詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

アバター殺人事件(二)& エッセー

アバター殺人事件(二)

 

 神田界隈の神田川沿いに小さなマンションがあって、その三階が「宇宙友好協会」の事務所だ。ドアを開けたのはエリナ、その後ろに見覚えのある顔がいたので一瞬ポカンとしながら凝視し、ワンテンポ遅れてアアアと言葉にもならない音声を発した。

「久しぶり」

「……久しぶり」

「忘れていないわよね。憬れのユウ君よ」とエリナはいってわらった。

 それはまさしく、高校時代にルナが憬れていたユウだった。残念ながら、ユウには中学時代から彼女がいて望みを遂げることはかなわなかったが、ユウは凛々しく成長していた。

「で、いまもあの子と?」

「いや、もうとっくに。いまはフリー」

「ルナ、聞いた? チャンスじゃん」とエリナがからかう。

「残念ね。私はもうダンナもち」

「いやいやいや、昔よりもずっときれいになったよ」

「ありがとう。もう子供じゃないものね」

 ルナは素直に礼をいって部屋に入り、「で、あなたもここの会員なの?」とたずねた。

「実は僕も初めてなんだ。彼女から電話が来て、ぜひ会ってもらいたい人がいるっていうからさ。君だったなんて、うれしいかぎり」

 ユウはいって、ルナにウィンクしたが、エリナが口を挟んだ。

「いえいえ、会ってほしい人はルナじゃないのよ。あそこにいる、さえない事務局長でもないわ」と、事務机でパソコンをいじっているアラウンド四○の頭の薄いオジサンを指差し、オジサンも呼応してニコリと軽くお辞儀をした。

「会わせたいのは宇宙人」

「そうそう、私はその人に会いにきたんだもの」とルナ。

「ルナにもユウにも会わせたい人なのよ」といって、隣の部屋の扉を指差した。その扉はまるで金庫室のような鋼鉄製で、車のハンドルみたいな回転式取手が付いていた。

「宇宙人っていうのは純金製かい?」

 ユウはヒューと口笛を吹いた。

「地球にいる宇宙人は危険人物。これは宇宙人が爆発したとき、爆風を閉じ込める部屋になっているのよ。死ぬのは最低限、部屋の中にいる人だけ」

「冗談、そんな危険な場所に私たちを入れるわけ?」

 ルナは肩をすくめた。

「大丈夫よ。そんなことはまずありえないから」といって、エリナは声を立ててわらう。

 

 エリナはハンドルを思い切り左に回し、三周回したところで扉を開ける。厚さ二五センチの金属ドアがゆっくりと開き、「さあ、お入りください」とエリナが促したので、二人は恐る恐る部屋の中に入った。一○畳ぐらいの部屋だが内張りが厚く、八畳ぐらいにしか見えないだろう。だろう、といったのは窓もなく、暗くなっているからだが、おもちゃのプラネタリウムが起動していて、四隅の星々の歪みで大体の大きさを測ることができるのだ。六畳分は大きなガラスケースが占めて、その高さは胸ほどあり、周りの細いスペースに丸椅子が置かれている。特殊なガラスらしく、分厚く継ぎ目もなく、少しばかりオレンジ色をしている。

「このガラスは二層構造なの。内側は地球にはない物質からできているのよ。これ一つで豪邸が三つ買えるわ。ガラスの中の世界と外の世界では、物質の構造が違うのよ。地球の空気に触れるとボン!」とエリナは冗談っぽく右手を爆発させ、ニヤニヤしながら座わるよう促した。ケース内の右半分には、直径一・五メートルぐらいのピンクに光る三本足の空飛ぶ円盤が置かれているが、うっすらとした鈍い明るさがピンク色のイメージを品よく調整していた。昔のイギリス兵が被っていたような古臭いヘルメット形……。こんなものが本当に飛ぶんだろうか、とルナは思った。

