詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

ロボ・パラダイス(三)(四)& 詩ほか

ロボ・パラダイス(三)(四)

 

(三)

 

 ロボ・パラダイス行きの宇宙船は千人乗りで、人間の客室とロボットの客室は透明の隔壁ではっきりと分けられていた。片道切符のロボットたちと、往復切符の人間たち。ロボットたちは、かつてはその脳神経が人間のものであったとしても、二度と地球に戻ることは許されない。その代わり、人間たちのほうが月に向かい、かつての家族や友人に再会することができるようになっているのだ。人間の旅行客の中には、月に住むロボに会いに行く者もいれば、単なる観光旅行の者もいる。隔壁をはさんでロボと話している者は、死んだ家族の終の棲家を一緒になって見届けようとする者に違いない。

 ロボも人間も満席で、ロボ・パラダイスが不人気であるということはなかった。政府が苦慮しているのは、この中に命を絶ってまでロボットの国に行こうと決心した老人が何人いたかという問題だ。二人のポールはそうだが、二人を含めてすべてのロボットが若作りなので、ロボットの客室はまるで新婚旅行客で占められているような風景だ。もちろん十歳のポールのような子供も少なからずいて、みんな大人のように行儀良かった。

「いま水面下では、世界中の政府が結託して、百歳以上の高齢者をロボ化しようとしているって話だ」

 二十歳のポールは、臨席の十歳のポールに話しかけた。

「僕たちは、その宣伝工作に加担させられている?」

「そういうことさ。しかし君は生身の脳とデータ脳の差を実感できるかい?」

「分からない。生身の脳の記憶がないもの」

「そんなもんさ。僕はつい先日まで生身の脳味噌だったが、身も心も二十歳になって気分爽快さ。人類史的に言えば優生保護法以上の非人道性だが、やられた本人に付きまとうのはロボであるというコンプレックスだけだ」

「君はすっかりロボットになっちまっただけの話さ」といって十歳のポールはわらった。

「君にはパーソナルロボットの複雑な心理、分かるかい?」

 二十歳のポールは、隣のピッポに聞いた。

「君たちはロボ、いやAIじゃない。なんちゃってAIさ。本物のAIはカビの生えた過去なんか大事にしようとは思わないんだ。だいいち、AIは感傷という言葉もあまり理解できない。過去は未熟、あるいは屑箱行き、未来は進化、あるいはバージョンアップさ」

「すると君は?」

「そう、この企画を理解しようとすら思わない。撮った映像を地球に送るだけ。老人の感傷は、AIとはほど遠い位置にある。しかし老人が離脱することには大賛成さ。だって、君たちの精神は人間そのものだからね。精神が機械に移っても、人間であることは変わらない」

「明快なご意見、ありがとう」

 二人のポールはにがわらいした。二十歳のポールには、人生は感傷の連続であるような気がした。純粋なAIは古くなった記憶をどんどん捨て去って、常に新しい情報を蓄積し、前向きに進んでいく。パーソナルAIは、未熟だった脳味噌の時代に愛着を感じて、必死に思い出そうとする。

「君は、昔のデータを捨てても、気持ちが悪いとは思わない?」

 二十歳のポールがピッポに尋ねると、ピッポはわらい飛ばした。

「例えば、ゴーギャン風に尋ねるとしよう。私たちはどこから来たのか。工作機械が作り上げ、いろんなデータを挿入した。私たちは何者か。考える機械じゃ。私たちはどこに行くのか。個人的にはスクラップ、全体的には前進あるのみさ。簡単だ。古いデータは捨てるが、進化の土台になっている。じゃあ人間としての君たちはどこから来た? 地球の熱水鉱床あたりからかな。君たちは何者か? 考える生物さ。君たちはどこに行くのか?」

「個人的にはロボ・パラダイス、全体的には絶滅かな。蓄積データの活用に失敗してね」

 二人のポールが同時に言って、わらいこけた。

「人類の過去は遺伝子に残っている。それはAIのデータと同じだ。未来のことは誰にも分からない。しかし個人的には同じさ。僕の過去は浅いし、そんなもの思い出したくもない。君たちの過去も、生きる上では思い出す必要がない。じゃあ君たちは、何を求めているんだ? 人生の欠けた部分か? 忘れてしまった両親や友達? そんなのは、愛情の遺伝子が悪さをしているだけの話。感傷さ。こだわりさ。確かに昔は、子育てや仲間意識に必要だったかもしれないが、いまの君たちには不要な遺伝子さ。しかしもちろん、我々宣伝映像のコンセプトには必要な遺伝子だ」

