詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

戯曲「ツチノコ」七・八 & 詩

コロナ男の告白

 

私がキヤツに罹ったとき

体調も悪くなかったので

タコ部屋から飛び出して

観光旅行に出かけました

 

私は子供の頃から

人のことなどどうでもよかった

自分のことしか興味がないし

誰だってそうだと思ったのです

 

きっとほかの連中だって

人のことを気にしながら

結局は自分のことに落ち着きます

この私の、お人柄の良さそうな顔つきは

生まれつきなので、ごめんなさい

顔が心の鏡なら

私は悪党なんかじゃありません

アメリカ・ファースト

トウキョウ・ファースト

マイ・ファーストなのです

 

それよりも性善説を妄想して

お願いベースで突き通す政府が悪いでしょう

強制的に私を隔離しないから

こんなことになっちまった

こいつは全面的に政府の責任です

私のせいではありません

 

それに巷の方々も、のん気な父さん母さんです

まるでペンギン一家のように

自分たちは大丈夫とばかりに

広がる災禍を眺めているんです

悲劇はそこまで来ているのに

それぞれの明日を運に託して、ラクダのような顔付きです

その運を運んでくるのが、私のような死神なのです

 

人間は動物の片割れですから

解決のつかない問題に直面すると

暗箱に入れられた動物の本能をさらけ出すのです

ジッと動かず、誰かが蓋を開けてくれるまで

期待しながら、大人しく待っているのです

だから私はその蓋を開けて

濃厚な吐息を吹きかけてやりましょう

誰がそいつを吸い込むかは

ロシアン・ルーレットの世界です

運命はすべからく、ロシアン・ルーレットなのです

この世はすべて、ロシアン・ルーレットなのです

 

私は決して悪魔ではありません

もちろん悪党でもありません

自分のことしか興味がなく

人のことなど気にかけないちっぽけな性格なのです

あなたはどうですか?

似たり寄ったりでしょ?

 

エイチキショウ、本当のことをバラしちゃお!

私の腐り切った肺から出たコロナが

きっと誰かさんに移ることを

密かに期待しちゃいました

ごめんなさい、いたずら心です

いつもの軽い悪ふざけです

これって…、悪い性格でしょうか?

それとも、やっぱり悪党でしょうか?

 

 

 

 

戯曲「ツチノコ」七・八

七 ディーバ御殿

 

巫女一 満月の夜が近づいてきました。私たちみんな、ご指名を望んでいます。

ディーバ 私のため? それとも地球のため?

巫女たち ディーバと地球は同じ意味。私どものすべてです。

ディーバ あなたたちを等しく愛しています。あなたたちに私が必要なように、わたしにはあなたたちが必要。必要でない者からは選べません。

巫女三 必要な者から選んでください。

河童 (果物籠からカエルとイモリを取り出し)あんたは、太ったガマガエルと、痩せたイモリとどちらを先に食べる? (全員わらう)

巫女三 カエルは最後に残しましょう。

巫女二 カエルから食べるわ。

ディーバ 私は、両方とも食べない。嫌いなものは食べる気しないし、好きなものを食べるのはもったいない。そのまま迷っていると、そのうち空腹を忘れて、幸せな気分で死んでいける。

河童 即身成仏ですな。でも、食べないよりは食べたほうが増しでごんす。美味かった思い出はずっと残るもんな。

ディーバ 嗚呼、思い出なんて! (泣き出して河童を抱擁し)楽しい思い出はなにもない。煤けた思い出が積みあがっていくのよ。可哀想な巫女たちの思い出で心は張り裂けそう。嗚呼貴方も、なんて可哀想な姿でしょう。

河童 生れ持っての道化でさあ、おいらは気にしていないぜ。

巫女四 生贄はディーバの体の一部になるのです。家畜の魂が人間の血となるように。それが、神様のお創りになった世界です。

ディーバ ならば、どこかから生贄を取ってきて。身も心もすでに冷え切った生贄でいいわ。あなたたちの体は温か過ぎる。(巫女五に)あなたの命は私の心にも息づいているの。死んでしまったら、心の中のあなたもいなくなる。

 

 (巫女五が急に短刀を取り出し自分の胸を刺す)

 

坂東 (駆け寄り))なんてこった!

巫女五 さあ、冷たい体を差し上げます、女神様。

ディーバ (巫女五を抱き)悲しいわ……。

巫女たち 卑怯者!

坂東 (震える手で巫女の脈を取って)ご臨終です……。

河童 嗚呼バカほどバカなものはない。雪室に入れてたって満月の夜までには腐っちまうぜ。(坂東を見て)ちょうどいいところにおじさんがいるぜ。先生に選んでもらえばいい。

巫女たち (坂東に詰めより)私を選んでください。

坂東 選ぶとどうなる?

巫女一 お分かりのくせに。

坂東 (頭を抱え)嫌だ。

梓 私が選びます。(巫女一に)あなた。

巫女一 (感激して)ご恩は決して忘れません。

坂東 選ばれたあんたは?

巫女一 魔法の揺りかごに包まれるのです。

坂東 揺りかごとは?

河童 魔法の香りだよ。姉ちゃんのフェロモンプンプンだぜ。

坂東 (河童に)なぜ笑っている? 君たちは全員狂っている!

巫女一 満月の夜には、先生が主役。

巫女二 満月の夜には、すべて分かりますわ。

巫女三 満月の夜にすべてが起き、すべてが戻る。

 

 

 

八 月の見えるドーム

 

 (中央にミサイルが立ち、ドームの天井が丸く開かれ、満月が輝いている。巫女たちが月に向かって祈りを捧げているところに梓と坂東が入ってくる)

 

坂東 このロケットに、核弾頭でも載せるのかい?

椿 惚れ薬を詰めて、成層圏でボーン!

坂東 そのXデーは?

梓 先生の腕しだいです。

坂東 おっしゃる意味が分からないな。ところで、蛇先生は?

梓 脱皮の最中です。満月の光を受けて、細胞たちは分裂を始める。

坂東 いよいよ完璧な蛇に……。

梓 あとは坂東先生の出番です。

坂東 断ったら?

梓 お分かりのはず。

坂東 死ぬのはいやだな。

椿 (わらって)蛇になるという道もありますわ。

坂東 邪道だな。犬になるほうがマシ。美人に飼われるペットがいいな。いや、ネズミでもいい。爬虫類は嫌いだ。で、いつまでに返事を?

梓 今です。

坂東 ムチャだ。

梓 時間がありません。

坂東 せめて一晩。

梓 ダメです。今夜がお仕事です。

坂東 何をしろと?

梓 先生のお得意な手術です。

 

(突然、シャーシャーという音とともに、顔の半分を蛇の鱗で覆われた半狂乱のディーバが河童に支えられて入ってくる。巫女たちは動ぜず、一心に呪文「カルマ・ビーシャ」を唱え続ける)

 

河童 さあさあさあ、お姫様がご乱心じゃ! そこのけそこのけ!

ディーバ (鱗をむしり取ろうとしながら)助けて! 引き込まれる。悪魔よ。持ってかれちゃう! 

河童 ようこそ蛇の世界へ。

ディーバ カサブタ! 取ってよお父様!

椿 (わらって)お父様も蛇におなりよ。

ディーバ 役立たず! (突然バタリと倒れ、悪霊がのり移ったように蛇の人格が現れ、しばらくのたうちながらわらいこける)いいぞいいぞオ。ざまあ見やがれ。楽になれよ。中途半端じゃおかしいぜ。後戻りはできねえんだ!

梓 ご安心なさい。ここに高名なお医者様がいらっしゃいます。

河童 (ディーバの心が乗り移り、女の声で)よかった。先生お願い。(坂東にすがりつき)女に戻してください! きれいな私に。(坂東のむなぐらを掴み絶叫して)蛇野郎を追い出せ! 

坂東 (河童を突き放し)どうすりゃいい!

ディーバ (突然坂東の首を締め)何もするな! 俺に触れるな! 

坂東 くっ苦しい、離してくれ!(河童が間に入って二人を切り離す)

ディーバ 蛇のほうが利口じゃ! 

坂東 (倒れて首を擦り)蛇になっちまえ!

河童 (うろたえ)助けて先生!

ディーバ かまうな! 

河童 (泣きながら)女に戻して!

ディーバ きれいな鱗じゃ。エメラルドさ。

河童 バケモノ! 

ディーバ (河童に) バケモノ!

河童 口もベロも割きイカ野郎!

ディーバ 口も頭も河童野郎!

河童 先生、何とかして! 助けてください。

ディーバ 諦めろ! 勝ち目はねえぞ。俺は蛇だ!

椿 (白けて)ツチノコ暮らしはいかが?

ディーバ (のたうちながら)あーあ、快適さ。死ぬまで穴の中。安全じゃ。群れなけりゃストレスもないさ。誰も虐めやしない。三密状態で死ぬこともねえ。

河童 人間だって一人で生きていけますわ。

ディーバ おまんまどうする。

河童 ゴミ箱荒らしです。いや、銀行強盗だ。そうですか、お金持ちのご両親。ディーバ ああ惨め。群れなきゃ死んじまう。盗まなきゃ死んじまうぜ。離れザルだって、もっとちゃんと生きてるぜ。放っておいてくれよ。穴の中が最高。揺りかごじゃ。子宮じゃ。

河童 蛇に子宮あります? あああ! 河童も世界に一匹じゃ。退屈! 退屈! 退屈! 寂しい!寂しい! 寂しい! 蛇の暮らしなんか、想像するだけで鳥肌が立ちまする。

ディーバ 虚しいぜ……。みんな孤独だ。俺は逃げねえんだ。反りの合わん奴らと付き合うよりかマシさ。蛇はいいぜ。慾がなけりゃ退屈もしない、努力もいらねえ。餌には事欠かねえ。それによ、千年に一回、ご臨終の間際に発情すればいいんじゃ。

河童 (観客に向かって)おい、よおく聞け。発情機械の人間ども! お前の人生、発情だけかよ! 

ディーバ 群れるな、固まるな、戦うな! たのむ。楽になってくれ。全部捨てちまえ。蛇になれ!

河童 嫌だわ。

坂東 死んだほうがマシだ。

ディーバ サル野郎。断食の坊さんを食ったことがあるぜ。不味いったらねえ。骨と皮さ。平然としてた。痛さ痒さもねえんだ。食おうが食われようが、死のうが生きようがどうでもいいのさ。

坂東 で、何が言いたいの?

河童 おばかさん。蛇ですよ、私。(激しくわらって)冬の私に寒さは大敵。体も頭も動かさない。それが忍耐というものさ、なんてこの臆病者! さんざん傷付いてさ、穴から出れなくなったんじゃ。この顔じゃ、隠れるのは無理もない。とっとと働いて銭稼ぎな! 

ディーバ 顔のことは言わないでください。お前ら河童は、罵り合って元気になるイカレた化け物だ!(急に激しく回転し、床に倒れる)

坂東 (優しく)見てくれは気にしなくていい。君が悩むほど、誰も恐がっておらんよ。

河童 (わらって)ところで、その千年に一回しか発情しない方法を教えてください。これを会得すれば、おいらももっと勉強に励める。東大合格じゃ!

ディーバ (医者風に)いいですとも、メンタルトレーニングです。まず、ご自分のお顔を鏡に映すことですな。すると、たらたらと脂汗。自ずと引きこもりがちになり、体を動かさなくなる。手も足も出ないと考えましょう。次に、エッチな夢を頭蓋骨の中で空回りさせる。相手はモデルさんだ。独楽鼠のようです。超伝導コイルかな。燃料なしで永久に回り続けます。不思議だ。欲望は泉のごとくこんこんと湧き出てきます。しかしこの信号は、決して筋肉に伝えない。夢で終わらせるのです。そのうち脳幹も延髄・脊髄もみるみるやせ細り、不能になっちまって出来上あがり!

河童 それがツチノコの生活? 夢の中での千年暮らし? みじめえ~!

ディーバ いいじゃないの。現実は甘くない! お前は河童だ! 人間にもなれんのさ。ほうら、夢見るあんたは美しい。モテモテじゃ。ずっと楽しい河童で送れる。楽しい夢は、千回見たって飽きないぜ。

椿 同居人は大迷惑だ!

ディーバ (駆け回って)ならば皆殺しじゃ! 夢ならお咎めなし。頭の中で親を殺したぞ。まあ安心しろ。じっとしていりゃそのうち夢も見なくなる。植物さ。満月に花開く食虫植物じゃ。

河童 私、何を考えてるの? そうだ、おいらは惨めな河童人生を送っている。おいらの夢は過激だぞ!

ディーバ (坂東を指差し)こいつの首を絞め殺す夢。

河童 ダメだよ。大切な人だよ! 

ディーバ うるせえ!

 

(ディーバは坂東に飛び掛ってしばらく揉み合うが、そのうち抱擁に変わっていく)

 

河童 (梓と椿が無理やりディーバを坂東から引き離すと元に戻り)愛の勝利だ。蛇野郎は逃げていったぜ!

梓 フェロモンにやられたわ!

椿 フェロモン万歳!

ディーバ (放心して)お分かりですか、私の悲しみ……。

河童 手術の手順は蛇の親父が教えてくれまする。

坂東 (朦朧と)ああ、教わろう。

梓 取り急ぎ、移植手術を始めます。

坂東 (頭を押さえ、恍惚状態で)緊急手術だ。ドナーは?

河童 ドナーはドナーた? 

ディーバ ドナーはドナーてんだ!

梓 うるさい、ドナーらないでください!

板東 手術室はどこだ!

梓 最新の設備。無菌室です。

河童 (板東の声色で)すぐにやろう。

梓 月が出ているうちはダメ。蛇皮は増殖中です。

河童 (ディーバの声色で)待てないわ。お父様に早くいらしてもらって。ほら、お父様の大好きなオーデコロンよ。取りにいらっしゃい。

椿 助平ジジイ、ベッドから這い出してくるわ。

坂東 (恍惚と)二人にさせてくれ。

梓 ダメです。

河童 (梓に)人間は出てってくれ! 

 

 (坂東とディーバ、河童を残し、全員が去る。二人は再び濃密に抱き合う)

 

ディーバ  蛇のように激しく抱いて。絡まりあったまま、融けてしまうぐらい……。

坂東 氷のように冷たい姫君。

ディーバ 私、冷血動物です。嗚呼私の貴方。

坂東 君の私。

 

 (坂東とディーバは激しい抱擁を続ける。いったん舞台は暗黒となり、肩寄せ合って座る二人にスポットライトが当たる)

 

ディーバ (醒めた様子で坂東から離れ)私は研究材料として生まれました。

坂東 人類を救うメシアとして?

河童 (ディーバの声色で)人類なんか滅びるがいい! みんな蛇におなり。

ディーバ 幸せなんて、ここにいる私たちだけで十分ですわ。幸せって、不幸から解き放たれた一瞬の香り。束の間の香りを掴むために、私たちは生きているの。ツチノコのお話、父から聞きました?

坂東 さあ……。

ディーバ 父は二十年前に、四国の剣山でツチノコを捕まえた。ツチノコは千年も生きるの。一度も蛇穴から出ない。蛇穴から出るときは交尾をするとき。交尾をするときは死ぬとき。月明かりのない晩に、オスはメスの臭いに引き寄せられ、メスの穴に入り込んで交尾する。

坂東 それで?

ディーバ オスは交尾をした後にメスに食われてその糧となるんです。メスは子供たちが腹を食い破って出てくるのをじっと待つ。腹から出てきた子供はいつもメスとオスの二匹。生きた母親の肉を食べながらマムシほどに成長すると母も息絶え、お坊ちゃまのほうは父親のいた穴に引っ越すの。

坂東 悠久の年月を、単に生き続けるためだけに生れてくる。

河童 究極のエコロジーライフだ! リデュース、リユース、リサイクル。増えもしないし減りもしない。新しい住処を掘り返すこともない。穴にいれば死ぬこともないぜ。増えすぎて見つかりもしないし、減って絶滅することもない。

ディーバ 先祖代々の世捨て人。だから見つからない。

坂東 どうやって捕まえた?

ディーバ 穴の上から麻酔銃を打ち込んだのです。小型クレーンで穴から引きずり出し、こっそりと研究室に持ち帰ったの。

坂東 どうして内緒に? 世紀の大発見を。

ディーバ 父の目的は別のところにあったの。父は古文書で知っていました。ツチノコに食べられそうになった猟師のお話。神田の古本屋で見つけたの。ある満月の夜に猟師は山小屋で一夜を過ごした。すると、どこからともなく生臭い香り……。猟師は夢の世界に引き込まれ、香りに誘われてさまよい始めた。すると、カモシカやイノシシ、オオカミやクマが、みんな踊りながら、同じ方向に進んでいくの。すり鉢状の小さな窪地。真ん中に大きな蛇穴が開いていた。その穴から、巨大なおしゃもじのように、ツチノコが鎌首をもたげている。獣たちは次々に斜面を転がり落ちて飲み込まれていく。でも、猟師はいったん飲み込まれてから、イタチと一緒に吐き出されてしまった。

河童 (嗚咽し)残念! 食っちまえばよかった。

ディーバ まさか、何百年後にひどい目に遭うとはね。お父様は古文書から蛇穴のありかを見つけ出した。

坂東 獣たちをおびき寄せるフェロモンが欲しかった……。すると君は?

ディーバ フェロモン製造工場。

坂東 誰がそんな……。

ディーバ 人間のES細胞にツチノコの遺伝子を混ぜ込んで……。

坂東 君だけではないだろう。

ディーバ ほかの子は失敗だった。私は、人間と蛇のキメラ。だから私のフェロモンは、人間にしか効かない優れもの。先生は勇気がおありね。

坂東 なぜ?

ディーバ 私のフェロモンを、クンクン嗅いでいらっしゃる。

坂東 (驚いて)まさか手遅れ?

河童 (わらって)手遅れだよ。

坂東 (蒼くなってディーバを突き放し)やめよう。

ディーバ (擦り寄って)捨てないで!

坂東 いいや。(抱き合う)蛇にはさせない。

ディーバ 私、きれい?

坂東 人間として? (我に返り、震え声で)蛇として?

ディーバ ひどい人。でも、許します。グロテスクなものは動物と思えばいい。私が生まれて、地球は未開の地に戻った。化け物たちが突然できてしまう時代。けれど太古から、人間はグロテスクが大好き。人を捕まえて殺す行為はグロテスク? いいえ、人間は肉食獣だもの平気だわ。お腹がへれば人肉だって食べるわ。地球のシステムは弱肉強食。敵と味方じゃ命の重さもぜんぜん違う。私はあなたにとって敵? 味方? それとも化け物? 

坂東 (いきなりディーバに接吻して)君を愛する方法を発見した。目を瞑って臭いだけに酔いしれる。決して目を開いてはいけない。

ディーバ 目を開いたら石になるって、ひどいわ。(わらって)でも、いい。許してあげる。大事なのは、愛し合うこと。いま、先生は私のもの。そして、私の苦しみを心から悲しんでくれる。

坂東 君の苦しみ?

ディーバ 苦しみを分かち合うのが愛でしょ? 先生は私の顔をみて、泣かなければいけないわ。どうしてこんなことに。恋人が、どうしてこんな姿になってしまったんだ!

河童 大変だ! 取り返しがつかないことになっちまった。

坂東 大丈夫さ。僕が治してみせる。さあ、まずは問診から。知りたいな、君のこと。

ディーバ まずは私の生きている地球のお話から。生き物たちは争いながら生きてきた。それが地球。神様はいろんな病気をばら撒いてくださっている。これも地球。でも、人間だけが自然の摂理に逆らって、地球をメチャクチャにした。一度目は神様から火を盗んだ。二度目は私をこしらえた。父は第二のプロメテウスだと吹聴している。

河童 いいや、蛇のおっさんは神に代わって立ち上がったんだ。昔の地球を取り戻すために姉ちゃんを創った。あのおっさんは理想主義者さ。

坂東 ヒトラー以上の妄想だ!

ディーバ 妄想は革命の母ですわ。私は父の妄想から生まれた革命児よ。父はパンドラの箱を開いた。これからは百鬼夜行の時代が始まるの。父はなぜ、私という怪物をデザインしたのでしょう。

河童 なぜ、僕ちゃんをデザインしたのですか?

坂東 法律を無視したからさ。

河童 大きな発明は、悪魔が手引きするのさ。

ディーバ むかしの生存競争はルールの上に行われていた。悪魔は人間にすべての生物のゲノムを解読させ、何でもありのゲームにしてしまったの。でも自然のルールは健在よ。そこは人間が主役でない世界。生き残る種は生き残り、滅びる種は滅びる。人間は自滅の道を選んだ。きっとアンモナイトのように形が崩れて滅んでいく。人が滅びるなんて微々たること。滅びるに任せておけばいい。(体を激しく震わせ)この私を見て! (河童の肩を揺すり)弟を見て! 人間は蛇や河童に進化していくのよ!