 エリナは扉を閉め、内側のハンドルをしっかり三回回し、「ユウさん、お客様がいらっしゃいましたよ」といったので、「はい?」とユウが返事をすると、エリナはふき出した。

「あなたはユウ君。これから会う人はユウさん。これからは、あちらの方はドッペル・ユウとでもしましょうか。ドッペルとはドイツ語のドッペルゲンガー、影法師」

 そういってわらいながら、エリナもルナの横に座った。しばらくすると、ヘルメットのツバの下が開いてタラップが出てきた。つま先から頭のてっぺんまで、タイツ、レオタード、フードのオール・イン・ワン姿で、小さな男が梯子をゆっくりと降りてくるのを見てアッと二人は声を発し、エリナが透かさず「シーッ!」と注意した。宇宙人は身長一八センチくらいで、周りの空気を少しばかり明るくさせながらゆっくりと歩き、ニヤニヤと微笑みを絶やさずに三つあるデッキチェアの一つに腰掛けて、リラックスした恰好で客人を見上げた。

「ユウさん。こちらの男性がユウ君です」とエリナ。

「一目で分かりましたよ。私の分身ですからね」

 宇宙人の声はスピーカーを通して聞こえてくる。その音色はユウの声にそっくりなどころか、姿形もそっくりだ。

「分身ですか?」

 ユウは驚きを隠せない顔で宇宙人に話しかけると、宇宙人が答えた。

「そう、エリナさんから聞いていない? 僕は君のアバターなんだ。君たちは知らないだろうが、地球からさほど離れていない宇宙空間に未発見のワームホール、つまり抜け道があって、そこを通過すると、すぐに僕たちの宇宙がある。たとえば君がパンを薄く切るとき、左の側面がこの宇宙で、右の側面が僕たちの宇宙だと考えればいい。ワームホールは両面を通過するパンの空気穴と考えればいい。そう、隣り合わせの宇宙。それほど近いところにあるのさ。その宇宙は、この宇宙を一○分の一に縮小した宇宙なんだ。そこには銀河もあるし、太陽もある。それに地球だってあるのさ。もちろん、人間も住んでいる。この地球と同じ数の人間さ。一人一人が対応している。動物も植物も、あらゆる生物が対応している。しかも、それらのすべてが一○分の一の大きさだが、大きさも時間も絶対的なものじゃない。実は向こうの宇宙から見れば、こっちの宇宙は一○分の一なんだ。その一つが僕で、そのアバターが君。君から見れば反対で、僕は君のアバターさ。君から見れば僕は小さいが、僕の宇宙で君を見れば、君は僕の一○分の一になる」

「難しくってよく分からないけれど、君は僕と同じ性格で、同じ会社に勤務して、同じようなつまらない生活をしているの?」とユウは聞いた。

「それは違うな」

 ドッペル・ユウはわらった。

「いまの君と僕の関係を見れば一目瞭然だ。君と僕はまったく違う行動を取っている。それに、こちらの世界史とあちらの世界史も違う。だいいち、日本と同じ形の島国はあるけれど、日本という名ではないんだ」

「どんな名前?」とルナが聞いた。

「微笑みの国、といってもタイランドのことじゃない。国民性を国名にしたのさ。僕の国には夫婦げんかもない、親子げんかもない、兄弟げんかもない。我を張り合うことがなく、互いに譲歩し合うから、けんかにならないんだ。もちろん悪いことをする人もいないから警察もいらない。裁判所も必要ない。政府はあるけど、規制はないし、税金も取らない。橋や道路は、みんながお金を出して労働力も提供するんだ。困った人がいると、知らない人でもその人を助けるから、福祉政策も必要ない。首相はいるけれど、昔のレーガンさんやサッチャーさんが見ても驚くほど、何もやらない小さな政府さ」

「きっと、みんなお金持ちなのね」とルナ。

「いやいや、みんな貧しいのさ。ただ、金持ちになりたいとも思わない。人と張り合う性格の人もいないんだ。人の上に立とうとする人はいないし、着飾ろうという人もいない。一生懸命働いてお金を貯めるけれど、それはお金持ちになるために貯めているんじゃない。困った人を助けるためだから、そんな人を見つけたらすぐに使ってしまう。でもそれは浪費じゃない」

