言われている。しかし、当時の甘味料に鉛が含まれていたからだとか、ワインの醸造鍋に鉛を使っていたからだとか、そもそも彼らの遺骨に鉛が多く含まれていた事実はないと主張する学者もいたりして、真相は分からない。鉛は柔らかくて加工しやすいため、昭和時代には子供たちが塊を手にして遊んでいたし、中には舐めたりかんだりする子供もいた。もっとも、いまの子供たちはもっと危ない道具で遊んでいる。最近「ゲーム脳」という医学用語を聞くが、ゲーム中毒で大脳皮質が薄くなるのなら、スマホだって毒仲間に入れて良さそうだ。

 鉛は白粉に混ぜると伸びが良く、昔の歌舞伎役者は鉛入りの白粉を使っていて、慢性鉛中毒で死んだりした。添加剤の鉛が禁止されたのは1934年のことだったという。水道管に戻れば、資金不足の水道局は今でも部分的に古い鉛管を使っていたりする。WHOのガイドラインに適合しているから安全だと主張するものの、僕は「ガイドライン」という言葉を信じていないので気味が悪い。このラインはご都合主義で上下するし、同じ事柄に対しても専門機関によって基準が異なるし、毒に対する感受性は人によってまちまちだ。コロナの重傷者基準が国と東京都で違っていたのを見れば分かるだろう。

 福島原発事故の汚染水放出問題だって、結局は「毒をどれくらい海で薄めれば安全になるか」ってなガイドラインに行き着いてしまう。漁民が反対したって、いずれは我慢できなくなって小便小僧みたいに無理やり放出するだろうが、安全といったって即効毒が遅効毒になるだけの話だ。空手漫画では敵の肝臓と脾臓の急所を突けば三年後に死ぬ技があったりしたが、毒物の世界でも一年殺し、三年殺し、十年殺し、二十年殺しなどなど、いったい何年殺しまで延長させれば、安全基準に適合するのかはお釈迦様でも知らんぜよ(古い表現ですが)。

 巷に出回っている健康食品だって、ひょっとしたらボディーブローのように寿命を縮めているかもしれない。いろんな医療団体のホームページを開くと、葉酸などのビタミン類、アミノ酸などを摂り過ぎるとがんになる、なんて怖い話を載せていたりする。大豆のイソフラボンを摂り過ぎると認知症になる、なんて話も最近ある。健康になろうと思って金を使い、いろいろ試してみても却って命を縮めるんじゃ、普通の食生活だけを続けたほうがよっぽど増しだ、と思ってもそうは問屋が許さない。薬問屋を金銭的に支えているのは健康志向の方々ですから。

 いまの時代、物流は世界規模なので食い物も世界中からやってくるから、農作物にはいろんな防虫剤やポストハーベスト農薬が降りかかっているし、お菓子にはいろんな発色剤や防腐剤、合成甘味料も添加されている。これらの多くは天然素材じゃなく、石油などから作る合成化学物質だ。日本はEUやアメリカほど厳しくないので、海外で禁止された化学薬品が日本では規制の対象になっていなかったりする。たとえば人工甘味料アスパルテームアメリカで禁止されたし、防腐剤の臭素酸カリウムはEUで禁止されている。皆さんも、かびないパンを見て気味が悪いと思ったことありません?(会社名は出しません)

 高邁な人は、高価な無農薬野菜を買ったり、地産地消で防腐剤の入っていない食品を食べたり、中には自給自足を楽しむ人もいるが、そのベースとなる畑だって昔と同じ自然の土だと思ったら大間違い。空気も水も地球を循環しているし、その中には石油・天然ガス由来の毒物や原発事故由来の放射性物質が紛れ込んでいるから、土壌だけが純であり続けるわけにはいかない。江戸時代の人々は地産地消が基本的な生活だったろうが、いまの人間は世界経済や世界物流といったグローバル・システムに組み込まれちまっていて、その欲望もグローバル・スタンダードに統一され、古の食生活に戻ることはほぼ不可能だ。

 世界規模の食品流通システムの中で、やれ本場フランスのワインだ、やれ本場ドイツのソーセージだ、などと嬉しがって飲んだり食ったりしながら、一緒に防腐剤の亜硫酸や亜硝酸を味わっている。昔、「毒女・毒男」という差別用語があったが、いまの人間は地球上に循環する毒を体内に蓄積し、毒人間としてそれなりの耐性を付けながらも、老年期にはがんを発症して、三十年殺しの憂き目に合っている。そんなことになるまいと、高邁な人は必死に抵抗を試みても、地球の生態系や地球循環システムが隅から隅まで化学毒に汚染されているのだから、無駄な抵抗はやめたまえ。未来の地質学者が現代の地層を調べれば、マイクロ・プラスチックを始めとする多種多様な毒を発見して、「毒新世」時代とでも名付けるだろう。いや、すでに「人新世」と名付けられていたかしら……。

 「人新世」という地質年代区分の新造語は、いまの「完新世」時代に割り込む形で提唱され、地質学以外の学問分野でも注目されている。人間の活動が、火山の大噴火や小惑星の衝突と同じように地質学的な変化を残しているとされ、地質学者に言わせるとそれは1950年前後から始まったらしい。20世紀後半から人間活動が爆発的に増大し、二酸化炭素やメタンガス、フロンの大気中濃度が上がって、気候温暖化や成層圏のオゾン破壊、海洋酸性化、森林減少など地球環境に甚大な影響を及ぼしているのだから、いまは一万年前から続く「完新世」ではなく、「人新世」という名称に変えるべきだというわけだ。

 それは生態系にも当てはまるだろう。「人新世」時代には二種の生態系、自然由来の生態系と人間由来の生態系が存在するのだ。自然由来の生態系は、水、大気、陽光を原動力とする太古からある生物間の相互関係と、それが循環していく社会だ。人間由来の生態系は、水、大気、陽光に加え、地球の支配者である人間のグローバルな経済活動、社会活動を原動力とする新しい生物間の相互関係と、それが循環していく社会だ。共有する原動力は水、大気、陽光だが、それは20世紀前半までの自然由来の生態系を動かしていた水、大気、陽光とは似て非なるものだ。これはつまり、自然由来の生態系と人間由来の生態系が対等じゃなく、自然由来は人間由来の尻に敷かれたことを意味している。人間が生み出した数々の毒が、自然由来の生態系を人間由来の生態系に組み込んでしまったのだ。

 人間は「毒」を操る動物である。毒を創り出し、それによって救われる人もいれば、それによって滅びる人もいる。毒によって人生を楽しむ人もいれば、苦しむ人もいる。毒によって世界のグルメを楽しみ、ドライブを楽しみ、最後にはがんを患い苦しんで死んでいく。巷に毒は溢れ、複合汚染となって自然をも蹂躙していく。「人新世」時代には、人間由来の毒物が水を汚染し、大気を汚染し、それによって素直な陽光反射や地熱放出を妨げ、気温を上げる。いままで自然の生態系を享受してきた多くの生物は、人間由来の生態系への順応を強いられている。人間はロシア軍のように、自然の住人たちにこう警告するのだ。

「この場所は我々のものだ。従いなさい。さもなければ去りなさい」


戦争ごっこ
(戦争レクイエムより)

土に埋められた子供の怨霊たちが
いろんな国や時代の兵士に扮装し
大人顔負けの戦いを楽しんでいる
矢や鉄砲玉は煙のような材質で
流れ弾に当たっても痛くはなかった

「生き埋めコーナー」と板に書かれた崖があった
崖の上から崖の下に向かって穴がいくつか掘られていて
上では穴ごとに兵隊に扮した子供が数人
座らされた捕虜役の子供を取り囲んでいる

捕虜は後ろ手に縛られて目隠しされ
最後のタバコを吸っている
吸い終わるといよいよ生き埋めとばかり
兵隊たちは捕虜を持ち上げそのまま穴の中に落とし
わらいながらシャベルで上から土を被せ始めた

ところが埋まった捕虜は崖下の穴から
ひょっこり顔を出してニコリとわらい
穴から抜け出すと再び崖の上に戻り
こんどはお前が捕虜だとばかり
友達の兵服と交換して同じ遊びを繰り返す

僕はひどく憂鬱な気分になって
遊ぶようすを見つめていた
「君たち、飽きないの?」
子供たちはキョトンとした顔付きで僕に注目する
「君たちは友達どうしなのに、どうしてそんな遊びをするんだい」
「敵を穴に埋めるのが楽しいのさ」
「きれいな蝶々の羽をもぐのと同じことだよ」
「なるほど、遊びだ。単なる遊びだな」
僕は納得した

「違うよ。お山の大将だよ。大将は腹を立てたらなんでもしていいんだ」
子供は真顔で反論する
「そうか、王様と奴隷を行ったり来たりだ
埋められる君は楽しいのかい?」
「誰がいちばん早く穴から抜け出せるか、競争してるんだ」
「穴の中で息もしないで、縄を解いて生還するんだ」
「下手すると死んじまうんだよ」
「生き返って埋めた奴に復讐するのが楽しみさ」

「そうだそうだ、もっともっと憎しみ合わなきゃ戦争にはならんぞ!」
僕は生前を思い出して怒鳴った
大将だと言った子供が泥爆弾を投げ付けた
「憎しみなんか必要ないね」
「お山の大将はお金持になるために作戦を生み出し
憎しみに駆られる兵隊を動かすのさ」
ほかの子供たちも大将を真似して
いっせいに泥爆弾を投げ付ける
僕はあたふたしながら逃げようとした
それでも捕まって穴に放り込まれ
上から土を被せられた
「近頃の子供は教育がなっていない!」
憤慨する僕の禿げ頭に土は容赦なく降りかかった…


肉腫

溢れる細胞たちが、暗黙のマニュアルに従って
極めて整然と ミケランジェロダビデを目指し
あるいはミロのヴィーナスに憬れて
理想のフォルムを創り上げようと努力しながら
どいつも方向を見失い 失敗し 諦念し
結局 納まりどころをわきまえつつ終息する
――抜きん出る必要はない 普通ならいいのだ 

しかしお前は異分子、破壊分子
反抗的に なぜゆえ醜悪を目指しているのだ
そうだ細胞たちは 民人が好む生き様であるような
坂の上の雲を見上げて 一生懸命努力しているというのに
反抗心を剥き出しにして こう叫ぶのだから
努力すれば報われるなんざちゃんちゃらくだらん迷信さ!
俺はそれを証明してやるのだ 運命の苛酷さを思い知れ!

まあいい できてしまったことは水に流そう
占領された民のごとく 大人しく…
というより侵略者は 水にも流れやしないふてぶてしさ
嗚呼これからは 死ぬまで育つお前と生きていくのだ
ハイエナないしはメフィストのごとく私の魂を狙って…
ならば むしろ私は醜悪なお前に愛着を覚えるというのが
少ない余生の処世術 

…嗚呼、片足に捕り付いた重々しい足枷よ…
いくらお前は醜いとはいえ権力者だ
私の従属物であるのに私を支配する
しかしかえって私の精神は浄化されつつあるのも事実だ
お前 赤々とした血肉と灰色の心を好む冥府の番犬よ
すべての邪悪はお前に吸い取られ
お前はそれを糧に 怪物のように逞しく成長していく
お前が育つほどに 私の解脱は進んでいく ごらんこの清貧さを…

けなげで優等な細胞たちは いよいよ照準を神の領域に定めたらしい
ごらんよ 私の心は透明な水をたたえる湖の
岸辺に戯れる小波にからかわれながら洗われて 
ほとんど透明に 神の心に迫りつつある
ギラギラとしたどす黒い油はすっかり流れ去り
小波に漂うクラゲのように限りなく透明になりつつある
オフェーリアが生きることを諦め 流れに身を委ねて笑いながら
現実から離れていくときのような…
――それは狂気の中の静けさだ…

奇譚童話「草原の光」
二十五

 で、楽ちんな乗り物が無くなっちまった。たちまち身の丈二メートル以上の草に阻まれて、これ以上の前進が難しくなった。それでもヒカリは草をかき分けながら前進していったんだ。ひょっとしたら大きな草食恐竜に出くわすかもしれない。だったら乗り物になってくれるだろう。でも必死に前進したけど、だんだん疲れてきたのさ。
 そしたら前方からザワザワドンドン音がしてきて、大きな草食恐竜がやってくるに違いないってみんな喜んだ。でも草の上から顔を出したのは、ティラノだったのさ。驚いたしがっかりしたけど、こっちには祖先帰り銃があるから、怖がることはなかった。ティラノもこっちに気付いたけど、ニヤニヤしながら低姿勢で話しかけてきたんだ。
「ああら、ヒカリ殿下じゃござんせんか」
「僕のこと知ってるの?」
「知ってるの知ってないのって、あなたはこの星の王様になるお方でございますから」
「僕が王様?」
「そうですよ。あなたはティラノ帝国の皇帝でございます。これから千四百億円かけて造ったヒカリ宮殿にお連れしますから、お背中にお乗りくださいませ」
 そう言うとティラノはヒカリに背中を向けて大人しくお座りした。ヒカリも疲れてたんで、お言葉に甘えてティラノの背中に乗ることにしたんだ。

 ヒカリと仲間が背中に乗ると、ティラノはさっそく歩き始めた。でも大きな頭が邪魔になって前方が見えないから、ヒカリはティラノの頭の上に登っていったのさ。ティラノの首は太くて短いから簡単に登れた。すると、前方に地べたに這いつくばって大きな口を開けたティラノが待ち構えてる。でも全身真っ白で、白いペンキを塗ったモニュメントみたいに見えるんだな。けど開いた口の中からギザギザの歯が見えたし、中がなんだか赤くてキラキラしてた。それでも、長いレッドカーペットが中からべろのように飛び出してる。で、ヒカリはティラノに聞いたんだ。
「あれは何?」
「あれでございますよ、お坊ちゃま。あれが地下宮殿の入口でございます。あの門構えは、我々ティラノのシンボルである口を表現しております。この星で最強の口でございます。ミサイルのような牙をご覧ください。この星で最強の牙でございます。多くの草食恐竜たちが毎晩のようにあの口を夢見てうなされ、オシッコを漏らしてガバッと飛び起きるのでございます。奴らにとってあれは、悪魔のシンボルでございます。しかし我々にとっては、あれはグルメのシンボルなのです」
「で、両横からチョロチョロ流れているのは?」
「ヨダレのようでヨダレではございません。地下水を排出しているのでございます。さあ、細かいことは気にせず、私が頭を下げますから、鼻から赤い絨毯にお降りになって、地下宮殿への栄光の道をお進みください」って言ってティラノは尻尾を上げ、鼻を地面に擦りつけた。なんだか分からないままヒカリは絨毯に降りて、そのまま栄光のレッドカーペットを歩き始めたら、ティラノが「エエイ、もう我慢できない!」って叫んで後ろからヒカリに食らいついた。ヒカリは騙されたと思ったが後の祭りで、一瞬で口の中に入っちまったものの、なんとか奥歯にしがみ付いたんだ。このまま胃袋に落ちたら溶けちまう。ティラノはヒカリを胃袋に落とそうと頭を左右に振ったけど、ヒカリは両腕と両足で必死にしがみつく。今度はヒカリを咬み砕こうと口をパクパク動かしたが、奥歯の咬み合わせが悪くて、上の牙と下の牙の隙間になんとか入り込むことができたのさ。

 すると突然宮殿の入口がむっくり立ち上がって、口から出ていたレッドカーペットを吐き捨て、「話が違うじゃねえか!」とティラノに向かって怒鳴りつけた。結局そいつもティラノで、顔も体も白粉を塗りつけてたんだ。で、今度は仲間どうしの壮絶なバトルになっちまった。両竜とも最初は口の大きさを誇示するために、牙を剝いて口を開けたまま、戦いの前の踊りを開始。踊りといっても、強さを誇示するように尻尾を上げ、頭やケツを振りながら左右に行ったり来たりを繰り返す。強さっていうより、ちょっと可愛さを感じたな。でもバトルになればどっちかが死ぬんだから、相手の頭が冷える時間を与えて、逃げるのを期待してるんだな。