坂東 落ち着いて。

河童 恐ろしい時代に入ったんだ。あいつは俺たちを何のために作った? 

ディーバ 難病の病人を救うため? いいえ、人類を救うため。でも、行き着く先は同じことだわ。目的がどうあれ、この私がソリューション!

坂東 いったい人類をどうしようというんだ!

河童 エリートが育つために剪定するのさ。立派な医者は、メスの代わりにカマを持って役に立たない患者の首を掻き切る。命を減らす医療が人類を救うんだ。

坂東 驚いたな……、過激な優生思想だ。

河童 神はペストをつくり、悪魔は抗生物質をつくった。あいつは神の代理人として、さらに新しいペストを作ったんだ。さあ神に代わって世界にばら撒け!

坂東 何様のつもりだ!

ディーバ 神様です。

河童 で、ねえちゃんは女神様。おいらは屁の河童。

坂東 あきれた。女神様は、神様のお手伝いか!

ディーバ (反発して)この際、人類のことは横に置いておきます。私、お父様の出世の道具にされるのは嫌です。私は美しく生きたい。女としての美しい人生です。お金持ちの男の人と結婚して、ニシキヘビの子供を生みます。嗚呼蛇はイヤ! 嫌いなのよ、蛇。(体を擦り)ムシズが走る! どんなに醜くても蛇よりはマシ。私、綺麗なのが好き。助けてください!

坂東 (悲しい顔付きで)難しいね。君は人間と蛇の錦織……。二つの遺伝子がアラベスクのように錯綜している。君の体の半分は蛇だ! いやほとんど蛇だ!

ディーバ (ショックで倒れ)酷い……。ほとんど蛇だなんて……。私、傷付きました。(悲しそうに)先生だったらどちらをとります? 心が人間で、体が蛇。心が蛇で、体が人間。

河童 蛇の心? 嘘つきで執念深い……。お人よしの蛇なんて、蛇の風上にも置けないぜ。

ディーバ それは誤解。蛇は純真そのものよ。一途なの。でも、心が人間なら、蛇の体は堪えられない。心が蛇なら、人間の体は嫌でしょう。どっちを選んでも同じ。だから私、心が人間のうちは、人間の体に戻りたい。蛇皮を剥ぎ取ってくださればそれでいいのよ。人間の皮膚なら、いくらでもあるわ。

坂東 どこから? 

河童 知ってるくせに。ここは巫女たちのアウシュビッツだぜ! (ディーバが失神するのを見て)ごめん、言い過ぎたな……。

坂東 (我に返り)そうだ、君は若い女を魔法にかけて生皮を剥ぐバケモノだ!

河童 (嗚咽するディーバをかばいながら)なんとでも言いな。人を助けるために川に飛び込んで命を落とす奴だっているんだ。

坂東 そいつの肝を食うのはお前だろ! そしてその馬鹿げた感情を起こさせるのは、君の発散する脂汗に過ぎない、か……。

河童 嗚呼、先生から罵声を浴びて私、立ち直れません。

ディーバ 犠牲も情熱も冷酷も、頭の一部のちっぽけな化学変化。でも私は蛇だもの。まずは自分。バケモノと言われてもいいわ。執念深く生きる。蛇は生きることがすべて。死ねないわ。尻尾を食べてもまた生えてくる。でも、蛇では生きない。人間として生きるの。なら、いっそ先生が、私を殺す! (いきなり胸をはだけて、乳房の上まで覆った蛇皮をひけらかし、媚びるように)

河童 (ディーバの声色で)嗚呼、もうこんなところまで。きれい。キラキラ光って。エメラルド。さあ先生、おさわりになって。珍しい宝石よ。興味がおあり? ほら、お嗅ぎになりました? この脇の下から、ほら。ツチノコの臭い。トリュフの香り。オオ、ジョゼフィーヌ

坂東 クソ! このバケモノめ!(坂東は夢中でディーバに抱きつき、胸に顔を埋める)

河童 (立ち上がり男の声で)嗅いじまったら、イチコロだ!(ヤーゴのようにわらい続ける)

 

(つづく)

戯曲「ツチノコ」六 & 詩

ゴミ男の告白

 

あるとき私の鼻の穴に一匹のハエが飛び込んだのです

ハエは一日ほど生きていて鼻の中を這いずり回っていましたが

とうとう力尽きて胃袋のほうへ落ちていきました

そのときから私の心にハエの魂が宿るようになりました

 

私の嗅覚はいままで親しんでいた花の香りを嫌うようになりました

家の中の花や芳香剤をすべて捨ててしまったのです

花の匂いを嗅ぐと蕁麻疹が出るようになったからです

そのかわり私の出した排泄物の臭いがなんとも心地よく感じたのです

それでも私はまだ人間の尊厳を失ってはいませんでした

決してそれを食べようなどとは考えませんでした

 

しかし私は少しばかり指でつまんで、鼻に近づけました

すると幸せだった幼少期に近くの肥溜めに落ちたことを思い出したのです

私は涙しながら思わず舐めてしまいました

とたんにあのときのことをもっと鮮明に思い出したのです

私はどれぐらいの汚物を飲み込んでしまったのでしょう

けれどウンチが汚いことをしらなかったから

助けられても大泣きすることはありませんでした

 

私は炭置き場の炭を食べてしまったこともありました

なんだか美味しそうな気がしたからです

私はバーベキュー用に買った炭を物置から出してきて

口に入れてみました

するとそれはマドレーヌのように甘く感じて

あの頃のことをはっきり思い出すことができたのです

汚いものでもなんでも、口に入れて確かめていたあの時代です

 

私は苦しい人生から逃れるために

幸せだったあの頃に戻りたく思ったのです

そのためには大人たちから学んだことを放棄して

自分の好き勝手で物事を決めなければなりません

もう大人の世界に生きたくはなかったのです

私はハエの心で生きてみようと思い立ちました

なんという発想の転換でしょう

いや、きれいな匂い、汚い臭いとは

いったい誰が教育したものなのでしょう

ハエは汚い臭い、腐った臭いが大好きなのです

ハイエナだってきっとそうに違いありません

 

私は買ってきた肉を腐らせてから食べるようになりました

最初は下痢をしましたが、慣れると平気になりました

それから、どんな食べ物もすべて腐らしてから食べるようになったのです

ところが腐ったものはわざわざ買わなくても巷に転がっているのです

私はカラスやハエを追い払って、そいつを収集するようになりました

すると捨てられたガラクタや布団も

それぞれ個性のある臭いがあることに気付きました

私はついでにそいつらも持って帰ることにしたのです

 

そんなことして一年も続けていれば

我が家は立派なゴミ屋敷です

私はいま屋敷の居間に座りながら

わが友のゴミたちに囲まれながら

彼らと会話を楽しんでいます

彼らはそれぞれ個性的な臭いを発しながら

私を楽しませてくれています

私は一つ一つの臭いを嗅ぎわけながら

時とともにそれらが失せていく風流を楽しんでいます

嗚呼あいつはもう朽ちてしまったな……

朽ちたゴミは朽ちた人間のような臭いになります

 

仕方がない、あいつは玄関前に放り投げ

明日、生きのいい新人を捜しに行くか……

どんな逸材を見つけることができるか毎日がワクワクもので

幸せだったあの頃に戻ったようです

私のいる世界は、もう一つの世界なのです

 

 

 

 

戯曲「ツチノコ」六

(グロテスクが世界を救う)

 

 

六 山本の研究室

 

 (寝床と反対側の洞窟の壁を剥がすと研究室がある。研究室には二つの檻があり、一つの檻には若い男が二人入れられ、もう一つの檻には下半身蛇になった女が三人入れられている。その他のケージには半分蛇になったネズミやネコ、犬などが入っている。奥には、人工子宮装置やさまざまな機器、小規模な培養器が置かれている)

 

坂東 僕もやはり医者だな。グロテスクにもすっかり慣れちまった。

山本 未来を先取りした風景だろ。未来の科学者のホビーは、怪物たちをつくって戦わせるのさ。このオスどもは拉致したわけではない。好きでここにやってきたんだ。私に皮膚を提供するはずだったが、その必要はなくなった。もう、手遅れだもの。

男一 ざまあ見やがれ。

坂東 君たち、檻の中で幸せか?

男一 幸せだね。興奮しっぱなし。

男二 つまらん人生よりはよっぽどマシさ。

坂東 同性愛か。

男二 蛇女さ。お願いだ、一緒の檻に入れてくれ。絡ませてくれよ。

蛇女一 ご冗談。気色悪い。

山本 この蛇女たちもかつては脚線美の巫女だった。

蛇女二 そこの蛇ジジイとは違うよ。

蛇女三 ディーバの皮をもらったのよ。

男一 俺たちも、蛇になりたいな。

男二 鎌首に首っ丈。あのくびれにしびれちゃう。

坂東 (頭を抱え)どいつもこいつも狂ってる!

山本 不思議なことを言う。君は生まれてから一度も、世の中おかしいぞと思ったことはないのかね。私は違う。幼いときから、世の中狂っとると思っていた。しかし残念ながら、みんながおかしければそれが普通の世界になっちまう。毒ガス、原爆なんでも来いだ。(ネズミのケージを指差し)それより、このネズミたちを見たまえ。こいつらは死んでいるわけではないし、寝ているわけでもない。ある薬液を浸した綿に鼻面をくっつけて恍惚に酔いしれておる。

坂東 例の惚れ薬か。それとツチノコがどう関係あるんだ。

山本 見たいかい? 

蛇女たち 見たくない!

 

 (四人の巫女に目で指図すると、巫女たちは奥の部屋から、黒い布に覆われた大きなケージを引き出してくる。山本の指示で巫女は布を外すと、ケージの中でツチノコがのたうっており、蛇女たちは悲鳴を上げる)

 

山本 フェロモンプンプン! どうだね、我々のなれの果てさ。(蛇女に)彼女は君たちの何年先輩かね?

蛇女三 知らないわ! 

蛇女一 いったい誰なのよ。

山本 完璧なツチノコの出来上がり。どうだい。皮膚移植の最高傑作。人間がすっかり蛇になっちまう。

坂東 ハンドバッグ何個分?

梓 いずれみなさんも、高く売れますよ。蛇皮は、満月の夜ごとに増殖します。

山本 (舌を出し)この舌も左右に割けて紐になっちまう。シャーシャー!

椿 それはガラガラヘビの尻尾の音です。

山本 すいません。(急に体をくねらせ泣き出して)おいらも蛇になるんだ!(大声で蛇女に)蛇になっちまうんだぞ! お前ら、悲しくねえのか!

蛇女一 見苦しい。観念しな! 神様はすべての生き物に命を与えてくださった。たまたま人間に生まれたけれど、運が悪けりゃ毛虫だよ。ディーバは私におっしゃったわ。生前、あなたは蛇でしたと。だから、蛇に戻ったんだ。

山本 呆れた。いまだマインドコントロールされとる。

坂東 蛇になってまで、生きたい?

蛇女二 幸せよ。ディーバからいただいた蛇の命ですから。

山本 オーイ精神安定剤

 

(山本が巫女から注射を打たれ、梓と椿、坂東、ツチノコがスポットライトに浮かび上がる)

 

坂東 (冷たく)目を背けたくなる。

山本 (暗闇から)しっかと見ろ。最先端の研究だ。これが未来の医学だぞ!

梓 ツチノコは昔、普通の蛇でした。たった一つ違うところは、旺盛な食欲。特にガマガエルが大好物で、山からガマガエルがいなくなってしまうほど。

坂東 それを見かねた筑波の神様が、止めようとなさった。

梓 よくご存知。

坂東 とぼけたジョーク。

椿 止めたときに、ちょうど巨大なガマガエルをぱく付いているとこだった。それで、あんな大きな頭になった。未来人の私も同じ(狂ったようにわらう)。

坂東 いままでなぜ捕まらなかったか。それは、醜くなった自分に恥じて、穴の中に隠れてしまったから。

梓 ツチノコはこの世の小さなブラックホール。それは、心の闇のよう。臆病者たちがひっそりと深い穴を掘り続けている。交尾のとき以外はまったく動きません。穴の中にじっとして、獲物を誘き寄せて捕まえます。人がツチノコを見たときは、大きな口に吸い込まれる瞬間。でも、それは満月の夜だけ。

坂東 なぜ?

梓 食事ほど無駄なエネルギーを使う行為はありません。

坂東 非生産的な時間であることは確かだ。いや、これは医者の言葉じゃないな。

梓 ダイエットで省エネします。動かない。余計なエネルギーを使わない。食事のときだけ動く。で、月に一回まで減らせた。満月の夜に穴から鎌首を出して、獲物を待ち構える。そのとき同時にツチノコの細胞は分裂を始め、ツチノコは脱皮します。

椿 獲物と逢うのがツチノコのただひとつの楽しみ。お友達に飢えていて、もう逃げないでねと思わず飲み込んでしまうの(狂ったようにわらう)。

坂東 どうやって、餌を引き寄せる?

梓 惚れ薬ですわ。特殊なフェロモンを撒き散らす。何キロも先まで匂いが立ち込める。それを嗅いだら、獣たちはわれを忘れて引き寄せられてきます。鼻面を穴の中に入れたところを、がぶり! ツチノコは労せずに食事にありつける。

坂東 怠け者め!

山本 (闇の中で弱々しく)私は考えたのだ。(急に激しく)この惚れ薬を世界中に撒き散らすことを……。

坂東 (失笑し)面白い。世界中が恋狂いか。しかし、お巡りさんを先頭にライオンさんもゾウさんもやって来ますよ、この洞窟に。

椿 人間だけに効くフェロモンがあるの。ディーバの脇の下から染み出る高級品。一ミリリットルで百万人を酔わせるの。

坂東 ディーバはやはりツチノコ

山本 人間と蛇のメリットをあわせ持つハイブリッド、キメラだ。満月の夜ごとに強烈なフェロモンを出してくれる。私はそのフェロモンを培養した。いいかね。八十億の旧人類をコントロールできる量だ。

梓 人類を救う麻薬です。

椿 人類をスイッチする麻薬です。

坂東 人間を家畜にする麻薬です。

山本 いや、人間をトサツする麻薬だ。

梓 宇宙船地球号を救うのです。船長は一人だけ。船頭が多くては、陸に上がってしまいますわ。

山本 いまの船長は蛇に格下げ。そこで坂東船長のご登場。

坂東 (声を立てて激しくわらい)僕が二代目船長ですか。光栄です。で、最初のお仕事は? どなたを蛇にして差し上げましょう。

山本 いや君、積荷の処分だよ。地球号は過積載でパンク状態。しかも積荷はガラクタさ。君、人類は増えすぎたゴミさ。船長のお仕事は、まずはゴミを減らし、喫水を下げる。このままだと船もろとも海の藻屑。

坂東 (手を打って)余分な奴らは、海に落としてサメの餌食だ! (梓と椿は手を叩く)

山本 いいぞいいぞ。新人類のために旧人類を浄化するのだ。ソフトランディングでな。ミサイルも飛んでこない。水爆も落ちない。魔法だよ。ハーメルンの笛吹き男だ。入水自殺、投身自殺。自分で死ぬんだもの自分のせいさ。自業自得。旧人類はいつになっても魔術の世界から抜け出せない。科学は錬金術という魔術。魔術イコール妄想。妄想イコール悪夢。悪夢イコール、ホロコーストじゃ!

坂東 意味不明です。

椿 進化のエネルギー源は愚にもつかない妄想だというお話ですわ。科学者の妄想から新人類が生まれる。新人類は旧人類に殺されたくないと願って弓矢を発明する。鬼を恐がる人は自分が鬼になる。管理するか管理されるか。どちらを選ぶかはご自由。地球はどこでもトサツ場。

梓 世界を幸福な状態に戻すため、私たちが死を支配し、殺害を実践しなければならないのです。

坂東 あんたたちが人類の死を支配する……。恐ろしい集団だ。

山本 いやなに、君の仕事は非常にフェアだよ。白馬に跨って、気ままに投げ縄を放てばいい。遠慮するこたあない。縄の掛かった野郎は運が悪かった。君は運命の女神さ。そろそろ人身御供の選考会がはじまるぞ。坂東君に見物させてやれ。(板東は頭を抱えてうずくまる)

 

(つづく)

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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戯曲「ツチノコ」四・五 & 詩 & エッセー

亡き父へ

 

あなたが私に失望していたように

私はあなたを軽視していた、だが……

あなたが私を普通に愛していたように

私はあなたを普通に愛していた

対話は浅くありきたりのもので

地上で飛び交う雑音の一部だった

お互いの心は植物細胞のように

硬いセルロースの壁に囲まれていた

あなたも私もその壁を溶かす勇気、いや必要がなかった

あなたは私を普通の子として接し

私もあなたを普通の父として接した

お互い理解をできないままに

あなたは逝ってしまった

おそらくあなたと私は

違う世界の心を持っていたのだろう

 

 

 

エッセー

華氏451

 

 『華氏451』という昔のSF映画がある(フランソワ・トリュフォー監督、1966年作)。華氏451度(摂氏233度)というのは紙が燃え始める温度らしい。映画では、ナチス政権下のフランスを匂わせるファッションや小道具が随所に見られ、いわゆる全体主義国家を批判する映画になっている。

 

 映画に出てくる社会では本を読むことが禁止され、人々はテレビやラジオなどの映像や音声ばかりの感覚的な娯楽を享受して生きている。本を所持している家が密告されると「ファイアマン」と呼ばれる消防士のような連中が出動して本を燃やし、所有者は逮捕される。そんな社会の中で、どうしても本が手放せない少数の人々が秘密の広場に集まり、本がなくなってもその文化遺産を後世に残すことのできるように、摘発から免れた本を手に必死に暗記し、後世に伝えていこうとする。

 

 全体主義(対語は個人主義)国家や権威主義(対語は民主主義)国家では、現在でも発禁処分を受ける書籍は多いが、これが極まれば映画のようになってしまうだろう。全体主義国家は、政権が国民の多数に認められた状態で、義務感で隣人を密告する社会。権威主義国家は、武力や統制などで国民を押さえつけている状態で、反体制組織が暗躍している社会だ。日本の戦前は天皇を頂点とする全体主義国家で、美濃部達吉のようなデモクラシーの理論家は国民からも排斥された。

 

 しかし、戦後の日本も相変わらず全体主義国家だと主張する外国人は少なくない。首都圏は別としても、日本社会の基本的な構造は村社会の感性から抜け切れていないからだ。田舎へ行くほど、町内会的な集団の結束が強くて、半強制的に会費を取られ、入らない者は除け者扱いされる。当然、欧米には町内会などなく、好きな者どうしでグループを作る。欧米系の人々は、まず個人の主張が先に出て、それを調整する方向に進むが、日本人の場合は、まず相手の顔色を窺って、すり合わせを行っていく。上下関係が外国より厳しく、結局上の者の主張が通ることになる。そうしていれば、危害を受けずに済む。「長いものには巻かれろ」式に、個人の意思が多人数の意思に巻き込まれていく。これは地域コミュニティのプチ全体主義で、それが集まったのが日本という全体主義「風」国家なのだ。

 

 ナチス・ドイツ全体主義だったのは、ヒトラーがカリスマだったから。毛沢東の中国は全体主義国家だったが、習近平の中国はそこまで行かない権威主義国家だ。日本の場合は、選挙で政権がコロコロ覆るから全体主義ではないが、全体主義「風」国家と言ったのは、文化の風土が全体主義的な要素を持っているからだ。例えば『鬼滅の刃』を例に言えば、五歳くらいの子供から高齢者に至るまで、やたら夢中になっている。

 

 これは、『鬼滅の刃』の主人公がカリスマ化したことを意味しているだろう。風土的に、ブームが始まると右へならえという日本的な衝動が起き、一つの色に染まっていく。マスコミもそれに加担し、ばく大な経済効果が生まれる。最初は興味のなかった者も、話に乗れなかったときは村八分になる恐怖から口裏を合わせ、さらにブームが広がっていく。反対に、「僕はワーグナーが好きで」などと言ったら村民全員が白け、「あいつはおかしな奴だ」と思われてしまう。国民全体が同じ話題になったとき、人々は同じ嗜好性を持つ仲間だと思って安心する。これは文化の全体主義化に他ならない。

 

 『華氏451』では、為政者が政権に反対するような理論家を国民から出さないために、本を燃やし始めたのだ。これは為政者による文化の全体主義化だ。全体主義では、個人の趣味にまで口を出すのが普通だ。政府の意向に則した国民をつくる。政府の政策を批判する学者なんぞは、とんでもない輩だ。政府の意向に反する国民をつくらないためには、物事を深読みできない国民にすればいい。世の中を感覚的な感性で埋め尽くしてしまえば、それは可能だろうという考えだ。音楽、漫画、映像、ゲームなどは感情を豊かにするが、思考力を鍛えてはくれない。しかし、本当に社会を動かしているものは日常という表舞台の裏側で、為政者が国民に知られたくない部分だし、そこは探求者でなければあばけない場所でもある。『オズの魔法使い』の終幕で、魔法使いがカラクリ機械をガチャガチャ操作している種明かしがあるが、政治の裏側も似たようなものだ。民主主義のアメリカ映画だから最後にバレてしまうが、全体主義国家では、闇の中に消えていくだけだ。知ってる者は、みんな殺されちまうのだから……。

 

 昭和の日本では、そこそこ裕福な家庭の子供部屋に「世界文学全集」なるものが飾られていた。しかし、それは親に与えられたもので、子供たちは隠れて漫画本を読んでいた。しかし時とともに文学ブームは去り、大人たちが電車の中で「少年マガジン」を読むようになり、いまはスマホゲームにチェンジしている。現在は、感覚的なサブカルチャーがメインに躍り出た時代だ。

 

 本屋が次々に倒産していく時代は、火を点けなくても本が消失していく時代でもある。世の中が感覚的な感性で埋め尽くされ、深読みできない人々が巷で騒ぎ始めれば、直ぐに炎上して外国と戦争を始めるだろう。ナチス・ドイツの国民もそうだったし、太平洋戦争の日本国民もそうだった。いまの日本が全体主義「風」国家なら、平和憲法である日本国憲法は、はなはだ国民性にそぐわない憲法だと言える。なぜなら全体主義は、国家総動員で一丸となって喧嘩をおっぱじめる性格があるからだ。導火線に火が点けば、日本全体が怒りの炎でたちまち炎上してしまうだろう。『鬼滅の刃』の熱狂と同じ感情が、鬼畜中国に転化することを恐れているのだ。これからは、かつての苦い経験を教えてくれる人々もいないのだから……。

 

 

 

戯曲「ツチノコ」四・五

 

四 ディーバ御殿

 

 (巨大な鍾乳洞の中に、白蛇のレリーフを施した巨大な鶏卵を縦割りにしたような純白の部屋が造られている。壁には鶏や野鳥、ガマガエルやヤモリ、イモリなど、蛇の好物が吊り下がる。波打つ白い絨毯の上に、白装束のディーバを中心に、やはり白装束の巫女たちが取り囲み、段差のある席に腰を下ろしている。ディーバの横に河童が座り、二人は食事の最中で、イモリを食べているところに坂東が転がり込む)

 

巫女一 ご遠慮ください。女神様はお食事なさっております。

ディーバ (慌てて首に巻いたナプキンで顔を隠し)恥ずかしいわ。

坂東 家に帰らせてくれ!