 ユウもルナも声を合わせて「ヘエーッ」と驚きの声を出した。ユウはもういちどドッペル・ユウの姿を観察し、自分と瓜二つであることに改めて驚いた。彼の体はやや平べったく、肌の露出部だけでなく、着ているものもうっすらと輝いていて、映像のようにも見えたが、それは物質構造の違いという理由から説明ができた。

 

 「さて、もうそろそろ、ご婦人方が登場してもよさそうね」とエリナがいったので、ユウとルナはさらに驚いて、思わず顔を見合わせた。

「オーイ君たち。もう仕度はできたかな」

 トッペル・ユウが空飛ぶ円盤に向かって声をかけると「ハーイ」という声がする。

「微笑みの国では、女性はみんなスッピンなんだ。だから、仕度といっても、歯を磨いてシャワーを浴びる程度のものなのさ」とドッペル・ユウはいってデッキチェアから立ち上がると、タラップの横へ歩み寄り、両手を使って二人の女性をエスコートした。

 二人の姿を見てルナもユウもエエッと声を上げる。ドッペル・ユウと同じ恰好だが、それはまさしく、ルナとエリナのそっくりさんだ。

「これで分かった? あちらのお三方は、私たちのアバターなのよ」とエリナ。

「そして、こちらの女性は僕の妻です」といってドッペル・ユウが紹介した女性は、まさしくルナのアバターだった。

「聞いたかい? あっちの星では、僕たちは夫婦だってさ」

 ユウはルナを見てニヤリとわらった。

「それはこちらの二人にとっても、なにか意味があるの?」

 ルナは興味津々、あちらの二人にたずねた。

「そうね、まったく偶然だとは考えにくいわ。きっとあなたたちは結婚する予定だったけれど、なにかのきっかけで運命が別の方向に流れてしまった。反対に私たちは真っ直ぐな道を進んだのかも知れない。きっと基本的な運命の法則があるんでしょうが、それには小さな揺らぎが存在するの。星々からバクテリアまで、運命も生命も多様性はそのわずかな揺らぎから生じるのよ。最初はちょっとした狂いかも。でも、時間が経つと大きな距離になってしまう。あなたたちもきっとそんな感じで、どんどん引き離されてしまったんだわ」とドッペル・ルナが答える。

「しかし、基本的な道を歩まなければ幸せにならないわけじゃないよ。道を踏み外したからといって、不幸が訪れるわけじゃないからね。実際、僕たちの国と君たちの国はまったく同じ国土を持っているけど、ぜんぜん違くなっているし、だからといって、どっちの国民が幸せなのかは分からないさ」とドッペル・ユウ。

「でも話を聞くかぎりじゃ、君たちの国のほうが幸せそうだな。お金なんて、なければないに越したことはないからね」とユウはいってから自分のせりふに首をひねり、思わず苦わらいした。

「お金に生きがいを感じる人たちは、あなたたちの星にはたくさんいるっていう話をうかがったわ」

 ドッペル・エリナがそういってデッキチェアに腰掛けると、ドッペル・ルナもそれに続く。二人が座るのを見届けてから、ドッペル・ユウも座った。三人とも満足そうに微笑んでいたが、急にドッペル・ユウの顔から笑みが消え、「それで、僕とユウの関係について話さなければ……」といった。

「私とエリナ、ルナとルナの関係についてもね」とドッペル・エリナ。

「つまり、異次元宇宙生命体同一理論のことだ。僕たちの星と君たちの星には、常に同じ数の生命体が存在する。それは、僕が死ねばユウ君も死ぬ。ルナさんが死ねば、僕の妻が死ぬことを意味しているんだ」