 その間首の遠心力で、ヒカリは開いた口からうまい具合に草むらに飛ばされることができ、草葉の陰から観戦となった。でも噛み合いが始まると、さすがに迫力があったな。腕が小さいから、顔と顔がぶつかり合い、牙と牙の噛み合いだ。鼻と鼻がぶつかり合うと、鼻から血をドバッと出す。そいつがヒカリの顔にもかかったな。デカい頭で正面からプッシュしても、敵には尻尾があるからなかなか倒れない。だから、横に倒そうと頭をハンマーのように思い切り相手の顔にぶつけるんだ。ドンドンってすごい音さ。すると相手が怯んで少しばかり顔を背けたときがチャンスなんだな。すかさず隙のできた相手の太い首根っこに食らいつくってわけさ。でっかいづうたいで、けっこうすばっしこいんだ。
 そんなわけで、白粉野郎が運び屋野郎の首に食らいつき、牙をグイグイ肉の中に食い込ませていった。こうなると相手が倒れるまで、食らいついたまま顎の力をふり絞るんだ。そうすると運び屋野郎は呼吸ができなくて、だんだん意識が朦朧として、倒れちまうんだな。倒れちまったらもうおしまいだ。血の匂いを嗅ぎつけた小さな肉食恐竜どもがどこからともなく集まってきて、白粉野郎が倒れたティラノを食い終るのを行儀よく待つわけさ。

 で、白粉野郎は内臓をガッポリ食うと、口回りだけ赤くして満足気に顔を上げた。すると掃除屋どもが一斉に腹の穴に入り込んで、清掃作業を始めたんだ。白粉野郎はそれを横目で見ながら、地響きを立ててゆっくりどこかへ行っちまおうとしたんで、ヒカリは後ろから声をかけた。
「ちょっと待って。ティラノ宮殿の話は嘘だったの?」 
 すると腹いっぱいの白粉野郎は、うざいなって顔つきで答えた。
「ティラノが嘘つくわけないだろ。みんな王様になると贅沢になるんだ。お前だって絵本を見て、お姫様のいるお城に行きたいだろ」
「僕はそんな本見たことないな。僕の星には本なんてないんもん」
「じゃあ本物を見せてやるから、背中に乗れよ」

 そいで、みんなの反対を押し切って、ヒカリは白粉野郎の背中に乗ったのさ。で、仕方なくみんなも付いてった。それで頭まで登って前方を見ると、目の前に大きな宮殿が見えてきたんだ。でもそいつは趣味の悪い宮殿だったな。玄関の右に三匹、左に三匹薄ピンクのティラノが横並びして、小さな両手で大きな窓ガラスを立ててる。でもそのガラスから室内が見えるんで、ティラノが石の柱なのが分かるんだな。で、連中の頭の上にはティラノが山盛り乗ってて、尻尾を立ててる。連中は宮殿の屋根で、尻尾は尖塔なんだな。

 真ん中の玄関は、アプローチに向かってティラノの尻尾が庇みたいに飛び出てて、そいつが左右にゆっくり動いてんだ。雨除けのつもりなんだな。つまり、そいつのケツが入口になってる。だから両側の足はまっすぐ伸びていて、その上には体があるってわけ。通る奴はいつ体が落ちてくるか気が気じゃないけど、本物じゃなければ安全さ。

 白粉野郎は「降りろよ」って言うから、ヒカリは仲間たちを背負ってゴツイ尻尾から地面に降りた。それから長い赤絨毯のスロープを歩いて尻尾の根元まで来てから、上を見上げたんだ。すると尻尾の付け根の大きな窪みから「プーッ」って入城を告げるファンファーレの音がして、黄色いガスがヒカリの頭に振りかかってきて、それがすごい臭いなんだな。ヒカリは慌てて中庭に駆け込んだのさ。それを外から見ていた白粉野郎はゲラゲラ笑いながら、満足そうにどこかへ消えちまった。
 中庭は真四角で、真ん中にティラノの糞を積み上げたような噴水があって、天辺から茶色い水が吹きあがって丸い池に落ちてる。そいつがまた黄色い湯気を出してて臭いんだ。この噴水のあちこちから、草食恐竜たちの骨が飛び出てる。まるで土饅頭のお墓みたいなデザインなんだな。中庭を取り囲む壁もやっぱ外側と同じにティラノたちが窓を立てて並んでんだ。で、その窓にも宮殿の内部が透けて見えるのさ。それはすごく綺麗で、豪華なシャンデリアも見えるんだ。

 でも、ヒカリと仲間たちがあまりに臭くて、もう居られないって思ったんだな。もと来た道を引き返そうと思ってくびすを返したら、「おいこら逃げるのかよ!」って声がしたんだ。で、声のほうを見上げると、玄関で足を伸び伸びしてた恐竜が怒った顔して怒鳴ってんだ。きっと伸び伸びが苦しくて耐えられなかったんだな。両方の足柱がガタガタ震えだして膝がとうとう折れちまった。そしたら、宮殿は大きな音を立ててドミノ倒しみたいに一気に崩れたんだ。なんのこたあない。宮殿はティラノたちの組体操だったんだな。ヒカリは庭にいたから、押しつぶされることはなかった。でも、玄関野郎の大口が一瞬にしてヒカリを飲み込んじまった。ヒカリは奥歯にしがみ付くこともなく、唾液と一緒に、食堂を通って胃袋に落ちちまったのさ。

(つづく)

 

 

 

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エッセー「メタバースでマリウポリを再興しよう」& 詩

エッセー
メタバースマリウポリを再興しよう!

 ロシアの進攻で、瓦礫と化したウクライナの町々が映像として目に飛び込んでくるようになってきた。僕を含め、多くの日本人が心を痛め、避難民をなんとか助けてやりたいと思っている人も多いに違いない。停戦に向けた話し合いは停滞していて、いつ実現するかの見通しも立たないまま、東部の港湾都市マリウポリではロシア軍の壊滅作戦が進行し、1カ月で5000人以上の市民が亡くなったとの情報もあり、16万人が人道危機に直面している。このままロシア軍が攻撃の手を緩めなければ、さらなる犠牲者が出て、都市全体が廃墟と化すのは時間の問題だろう。ピカソナチスによる人類初の無差別爆撃で廃墟と化したスペインのゲルニカ(1937年)を灰色の絵画で表現したが、それは20世紀を象徴する絵画と評されている。もしマリウポリの惨状をバンクシーのような有名画家が描いたら、それはきっと21世紀を象徴する絵画になるだろう。21世紀にもなってまたかよ!って感じで歴史は繰り返す、というわけだ。

 多くの専門家が、この戦争は長引くだろうと予測しているが、マリウポリが一時的にもロシアの実効支配下に置かれた場合は、それを取り返すには長い時間がかかることを覚悟しなければならない。仮にウクライナがすべての土地を奪還したとしても、ロシアはいままで自分が壊した外国の資産を賠償したことはないらしいから、瓦礫と化したマリウポリもそのほかの都市も、復興するまでに長い年月と莫大な資金を要することになる。

 当然、多くの民主国家が政府レベルでその援助に傾注するだろうが、いまの世界市民はインターネットで繋がっているから、個人レベルで友好的かつ有効的な援助ができるはずだ。例えばマリウポリメタバース空間(仮想現実空間)で復興するのも一案である。建設業界やエンジニアリング業界では、都市やプラントを岩だらけの沙漠や原野に造るとき、「グラスルーツ・プロジェクト」と呼ぶことがある。グラスルーツは文学的に「草の根」と訳されるが、この場合は草の根っこを掘り返す(一から)ところから始める建設という意味だ。

 このままロシア軍が横暴を極めると、マリウポリのすべての建物が瓦礫と化す可能性はあるだろう。そこにロシア軍が居座っても、ウクライナは自分の土地だと主張し続けなければならない。しかしロシア軍は頑として退かない。ならばウクライナは、ここは自分の土地だとメタバース空間で主張し、世界各国の人々に都市の再興を呼びかける。当然、呼びかける人も、空間を構築・運営する人間も日本の誰かでもいいし、日本の企業でもいい。マリウポリの現状を忠実に再現したベースを創り、参加者は仮想通貨を払って重機を購入し、まずは瓦礫の撤去から始めなければならない。「グラスルーツ・プロジェクト」の始動だ。重機メーカーや建設会社、資材会社も参入してくれよ、と願おう。彼らは復興支援には不可欠だ。恐らくマリウポリの市民が求めているのは、破壊前のマリウポリの姿だろう。ならば仮想空間でも、かつての姿に沿った建設が進んでいくことになる。

 多くの民間参加者(アバター)はボランティアとしてパンツ一丁で入り込み、最初にワークマンのような店に入って、仮想通貨で作業服や手袋、ヘルメットなどを買い込み、重機屋に行ってミニショベルのような重機も手に入れる。この世界で支払うすべての通貨は、ウクライナの復興資金に寄付されるのだ。当然のこと、賛同するウクライナ人はパスポートを表示すれば、支払いすることなくすべての道具を手に入れることができ、復興に参加できる。

 そうしてだんだん、かつての懐かしき我がマリウポリが再現されていく。多くの市民アバターが戻ってきて、かつて住んでいたマンションを見上げ涙するだろう。かつての部屋に入ると、玄関には下の画廊で購入したNFTアートが掛かっていて、それはボランティアからのプレゼントだ。もちろん、数人の仲良しボランティアが払った仮想通貨は寄付金に加えられる。各々の部屋には家具がないけれど、部屋の間取りはだいたい合っていて、彼らはさっそく無料チケットを手に、一階の家具屋に行って似た家具を見つけてくるだろう。花屋も再会したので、部屋いっぱいに季節の花を飾っていこう。

 ボランティアのアバターたちは、ウクライナアバターたちと兄弟のようになって、この美しい町に住もうと思うだろう。仮想通貨での日常生活が始まれば、購入した日用品の代金もすべて復興資金に寄付されるのだ。こうして、世界中から来たアバターたちが一定期間滞在して、賛同参入した店舗などで買い物をし、そのお金が寄付されて、復興資金はどんどん貯まっていく。ボランティアたちはウクライナに馳せ参じることもなく、アバターに汗をかかせながら復興に参加した喜びを得、完成したマリウポリの土地を買って滞在し、仮想空間の生活を体験し続けながら街の人々と兄弟になっていく。きっとお金持ちは高く土地を買ってくれ、復興資金も増えるに違いない。

 多くの企業が参加することになれば、支店ができて社内会議や顧客との商談も始まり、それらの費用も寄付金に加算されるだろう。マリウポリは仮想空間上の大きな商工業都市となり、それは現実社会との関係を深めて、将来的にはかつての香港のような仮想空間上の商業的窓口になるかもしれない。そこは戦争の対極にある人類愛の世界が広がる場所で、その頃にはウクライナも現実のマリウポリを奪還し、集まった資金で本物のマリウポリが蘇るに違いないし、そうしなければならない。メタバースはあくまで仮想空間なのだから。しかし、現実空間を助ける仮想空間の可能性を秘めた世界でもあるのだ。21世紀型の復興支援事業としてメタバースは可能性を秘めている、と僕には思える。



御膳会議

痩せたライオンのお父さんが言った
子供たちよ、お母さんたちを信じなさい
あいつらは立派な戦士なのだから
さあ、子供決意の標語を唱えなさい
痩せたライオンの子供たちは吠えた
欲しがりません獲るまでは!
そうだ子供たちよ、お母さんたちを信じなさい
そしてあいつらの凱旋を待つのだ
大きな敵を射止めてお前たちを迎えに来るぞ
痩せた子供たちは色めき立った
わあい、きっと大きなゾウだよ
いいや、シマウマのほうが美味しいよ
味ならイボイノシシさ
でもイボイノシシは小さいから
お父さんにみんな食べられちゃうよ
痩せたライオンのお父さんが言った
子供たちよ、お父さんを信じなさい
お父さんがまず考えるのは
行儀のよいお前たちのことなのだよ
たとえお母さんたちが
ウサギ一匹くわえて戻ってきても
それをお前たちが仲良く分けて食べるのだ
痩せたライオンの子供たちは答えた
わあいお父さんはやっぱ百獣の王様だ!

お母さんたちがヘトヘトになって戻ってくると
その中の一匹が小さな野ウサギをくわえていた
子供たちは驚いた顔してそれを見上げたが
痩せたライオンのお父さんは
大きな声でお母さんたちをなじった
なんだこのザマは!
それでもおいらの女房どもか!
それから獲物をサッと奪うと
痩せた子供たちの前でパクリと
一息に飲み込んでしまった…


デトックス
(戦争レクイエムより)

人類がいずれは滅びると予測される時間帯に
糞袋ほどはあるだろう弾頭が夕日とぶつかり合い
キラキラ輝きながらヒューという鏑矢の音を立てて
限りなく混濁した黄昏の暗黒宇宙に接するその先から
巨大なヒキガエルがいきんで落とした穢れある死の輝きを
疲れはてた同類の誰もが信じることができずに逃げまとい
ダンゴ虫の形相で泥の中に紛れ込み
猿どもは土くれと化すのだ

無駄な抵抗は止めたまえ!
怯えおののく心を伴侶に旅立つこともないだろう
死に行く者の片割れとしていささか自虐的に 
心穏やかに天空を睨みつけ、つかの間の未来を受け入れる
それは脈拍のリズムで刻んだ過去たちの走馬灯
子供の頃に夜空に散る花火を眺めたことを思い出し
胸ときめかせた幼心に戻って円らな瞳で見上げるのだ
滅びるときの感動は、生まれるときの感動に勝る

糞玉はとちったスカ玉みたいにばつの悪い顔をしながら
みるみる生気を失って、ほとんど空気に紛れ込み
頑なに目をつぶって向かってくるのだ
いったいどんな愚か者が粗相したの?
きっと猿のように莫迦な奴だと嗤いながら残された一瞬に
思い切り目ん玉を見開いて哀れな姿を眺めてやろう
ちっぽけな俺たちを消すのに、お前の図体は大げさすぎる
大柄な愛人が肩をすぼめるように
完璧な玉になろうとして自らを消し去り、空(くう)となった
お前は猿どもが捏造した地球、否、地球が捏造した猿どもだ!

すると抜け殻のように空しい伽藍洞に俺の思い出どころではなく
猿親父の思い出も、猿じいさんの思い出も、猿兄弟・猿親類の思い出も
猿友の思い出も、見知らぬ猿たちの思い出も、猿人も
ライオンもシマウマも、恐竜もアンモナイトもゲテモノたちも
魑魅魍魎すべての思い出がビックリ箱から飛び出した 

嗚呼、茶番な玩具の戦士たち…
お前、落書きのような似非地球…
能もなく回り続ける地球ゴマ
狂気に踊るガラクタどもを孕んで産んで
よく我慢できたものだ
風穴開けろ! 吐き出せ! 下せ! パンクしろ! 
ビルの屋上から哀れな通行人めがけて落下するように
糞玉はすべてを道連れに
蛆虫どもの後始末をお前に託すのだ
ならばお前にデトックスの喜びを味わわせてやろう
所期の計画は噴飯ものでしたが
育てたすべてが半端ものなら仕方ございません

さあ初期化だ、出直しだ!
ようこそリプログラミングの世界へ
放蕩息子の帰還を迎え入れる父親のように
穏やかな死に十字切る喜びの中
俺は両手を思い切り開いて彼奴をハグしよう
嗚呼お前、ペーパーアース
破れかぶれの静しさよ
すべての始まりも、すべての過去も、すべての未来も
不要なガラクタとして打ち捨てるのがお前の裁量なら…

 

今までの作品

 

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エッセー 『片耳の大鹿』& 詩ほか


送る花

(戦争レクイエムより)

死んだ仲間たちの穴に花束を投げ入れよう
ネアンデルタールの人々がそうしたように
そしてその伝統を我々が引き継いだのなら
色とりどりの花を並べる店が消え去っても
雪解けの野辺に生える草の小さなつぼみを
涙で濡れた傷だらけの手で優しく摘取ろう
つぼみたちは常春の天国で力強く開花して
ほかの花々と目覚めた仲間たちを祝福する
猿どものしがらみから解放された愛の象徴
たとえ信じられない過酷な世界が襲っても
春が来れば花たちはつぼみを綻ばせるのだ
不条理な死を遂げた人々に野の花を送ろう
ただひたすら倹しく穏やかな来世を願って


無言歌
(戦争レクイエムより)  

まだ人々が生きていた少し未来のこと
彼らの祖先は大きな戦いを生き抜いて
死んだ者へのせめてもの償いを考えた
心の中の悪いもの汚いものを洗い出し
小さな胃袋に一つ一つ丁寧に積み重ね
剝き出た廃墟の上に一気に吐き出した
吐液は血色の瓦礫をじわじわと溶かし
永い間の風雨と風雪がそれに加わって
灰と血を混ぜた斑模様の土に変わった
血に飢えた兵士の迷彩服にも似ていた
それでも肥沃な土から植物たちは育ち
知らぬ間に深い森に変わってしまった
人々は昔起きた出来事をすっかり忘れ
朝には小鳥たちの歌声で目を覚ました
恋人どうしは愛を語り合うこともない
人々は語り合う言葉を失っていたのだ
彼らの心には美しいものだけが残って
それらは言葉などなくても通じ合った
小鳥のようにメロディアスにさえずり
最後は哀調を帯びたマイナーで終った
まるで古の悲しみを思い出したように 


エッセー
『片耳の大鹿』

21世紀にもなって考えられない?