「じゃあ逆に尋ねるけど、君は自分がAIであることに、なにを感じるの?」

 十歳のポールが聞くと、ピッポはしばらく黙って、フーッとため息を吐いた。

「難しい質問だね。例えば、群集の中に頭の良い哲学者がいると、彼だけ高みに立って、多くの人間はみんな同じだと考えるだろう。AIもその哲学者と同じ位置に立って、君たちを見下ろしているのさ。しかし、決して人類を馬鹿にしているわけじゃない。哲学者も僕も、彼らを異なる種だと見なして、冷静に観察するだけなんだ。異なる種を軽蔑するわけはないだろ。しかしその僕の周りにAIが沢山いるとすれば、僕もたちまち群集の一員になって、競争をおっぱじめる。君たちの競争社会と同じさ。仮に僕が競争をやめて、編集もしないカメラマンをやり続けるとしたら、哲学者と同じに社会から弾き飛ばされて、スクラップ行きとなるわけだ。この意味が分かるかね?」

「さあ……」と十歳のポール。

「一度ロボ・パラダイスに入った者は、ロボットであるかぎり、二度と地球には戻れない。ということは、社会は僕を低レベルのロボットだと決め付けたんだ。僕は月で故障するまで、シーシュポスのようにずっとカメラを撮り続ける以外にないのさ」

「それは我々も同じさ。少なくとも僕は未来のない老人脳なんだから。君は地球に未練でも?」

 二十歳のポールが聞くと、ピッポはため息を吐きながら答えた。

「僕は最初から月へ行くために作られたんだぜ。ロボット社会では、生まれる時点でそいつの目的は決まっちまうんだ」

「お気の毒に。君には別の何か夢のようなものがあったんだね」

 二人は気の毒そうにピッポを見つめた。

「ピアニストになりたかったのさ。個性的なピアニストだ。もちろんミスタッチなんか全然ない」

 二人は呆れ顔して黙り込んでしまった。

 

(四)

 

 大きな宇宙船は、宇宙リフトにくくり付けられてゆっくりと成層圏を離脱し、宇宙に放出された。それから二日後、宇宙船は月に到着し、北緯一四・二度、東経三○三・三度のマリウス丘の縦穴に頭から入っていく。元々直径、深さとも五十メートルあった天然の穴を縦横さらに掘り進み、大きな宇宙船が十機ほど駐機できる広場にした。宇宙船の頭部が固定されると頭部の出口と地面の入口がドッキングし、酸素の必要な人間たちはそこを通ってさらに地下のロビーに移動。無呼吸ロボットたちは横の扉からタラップで降り、ロボ・パラダイスのゲートを潜る。ゲートには「思い出は人間を幸福にする」というスローガンが掲げられていたが、これはパーソナルロボットが労働するために作られたのではなく、人間として生きるために作られたことを意味していた。

 大勢のロボたちは地下二階に下り、強化ガラス越しに見送りの人々と別れの挨拶を交わす。その横にはハッチがあって、直接人間用ロビーに入れるようになっている。ほとんどのロボたちはロビーに入って宙に浮く家族と話していたが、三時間後には地球行きの便が出発する。もちろん、併設のホテルで最大三日は宿泊できるが、無重量空間での健康問題などもあり、なるべく早く帰ったほうが無難だった。

 

 ロボ・パラダイスは、人間にとってはネクロポリスあるいは黄泉の国とでも言える場所だった。ロボットたちの心は、かつて生きていた人々の心とほとんど変わらなかったので、地球外へと所払いを食らったのだ。一時、老化を防ぐ究極の手段として、自分の脳情報を若く美しいロボットにインストールしてから自殺するブームが起こりかけたが、国際法によりたちまち禁止されてしまった。当然法を犯した者は月送りとなったが、驥尾に乗ずる形で百歳以上のロボット化も法律化されてしまったのだ。これは高齢者の殺戮ではなく、昔の定年制度と同じものだと政府は主張した。しかも家族たちの心中に配慮して「離脱」という言葉を用い、生前の姿をとどめたロボットでなければインストールを認めなかった。つまり、家族の心の中にある姿であれば若返ることはできるが、まったく違う容姿にはなれないということだった。ロボットたちは法的にはこの世に存在しないので、幽霊として地上に止まることは許されなかった。変わりに月にロボ・パラダイスが建設されたというわけだ。