 ドッペル・ユウはそういって、深々とため息をついた。

「なんで?」

 ユウは素っ頓狂な声を発し、ルナと顔を見合わせた。

「ということは、私の運命をそちらのルナさんが握っている?」とルナ。

「そういうことね」

 ドッペル・ルナが答えた。

「たとえば昔、君たちの星で世界的な戦争が勃発したでしょ。そのとき、僕たちの星では新型インフルエンザが流行して、多くの人たちが死んだんだ」

「ひどい話だな。我々地球人の罪は、宇宙の彼方まで悪影響を及ぼしてしまう」

 ユウは右手で頭をゴンゴンゴンと軽く叩いた。

「いやいや、我々の星でインフルエンザが流行り、君たちの星で戦争が起きたのかもしれない。しかし、ニワトリが先かタマゴが先かの話で、どちらが先かを決めるのはナンセンス。時空は歪んでいるからね。ポイントは予防さ。どちらかの悪い兆候を察知して未然に防げるか、被害を最小限に食い止められるかの問題だ。世界的にも、個人的にもね。つまり君は無理をしてはいけない。君が病気で死んだら僕も死ぬからね。そのかわり、僕は君のために健康に気を付けるとしよう。もちろん、僕の横にいるルナのためにもね」といってドッペル・ユウは妻を見つめ、ウィンクした。

「でも、世界的な問題っていうのは難しそうね」

 そういってこっちのルナは顔を曇らせる。

「おそらくね。しかし、不可能ではないんだ。ここで君たちに質問しよう。僕たちはなぜ、ここにいるんでしょう。別の宇宙から、はるばる時空の壁を越えてやってきたんでしょう。ひとつは宇宙友好協会が、僕らが地球人と交流する唯一の窓口であること。そしてあとひとつは……」

 それまで微笑を絶やさなかったガラスの中の三人から微笑が失せているのを見て、ルナは「もしかして……」とつぶやくようにいった。

「そう、そのもしかして……。私たちの国、微笑みの国が危機に瀕しているの。隣国、怒りの国が侵略を企んでいるんです。戦争放棄、平和国家を掲げて、ほとんど武器を持たない微笑みの国は、きっと簡単に占領されてしまうわ。多くの人たちが殺されるんだ。それは、日本人の多くが死ぬことを意味しているの」

 ドッペル・ルナは目から大粒の涙を流していった。すると不思議なことに、ルナの目からも堰を切ったように涙が流れ出した。

「でも、僕たちになにができるっていうんだい? だって、君たちの星で起こることに、僕たちは何もできないじゃないか。それに、地球で起こることについてだって、僕たちはあまりにも無力な存在さ。僕はインフルエンザの流行を抑えることはできないし、地震を予知することだってできやしない」

 ユウは声を震わせながらも、キッパリと意見を述べた。もちろん、なにか面倒くさい問題に巻き込まれそうな予感もしたのだ。

「いいや、君たちにできることがあるから、僕たちはここにいるのさ。僕たちは君たちの助けを必要としている。しかしそれは、君たち自身を破滅させるかもしれない手助けなんだ。もちろん、そんな頼みごとをここで気安くいうことはできない。しかし、君たちの力が必要なんだ。……で、君たちを説得するのにいちばんいい方法を考えた。それは、君たちを微笑みの国に招待することさ。まずは君たちに我々の星の現状を知っていただきたい」

「私たちの星に来ていただきたいんです」とドッペル・エリナ。

「どうやって? だってあんな小さな円盤に僕たちは乗れないじゃないか」

 ユウとルナは顔を見合わせた。

「それは大丈夫よ。現に私だって、もう二回もあちらにいっているのよ」とエリナがいうのを聞いて、今度は二人とも眉毛を上げ、口を突き出して顔を見合わせた。

「つまり、あちらのエリナは私の分身なのよ。私の心は彼女の心と合体することができるの。私の心は私の体から離脱して、簡単に分身の体に乗り移ることができるの。どうせいっても分からないでしょうから、こっちへ来てちょうだい」

 エリナは椅子から立つと左のほうに歩き出したので二人も立ち上がり、宇宙人たちに軽く頭を下げてから付いていった。ちょうどガラスケースの反対側にもうひとつの扉があって、エリナはハンドルを回して分厚い扉を開いた。その部屋は同じほどの広さで、歯科医の治療台みたいな椅子が五つほど、横一列に置かれていたが、頭の部分が、まるで小さなCTスキャンでもくっついているように輪っかになっている。