 動物文学で有名な椋鳩十(むく はとじゅう)に、『片耳の大鹿』という作品がある。少年を含む屋久島の猟師たちが、片耳の大鹿が率いる鹿の群れを追って山の中に入っていくと急な嵐に襲われ凍て付き、近くの洞窟に避難する。するとそこに、数え切れないほどの鹿たちも避難していて、仲間どうしで温め合っていた。猟師たちは鉄砲を置いて裸になり、群れの中に潜り込む。人間と鹿は共に温め合って助け合い、嵐の後に傷付け合うことなく別れたという話だ。

 僕が中学一年のとき、この物語が国語の教科書に載っていて、宿題として読後感想文を書かされた。男子の多くは(僕も含めて)作者のことなんか知らず、これが作り話ではなくて本当の話だと思ったに違いなかった。当時から僕はひねくれ者だったのだろう。家に帰って再読してみると、感動的な話だとは思ったが、どうしても納得できない部分があった。最後に「人と鹿が共に助け合った」といったような文言があったからだ。

 数え切れない鹿たちの中にわずか数人の人間が加わったところで、それが助け合ったことになるんだろうか……。むしろ人間が鹿に助けてもらっただけに過ぎないのではないか……。ならば人間は鹿にもっと感謝しなければいけない。当時、独り合点の仲間ばかり見出していた僕は、この作者も独り合点に陥っているんじゃないかと思って、そんなようなことを感想文に書いて提出したわけだ。

 次の授業のときに先生は優秀な感想文を一点選び、朗読した。当然、感動物語の流れに掉さすような僕の文は選ばれなかったが、それでも最後に「こういった考えの人もいた」と概要を話してくれた。先生も、少しばかり引っかかっていたに違いないが、この物語の趣旨は「敵味方の助け合い」で読者に感動を与えることにあるのだから、その程度で僕も満足だった。これは小説だから名作だが、ルポなら鹿さんの意見も聞かなければならないだろう。きっと大鹿は「助けてやったんだから、もう二度と追わんといとくれ」とでも言うだろう。

 それから学年が上がるにつれ、僕の周りにはどんどん「物事を自分の都合の良い方に考える」独り合点の人が増えてきて、そうした連中と意見が食い違うと疎遠になることも分かってきた。自分の主張と意見の合わない人間はうざったい。一般に、独り合点は自己中心的な欲望が想念になったものが多く、欲望は独り合点の核とも言えるだろう。誰でも味わうのは、タイプの女性が自分のことも好きだと独り合点し、振られることだ。これはその女性の愛を獲得したいという欲望が、「彼女も俺を好きだ」という幻想を引き出したことによる無残な結末だ。

 赤ん坊は母親のオッパイを独占し放題だが、幼児になると保育園などで隣の子の玩具を取ったりするようになる。そのたびに保育士や母親などに叱られて、集団の中の振舞いを学習していく。けれど振舞いはコミュニケーション・スキルに過ぎない。「人の物を取ってはいけない」という思想も集団生活に不可欠な協調のためのスキルで、それは心の中心にあるエゴ(欲望)を覆い隠すオブラートを身に着けるための学習に過ぎないのだ。だからある狩猟民族は、「お前の物は俺の物。俺の物はお前の物」という共通認識で、平気で人の持ち物を漁ったりする。これはある意味で、習近平の「共同富裕」原始版とも言える。厳しい環境では個人が獲物を獲っても、みんなの共有物になってしまう。しかし王様の物になるよりかはマシだろう。王様は「お前の物も俺の物も、みんな俺の物」なのだから……。

 この「欲望」の開祖は、周りの原生生物を勝手気ままに取り込んでいくアメーバに違いない。人間はアメーバの進化系でないことを実証するために教育(社会教育)を受ける。その教育課程で術を完璧に会得した大人は、周りから好かれるようになり、高い社会的地位を得ることができる。そしてその地位の最高位が大統領だったり王様だったりする。しかし王様になって歯向かうものが誰もいなくなると、「欲望」を覆い隠すスキルは必要なくなる。中にはそいつをかなぐり捨てて、勝手放題しまくる暴君も出てくるわけだ。なぜなら「人の物を取ってはいけない」、「人を殺してはいけない」という道徳律は協調のためのコミュニケーション・スキルなのだから(たとえ宗教でも)。王様は思い付いたまま上意下達をすればいいわけで、下々の者との意思疎通は必要ない。

 しかし、先ほど片思いで振られる男の話をしたけれど、アメーバと人間の違いは、この男が単に肉欲だけではなく、彼女を想うという精神的な「愛」を感じ、相手の女性にもそれを求めていることなのだ。たぶんこの「愛」は、弱い立場の赤ん坊が授乳によって育まれた「愛着」のようなものかもしれない。それはオッパイでなく哺乳瓶でも同じことだ。空腹を満たしてくれる者への愛着は、保護された野生動物が飼育係に抱く愛着と等しいものだろう。赤ん坊はそうして愛を身に着け、「欲望」の周りを包み育んでいく。つまり、オブラートは「愛」と「スキル」の二層構造になっていて、それが諍いの抑止力となる。恐らく「愛」の層は「スキル」の層よりも強靭にできているし、ルソーの『エミール』みたいに、正当な教育で磨かれ、鋼のように光り出すかもしれない。きっと暴君のオブラートは何らかの理由で「愛」の層が薄く弱いため、かなぐり捨てるときにスキル層と一緒に剥がれ落ちてしまうのだ。だからわずかに残っている場合は、「鬼の目にも涙」となって周囲を驚かせる。

 しかし世の中では、多くの欲望が感情となって物事を動かしていくのが一般的だ。社会は欲と欲がツタのように絡み合う世界だ。エミールのように利発な子なら、いろんな人と交わりながら成長していくと、似たような独り合点の人々が集まって仲良しになることも分かってくるだろう。そして大人になると、そういう人たちが仲良しクラブや社交界、何々派なども形成していく。そうした固まりは個々の欲望でドロドロとしているのがお決まりだが、その中から必ず強い上方志向の人が出てきて、固まりをピラミッドの形に整えていく。会社でも政治でも、派閥というものはそんな経緯でピラミッド型に出来上がったものだ。こうなるともはや独り合点は集団合点に発展し、同志集団の理論(派閥の論理)というものになっていく。独り合点が集まると、水に落ちた油のように丸く固まり、かき回されて分解するのを恐れるあまり、外皮が硬くなる。派閥は会社だったら地位、国政だったら権力に関わってくるもので、自分たちの地位や権力を守るために違う考えや異派閥を排除して、会社や国の頂点を握ることになる。その過程で集団の論理はエスカレートし、政敵の暗殺なども平気で行われるようになる。(もちろん派閥の論理には高邁な思想もあるだろう。)

 これは「民族」にも当てはまるだろう。社会や集団の中でそれぞれの独り合点がまとまらないと、各々勝手なことをやり始めて、無秩序状態(アナーキー)に陥ってしまう。これを避けるために、太古からリーダーは宗教や共通言語をはじめ、人種的・地域的起源、伝統、歴史などを利用して、地域内の人々を取りまとめてきた(時には力で)。だから「民族」には長い歴史があって、民族の「尊厳」も醸成され、人々の「私は何なのか?」というアイデンティティの柱にもなっている。たとえ彼らの中で意見のまとまらない事態が起こっても、欲と欲がぶつかり合う事態が起こっても、民族という大きな外壁を壊すことがなければ、ある程度のまとまりは維持できたわけだ。つまり今日にいたるまで、民族は集団をまとめる重要な要素としての力を失っていない。そしてこの「民族」は、時たま独り合点で暴走する。

 その結果、長い歴史の中で侵略戦争が繰り返され、民族も内部分裂しながら次第に多民族国家が形成されていく。中国やロシア帝国のように異なる民族や宗教が混在した場合もあるし、アメリカのように、新大陸に英・仏を中心にヨーロッパのいろんな民族が植民地をつくり、先住民族を駆逐して一つの独立国家になった場合もある。そうした多民族国家の政府が国民をまとめる上で最大の障害となるのが、この「民族」でもあるのだ。国家の歴史や人口比率、軍事・経済力などで次第に民族間の優劣が決まっていき、軋轢が生じるからだ。マルクスの『資本論』でネックとなったのもこうした個々の民族で、その結束力は労働者階級の広範な団結力を凌駕していた。

 だからロシア革命ソビエト連邦が出来たときも、広大な領地をまとめるために中央集権化して数で勝るロシア民族の地に政府を置き、そこの役人がいろんな構成国に派遣され、地元の長を追い出して指導にあたり、宗教を弱体化させて共通言語としてロシア語も強制していった。党指導部はロシア人ばかりではなかったが、最多民族であるロシア人をないがしろにするわけにはいかなかった。つまり数で勝るロシア人は、いまの中国の漢民族的存在で、帝政時代もソ連時代もその優位性を謳歌してきたというわけだ。それはヤクザ社会とさほど変わりがないだろう。

 親分子分は結束力があっても、基本的には支配・被支配の関係だ。親分の独り合点が上意下達となり、子分は従わなければならないから、親分の身代わりで刑務所に入ることになる。それが嫌なら、子分は足を洗うか逃げるしかない。その二大親分がワルシャワ条約機構ソ連であり、世界の警察官と言われていたアメリカで、地球という島を分け合っていた。だからソ連の国民はみんな親分気分になっていたし、世界の警察官を放棄したアメリカ国民だっていまだに親分気分に浸っている。その優越意識は「聖なるロシア」や「アンクル・サム」のような象徴的な言葉や絵で美化されがちだが、外国人がそんな国で暮らせば、きっと鼻についてうんざりするだろう。ソ連が解体すると、その親分気分はロシア人が引継いだ。だからかつての子分どもを再び呼び寄せ、支配したがるわけだ。子供で言えば、ガキ大将とその取り巻き連中の心理だろう。ガキ大将は腕力で子分を繋ぎ止めようとする。そういえばプーチンも少年期はガキ大将だったらしい。いまウクライナで起こっていることは、ガキ大将が離れた子分の腕を捩じ上げ、再び子分になれと脅している状態だ。

 ロシア人はウクライナ人を同一民族と思っているが、ウクライナ人の多くは思っていない(※1)。ウクライナ東部紛争へのロ軍介入やクリミア併合の前までは親近感もあったろうが、所詮同等ではなく親分子分の関係だった。スターリン時代には親分風を吹かせて、ウクライナ人から豊富な農作物を取り上げ、「ホロドモール」と呼ばれる大飢餓の辛酸をなめさせている(スターリンジョージア出身だが)。そのロシア人優位の体制をゴルバチョフがあっけなく崩し、ウクライナをはじめとする子分どもも去っていった。ソ連時代の親分気分をソ連崩壊後のロシア人はいまだに持ち続けているから、「強いロシア」と言ってロシア帝国の再生を目論むプーチンのような暴君が支持されてきたのだろう。「強いロシア」や「大ロシア主義」はロシア人の集団幻想(独り合点)とも言える。

 ふつう「強い国」になるには、軍事力と経済力が必要だ。しかしどちらかに力を注ぐと、どちらかが疎かになる。国の予算は限られているからだ。中国は一先ず経済力で世界を席巻し、いまは不足していた軍事力の増強に取りかかっている。ロシアの場合は軍事大国だが経済後進国だ。プーチンはその解決手段として、化石エネルギー供給国家としての優位的ポジションを追い風に、まずは軍事力で領土を拡大(失地回復)し、その基盤を生かして経済力を高めようと思ったに違いない。対外貿易でも軍事力で優位に立ち、それをバックに外交を巧みに行って良い条件を引き出すのがプーチンの常套手段で、彼の独り合点が政府の集団合点となり、上意下達による独善的な侵略に走ったわけだ。

 以前、「サハリン2事件」というものがあった(2006年)。サハリン2(※2)はサハリン沖の天然ガス・石油開発プロジェクトで、日本を含む投資会社はすべて外国企業だ。投資会社が投資額を回収するまではロシア政府には利益の6%しか入らない契約内容だった。ところが完成間近になって、政府はその工事承認を「環境破壊」を理由に突然取り消したのだ。これはロシア企業を参入させるための口実で、結局事実上の国営会社が権益の半分を横取りし、完成に至った。いまのウクライナ戦争とそっくりなやり口だ。「環境保護」が「ロシア系住民保護」に変わっただけの話だからだ。この事件で外国企業がロシアへの投資を控えるようになったのは当然だが、昨今のエネルギー価格高騰化で資金も潤沢になり、供給者として優位性も確立したので、いまがチャンスとばかりにウクライナに踏み込んだのだろう。ロシアの常識は世界の非常識というわけである(もっとも20世紀前半まではロシアの常識が世界の常識だった)。

 話を『片耳の大鹿』に戻そう。これから後は、僕の勝手なルポ的こじつけである。嵐が過ぎ去ったあとに鹿が猟師を襲わなかったのは、鹿が本能的に逃げる動物だからだ。きっと猟師が鉄砲を拾って一発でも放てば、パニックをきたして怒涛のごとく逃げただろうし、猟師たちは群に踏みつけられてケガをしただろう。しかしそれは故意ではない。鹿が猟師に角を向けるとすれば、逃げられないと覚悟したときだ。一方猟師のほうは人間的な感情に支配され、鹿に鉄砲を向けなかった。仮に猟師がライオンだとしたら、どれか一匹に襲いかかって仕留めたに違いない。ライオンは本能的に追う動物なのだから。

 鹿が逃げなかったのは、猟師が満腹のライオンのように襲う気がないと本能的に判断したからで、大人しく猟師たちが去るのを待った。反対に猟師が鹿を撃たなかったのは、鹿を擬人化してしまったからだ。一時的でもあれ大鹿に人間的な尊厳を与えてしまったため、引き金を引けなかった。彼らは大鹿に敵将を見ていた。だから共に助け合ったことを思い出し、敵(獲物)に塩を送ったわけだ。

 しかしこれは、あくまで猟師の一時的な気の迷い(感情)に違いない。猟師は鹿を殺すことによって、その肉や角や毛皮を売って生活している人々だ。猟師にとって鹿は食いぶちであり、鹿にとって猟師は捕食者ということになる。動物愛護法がなかった時代には法的規制もなく、猟師は自由に狩りをすることができただろう。猟師にとって鹿は生活の糧なのだから、家畜と同じに鹿の尊厳などは認めていないことになる。だから猟師が目の前の鹿を撃たないときは、乱獲で資源が無くなることを恐れたからか、あるいは「憐れみ」という気分的な感情がよぎったからだ。人間にとってそれが気分的なものに過ぎないのは、仮に動物愛護法などで動物の尊厳が認められたとしても、鹿が増えれば「環境保護」の名目で間引きされるし、鶏舎に鳥インフルエンザが流行れば、鶏たちは生き埋めになるのが常識だからだ。そこには動物の尊厳など存在しない。(僕は反対してるわけではない。鹿一匹が幹の皮の一部を一回り食っただけで、根からの水分が滞り木は枯れる)

 『世界人権宣言』は、大戦後の1948年に国連総会で採択された。その第一条は「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」となっている。しかしこの文の「尊厳と権利」は人間どうしが認め合うもので、当然だが動物に対して言及したものではない。なぜなら「尊厳」は人間だけで手一杯だからだし、なによりもこの「尊厳」は抽象概念で、人々の感情で支えられているものに過ぎないからだ。『世界人権宣言』の作成者には悪いが、これもまた「知識」というコミュニケーション・スキルの一部に過ぎない。

