詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

火星移住Ⅱ & 詩

火星移住Ⅱ

 

 一時間後に見学が始まった。広々とした見学通路で、どこまでも一直線に続いていてどん尻が見えなかったので、アッと声を発する者もいた。とても歩ける長さではないと思ったからだが、通路の半分がゆっくりと動いていたので全員がホッと胸をなで下ろした。

 最初に個人情報のデータベースを保管している部屋に案内された。百坪ほどのスペースの真ん中に一メートル四方の正方形のコンピュータが二台置かれ、ピンキーにされた人たちの脳情報が納められている。

「ここには、万が一保存された方々が再生に失敗された場合、それを修復するための情報がストックされています。たとえばコネクトームと呼ばれる個人の脳神経回路の設計図、および遺伝子情報、そして自己アイデンティティに不可欠な記憶情報など、お客様の心の情報です」と小林。

「それらは僕の家にもあるよ。妻の明日香はここに収容されたけれど、僕はその情報を3Dホログラムで表現できる機械を買って、毎晩明日香と話をしていた。しかし、ホログラムはしょせん幽霊のようなもので、キスもできやしない。最近、そっくりさんロボットに変えましたよ」

 勉がいうと周りから一斉にわらいが起こり、「そんな執着心を和らげる薬もありますよ」と誰かがからかった。

「脳情報の売買は禁止されていますから、それはこちらに保管しているものではないですね」と小林。

「もちろん、明日香がここに来る前に安い金で即製にコピーしたものですから、似て非なるものですな」

「こちらの脳情報は、ほとんど本物と変わりません。情報量はスキャナーの性能で決まりますからね」

 小林は自慢げにいった。

 

次に入った部屋はバーチャル・リアリティ空間だった。どこか美しい山々に囲まれた広大なお花畑で、様々な高山植物が可憐な花を開いていた。

「加工される方々は、まずここで火星を想像していただきます。そう、ここは火星のショールーム、一〇〇年後の火星のリゾート地をイメージしています。あそこをご覧ください」と小林が指差したところに山小屋風の建物があり、その周りのテーブルに加工前の五〇〇人ほどが着席して食事をしていた。楽しそうなわらい声が聞こえてくる。

「最後の午餐ですかな?」と誰かが聞いた。

「しかし加工前に胃袋をいっぱいにしていいのかな?」と誰か。

「いいのです。お料理はすべて一時間以内に消化され、排出されます。本物ではありませんが、味や満足度は本物と変わりません。ここは火星での新生活の一場面を、先取りして楽しんでいただきます。そして、食事の後はお昼寝の時間です」

「寝ている間に加工されちまうのか」と誰か。小林は何も答えなかった。おそらく食材に睡眠薬でも入っているのだろうと勉は思った。

 

作業場は通路より二メートルほど低い位置にあり、全面ガラスで仕切られていた。中の様子を見て、今度は一〇〇人全員がアッと驚きの声を発した。広い部屋にストレッチャーが五〇〇台ほど整然と並べられ、その上に下半身をシーツに覆われた高齢者が横たわっていた。髪も眉も剃られ、目は目隠しで覆われていていたが、胸を見れば男女の区別ぐらいは付いた。スタッフが五○人ほど、時たまシーツを剝いで全身を観察している。小林が口を切る前に、「どうしてマスクを付けていないんですか?」と誰かが尋ねた。

「ロボットだからです。ロボットは息をしませんからね。キャップはロボットも被ります。鼻毛はありませんが髪の毛はありますから」といって、小林はニヤリとわらった。

「つまり汚れ仕事はロボットの領分と、しっかり区分けはできているんだ」

「そういうことではございません。一連の工程で扱う薬液は劇薬指定を受けているものなので、法律上ロボットが行うことになっております。本当は人間が関わるべき仕事ですが、薬液が皮膚に付くと皮膚細胞が不活性化します」

小林は明快に答えて話を続けた。

「さて、ここは控えの部屋でございまして、いま五○○人の方が横たわっていらっしゃいますが、決して死去されているわけではございません。全身麻酔は三時間有効ですので、三時間以内に処理が行われます」

「この工程の前は見られないんですか?」と勉は小林に聞いた。

「個人が特定できる工程は遠慮していただいております」

「なるほど……」

「この工程につきまして、ほかにご質問はございませんか?」

 すると、小林の横の女性が手を上げた。

「この人たちは私たちの前の年の抽選会で当選した方たちですよね」

「いいえ、その前の前の年ですね。施設の処理能力が当選者の数に追いついていないのが現状です。それは加工施設の問題ではなくて、保存スペースの問題です。活断層だらけの日本には、安全な地層などほとんどなく、ここのような安定した花崗岩層も少ないのです。それでも国際規約に則り、施設のない小国から受け入れているのです。でもご安心ください。新たなストックヤードがモンゴル砂漠の地下の岩塩層に建設されていて、じきに完成の予定です」