「さあ、どれでも好きな椅子に寝てちょうだい」

「ちょっと待って。いきなりかよって感じ。今晩は人の家に招かれているから、あと四時間ぐらいしか時間がないし……」

 ルナは慌てていった。いきなり宇宙旅行といわれても、心の準備だってできていなかった。

「大丈夫。時間は相対的なものよ。あちらには一瞬にして行くことができるの。詳しい説明はできないけれど、ほんの一、二時間で戻ってくることができるわ。彼らの宇宙は本当に近いんだから」

「まさか、戻って来られないことはないよね」とユウ。

「彼らが生きている限りは大丈夫。それに彼が死ねば、あなたは地球にいたって生きていくことはできないんだしさ」といって、エリナは斜め目線でフフフとわらった。

(つづく)

 

 

エッセー

「闘争の遺伝子」VS「愛の遺伝子」

 

 二種類の細菌を、シャーレの中に距離を置いて入れたとしよう。彼らは培地の養分を吸収して増殖するが、いずれ異なる菌どうしが遭遇することになる。力の均衡が保たれれば共存の道はあるだろうが、アンバランスが生じると、強い菌が弱い菌を凌駕し、弱い菌は駆逐されて、最後にはシャーレの中は勝者の菌で満たされる。シャーレは菌にとっての縄張りで、縄張りには餌がある。しかしシャーレは有限な培地で共存の道は少なく、異なる菌どうしの生存競争の修羅場となる。つまり異種間の戦いだ。この場合、強者は躊躇うことなく一方的に進撃していくのが、生命体の基本だ。

 

 このシャーレ内の出来事は、細菌から人間まで、地球上に棲息するすべての生物の生存メカニズムだといえる。地球は巨大なシャーレであり、その中に大陸や海洋というシャーレがあり、その中にいろんな条件の地域シャーレが置かれている。それぞれの中で、植物も虫も魚も動物も、あらゆる生物が少しでも長く生きるために戦っている。

 

 彼らは有限な地球から闘争の遺伝子を受け継いでいる。そいつが欲望を助け、行動にチェンジする。ドゥールーズ=ガダリは、人間を含めた生物のすべてを「欲望機械」という言葉で表現したが、欲望は欠如から起こるものではなく、機械的に一方通行で流れるエネルギーであるという。水や電気と変わりはしない物理現象だ。例えば脳を含めた人間の諸器官(組織)は一方的に欲望する機械であり、人間はその組織の集合体に過ぎないという。ということは、金がないから欲しいのではなく、阻害要因がなければ、人間はどこまでも富を蓄積していく機械だということ。そんな資産家はけっこういるに違いない。

 

 闘争は生物にとって「性欲」「食欲」などを満足させるための、つまり欲望の不可欠なツールといえるだろう。人間の場合、子供の頃はケンカが盛んで、友達に腕力を振るったことがあるだろう。社会の仕来りを勉強中の時期だ。大人になればキバを隠す必要があるが、アニメでは闘争シーンが反乱しているし、戦争や飢餓などによって社会秩序が乱れると、大人でもタガが外れてたちまち殴り合いが始まる。「闘争」がいかに好かれているかが分かるだろう。それは、欲望達成の手段だが、それ自身欲望にもなっている。社会人になれば、社会秩序は略奪を許さないから、闘争は労働に変形し、闘魂でがむしゃらに働いて賃金を得るわけだ。「昇華」というやつである。しかしアメリカのデモを見ても、隊列が乱れてカオスになると人々はとたんに略奪を始める。

 

 虎のようなマッチョは別として、多くの生物(欲望機械)は、単独闘争では殺られてしまうので、闘争遺伝子には徒党を組む遺伝子も含まれている。この徒党が「種」というやっかいな代物なのである。各「種」は闘争に勝利するために子孫繁栄を願い、繁殖力や殺傷力に磨きをかけ、異種との戦いに明け暮れている。勝利した「種」は、十分なテリトリーを獲得し、餌も十分得ることができて、少なくとも同一種内では安住を得ることができるが、それも長くは続かないのが地球という狭小シャーレの宿命だ。