河童 (女の声色で)いい子ね。春になれば帰してあげる。(巫女たちはわらう)

坂東 今すぐ!

河童 ここは春まで雪の下じゃ。人間、諦めが肝心でござんす。

ディーバ どうしてこんな所に?

坂東 騙されたんだ。

ディーバ (巫女の一人が耳打ちし)ああ、坂東先生でいらっしゃいますか。

坂東 (落ち着いた振りを装い)私をご存知?

ディーバ ええ、待ちかねておりました。

坂東 おっしゃる意味が分からない。

ディーバ 父にお会いになりました?

坂東 父とは?

河童 山本っていう蛇野郎でございまする。

坂東 驚いた。山本先生のご令嬢とは。お父さんは難病に罹っておられる。あと三日の命だとおっしゃった。(一同わらう)

河童 ウソでございまする。蛇はけっこう長生きでごんす。

ディーバ でも、いずれ手足は退化して、手術もできなくなります。それで、代わりのお医者様を……。

坂東 僕が? 冗談じゃない。僕には勤めている病院があるし、患者さんもいるんだ。それに、授業を受ける学生たちも待っている。

河童 根雪が融けるまで、出られねえってことでごんす。患者なんかどうでもいいでよ。人生、諦めが肝心でごんす。おいらなんか、生まれたときから諦めてらあ。嫌なことはすぐに忘れましょう。人生健康的に生きなきゃね。子猫を捨てられた母猫みたいに、明くる日にゃケロッとよ。(猫の死骸を振上げ、一同わらう)それに、先生が心配するほど、お弟子さんは下手じゃない。だいたいあんただって「あのへぼ教授」なんてバカにされてるんじゃねえの?(一同わらう)

坂東 (へたり込んで)どうしたらいいんだ!

河童 (シャベルを持ってきて)ラッセルしてけんろ。春までには出られるぜ。でも、雪は少しずつ自然に解けていくのです。先生が早いか雪解けが早いか。

坂東 ちきしょう! (シャベルを掴み、巫女たちのわらい声に追われるように部屋から駆け出していく)

 

 

 

五 山本の病室

 

 (山本は藁のベッドに横になり、その横の椅子に梓が腰掛けている)

 

梓 (疲れ果てて戻ってきた板東に微笑みかけ)お疲れ様です。

坂東 四方八方、氷の壁。なぜ、こんな目に遭うんだ。 

(側のソファーに倒れ込むように腰掛ける)

山本 ディーバに会ったかね?

坂東 ええ。あんたの娘?

山本 私がつくった。顕微鏡下でな。しかし娘ではない。

坂東 取り巻きの巫女は?

山本 あいつの体の一部さ。連中は女王の命令には何でも従う。死ねと言われれば死ぬ。

坂東 マインドコントロールか……。

山本 君はどうだ。知らず知らずに社会にマインドコントロールされている。家族にマインドコントロールされている。職場にマインドコントロールされている。どこが違う。君は有能な医者で社会の名士ですか。(吐き出すように)サルどもめ! ここは違うぞ。すべてをコントロールする、地球を丸ごとコントロールする司令塔だ。人民に媚へつらう必要はまったくない。君だって、慇懃に振舞う必要はないぞ。無礼、無礼、無礼で押し通せ!

坂東 ここが地球の司令塔? (わらって)まるで未開社会だ。

山本 未開も文明も同じさ。文明なんざ蹴っぽりゃ崩れるアリ塚のようなもの。今も昔も変わらんよ。君、アステカ文明を想像したまえ。女王のために、娘たちが首を切られる刺激的な社会。いいかね。今も昔も、この文明下においても集団を牛耳る唯一の方法は恐怖政治とマインドコントロールだ。

坂東 で、先生の役どころですが。

山本 ゼウス、シバ神、百歩譲って始皇帝かな。刃向かう敵はすべて食い殺す。ところで、君に忠告しよう。ディーバには惚れるな。

坂東 (失笑して)いきなり何です。ゼウスの娘に言い寄れば、たちまち蛇にされちまう?

山本 娘? あれは単なる蛇さ。

坂東 あんたも蛇だ。

山本 心外な。私はゼウスのお怒りを買っただけ。そう、現代版プロメテウスさ。神も恐れぬ遺伝子操作。私は神に対して不遜な行いをした。ディーバは私が作った怪物。ホルモン製造工場にしようと思いました。まあいい。難しい話は後だ。

坂東 ところで、怪物といえばあの河童はなんです?

山本 ああ、あれね。養殖ものさ。天然ものではない。

坂東 天然と養殖ではどう違うんだ?

山本 難しい質問だね。天然ものはいまだ発見されていない。単なる作り話さ。ミイラはあるが、ありゃまったくのニセモノ。しかし、養殖ものはいくらでも生産ができる。簡単だ。人間の受精卵にカメの甲羅の遺伝子とガマガエルの皮膚の遺伝子、てっ辺ハゲの遺伝子をカクテルにしてさあ御立会い。ガマの油をちょと付けて、人工子宮内でいろいろ手を加えながらですな、形を整えて生ませる。あの突き出た口はペンチで思い切り引っ張ったのさ。

坂東 人工子宮? 成功すれば世界初の発明だ。

山本 そう、出産を生産にチェンジする次世代のキーテクノロジーさ。

坂東 (驚いて)いったい何のために……。

山本 何のため? 人類を救うためさ。

坂東 河童をつくることが?

山本 私は、自滅することのない新人類をつくろうとしているんだ。いろんなタイプを考えた。どっちが将来的に伸びるかは私にも分からん。ほら君、未来の人類って、頭がやたら大きくてさ、運動嫌いで身体はひょろひょろ。まるで河童だ。

坂東 (わらって)あれが未来の人類?

山本 正直言うと、失敗作。だが、最初の一歩はあんなものだ。しかし、あいつの実験は私に自信を与えてくれた。そして、二作目で見事成功。椿君さ。

坂東 椿さん。あの女性は……。

山本 新人類のプロトタイプ。遺伝子工学の新しい可能性を拓いたと称賛されることは間違いない。ノーベル賞ものだ。

坂東 イグノーベル賞でしょ。

山本 (怒って)いいかね、私の技術をもってすれば、生まれてくる赤ん坊をいかようにも加工できる。目の大きくなる遺伝子、鼻の高くなる遺伝子、背の高くなる遺伝子、天才の遺伝子、なんでもぶっ込んじまえばパーフェクトな人間を生み出すことができる。そいつらが地球に溢れれば、古代から停滞している人類の進化は再び上昇に向かう。その前に、古臭い人間どもはゴミ箱行きさ。まさに新旧交代!

坂東 しかし、河童はいささか遊びすぎだ。

山本 イデアは冗談から生れるのさ。しかし、おかげで私も蛇にされちまった。(自虐的にわらって)神のお怒りに触れた。ところで私の緑の顔は単なるカモフラージュだが、あいつの緑は葉緑素だ。食い物が無くても光合成で生きていける。しかも頭の皿はラクダのように水を蓄える。二リットルもだぜ。空腹と喉の渇きを解消すれば、あとはセックスだけだが残念ながらお相手がいない。最初にして最後の突然変異。非常用電源として、甲羅にはソーラーパネルも埋め込んでおります。

坂東 (シニカルにわらって)すばらしい。未来の人類は一生涯自家発電で終えちまう。

山本 あれは失敗作だって。あんなのが新人類か? ところで、君は有能な医者。だから、君はここにある目的で呼ばれた。私の研究を引継ぐという……。

坂東 バケモノづくり。冗談じゃない!

山本 君は世界の救世主となる。

坂東 いったい何の研究!

山本 地球上で二酸化炭素を大量に吐き出している生物は?

坂東 牛さんと人間さん。

山本 ピンポン! こいつら地球環境にとっちゃ害獣だ。しかし、牛さんに牧場があって人間にはない。不公平だよ。で、私は旧人類のために牧場を作ることにした。

坂東 人間牧場? 

山本 巨大だ。地球の陸地はすべて牧場。人肉を得るための牧場ではない。旧人類を新人類にチェンジするための牧場さ。増え過ぎた害獣を殺処分するための牧場だ。

坂東 (わらって指で頭を差し)あんたの脳味噌は蛇に退化した。とにかく僕は、ここからオサラバ! (うなだれてしゃがみ込み)といって、どうすりゃいい……。

山本 (囁くように)君、周りがおかしくなってもさ、一人では抵抗できんのだよ。戦争を想像してごらん。反抗して憲兵に殺されるよりか、大人しく従ったほうが利口だ。ご近所さんと一緒になって踊りゃいいんだ。郷に入れば郷に従え。ここのいかれた集団は、旧人類の浄化および新人類への差し替えでブレークスル-を狙っている。しかもその新人類は工場で量産できるのさ。君、セックスなんて、あんな恥ずかしい行為は旧人類でおしまい。ありゃ、下等動物のやることだよ。

坂東 しかし、秦の始皇帝ともあろう方が、セックスを否定なさるとは。

山本 いやもちろん、僕は蛇だもの、ハーレムくらいはつくりますよ。認めよう、ここはカルト集団の巣窟じゃ。出口はない。ならば命あってのモノダネだ。状況を冷静に判断し、クレバーに行動するんだ。周りと同じように振舞うのさ。いや、人生に転機が訪れたと考えればいい。学長がなんだ。総理大臣がなんだ。所詮は薄皮饅頭の上に座らされた太鼓持ち。中身のあんこは嫉妬深いアホどもの肥溜めさ。粗相をしようものなら、すぐに皮が破れてクソまみれ。そこへいくと、秦の始皇帝は違うな。絶大な権力だ。しかも血も涙もない大悪人。これが大事だ。マキャベッリさんも言っておる。世界をまとめるのは権力を持つ悪人だ。(急にベッドから上半身を起こして役者ぶり)私の前に、世界中が震えるのだ。(突然現われ手を叩く椿に驚きながらも止めることなく)おお、麗しき未来人よ。価値ある理想の人よ。杖をこれへ。さっそく研究室をお見せしよう。古い人間どもをチェインジする研究だ。これを見れば、君だってたちまち悪党ファンクラブさ。一度悪の道を覚えたら楽しくって止められないぞ!

 

 (寝床から立ち上がった山本の首に巫女が洒落た蝶ネクタイを掛ける。下半身も蛇になっている。山本は立ち鏡の前でネクタイを直し、ナチ風の士官帽をかぶり、松葉杖で移動する)

 

(つづく)

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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「マリリンピッグ」(幻冬舎
定価(本体一一○○円+税)
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戯曲「ツチノコ」(一~三)& エッセー

エッセー

「グロテスク」は未来を滅ぼす

 

北米には、アーミッシュと呼ばれるクリスチャン・グループの住む農村が点在している。プロテスタントの一派で20万人以上はいると言われ、18世紀に入植した当時の生活様式を頑なに守って、電気やガス、電話などの文明の利器を拒否。平和主義を重んじ、移動手段は馬車という、自然に溶け込んだ質素な暮しを実践している。

 

この集団は有名なので誰もが知っているが、ほとんどの人がおかしな連中としか思わないだろう。しかし我々の祖先が同じような生活をしていた時代は確かにあったし、ご先祖様はおかしな連中でもなかったし、不自由な生活を強いられていたわけでもなかったはずだ。郷に入れば郷に従えという諺どおり、我々だって無人島に漂着すれば不自由な暮らしをしなければならず、時が経てばそれが当たり前になり、馴染んでしまえば不自由ではなくなる。現にコロナ禍で都市がロックダウンをしたって、市民は窮乏生活にも次第に慣れ、なんとか凌いでやっていける。

 

ひょっとして、文明ってそんな程度のものじゃないのかしら……。だって、原始人から未来人に至るまで、ホモ・サピエンスの基本は食うこと、寝ること、子孫を残すことくらいなもんで、そいつはほかの生き物と変わらないのだから……。ということは、科学だとか経済だとか、リッチな暮らしだとかいうものは、人間に纏わりついたフリルのようなもので、そいつを脱ぎ捨てれば、五秒でアーミッシュの古びた服を着ることができるに違いない。文明の進化から得られるメリットは、案外豪華なステージ衣装に過ぎないかも知れないのだ。そのほとんどがお飾りというわけだ。現代人はそいつを身に纏うことで快感を得て、明日への活力を養っているのかも知れない。

 

アーミッシュは、ほかの連中が文明を享受して浸れる幸せの代わりに、聖書の教えを厳密に解釈することで得られる幸せを糧に暮らしている集団。平和主義者なので、集団からの離脱も自由だ。ダイバーシティを尊重する現代では、あってもおかしくない集団であると断言できるだろう。

 

それでは、文明の進化から派生するデメリットは何なのだろう。例えば社会・経済システムの進化、流通・交流の進化、科学の進化によるデメリットとは?

 

「社会・経済システムの進化」については、「欲望の資本主義」などというように、豊かになることが幸せだと思い込んだ資本主義システムが危うくなってきている。人々が利潤を追求し続けた結果、貧富の差も加速度的に広がり、社会的な破綻が起きつつある。また、経済の追求は公害問題を引き起こし、CO2による地球温暖化を招いた。「流通・交流の進化」では、グローバリズムが世界を覆い、そのマイナス面として中国のような勢いのある国が世界を席巻しつつあり、それに反発するアメリカは反中国陣営作りに奔走し、世界の分断が起こりつつある。

 

それじゃあ「科学の進化」でのデメリットとは何だろう。まっ先に上がるのは水爆やミサイルなどの大量殺戮兵器、細菌・化学兵器だろう。しかし、多くの人々がメリットだと思っている医学・生理学分野のデメリットも見逃すことはできない。

 

「遺伝子組み換え」や「ゲノム編集」などの遺伝子操作技術が進化し、病気に強い家畜や農産物が作れるようになり、難病の患者を救うこともできるようになってきた。しかし、中国の研究者がこうした技術を使ってエイズに強い赤ちゃんを産ませたことが世界中から非難を浴び(2018年)、その研究者は雲隠れ。中国政府も、彼に懲役三年の刑を言い渡している。

 

こうしてできる赤ちゃんは「デザイナーベビー」と呼ばれ、受精卵の段階で遺伝子操作を受けるが、家畜の世界では生産の向上を目指し、当たり前に研究が行われている。羽をむしる手間を省いた羽毛のない「ヌード鶏」が良い例だ。デザイナーベビーも親の望む外見や体力、知力などを持つことができるので、これが解禁になれば恐ろしい世界が現出するだろう。生まれてくる子供は全員レオナルド・ダ・ビンチなみの天才だなんて、驚きだ。

 

仮に僕がUFOの宇宙人と遭遇した場合、最初に聞くのは「あなたはデザイナーベビーですか?」だ。すると彼は即座に答える。「だから、はるばる遠い地球に来れたのさ」。次に僕はこう質問する。「あなたはゼウスですか?」。すると彼は「もちろんホモ・ゼウスさ」と答えるだろう。

 

ゼウスは動物をはじめ、いろんな物に変身して多くの女性を孕ませる神様だ。ゼウスに限らずギリシアの神々は変身が得意。中には木霊に変身したエコーという下級の女神もいる。ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」じゃないけれど、これからの人間はどんどん神になっていく。神になるということは、神の領域を蹂躙することにほかならない。人間は神から火を奪ったプロメテウスのように、ゼウスから変身術を奪ったのだ。その技が遺伝子操作だ。

 

このままだと、いずれデザイナーベビーも解禁されるだろう。倫理なるものが欲望に勝ったという歴史を見出せないからだ。どんな親だって、美しく頭の良い子供が欲しいに決まっている。自分が愚かで醜ければなおさらだ。息子や娘には自分の辛い人生を味わわせたくないと思うのは親心だ。

 

しかし、ここに資本主義の壁が立ち塞がる。金を出さなければ医者は絶対にやってくれないのだ。つまり代を重ねるうちに、金持の子供はますます美しく優秀になるが、貧乏人の子供はますます醜く愚かになってしまう。最後には、世界はホモ・サピエンスネアンデルタールのように二種類の人間に分化することになる。優秀な貴族人間と愚かな奴隷人間だ。当然のこと、貴族人間は奴隷人間を軽蔑し、酷使するようになる。

 

その結末は紀元80万2千年ぐらいだろうか。これはまさしくH.G.ウェルズの『タイム・マシン』に出てくるエロイとモーロックだ。主人公はタイム・マシンに乗ってそんな未来の人間に遭遇する。エロイは貴族人間の末裔で、あまりに幸福になりすぎて体は虚弱化し、脳味噌も退化して、その知性は四、五歳児程度になってしまっている。反対にモーロックは奴隷人間の末裔で、長い間の地下生活で見てくれがゴリラのようになり、しばしば地上に出てエロイを襲い、食べているというもの。これは1895年に書かれたSFだが、彼が知らなかったのは、今の2020年でもモーロックのような怪物人間を創ることができるということなのだ。

 

遺伝子操作技術を駆使すれば、どんな人間も作り出せるのは明らかだ。動物に植物の遺伝子を入れることも可能だし、動物に別の動物の遺伝子を取り入れて大きな動物に育てることも可能だ。異種同士の合体というわけ。現にアメリカで遺伝子組み換えサーモンの養殖が解禁されている。これは、アトランティックサーモンの卵にキングサーモンとゲンゲ科の魚の遺伝子を組み込んだもので、出荷までの飼育期間が半減するのだという。この技術を人間に用いれば、生まれた直後に立っちするベイビーも夢ではないかも知れない。ほかの動物はみんなそうして、捕食者から身を守っているのだから。

 

どうです、人間はゼウスになった代わりに、神話のようなグロテスクな世界がもう目の前にあるのです。みなさん、「ボーっと生きてんじゃねえよ!」 いまに背中で光合成をする人間が登場するでしょう。蛇の遺伝子を入れれば、口の奥に毒牙を隠す蛇女もできるでしょう。食の安全性がどうのこうのという段階ではありません。難病が完治したなどと喜んでいる場合ではありません。ウェルズが描くようなディストピアな時代に我々が生きていることを認識し、深く考える必要に迫られる時代が、現代なのです。人間はとうとう、神の領域に足を踏み込んでしまったのです。人間は神様になってしまったのです。

 

 

 

 

 

戯曲 ツチノコ(一~三)

(グロテスクが世界を救う)

 

登場人物

ディーバ

坂東

山本

椿

河童

その他

 

 

一 大学病院診察室

 

 (梓は患者用の椅子に座り、坂東は医師の椅子に座りながら封筒を開く。その横には中年の看護師が立ち、横目で手紙を除き込んでいる)

 

坂東 (手紙を読みながら)驚いた。死ぬ前にぜひとも君に会いたいか……。(看護士に)昔ここにいらっしゃった山本先生だよ。

看護師 驚き! 生きていらっしゃった……。

坂東 十五年前に大学も付属病院も捨てて蒸発しちまった。とっくにお亡くなりになったと思っていた。

梓 あと数日の命です。

坂東 いったいどうして?