 この宣言は、第二次世界大戦の反省から作られたものだ。もしコロナ禍の中で人間の「尊厳」が踏みにじられ、感染防止を名目に感染者が鶏のように殺処分されたらどうだろう。そんな馬鹿げたことはどこの国もやらないと思ったら大間違いで、大戦中には民族浄化という名目でユダヤ人が同じ目に合っているのだ。彼らはナチの宣伝工作により、尊厳をはく奪されて畜群に貶められた。この時ユダヤ人一人ひとりの名前は、腕に彫られた番号に変わった。鹿の一匹一匹に名前がないように、牛の耳に番号タグが打ち付けられるように……。しかしドイツ人の中にはシンドラーのように、ユダヤ人の尊厳を守ろうと努力した人もいたし、そう思いながらもゲシュタポ(あるいは保安隊)が怖くて行動に移せなかった人もいただろう。一般市民が危険を冒してまで立ち上がる場合は「自身の窮状」による場合がほとんどで、その点からもロシアの若者たちの反戦行動には敬意を表したい。インターネットで世界と繋がる彼らは、世界中が発信する「21世紀にもなって考えられない」といった唖然とした感覚を共有している。

 人間を含め、世の中の多くが利害関係で成り立っている。社会が劣悪な状況に陥ると、国民の感情的な不満を逸らすために、政府は「得をしている奴は誰だ」と犯人捜しを始め、ナチスユダヤ人に白羽の矢を立てたわけだ。この手の残虐行為はその後もたびたび起こっていて、いまもウクライナで目の当たりにしている。戦争は昨日の友を鬼畜と見なし、その尊厳や人権をはく奪する行為なのだから……。

 人は強い目的を持ったとき独り合点のバイアスが高まり、達成のためには冷酷なことも平気で実行する。種痘法を開発したジェンナーが使用人の子供を実験台に使ったときも、多くの人を救うために同意も取らず、子供の尊厳を無視したのだろう。しかし歴史的には医学的英雄だし、これに関して我々も深くは考えないようにしている。

 「尊厳の無視」について言えば、「強い目的」というのはどんなものでも「 」の中に入れることができ、その結果は対象者の命や尊厳をはく奪する意味で一つになる。ジェンナーは「名声」だとか「天然痘の撲滅」、厚生機関は「鳥インフルエンザの撲滅」だとか、例えば「ハンセン病の撲滅」だ。恐らくプーチン皇帝は「ロシア帝国の復活」だろう。ロシア国民の生活を豊かにするためか、自分の夢を実現するためかは知らないが、他国の人々の血を流し続けている。しかしその結果次第では、ロシア民族の英雄になる可能性だって残されている。太平洋戦争で日本が勝利すれば、東条英機も英雄になっていただろう。歴史がどう流れていくかは誰も分からないし、評価を下すのは時代時代のご都合主義(国民的感情)だ。

 地球という弱肉強食の世界では、利害関係に決着を付ける唯一の手段は「力」だった。しかし第二次世界大戦の苦い教訓から、まがりなりにも世界がまとまって国連が設立され、『世界人権宣言』も採択されたのだ。しかしこれは、本能的な「力」の世界に対峙する抽象的な「理念」の世界で、風のようにクルクル向きが変わる「人心」を手なずけるまでにはいたっていない。人々はいまだに「ブーム」やら「ムード」やらに乗って揺れているのが現状だ。しかしこの宣言は、侵略軍に対抗する義勇軍の御旗(シンボル)にはなり得るものだ。正当なシンボルの下には、人々を結集する力がある。

 いまウクライナで起こっていることを、「21世紀にもなって考えられない」と思う人も多いが、それもきっと世間のムードには違いない。中国総領事の「弱い人は強い人に喧嘩を売るな」発言が顰蹙を買っても、無法の世界ではそれが当たり前のことだし、少なくとも地球はいまだに無法地帯であり続けている。ある意味で、彼は本当のことを言ったのだ。それを非難する人々は感情で終らせず、そうした発言が場違いなものとなるような世界を創る努力をするべきだ。国連を抜本的に改革しない限り、人々が夢想する21世紀にはなり得ないのだから。皮肉なことに、国連は「一番強い親分」にならなければならない。

 この難局を解決する唯一の方法は、しかし「21世紀にもなって考えられない」という単純な驚きであることも事実で、この感情を起点に加盟国の国民が国連改革のウェーブを起こすことにあるのだと思っている。特に常任理事国の国民にそれは求められる。スローガンは単純なもののほうがいいだろう。プーチンによって尊厳や人権を踏みにじられ、命まで奪われたウクライナの人々の心を、世界の人々は共有し始めている。ロシア人の中にもその感情は徐々に広がってきているのだとすれば、その高まりをさらに大きなものにしていかなければならない。もちろん、難しいのは承知の上で言っている。なぜなら、それ以外に方法はないと思うから……。

 しかしロシアや中国の政府が国連改革に乗り出すかというと、それも厳しいのが現実だ。権威主義国の政府はもとから国民を抑圧しているのだから。ならば別の国連的組織を創ろうという考えもあるだろうが、そうなると民主主義陣営と権威主義陣営がますます分断し、新冷戦はエスカレーションするだろう。唯一の望みはSNSなどを使って、まずは民族だとか国家だとかを覆っている強靭なセルなり囲いを崩し、その切れ目から人々があふれ出し、「平和」の旗印の下に結集・融合した地球規模の運動を起こすことだ。当然そのパワーは、国粋主義者や自分優先主義者たちのパワーを上回るものでなければならないだろう。彼らは伝統的に侵略戦争に勝利すると熱狂する人々で、アメーバ族の末裔だ。

 プーチンはこれから、国内をはじめ世界中の人々を敵に回さなければならない。その追い風となるのがインターネットで多くの人が共有する「21世紀にもなって考えられない」という感情に違いない。この感情は純朴だが、「人類は進化すべきもの」という信念が含まれているし、具現化できるのは信念を持った「願い」のパワーだけだ。人間は、信念で願望を実現することができる動物なのだ。当然のことだが、その願望は「平和への願い」で、プーチン宮殿のような個人的欲望ではない。

 動物を狩るのが猟師の仕事なら、人を狩るのが兵隊の仕事だ。祖国を守る英雄的な仕事も、他国に攻め入る理不尽な仕事も、仕事内容からすれば変わりがない。そこには人と人が殺し合う殺伐とした風景があるのみだ。しかし、ウクライナ兵とロシア兵の感情は異なるに違いない。ウクライナ兵の心は祖国の国旗色に染まっている。一方ロシア兵の心は、「俺は何なのか?」というアイデンティティに関わる疑問符で混濁しているに違いない。平和を求める地球規模の願望がロシア兵の心を浄化し、服従的な仕事感情を吹き飛ばしてくれないかと祈るばかりだ。彼らの心にも欲望の苦味を包み込む「愛」というオブラートは存在するのだから……。

(※1)ウクライナには多くのロシア系住民(約17%)もいるが、多くがプーチンに批判的だ。ロシアでは「ルースキー・ミール」(ロシアの世界)という概念が盛んらしいが、これはソ連時代に周りの共和国に移住したロシア人の帰属意識を利用して、かつてのロシア帝国を復活させようとするもの。プーチンはルースキー・ミール基金を2007年に設立している。軍事介入に使った「ウクライナのロシア系住民を守るため」というプーチンの口実は、ルースキー・ミールの考えを具現化したもので、根強い民族的感情を侵略に利用する典型的なやり口だ。
(※2)今回の戦争で、日本ではサハリン2からの撤退が議論されている。撤退すると、液化天然ガス輸入量の約7%が失われる。政府は撤退しない方針を示したが、アメリカの圧力で今後どうなるかは分からない。日本が利権を放棄すれば、そこに入り込むのは中国だろう。

(注:このエッセーは文芸批評ではなく、また特定の職業を批判したものでもありません。)


奇譚童話「草原の光」
二十四

 ヒカリはトリケラトプスの背中に乗って、茫々とした草原を進んでった。ヒカリも仲間も彼のことをケラドンと呼ぶことにしたんだ。ケラドンの歩いた後は長い草が倒され、後ろから小型恐竜たちが大勢付いてくる。ヒカリの頭でとぐろを巻いてたスネックは、「どうして君たちはティラノにならなかったんだい?」って聞いてみた。どう見てもカメレオーネとそれほど変わらなかったもんな。
「そりゃ俺だってティラノになりたかったさ」って体長一メートルのエオラプトル。
「もらった設計図に大きさが書いてなかったのよ」って五十センチのミクロラプトル。
「俺たちは騙されたのさ」って六十センチのコンプソグナトゥス。
「でもなんで恐竜になりたかったんだい?」
 ヒカリの肩に乗ったジャクソンが聞いた。
「カメレオン・コンプレックス」って三メートルのデイノニクス。
「なによそれ?」ってハンナが聞いた。
「体の小さい奴が大きな奴に抱くコンプレックスさ」って一・五メートルのベロキラプトル。
「で、君たちはなんで僕たちの後を付いてくるの?」
 ヒカリは後ろを振り向いてたずねた。
「そりゃ、あんたらの後ろにいれば、ダンプ野郎に食われることはないからな」
「それに大型がミンチになったら、そいつを食おうと思ってるのさ」
「それじゃあカメレオーネに戻っちゃうぜ」ってジャクソンが言うと、「今まで仲間が食われてきたんだから、食い返したいだけの話さ」ってな答え。
「それに、大型連中が闊歩するよきゃ、みんなカメレオーネに戻ったほうがマシさ」ってベロキラプトルが言うと、「マジかよ!」ってデイノニクスが驚いた。
「みんなカメレオーネに戻って、なにが楽しいんだ? いろんな恐竜がいるからこの星は楽しいんだぜ。いろんな大きさの恐竜が食ったり食われたりしてっから、この星は活気があるんだ。とくに小さい俺たちは、いつ食われるかって戦々恐々と生きてるから、体も鍛えられて元気なのさ。敵がいなくなったら、腹なんかボテボテになるに決まってんだ」

 すると突然、強烈な腐臭がして、小型恐竜たちは色めき立った。
「おい、ごちの匂いがするぜ!」
 コンプソグナトゥスが叫ぶと、「たまらないわ!」ってミクロラプトルも叫んだ。
 百メートル先にトリケラトプスが倒れてて、デカいハエがいっぱいたかってんだ。ティラノはトリケラを倒して、腹に嚙り付いたんだな。腹の中身が無くなってる。残りものでもトカゲどもはキャッキャッ叫びながら駆け出して、小さい奴はすばしっこく傷口から腹の中に入って、内側からリブロースを食い始めたし、デイノニクスとベロキラプトルは入口付近でケンカを始めたけど、結局体の大きいデイノニクスが勝って腹の中に首を突っ込んだ。ベロキラプトルは悔しくってデイノニクスのケツに思い切り噛り付いたから、奴は驚いて、脳内の緊急避難用スイッチを押しちまったんだな。とたんに自慢の長いしっぽが根元からポーンと十メートル飛んで、大きなミミズみたいにのたうち回っていやがる。ベロキラプトルはしめしめと、そいつに飛び掛かって捕まえると、くわえて藪の中に逃げちまった。デイノニクスはケツの上から血を流しながら、血に染まった頭を外に出してキョロキョロしてたけど、どうでもいいとばかりにまた首を突っ込んで、食うことに専念したんだ。ケツの痛さなんか、熱中すれば忘れちまうのさ。それに恐竜は痛さに鈍感な連中が多いんだ。

 で、「あれは君の仲間かい?」って、ヒカリがケラドンに聞いたら「俺の兄貴さ」って涼しい顔で言うんだ。トリケラトプスの涼しい顔ってどんな顔なのかってえと、さっき小さな眼でちょっと見たっきり、もう死体に見向きもしなかったから、関心がないってことはヒカリにも分かってたんだな。で、みんなは兄貴を横目で見ながら先を急ごうとした。
「君は悲しくないの?」
「悲しい?」ってつぶやいて、ケラドンはほんの二秒黙ってから、ハハッて笑い飛ばしたのさ。
「だって、お母さんのオッパイを一緒に吸った仲なんだろ?」
「仲だって? おいらと奴は、母ちゃんのオッパイを争う敵なんだ。この星じゃあ大きくならないと生き残れないのさ。だからおいらは必死になって吸った。おいらは兄貴に勝ったのさ。それが証拠に奴はおいらより小柄だろ。だから大型野郎に蹴とばされて腹を出し、急所をガブリとやられちまった。おいらが余計にオッパイ飲んだから、育たなくてあのざまさ」
「だったら可哀そうだとは思わないの?」ってハンナ。
「可哀そう? カメレオーネの多くが王様になりたくって、そいつらみんな恐竜になったんだ。ティラノは恐竜の王様さ。だからティラノになりたかった。けど、どんな恐竜になるかは分からなかった。ベジタリアンだなんて、おいらの親父は貧乏くじを引いちまったのさ」
「分かった、君の親父は仲間の肉が食いたかった!」
 スネックが鎌首をもたげて叫んだ。
「おいおい、よしてくれよ。みんな退屈だったんだ。分かるかよ。退屈なんだ。昼間は一日中草食って、夜になったらお寝んねなんてさ。それに、逃げることにも飽きたのさ。分かんないけど、違う自分になりたかった。みんなが手を叩くような自分だ。みんながビックリするような自分だ。みんなが怖がるような自分だ。みんなが逃げるような自分だ。冒険家だ、探検家だ。王様だ。おいジャクソン、君はカメレオーネだから分かるだろ?」
「分からないな。僕は王様なんかになりたくないもん」
 ジャクソンはつまらなそうに答えた。
「エッ、君はひ弱なカメレオーネが好きなんだ!」
「だって僕はカメレオーネだもの……」
 ケラドンはヒューッと口笛を吹いた。
「でもあなたのお父さんはカメレオーネが嫌だった」ってハンナ。
「だからおいらも嫌なのさ。親父の血を継いでる。親父は強くなりたかったんだ。これは男の本能さ。男はみんな戦士なんだ」
「でも僕たちは、この星の恐竜たちをカメレオーネに戻そうとしているんだよ」
 ヒカリが言うと、ケラドンはヘヘヘと笑い飛ばし、「おいらを食う奴らだけ戻してくれよ」ってうなるように訴えた。
「それじゃあ、不公平だよ」ってスネック。
「みんなカメレオーネに戻らなきゃ不公平だわ」ってハンナ。
「じゃあこうしよう。入れ替えだ。草食恐竜は肉食恐竜になり、肉食恐竜は草食恐竜になる。いままで威張っていた奴が入れ替わるんだ。これなら公平だろ?」
「いいアイデアだね」ってスネック。
「でも、あなたはティラノじゃなくて、あの連中みたいなちっこい肉食恐竜になるかもしれないわ」
「それでもいいさ。ティラノになる可能性があればな。人生は賭けだもの」
「でも残念でした。祖先帰り銃はカメレオーネにしか戻れません」ってジャクソン。
「そうかなあ。カメレオーネの祖先はいったい何なんだ?」
「さあ、何だろう……」
 ヒカリはつぶやくように言った。
「きっと恐竜に違いないさ。だったら、カメレオーネの十倍の過去を設定するんだ」
 ヒカリは祖先帰り銃のダイヤルを十回回してみた。
「さあ、試しに撃ってみろよ」

 みんなケラドンから降りて、ヒカリは魔法にかかったようにケラドンめがけて銃を発射したんだ。そしたらケラドンはみるみるミンチになってミンチの山の上からカメレオーネの頭がひょっこり出た。で、みんなはほれ見たことかってゲラゲラ笑ったんだけど、それで終わったわけじゃなくて、カメレオーネはミンチをガツガツ食いながらどんどん大きくなっていき、最後にはティラノより大きいスピノサウルスになっちまった。で、腹が減ってたらしく、すかさず小型恐竜ともども兄貴を丸吞みして、「あばよ!」ってすたこら逃げていきやがったのさ。奴は泳ぎが好きだから、きっと湖のほうへ行ったんだな。

(つづく)

 

 

 

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エッセー 「人間は感動を操る動物である」 & 詩

エッセー
「人間は感動を操る動物である」

 

 もし僕が大病に罹って医師から余命宣告を受けたとすれば、いままで生きてきた過去を振り返って、感動した出来事を一つひとつ思い出すに違いない。苦い思い出ばかりを振り返れば、来世が期待にそぐわない場合は二度失望することになる。しかし良い思い出なら、来世と現世の比較も容易にできる。来世が現世よりも良かったら嬉しいし、良くなかった場合でも失望は一度だけで済み、良い思い出を来世に持ち込んで慰めることができる。旅行バッグに良い思い出ばかり詰め込んで死を迎えたいものだ。嫌な思い出を脳味噌から追い出して、すっきりした気分で死を迎える。もちろん地獄のことなど考える気はさらさらないし、僕的には来世そのものがなくても構わない。永遠の無が続くのなら、こんな陰気なことを考える無駄も省けるだろう。

 