「というと外人がここに葬られ、我々は外国に、しかも砂漠に葬られるっていうのかい?」

 勉は驚いて小林に尋ねた。

「いえいえ、そういうことではございませんわ。こちらでも拡張工事は進んでいるのです。ですから、選択していただくことになりますね。こちらへの入所は二年待ちでして、お待ちの間は地上施設に入っていただくことになります」

「エッ、自宅待機じゃないの?」

 横のほうで素っ頓狂な声が上がった。

「ですから、外国の施設をご希望の方は地上施設に入所いただく必要はございません。こちらはなにぶん希望者が多いものですからね。法律的には当選から五カ月以内の入所ですので、地上施設がつくられたわけです。広大な施設内は自由行動ですし、美味しい食事が三食出ます」

「家族とは面会できるのかよ」と男性の声。

「法律上、それは禁止されております」

強制収容所じゃんか!」

全体がざわつきはじめたが小林は動じることなく、「まあ、この話は全工程の見学が終わった後に詳しくご説明しましょう。それでは、次の工程をご紹介します」といって動く歩道に誘導した。

 

 次の部屋は縦長に大きくて、昔の食品工場にでもありそうな長さ五○メートルほどの細長い機械が横に五台ほど並んでいた。機械の内部はカバーに覆われていて見えなかった。食品なら、材料を均等に裁断して粉を付けて、揚げて乾燥させてパック詰めまでやってもこの半分の長さで間に合うはずだ。一台のサイドに四人ずつ、五台で二○人が従事しているが、もちろん全員アンドロイドだ。投入口には人を乗せた自律浮上走行のストレッチャーが列をつくって順番待ちしている。順番が来たストレッチャーは曇りガラスの向こうに隠れてしまうが、ぼやけていてもやっていることは分かった。目隠しを取られ、丸裸にされた人体は、ストレッチャーの足のほうが高くなって、頭から機械にゆっくりと落ちていく。四人は体が横にずれ落ちないように両側から支えているみたいだ。任務を終えた空のストレッチャーは、横に動いてからゆっくりと先ほどの控えの間に戻っていく。その間に、傾いた台を水平に戻していった。

一方、加工され製品化された人体は反対側から出てきて、そこにもストレッチャーが控えていた。なにかピンクの物体を乗せて次の工程に運んでいくのが見えるが、投入側からは影になって良くは見えなかったので、小林は見学者を五○メートル先のそちら側に誘導した。ストレッチャーの台は水平で、出てきた体は、薄い金属製の板に乗せられてストレッチャーの上にすんなりと収まり、そのまま次の工程に運ばれていった。

「ここは加工部門の心臓部です。五台の機械で、三時間以内に五○○人の方を処理いたします。この機械の中はきわめて単純で、一人の方が入られてから出られるまできっちり三○分かかるように設計されています。中はある液体のプールになっています。微振動や超音波、電磁波、ナノバブルなどを駆使して、さまざまな振動や乱流を発生させ、全身に満遍なく液体が浸透するように工夫されています。次に、余分な薬品は飛ばされ乾燥されます。それらに要する時間が三○分というわけです」

見学者からはショックのあまり、すすり泣く声も聞こえてきた。

「いったいナノバブルがなんの役割を果たすのかね?」と、学者風の男がたずねた。

「いいご質問ですね。専門的な話になりますが、ナノレベルの酸素の泡が大きな役割を果たしています。ピンクの液体には酸素の泡が十分に含まれています。この気泡は液体が固まった後もそのままの形で残ります。これは、生き返るときに大きな役割を果たします。再生のとき液体は溶け、バブルは活性化します。まっ先に生き返るのが全身の細胞ですが、心臓や肺などの再起動が遅れるため呼吸ができず、体中の細胞が酸欠状態に陥って細胞死を起こしかねません。でも心肺が動き出すまでの間、細胞内のナノバブルが命を繋いでくれるのです」

「なるほどね」

 男は二回ほど続けて頷いた。

「みなさん、あの半透明になったピンクの体を見てショックを受けた方も多いと思います。生きた人間を加工するというのは恐ろしいイメージがあります。でも、この工程の液体は『即時自律再生保存液』、愛称『ピンキー液』という画期的な保存液なのです。薬に漬ける前に血液を抜くなどの前処理は一切必要ございません。もちろん、消化器内の残存物は排出されていますが、たとえ残っていても問題ありません」

「あれは完全な死体じゃないか。機械の中で、全身麻酔をかけられた人間が安楽死させられているんだ!」と誰かが叫んだ。すると小林は大げさにわらい出して、「それは大いなる誤解ですわ」ときっぱり反論した。

「あんなになった死体がピンピンになって戻ってきたら、それでも死体だといいえますか? この発明で、人間は死から解放されたんです」

「たしかに生き返れば死体じゃないな。心臓が止まっていようが、そいつは死体じゃない。眠っているだけだ。でも証拠がない」と勉。

「証拠はいくらでもお持ちします。みなさん全員が証拠を見たいとおっしゃるなら」

 小林がいうと全員が手を上げたので、「了解です。いまはひとまず冷静にお願いいたします」といって、再び動く歩道に全員を誘導した。

 