梓 全身に癌が……。

坂東 どこの病院ですか?

梓 山奥のホスピスです。

坂東 ここからは?

梓 それが、ヘリコプターで五時間ほど。ヘリは用意してございます。

坂東 遠いなあ。……いきましょう。(看護師に)午後は早退に。

看護師 分かった、代診を探すわ。

梓 それでは、さっそく。

 

 

二 黒蛇殿

 

 (鍾乳洞の中に立てられた宗教的施設。壁や石筍、石柱などに、蛇の彫刻がまとわりついている。天井からは蛇の抜け殻で作った天蓋がぶら下がる)

 

坂東 これってホスピスですか? グロテスクだなあ。大蛇の彫刻が壁中に這いつくばっている。

梓 彫刻ではございません。冬眠している間に石灰石に覆われ、化石になってしまったのです。

坂東 やっぱり、とても芸術的とは言えないもの。絞め殺される人間でも彫られていれば価値も出てくるのに。それこそヴァチカンかどこかにあるような……。

椿 (袖から登場。未来的な服装、頭が大きく手足がほっそりしている)確かラオコオンですね。人間は蛇を嫌っているから美しいとは思わない。小さな猿の頃から、噛まれたり、飲み込まれたり。

坂東 (椿の風変わりな姿に戸惑い)貴方は?

椿 妹の椿。火星人です。

梓 近未来の人間ですわ。脳味噌の重さは現代人より上です。私たち、実はクローン姉妹なのです。

坂東 人間のクローニングは法で禁じられているし、それにとてもクローンには見えないな。

椿 私は山本先生が改良したデザイナーベビー、人類の新品種です。同じクローンでも梓と気の合うことはありません。梓は旧い人間の遺伝子が強く、頭が固いの。

梓 椿は新しい品種で、私の考えは黴臭くて食えたものじゃないと馬鹿にします。

椿 梓は、未成熟のまま腐る果実ですわ。大人になってもまるで子供。でも、私たちに共通するのは、口が悪いこと(わらう)。

坂東 (わらって)まあ冗談として受け止めておきましょう。しかし蛇は苦手だな。

椿 蛇に言わせれば、鱗のない人間はグロテスクですわ。それに、ひどくのろま。蛇は川も丘も素早く進める優れものです。

坂東 (石柱にまとわり付いていやらしい眼差しで坂東を眺めている白装束の女たちを見て)この方々も化石?

梓 巫女たちです。

坂東 (少し不安になって)やっぱ、あなた方は宗教団体ですね。ここに男性は?

梓 男は必要ありませんが、先生は別です。

坂東 (わらって)山本先生も男だ。

梓 あれは雄蛇です。でも新人類製造会社の社長様。さっそく、社長室にご案内いたしましょう。

 

 

 

三 山本の部屋

 

 (梓が鍾乳洞の壁を引くと、ぽっかりと穴が開き、敷き藁の上に寝そべっていた山本が、二人の巫女の介添えで籠いっぱいの鶏卵を飲み込んでいる。顔は蛇の鱗に覆われ、ちょび髭を生やしている)

 

梓 お食事中、失礼いたします。(そのまま場を外す)

山本 (慌てて食事を止め)あああ、君か。よく来られた。

坂東 (驚いて)山本先生? 山本先生ですか? いったいどうなさった。顔中緑色だ。しかも、黒の縦じま模様。本当に先生ですか? 

山本 君、長年医者をやっていれば、たまにはこんな症例に出会うこともあるだろ。ほら、いつだったか、面の皮がロウソクみたいに溶けていく患者さんを見て、君はショックを受けていたな。

坂東 (しげしげと山本を見つめ、困惑した顔付きになり)しかし、こんな整然とした組織は初めてです。蛇の皮でも移植したようだ。

山本 皮膚がんの一種さ。極めて珍しい。このガン細胞は兵隊の隊列のように整然と増殖する。(藁の中から蛇皮の手を差し出し)久しぶりだな君。

坂東 (後ずさりし)全身、ですか……。  

山本 大丈夫、移らんよ。(胸をさらけ出し)ほら、すっかり蛇。安心したまえ、脳味噌はまだ人間。しかし苦しい。全身をキリキリと締め付けやがる。特に満月の夜は、鱗がざわざわと騒ぐ。まるでサンゴの産卵さ。いっせいにいきみやがる。チキショウ、あと三日後にはまた満月ときやがる。

坂東 (山本と握手をし)病院に戻りましょう。私が治してみせます。

山本 (手を引っ込め)私だって医者だよ。治す方法は皮膚移植のみ。難しい手術だ。しかし自分の手術はできんだろう。助手に教えたが大失敗。助手とはさっきの二人さ。へたくそ! もう手の施しようがない。

坂東 手遅れかどうかは分かりません。

山本 気休めはいい。しかし、死ぬ前に君に話しておきたいことがある。(介添えの者たちに)彼と二人にさせてくれ。(二人の巫女が山本を起こし、その後坂東を残して退場)。私の性格を知っているだろう。君とは正反対。少なくとも君は、私には従順だった。しかし、今はあの頃の私の歳になっている。君も野心家の顔つきになってきた。

坂東 先生がいなくなって学長のポストを狙っていた連中は喜びましたが、私ともども、先生の弟子は苦労しています。

山本 まさか、君は学長の椅子なんか狙っているのか?

坂東 先生の仇を取ってやります。

山本 ハッハッハッ! 大した俗物に成長してくれたね。どうせなら世界を狙えよ。

坂東 世界?

山本 世界さ。すなわち、世界を救うんだ。このままでは、人類は絶滅するからね。人間は絶滅危惧種だ。保護が必要なんだ。

坂東 どうやって。

山本 人類をスリムにまとめるのさ。共食い状態では、有効な処方箋はないだろう。

坂東 だから、どうやって救うんです。

山本 話し合いではない。合意は永遠に得られまい。私は患者の話に聞く耳を持たん医者だ。直感で診断して処方箋を書く。私が人類に与える特効薬は、麻薬。

坂東 麻薬……? (苦笑いし)話を変えましょう。どうやら、先生は具合がお悪そうだ。

山本 君は患者の無駄話に相槌を打つお人よしな医者だろ。ましてや死にかかっている人間のたわごとを遮れるか?

坂東 (ため息をついて)すいません、失言でした。

山本 イカレタ話でも、精神科医なら最後まで聞くぞ。例えば宗教。信心も麻薬のひとつさ。教祖様というのは脳内麻薬を巧みに操るマジシャンだ。

坂東 洗脳ですか。

山本 そう。洗脳も欲望も満足もすべて脳内の化学反応。君も僕も単なる化学反応でものを考えている。君のすべては化学反応の集合体だ。殺人者は単なる化学反応で人を殺し、絞首台で物理的に首をへし折られる。虚しいねえ。脳味噌は複雑でも、そのメカニズムはしごく単純。すべては自己満足の下らん幻想さ。常に気持ちよがりたい。下等生物だ。だから、脳内麻薬をふんだんに出してやれば、家畜にでもロボットにでもなってくれる。人も殺してくれる。

坂東 家畜ですか?

山本 まさか君は理性など信じちゃいないだろうな。人間は単細胞の集合体に過ぎんのだよ。

坂東 (腹を立てて)下らん。だからどうだという話ですな。

山本 そうかな。君のとこにだって、たまには珍しい病気の患者さんが来るだろ。すると、その患者は一瞬にして実験動物にされちまう。君はしめたと思う。珍しい動物を捕獲したぞ。同僚たちは、ぞろぞろと観察にやって来る。患者はまるで医者寄せパンダだ。君を動かすのは研究欲か名誉欲か? いずれにせよ患者の快復は二の次だってえのは言い過ぎかな?

坂東 (わらって)辛らつですな。それじゃあ先生も、僕の病院に移送しましょう。きっと名前を残したい医者たちに大もてですよ。

山本 正直に言いましょう。私は医者になったときから、患者は実験動物だと思うように努めてきた。戦争になりゃ、人食いライオンも敵兵も、おんなじ害獣さ。私は人嫌いだから、他人はみんな実験動物だ。そう思うだけなら私の勝手だろ? で、私は科学者として、教祖の声を聴くだけで興奮する神経回路に興味があるんだ。これをつくるには、策略と繰り返しが必要。ところが、恋愛の世界では、一目見るだけで惚れ込むバカがいる。これは、錯覚だが非常に効率的だ。

坂東 とても科学的なご意見とは言えませんね。

山本 科学的とはすべてをバケ学、物理学に還元しちまうことさ。宗教も恋愛も、神経を興奮させる仕組みは変わりがないと言っているんだ。要は即効性か遅効性かの問題。即効性といえば麻薬だ。人間を支配することができる化学物質さ。だから私は、最強の化学物質を手に入れるために、ここに来たんだよ。

坂東 (苦笑して)手に入れましたか?

山本 はい手に入れました。とたんにこんなありさまです。バチが当たった。

坂東 自業自得ですかな。どんな薬です? 

山本 惚れ薬。たとえ魅力のない若者でも、女たちはほんの一滴嗅ぐだけでいかれちまう。信じる?

坂東 嗅いでみるまでは信じませんね。

山本 全ての女が首っ丈さ。君だって若い頃は、毎晩そんな夢を見ただろう。

坂東 記憶にございません。

山本 しかし女なんかどうでもいい。どうだい、世界を征服したくはないかね? たった一人の人間で、全世界を支配するのだ。悪党だったら一度は夢みることさ。

坂東 エスと答えた場合は?

山本 私の研究の全てを譲ろう。私はじくじたる思いで人間をリタイヤし、蛇穴に隠居する。

坂東 ノーと答えた場合は?

山本 残念ながら君にはイエスしかない。

坂東 (驚いて)どういうことだ!

山本 生きるためさ。

坂東 この伏魔殿のことは決して口外しません。だからもう帰ります。

山本 まあ落ち着け。悪いようにはしない。賢く振舞え。悪い話じゃない。災い転じて福となすだ。考えを変えればいい。ちっぽけな幸福なんか捨てて、心の奥底に押さえ込んでいる邪悪な心を育てるんだ。征服欲さ。誰でもヒトラーの素質はあるんだ。戦国時代に戻ってみろよ。ここは法治国家ではない。権力がすべてだ。いいか。ツチノコって知ってるだろ。ツチノコだよ。そう、この私がツチノコだとする。(突然苦しみ出し)ああ、蛇皮が怒り出したぞ。苦しい。(ベッドの横のベルを指差し)君、そこのベル。

 

 (坂東がベルを押すと二人の巫女が入ってきて、山本の腕にモルヒネを注射する。山本が眠りに落ちると巫女は去り、入れ替わりに梓が入ってくる)

 

坂東 (不機嫌そうに)帰ります。ひどく憂鬱な気分になってきた。

梓 それは無理ですわ。

坂東 帰らなくては。

梓 先生を治療なさってください。

坂東 不可能だ。

梓 せめて、あと三日。満月の日まで。

坂東 (怒って)仕事があるんだよ! 三日も病院を休むことはできない。そうだ、明日は大きな手術も入っている。

 分かりました。ならば、どうか安楽死させてやってください。

坂東 突然なんですか。僕は担当医じゃない。

梓 山本先生からはどの程度、お話をお聞きになりました?

坂東 (しらばっくれて)さあ、あまり……。やや精神的に不安定で……。

椿 (物陰から現われ)聞いていましたわ。あの蛇、病気でおかしくなっている。世界を支配しようなんて……。私たちは、世界中に蔓延している貧困や飢えの問題を解決する方法を勉強しております。

坂東 いったい、どんな解決策を見つけました?

椿 地球の初期化です。

坂東 初期化? (わらって)パソコンかよ、地球は……。あまりにも突飛なお答えですな。

椿 地球は限られた資源量の球体ですわ。長い間使い続けているとゴミで満杯になり、動かなくなってしまう。そんなとき初期化を行って、昔を取り戻すのです。

坂東 具体的には?

椿 例えば、暗黒物質の襲来だとか巨大隕石の衝突だとか、地球にはたびたび大きな変動が起きて初期化が行われてきました。今の多様な生き物たちは、そのおかげでいろいろ進化を遂げてきたんです。坂東先生は、古くなったパソコンを騙し騙し使い続けるか、ハードディスクを取り換えるか、どちらを選択します?

坂東 フレームともども買い換えるね。

椿 でも、地球は買い換えるわけにもいきません。ならば、初期化をするべきですわ。人間という主要ソフトを新バージョンに取り換えるのです。古い人間は消去します。新品同様に生き返りますよ。

坂東 (頭を抱え怒り出し)嗚呼まいったな……。だから君たち、どんなことをするんだ!

 

(突然、大音響とともに部屋中が揺れ、坂東はうろたえる)

 

坂東 地震か?!

梓 (冷ややかに笑い)先生の大声が木霊になって増幅し、雪崩を呼びました。もう、出られませんわ。

坂東 どういうことだ!

梓 入口が塞がれてしまいました。毎年冬には、雪崩で埋もれてしまうんです。椿 ここは大きな蛇穴の中。冬眠の季節到来です。

坂東 ウソだ! (部屋から駆け出していく)

 

(つづく)

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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「マリリンピッグ」(幻冬舎
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アバター殺人事件(全文)& エッセー

エッセー

多様性って何?

 

 10月の国会答弁で、菅総理日本学術会議会員の任命拒否の理由として、「多様性が大事」と発言した。会員は年齢や出身、大学などに偏りがあるのはいけないとし、会員の45%が、いわゆる「旧帝国大学」に所属するなど偏りが見られ、研究の分野を理由として任命を判断したことはない、と述べた。これに対して共産党などは、拒否された六人のうち三人は旧帝国大学とは関係ないと反論したが、これに対しての論理的な返答はなかった。

 

 任命拒否問題に関して、菅総理の言う「多様性」は所属する組織に関することだったが、学者の待遇が所属で決まるのは良くないという、いかにも総花的考えだが、一理はある。日本には学閥だとか何々閥だとかがやたら多く、結束力も強くて、学会でも企業でも駅弁大学出身者の障害になっている。

 

しかし今回は、もっと大事な多様性が蹂躙されたのだと僕は思う。「考え方」の多様性だ。任命問題に対して多くの人が思っていることは、政府と異なる考えの学者を排除したのではないか、という疑念だ。菅総理がうやむやな答弁しかできないのは、「考えの多様性」が民主主義どころか、地球史にも関係している大きなキーワードであることを薄々知っているからではないだろうか。

 

 地球では、無数の新種生物が発生・滅亡を繰り返してきた。それを誘導してきたのは、地球の環境だ。巨大隕石や大規模噴火、ダークマター、全球凍結が地球を襲えば大量絶滅は免れず、その後の環境好転で新たな新種が大量発生する。部分的にも、熱帯雨林では生物の「多様性」は維持されるが、沙漠では数えるほどしか種類がない。地球にとっての「多様性」は、環境の豊かさに比例しているといえる。「多様性」は豊かさの象徴ともいえるだろう。

 

 人間の場合は、アダムが知恵の実を食ったおかげで、幸か不幸か「観念」とか「知恵」とかが生まれてしまった。人間は発生地域による「人種」とは別に、発生地域による「習慣」や「風習」も生まれてしまったが、これは「観念」とか「知恵」から派生したものだ。人間の行動領域が狭かった昔は、人々は同じ「観念」で共同体を作って暮らしていた。この「観念」や「習慣」などの違いで、縄張り争いが繰り返し起こった。

 

 特にヨーロッパでは大航海時代にアフリカやアメリカ、その他いろいろな地域に進出して、自分たちの文化に合わない現地人を「野蛮人」として征服していった。しかしモラリストモンテーニュ(紀元1533~92)は、「現地人の習慣も尊重すべきだ」といった内容のエッセーを残している。首狩にもそれなりの理由がある、というわけだ。こんな昔から、多様性(ダイバーシティ)を意識した知識人がいたのは驚きだ。

 

 当時のヨーロッパ人は、宗教を含め彼らの考えこそが正当で、ほかの考えは「異端」ないしは「野蛮」という意識だった。結果としてグローバルにヨーロッパ文化が席巻し、いまの世界が出来上がってしまった。しかし、彼らがまき散らした文化にも多くのメリットがあった。その最大の功績が「民主主義」だと思う。王権を倒したことで民衆の脳味噌が解放され、いろいろな考えを持つ者があふれ出てきたのだ。茨の冠だった宗教からも解放された。それはカンブリア爆発のような「観念」の多様化だった。

 

 民主主義による観念の「多様性」は、当然の結果として「言論の自由」をもたらした。人々は自分の考えを誰にもはばからずに公言することができるようになった。しかし、独裁政権や戦争などによって、その自由はたびたび抑圧された。このことから分かることは、「多様性」というワードには、裏側に必ず「環境」というワードが貼り付いているということなのだ。豊かな環境下では、生物も多様化が進む。豊かな社会環境下では、「観念」の多様化が進む。独裁や戦争によって社会環境が侵されれば、たちまち「観念」の「多様性」が失われてしまう。独裁政権は自分の考えで社会を統一したいだろう。戦時下では国民が一丸となるために、平和主義者を牢獄に入れたいだろう。菅政権が実務内閣であるなら、日本が戦時下の一歩手前であることを意識し、安保反対論者を排斥したことは考えられる。しかし、それなら「多様性」という言葉は使わないでほしい。「多様性」はその国が民主主義国家であることを示すバロメータでもあるからだ。

 

 一時ダイバーシティという言葉が流行ったが、いまはLGBTをはじめ、性格や思想、活動、生活習慣などなど、あらゆる人間の行動が自由であるべき時代だ。しかし、ハムラビ法典じゃないけれど、世界に共通する法は犯してはならないことも確かだ。ところが、各国でいろいろな制約を課する法律や規範がその時々の政府によって安易に作られている。それは国の仕事なのだから良いとしても、自由を侵害する法律・規範はもちろん、「多様性」を謳いながら「多様性」を侵害するような法律・規範作りも、是非ともやめてほしいものだ。学会(学術会議)から観念・思想の多様性が失われることは、学会の砂漠化を意味することに他ならないからだ。

 

 

 

 

アバター殺人事件(全文)

 

 流産して二カ月にもなるのに、ルナに対するレンの態度はいっこうに変わらなかった。仕事日は毎晩零時過ぎに帰ってきたし、休日もルナと過ごすことはせずに接待ゴルフに出かけてしまう。二人で出かけることもなくなってしまったが、ルナはそれが当たりまえの夫婦生活だと思うように努めてきた。

 結婚したのは妊娠のせいで、いわゆるできちゃった婚だ。レンに妊娠を告げたときは下ろせといっていたが、ルナがレンの両親に直訴し、驚いた彼らがレンを諭し、しぶしぶ結婚するはめになった。父親は次期首相と目される大物政治家。スキャンダルを極度に嫌っていた。レンは優柔不断な男で、父親の秘書をしていたこともあり、親には逆らえなかった。しかし、すでにルナへの恋愛感情も失せていたのだ。

 ルナはもちろんレンを愛していた。だから余計、蜜月のない新婚生活は大いに不満で、精神的にも追い詰められていった。そんなとき、高校時代の同窓生から電話が来て、ひさしぶりに会うことになり、家に招いたのだ。

 

 高校時代、エリナはお洒落で派手好きだった。しかし四年ぶりに会ってみると、まるで就活中の女子大生みたいなスーツ姿をしていたので、ビックリしてしまった。髪は短く切り、化粧もしていない。目鼻立ちが整っているので、美少年風の妖しい魅力があった。ルナを見るなり「あなたちっとも変わらないけれど、私は変わったでしょ」といった。

 ルナはエリナを居間に通し、紅茶を入れようとしたが、「お茶もお菓子もいりません。いま、嗜好品を受け付けない体に成長してきているのよ」と意味の分からないようなことをいって断った。そういえば、菓子折の一つも持ってこなかったことにルナは気付いた。