 そうして僕は死ぬ気になって、来世があるものと一応仮定し、感動したことや印象に残ったことなどを思い出してみる。すると、すべてが「生」に関するものであることに気付くのだ。僕は宇宙飛行士でも冒険家でもないから、月面にもヒマラヤの高峰にも、カラハリ砂漠にも行ったことはない。だから生のない世界に感動したことはない。火星に降り立つ宇宙飛行士はその偉業に感動するだろうが、きっとその感動は長続きせず、次からは火星にいるかもしれない生物を探し始めるに違いない。なぜなら地球人は、それが自分に危害を加えないかぎり、生きとし生けるものに感動し、慈しんできたからだ。

 

 僕が真っ先に思い浮かべた感動は、ギリシアで海に沈む夕陽を眺めたときのことだ。スニオン岬には古代のポセイドン神殿が建っていて、金色の光が朽ちた石柱に降り注いでいた。周囲には多くの男女が肩を寄せ合って海に沈む太陽を見続けている。太陽を神とする宗教は世界各地にあるが、僕はそのときその理由が分かったような気がしたのだ。この太陽が生命の源であり、その光がなければエンタシスの神殿も、愛を語り合う恋人たちも、老人に抱かれた小犬も、周りの草や虫たちも存在しなかった、と……。※1

 

 もちろん「もう一人の主役を忘れちゃいけないぜ」と、金色に輝く海の底でポセイドンが主張するだろう。地球に海がなければ、丘に上がった生物すら干物になってしまうのだから。つまり、この感動的な岬には「生」の頂点を極めた人類と、それが築いた偉大な文明と、それらを育んだ太陽と大洋が勢ぞろいしていたことになる。あの光景は、きっと生命の星である地球のエッセンスが凝縮したものだったに違いない。

 

 次に思い浮かべたのは、スイスのサンモリッツで、尾根に咲く高山植物を見たときに湧き上がった感動だ。しかしそれは「咲き乱れる」とか「百花繚乱」とかいう言葉とは対極にあるような群生だった。一センチにも満たない小さな花たちが、微風の中で微かに揺れながら、汚れのない美しさを慎ましく表現していた。色合いは様々でも、自然でしか表現のできない印象的な特徴で統一され、見る者に感動を与える。それは、浄化された空気を透過した陽の光が小さな花びらをも透過したときに生じる透明感だった。このときの陽光は、スニオン岬に燦々と振り注いだ姿ではなく、汚れのない空気と瞬時に混じり合って同化し、すべての色調を捨てたメディウムを演じていた。天上から降り注ぐピュアな光が、赤や黄や青の小さな花びらに、この世のものとは思えない不思議な清らかさを幻出させている。光を求めて外に出た印象派の画家たちが夢想し、展色剤やニスを駆使しても再現できなかった究極の透明性を、そこに見たような気がした。

 

 僕はそのとき、この世にないものを見たときの泣きたくなるような愛おしさを感じたのだ。長子を得た父親が妻の横にスヤスヤと眠る赤ん坊を見て、そんな感動に陥るかもしれない。あるいは史上最強のストーカーであるキングコングが、手中の金髪美人を眺めて臭い息を吹きかけ、そよぐ髪の毛に感じるものかもしれない(蛇足)。僕はそのとき以来、花屋の色とりどりの切花にも、園芸植物にも、バラ園にも、ダリア園にも、ほとんど興味を示さなくなった。ただ散歩しながら、時たま道端の雑草が咲かせる小さな花たちを眺めているが、いかんせん透明感がない。残念なことに、陽光が汚れた空気と瞬時に同化して、濁った光を花びらに投げ付けているのだ。それでも、きっと天上の世界には、あのとき見た花園があるに違いないと思っている。天に昇れたらの話だが……。

 

 さあ、僕はこの二つの思い出をリュックサックに入れて、いさぎよくあの世に旅立とう。こうしてみると、僕が感動したのは人間ではなく、自然の景色やら文化遺産やら昔の美術・音楽だったりするが、そもそも感動したというのも大袈裟ではないかという結論に至り、感動遍歴は「スニオン岬」と「サンモリッツ」に止めおくのが無難ということになった。「人生が変わった」などとやたら感動する人の爪の垢でも煎じたい気分だ。

 

 人はいずれは死ぬ。ならば、感動した思い出を大切にして、色あせることのないようにちゃんと保存しておくべきだろう。いざあの世に出発するときに、ガサゴソ探し回ることのないように、少なくとも二、三の思い出を雛人形のように丁寧に保管し、時たま陰干ししてカビの生えないようにしておくべきだ。

 

 ところが、ただ生きていることにしか感動の材料になりえない人たちがいることも、もう一つの事実だ。生まれたときから寝たきりの人もいれば、生まれたときから戦乱が続いている地域の人もいる。あるいは人生のある時期から、そのような状況に陥った人もいるだろう。彼らの心の周囲には、およそ感動になり得ない「不自由」や「死」や「破壊」が散乱している。それでも昔元気だった人や破壊されていない街で生活したことのある人なら、生き生きとした時代の思い出をリュックサックに仕込んで旅立つこともできる。

 

 ならば生まれたときから体の不自由な人や、生まれたときから戦争している地域の人はどうなのだろう。恐らく彼らは、僕たちが気付かないような些細なことに感動しているに違いない。例えば病床の窓から見える花の蕾や、瓦礫を突き抜けて伸びる実生の幼木などに……。「人間は象徴を操る動物だ」と言った哲学者がいたが、僕は「人間は感動を操る動物だ」と言いたいのだ。あるいは「感動で生きている動物」と言ったほうが良いかもしれない。昔『未知との遭遇』という映画があったが、宇宙人と出会うこともビッグな感動だろうが、一輪の花や蕾に出会うことだって大きな感動になり得るだろう。

 

 昨日まで生きていた人間が今日死ぬことに感動は伴わないが、昨日まで死んでいた人間が今日生き返ることには感動が伴う。キリスト教ではそこから新たな物語が始まっていく。爆弾で多くの人が死ぬことに感動は伴わないが、戦乱の地に平和が訪れれば感動を伴う。人々は過去を忘れようと努力し、胸を膨らませて新たな物語を創り出していくだろう。

 

 感動はあらゆることどもの「生」によって引き起こされる爆発的な心の動きだ。だから、古代から人々は不毛の地を耕してきたし、沙漠のオアシスに文明を築いてきた。難病の子供たちに快復の感動を与えようと、医師や看護師たちは必死に努力するし、難民の子供たちに生きる感動を与えようと、多くのボランティア団体が戦地に赴き活動している。この冷厳でメタリックな宇宙の中で、あらゆる「生」を生み出し続ける地球が「感動」をも生み出し続ける唯一の星であることは言うまでもない。

 

 ただ残念なことに、自分の「生」に執着するあまり、自分勝手な「感動」に満足しようとする連中がいることも事実だろう。彼らは恐らく、欲望の中に感動の材料があると思い込んでいるか、周りに点在するささやかな材料を感動や幸福に昇華することのできない人々に違いない。他国に侵入して、そこに暮らす人々の「生」を奪い、自分の「生」を豊かにしようとしても、そこから真の「感動」は生まれない。なぜなら壊す側にも壊される側にも、破壊された土地の瓦礫は心の傷として、末永く残り続けるからだ。誰一人として、死や破壊を伴う所に感動する者はいないはずだ。※2

 

※1 太陽が生命の源であるなら、生命の危機を救ってくれるのも太陽に違いない。地球温暖化対策としての太陽光利用は、まだまだ少なすぎるのが現状だ。「オフグリッド」や「プチオフグリッド」など、個々の家庭での太陽光発電を各国政府は積極的に推進する必要があるだろう。

 

※2 集団的感動は集団的熱狂を伴うことも事実で、それを演出して巨額な富を得る人々もいるだろう。大きな競技会は人々に感動をもたらす一方で、興行主を潤わせる。また、不正な手段で英雄になろうとする選手も出てくるだろう。日本人の多くは侵略される人々の心を理解しているが、それは敗戦という苦い経験があるからだ。かつて戦勝国だったロシア人の多くは旧ソ連時代の感性を未だに引きずっている。クリミア進攻後にプーチン大統領の支持率が上がった事実は、それに感動したロシア人が少なからずいたことを意味する。昨日、ロシアはウクライナの別地域に進攻を開始したが、支持率も漸増しているという。かつて大陸に進出したわが国の熱狂ほどではないにしろ、彼らはまんざらでもないと思っているわけで、世界平和の実現がいかに難しいものであるかを考えざるを得ない。悲しいことに……。

 

 


鳥葬

 

男は仲間たちに持論を展開した
生き物の終焉の地は
魂が抜けた場所だ
その場所でほかの生き物たちに
命の糧を贈るのだ
奴らを食らってきた罪滅ぼしさ
死する者のエネルギーは
生ける奴らに乗り移り
命の源はパワーとなって
永遠に引き継がれる

 

なぜ人間だけ灰にされ
狭い壷に詰め込まれて
窮屈な墓穴に落とされるのだ
自然の摂理に反逆する
傲慢な行為さ
死者への思いなど
いずれ忘れ去られるのに・・・

 

嗚呼、魂は天空を求めている
育ててくれた自然に感謝し
不要となる朽ちた肉体は
カラスどもに贈るとしよう
それはこの星本来の生きざま
生きとし生ける者の性

 

さあ俺の魂は
翼を得て天に昇るのだ
罪深き人間どもよ、さらば!
男は力の限り息を吸い込み
希望に胸を膨らませて死んだ

 

仲間は真夜中に死体を担ぎ
発覚を恐れるあまり
山の崖から奈落に落とした
そこは茨の藪でスズメすら来ず
男は念願かなわずに
棘々のハンモックに遊ばれて
美味そうな血燐干になりました

 

 

 

 

対消滅

 

自分を不完全な人間だと思っているなら
どこかでおまえの分身が
自分を不完全な人間だと思っているのだ

 

おまえの心が落ち着かないのは
おまえの心の欠けた半分を
どこかにいるおまえの分身が持っているからだ

 

おまえとおまえの分身が
いつも不幸であり続けるのは
おまえが分身を見分ける力がなく
おまえの分身もおまえを見分けられないからだ

 

おまえと分身は二つに裂かれた心を分け合っているのだ
だからおまえとおまえの分身は心が満たされず
失った心に価値があると思い込み
いつまでも不幸であり続けるのだ

 

おまえもおまえの分身も恥ずかしさのあまり
貧相な肉体から芽生える下卑た心を隠しているのだ
だからおまえは分身と擦れ違っても
相手をあざ嗤うばかりで
おまえの分身であることに気付かないのだ

 

おまえが分身を見つけられなければ
分身もおまえを見つけられず
おまえも分身も不幸であり続けるのだ

 

おまえの分身はたったいま
欠けた心を肉体から解放したのだ
さあおまえも早くその肉体から潔く
不満足な心を解放させるのだ
飛び出した二つの心は割れた皿のように
空中でピタリと結合して真円となり
つかの間の喜びの中で燃え尽きるのだ

 

おまえと分身は粒子と反粒子の関係で
出逢ったときが消滅するときなのだ
しかしそのときにようやく理解するのだ
至福は一瞬にして過ぎ去ることを…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

響月光の小説と戯曲|響月 光(きょうげつ こう) 詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。|note

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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エッセー「神様の想定外」& 詩ほか

エッセー
神様の想定外

 仏教では修行者が食を絶って大日如来と結合する「即身成仏」や、飢餓などで苦しむ人々の救済を目的に、高僧が生きたまま土に埋められる「入定(永遠の瞑想)」という自ら命を絶つ行為があった。両者ともミイラになるので、即身成仏は空海が有名だし、入定は「即身仏」として全国で17体あって祀られている。当然のことだが、欧化主義の明治政府はこれらを禁止した。話は飛ぶが、カフカに『断食芸人』という短編小説がある。観客がみんな飽きて素通りするのに断食し続け、ついには死んでしまう芸人の物語だ。

 一方、日本の入管施設ではウィシュマさん以外にも多くの収容者が亡くなられているけれど、その一人のナイジェリア人は2019年にハンガーストライキで亡くなっている。窃盗などで実刑を受けたとはいえ、帰国を拒んだため仮釈放後長期にわたり収容され、仮放免が許可されなかったことへの抗議だった。
 
 これらには共通点があるだろう。どれも自分の意思で食を断ったということ。その結末は死であることを承知しての行為だ。しかし、「即身成仏、即身仏」と「断食芸人、ハンスト」には共通でない部分もあるだろう。「即身成仏」は大日如来と結合できるし、「即身仏」はミイラが残って信仰上の仏として生き続けることができる。これらは仏となることを願って餓死するのだ。天国へ行けると信じて自爆するイスラム過激派と似てなくもないが、人の命を奪うか奪わないかの違いはある。※

 「ハンストは」、為政者へのプロテストとして相手を脅す行為だから、死を覚悟しても死にたくはない。死んでしまったら自分の負けで、餓死は目的の扉ではない。できれば扉を開けたくない。その一歩手前で、相手の腰を折るのが目的だ。『断食芸人』は小説だから色々な解釈ができるので、一般的なことを言おう。ヨーロッパでは20世紀をまたぐ頃に興行されていた芸らしく、土地の人間が交代で監視しながら檻に入って定められた期間断食し、決められた日数(小説では40日)断食すれば投げ銭をもらえるといったものだ。未踏峰登山などと同じ挑戦ジャンルで、失敗すれば命はない。

 小説では、観客に飽きられた芸人が無期限の断食に挑戦して死んでいくことになるが、記録を更新して生還すればギネス記録に認定されて栄誉を獲得できるだろうが(現在382日が認定)、危険なので今は認定していないという。一見、「餓死」には二通りあるように見える。死ぬために食を絶つものと、生きるために食を絶つもの(もちろん食う物がなくて死ぬのも餓死だ)。

 しかし、「即身成仏」や「即身仏」は自殺とは違う。自殺は自分の生を滅する行為だが、これらは仏として自分も生き、その力で数多の人々をも生かそうとするもので、結局は生きるために食を絶つものなのだ。つまり、「即身成仏」も「即身仏」も「ハンスト」も「断食芸人」も、生きるための行為ということだ。

 これは人間から離れて、地球を考えてみると分かりやすくなる。地球上の生物は死ぬために生きているのではなく、生きるために生きている。だから飢えや事故で死ぬのは無念の死ということになる。ということは、生きることに嫌気がさして死ぬ自殺は、自然の摂理にそぐわない行為と言える。カフカの『断食芸人』では、芸人が「自分に合った食べ物を見つけることができなかった」と言っているが、これは自殺と同じ絶望死の範疇に投げ込むこともできるだろう。カフカの意図は分からないが、「自分に合った世の中を見つけることができなかった」と言って自殺する人間は五万といる。「この世は不可解だ」と言って華厳の滝に飛び込んだ藤村操(漱石の教え子)もその一人だ。

 しかし自然の摂理が「生きるために生きる」のなら、きっと「死ぬために生きる」も摂理に違いない。自然の摂理が「ほかの生物を殺さなければ生きていけない」ことになっているからだ。食われる生物は、生きるために生きていると同時に、自分の意思に反して死ぬためにも生きていて、捕食者の生存を支えている。つまり「生きるために生きる」は神様の意志ではなく、あくまで生き物たちの意思で、彼らは「死ぬために生きる」ことのないよう、壮絶な営みを繰り返している。

 こんな地球のシステムを創造したのが神様だとすれば、ずいぶん残酷な神だが、神などいないと考えれば、単なる自然現象の一部ということになる。しかしこのシステムを残酷だと感じるのはせいぜい人間ぐらいで、一部の高等動物を除いては仲間の死を悲しむことすらないだろう。多くの生物が単に生きていて、単に食われていくだけの話だ。そこには「無念の死」などという感覚はさらさらない。

 だから理不尽な神様がこの星を創造したのなら、いまの地球は想定外の出来事だったに違いない。生き物たちは本能のままに食らい、食われていれば良かったはずなのに、生物は色々な種に分化して進化し始めたからだ。そして、きわめて本能的に、自分は死んでも種を絶やさないという意思すら持つようになった。もちろん、種が進化したっていずれ絶滅すれば、同じ円環を堂々巡りするだけで想定外というわけではなく、神様も安心できたろう。