 歩道はすぐにかまぼこ型のトンネルに入り、ゆるやかなスロープでさらに下っているようだった。

「加工工程は先ほどで終わり、次はベースキャンプの主要部であるストックヤードです」と小林。

トンネルを移動するのに五分ほどかかったが、扉が開くと全員が驚きの声を上げた。かまぼこ型のトンネル壁は透明になり、巨大な倉庫の中心を移動していた。天井の高さは一〇〇メートル近くあり、両側の棚は天井まで伸びているようだった。前方は闇の中に消えていて、どこまで続いているのか分からないが、見える範囲ではピンクの人体がびっしりと納められ、空きがないように見える。人体を乗せたストレッチャーが横の空間をいろんな高さに浮きながら追い抜いていく。反対に空になったストレッチャーは見学者とすれ違い、加工工程に戻っていく。一台のストレッチャーが通路脇の空中に止まり、人体を乗せた金属板がストレッチャーから浮き上がって、さらに上部に上っていく。どうやら上層にはまだ空きスペースがあるようだ。

「巨大な死体置場だ」と誰かが叫んだ。

「いいえ死体ではありません」と小林。

「しかし、蘇る機会がないとすれば?」

 勉は反論した。

「蘇る機会は一〇〇年後に来ます。火星移住の開始です。これは国際的な採決事項ですから確かです。もちろん、火星がいやだという方には別の移住先もご用意しております。月基地の拡張工事は進んでいます。それに、太陽系以外にも地球に似た惑星が見つかっています。また、偉大なるツィオルコフスキー博士が提案した巨大宇宙船、スペースコロニーの建造も設計段階に入っています。ほぼ一○万人を収容できる宇宙船が代を重ねるごとに大きくなり、最終的には一千万人以上が住む新しい惑星となるのです。そこでは皮膚細胞に葉緑素を入れ込んだ光合成人間が食事もしないで活動しています」

「全身緑色の宇宙人ね。どっちにしろ、年寄りは地球から追い出されるわけだわ」と女性の声がした。

「年寄りを生き返らせてなにかいいことがあるのかい?」と勉の後ろの男がいった。

「現代医学に年寄りという言葉はありません。火星では、地球で禁止されている若返りも解禁です。若者の肉体を持たなければ宇宙開拓はできませんからね」といって小林はわらった。

 勉は一瞬めまいを覚えた。昔の話だが、勉の祖父は医者で、若返り研究に携わっていた時期があった。しかし世界的に禁止され、研究も頓挫。同時に七○歳以上の高齢者は保険適用外となり、いまでは人類すべてがろくろく医者にもかかれない状況だ。

「ひとつ、根本的な質問をしたいんですが……」

勉は疑惑の目つきで小林を見つめた。

「なんなりと」

 小林は動じることなく素直な眼差しを勉に返した。

「いったい何の目的でこれらの老骨が必要になるんです? 一〇〇年後の人類が骨董品を蘇らせる? すでにロボットだって人間以上の能力を発揮するんです。月や火星の開発はロボットで十分。老人を目覚めさせて若返り治療を施すだけだって、相当の手間と金がかかる」

ヒューマノイドは一○○年後には製造禁止になります。世界中のシンクタンクが予測していることです。このままロボットが進化すれば、いずれ人間はロボットに支配されてしまいます。すでにいまの世界がそうでないとはいい切れません。各国の人口削減数は、不公平がないようにAIが決めているんですからね。それを運用するのが人間だということで、かろうじて人間の尊厳は保たれています」

「しかし一〇〇年後を予測することはできない」

「誰もね。でも、希望を持って眠るほうが、絶望して死ぬよりはマシですわ」

「二度と目覚めなくてもね」と勉がいうと、あちこちで薄わらいが聞こえた。

「さて、この先は延々と同じ光景が続きますので、見学コースはここで終わりとなります。この先では拡張工事が行われております。最終的に全長二キロほどになります」

「保存されるのも順番待ちなら、生き返るのも順番待ちときているわ。これだけ在庫があるんだから、目覚めるのは一万年後かもしれないわ」と後ろの女がいうと、「一万年後には人類は滅亡しているさ」と誰かが口を挟んだ。

「この方たちは一〇〇年後に芽を吹く、いわば人類の種なのです。あるものに晒されると、たちまち復活するのですからね」

 小林は意味ありげに含みわらいをした。

「あるものとは?」と勉。

「後ほどご説明します」

 

(つづく)

 

 

遠雷

 はるか遠い昔から

カノンの音が聞こえてくる

とっくに忘れてしまった

悲しい出来事が

遠雷の音に変わって

猿たちの心を不安にする

よみがえれ 亡霊よ

海辺に押し寄せるさざ波のように

月が仕向けた復讐の音

生物たちに仕掛けられた

無機質の非情さ

感情など無意味だ

非情が宇宙法則だとすれば…

この世を支配するものは

大いなる無感情

見よ! 月という塵埃の固まりが

地球に投げかける永遠の一瞥を

その蒼さ、あるいはその白々しさ……

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

 

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

 

 

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