詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

アバター殺人事件(一)& 詩

理想の女(ひと)

 

ある日街角を歩いていると

前方から素敵な熟年女性がやって来て

僕の前で止まって目を大きく見開き

おどおどしながら話しかけてきた

 

私のことを憶えていらっしゃる?

僕は戸惑いながら必死に思い出そうとしたが

彼女はそんな僕を気遣って微笑みながら

いいんですよ、思い出しても意味のないことですから、と呟いた

それは意味のないことですか?

ええ、私はあなたの心の奥底に沈んだ小箱の中にいて

あなたは一度も蓋を開けようとしなかったんですから…

 

僕の目から涙が止めどなく流れ出した

ごめんなさい、蓋を開ける勇気がなかったんです

僕はどうしようもない臆病者か、きっと大ばか者だ

そう、あなたは臆病者で意気地なし

でも、それはあなたの性格ですもの、仕方のないことだわ

私は白雪姫のように あなたの唇を待っていたのに…

 

彼女はそのまま僕の横を通り抜け

忽然と消えてしまった

嗚呼、理想の女よ

もう二度と会うことはないだろう

そして僕は後悔の念を癒せぬままに

わびしく死んでいくに違いない…

 

 

 

アバター殺人事件(一)

 

 

 流産して二カ月にもなるのに、ルナに対するレンの態度はいっこうに変わらなかった。仕事日は毎晩零時過ぎに帰ってきたし、休日もルナと過ごすことはせずに接待ゴルフに出かけてしまう。二人で出かけることもなくなってしまったが、ルナはそれが当たりまえの夫婦生活だと思うように努めてきた。

 結婚したのは妊娠のせいで、いわゆるできちゃった婚だ。レンに妊娠を告げたときは下ろせといっていたが、ルナがレンの両親に直訴し、驚いた彼らがレンを諭し、しぶしぶ結婚するはめになった。父親は次期首相と目される大物政治家。スキャンダルを極度に嫌っていた。レンは優柔不断な男で、父親の秘書をしていたこともあり、親には逆らえなかった。しかし、すでにルナへの恋愛感情も失せていたのだ。

 ルナはもちろんレンを愛していた。だから余計、蜜月のない新婚生活は大いに不満で、精神的にも追い詰められていった。そんなとき、高校時代の同窓生から電話が来て、ひさしぶりに会うことになり、家に招いたのだ。

 

 高校時代、エリナはお洒落で派手好きだった。しかし四年ぶりに会ってみると、まるで就活中の女子大生みたいなスーツ姿をしていたので、ビックリしてしまった。髪は短く切り、化粧もしていない。目鼻立ちが整っているので、美少年風の妖しい魅力があった。ルナを見るなり「あなたちっとも変わらないけれど、私は変わったでしょ」といった。

 ルナはエリナを居間に通し、紅茶を入れようとしたが、「お茶もお菓子もいりません。いま、嗜好品を受け付けない体に成長してきているのよ」と意味の分からないようなことをいって断った。そういえば、菓子折の一つも持ってこなかったことにルナは気付いた。

「あなた、もう二三なのに、まだ成長しているの?」

 ルナはからかうような上目づかいでエリナを見つめ、フフフと軽くわらった。

「心が成長すれば体だって成長するわ。心は顔にも体にも表われるものよ」

「ああ、それで見た感じ、ずいぶん変わっちゃったんだ」

 顔付きはまるで少年だが、時折一○歳も年上のような大人びた視線を投げかけてくる。獲物を狙う狐のように鋭く、キラリと輝いた。

「だいぶ揉まれて成長したわ。あなたは……」と、エリナは眉間に皺を寄せてルナをじっと見つめる。まるで患部を観察する医者のような目つきだ。

「あいかわらずね、といいたい? でも流産を経験して、少しは成長したわ」

「その程度じゃ成長とはいえないわ。だれだって不幸はあるし、だからといって成長するとは限らない。潰れる人もいれば克服する人もいる。あなたはでも、あの頃の明るさがなくなった。それは……」

「潰れちゃった? どうせそんなところでしょ」

 意図的にルナのわらいを制するように、エリナは頬を崩すこともせず穏やかな眼差しをルナに向け、「潰れかかっている?」と語尾を上げた。

 ルナは不意打ちを食らった。射合いの刃が心臓に突き刺さってズキンとした痛さに全身が怯え、堰を切ったように涙が溢れ出る。エリナは慌ててソファーから立ち上がり、ルナの横に座って腕を回し、少し強めに抱きしめながら「ごめんなさいね、いきなり変なこといって」と謝った。

「気にしないで。私って泣き虫だから安心して」

 ルナはエリナの腕から逃れるように立ち上がり、ハンカチを取り出して涙を拭き、「紅茶飲んでもいい?」とたずねた。

「もちろんよ。紅茶を飲んで、心を落ち着かせるべきね。そういえば、あなたが泣いたの、はじめて見たわ」

「そうだったかしら。でも、エリナの涙は見たことがある」

「だって私、泣き虫だった。でも、大人になったわ。泣くのは成長していない証拠なのよ。子供は未熟だから、すぐに泣くでしょ?」

 エリナは優しい眼差しをルナに投げかけ、元の席に戻ってから「あなたは成長しなくちゃね」と付け足した。

 