 神様にとっての想定外は、ヒトという猿が「脳みそ」という臓器を進化させてしまったことに違いない。それまで生態系は、地球という星の表面で起きている生物界の現象だった。「驕れる者はいずれ滅びる」という法則に則り、栄える種は栄え、滅びる種は滅びればよかった。ところが人間は、滅亡する前に地球を支配してしまった。神様が創った星を、人類が乗っ取ったという構図になる。しかし、いずれ人類が滅びれば、「想定外」は解消される。人間は一時的に地球を支配しただけで、また元に戻るだけの話だ。

 それが証拠に、地球生態系の頂点に君臨した人間は、ほかの生物を食らいながら生き延びてきたが、その餌を獲得するために同種間で壮絶な縄張り争いを繰り返している。きっと胃袋に何も入らなければ、共食いだってするだろう。これは、神様が描いた設計図通りで、壮絶な活動を繰り返しているほかの生物と同じく、自然の一部として完全にコントロールされているということなのだ。人を含めた生物の悲しい性だ。

 しかし、もし神様がいまだに「想定外」だと思っているなら、それは人間が「脳みそ」の進化過程で、「愛」も進化させてしまったからに違いない。人間の「愛」は神様の設計図から逸脱し、納まりどころが悪くてぶらぶら揺れている。最初は生殖のための原初的な愛が、餌を確保するための家族・集団的な愛に進化し、今では「生物愛」や「人類愛」、「地球愛」というところまで進化してしまったが、そのすべてが細い糸で繋がっていて、連凧のように揺れている。この連凧は流行り廃りのある玩具のようなもので、時代や状況によって上の数枚が増えたり、減ったりする。加えて強風でも吹いて個人の生存が脅かされるときには、たちまち糸が引っ張られてエゴの中に格納され、「想定内」に戻る。

 そうなった場合は、「弱肉強食」という神様の設計図に従って活動することになる。各地で勃発する戦争は餌の確保のための縄張り争いで、人間は生物の本能に従って行動している。民族愛や国家愛は、猿の「集団愛」と同じレベルだ。一方で、個人の生存が脅かされない地域の人々は、悠長に連凧を揚げて、やれ「人類愛」だとか、やれ「地球愛」、やれ「ヴィーガンベジタリアン)」などと宣っているわけだ。しかし彼らだって、環境が激変して個人の生存が脅かされるようになれば、たちまち連凧を胸の内に折り畳んで自己主張を始めるだろう。そうして生物の歴史は連綿と繰り返されていくのだ。

 しかしいまの人間は、神様を「想定外」と思わせなければならない時期に来ているのだと思う。進化した人間の脳みそは、「人類は滅びるかもしれない」という共通認識を抱くようになった。その大きな原因の一つは「核兵器」である。脳みその進化で科学も進化し、瞬時に人類を滅亡させるような兵器も出来てしまった。仮に人間が核兵器を使用して滅亡するようなことがあっても、神様の設計図からすれば「想定内」なのだ。

 世界大戦後の米ソ冷戦下の時代に、『渚にて』(1959年、スタンリー・クレイマー監督)という映画があった。全面核戦争後に、難を逃れた米原潜が母国に戻るが、生存者を一人も発見できなかった。彼らはノアの方舟よろしく、まだ死の灰が到達していないオーストラリアに向かうが、いずれそこも汚染され、人類は滅亡するといったあらすじだ。新冷戦時代(第二次冷戦)と言われる現在でも、当時の危機的な状況は変わっていないし、技術の進歩でむしろ危険度は増している。

 しかし、進化した人間の脳みそは「人類を滅亡させてはいけない」とも考え始めている。生物はたとえ本能だろうと、種の存続に命をかける。いわんや人間をや、だ。この望みを実現するには、神様の意図を覆させなければいけないことになる。ところが神様の設計図は、地球生物の血液の中にDNAとして流れており、一筋縄で行くものではない。以前『ホモ・デウス』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)という本がベストセラーになったが、少なくとも神様の設計図通りに人間が動いているうちは想定内で、神様(ゼウス)に代わることはないだろう。当然のことだが、僕が「神様」と言っている神は冷厳な創造主(自然の摂理)であって、人間が想像する慈悲深い神でも横暴なゼウスでも、喧嘩好きなそこらの神でもない。

 人間が神様に「想定外」と思わせるためには、少なくとも人間だけは「地球生態系」という設計図から抜け出す必要がある。設計通りなら、ほかの生物と同じことを繰り返すに留まるからだ。これは神様の領域に挑戦して神様に勝つことを意味するが、神様と同じポジションに立つことでも、創造主が二人現れることでもない。僕は『ホモ・デウス』のような驕れる人間をイメージしてはいない。ロケットが地球重力から解放され宇宙に飛び出すように、人間だけが神様の手中から解放されて、独り立ちするという意味だ。人間が生態系から独り立ちしたって、ほかの生物の生態系は変わらないし、「弱肉強食」という神様の基本方針も覆されることはないだろう。

 人はしばしば「天国」を夢見るが、そこは恐らく「地球生態系」という神様の設計図から解放された場所だと思っている。そこに「弱肉強食」という概念は無く、諍いは雲散霧消し、平和で満たされている。「愛」を進化させてしまった人間は、家族や仲間が「弱肉強食」の餌食になるなどして悲しみを共有し、ギリシア悲劇のずっと前から「地球生態系」の居心地悪さを感じてきたに違いない。だから「天国」やら「イデアの世界」やらが現代人の脳裏にもしばしば現れ、空想の中に引き込まれてしまう人たちもいるわけだ。

 しかし「天国」は空想かも知れないが、空想だと決めつけた時点で人間は思考停止に陥ってしまう。人間は昔から「天国」へ行くことを想定して、改心したり、善行を積んだり、免罪符を買ったり色々努力してきたわけだ。現世に不満を持つ人間は、現世で居心地の悪かった部分を解消してくれるのが「天国」だと思っているし、現世に満足している人間は死後も同じような境遇にありたいと願うだろう。

 それでは「天国」など信じない現代人が現世でなにをしているかというと、達成できていない課題を解消しようと努力しているわけだ。これはライオンがほふく前進して獲物に近づくのとは違う。ライオンは本能的に狩りの体勢を取っていて、獲物にありついた自分をイメージしているわけではない。だから獲り逃がしたあとも、涼しい顔をしている。しかし人間は明らかに、「天国」なり「イデアの世界」なりの理想的状況をイメージしながら、それを現実社会に具現化しようと努めている。「天国」というバーチャルな世界を形にする努力は人間だけのもので、それだけが唯一、神様の掌から逃れる隙間なのだ。一縷の隙間をこじ開けるには大きな力が必要だが、ピラミッドを見た人間なら、それは可能かもしれないと思うだろう。古代の祖先が一致団結して造ったのだから。

 もし人類が連綿と続いてきた「地球生態系」の軛から逃れたいと思うなら、危機感を共有する79億もの人間が一つとなって、創造主たる神様に対峙しなければならないだろう。ガキ大将の支配から逃れようとする虚弱少年のように、勇気をもって立ち向かわなければならないが、相手はジャイアン以上の巨人だ。一致団結したって勝てるかどうかは分からない。しかし想定外の進化を遂げた「愛」と、旧態依然とした弱肉強食システムの間に齟齬が生じていることは事実だし、核兵器が人類滅亡のトリガーになり得ることも事実なのだ。

 虚弱な人間たちが巨人に対抗し、巨人の圧力から解放されるには、ワンランク上のステージに這い上がらなければならない。その場所は、人間だけが神様の支配から解放された舞台に違いない。きっとそこは、ほかの生物を食らう「弱肉強食」からも、仲間どうしが食いあう「共食い」からも解放された場所に違いない。異常に進化した「愛」と、異常に進化した「脳みそ」を駆使すれば、不可能ではないはずだ。豚肉が培養肉に置き換わる時代なのだから……。

 仏教の華厳経に「一即多 多即一」という言葉があるが、「あらゆるものは無縁の縁によって成り立っている」といった意味らしい。自分は孤独だと思っていても、79億もの人間と見えない糸で繋がっている。その糸は連凧のように弱々しい糸だ。しかしほかの人間たちが消滅すれば糸も消え、自分の存在意義を失ってしまう。最後の一匹となったニホンオオカミは、恋人にも仲間にも出会うことなく、自暴自棄の中でさみしく消えていったに違いない。しかし反対に、街に爆弾を落とした飛行士は、無念の死を遂げた市民たちと「有縁(うえん)の縁」で繋がってしまう。彼の行為は「共食い」のヴァリエーションで、時たまフラッシュバックとなって死ぬまで悩まされることになる。

 ある民族やある国を消滅させて自分たちだけが繫栄しても、同じメカニズムを繰り返すだけなら、やがてはすべてが消滅する。人間たちは、冷酷な神様の設計通りに動き回っているに過ぎず、その先には設計通りの「絶滅」が控えているだろう。神様のレッドデータには人類も含まれている。そのカタログから抜け出すには、異常に進化した「愛」と「英知」による絶妙のコンビネーションで立ち向かう以外に方法はない。そしてそれが成功した暁には、きっと神様の指の隙間にチラチラ見え隠れする宇宙人たちも諸手を挙げて飛び出してくるだろう。彼らは確実に、人間を超えた愛と英知で神様に勝った連中なのだから。

※ 基本的な願いは「即身成仏、即身仏」も「過激派」も変わらない。両者の願いは世界を救うことにあるのだから。お坊様は仏頼みで、過激派は武力で、と手段が違うだけだ。過激派をいくら糾弾しても、彼らは「創造的破壊」を実行していると反論するだろう。



鬼軍曹の死

(戦争レクイエムより)

自分が埋めた地雷を踏みやがった
五メートル浮き上がって
どでかい音が鼓膜を破った
首はもげて八メートル先の池に落ち
黄色いカエルを真っ赤に染めた
右足は付け根から十メートル飛ばされ
右手はもげても軽機銃を離さず
ドドドと撃ちまくりながら
敵陣十二メートルをひとっ飛び
銃剣がラワンの太っ腹に突き刺さり
台尻からキラキラ血が滴り落ちた
首無し胴体はそいつを見ることもなく
二階級特進してじたばたせず
泰然として砂地にソフトランディング

少尉殿は横目でそれを見ながら
死んだ奴は知らんとばかりに
奪還だ、奪還だと叫びながら
鬼の顔して部下たちを引き連れ
ジャングルの中に消えていった
やがて銃声が遠のくと
野良犬が三匹やってきて、キョロキョロと
もげた右足をウーウー引っ張りあいながら
仲悪く森の中に消えていった

最初に来たのは村の男でキョロキョロと
軍曹殿のポケットをまさぐって
時計や財布を巻き上げていった
次に来たのはバカンスにやってきた
ずっと昔に火あぶりで死んだ
北方の魔女たちだ
ちょうど昼時で腹が減ってたから
何世紀ぶりに魔女会でもしようということになり
沼から生首と赤ガエルを捕まえてきて
巻き付いてた血塗りの手拭いを
法王のマントみたいに
カエルに着せて仲良く並ばせ
どこからか大鍋を持ち出し沼の水を入れ
マングローブの根っこに火を付けた

湯加減が良くなったところで
まずは生首で出汁を取ろうと
魔女の一人が首っ玉を掴もうとしたら
生首が歯をむき出して手を嚙んだので
イテテと笑いながら手を引っ込めた
往生際の悪い奴だねえ
どうせあんたは腐るだけだろ
だからといってお前に食わす理由はないさ
仲間の勝利を見届けてからあの世に行きたいのさ
見るなよ、見ないほうがいい、見るべきじゃないさ
あんたの仲間は今日明日にも玉砕するんだからさ
だからといってお前らに食わす理由はないさ

ハハハと嗤いながら両手で鉄兜を引っ掴み
眼ん球を海のほうに向けやがった
そこには白い砂浜が黒くなるほど
地元の幽霊どもが蟠っていやがった
みんなみんな貧相な顔で飢えていて
スープができるのをじりじり待ってるんだ
首のない奴が両手で首を抱えてやってきて
軍曹殿お久しぶりです
こいつはあんたの刀で刎ねられた
おいらの愛しい首っ玉ですぜ
もう用なしなので
あんたと一緒にお鍋に放り込んでくだせえやし

小さな子供が十人しゃしゃり出て
お父さんお母さんを殺されて
おじさんたちが食べ物を残らず持ってったから
腹が減って死んだんだよ
早くおじさんの首っ玉スープを飲ませておくれよ
このままだと腹ペコで死んじゃうよ

子供が引っ込むと
服を裂かれた四人の娘がやってきて
無言のまま涙を流している
おいやめてくれよ、堪忍してくれ!
娘たちが二手に分かれて引っ込んだ間から
振袖姿の女が忽然と現れ
白々しく眺めている

嗚呼出征前に盃を交わした俺の女房
ヘエ空襲でねえ、お釈迦様でも知らんぜよ
私は晴れ着を出しておぼこに戻り
これから天国に行こうと思うんです
私のわがまま許していただけますか
許すも許さんも誰も地獄なんざ行きたくないさ
それに俺だって天国へ行けるかもしれんしさ
お国のために頑張ったんだ
准尉殿は死んでも鉄砲を撃ち続けました

すると魔女どもも村人も女房までもがナイナイナイと大爆笑
挙句に襟から逆三行半を取り出して軍曹殿のオデコに貼り付け
天国でいい人を見つけるのよと宣った
軍曹殿はそのイメージギャップに唖然として
軽く軽く軽々しく、天に召される女房を
重く重く重々しく、上目遣いに見送った
いつも寝る前にあいつの写真にキスしてやったのに
まあ俺の脳味噌をすすらなかっただけでも御の字か…

さあさあサイケデリックな大饗宴の始まりだ
魔女どもは箒に乗って空中を乱舞し
爺さん婆さんから小っこい子供まで
空中浮遊で過激に踊りまくる
みんなお祭りも喧嘩も好きなんだなあ…

さあいよいよ御首様の浸礼儀式が始まるぞ
マッチョの若者が二人、軍曹殿の鉄兜を厳かに取り去り
どっからかくすねた銀のトレイに首級を乗せ
坊主頭の上にカエル法王をちょこんと乗せる
二人がそいつを肩まで上げると魔女どもが降臨して
噛みつかれないよう、代わりばんこにキスを始めた
どいつもこいつも婆さんばかりで
気持ち悪いったらありゃしない
お次はゲリラ連中が首実検
こいつだこいつだと口々に
唾をペッペと吐き付けやがった
食材を手荒に扱うな!

さあいよいよ首っ玉の投入だ
トレイが高く掲げられると
ぐつぐつ煮えたぎる泥水が目の前に飛び込んでくる
驚いたカエルが跳びはねたが両足を縛られよって
かわず飛び込むお湯の音 ジャッポン!
おいおい本気でおいらをぶっ込むつもりかよ
五右衛門さんじゃないんだからよ

万事休すと思ったとたん
敵兵が五人ほどジャングルから飛び出して
敗残兵を探し始めたので首煮会は散会じゃ
幽霊どもはどこかへ消えちまった
九死に一生を得るとはこのことさ
ところが青二才の新兵が
軍曹殿の首っ玉を見つけてニヤリと嗤い
ジャップ!と吐き捨て
思い切り蹴りやがった

お味噌の少ない軍曹殿でも
さすがに五メートルしか飛ばなかったが
仲間の青二才がそいつをサッカーみたいに
波打ち際までドリブルで転がし
最後は海に向かって思い切り蹴りやがった ジャップン!

