詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

火星移住Ⅲ & 詩

火星移住Ⅲ

 

 見学路は終わり、スケルトンのエレベータに乗り込んだ。一〇〇人乗りのエレベータは上昇し、下からは見ることのできなかった在庫品たちを確認することができた。溜まるばかりの在庫品が五○○段、下から上までびっしりと保管されている。見学者たちは、一〇〇年後の人間がこれらを本当に生き返えらせるものか疑いを持っていた。これらは不必要となった人間たちなのだ。くじに当たった高齢者たちは、永い眠りに入る前に希望項目を選択しなければならない。多くは火星を選択するだろう。しかし変わり者は、月に行くか、太陽系外の惑星に行くか、あるいは地球に留まるか悩むことになる。

 月への移住は五〇年後から始まるというが、居住区域は地下空間で、生活にはきびしいところだ。太陽系外の居住可能と思われる惑星は多数見つかっているが、確実性が証明されているわけではない。自殺希望者や生きることに喜びを見出さないニヒリストはこちらを希望するかも知れない。当然のこと、地球に留まることを選択する高齢者はけっこう多い。こちらは世界人口の推移を鑑みながら、徐々に保存人体の再生が始まるというが、宇宙移民法が廃止され、天寿を全うできる社会に復帰することが前提となっており、果たしてそんな社会に戻るかどうかははなはだ疑問だった。

 

 勉はすでに火星に移住することを決めていた、というか七〇歳で当選した妻の明日香が火星行きを選んだので、そうしようと思っただけの話だ。勉は明日香を愛していたし、生き返ってから再び伴侶を見つけるのも面倒だった。いずれにしても明日香を送り出してから今日に至るまで、明日香のことを忘れることはなかったから、喪失感は年々増していくようにも思えた。ひょっとしたら明日香はまだ地上の待機所で加工される順番を待っているのかもしれない。そう考えると、もう一度会いたいという気持ちが募ったが、連絡は一切取れない仕組みになっていたのでどうすることもできなかった。勉は火星で、明日香と再会することを切に望んでいた。それだから、保存人体が本当に生き返るのかを、ぜひともこの目で見たかったのだ。

 

 

 エレベータは巨大倉庫の天井を突き抜け、そのまま高い山の側面につくられた展望ラウンジに到着した。海抜マイナス五〇〇メートルから、一気に海抜二〇〇〇メートルまで上昇したことになる。ガラス張りのラウンジには真夏の陽光が差し込み、一転して明るい雰囲気に満ちていた。低い山々の向こうには海が見えたが、どこの海かは分からなかった。テーブルには酒類や軽食類が用意され、ロボットウエートレスが三台並んで出迎え、見学者たちに頭を下げた。右手奥のテーブルでは、中東から来た政府関係者が一〇人ほど談笑していた。左手奥にはアフリカからの政府関係者が座っている。こちらは二〇人を超えていた。日本の独自技術で生まれた最先端の人間倉庫ということで各国からの見学者も多いし、積極的な技術協力も求められていた。

「さて皆さま、ひととおり見学が終わりましたので、ここにはアルコール類をご用意しています。オードブルも豊富です。ローマ貴族のような宴会も可能です」と小林。

「ロボットが奴隷代わりを務めてくれるんだから、人間どもはローマ貴族みたいな生活をしてもいいはずだがな……」と誰かがいうと、「俺たちの犠牲で、そういう時代が来るのさ」とほかの誰かが口を挟んだ。

「つまり私たちは奴隷以下ね。人減らしの対象ですもの」と誰かが付け加える。

「さて皆さま、一つだけ皆さまのご疑念に答える義務が残されています。つまり、本当に生き返るのかということです。しかし、法律的には、保存人体は国の許可なくして蘇生してはならないと定められています。で、許可申請を行い、昨年度から例外的に見学会一回につき一体、一時的に蘇生させることを許可されました。つまりデモンストレーションとして一体を蘇生させることができるようになりました。もちろん三時間以内に再加工することが条件です。最新の薬剤は、何度でも投入が可能です。当然のこと蘇生される一体は、ここにおられる皆さまにご関係の方がベストです。三時間だけお話ができます。そこでまず簡単なくじ引きを行いますが、蘇生させたい方の国民番号を知らない方、参加をご希望されない方は後方へお下がりいただき、ご飲食をお始めください。また、ご希望の方がまだ加工されていないケースもございますので、あらかじめご了承ください」

 二〇人が後方へ下がり、八〇人が残った。ウエートレスが持ってきたのは、八〇個の玉が入った箱。太古の昔からあるくじ引きだ。

「この箱の中にある玉の七九個は白色ですが、一個だけピンク玉が入っています。そのピンクの玉を引き当てた方がご指名する権利を得ることができます。したがって、どなたかがピンクを引いたときに決定いたします。さあピンクショックの始まり始まり!」