「あなた、もう二三なのに、まだ成長しているの?」

 ルナはからかうような上目づかいでエリナを見つめ、フフフと軽くわらった。

「心が成長すれば体だって成長するわ。心は顔にも体にも表われるものよ」

「ああ、それで見た感じ、ずいぶん変わっちゃったんだ」

 顔付きはまるで少年だが、時折一○歳も年上のような大人びた視線を投げかけてくる。獲物を狙う狐のように鋭く、キラリと輝いた。

「だいぶ揉まれて成長したわ。あなたは……」と、エリナは眉間に皺を寄せてルナをじっと見つめる。まるで患部を観察する医者のような目つきだ。

「あいかわらずね、といいたい? でも流産を経験して、少しは成長したわ」

「その程度じゃ成長とはいえないわ。だれだって不幸はあるし、だからといって成長するとは限らない。潰れる人もいれば克服する人もいる。あなたはでも、あの頃の明るさがなくなった。それは……」

「潰れちゃった? どうせそんなところでしょ」

 意図的にルナのわらいを制するように、エリナは頬を崩すこともせず穏やかな眼差しをルナに向け、「潰れかかっている?」と語尾を上げた。

 ルナは不意打ちを食らった。射合いの刃が心臓に突き刺さってズキンとした痛さに全身が怯え、堰を切ったように涙が溢れ出る。エリナは慌ててソファーから立ち上がり、ルナの横に座って腕を回し、少し強めに抱きしめながら「ごめんなさいね、いきなり変なこといって」と謝った。

「気にしないで。私って泣き虫だから安心して」

ルナはエリナの腕から逃れるように立ち上がり、ハンカチを取り出して涙を拭き、「紅茶飲んでもいい?」とたずねた。

「もちろんよ。紅茶を飲んで、心を落ち着かせるべきね。そういえば、あなたが泣いたの、はじめて見たわ」

「そうだったかしら。でも、エリナの涙は見たことがある」

「だって私、泣き虫だった。でも、大人になったわ。泣くのは成長していない証拠なのよ。子供は未熟だから、すぐに泣くでしょ?」

エリナは優しい眼差しをルナに投げかけ、元の席に戻ってから「あなたは成長しなくちゃね」と付け足した。

 

 ルナはマグカップに熱湯を満たし、ティーバッグを入れてエリナの横に腰掛けた。さっきルナを抱擁したエリナの体は、少年みたいな弾むような硬さに戻ってしまい、撥ねられそうな感じだ。

「あなたの涙の原因は一切聞きませんわ。本当なら、全部話してちょうだいっていうところだけどね」

「それはまた、どうして?」

 乾き切らない涙の輝きに、好奇心の輝きがわずかに加わった。

カタルシスに終わっちゃうから。外に出せばすっきりするけど、成長はしません。それって単なる逃避よ。成長するには、爆弾を心の中に抱えて、いつも向き合う気持ちが必要だから。爆発しないように注意深く観察して、どうすれば信管を外せるか考えるの。爆弾って信管がなければ爆発しないのよ。それはあなた自身がやること。私に投げつけられても、私には外せない。それにいま私、もっと大きな問題に取り組んでいるし……」

「きっと、私の悲しみは花火程度ね」

 ルナは皮肉っぽくわらいながら「ボン」と右手を爆発させた。

「ほんと、そうよ。花火もあれば水爆もある。宇宙にはルナよりもずっと不幸な人たちがいっぱいいるんですから。それらの人たちに比べたら、あなたの悲しみはハナクソ級」

「宇宙?」

 突飛な言葉が出てきたので、ルナの瞳から好奇の輝きがさっと失せてしまう。瞳の鮮度を落としたのは「この人、どこかおかしい」といった猜疑心だ。

「でも、私の悩みは私にとっては大きな問題だわ」

 ルナはエリナの様子をうかがうように、恐る恐る反論した。

「だから成長するのよ。成長すれば心のキャパは大きくなって、個人的な悩みなんかどんどん小さくなる。心を膨らましなさいな。自分よりももっと不幸な人のことを考える。いえ、考えるだけじゃだめ。その人たちのために行動する。たとえば、宇宙のどこかにいるあなたの分身――」

「アアアア、なにか宗教に凝っていらっしゃるのね?」

 ルナは白けた視線をエリナに向けた。エリナはそういった視線には慣れているといった感じに、微笑で軽く受け止めた。

「普通はそう思うわね。でも、たとえばあなたが心理療法のカウンセリングを受けたとする。その先生が勉強した知識は、いろんな学派のいろんな学説の混ぜ合わせでぜんぜん統一されたものじゃないし、かなりいかがわしいものもあるわ。どれが科学でどれが宗教だなんて、誰にも決め付けられない。要は結果じゃん。悩みが飛んできゃいいんだ。だったら宗教でもいいじゃない。でも、私のは宗教じゃない。だからといって科学だとはいいません。実証できなきゃ科学じゃないもの。でも、そんな区分けは必要ないのよ。要は癒されればいいんだからね。つまり……」

「つまり、あなたも一時期、泣き虫だった。でもいまは泣かなくなったってこと?」

「そう、その通りよ。私、いろんな男に貢いで、騙されてきた。だからといって、不幸なままで歳を取るのはいやだわ。で、男が欲しいなんて思わなくなった。分析したの。おバカな私が不幸になる原因は、男かお金くらいしかないわ。それに比べて幸せになる原因はいっぱいある。素敵な男性にめぐり合うのも幸せでしょう。宝くじに当たるのも幸せでしょう。でも、そんな夢は捨てた。ほかの幸せを探したの。幸せの種はたくさんあるのよ」

「そして見つけたのね」といってルナはわざとらしく目を丸くした。

「そう、不幸な人たちを助ける幸せ。それも、地球の人間じゃない」

「ほらほらほら、そこからあなたの話は逸れるのよ。常識からずれちゃうの。地球上には不幸な人が溢れているのに、なんで宇宙人を引っ張り出す?」

「それはね、彼らは私とあなたの関係よりも、もっと近しい関係にあるから。私と私の母親よりも、もっと近い関係にあるからなのよ」

「ああ、分かった」

ルナはニヤニヤしながら人差し指をエリナの顔に向け、上下に軽く振った。

「UFO発見クラブとか、なんかそんな団体に入っている?」

「むかしはね。でもいまは入っていない。UFOはたくさん見たけど、宇宙人には会わなかった。入れ物だけなんてバカみたい。それで、いまの団体に切り替えたの。本物の宇宙人に会うことができるのよ」

「素敵だわ。タコ足? それとも巨人族?」

「いえいえ、私たちにうり二つ」

「なあんだ、つまんない」といって、ルナは大げさなため息をついた。

「でも、とっても小さいの。そう、ちょうどネズミくらいかな」

「それは面白いわ。ほら、小さな妖精を見たとかって有名人がいるじゃない。あれって、宇宙人だったんだ」

「それはきっと幻覚か売名行為ね。宇宙人が地球の大気に触れたら、一瞬にして爆発しちゃう。それも爆弾みたいに強烈なやつ」

「コワ! それじゃあ、見ることもできないじゃない」

「それが見えるんだ。あなた、会ってみたい?」

「そうね、会うだけならタダですものね」

「私のこと疑っているんでしょ。なら、ぜひ会ってもらいたいわ」

  というわけでルナは翌日、宇宙人と遭遇することになった。

 

 

 神田界隈の神田川沿いに小さなマンションがあって、その三階が「宇宙友好協会」の事務所だ。ドアを開けたのはエリナ、その後ろに見覚えのある顔がいたので一瞬ポカンとしながら凝視し、ワンテンポ遅れてアアアと言葉にもならない音声を発した。

「久しぶり」

「……久しぶり」

「忘れていないわよね。憬れのユウ君よ」とエリナはいってわらった。

 それはまさしく、高校時代にルナが憬れていたユウだった。残念ながら、ユウには中学時代から彼女がいて望みを遂げることはかなわなかったが、ユウは凛々しく成長していた。

「で、いまもあの子と?」

「いや、もうとっくに。いまはフリー」

「ルナ、聞いた? チャンスじゃん」とエリナがからかう。

「残念ね。私はもうダンナもち」

「いやいやいや、昔よりもずっときれいになったよ」

「ありがとう。もう子供じゃないものね」

 ルナは素直に礼をいって部屋に入り、「で、あなたもここの会員なの?」とたずねた。

「実は僕も初めてなんだ。彼女から電話が来て、ぜひ会ってもらいたい人がいるっていうからさ。君だったなんて、うれしいかぎり」

 ユウはいって、ルナにウィンクしたが、エリナが口を挟んだ。

「いえいえ、会ってほしい人はルナじゃないのよ。あそこにいる、さえない事務局長でもないわ」と、事務机でパソコンをいじっているアラウンド四○の頭の薄いオジサンを指差し、オジサンも呼応してニコリと軽くお辞儀をした。

「会わせたいのは宇宙人」

「そうそう、私はその人に会いにきたんだもの」とルナ。

「ルナにもユウにも会わせたい人なのよ」といって、隣の部屋の扉を指差した。その扉はまるで金庫室のような鋼鉄製で、車のハンドルみたいな回転式取手が付いていた。

「宇宙人っていうのは純金製かい?」

ユウはヒューと口笛を吹いた。

「地球にいる宇宙人は危険人物。これは宇宙人が爆発したとき、爆風を閉じ込める部屋になっているのよ。死ぬのは最低限、部屋の中にいる人だけ」

「冗談、そんな危険な場所に私たちを入れるわけ?」

 ルナは肩をすくめた。

「大丈夫よ。そんなことはまずありえないから」といって、エリナは声を立ててわらう。

 

エリナはハンドルを思い切り左に回し、三周回したところで扉を開ける。厚さ二五センチの金属ドアがゆっくりと開き、「さあ、お入りください」とエリナが促したので、二人は恐る恐る部屋の中に入った。一○畳ぐらいの部屋だが内張りが厚く、八畳ぐらいにしか見えないだろう。だろう、といったのは窓もなく、暗くなっているからだが、おもちゃのプラネタリウムが起動していて、四隅の星々の歪みで大体の大きさを測ることができるのだ。六畳分は大きなガラスケースが占めて、その高さは胸ほどあり、周りの細いスペースに丸椅子が置かれている。特殊なガラスらしく、分厚く継ぎ目もなく、少しばかりオレンジ色をしている。

「このガラスは二層構造なの。内側は地球にはない物質からできているのよ。これ一つで豪邸が三つ買えるわ。ガラスの中の世界と外の世界では、物質の構造が違うのよ。地球の空気に触れるとボン!」とエリナは冗談っぽく右手を爆発させ、ニヤニヤしながら座わるよう促した。ケース内の右半分には、直径一・五メートルぐらいのピンクに光る三本足の空飛ぶ円盤が置かれているが、うっすらとした鈍い明るさがピンク色のイメージを品よく調整していた。昔のイギリス兵が被っていたような古臭いヘルメット形……。こんなものが本当に飛ぶんだろうか、とルナは思った。

エリナは扉を閉め、内側のハンドルをしっかり三回回し、「ユウさん、お客様がいらっしゃいましたよ」といったので、「はい?」とユウが返事をすると、エリナはふき出した。

「あなたはユウ君。これから会う人はユウさん。これからは、あちらの方はドッペル・ユウとでもしましょうか。ドッペルとはドイツ語のドッペルゲンガー、影法師」

 そういってわらいながら、エリナもルナの横に座った。しばらくすると、ヘルメットのツバの下が開いてタラップが出てきた。つま先から頭のてっぺんまで、タイツ、レオタード、フードのオール・イン・ワン姿で、小さな男が梯子をゆっくりと降りてくるのを見てアッと二人は声を発し、エリナが透かさず「シーッ!」と注意した。宇宙人は身長一八センチくらいで、周りの空気を少しばかり明るくさせながらゆっくりと歩き、ニヤニヤと微笑みを絶やさずに三つあるデッキチェアの一つに腰掛けて、リラックスした恰好で客人を見上げた。

「ユウさん。こちらの男性がユウ君です」とエリナ。

「一目で分かりましたよ。私の分身ですからね」

 宇宙人の声はスピーカーを通して聞こえてくる。その音色はユウの声にそっくりなどころか、姿形もそっくりだ。

「分身ですか?」

 ユウは驚きを隠せない顔で宇宙人に話しかけると、宇宙人が答えた。

「そう、エリナさんから聞いていない? 僕は君のアバターなんだ。君たちは知らないだろうが、地球からさほど離れていない宇宙空間に未発見のワームホール、つまり抜け道があって、そこを通過すると、すぐに僕たちの宇宙がある。たとえば君がパンを薄く切るとき、左の側面がこの宇宙で、右の側面が僕たちの宇宙だと考えればいい。ワームホールは両面を通過するパンの空気穴と考えればいい。そう、隣り合わせの宇宙。それほど近いところにあるのさ。その宇宙は、この宇宙を一○分の一に縮小した宇宙なんだ。そこには銀河もあるし、太陽もある。それに地球だってあるのさ。もちろん、人間も住んでいる。この地球と同じ数の人間さ。一人一人が対応している。動物も植物も、あらゆる生物が対応している。しかも、それらのすべてが一○分の一の大きさだが、大きさも時間も絶対的なものじゃない。実は向こうの宇宙から見れば、こっちの宇宙は一○分の一なんだ。その一つが僕で、そのアバターが君。君から見れば反対で、僕は君のアバターさ。君から見れば僕は小さいが、僕の宇宙で君を見れば、君は僕の一○分の一になる」

「難しくってよく分からないけれど、君は僕と同じ性格で、同じ会社に勤務して、同じようなつまらない生活をしているの?」とユウは聞いた。

「それは違うな」

 ドッペル・ユウはわらった。

「いまの君と僕の関係を見れば一目瞭然だ。君と僕はまったく違う行動を取っている。それに、こちらの世界史とあちらの世界史も違う。だいいち、日本と同じ形の島国はあるけれど、日本という名ではないんだ」

「どんな名前?」とルナが聞いた。

「微笑みの国、といってもタイランドのことじゃない。国民性を国名にしたのさ。僕の国には夫婦げんかもない、親子げんかもない、兄弟げんかもない。我を張り合うことがなく、互いに譲歩し合うから、けんかにならないんだ。もちろん悪いことをする人もいないから警察もいらない。裁判所も必要ない。政府はあるけど、規制はないし、税金も取らない。橋や道路は、みんながお金を出して労働力も提供するんだ。困った人がいると、知らない人でもその人を助けるから、福祉政策も必要ない。首相はいるけれど、昔のレーガンさんやサッチャーさんが見ても驚くほど、何もやらない小さな政府さ」

「きっと、みんなお金持ちなのね」とルナ。

「いやいや、みんな貧しいのさ。ただ、金持ちになりたいとも思わない。人と張り合う性格の人もいないんだ。人の上に立とうとする人はいないし、着飾ろうという人もいない。一生懸命働いてお金を貯めるけれど、それはお金持ちになるために貯めているんじゃない。困った人を助けるためだから、そんな人を見つけたらすぐに使ってしまう。でもそれは浪費じゃない」

 ユウもルナも声を合わせて「ヘエーッ」と驚きの声を出した。ユウはもういちどドッペル・ユウの姿を観察し、自分と瓜二つであることに改めて驚いた。彼の体はやや平べったく、肌の露出部だけでなく、着ているものもうっすらと輝いていて、映像のようにも見えたが、それは物質構造の違いという理由から説明ができた。

 

「さて、もうそろそろ、ご婦人方が登場してもよさそうね」とエリナがいったので、ユウとルナはさらに驚いて、思わず顔を見合わせた。

「オーイ君たち。もう仕度はできたかな」

 トッペル・ユウが空飛ぶ円盤に向かって声をかけると「ハーイ」という声がする。

「微笑みの国では、女性はみんなスッピンなんだ。だから、仕度といっても、歯を磨いてシャワーを浴びる程度のものなのさ」とドッペル・ユウはいってデッキチェアから立ち上がると、タラップの横へ歩み寄り、両手を使って二人の女性をエスコートした。

 二人の姿を見てルナもユウもエエッと声を上げる。ドッペル・ユウと同じ恰好だが、それはまさしく、ルナとエリナのそっくりさんだ。

「これで分かった? あちらのお三方は、私たちのアバターなのよ」とエリナ。

「そして、こちらの女性は僕の妻です」といってドッペル・ユウが紹介した女性は、まさしくルナのアバターだった。

「聞いたかい? あっちの星では、僕たちは夫婦だってさ」

 ユウはルナを見てニヤリとわらった。

「それはこちらの二人にとっても、なにか意味があるの?」

 ルナは興味津々、あちらの二人にたずねた。

「そうね、まったく偶然だとは考えにくいわ。きっとあなたたちは結婚する予定だったけれど、なにかのきっかけで運命が別の方向に流れてしまった。反対に私たちは真っ直ぐな道を進んだのかも知れない。きっと基本的な運命の法則があるんでしょうが、それには小さな揺らぎが存在するの。星々からバクテリアまで、運命も生命も多様性はそのわずかな揺らぎから生じるのよ。最初はちょっとした狂いかも。でも、時間が経つと大きな距離になってしまう。あなたたちもきっとそんな感じで、どんどん引き離されてしまったんだわ」とドッペル・ルナが答える。

「しかし、基本的な道を歩まなければ幸せにならないわけじゃないよ。道を踏み外したからといって、不幸が訪れるわけじゃないからね。実際、僕たちの国と君たちの国はまったく同じ国土を持っているけど、ぜんぜん違くなっているし、だからといって、どっちの国民が幸せなのかは分からないさ」とドッペル・ユウ。

「でも話を聞くかぎりじゃ、君たちの国のほうが幸せそうだな。お金なんて、なければないに越したことはないからね」とユウはいってから自分のせりふに首をひねり、思わず苦わらいした。

「お金に生きがいを感じる人たちは、あなたたちの星にはたくさんいるっていう話をうかがったわ」

 ドッペル・エリナがそういってデッキチェアに腰掛けると、ドッペル・ルナもそれに続く。二人が座るのを見届けてから、ドッペル・ユウも座った。三人とも満足そうに微笑んでいたが、急にドッペル・ユウの顔から笑みが消え、「それで、僕とユウの関係について話さなければ……」といった。

「私とエリナ、ルナとルナの関係についてもね」とドッペル・エリナ。

「つまり、異次元宇宙生命体同一理論のことだ。僕たちの星と君たちの星には、常に同じ数の生命体が存在する。それは、僕が死ねばユウ君も死ぬ。ルナさんが死ねば、僕の妻が死ぬことを意味しているんだ」

 ドッペル・ユウはそういって、深々とため息をついた。

「なんで?」

 ユウは素っ頓狂な声を発し、ルナと顔を見合わせた。

「ということは、私の運命をそちらのルナさんが握っている?」とルナ。

「そういうことね」

 ドッペル・ルナが答えた。

「たとえば昔、君たちの星で世界的な戦争が勃発したでしょ。そのとき、僕たちの星では新型インフルエンザが流行して、多くの人たちが死んだんだ」

「ひどい話だな。我々地球人の罪は、宇宙の彼方まで悪影響を及ぼしてしまう」

 ユウは右手で頭をゴンゴンゴンと軽く叩いた。

「いやいや、我々の星でインフルエンザが流行り、君たちの星で戦争が起きたのかもしれない。しかし、ニワトリが先かタマゴが先かの話で、どちらが先かを決めるのはナンセンス。時空は歪んでいるからね。ポイントは予防さ。どちらかの悪い兆候を察知して未然に防げるか、被害を最小限に食い止められるかの問題だ。世界的にも、個人的にもね。つまり君は無理をしてはいけない。君が病気で死んだら僕も死ぬからね。そのかわり、僕は君のために健康に気を付けるとしよう。もちろん、僕の横にいるルナのためにもね」といってドッペル・ユウは妻を見つめ、ウィンクした。

「でも、世界的な問題っていうのは難しそうね」

 そういってこっちのルナは顔を曇らせる。

「おそらくね。しかし、不可能ではないんだ。ここで君たちに質問しよう。僕たちはなぜ、ここにいるんでしょう。別の宇宙から、はるばる時空の壁を越えてやってきたんでしょう。ひとつは宇宙友好協会が、僕らが地球人と交流する唯一の窓口であること。そしてあとひとつは……」

 それまで微笑を絶やさなかったガラスの中の三人から微笑が失せているのを見て、ルナは「もしかして……」とつぶやくようにいった。

「そう、そのもしかして……。私たちの国、微笑みの国が危機に瀕しているの。隣国、怒りの国が侵略を企んでいるんです。戦争放棄、平和国家を掲げて、ほとんど武器を持たない微笑みの国は、きっと簡単に占領されてしまうわ。多くの人たちが殺されるんだ。それは、日本人の多くが死ぬことを意味しているの」