軍曹殿の鼻っぱしらは完全に折られたが
それでも鍋の具材になるよか百倍マシだ
軍曹殿はさざ波に弄ばれながら
走馬灯のようにクルクルと回転し
群がる雑魚を振り払いながら
涙ながらに故郷の歌を口ずさんだな

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 首玉一つ
異郷の岸を 離れて
汝はそも 波に幾月
独り身の 浮き寝の旅ぞ
海の陽の 昇るを見れば
たぎり落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々
異郷の鬼は 故郷の仏
いずれの日にか 国に帰らん…

 

 

奇譚童話「草原の光」
二十三

 でも、勝敗は最初から分かってたようなもんだな。だって相手は図体はデカくても素手でかかってくるのに、こっちは飛び道具を持ってんだ。信長が勝った桶狭間の戦いみたいなもんさ。それに普通、総大将は後ろに控えてるのに、突撃隊長になってんだ。でも、最前列はデカいティラノで固められてるから、怖いことは怖いよな。草食恐竜もカメレオーネもガタガタ震えたけど、誰も敵前逃亡はしなかった。したいにも後ろが崖だから、逃げる場所がなかったのさ。だから仕方なしに銃をぶっ放した。ビームはちゃんと当たるようにできてるから、百発百中。

 撃たれたティラノは総大将以下、急に足がもつれてゴロゴロとこっちに転がってくるからみんな慌てたな。それでも、こっちまで転がって草食恐竜にぶち当たったのは三匹ぐらいだったし、当たった仲間はティラノより大きかったから、横綱稽古みたいにドンと受け止めたな。もちろん怖いのはあのデカい牙だけど、本能的にアパトの首根っこに嚙みついたものの噛む力も無くしていて、体全体を痙攣させた。で、後ろ足からどんどんひき肉になっていくんだ。これを見た崖のカメレオーネたちが、一斉に拍手喝采だ。
 ムスコロもどんどんミンチになっていき、最後に自慢の牙が崩れてウジ虫の山みたいになったところで、頭のあたりのミンチの山から祖先帰りした昔のムスコロがひょっこり現れたんだ。最初はボーッとしてたけど、一斉攻撃二列目が間近に迫ってきたので慌てて崖によじ登り、親父のカッキオと抱き合ったんだ。『放蕩息子の帰還』っていう絵みたいな感じだったな。
 けれど二列目が突進してきても、アインシュタインは「用意、撃て」とは言わなかった。でも臆病な連中が銃を撃ち始めちゃった。それを見たアインシュタインは「撃ち方止め!」って叫んだんだ。見ると、第二陣は攻撃をそっちのけでミンチになった仲間の肉を美味そうにガツガツ食ってんだ。悲しい本能なんだな、可哀そうな連中だよ。さすがに三列目はそれを見て戦意をなくし、くびすを返して敵前逃亡。その後ろの連中も悲しい雄叫びを上げながら草原を散り散りに逃げてった。てなわけでミンチにされて祖先帰りした連中は、恐竜時代のことはすっかり忘れて崖の上によじ登り、昔の仲間と抱き合ったというわけさ。

で、敵のほとんどが逃げちゃったんで、こっちから出向かなきゃならなくなったんだ。草原の掃討作戦だな。みんな祖先帰り銃を持ってるから安心して、分散攻撃で肉食竜を祖先帰りさせることになったんだ。アインシュタインは総大将だから、山の上から軍配持って眺めることにし、先生とナオミとケントの三人は、アパトの頭に乗って追撃に出発。ウニベルとステラは、全長四メートルのニッポノサウルスの首に乗った。ヒカリはトリケラトプスに乗ることにしたんだ。ヒカリのポケットの中にはスネックとハンナとジャクソンも入っているのさ。

 アパトの高い展望台から草原を眺めると、一面に生えている三メートル近い草が所々で凹んでいる。そこに肉食竜の背中がチラチラ見えるのさ。頭隠して背中隠さずってわけ。今まで隠れる必要もなかったんだから、下手は当たり前だな。近くに三頭固まって潜んでるのを見っけたから、先生はまずそこを攻撃しようと思った。三人で標的を分担してアパトはゆっくりと近づいていったな。
 背中が見えるんだから、そのまま背中を狙って銃を撃てばすぐに片付けられるんだ。だけど先生は先生らしくこだわったんだな。相手の了承を得てから撃とうと思ったんだ。でも本当はそんな時間ないんだよな。ターゲットはたくさんいるんだから。でも先生は奇襲は卑怯だと思ってたんだ。で、大声を張り上げた。
「おい肉食派諸君。覚悟はできているかね。君たちは死ぬわけじゃない。昔の君たちに戻るんだ。怖がることはない。生まれたときの君たちになるんだ。純真な心にもどって生き方を見直し、また一から出直してまっとうな人生を歩もうじゃないか。多くの連中がそう願いつつもできないのに、君たちは心身ともに初期化できるんだ。素晴らしい人生を再開できるんだ。さあ、隠れてないで出てきなさい」

 すると三頭ともむっくりと起き上がり、アパトの頭の上の三人を睨みつけた。三人はその迫力に一瞬体が縮み上がった。
「素晴らしい人生ってなによ! まっとうな人生ってなによ!」って肉食女子が牙を剝いた。
「あたしたちの楽しみは肉を食うことなのよ。あたしたちは肉の楽しみのために生きてるのさ。あたしたちの人生は肉に捧げる人生さ。あんたたちのまっとうな人生ってなんなのさ。言ってごらんよ」
 先生はいきなり振られて驚いたが、落ち着いた振りをして答えた。
「私たちモーロクのまっとうな人生は、日々十リットルの水と二十キロの土を食べ、隣人と仲良くするものさ。そして一番大事なのは、仲間たちと協力し合って穴を広げ、社会が必要とする様々な公共施設を造ることだ。また、照明のために必要なヒカリゴケを栽培し、その照明でウドの大木も育てている。もちろん、いろんな趣味も人生には必要だな。例えば私は、雑学を勉強することが趣味と言っても良いな」
「ケッ、つまんねえ人生!」って、もう一頭がゲラゲラ笑った。
「アクティブじゃないけど筋肉は動かしてるわね」ってさらにもう一頭。
「だけどなんで穴なのよ」
「私たちは地底人なんだ」
 すると三頭とも爆音のように笑い出した。
「なんだモグラの仲間か」
「食べても不味そうだわね」
「でもこのバカでかい草食男子は食べ応えありそう」ってアパトを指さす。
 先生は危機感を感じて「一応説明したので同意がなくても撃ちますが、よろしいですか」と言って銃を真ん中のティラノに向けた。それにならってケントは右側、ナオミは左側の恐竜を狙った。
「ちょっと待ってよ」と言って三頭は寄ってヒソヒソ話を始め、うなづき合って元の場所に戻る。
「協議の結果、私たちはカメレオーネに戻って昆虫を食べることにしました。大好きな肉を断つのは断腸の思いですけど、大きな恐竜を食うより小さな虫を食うほうがあんた方の神様が喜ぶなら、そうすることにするわ。おとなしく撃たれることにしたの」
「そうそう、それがいいよ。人生重く生きるよりも軽く生きたほうが得さ」ってケント。
「でも、カメレオーネはいま草しか食べないわ」ってナオミ。
「ケッ、俺たちにのろまな草食竜になれってことかよ!」とオスが切れたが、仲間がドウドウドウとウィンクし、「草でも糞でも、泥よりはマシさ」って皮肉を言った。
「でも撃たれる前に、倒れた獲物を囲んで踊る収獲の踊りを披露したいわ」
「死の舞踏だわさ」
「俺たちの華麗な踊りをぜひとも見せてやりたいんだ」
「あたしたちの大好きな肉を前にして、神様に感謝する踊りだわさ」
「こんな激しい踊り、カメレオーネになったら二度と踊れないものな」
「そりゃ面白そうだ。迫力ありそう」
 時間がなかったが、好奇心の強い先生はどうぞとばかりに頷いた。
「じゃあすんません。アパトサウルスさん、死んだふりをしてお寝んねの姿勢を取っていただけますでしょうか」
 アパトはためらったが、先生の言うことを聞いて素直に足を折り畳んだので、足の分だけ頭の位置も低くなったな。
「さあ、いよいよ『三頭の大きな恐竜たちの踊り』の始まり始まり」

 恐竜たちはアパトの周りを反時計回りに歩き始め、途中で等間隔に分裂して走り出し、だんだん加速していき、しまいには雄叫びを上げながら時速七十キロくらいになって駆けまくったので、アパトも頭の三人も目が回ってしまった。踊り子たちも疲れてきたので、一頭が仲間に声をかけた。
「そろそろ行く?」
「オッケー」
「イチニノサン!」
 いきなり一頭がアパトの頭の位置で急ブレーキをかけ、飛び上がって大きな口でアパトの頭に噛り付いた。残りの二頭も背中に乗って首根っこに噛り付いたり尻に噛り付いたりで、最悪の事態になっちまった。頭に食らいついた奴は、牙に力を入れて顔を左右に振ったので、アパトの首の一番細い部分は簡単に千切れ、三人はアパトの頭と一緒に太い食道を一瞬に通過して大きな胃袋に落ちちまった。とたんに獲物のご到着を歓迎して胃壁から強塩酸がシャワーのように出てきたので、三人は慌てて銃を撃ちまくった。で、結果として胃袋はたちまちミンチになっちまい、そのミンチがドミノ倒しみたいにどんどん周りに広がって、三人は挽肉の山からなんとか生還できたのさ。当然、生まれ変わったカメレオーネがちょこんと首を出したが、恥ずかしさのあまり逃げていった。

 三人が目にしたのは、アパトの体をムシャムシャ食べている二頭のティラノだった。驚いた三人は一斉に銃を撃ったので連中もたちまちミンチの山になっちまい、カメレオーネに変身して草むらの中に逃げていった。三人はアパトの変わり果てた姿に呆然と立ち尽くしたが、どこからともなく小型肉食竜が十匹ほどやってきてミンチの山やアパトに嚙り付いたので、三人はでたらめに撃ちまくった。そしたらアパトにも当たったらしく、小型恐竜もアパトの体もどんどんミンチになっていく。小型連中はみんなカメレオーネに戻って草藪に逃げた。一匹だけ残ってこちらを見てたので、三人はひそかに期待しながら先生が尋ねたんだ。
「君はアパトかね?」
「そうさ」
 それを聞いて三人は飛び上がって喜んだんだ。大きなアパトには脳みそが二つあって、首の脳みそは死んでも、背中の脳みそは生きてたんだな。生きていれば祖先帰りができて、カメレオーネに戻れたんだ。けど、アパトはなんか白々しく三人を見つめてそばにも寄ってこないんだ。で、三人は顔を見合わせて、腰を抜かして倒れ込んじまった。ティラノの腹の中から出ようと思ってパニクッて、知らず知らずにミンチを食っちまったらしく、三人とも祖先帰りしちまったのさ。全然違った顔になっちまって、背もだいぶ縮んじまった。猿と人間の間みたいな見てくれになっちまった。美男美女だったケントもナオミもそんな感じになっちゃったんだ。で、先生は教養をひけらかして、「我々は北京原人まで祖先帰りしてしまった」てうなるんだ。でも言葉は喋れるんだからおかしなもんだな。

 ところが、性格だって少しおかしくなったみたいなんだ。だって三人とも無性にお腹が空いてきて、五メートル先のアパトが美味そうに感じるんだ。三人が物欲しそうな顔つきでアパトを見つめたから、アパトはやばいと思ったらしく、すたこらブッシュの中に逃げ込んじまった。で、三人とも無意識に追いかけてたりして、ケントなんかチェって舌打ちしたんだ……。
 で、次に目が行ったのは、このミンチの山々さ。こいつはまたいい匂いがするんだな。でも先生はその危険性を知ってるから「やめなさい。絶対食べちゃいけない!」って二人を制したんだ。でも北京原人って欲望を制止することができないんだな。若い二人は先生の言葉を無視してミンチの山に食らいついて、腹の膨らむまで食っちまった。そしたらまたまた祖先帰りが始まって、とうとう猿に近いところまで遡っちゃった。先生はいみじくも「これはアウストラロピテクスだな」って宣った。

 で、結局先生も投げやりになっちまって、一人だけ原人に留まるのはどうでしょうって考えたんだ。だって仲間は二人とも猿人になっちゃたんだからさ。自分だけ原人なのはアンバランスじゃない。そう思ったとたんに走り出していて、ミンチの山に顔を突っ込んでいたんだな。食べてるうちにすごい幸せな気分になって、今までなんで土なんか食ってたんだろうって思ったんだ。肉ってのがこんなに美味しいものだって初めて知ったんだな。でも食べてるうちにみるみる顔が変形していくように感じたんだ。で、お腹いっぱいになったところで、全身に黒い毛が生えてることに気づいたんだ。それで先生はいみじくも猿から人類に枝分かれしたばっかの「サヘラントロプス・チャデンシス」って断定して、少しばかり胸高々になったな。だって、人類が猿から枝分かれした開祖のような存在だもの。ほとんど猿になっても、三人は祖先帰り銃を手放さなかった。だって新鮮な肉を食うのに、これは必需品だもの。三人がその場を後にすると、草むらに隠れていた小型恐竜たちがまたぞろいっぱい現れて、喧嘩をしながら大量の挽肉を食べつくし、みんなみんなカメレオーネに戻ってメデタシメデタシさ。

(つづく)

 

 

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エッセー「象徴としてのグレタ・トゥーンベリ」& 詩ほか


獄門星

恐竜どもが闊歩していたとき
ちっぽけな脳味噌は
宇宙の戯事であるこの星の役割を
これっぽっちも考えなかった

邪悪な肉食竜たちよ
おまえの祖先は
おまえを皆殺した飛礫(つぶて)と同じに
どこか平和な星の自浄作用で
瘡蓋(かさぶた)が剥がれて宙に迷い
エーテル河の流れに乗って
はるばるやってきたのだ

漂着したそいつは異臭を放ち
毒々しい酸素や濁った熱水を友に迎え
じくじくふやけた肉塊に膨れ上がり
その心は猛毒の硫化水素を糧にして
生き残るためのずる賢さを育んだ

そうだ、瘡蓋由来の用無しどもは
喧嘩好きの乱暴者となり
生きる価値を見出したのだ
最初はアメーバとして巨大化を目指し
出会うすべてを食らい、陵辱し、我が物にし
要らないものは汚物ともども吐き出した

この星の生きとし生けるものは
清廉たる宇宙から排除された
つまはじき者を母としている
だからその悲しい性を受け継いで
奪った命を瘡蓋に加工し
ケツの穴から吐き出し続けるのだ
嗚呼、彼方にあるべきイデアの星々から
芥として捨てられた
宇宙デブリの末裔たち
その痕跡らしき忸怩たる感性よ…
にじみ出る五臓六腑からの悪臭よ、悪寒よ、自己嫌悪よ!

地球という悪魔星は
逃げ出すことのできない孤立星
根を張る連中はどいつもこいつも
無用な瘡蓋として降り注ぎ
しっかり根付いた害来種
生きることは殺すこと
殺すことは生きること
殺し合うのが存在証明

されど命短し、罪とて同じ
旺盛な悪事も、つかの間の快楽も
やがては消え去る運命なのだから…
けだし愛というやつも欲望の一つなら
悲しい性を背負ってあり続けるに違いない
イデアの星々の何かしらを夢想しながら
霞のように、幻のように
この星では何も得られないという…

 

クライマー魂

人を寄せ付けない
魔の山の絶壁が
朝日で金色に光っていた
多くのクライマーが
気高い輝きに心を奪われ
あげくに魂までをも奪われた

ある日山の頂に
コーンのような愛らしい
白い笠雲が掛かっていた
斬捨御免の山が発心し
お遍路にでも出かけるか…

不思議なことに
多くのクライマーが
ピッケルをキラキラ振り回し
嬉々としながら
笠雲の頂を目指していた
彼らは魂となって魔の山を征し
さらなる高みに挑戦している
僕は涙を流しながら
大声でエールを送った
嗚呼、偉大な挑戦者たちよ
常に上を目指し続ける君たちは
なんて幸せな人生だったろう

…それにしても、僕はなぜ未だに
背中を丸めて目線を落とし
砕け散った幸せの断片を
キョロキョロ探し続けているのだろう
遠い過去ばかりに目を向けて
心を砕かないように恐る恐る
小さなつるはしを振り下ろす
臆病者の考古学者みたいに…

 


エッセー
象徴としてのグレタ・トゥーンベリ

 
 昨年のCOP26は不満足な結果に終わったが、これは予想通りだった。参加国それぞれの経済的な思惑が絡んでくる話なので、ああした会議で目的が達成されることはないだろう。

 しかし人類のやらかした事とはいえ、地球温暖化はもはや科学現象なので人の都合には合わせてくれない。温暖化は制御できない時代に入りつつある。このままだと、きっと多くの人々は奈落に落ちていくだろう。専門家のご意見が「想定外」ではないのだから、政治家も後になって想定外とは言えまい。そのときには地球から「落ちる者」と「留まる者」との選別の時代が始まっている。ノアの方舟のような事態が恐らく起こるのだ。

 昔、神と契約を交わして幸せを得ようとした種々の民族がいた。しかし神は天上にいるので、神と話のできる代表が必要になった。力を持つ者が超能力を標榜し、その任を担う。彼は神の力を得て地域を治めたが、神の言葉は彼のやりたいことだった。そして彼は事実上の神となった。地域内の混乱や紛争は「神の言葉」により平定し、時たま現れる反逆者や予言者も、神のお告げで首をはねた。