 

 当然のことだが、人間という猿もこの闘争遺伝子を受け継いでいる。しかし、ほかの生物とは違って思考能力が発達し、観念で「種」を勝手に作り出すようになった。彼らは考えることを始め、本能由来の感情を観念にミックスさせながら慣習や宗教などのイメージを抱くようになり、本来一種類の人類をいろんな「種」に分割し、区別しながら、いろんな文明を築いてきた。当然のことだが、観念的な「種」はあくまでイメージなので厳密な区分けではなく、有事を除けば一見仲良く共存することが可能だ。

 

 地球というシャーレの中には白人、黒人、アジア人という遺伝子由来の「種」が存在したが、性交しても子供はできるのだから、一般的には見てくれの区別での観念的な「種」ということになる。言語で言えば地域由来の方言みたいなもので、熱いところに住んでいれば、当然のこと肌も黒くなる。また、地域には「フェニキア人」「ユダヤ人」「アラブ人」などという文明由来の「種」も存在した。その中でも「ローマ帝国」や「モンゴル帝国」などの強力な文明種は、異種と見なした文明種を次々と破壊して植民地化し、その養分を吸収しながら膨らんでいった。

 

 第二次世界大戦が終わるまでこの傾向は顕著だった。戦後は帝国主義が崩壊して人道主義や博愛主義、平和主義などが隆盛となり、独立運動も活発化して多くの小文明種が独立し、それぞれのアイデンティティを取り戻した。しかし、アルジェリア独立戦争では百万人が死に、既得権益者(コロン)は全財産を失って祖国フランスに戻るなど、独立には多くの犠牲が伴ったことも事実だ。

 

 さて、現在は世界大戦が終結してからそれほど経ってはいない。多くの植民地が独立し、地域紛争を除けば、世界は一見平和そうに見える。しかし、古代より連綿と続く観念的な「種」の意識は、しっかりと残っている。俯瞰的に見れば、昨日まで日本は「種」の繁栄を目指して大陸に軍を展開していたし、中国や朝鮮の「種」は辱めを受けた昨日のトラウマから脱することができずにいる。その怨恨の根底にも闘争遺伝子は存在する。人間の体内には、地球から受け継いだ闘争遺伝子が本能としてしっかり機能しており、そいつが国単位の集団ともなれば、総意の欲望機械となって一方通行の拡大を目指していくだろう。例えば中国は、大中華帝国を目指しているし、きっとイギリスだって、かつての大英帝国を懐かしんでいるに違いない。

 

 この遺伝子は、「種」が危機に陥れば、短絡的に脳神経を発火させる類のものだ。いまの大アメリカ帝国はそれを如実に示しているだろう。アメリカの中・下流白人種は上流階級種への怨恨からトランプ大統領を当選させ、彼の言動に吊られてヒスパニックや黒人といった「種」への人種差別意識、中国という異種に対する敵対意識が高まっている。コロナ渦以降の経済低迷が、それに拍車を掛けることは明白だろう。次期大統領にトランプ大王が当選すれば、人種間や米中関係のデカップリングが進み、大戦前の混沌とした状況に逆戻りすることも考えられる。

 

 またヨーロッパでも、EUが崩壊すれば参加国内での独立運動も活発化し、世界中がデカップリングの渦に巻き込まれるだろう。孤立主義が蔓延すると各国の野望で再編成の動きも高まり、同盟国やら連合国やらも復活するだろう。これはきな臭いカップリングだが、前述のとおり闘争遺伝子には徒党を組む遺伝子も含まれているからだ。各グループの神経回路に闘争遺伝子が導火線を結んで発火させれば各地で紛争が起き、それが世界に延焼することも考えられる。「種」が危機に陥ると、各人の闘争遺伝子にスイッチが入って激しい怒りを誘発し、徒党遺伝子が媒体となって国民に伝播する。しかし、従来の「平和主義」はあくまで観念が作り出したイメージに過ぎなかった。イメージは妄想のようなものだ。日本における戦前の平和主義者たちは一億総怒りに軽く一蹴され、太平洋戦争は始まったのだ。