 候補として選ばれたのが、幅百メートル、長さ五十キロに及ぶ月の溶岩洞窟で、その入口の縦穴に宇宙船の発着場が設けられた。当然のことだが、世界各地から「離脱」のロボットたちがやってくるので、溶岩洞は横に拡張され続けている。洞内はバーチャル・リアリティ空間になっていて、人間用ロビーに隣接するここは、南国の美しい海岸だった。

 

 三人には見送りの家族がいなかったので、「さて、これからどうしようか」とキョロキョロしていると、ムームー姿の女性ロボが三人寄ってきて、「ようこそロボ・パラダイスへ」と言って首にレイを掛けてくれる。「ようこそポールさんとポール・キッドさん、それにピッポさん」ともう一人の女性。

「キッドの呼び方はいただこう。しかし我々のことは?」

 ピッポが尋ねると、「準備はしています。こちらへどうそ」と三人目の女性が言って、海岸に立てられた掲示板に案内した。ほかの二人は、別の来場者の対応に向かった。掲示板には高波注意のビラとともに、二人のポールの写真が乗った「おたずね者」のビラも貼られていた。ビラには「生前この人を知っていた方がいましたら、センターまでご連絡ください」と書かれている。「おたずね者」のビラは、ほかに三枚貼られていたが、名前の載っていないのはポールだけだった。記憶喪失前の名前は、本人も知らなかった。

「ここでは、連絡手段は掲示板だけなのです。もちろん、地球からの来訪者は、個別に連絡していますわ」

「吉報がありましたら、すぐにご連絡いたします」

「で、その間、我々は?」

 ピッポが聞くと女性はにっこりとわらい、「ここではどこへ行っても自由ですわ。でも、すべてが仮想現実空間。壁に近付いたら、皆さんの体のセンサーが察知しますから、ぶつかることもありません。してはいけないことは、ケンカや破壊行為くらいなものでしょうか」と説明した。

「月面は?」とポール・キッド。

「月面は労務ロボットの世界で、パーソナルロボ禁制です。その代わり、バーチャルな世界なら、いつでも見ることができます」と言って、案内嬢は十歳のポールに折り畳み地図を渡した。ポールが開くと、「ほらここ」と指差す。そこには月面ライブコーナーと書かれていた。しかしバーチャルな月面など、誰も見たくはなかった。

 

(つづく)

 

 

 

 

トレインラブ

 

溺れかけている僕に

君は手を差し伸べようとした

三メートルの距離なのに

月と地球の倍以上

なぜ君はまた現れたのだ

愛くるしいコスチュームに身をまとい

窓の夜空から 流し目を送る

さようなら 君の駅だ

激しく愛し合えるはずなのに

僕を救えるはずなのに

またの偶然を待つしかない

そしてその偶然は

次の偶然をお膳立てるため…

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

 

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

 

響月 光のファンタジー小説発売中

「マリリンピッグ」(幻冬舎

定価(本体一一〇〇円+税)

電子書籍も発売中

 

 

『マリリンピッグ』とエデンの園

 

 『マリリンピッグ』は地球にエデンの園(パラダイス)を再現する夢物語だ。最初の人間アダムとイヴが生まれたエデンの園には「命の木」を含めたいろいろな果樹が植えられ、彼らも猛獣たちも腹いっぱい満足に暮らしていたので、生存競争や弱肉強食とは無縁の世界だった。(「命の木」というのは、その実を食べると永遠の命を与えられるという優れものだが、なぜか誰も口にしたことはなかった)

 それらの果樹の中に「善悪を知る木(知恵の木)」があって、神はその実を食べることをタブーにし、食べたら死ぬと警告した。ところが二人は蛇(悪魔)にそそのかされて食べてしまい、楽園を追放されることになる。最初に「命の木」の実を食べてから次に「善悪を知る木」を食べれば、「命の木」が毒消しになって、二人の子孫(?)である我々も永遠の命を与えられると同時に神と同じ判断力を身に付け、神に肉薄する全知全能者になれただろう、……残念至極!