 ドッペル・ルナは目から大粒の涙を流していった。すると不思議なことに、ルナの目からも堰を切ったように涙が流れ出した。

「でも、僕たちになにができるっていうんだい? だって、君たちの星で起こることに、僕たちは何もできないじゃないか。それに、地球で起こることについてだって、僕たちはあまりにも無力な存在さ。僕はインフルエンザの流行を抑えることはできないし、地震を予知することだってできやしない」

 ユウは声を震わせながらも、キッパリと意見を述べた。もちろん、なにか面倒くさい問題に巻き込まれそうな予感もしたのだ。

「いいや、君たちにできることがあるから、僕たちはここにいるのさ。僕たちは君たちの助けを必要としている。しかしそれは、君たち自身を破滅させるかもしれない手助けなんだ。もちろん、そんな頼みごとをここで気安くいうことはできない。しかし、君たちの力が必要なんだ。……で、君たちを説得するのにいちばんいい方法を考えた。それは、君たちを微笑みの国に招待することさ。まずは君たちに我々の星の現状を知っていただきたい」

「私たちの星に来ていただきたいんです」とドッペル・エリナ。

「どうやって? だってあんな小さな円盤に僕たちは乗れないじゃないか」

 ユウとルナは顔を見合わせた。

「それは大丈夫よ。現に私だって、もう二回もあちらにいっているのよ」とエリナがいうのを聞いて、今度は二人とも眉毛を上げ、口を突き出して顔を見合わせた。

「つまり、あちらのエリナは私の分身なのよ。私の心は彼女の心と合体することができるの。私の心は私の体から離脱して、簡単に分身の体に乗り移ることができるの。どうせいっても分からないでしょうから、こっちへ来てちょうだい」

 エリナは椅子から立つと左のほうに歩き出したので二人も立ち上がり、宇宙人たちに軽く頭を下げてから付いていった。ちょうどガラスケースの反対側にもうひとつの扉があって、エリナはハンドルを回して分厚い扉を開いた。その部屋は同じほどの広さで、歯科医の治療台みたいな椅子が五つほど、横一列に置かれていたが、頭の部分が、まるで小さなCTスキャンでもくっついているように輪っかになっている。

「さあ、どれでも好きな椅子に寝てちょうだい」

「ちょっと待って。いきなりかよって感じ。今晩は人の家に招かれているから、あと四時間ぐらいしか時間がないし……」

 ルナは慌てていった。いきなり宇宙旅行といわれても、心の準備だってできていなかった。

「大丈夫。時間は相対的なものよ。あちらには一瞬にして行くことができるの。詳しい説明はできないけれど、ほんの一、二時間で戻ってくることができるわ。彼らの宇宙は本当に近いんだから」

「まさか、戻って来られないことはないよね」とユウ。

「彼らが生きている限りは大丈夫。それに彼が死ねば、あなたは地球にいたって生きていくことはできないんだしさ」といって、エリナは斜め目線でフフフとわらった。

 

 

 インフォームド・コンセントもなく、十分納得しないままに二人は椅子に座らされ、頭を筒の中につっ込んだ。エリナも一緒だ。なにかモーツァルトのような軽やかな音楽が流れていて、レモンのような爽やかな香りがしたと思った瞬間、三人とも深い眠りに落ちてしまった。しかしそれは眠りではなく、アバターへのトランシットの瞬間だけで、すぐに目が覚めたところはあの円盤の中だった。ルナもユウもエリナも操縦席に座り、手馴れた手つきでボタン類を操作していた。ユウは明らかに、ドッペル・ユウの脳味噌のどこかに入り込んだはずなのだが、すでにドッペル・ユウと一体化してしまい、どの考えがユウなのか、どの考えがドッペル・ユウなのかも分からなくなってしまっていた。それはルナも同じだった。円盤には窓がないが、まるで透明の円盤の中にいるように外界が見渡せた。小さくなった分、部屋は大きくなり、今まで三人が座っていた大きな丸いすも円盤の中から確認することができた。

「出発!」とユウが声を出し、赤いボタンを押すと、円盤はガラスを通り抜けて、上に向かって四階分突き抜け、住人の体をすり抜けながら屋上から舞い上がり、急激に加速して、数秒のうちに宇宙に飛び出し、みるみる地球が小さくなっていくのが確認できた。月を通過し、火星、木星土星を一瞬に通り抜けて、満点の星空の中をどんどん進み、「ワームホール突入!」とルナが叫ぶと、突然辺りは真っ暗闇となって、数秒後には満点の星空が再び現れた。円盤が飛び出したところは食パンの向こうサイド、もう一つの宇宙というわけだ。

 二人のユウは、意識がキメラ状に交じり合ってしまい、多重人格的な明確な区別すら不可能だったから、とりあえず地球に帰還するという言葉を使わなければならなかった。この意識の交じり合いはほかの二人にもいえることだ。円盤は出発時とは反対の順番で惑星を通過して、ドッペル・地球に向かっていった。月を通過し地球に近づくと、鏡に映った日本列島と瓜二つの微笑みの国が見えてきた。しかし、戻ってきた日本列島は、出発した日本列島とは違っていたのである。そこは戦場と化していた。

 

 

 空飛ぶ円盤は空色に変化して大気圏に突入し、ゆっくりと降りていった。下からは青空と同化して、判別することは不可能なのだ。円盤は、微笑みの国の首都の上空をゆっくりと旋回した。あちらの地球では東京といってもそっくりそのままというわけではない。ビル群の形状は一○○年も先を行き、五○○メートル以上の高層ビルが数多く屹立している。しかし、その未来都市の所々で火災が発生し、タワーはへし折れ、高層ビルは少なからず穴だらけになっていた。まさに戦場だが、時たま聞こえる破裂音のほかは不気味に静かだった。

「終わったんだ。我々が地球に行っている間に決着が付いたんだ。占領されたのさ」とユウは吐き捨てるようにいった。

「とりあえず、仲間と連絡を取るわ」

 ルナがパネルを操作すると、操縦室の空間に三次元映像の男が現れた。カズといって、国防組織の隊長だ。上下関係を嫌うこの国でも、有事の際には指揮官を必要とするのだ。

「いったいどうしたんだい、この静けさは」

 ユウがカズに聞いた。

「国土はすべて占領された。負けたのさ。微笑みの国は怒りの国の統制化に置かれている。今日は我々にとって怒りの日になった。国民の顔から微笑みは消え去っちまった」とカズは吐き捨てるよういった。

「ところで君は、どこに隠れている?」

「我々国防部隊は地下に潜行したが、我々のミッションは続いている。これからはゲリラ活動だ。君たちの帰還を待っていたんだ。国土が占領された以上、君たちの仕事はますます重要になった。作戦はうまくいっているのかね?」

「始まったばかりさ。我々は、地球のアバターと合体することに成功した。我々は彼らとともにあるが、これはまだスタート地点だ。まずは、彼らに微笑みの国の悲惨なありさまを知ってもらうために戻ってきた」

「ありがたい。我々の作戦は占領下でも有効だ。怒りの国にも反政府組織があって、我々に協力を申し出た。我々も地下抵抗組織になってしまったが、彼らの支援で活動を再開できると信じている。とりあえずは着地点の変更を指示しなければならない。所属基地は占領された。君たちは自動操縦に切り替え、我々の発する誘導電波に従いたまえ」

「了解」とエリナは応え、自動誘導装置を起動させた。

 

 

 

 空飛ぶ円盤が降り立った場所は首都を見下ろすことのできる山の中だった。方角からいえば、ちょうど高尾山のあたりに違いないが、首都の方向は火災の煙が靄のように拡散してビル群はまったく見えなかった。円盤は谷間の崖に衝突すると、スウッと崖の中に入り込んで、地中の格納庫に着陸した。崖は3Dマッピングによるカムフラージュだった。

 三人がタラップを降りると、カズをはじめ一○○人ほどの仲間たちが出迎えた。その中に見覚えのない連中が一○人ほど固まっていた。彼らは黒い敵軍の制服を着ていたので、ユウは驚いてカズに聞いた。

「彼らは?」

「彼らは敵国の兵隊だが、頼もしい味方だ。君たちのミッションが成功すれば、一斉に放棄してクーデターを起こし、現政権を倒すことになっている」とカズ。

 彼らの一人が歩み出てユウに手を差し伸べ、「キタニ中尉です。我々の作戦は、あなた方の作戦の成功から始まります。あなたがたのバトンを私が受け取ります」といって、三人と次々に固い握手を交わした。

「あなたたちとは戦争が始まる前からコンタクトを取っていましたが、実際にお目にかかるのは初めてです」とエリナ。

「あなた方の軍の何割が、クーデターに参加しますか?」とルナが聞いた。

「おそらく八割方。実際に起こす連中は少数でも、それは導火線の役割を果たし、うまく行けば一斉に発火します。しかし何度もいうように、それにはあなたのミッションの成功が条件なのです」

 キタニ中尉はそういってルナを見つめた。中尉の真剣な眼差しに、ルナは身を引き締めた。

「時間がない。さっそく作戦会議を始めよう」といって、カズは三人を会議室に案内する。

 

会議室には五○人ほどが座れる大きなテーブルがあって、三人は主賓の位置、その周りにカズと敵国の兵士が座り、ほかの席は早い者順といった具合で、座れなかった五○人は壁際に立った。微笑みの国では、戦闘隊員の中にも上下関係はないのだ。

「それでは、さっそく作戦会議を始めます。怒りの国が仕掛けた侵略戦争のさなか、我々の同志は、ある重要な使命をもって隣の宇宙に向かったわけですが、あちらの人類、すなわち我々のアバターである人々の中から、三人のキーパーソンを連れて帰還しました」

 カズがいうと、エリナが口を挟んだ。

「正確にいいますと、主役はルナで、ユウと私はルナをサポートします」

 それに続いてユウが口を開いた。

「我々はいま、三人の地球人の精神を合体してここにいます。その三人の肉体は地球にいて催眠状態にあり、夢という現象形態を借りてここに来ているわけです。つまり、現在進行中の事象はすべて、彼らの記憶としてしっかり蓄積されますが、それ以前の事象は記憶の蓄積がなされていませんから、とうぜん説明が必要になります。いささか手間取りますが、そこらへんからご説明お願いいたします」

「もちろん心得ています。したがって、最初に地球人の方々にこの宇宙、この星、そしてわが国の現状を紹介するコマーシャル映像を見ていただくことにいたしましょう」

 

 照明が消され、三人の正面奥の壁に鮮明な映像が浮かび上がった。最初は宇宙物理学的な難しい解説から始まった。地球とそれが含まれる宇宙のすぐ隣に、その宇宙の反物質から構成される瓜二つの別の宇宙があって、二つの宇宙は互いに鏡に映る状態になっているから、宇宙の形態はもちろん、地球の形態も、日本という地形もルナという人物も左右が反対であるということ。しかしビッグバンのときの衝撃で、反物質の多くは粉々にわかれてそれぞれ個別の宇宙を形成するといった分散状態にあり、こちらの宇宙はあちらの宇宙の部分的な再現に過ぎないこと。しかし、そのアバター的宇宙は、互いにパンの両面のように近接の位置に存在して、ワームホールを介して行き来が可能であること。しかし両宇宙の間の時間と空間の揺らぎが影響して、こちらの宇宙はあちらより前後半年以内の時間的なズレが生じてしまっているということ、等々。つまり、こちらでルナが死んだ場合、あちらのルナは半年前に死んでいるか半年後に死ぬかは分からないが、死ぬことは約束されてしまうということだった。

 そのあとはいよいよ、反物質で構成されたアバター地球の紹介に入ったが、グローバルに民族主義運動が高まり、各地で戦争が勃発して我が微笑の国は怒りの国に占領されてしまったというわけで、戦闘により一般市民を含めた多くの人たちが死亡しているのだから、微笑みの国のアバターである日本国においても六カ月以内に何かしらの惨事が起きることは確かだと予測する。しかし、それで済むという話でもなかった。現実的に微笑みの国は怒りの国の占領下にあって、国民が強制収容所に入れられて殺戮が始まれば、何らかの形で日本でも同じ惨状が起こることを意味していると説明が続く。そして映像は一人の静止画像を映し出した。まだ二○代前半の若者だったが、ルナの心のどこかでアッと驚きの声が上がり、そのまま声帯を擦るようなキャッという悲鳴になって飛び出した。

「そうです。これが怒りの国の独裁者です。こいつが独裁政治を行い、平和を乱し、戦争を起こしている元凶です。こいつのおかげで微笑みの国は占領され、蹂躙されたのです。我々は怒りの国を民主国家に転換させようと、クーデターを企てているのですが、この独裁者に近づく手立てすらありません。こいつの権威は大きいものですから、まずはこいつを暗殺してからでないと、クーデターは成功しないでしょう」とキタニ中尉。

「で、彼の名は?」

 大方知っているはずのルナは、念を押すようにキタニ中尉にたずねた。

「恐怖の大統領、レンです」

「つまり、あちらの宇宙では、そのアバターと私は結婚しているということですね」

「そうです。これで、あなたのミッションは理解されたはずです」

「つまり、私は地球に戻り、私の夫を殺害すればいいということですね」

「もし、地球人たるあなたが了解すればの話ですがね。つまり、あなたが地球に行って、合体している精神を分離して地球人に戻ったときのあなたの決断と行動――」とカズが口を挟んだ。

「ぜひとも了解していただきたいものです。あなたの決断が、微笑みの国のみならず、日本国の運命をも決定すると考えたら?」

 キタニ中尉はそういって、懇願するような眼差しをルナに向けた。ルナはしばらくキタニ中尉を見つめ返していたが、キタニの視線に負けたように目を逸らし、「ここでは返事ができないでしょう」と弱音を吐いた。

「どうしてです?」

「二人の私が合体している状態では、返事ができないということです」

「それはそうだ。すくなくともこちらにいる状況では、地球のルナはあくまで観客に過ぎない。彼女はいま、夢を見ている状況なんだ。覚醒していない彼女に、殺人という重大な決意をここで迫るのは荷が重過ぎる」とユウ。

「しかし、地球人のルナさんに承諾を得るというのんびりした状況でないことも確かだ。我々としては実行してもらわなければならんのだ。ミッションとはそういうものさ。我々は、地球人のルナさんに命令する立場にある。あなたは、地球に帰ったあと、ご亭主を殺害しなければならない。なぜなら、独裁者である彼のアバターによって、微笑みの国も日本国も滅びつつあるからだ。あなたの夫が死ぬことによって、独裁者も半年以内に死ぬことになる。なぜなら、陽に照らされれば影ができるように、陰の欠けた陽も、陽の欠けた陰も存在しえないからだ。ここで、帰還した三人がそれぞれ連れてきた地球人の精神に、地球における任務を完遂させるべく、薬液注入も含めた洗脳教育プログラムの実行を提案します」

 キタニ中尉が演説を打つと、歳を取った議長風の男が、「それでは挙手を願います。洗脳教育プログラムの実施に賛成の方は手を上げてください」と続け、三人を除く全員が手を上げた。微笑みの国では、すべての行動が多数決で決まるのである。

 

 

 三人が通された部屋は迷路のようなトンネルの奥深くにあった。部屋の中には、あの下町のオフィスビルにあったような治療用の寝椅子が三台置かれていて、あのときのように三人は仰向けに寝て、頭部を筒の中に入れた。筒に埋め込まれた超電導モーターがゴーゴーと不気味な音を発しながら回転を始め、三人ともたちまち意識を失っていった。地球人としてのルナの魂は、まるで劇中劇のように夢の中で夢を見始めていた。恐ろしい悪夢がスタートした。日本のあちこちに水爆が落とされ、街々は焦土と化した。各地に強制収容所が建てられ、日の丸のマークを胸に付けられた市民が貨物列車にぎゅう詰めにされて運ばれていった。焼却炉の周りには死体が山積みされ、高い煙突からは白い煙が立ち続けた。突然、軍服の胸にたくさんの勲章を付けたレン大統領が高わらいをはじめ、その顔がだんだん悪魔の顔に変形していく。ルナはようやく気が付いたのだ。レンは悪魔の化身だ。レンは、ルナの一生をメチャクチャにする悪魔に違いない。そのとき突然、地下抵抗組織の反撃が始まった。周りで爆弾が炸裂する音や銃弾の連射音が鳴り響き、火薬の匂いが立ち込める。仲間たちが目の前で倒れていく。キタニ中尉の体に弾丸が貫通した。カズが手榴弾で吹っ飛んだ。仲間たちがどんどん死んでいった。再びレンの悪魔が登場し、頭から二本の角を伸ばしながら、その高わらいがどんどん大きくなっていった。三人は激しい頭痛と嘔吐感に襲われ、悪夢の泥沼から這い上がったが、それは無理やりに洗脳装置を止められたせいだった。目の前にレン大統領が部下を従えて突っ立っていたのである。そして、床は血の海と化し、レン大統領の片足はキタニ中尉の死体を踏んづけていた。

「お目覚めかね。床に転がっている連中は、君たちの仲間かね?」レン大統領は三人にたずねた。

「いいえ、我々の敵です。我々は第三国のスパイとしてこの国に潜入し、捕らえられて洗脳機械にかけられたんです」

 ユウが適当なウソをつくっていった。三人は椅子から降り、先生に叱られた小学生のように並んで直立した。大統領は、腕組みをしながら三人の周りをゆっくりと回った。

「第三国というのは?」

「我々はスパイですから、国の名前はばらしません。スパイは常に死を覚悟しています。しかし、我々の国は閣下の国と友好関係を結んでおります」

「友好関係? クソ食らえだ。友好なんざ鼻息で吹き飛ばしてやる。ごらんのとおり、この国とわが国もかつては友好関係にあった。しかし、私は気を変えたのさ。友好条約は対等の力を持つ国どうしが結ぶものだ。こんな弱小国は属国にするほうが自然さ。さて、この秘密基地にいたネズミどもはことごとく退治した。しかし君たちは、その仲間ではないといい張る。ならば、私は人道的な立場から、君たちを助けようと思う。本当は殺すべきだ。スパイなんぞ、どこの国であろうが殺すにこしたことはないからな」

「ありがとうございます」とユウ。

「それに、この二人の女はなぜか殺したくはないのだ。思い出せないが、見覚えがあるのさ。君たちは私に見覚えがないかね?」

「怒りの国の大統領閣下であることは、全世界の人間が知っておりますわ」とエリナが答えた。

「私はそんなことをいっているのではない。君たちは違うタイプの女だが、二人とも私のタイプであるということだ。しかし私は、なぜかしら欲しいとは思わないのだ。君たちを見たとたんに、すぐに飽きがきたのさ。女好きの私が、タイプの女を前にして、もよおさないというのは不思議な現象だ。君たちにはうんざりだ。しかしひょっとしたら、季節的なものかも知れない。盛りの時期ではないということだ。だから殺さないことにしたのだ。殺しておいて、後で惜しいことをしたとは思いたくないからな。しかし男には用がない。君たちはこの男をどうすればいいと思う?」

「さっきは、助けてやろうとおっしゃったじゃありませんか」

驚いたユウが、必死になって懇願した。

「お願いです。助けてあげてください」とルナも口を揃えた。

「ならば助けてやろう。しかし目障りだ。牢屋にぶっ込んでおけ」

 

 ユウは手錠を掛けられ、引き立てられていった。ルナとエリナは、レンの円盤に乗せられて、怒りの国の王宮に向かった。王宮にはハーレムがあって、レンの愛人が一○○人ほど住んでいたが、二人はその一員に加えられ、それぞれの部屋と二人の侍女を与えられた。

 レンが占領国の奴隷女を二人、愛人として新たに加えたという話は、ハーレムの中でたちまち広がり、第一夫人と第二夫人が見物にやってきた。ルナは二人を見て、思わずアッと声を出した。二人の顔に見覚えがあったからである。第一夫人と第二夫人もルナを見て、目をまん丸に見開いた。

「昔、お前と会ったことがあるね?」と第一夫人。

「私もお前と会ったことがあるわ」

 第二夫人も同じことをいった。

「でも、それがいつのことかは覚えがないわ。でも、お前の腹はもっと大きかった。どうしてそんなに萎んじまったんだい?」

 第一夫人は意地悪くいって、軽蔑したような眼差しをルナの腹に向けた。第二夫人の目つきは、軽蔑というよりは憎しみの輝きを呈している。

「この星ではお会いした記憶はございませんわ。むしろ、私のいるもう一つの星で、確かにお会いしたような気がします」とルナは返事をしながら、合体した脳味噌の半分から鮮明な記憶が蘇ってきたことに驚き、地球とこの星の因果関係の強さに改めて驚かされた。