 ところが周りの地域も、それぞれ違う神を掲げ、神の代理人たちは自分の神を広めることを口実に戦いを仕掛け、次々に打ち負かしていった。大国が小国を呑み込む形で、世界中に文明が形成されていく。今の世界も、基本的にはこのプラットホーム上にできている。ロシアのクリミア併合が最近の出来事だ。現在、神を捨てた国(文明)もあれば、神を大事にしている国もある。しかし、神が死んでも、その代理人的な存在がなければ国は滅びてしまう。それがプーチンのような統率者といわれる人たちで、自分が神になろうとさらなる努力を厭わない。

 だから教祖はもちろん、王様だって独裁者だって、大統領だって首相だって、統率者の背後には神のような象徴が背後霊としてこびりついている。日本の首相だって、始動当時は後光が差しているから、国民の支持率が上がるわけだ。統率者は、国民の支持を食って生きている半獣半神の生き物である。当然、国民の夢を食ったらバクになってしまう。

「人は象徴を操る動物である」と哲学者のカッシーラは言った。国民は彼らの能力のことは分からないから、神のような者として信頼し希望を託すのだ。もちろん、国民が自分の生活が豊かになることを願っているのは昔も今も変わらない。だから国全体が貧窮すると、ヒトラー毛沢東のような超人気の半獣半神が現れ、前者は戦争に敗れて獣となり、後者は戦争に勝って神となった。

 一部の階層に寄与する政権も多いが、基本的な役割は統治する国民全員の生活を豊かにすることで、内外的に色々な方策を行う。しかし国民一人ひとりの境遇や能力は異なるため、富の偏りが生じて、富める者と貧しい者が出てくる。貧しい者の目には統治者の後光は消えて単なる貧乏神となり、権威主義国ではテロや内乱、領土紛争が勃発し、民主国では政権交代が起こる。

 つまり太古の時代から、この形態を保ちつつ人類は増え続けてきたけれど、それは人類の進化とは言えないだろう。円環を回り続けているだけの話だ。グローバル化により地域ごとの独自なシステムが平準化しても、沢山あった円環が一つに大きく纏まっただけだ。だから、ちょっとのことでたちまち分裂して元に戻り、馬脚を現して諍いが始まる。

 産業革命以降は、科学だけがやたら進化して、あらゆる産業が地球の資源を食い尽くしていき、そのおかげで人類も平均的には豊かになった。しかし反対に資源は枯渇し、おまけに「地球温暖化」という副作用が覆い被さってきたというわけだ。この「地球温暖化」は、豊かさの追求や経済活動とは真逆のベクトルなので、人々が豊かになればなるほど、深刻度は上昇する。しかし人々は、一度手にした豊かさを手放そうとはしないので、後戻りのできない深刻な状況に陥りつつあるわけだ。

 しかし、一縷の望みはあると思う。まず、いまの社会はグローバル社会であることだ。通信や交通のスピードが速く、世界中に情報網が繋がっているので、情報はたちまち世界に拡散する。昔は国家という体制だけが世界中にバラバラと散在していたが、グローバル化で纏まりつつある。しかしいまは、さらにインターネットという根茎(リゾーム)が地球を覆っている。これは古来の国家体制と国境を越えた新たな体制の二層構造が出来上がっているということだ。仮に古来の秩序を重んじた制度的・システム的な体制を「アポロ的」なものだとすると、感覚的・感情的な新たな体制は「ディオニソス的」なものと言っていいだろう。※

 「アポロ的」な体制の代表は、国単位で参加する国際体制で、国家間の関係とか国連とかCOPなどが含まれる。これは国単位の利益(打算)が優先する極めて政治的・経済的なシステムだ。「ディオニソス的」な体制は、インターネットの根茎的な繋がりによる庶民レベルの感覚的・感情的なグローバル体制だ。つまり、いまの世界体制は、二重の構造になっているわけだ。古来の一重体制はすでに古い体制になっており、COPも国単位なので、政治的色彩の強い会議を何回開催しても埒は開かないということになる。これは国連会議でも言えることだろう。各国は、まず自国の不利益を避けようとする。しかし、インターネットでは、「地球温暖化問題」それだけを俎上に載せることができ、余分なフリルである各国の思惑などは捨象することが可能だ。直接そのものにメスを入れることができ、埒を開ける可能性があるということだ。

 昨年、全体主義国家の中国で恐らく「アポロ的」に、周近平総書記が2060年までにCO2排出量をゼロにすべく、脱炭素推進策として8月から計画停電を実施し、各地に大きな混乱を引き起こした。同時に石炭の掘削抑制や輸入規制を標榜した。これは中国政府が国際アピールを目論み、権威主義の力を借りて上から規制をかけたものだが、世界には民主主義国も多いのだから、同じことをしようものなら、たちまち政権は転覆してしまうだろう。民主国は国民の同意を得るための事前工作が必要だ。残念ながら、権威主義の中国でさえ勇み足であったことに気付いて、COP26では石炭規制に関して抵抗勢力のインドに同調した。民主国アメリカのバイデン大統領が標榜する「グリーン革命」だって、すんなりとは行かず、意気込みだけに終わってしまう可能性はある。国の最優先課題が「経済」である限りは……。

 しかし、毛沢東が中国を日本の植民地支配から解放したときは、革命的ロマン主義を掲げて人心を掌握し、「長征」などのディオニソス的とも言える戦いを中国全土に広げていったわけだ。毛沢東たちは人民の熱狂的な支持を得て蒋介石(国民党)に対する劣性を挽回した。反対に「アポロ的」な策謀的抵抗運動を展開した蒋介石は、計算尽くめの地味な持久戦を展開して人気を失い、台湾に逃れた。この「長征」の派手な勝利には、今後の環境保護活動にとって、大きなヒントが隠れているのだと思っている。民衆は派手なパフォーマンスに期待する傾向がある。これはナチス政権の派手な映像を見れば分かることだ。

 その後毛沢東は自分の権力を保持するため、「大躍進政策」や「文化大革命」などの運動を起こしたが、失敗に終わった。当然、最初の「長征」的解放運動が成功したのは、人民が植民地支配から逃れたいと心から願い、目に見えて勢いのある共産軍を選択したからで、後の二つは毛沢東の個人体制を守るための小賢しいアポロ的な押しつけだったから、人民に熱が入らず失敗したわけだ。

 古来、社会情勢や圧制などで一定の人々が圧迫されると、ディオニソス的な運動が起こってきた。古代ギリシアの「バッカスの女たち」は、集団ヒステリー状態で女たちが狂気のように踊り狂ったと言われているが、慣習的に家の中に閉じこめられていたことによる鬱屈した感情の、一時的な解放だったとされている。アメリカでは18世紀中頃、住民の間から宗教的自覚を高めようという熱狂的な「大覚醒」運動が沸き上がり、いまのアメリカ社会にも大きな影響を残している。

 日本でも圧制などに苦しむと、農民や庶民が感情を爆発させ、罪の軽い形で集団行動に出た。江戸時代後期の「おかげ参り」や「ええじゃないか」は代表的なものだろう。これらは「集団的ヒステリー」と捉えられがちだが、単なるカタルシスではなく社会改革運動的な側面もあったに違いない。これらが思想的に統一されて、頭の良い先導者がシンボルとなって統率すれば、大規模化してロシア革命のようなことも起こり得るわけだ。大塩平八郎レーニンほどのシンボル性を持たなかったことになる。

 地球温暖化問題は一国内にとどまらない世界的な問題だが、各国の代表が集まって協議する「アポロ的」解決に頼っても埒が開かないのは前述した。貴重な時間を費やすだけだ。各国代表の背後には旧体制由来の経済界やら利益享受団体やらがこびり付いているからだ。しかしこの期に及んでも解決方法を模索しなければ、地球が最悪の事態を招くことは目に見えている。その唯一の解決方法は、インターネットで繋がり、危機意識を共有する世界中の人々の感情的(ディオニソス的)高まりなのだと思っている。

しかし、この行動のうねりは革命的なパワーがなければ息切れしてしまう。中途半端で終わってしまえば、何の意味もない。しかも、この運動を進めれば、経済や暮らしに大きな副作用を伴うだろう。癌を駆逐する抗ガン剤のようなものだ。経済活動と環境活動のベクトルを一致させるには、多くの抵抗勢力を排除する必要がある。それらは正常細胞であると同時にガンでもある。あるいは正常細胞を装ったガン細胞かも知れない。 

 抗ガン剤が正常な細胞をも破壊するのと同じように、ディオニソス的運動は、経済の正常な部分を大きく浸食する。しかしそれは、外科手術のような暴力的革命ではなく、世界中の人々が集結した暴力を伴わない「静かな革命」だ。あるいはルターの「宗教改革」に習えば、「改革」という言葉がふさわしいかもしれない。革命のような基本的な体制を変えることではないからだ。この改革を成功させるには、かつてのレーニン毛沢東のような、象徴的な主導者が必要だが、付き従うのは武装集団ではない。インターネットの呼びかけに応じた非武装のグローバルなプロテスト運動(社会運動)で、当然のこと、その中心はグレタ・トゥーンベリさん以外考えられないだろう。彼女に象徴としての役割を与えるべきだ。

 最近グレタさんの活動が、各国政府の喉元に刺さった棘になりつつあるという話を聞くが、いまの地球は頭に茨の冠を被せられ、釘で手足を十字架に打ち付けられた状態であることを忘れてはならない。グレタさんの活動がさらに大きなウエーブとなって、世界中の統治機構を震撼させることを願うばかりだ。


※「アポロ的」:主知的で秩序や調和ある統一を目指すさま。(例えば各国政府の打算的外交など)
 「ディオニソス的」:熱狂的、激情的とも言える感情を行動に変えるさま。(例えばインターネットで広まる危機意識からの世界的な運動)

 

 

奇譚童話「草原の光」
二十二

 アパトはみんなを頭に乗せて、山に向かって草原を一直線に進んだ。途中でいろんな肉食恐竜がやってきたけど、アパトは大きいのでティラノ以外はみんな並走してチャンスを窺ってたな。するとまたティラノが五、六頭やってきたから、アバターアインシュタインは、立て続けに銃をぶっ放したのさ。多少ずれたって光線はちゃんと標的に当り、ティラノたちはミンチになっちまった。で、カメレオーネになっちまって逃げてった。ほかの肉食恐竜たちは、寄ってたかってミンチを食ったから、やっぱカメレオーネになってめでたしめでたしだ。いろんな肉食連中が次から次へとやってくるから、山に着くまでに百頭以上の肉食連をカメレオーネに戻してやったな。このペースで祖先帰りをやってけば、一年以内に平和だった昔のカメレオーネ星に戻るって計算だ。

 山の麓に来ると、そこは切り立った崖で、アパトと別れなけりゃならなくなった。でも、アパトは自分も昔のカメレオーネに戻りたいって言い出したんだ。
「君は大きな体が自慢じゃなかったのかい?」
「図体が大きくたって、ティラノには食われちまう。カメレオーネに戻って、山に暮らせば、いつもビクビクしていることもないしな」
「いいや、君はティラノと戦うんだ」ってウニベルが言った。
「そうよ、アインシュタインさん。祖先帰り銃を百丁作ってちょうだい。アパトは仲間の草食竜を百頭集めて。みんなで肉食連中と戦うの。いままで虐められてきた借りを返すのよ」ってステラ。
「でも、敵でもカメレオーネになったら踏みつけちゃだめだよ」ってヒカリは釘を刺した。
「そうさ、カメレオーネは仲間さ。肉食竜がみんなカメレオーネに戻ったら、君たち草食竜もカメレオーネに戻るんだ」ってケント。
「分かった。それで、仲間たちはいつ集めればいい?」
「いまでしょ!」ってアインシュタインは叫んだ。

 アインシュタインはポケットから大きな黒い袋を出して銃を放り込み、自分の鼻毛と白髪を一本引き抜いて加えると、袋の口を握って思い切り振り出したんだ。すると袋がどんどん大きくなってずっしり重くなり、中には百丁の銃が入ってたってわけさ。
「どうだい、カメレオーネもシリウス星人も分裂して増えるんだから、道具だって同じ方法で増やすことができるのさ」ってアインシュタイン
「じゃあ仲間を二百頭集めるから、あと百丁作っといて」って言って、アパトは草原に向かって大きな声で唸り声を上げたのさ。この雄たけびは百キロ届くんだ。誰かが肉食獣に食われそうになると、こんな声を発して、そいつを聞いた仲間たちがはせ参じるってなわけだ。

 しばらくすると、遠くからすごい音が聞こえてきて、すごい数の草食恐竜がドドドッてやってきた。大小いろんな草食恐竜が集まったんで、山の中に隠れてたカメレオーネたちも驚いて、崖の上に集まってきた。そん中の太った一匹が「おいウニベル、なんでこんな所にいるんだ?」って声をかけてきたんだ。そいつは何万年以上前に別れた幼なじみのカッキオだった。カッキオは年寄りの長老として、カメレオーネ集団を統率してたんだな。

 で、話はとんとん拍子に進んだってわけさ。カメレオーネたちは、銃を持って恐竜たちの頭に飛び乗った。でもって、戦車が二百台でき上がった。もちろん、大砲は祖先帰り銃さ。で、アパトを先頭に、いざ出陣ってなったとき、遠くの方からまたドドドドッてものすごい音がしてきたんだ。そいつは肉食恐竜の群だった。連中は嗅覚が鋭いから、草食恐竜のゲップやオナラの臭いを察知して大群でやってきたんだな。草食恐竜の胃腸は年がら年中醗酵してるから、年がら年中ゲップやオナラが出るんだな。だから、見つからないようにしても、我慢ができずに一発やらかし、食われちまうってわけさ。二百頭も草食恐竜が集まれば、息もできないほど臭いから、肉食恐竜だって見過ごすわけにはいかないさ。

 で、まるで関が原みたいに、肉食軍と草食軍が東軍西軍ってな感じに鼻を付き合わせたんだ。この星の天下分け目の戦いだな。でも両軍の配置からすれば、どう見ても草食恐竜が不利だったな。だって、彼らの後ろは岩山なんだから、逃げようにも草食恐竜たちは象さんの足みたいで登れないんだ。
 でも祖先帰り銃っていう最強兵器があるから、慌てなかったな。これさえあれば、相手がいくら強くても食われることはないんだ。で、敵方の大将はバケモノみたいに大きなティラノだった。こっちの大将は当然、アインシュタインや先生たちが頭に乗ってるアパトさ。アパトはでかくても頼りないけど、先生もアインシュタインも銃を持ってるから力強かったな。

 で、先生は敵の大将に向かって「君の名は?」って聞くと、「ムスコロさ」って大きな声で答えたな。するとカッキオが「おいムスコロ、久しぶりだな」って言うんだ。
「父さん、まだ生きてたんだ!」って息子のムスコロは驚いたな。
「気安く父さんなんて言うなよ。とっくに勘当したはずだ」ってカッキオ。
 肉食恐竜の大将とカメレオーネの大将が親子だったなんて、みんなたまげちまった。
「おいムスコロ、俺っち隣のウニベル小父さんさ」ってウニベルも声をかけた。
「憶えてるぜ。よく遊んでくれたな」
「お前は賢い子で、将来は偉いカメレオーネになると思ってたんだ」
「当り! 僕ちゃん肉食恐竜の総大将だもん」
「ってことは、この星の王様じゃん」ってアインシュタインも持ち上げた。
「あんた、ヨレヨレ爺さんのくせにいいこと言うね。あんたは不味そうだから、食わんといてやるよ」
「じゃあ、カッキオは食うのかね?」ってすかさずアインシュタインは突っ込んだね。
「もちろんさ。親子の縁はとっくに切ってんだ」
「じゃあカメレオーネに戻ったら復縁するの?」ってステラはすかさず聞いたな。
「俺が? この星最強のティラノが? なんでちっこいトカゲに戻らなならんのよ」
「冗談じゃない。お前がカメレオーネに戻ったって、こっちも息子とは思わんさ。こいつは多くの仲間を食らってきた悪党なんだ」ってカッキオも反発。
「お父さん、そんなこと言わないで受け入れてやりなさいよ」ってステラ。二匹の愚にもつかない問答を聞いていたムスコロは逆上し、問答無用とばかりに「ウルセー!」って叫びながら、アパト目がけて突進してきたな。総大将が先陣を切ったんで、部下たちも遅れてなるものかと猛突進。草食恐竜軍の頭に乗ったカメレオーネたちも大きな標的に向かって祖先帰り銃をぶっ放したな。天下分け目の戦いが始まったってわけだ。

(つづく)

 

 

 

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