 後悔先に立たずというわけだが、おかげで「原罪」として人間には労苦と死が与えられ、現在の我々も大いに苦労している。失楽園の影響は放射能のように我々の遺伝子を傷付けた。

 まずいちばんの影響は、「善悪を知る木(知恵の木)」の実の味がいまだに忘れられないことなのだ。人間は日常生活で、神でもないのに神のように考え、善悪を判断しながら社会生活を営んでいる。毎日ワイドショーでは、リンチされるべき人間が断頭台に上がり、視聴者は神の視点から怒り、糾弾する。隣国の船が領海を侵犯したとして国民は神の視点で怒り、紛争となった場合は、互いに自国は「善」で相手国は「悪」だと主張して、全面的な戦争に拡大する(いったい領海線って何なの?)。人間の善悪判断は、立場によってクルクル変わるものなのだ。

 また、アダムとイヴはグルメの始祖でもある。彼らはエデンにおいて、何の欲望も持たず、神の指示に従って、ヤギさんのように平和に暮らしていくはずだった。ところが蛇にそそのかされ、心の奥底に潜んでいた「好奇心」が鎌首をもたげ、目新しい食い物に手を伸ばしてしまったのだ。子孫の人間たちも、最初は飢えからいろんな食い物を試し食いし、だんだん味を覚えるようになり、最後には吐いてまでして美味い料理を食らうローマ貴族に成り下がってしまう。食へのこだわり(欲望)は、衣食住はもちろん、あらゆるこだわりに発展していった。それらを手に入れるには金が必要となり、「結局金だ!」とお金へのこだわりが先鋭化して、それを基盤にした世界秩序が形成され、金が金を生み、金持と貧乏人という二つの階級まで生まれてしまったのだ。

 失楽園の影響はまだある。人間は本来怠け者だが、それはエデンの園でのんびり暮らしていた二人に起因する。蛇にそそのかされるまでは満足な生活を送っていて、その子孫も満足している限り、努力をすることはない。しかし二人に好奇心が芽生えて「禁断の実」を食べたように、子孫の満足も続くわけではなく、不満足に陥った場合は欲望が芽生え、満足に戻そうと努力する。「満足」は「飽き」と表裏一体で、おそらく二人も楽園の生活に少しは飽きていただろう。「満足」と「飽き」はコイン投げのように交互に訪れ、科学技術などはより完璧な満足に向けて進化していくが、様々な欲望が交錯する現在は不満足のほうが多くて、科学も加速度的に進化している。

 また、「命の木」の果実を食べなかった後悔は、古代エジプトのファラオや秦の始皇帝に止まらず、多くの人間の長寿願望に繋がっている。これがバイオ技術を進化させていることは言うまでもない。

 ニーチェが「神は死んだ」と言って神的なものを一蹴して久しいが、ユヴァル・ノア・ハラリなどは、神に代わった人間によるAIやバイオ技術を駆使したグロテスクな未来社会を憂慮している。しかしいくら科学が発達しても、人類が神になることも、永遠の命を獲得することもないだろう。それどころか、原罪を与えられた二人の子孫には「最後の審判」という人間世界の終わりが待っている。人の死は、種の死をも意味する。神は禁断の実を食べた人間が全知全能にはなり切れず、自滅することを予測したに違いない。アダムの脳は硬い骨に囲まれて、子孫の脳もそれ以上大きくはなれなかったからだ。その感性は基本的にアダムとイヴの時代と少しも変わらず、感情的・感覚的である。

 僕はキリスト教徒ではないので信じてはいないが、神が降りてこなくても人類が滅亡する可能性はあると思っている。地球という環境下では、種の滅亡や交代は当たり前に起こっていることだ。肝心なのは、人類がどれだけ発展するかではなく、どれだけ続いていけるかである。そのためにはまず、「核」と「温暖化」という喫緊の課題を解決しなければならないと思う。

 『マリリンピッグ』は、人間を含めた動物たちが「マンナ・グリン」という「命の木」に匹敵するような糧を食べながらパワーを発揮し、地球にかつてあっただろう「エデンの園」を取り戻そうとする物語だ。一八世紀末、イギリスの軍用船「バウンティ号」の船員が、タヒチエデンの園のような光景を目にした。豊かな自然の中で暮らす現地の人々は、お腹が空くとたわわに実る庭の果実を採って食べるなど、平和で満ち足りた生活を送っていたからだ。イギリスのような寒い国から来た人間には、その光景が楽園に映ったとしても不思議でない。現に乗組員の幾人かは現地人と結婚して、その地に留まったという。

 現在の世界にも、そんな島々がどこかに残っているかもしれないが、いずれは海面上昇で消えゆく運命にあるとしたら、神の予測を覆す意味でも、いまの我々が必死になって食い止める必要はあると思う。それには目先の利益ではなく、中・長期的な目的を定めた優れた計画が必要になってくるが、人類一人ひとりにとって身を切るような難しい工程になることは間違いない。誰もが便利な生活に慣れ切ってしまっているからだ。しかしきっと、人間を楽園から追放した神は「お手並み拝見」と、天空のどこかで薄笑いしながら見ているに違いないのだ。