 全員が一列に並んで順番に玉を引いていった。勉は一〇番目に並べたことに満足だった。人が当てるのを見るより、自分が外すほうがまだマシだと思ったからだ。勉の前は誰も当たりを引かずにすぐに順番が来たが、勉が引いたのもやはり白だった。勉はチェッと舌打ちして、引いた白玉をウエートレスの抱えた籠の中に投げ入れた。

 引き当てたのは二二番目に並んでいた背の高い男だった。とても七○以上には見えないぐらいに若々しく、ハンサムだった。男は思わずニヤリとほくそ笑んだ。

「おめでとうございます。あなたのご家族が再生されることになりました」と小林がいうと、「知り合いでもいいですよね」と男が質問した。

「知り合いといいますと?」

「つまり僕は独身だし、ここに入っている親族はだれもいないけれど、昔ささいなことで別れてしまった恋人が眠っているんです。彼女を蘇生させて謝りたいし、一○○年後になるかも知れないけれど、二人が生き返ったときには一緒になろうと約束してやりたいんだ」

「それはかまいませんけれど、その方の国民番号は?」

「もちろん知っています」

「ならオッケーですわ。ここにその番号をお入れください」と小林は小さなパネルを差し出し、男は九桁の番号を押した。

「ありましたわ。ここに保管されています。それではこちらへ」と小林は男を案内し、「残りの皆さんは残念でしたが、お酒や軽食などで、どうぞおくつろぎください。二○分後には再生される方とともに戻ってまいります」とほかの者に声をかけた。

 

 小林と男はエレベータで倉庫に戻っていった。勉も含め、外れた連中はヤケ酒で乾杯ということになった。

「残念ね。亭主は金のインゴットをどこかに隠したまま眠っちまったのよ。なんとか聞き出そうと思ったんだけどね」と女が冗談っぽくいった。

「いやいや、ぜったいいわないね。生き返ったときに文無しじゃあ女を口説くこともできないからな」と横の男が返すと、周りでわらいが沸き起こった。

「どっちにしろ、生き返ったらすぐに若返り手術を受けなきゃいけない。とにかく資金は必要さ」

「ナンセンス。みんな裸にされて薬に漬けられるんだ。一○○年後に生き返ったってスッポンポン。結局未来社会の温情に頼らざるを得ないのさ」

「惨め。一〇〇年後にジジババを受け入れてくれる社会がある? 火星だって若い人たちのものよ」

 見学者たちは酒を飲みながら、ぐちをいって時を過ごした。誰も蘇生実験に関心があるわけではなかった。一〇〇年後だろうが一万年後だろうが、生き返ってなにか楽しいことがあるのか想像もできなかった。現実の社会は重苦しく、誰一人七〇歳まで生きようとは思わないと口にするが、七○歳になったからといって自殺者が増えるわけでもなかった。抽選に当選して初めて死を意識し、自殺を考える。ピンク色の保存人体は自殺死体と同じ意味しか持たない場合が多かった。仮に一〇〇年後に生き返っても、バラ色の人生が始まるとは想像できなかったからだ。つまり、彼らは自殺と同じ気分で施設に収容され、加工される。しかし自殺者が何かを期待しながら自殺するのであれば、施設に収容される人間も、ほんの少しだけ何かを期待して入るだろう。それはおそらく、ひょっとしたら目覚めたときに天国にいるといったようなたわいもない夢想かも知れなかった。

 

 きっちり二〇分後に、大きなエレベータから二人の人間と三台のヒューマノイド、ピンキーを乗せた一台のストレッチャーが出てきた。ストレッチャーに乗せられたピンキーは黒い布に覆われている。見学者たちは飲食を中断し、ストレッチャーの周りを取り囲んだ。するといつの間にか、遠くに座っていたアラブ人やアフリカ人までもが集まってきた。小林は、頭の方から布を腰の位置まで剥いだので、胸の大きさから女であることが分かった。周りからため息ともつかぬ驚きの声が上がった。七○歳以上とは思えぬほど若々しかった。髪を剃られた形の良い頭蓋は半透明で、前頭葉の一部が透けて見える。閉じた目蓋の下の眼球も見えて、不気味な顔つきになっていた。垂れ気味の胸の間からはうっすらと胃袋が見えていた。まるでプラスチック製の人体模型のようだった。

「前列のみなさん、皮膚を押してみてください」

 小林がいうので、人体に近い見学者は人体に触れた。勉も腹のあたりを人差し指で押してみると石のようにカチカチだった。

「どうです、ダイヤモンドに近い硬度があります。肉体は透明なピンク色ですが、すべての組織は破壊から免れています。体中の全細胞、血液、リンパ液、どれをとっても壊死した部分はありません。組織は完璧に保存されています。ただし時間は止まっています。スイッチの入っていないロボットと同じ状態ですが、金属のような経年劣化はありません。この方を再起動するにはスイッチを入れるだけでいいんです。でも、ロボットと違い体にスイッチはありません」