 ルナはマグカップに熱湯を満たし、ティーバッグを入れてエリナの横に腰掛けた。さっきルナを抱擁したエリナの体は、少年みたいな弾むような硬さに戻ってしまい、撥ねられそうな感じだ。

「あなたの涙の原因は一切聞きませんわ。本当なら、全部話してちょうだいっていうところだけどね」

「それはまた、どうして?」

 乾き切らない涙の輝きに、好奇心の輝きがわずかに加わった。

カタルシスに終わっちゃうから。外に出せばすっきりするけど、成長はしません。それって単なる逃避よ。成長するには、爆弾を心の中に抱えて、いつも向き合う気持ちが必要だから。爆発しないように注意深く観察して、どうすれば信管を外せるか考えるの。爆弾って信管がなければ爆発しないのよ。それはあなた自身がやること。私に投げつけられても、私には外せない。それにいま私、もっと大きな問題に取り組んでいるし……」

「きっと、私の悲しみは花火程度ね」

 ルナは皮肉っぽくわらいながら「ボン」と右手を爆発させた。

「ほんと、そうよ。花火もあれば水爆もある。宇宙にはルナよりもずっと不幸な人たちがいっぱいいるんですから。それらの人たちに比べたら、あなたの悲しみはハナクソ級」

「宇宙?」

 突飛な言葉が出てきたので、ルナの瞳から好奇の輝きがさっと失せてしまう。瞳の鮮度を落としたのは「この人、どこかおかしい」といった猜疑心だ。

「でも、私の悩みは私にとっては大きな問題だわ」

 ルナはエリナの様子をうかがうように、恐る恐る反論した。

「だから成長するのよ。成長すれば心のキャパは大きくなって、個人的な悩みなんかどんどん小さくなる。心を膨らましなさいな。自分よりももっと不幸な人のことを考える。いえ、考えるだけじゃだめ。その人たちのために行動する。たとえば、宇宙のどこかにいるあなたの分身――」

「アアアア、なにか宗教に凝っていらっしゃるのね?」

 ルナは白けた視線をエリナに向けた。エリナはそういった視線には慣れているといった感じに、微笑で軽く受け止めた。

「普通はそう思うわね。でも、たとえばあなたが心理療法のカウンセリングを受けたとする。その先生が勉強した知識は、いろんな学派のいろんな学説の混ぜ合わせでぜんぜん統一されたものじゃないし、かなりいかがわしいものもあるわ。どれが科学でどれが宗教だなんて、誰にも決め付けられない。要は結果じゃん。悩みが飛んできゃいいんだ。だったら宗教でもいいじゃない。でも、私のは宗教じゃない。だからといって科学だとはいいません。実証できなきゃ科学じゃないもの。でも、そんな区分けは必要ないのよ。要は癒されればいいんだからね。つまり……」

「つまり、あなたも一時期、泣き虫だった。でもいまは泣かなくなったってこと?」

「そう、その通りよ。私、いろんな男に貢いで、騙されてきた。だからといって、不幸なままで歳を取るのはいやだわ。で、男が欲しいなんて思わなくなった。分析したの。おバカな私が不幸になる原因は、男かお金くらいしかないわ。それに比べて幸せになる原因はいっぱいある。素敵な男性にめぐり合うのも幸せでしょう。宝くじに当たるのも幸せでしょう。でも、そんな夢は捨てた。ほかの幸せを探したの。幸せの種はたくさんあるのよ」

「そして見つけたのね」といってルナはわざとらしく目を丸くした。

「そう、不幸な人たちを助ける幸せ。それも、地球の人間じゃない」

「ほらほらほら、そこからあなたの話は逸れるのよ。常識からずれちゃうの。地球上には不幸な人が溢れているのに、なんで宇宙人を引っ張り出す?」

「それはね、彼らは私とあなたの関係よりも、もっと近しい関係にあるから。私と私の母親よりも、もっと近い関係にあるからなのよ」

「ああ、分かった」

ルナはニヤニヤしながら人差し指をエリナの顔に向け、上下に軽く振った。

「UFO発見クラブとか、なんかそんな団体に入っている?」

「むかしはね。でもいまは入っていない。UFOはたくさん見たけど、宇宙人には会わなかった。入れ物だけなんてバカみたい。それで、いまの団体に切り替えたの。本物の宇宙人に会うことができるのよ」

「素敵だわ。タコ足? それとも巨人族?」

「いえいえ、私たちにうり二つ」

「なあんだ、つまんない」といって、ルナは大げさなため息をついた。

「でも、とっても小さいの。そう、ちょうどネズミくらいかな」

「それは面白いわ。ほら、小さな妖精を見たとかって有名人がいるじゃない。あれって、宇宙人だったんだ」

「それはきっと幻覚か売名行為ね。宇宙人が地球の大気に触れたら、一瞬にして爆発しちゃう。それも爆弾みたいに強烈なやつ」

「コワ! それじゃあ、見ることもできないじゃない」

「それが見えるんだ。あなた、会ってみたい?」

「そうね、会うだけならタダですものね」

「私のこと疑っているんでしょ。なら、ぜひ会ってもらいたいわ」

  というわけでルナは翌日、宇宙人と遭遇することになった。

 

(つづく)

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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