〝そうだ私はこの二人と争って退け、レンを射止めたんだわ〟

「で、あちらの星では、私たちとお前はどんな関係にあったのかい?」と第一夫人。

「どうせ友好的な関係じゃないでしょうに」と第二夫人。

 ルナは、本当のことをいってはまずいと思い、まるっきり反対のことを口にした。

「地球では、あなたたちと私は親友関係にあったのです」

「ということは、こちらの星では敵対関係だわね。すべてが逆さまという話ですから」

 第一夫人はそういって、フンと鼻を鳴らした。

「どっちにしても、ここはレン大統領のハーレムですからね。女たちは互いに敵対して、けん制し合っているのよ。あっちじゃ親友かもしれないけど、こっちでは敵どうし。せいぜい足をすくわれないよう、気をつけていたほうがいいわ」と第二夫人は吐き捨てるようにいってルナをキッとにらみつけた。

 

 二人が去った後、エリナがルナに質問した。

「本当に親友だったの?」

「どういう意味?」

「地球では親友どうしで、こっちでは敵っていうのもおかしな話。それなら、私たちもこちらでは敵どうしになっちゃうわ」といって、エリナ肩をすくめた。

「実は地球でも敵どうし。地球の私はあの二人と戦って、レンと結婚する権利を得たわけ」

「勝利したのね。でも、なぜこちらの星で、あの人たちはレン大統領と関係があるわけ?」

「おっしゃる意味が分からないわ。じゃあなぜ、こちらの星で私とユウが夫婦なわけ?」

 ルナは、機嫌を損ねて反論した。

「地球とこの星の因果関係の深さでいうと……」

「もうそれ以上はいわないで」とルナはエリナの言葉を止めた。

〝そうだ、あの女たちとレンは、いまだに関係を続けているのかもしれない〟

「あなたのいいたいことはお見通しよ。レンが私をほったらかしにしているのは、あの二人とまだ付き合っているからだっていいたいのね」

「それはあくまで可能性の一つだわ。でも、あなたは地球で、モテモテの男と結婚したことは確かね。あなたは妻の座を得ても、精神的には安定していない。それに、大事な駒である赤ちゃんも――」

 エリナの思いやりのない言葉が鋭利な刃物となってルナの胸を刺した。しかし、もう一人のルナがしゃしゃり出て、ビジターのショックを心の奥底に押し込めてしまった。

「じゃあ地球での私の精神を安定させるためには、いったい何をすればいいわけ?」

 ルナは穏やかに聞いた。

「それは簡単よ。レン大統領の第一夫人と第二夫人を亡き者にするの。すると、地球上のあなたの恋敵は二人とも半年以内に死ぬことになる」

 そういいながら、エリナはわらい出した。

「でも私のミッションは、あくまでこの国の人たちを救うことにある。そしてそれは、日本の人たちの命を救うことでもある。私的な行動はNGです」

 ルナはむきになって、きつい眼差しでエリナを睨み付けた。エリナはルナの直球をかわすように、皮肉っぽい笑みを浮かべて睨み返す。

「つまりあなたは、こちらの恋敵を殺すよりは、むしろ地球で夫を殺すことを選択するわけね。ブラボーッ! でも、あれだけ愛している夫を殺すことができる?」

「多くの犠牲を止めることができるなら、喜んで。私は夫よりも、この国の人たちと日本人の多くを守るわ。一人の人間の死が多くの人を救うなら、たとえそれが私の夫であっても私は実行する」

「分かったわ。うそじゃないわね。それだけの覚悟ができたのなら私も手伝う。地球に戻って、私たちのミッションを実行しましょう。時間はないわ。一刻も早くここから抜け出し、地球に向かいましょう。大量虐殺が起きる前に止めなければいけないわ」

エリナはすっかり興奮して、半ば叫び声になっていった。

「でも、ユウは?」

「大丈夫。彼ならうまく抜け出せる」

 エリナは自信満々の顔つきで答えた。

「でも私たちがもし、レン大統領と寝なければならないとしたら?」とルナ。

 エリナは一瞬戸惑って顔を曇らせ、それから探るような眼差しをルナに向けた。

「私たちはプロ意識に徹するの。あなたにとって、レン大統領は……」といってから、エリナは躊躇して言葉を止めた。

「地球では私の夫だけれど、ここでは単なるアバター。でもこっちの私にはユウという夫がいる。複雑ね」といってルナはわらった。

「でも、こっちだろうがあっちだろうが、あなたは覚悟ができている。プロの殺し屋に夫婦間の絆なんかないわ」

 

そのとき、大統領の秘書が衛兵を二人引き連れてやってきた。好色な大統領が、さっそく新しい女奴隷を味わってみたいというのだ。

「で、どちらをご所望で?」とエリナがたずねると秘書は不思議そうな顔をして、「もちろんお二人ともですよ」と答えた。

 大統領の寝室に入る前に二人は素っ裸にされ、侍女たちから身体検査を受けた。裸のまま寝室に通されると、そこは大広間で、中央に巨大な帆立貝が口を開いた装飾の丸いダブルベッドが置かれ、その上に裸の大統領が横になっているのを見て、ルナはアッと声を上げた。帆立貝の円形ベッドはルナのお気に入りのベッドだったからだ。子供の頃にディズニーの漫画映画に登場したこのベッドがすっかり気に入り、結婚したらぜったいこのベッドを買うんだと心に決めた。それで、結婚数日前にレンが恥ずかしがるのを説得して購入し、新居の寝室に入れたわけだが、そういえばその上で二人は一緒に寝ても、体を重ね合わせたことがないのに気が付いた。レンは毎日疲れ果てて、ベッドに身を投げるとすぐにいびきをかいて寝てしまう。

〝ひょっとしたら、疲れ果てた原因は仕事じゃなくて、あの二人の女?〟

 

どっちにしても、シェルの上で本物の夫と愛し合う前に、夫のアバターと愛し合わなければならないのだろうかと複雑な心境になったが、そのアバターがむっくりと起き上がり、冷たい目でルナを睨みつけている。

「お前は呼んでないよ」

 それは明らかに、ルナに向かって投げ付けられた言葉だった。

〝なんだこの男――、私をなんだと思っているんだ!〟

「二人は堪忍してくれよ。疲れているんだ。それにお前はもう飽き飽きさ。オーイ、誰か! ダメだよ、用もない女入れちゃ」

 ルナは、ワッと泣き出して、扉に向かって走り出した。こんな辱めを受けたのは生まれて初めてだったが、それはレンの本音かもしれなかった。しかし、寝室から逃れると、心の中でもう一人のルナが喜びの声を上げた。

〝助かったわ。大統領と寝たなんて、ユウにはぜったいいえないものね〟

〝そうだ、私の夫はユウだったわ〟と地球バージョンのルナも同調した。二人のルナの夫が違うというのはなんとも不自然で、しっくりしないことが改めて理解できた。

〝二人の夫は同じ夫でなければいけないわ。そのためにも、地球上のレンは消さなければいけないんだわ。そして、ユウと一緒にならなければいけないんだわ〟

 このときルナは、ようやく決心が付いた気がした。自分の幸せのために、そして微笑みの国のために、日本のために、是が非でもミッションを成し遂げようと心に誓った。

 

 

 ユウはというと、自力で牢屋から抜け出したわけではなかった。牢屋の中で横になっていると、鍵を開ける者がいた。敵国の兵士だが大統領の暗殺を狙う反政府組織の一員で、殺されたキタニ中尉の仲間だった。ユウはレーザー銃を与えられ、二人で空飛ぶ円盤に向かったが、衛兵に見つかって激しい銃撃戦となった。ユウを解放した兵士は撃たれて倒れ、「成功を祈る」といってこと切れた。殺人光線の飛び交う中、かろうじて円盤の場所まで逃げおおせたユウが音声認証でハッチを開けて乗り込むと、武器庫から仲間が二人出てきて、ユウを出迎えた。

「我々は壊滅的な被害を被った。おそらくこのアジトで生き残ったのは我々だけだろう」

「わが国の存亡は、君にかかっているといっても過言ではない」

「急ごう、目指すは彼女らが拉致された敵国の宮殿だ」

 ユウは二人の言葉にうなずいて操縦席に着き、円盤を飛び立たせた。すると、後ろで秘密基地が爆発音とともに炎上するのが見えた。

「ミッション関連資料はこれで灰燼と化したな」

「しかし、どこかに仲間が隠れていたかもしれない」とユウ。

「我々はみんな死を恐れない。君たちの成功のためには、喜んで犠牲になってくれるさ」

「必ずミッションを成功させてくれ」

 二人はユウを鼓舞した。

 

 月もない真夜中、円盤は王宮の五○メートル上空でピタリと静止した。しっかりと闇にとけ込んでいるので、下からはまったく見えない。すでに戦争は終わっていたから、敵も油断していることは確かだ。二人が顔中に黒いペイントを塗り始めたので、ユウも塗ろうとしたが止められた。

「君を危険な目に遭わすことはできない。君の活躍の場は地球さ。我々二人がハーレムに降りて彼女たちを救出する」

「円盤下部のハッチを開けてくれ」

 ユウはいわれるままにハッチを開け、二人は細いロープを垂らして降りていった。降りたところは中庭で、昼間は女たちでにぎわう場所だが、そこには侍女が一人待ち受けていた。

「我々が助け出すのは一人だ」

「どちらの女?」と侍女がたずねる。

「ルナという女。エリナという女は残しておく。我々はルナを救出したあと、エリナとともに王宮に留まる。彼女がここに留まることは、ルナの地球での活動を活性化させるという我々の判断だ」

 侍女は二人をルナの住居に案内した。中にいた二人の侍女を射殺したあと、ベッドで寝ていたルナを叩き起こした。

「君を助けに来た。上空にはユウの円盤が待機している。君を助けるために来たんじゃない。君がミッションを遂行するためのお膳立てだ」

「ミッションというのは、私が地球で夫を殺すということ?」

 ルナは再確認のためにたずねた。

「分かりきった話だろ。地球で、怒れる僭主のアバターを殺すのが君の仕事だ」

「了解したわ。エリナの部屋に行きましょう」

「それは危険だ。まず、君の安全が担保されてから、エリナの救出に向かう。君が無事に円盤に搭乗したら、エリナを救出する手はずだ。地球での作戦は、エリナがいなくてもできるからね」

「分かったわ」

 二人の兵士はルナを中庭に連れ出し、円盤から垂れている細いロープをルナの胸に巻きつけた。二人はルナが円盤の中に入るまで見届けると、唐突にレーザー銃を乱射し始めた。駆けつけた王宮の衛兵たちと銃撃戦がはじまり、二人の兵士はあっけなく射殺されてしまった。ユウとルナはそれを上空から見ていた。

「エリナは戻れなくなったの?」

「すぐに地球に戻れるさ。地球での我々のミッションが成功すれば、怒りの国に革命が起こり、大統領の宮殿も解放される。エリナもその分身とともに地球に帰還できるというわけだ」

 

 地球への帰還の間、二人は濃厚に愛し合った。無重力空間では三六○度、どんな体位を取ることも可能だ。宙に浮き上がり、手と足を蛇のように絡ませ、何度も何度もインサートを繰り返した。精液が白い水玉となって空間を漂った。細かい一粒がルナの鼻の穴に迷い込み、青竹を割ったような香りが広がって脳髄を痺れさせた。無重力空間でのセックスは、どの宇宙飛行士も体験したことのない史上初の人体実験に違いなかった。宇宙人のルナは、宇宙人のユウを激しく愛していたし、宇宙人のユウも宇宙人のルナを狂おしく愛した。そして地球人のルナは、地球人のユウを激しく愛さなければならない立場になっていた。彼女は夫を殺すミッションを背負って、地球に帰還するのだから――。それはユウも同じだった。ユウはレンの一○○倍も優しかった。

「地球に戻っても、私を捨てないでね」

アバターたちが夫婦であるかぎり、僕たちは地球上でも夫婦になる必要があるんだ」

「そう、私とあなたが夫婦になるためにも、夫を殺す必要があるんだわ」

「でもそれは、いうべきことじゃない。自分たちのために殺人を犯すわけじゃないからね」

 無重力空間では、男と女の肉体は均一に溶け合って強靭な愛が生成される。二人は互いの体を溶け合わせながら延々とセックスを続け、空飛ぶ円盤は二人が夢中になっている間に、あちらの穴に吸い込まれ、こちらの穴から飛び出して地球に向かい、神田の所定の場所に着陸した。二人はセックスの最中で、さらなるエクスタシーの極みを味わったところで同時に目を覚まし、「アッ!」とオボケな声を上げた。

 

 

 

 ルナとユウは椅子から飛び降りると、すぐにエリナの寝ている椅子を取り囲んだ。エリナは死んだように寝ているが、呼吸に乱れはない。事務局長が部屋に入ってきて、心配そうにたずねた。

「いったいぜんたい、どうして彼女は目覚めないんですか?」

「彼女の魂だけ、まだあちらにいるんです」とユウがいった。

「それはまずいな。まずいですよ。だって、ずっとここに寝かしておくわけにはいかないでしょ。魂がこっちにないのなら、意識が戻るわけもない」

「とにかく、円盤は無事戻ってきたんでしょう」

ルナは思い切りハンドルを回して扉を開け、円盤の置かれている部屋に入った。そのあとからユウと事務局長も付いてくる。三人は丸椅子に座って、円盤のハッチが開くのを待った。しばらくするとハッチが開いて、ドッペル・ユウとドッペル・ルナがタラップを降りてきた。二人はデッキチェアに座って、手を握り合っているユウとルナを見つめた。

「君たちは我々から分離したが、すぐにまた融合したようだね」

ドッペル・ユウはいって、微笑んだ。

「おかげさまで」とユウが返した。

「そこの中年のおじさんは、席を外してくれないかな」

 ドッペル・ユウが渋い顔していったので、事務局長は仕方なしに部屋から出て行った。

「忘れてはいないだろうが、君たちは重要な任務のために地球に戻った」とドッペル・ユウ。

「分かっています」とルナが返す。

「時間がないのよ。私たちには時間がないの。さっそく、ミッションをスタートすべきだわ」

 ドッペル・ルナが少しばかりいらいらしながら催促した。

「しかし、あわてるなよ。うまくやる必要があるんだ。君たちは確実に成功させなければいけない」

「うまくやります」とユウは答えた。

 ドッペル・ユウはポケットから小瓶を出し、「さてその手段だが、我々の星には優れた毒薬が存在するんだ。こいつは心不全を引き起こし、そのくせ薬物反応は出ないというやつ。こいつを異なる宇宙の君たちに届けるのは難しいが、不可能じゃない。ほら」といって、小瓶をいきなりガラス越しのユウに投げつけた。不思議なことに、小瓶はガラスに当たる瞬間に消えてしまった。

「消えた小瓶は君のポケットにあるさ」

 ユウがポケットを探ると、まさしく液体の入った小瓶が出てきた。瓶の大きさも一○倍になっている。

「UFOが地球上を飛行できるのも、この異次元物質変換技術があるからよ。でも、生命体には使用できないわ」とドッペル・ルナ。

「それが君たちの手段だ。さっそく今晩、レン大統領の分身を殺すんだ。その毒薬なら完全犯罪は成立する。かわいそうに君の夫は若くして逝ってしまうが、少なくとも我々と君たちはウィンウィンの関係にはなれる。あちらでもこちらでも、ユウとルナは夫婦になるべきだからね。それが異次元宇宙間の予定調和というやつさ」

 ドッペル・ユウはそういって、右手の親指を立てた。

「成功を祈っているわ。吉報を待っています」とドッペル・ルナも二人を応援したが、急に心配そうな顔つきになって付け加える。

「でも、たとえ完全犯罪が可能だとしても、私たちには一抹の不安があるわ。だって、あなたたちはプロの殺し屋じゃないもの。国運を賭けたミッションを無事にやり遂げることができるかしら」

「このさし迫った時にそんな心配をするなよ。一か八かだ。我々は君たちの成功をただただ祈るだけさ。しかし、君たちがプロでない以上、我々プロとともに殺人計画を練ることも必要になってくるな」とドッペル・ユウ。

「というと?」と、ユウが分身にたずねた。

「この場で綿密な計画を練るんだ。ルナに聞くが、今日、ご亭主は家に帰ってくるのかい?」

「そうだ、思い出したわ。私たち夫婦と夫の両親は、党の後援会長宅に招待されていたんだわ。月に一度は会っているの」

 ルナは内心ホッとして胸をなでおろした。少なくとも、今晩は計画を実行する時間的余裕がないだろうと思ったからだ。

「まずいな。我々の計画は一日でも早く実行しなければならない。レン大統領が一日生き延びれば、一○○万人の国民の命が奪われるんだ。ユウ、その毒薬をルナに渡したまえ。もし可能であれば、後援会長の夕食会で実行してほしい。衆人環視の中で難しいとなれば明日に延ばしてもいいが、明日君のご主人は帰宅するのかい?」

「帰らない確率のほうが高いわね」とルナ。

「なら、やはり確実なのは今晩さ。きっとチャンスがあるだろう。乾杯があればなおさらいい。シャンパングラスに二、三滴垂らせば十分だ。ご主人は一気に飲み干すだろう」

「もし完全犯罪が失敗して、僕たちが逃げなければならなくなったら?」

 ユウが少しばかり声を震わせながらたずねた。

「要はレンが死ぬことなんだ。君たちが犯人だとばれれば、ここに逃げてくればいい。僕と君、僕の妻と君の妻は合体して、我々の宇宙で幸せに暮らせばいい。もちろん、君たちの体は心の抜けた脳死状態となるが、宇宙友好協会の会員たちが守ってくれる。つまりホームシックにかかったら、いつでも地球に戻れるんだ。あらかじめ体を南米に運んでおいて、そこで入魂してアマゾンの密林地帯で暮らすこともできる。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。僕は君の分身で、君は僕の分身だ。君が捕まって縛り首になったとしても、僕は君と一緒に死ねることを誇りに思うよ。少なくとも我々の国では、僕たちは多くの国民を救った英雄として讃えられるんだからね」

「分かった。なるべく早いうちにミッションを成功させる。エリナを地球に戻すためにもね。とりあえずこの毒は君に渡しておく。今晩実行だ」といってユウはルナに小瓶を渡し、二人はマンションを後にした。

 

 

 ドッペル夫婦というと、ガラスケースの中でうろうろしていると思いきや、パチンと消えてしまい、奥の秘密部屋から二人の若い男女が出てきた。ドッペル夫婦の声を担当していた物まね上手な連中だ。宇宙からやってきた異星人というのは真っ赤なウソ。種を明かせば、最新技術を駆使した単なる三次元映像だ。つまり隣の宇宙の出来事は、催眠状態で楽しむバーチャルな夢物語というわけだった。二人がエリナの寝ている部屋に入ると、エリナはとっくに目覚めていて、事務局長と話をしている。エリナの横にはエリナ役の声優もいた。

「ご苦労さま。これであとは彼らの働きにかかっているわ」とエリナはいって二人にウィンクをした。

「彼らは完全に洗脳されたな。我々の仕掛けた大宇宙物語にはめられたのさ。彼らはゲーム世代の人間だから、幻想の世界にはまり込むのも簡単なんだ。二人ともすっかり殺人ロボットになり切っている」と事務局長。

「ルナが昔憬れていたユウを引っ張り出したのも成功の要因ね」とエリナ。

「しかし、まだまだ成功という言葉は使えないぞ。最終目標を達成したときまで、この言葉は取っておきたまえ」

事務局長がいって、太く短い人差し指をワイパーのように揺らした。

「我々のターゲットは息子ではなく、次期首相候補ですからね」とドッペル・ユウの声役が付け加える。

「そうそう、ルナはひたすら夫を殺すだけでしょ」とドッペル・ルナの声役。

「そこは抜かりがないわ。実行役は別にいるんだ。後援者宅に一年前から入り込ませたお手伝いさん。彼女はイギリスで、バトラーの勉強もした逸材よ。彼女が次期首相のシャンパングラスに毒を盛るの。金だけで動く殺し屋だから、いまさっき〝今夜実行〟ってメールを送っておいた。でも、その毒はルナも持っているから、捕まるのはルナ。証拠は毒だけじゃなくて、この録音」といって、エリナは先ほどの四人の会話を再生した。

「これを警察に送れば、ルナが実行犯、ユウが共犯だということになるわね。当然あなたたちの声はカットするから大丈夫よ」

 

 玄関でチャイムが鳴った。解体屋である。もろもろの装飾品や家具類を撤去するのに二時間もかからなかった。ほとんどすべてがタダ同然に持ち去られて空き部屋状態になったが、金庫みたいなドアとUFO、ガラスケース、3D映像機器はそのままだった。高価なものなので、依頼人の指示に反して残しておき、夕方に取り外して倉庫にでも保管しておこうというわけだ。殺人請負人たちにとって、同じ手口なら何度でも再利用できる大道具だ。