「難解ですね」と勉はいった。

「簡単ですわ。この方は酸素のナノバブルに加えて、触媒となる特殊な気体のナノバブルも加えられています。この触媒がありますと、たとえば未来の人たちが蘇生法を知らなくても自律蘇生できるということになります。発見者が地上に運び上げた途端に。つまり、スイッチの役割を果たすのは、太陽と触媒です」

「太陽に当てるんですか?」

学と名乗る彼女の元愛人が聞いた。

「もちろん再生時に触媒液に付ける方法もあります。最近では触媒の粉を振り掛ける技術も開発されています。もちろんその場合は誰かの手助けが必要です。でも、ここの収容者は体内に満遍なく触媒が行き渡っておりますので、酸素と太陽があれば再生します。日光が指先に当たるだけでも復活します。陽光の刺激で指先の血液から融けはじめ、それをきっかけに全身の血液も体中の保存液も融け出して細胞は目を覚まし、その活動で摩擦熱が発生して体が温まり、その刺激で心臓が再起動します。すべてオートマチックに行われます。もちろん動物の赤ちゃんみたいに、一分後には立ち上がれます。さあ太陽の降り注ぐテラスに行きましょう」

 

 広大なテラスの右隅には、昔懐かしいパラソルとデッキチェアが一○○組ほど並んでいた。左側には、円盤型の小型飛行体が二機置かれていた。その中央は縦横二○○メートルの広いデッキで、ストレッチャーとともに全員が移動すると、周囲には森のイリュージョンが立ち上がり、パラソルも飛行機も消えてしまった。本物の陽光が偽物の森と溶け合って神々しい幻想的な背景となり、人間の復活には最適な環境をつくり上げた。学は一人で恋人の復活を見守りたかっただろうが、衆人環視の中でやらなければデモンストレーションの意味もない。

「さあ、瞬きをしてはいけません。体中の薬品がみるみる細胞から溶け出し、流れ出していきます。このとき、酸素のナノバブルは体液や細胞内に留まり、酸欠を免れます。液体は紫外線と反応して無害化されていますので、皆様にかかっても安全です」

 ロボットが外国語で小林の言葉を通訳したので、外国の人たちも安心してグッと寄ってきた。ストレッチャーから液体が滝のように落ちて床に跳ね、しぶきが全員にかかった。透けていた肉体が高い部分から低い部分へ向かって瞬く間に濁り始め、白みがかった肌色を取り戻していく。プラスチック人形が人間に戻った瞬間、激しい痙攣が一○秒間起こり、その後ゆっくりと胸が上下に動き出した。心臓が鼓動し肺が呼吸し、血液が回り始めたのだ。突然パチリと目を見開いたとたん勉はアッと声を発したので、周囲の視線が勉に注がれた。

「明日香じゃないか!」

 

(つづく)

 

 

 

 

(詩)

既知との遭遇

 

雷鳴と稲妻が天地を引き裂く

一瞬の閃光がツララのごとく凍てつき

ゆっくり融けて左右に滲み出していく

異様だがグロテスクでない

現実とは無縁の現象

灰色の空に薄紅色の

ジグザグ道ができた 

傾斜九十度のたおやかな坂道

忘れてしまったあの高鳴り

乙女の肌のよう 鋭角的に滑らかに

みずみずしい夢のかけはし ある種の虹だ

いやありえない 笑わせるなよ

 

きっと燃えつきたシャトルの煙跡

異様だがグロテスクでもある

現実として受け止めるべきさ

分厚い雲に虫食い穴があき、職人技のカプセルカメラのよう

陽の光が落ちてくる 足下の地獄へ向かって 

いや はっきりと確認した

ピンク色した未確認飛行物体だ

まるで臆病者の芋虫 サーチライトをキョロキョロさせて

ようこそ、月からの使者 かぐや姫

足高のぽっくりをねじらせて 転げ落ちぬよう

慎重に 慎重に そして優雅に おどおどして

とうとうやって来た 妻となる人が

気の遠くなる時間 何世紀も待ち続けてきたのだ

しかし地上から五メートルのところでバージンロードは途絶え

巨大な卵がドスンと落ちてぽっかり割れた

恐竜の卵だよ 化石じゃないか 失望だ

割れ口から顔を出したのは賽のような細君

長すぎる角の上に角隠しをちょこんと載せている

「お久しぶりですわ 覚えていらっしゃいます?

貴方の初恋の女性 貴方を振って別の男に嫁いだけれど

その男は宇宙人だったわ

遠い星に連れていかれて 命からがら戻ってきた

さあ、もう私は貴方だけのもの 二人の間を邪魔するものはなにもない」

しかし君はひどく変わった

アインシュタインさんはこう言ったわ

人はみな若返って死んでいくものだと」

お嬢さん そうではありません

人はみな そう願いながら死んでいくのですよ

昔のことを夢見ながら…… 

だから僕はいま、ようやく貴方を振ろうとしているのです

なぜなら、今度は僕が宇宙に旅立つからです

さようなら 初恋の人、夢で終わった恋心……

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

 

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

 

 

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