 

 平和憲法の日本がこれに対峙するには、巧みな外交以外に方法はないが、まず「人道主義」「博愛主義」「平和主義」は自然の本能に反することだと認識する必要がある。世界を動かしているのは欲望機械(力への意志)であり、その推進力は闘争遺伝子だ。対立や戦争を回避するには、世界に稀な「平和憲法」のプライドを持った政府による、権謀術数的外交以外には方法がない。

 

 例えば対韓国でいえば、トラウマ的国民感情の流れを止める堰を造るには、「昔決めたことを翻すのか!」などと安易な感情で対応するのではなく、「最初に日本の占領ありき」にスタート地点を戻し、加害者の立ち位置から韓国国民の歴史的、心理的状況を徹底分析した上での、巧緻な頭脳戦略が必要だ。太平洋戦争のとき、日本は感情だけでアメリカに対峙したが、アメリカはしっかり日本人の感性まで分析し、冷静に作戦を練っていた。日本政府は名医のように泰然と、韓国国民の心の奥底にメスを入れ、その被害者意識に対応した柔軟な外交を行う必要がある。権謀術数は分析・計算で練るものだ。感情的になって乱暴に切り裂けば、日韓のしこりは切り残され、いつまでも燻り続けるだろう。ある政治評論家にいわせると、首相も大臣も、その他議員も、結局は感情で動いているのだという。ぜひとも感情を殺してほしいものだ。

 

 また、平和活動に従事する人間は、人類が猿の進化形であることを認識する必要があるだろう。彼らの基本は猿のような小集団で、それぞれ勝手にグループを作ってケンカをおっ始める。これも闘争遺伝子の為せる技で、それは本能となって感情に火を点ける。観念や理屈で荒ぶる感情を制することは困難を伴う。ならば、風上に火を点けることによって山火事を制するように、感情には感情を持って制することも考えられる。怒りの感情VS愛の感情というわけだ。

 

 地球から与えられたものは「闘争遺伝子」だけではなく、「生殖遺伝子」もある。その中には「愛の遺伝子」も入っていて、人間を含めた動物たちは異性や家族、仲間たちとそいつで結ばれている。「愛の遺伝子」は平和の遺伝子でもあり、集団内だけでなく周辺のグループとの交友にも実力を発揮する。本能的に動物たちは近親性交を避けるために、別のグループの異性と交わり、血の繋がりを広めていく。「闘争遺伝子」は「異種」を減らし、「愛の遺伝子」は「異種」を取り込む、互いに対峙した関係にあるのだ。

 

 この「愛の遺伝子」は歴史的にも常に「闘争遺伝子」に踏みつけられてきたが、交易・交通のグローバリゼーションやインターネットで世界中の繋がりが密になり、「闘争遺伝子」を尻に敷く時代も近いのではないかと僕は思っている。例えば、どこかの国で民族弾圧などが起こると、世界中の人間が「愛の遺伝子」を発火させて抗議の声を上げる。どこかの地域で飢饉が始まれば、世界中の人間が「愛の遺伝子」を発火させて寄付をする。だから、どこかで戦争が始まっても、世界中の人間が「愛の遺伝子」を発火させれば、休戦協定が結ばれ、世界大戦や核戦争へ発展することもないだろう。このとき人類における「闘争遺伝子」は自然の本能から脱落し、「人道主義」「博愛主義」「平和主義」が自然の摂理となるに違いない。平和活動家には、ぜひとも最新ネット環境を駆使して、平和運動を盛り上げて欲しいものだ。「地球環境」における活動家、グレタ・トゥーンベリさんのように……。

 

(広告:ちなみに摂書「マリリンピッグ」は、この「愛の遺伝子」をテーマに平和を勝ち取る、大人の童話です)

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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定価(本体一一○○円+税)
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