 すると再びチャイムが鳴った。「先生だわ」といって、エリナが玄関に走っていった。やってきたのは大沢とその第一秘書。レンの父親とは同じ党で、ライバル視されている大物政治家だ。レンの父親が暗殺されれば、首相の座が転がり込むというわけだ。

「どうだね、首尾よく進展しているかね」

 大沢は革手袋をしたままで事務局長と握手をした。

「上々です。先生をここにお呼びしたのも、我々の仕事が完璧であることの証明になります。今晩実行しますから、この事務所も今日中に撤去します。証拠類はすべて焼却しております」と事務局長。

「あいつが政治がらみで殺されたと思われたくないからな。殺人の詳細についても聞かないでおいたほうが得策だな。そのかわり、確実に今日だね」

「シナリオはちゃんとしていますわ。ルナは高校時代の同級生ユウと浮気して、財産目当てでレンを毒殺する。レンは一人息子だから、一緒にレンの両親も死ねば、一家の資産はすべてレンの嫁、つまりルナに転がり込むわけですからね。共犯はユウで、それ以上広がることはありません」

 エリナは自信満々の顔つきでいった。

「ユウは知らんがルナとレンは知っている。知ってる固有名詞を出されても、聞き流すだけでいいんだね。いずれにせよ、私が犯人だと疑われなければ上々さ」

 大沢はいって、薄わらいを浮かべた。

「明日になれば、先生は次期内閣総理大臣ですよ」と事務局長。

「明日になれば、君たちも金持ちさ。僕は約束どおりに報酬を支払うからな。その前に前祝いといこう。げんかつぎさ。どういうわけか、前祝いすると必ず成功するんだ」

 大沢は手袋のまま持参したシャンパンを開け、秘書が持ってきた紙コップに次々と注いでいった。

「先生の勝利を期して乾杯!」

次期総理と秘書を除いて全員がコップを飲み干してから、事務局長はけっこう苦い後味に首をかしげてたずねた。

「まさか、こっちにも毒が入っているわけじゃないでしょうね」

「そのまさかさ。気が付くのが遅いな。君たちは本当にプロなのかね。首相になるためには裏金工作が必要なのさ。どうせなら、君たちに払う金は節約したいんだ。それに、口封じの意味もあるのさ。後々君たちに金をせびられたらたまったものじゃない。さて、そろそろ口から血を吐くやつが出てきてもよさそうだ」

 エリナが思い切り血を吐き出すと、次期総理はうまい具合にそれをかわした。ほかの三人も、次々に血を吐き、バタバタと倒れていった。次期総理は悪魔のようにゲラゲラとわらいながら横目で悶絶する連中を眺め、全員の呼吸が止まるのを見届けると満足げに大きくうなずき、秘書に目配せした。秘書はプロの殺し屋さながらの落ち着いたしぐさで自分たちの紙コップだけポケットにねじ込み玄関のドアを開くと、二人はドロドロとした政治の闇世界に戻っていった。

 

 

 ルナとユウがホテルで激しく愛し合っているとき、ルナのケイタイにレンからメールが入った。

〝オヤジが風邪引いて今晩の夕食会は中止。今日は帰らない〟

 ルナは目をまん丸にして、ユウにそれを見せた。

「こういうこともあるさ。何でもうまい具合にことは運ばない。さっそく、事務局長に連絡だ」

 もちろん電話口にはだれも出ない。二人はとりあえず服を着て、神田まで戻って事務所の前で待つことにした。玄関のカメラが壊されていて、管理人立会いで技術者が修理をしていた。エントランスのドアは開いていたので、管理人に挨拶して事務所の階に上がった。表札が外されている。ベルを押しても人が出ない。ドアノブを回すとドアが開いたので、中に入った。室内はがらんどうで、強烈な嘔吐物の臭いがする。隣の部屋に入ろうとすると、床に転がる五人の死体を目にし、その中に事務局長とエリナが含まれていることを発見した。床は血の海になっていたので、部屋に入ることをやめ、代わりに空飛ぶ円盤の部屋に入った。分厚いドアを開けると、ガラスケースの中に円盤と椅子がしっかり残されていた。アバターを呼んだが出てはこない。

 奥の秘密部屋のドアが半開きになっていて、灯りが漏れている。そこにはミキシングルームみたいな装置が置かれていて、マイクロフォンも数本あった。操作盤のボタンの下に「ユウ」「ルナ」「エリナ」と書かれていたのでユウが三つとも押すと、円盤のハッチが開いて三人の立体映像がぞろぞろと外に出てきた。ルナが「椅子に座る」と書かれたボタンを押すと、三人とも次々に、デッキチェアに座った。

「こんにちは、いかさまヤローども」とユウがマイクに向かって話すと、ドッペル・ユウの声に変換された。「私たちを騙したのね」とルナが隣のマイクに向かって話すと、ドッペル・ルナが同じせりふを話した。

「ところで君のダンナを殺すことは、どんな意味があるのかね?」とドッペル・ユウ。

「それは、ダンナの父親の政治生命が絶たれることを意味しているわ」とドッペル・ルナ。

「ということは、我々のミッションは急遽中止だ。しかし面倒なことには、殺人現場に我々がいる」とドッペル・ユウ。

「すぐにここから出ることね。すぐに出ればだいじょうぶ。五人を殺す時間なんかないと証明できる」

 ユウは映像のハードディスクを探し当て、粉々に砕いた。ルナはハンドバッグから毒入り小瓶を出し、小窓から神田川に放り投げた。二人は大急ぎで事務所から出て、監視カメラを修理中の管理人と技術者に挨拶してマンションを後にした。

 

「僕たち二人の顔を彼らは覚えているかな?」

「きっと大丈夫よ。修理に夢中ですもの」

「あの部屋には、僕たちの指紋やDNAが残っている」

「シマッタ! でも、私たちには殺す理由なんかなんにもない」

「問題は、死んだエリナと僕たちが知り合いだってことだ」

「そんなことはどうでもいいわ。私たちは愛し合っているんだもの」

「君ってすごくポジティブな女性だね」といってユウはわらい出し、二人は神田川沿いの細い道路の真ん中でキスをした。通行人が二、三人、横目で見ながら顔をしかめた。そのときルナは、あの忌まわしいミッションのことを思い出した。突然キスを中断して顔を背け、ボソリといった。

「……私、平気で夫を殺せる人間だってことが分かったわ」

「洗脳されたんだ。だれだって洗脳されればそうなるんだよ。僕たちはただ、賢くなかっただけの話さ」

 ユウはそういってから、震えるルナを再び抱きしめた。二人とも止めどなく涙を流しながら体を回転させ、閑散とした川沿いの道を引き返した。もう一度、変わり果てたエリナと再会しなければならない。むだになるかもしれないが、徹底的に指紋をふき取る努力はすべきだった。

 

 

 

 党の後援会長はしかし、次期総裁候補のだれに肩入れするか迷っていた。そこで今晩はレンの父親と、お互いの政治観について胸を開いて話し合おうと思っていた矢先、断りの電話が入ったのだ。いつもは家の料理人が腕を振るったが、今日は特別に高級ホテルの料理長を呼んで仕度をさせていたのに肩透かしを食ってしまった。

「風邪くらいでキャンセルするのは、次期総裁としては失格だな……」と少なからず腹を立てたが、秘密裏の会食であることをいいことに、あるアイデアが思い浮かんだ。対立候補である大沢を呼んで、話してみるのも面白いと考えたのである。秘書を通じて連絡を取ると、「喜んで」という返事が返ってきた。これで、夕食につぎ込んだ費用は無駄金にならなくてすんだ。

 

 午後七時、大沢は妻と第一秘書を連れてやってきた。後援会長は妻とともに車まで出迎え、自慢の広間に案内した。まずは料理の前に、我が党の発展を期してシャンパンを抜く手はずである。

「そういえば、あなたは前祝いが好きだといっていましたね」と後援会長。

シャンパンをご用意いただけるとは、うれしい限りです。前祝いをすると、なぜか物事がうまく運ぶんです」

女性バトラーがポンと詮を開け、盆の上の五つのシャンパングラスに次々に注いでいった。そしてなぜかグラスを一つ一つ手渡していった。

「それでは会長、乾杯の音頭を」と第一秘書が大きな声でいった。後援会長は「わが党の発展を期して乾杯!」とグラスを掲げ、全員が一気に飲み干した。 

                                      (了)

 

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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アバター殺人事件(六)& エッセー

アバター殺人事件(六)

 

 ドッペル夫婦というと、ガラスケースの中でうろうろしていると思いきや、パチンと消えてしまい、奥の秘密部屋から二人の若い男女が出てきた。ドッペル夫婦の声を担当していた物まね上手な連中だ。宇宙からやってきた異星人というのは真っ赤なウソ。種を明かせば、最新技術を駆使した単なる三次元映像だ。つまり隣の宇宙の出来事は、催眠状態で楽しむバーチャルな夢物語というわけだった。二人がエリナの寝ている部屋に入ると、エリナはとっくに目覚めていて、事務局長と話をしている。エリナの横にはエリナ役の声優もいた。

「ご苦労さま。これであとは彼らの働きにかかっているわ」とエリナはいって二人にウィンクをした。

「彼らは完全に洗脳されたな。我々の仕掛けた大宇宙物語にはめられたのさ。彼らはゲーム世代の人間だから、幻想の世界にはまり込むのも簡単なんだ。二人ともすっかり殺人ロボットになり切っている」と事務局長。

「ルナが昔憬れていたユウを引っ張り出したのも成功の要因ね」とエリナ。

「しかし、まだまだ成功という言葉は使えないぞ。最終目標を達成したときまで、この言葉は取っておきたまえ」

事務局長がいって、太く短い人差し指をワイパーのように揺らした。

「我々のターゲットは息子ではなく、次期首相候補ですからね」とドッペル・ユウの声役が付け加える。

「そうそう、ルナはひたすら夫を殺すだけでしょ」とドッペル・ルナの声役。

「そこは抜かりがないわ。実行役は別にいるんだ。後援者宅に一年前から入り込ませたお手伝いさん。彼女はイギリスで、バトラーの勉強もした逸材よ。彼女が次期首相のシャンパングラスに毒を盛るの。金だけで動く殺し屋だから、いまさっき〝今夜実行〟ってメールを送っておいた。でも、その毒はルナも持っているから、捕まるのはルナ。証拠は毒だけじゃなくて、この録音」といって、エリナは先ほどの四人の会話を再生した。

「これを警察に送れば、ルナが実行犯、ユウが共犯だということになるわね。当然あなたたちの声はカットするから大丈夫よ」

 

 玄関でチャイムが鳴った。解体屋である。もろもろの装飾品や家具類を撤去するのに二時間もかからなかった。ほとんどすべてがタダ同然に持ち去られて空き部屋状態になったが、金庫みたいなドアとUFO、ガラスケース、3D映像機器はそのままだった。高価なものなので、依頼人の指示に反して残しておき、夕方に取り外して倉庫にでも保管しておこうというわけだ。殺人請負人たちにとって、同じ手口なら何度でも再利用できる大道具だ。

 すると再びチャイムが鳴った。「先生だわ」といって、エリナが玄関に走っていった。やってきたのは大沢とその第一秘書。レンの父親とは同じ党で、ライバル視されている大物政治家だ。レンの父親が暗殺されれば、首相の座が転がり込むというわけだ。

「どうだね、首尾よく進展しているかね」

 大沢は革手袋をしたままで事務局長と握手をした。

「上々です。先生をここにお呼びしたのも、我々の仕事が完璧であることの証明になります。今晩実行しますから、この事務所も今日中に撤去します。証拠類はすべて焼却しております」と事務局長。

「あいつが政治がらみで殺されたと思われたくないからな。殺人の詳細についても聞かないでおいたほうが得策だな。そのかわり、確実に今日だね」

「シナリオはちゃんとしていますわ。ルナは高校時代の同級生ユウと浮気して、財産目当てでレンを毒殺する。レンは一人息子だから、一緒にレンの両親も死ねば、一家の資産はすべてレンの嫁、つまりルナに転がり込むわけですからね。共犯はユウで、それ以上広がることはありません」

 エリナは自信満々の顔つきでいった。

「ユウは知らんがルナとレンは知っている。知ってる固有名詞を出されても、聞き流すだけでいいんだね。いずれにせよ、私が犯人だと疑われなければ上々さ」

 大沢はいって、薄わらいを浮かべた。

「明日になれば、先生は次期内閣総理大臣ですよ」と事務局長。

「明日になれば、君たちも金持ちさ。僕は約束どおりに報酬を支払うからな。その前に前祝いといこう。げんかつぎさ。どういうわけか、前祝いすると必ず成功するんだ」

 大沢は手袋のまま持参したシャンパンを開け、秘書が持ってきた紙コップに次々と注いでいった。

「先生の勝利を期して乾杯!」

次期総理と秘書を除いて全員がコップを飲み干してから、事務局長はけっこう苦い後味に首をかしげてたずねた。

「まさか、こっちにも毒が入っているわけじゃないでしょうね」

「そのまさかさ。気が付くのが遅いな。君たちは本当にプロなのかね。首相になるためには裏金工作が必要なのさ。どうせなら、君たちに払う金は節約したいんだ。それに、口封じの意味もあるのさ。後々君たちに金をせびられたらたまったものじゃない。さて、そろそろ口から血を吐くやつが出てきてもよさそうだ」

 エリナが思い切り血を吐き出すと、次期総理はうまい具合にそれをかわした。ほかの三人も、次々に血を吐き、バタバタと倒れていった。次期総理は悪魔のようにゲラゲラとわらいながら横目で悶絶する連中を眺め、全員の呼吸が止まるのを見届けると満足げに大きくうなずき、秘書に目配せした。秘書はプロの殺し屋さながらの落ち着いたしぐさで自分たちの紙コップだけポケットにねじ込み玄関のドアを開くと、二人はドロドロとした政治の闇世界に戻っていった。

 

 

 ルナとユウがホテルで激しく愛し合っているとき、ルナのケイタイにレンからメールが入った。

〝オヤジが風邪引いて今晩の夕食会は中止。今日は帰らない〟

 ルナは目をまん丸にして、ユウにそれを見せた。

「こういうこともあるさ。何でもうまい具合にことは運ばない。さっそく、事務局長に連絡だ」

 もちろん電話口にはだれも出ない。二人はとりあえず服を着て、神田まで戻って事務所の前で待つことにした。玄関のカメラが壊されていて、管理人立会いで技術者が修理をしていた。エントランスのドアは開いていたので、管理人に挨拶して事務所の階に上がった。表札が外されている。ベルを押しても人が出ない。ドアノブを回すとドアが開いたので、中に入った。室内はがらんどうで、強烈な嘔吐物の臭いがする。隣の部屋に入ろうとすると、床に転がる五人の死体を目にし、その中に事務局長とエリナが含まれていることを発見した。床は血の海になっていたので、部屋に入ることをやめ、代わりに空飛ぶ円盤の部屋に入った。分厚いドアを開けると、ガラスケースの中に円盤と椅子がしっかり残されていた。アバターを呼んだが出てはこない。

 奥の秘密部屋のドアが半開きになっていて、灯りが漏れている。そこにはミキシングルームみたいな装置が置かれていて、マイクロフォンも数本あった。操作盤のボタンの下に「ユウ」「ルナ」「エリナ」と書かれていたのでユウが三つとも押すと、円盤のハッチが開いて三人の立体映像がぞろぞろと外に出てきた。ルナが「椅子に座る」と書かれたボタンを押すと、三人とも次々に、デッキチェアに座った。

「こんにちは、いかさまヤローども」とユウがマイクに向かって話すと、ドッペル・ユウの声に変換された。「私たちを騙したのね」とルナが隣のマイクに向かって話すと、ドッペル・ルナが同じせりふを話した。

「ところで君のダンナを殺すことは、どんな意味があるのかね?」とドッペル・ユウ。

「それは、ダンナの父親の政治生命が絶たれることを意味しているわ」とドッペル・ルナ。

「ということは、我々のミッションは急遽中止だ。しかし面倒なことには、殺人現場に我々がいる」とドッペル・ユウ。

「すぐにここから出ることね。すぐに出ればだいじょうぶ。五人を殺す時間なんかないと証明できる」

 ユウは映像のハードディスクを探し当て、粉々に砕いた。ルナはハンドバッグから毒入り小瓶を出し、小窓から神田川に放り投げた。二人は大急ぎで事務所から出て、監視カメラを修理中の管理人と技術者に挨拶してマンションを後にした。

 

「僕たち二人の顔を彼らは覚えているかな?」

「きっと大丈夫よ。修理に夢中ですもの」

「あの部屋には、僕たちの指紋やDNAが残っている」

「シマッタ! でも、私たちには殺す理由なんかなんにもない」

「問題は、死んだエリナと僕たちが知り合いだってことだ」

「そんなことはどうでもいいわ。私たちは愛し合っているんだもの」

「君ってすごくポジティブな女性だね」といってユウはわらい出し、二人は神田川沿いの細い道路の真ん中でキスをした。通行人が二、三人、横目で見ながら顔をしかめた。そのときルナは、あの忌まわしいミッションのことを思い出した。突然キスを中断して顔を背け、ボソリといった。

「……私、平気で夫を殺せる人間だってことが分かったわ」

「洗脳されたんだ。だれだって洗脳されればそうなるんだよ。僕たちはただ、賢くなかっただけの話さ」

 ユウはそういってから、震えるルナを再び抱きしめた。二人とも止めどなく涙を流しながら体を回転させ、閑散とした川沿いの道を引き返した。もう一度、変わり果てたエリナと再会しなければならない。むだになるかもしれないが、徹底的に指紋をふき取る努力はすべきだった。

 

 

 

 党の後援会長はしかし、次期総裁候補のだれに肩入れするか迷っていた。そこで今晩はレンの父親と、お互いの政治観について胸を開いて話し合おうと思っていた矢先、断りの電話が入ったのだ。いつもは家の料理人が腕を振るったが、今日は特別に高級ホテルの料理長を呼んで仕度をさせていたのに肩透かしを食ってしまった。

「風邪くらいでキャンセルするのは、次期総裁としては失格だな……」と少なからず腹を立てたが、秘密裏の会食であることをいいことに、あるアイデアが思い浮かんだ。対立候補である大沢を呼んで、話してみるのも面白いと考えたのである。秘書を通じて連絡を取ると、「喜んで」という返事が返ってきた。これで、夕食につぎ込んだ費用は無駄金にならなくてすんだ。

 

 午後七時、大沢は妻と第一秘書を連れてやってきた。後援会長は妻とともに車まで出迎え、自慢の広間に案内した。まずは料理の前に、我が党の発展を期してシャンパンを抜く手はずである。

「そういえば、あなたは前祝いが好きだといっていましたね」と後援会長。

シャンパンをご用意いただけるとは、うれしい限りです。前祝いをすると、なぜか物事がうまく運ぶんです」

女性バトラーがポンと詮を開け、盆の上の五つのシャンパングラスに次々に注いでいった。そしてなぜかグラスを一つ一つ手渡していった。

「それでは会長、乾杯の音頭を」と第一秘書が大きな声でいった。後援会長は「わが党の発展を期して乾杯!」とグラスを掲げ、全員が一気に飲み干した。 

                                      (了)

 

 

 

 

 

エッセー

「国民」って何?

 

 先日テレビで、日本学術会議の任命問題を話題にした討論会を見た。政府寄りの弁護士H氏が、いかにも自分が国民の考えを代弁しているかのような口ぶりで「それでは国民は納得しない」などと、やたら「国民」という言葉を連発していたので、笑ってしまった。

 

 「国民」という言葉を使うのは、政治家や政治家志向の評論家の常套手段だが、どうやら彼らの考えを国民が支持していて、論敵の考えは支持していないという妄想を抱いているらしい。国民は多様で、その考えは一人ひとり異なるのに、十把一絡げに自分と同じ考えだと主張するのもナンセンスだ。

 

 H氏は、「政府の行動がおかしいなら、選挙で票を入れなければいい」と、いかにも選挙結果が任命問題の決着を付けるような口ぶりだったが、これもおかしな話だ。有権者は、「任命問題」だけのことで票を入れるのではない。経済やその他の政策で入れるかもしれないし、好きな議員がいるからかもしれないし、これも人それぞれ。「任命問題」に関心があるかないか、その関心が有権者の心にどれだけ重みがあるかも人それぞれだ。また自民党が勝利したからといって、この問題が解決したわけではないだろう。せいぜい、時とともに国民の関心が薄れるくらいなものだ。

 

 それでは、政治家が味方に付けようとする「国民」とは何かというと、その国の国籍を持つ人間らしい。当然、ある年齢を超えると選挙権を与えられ、政治家にとってはお客様ということになる。少なくとも民主主義国家では主権が与えられ(主権在民)、国家はその意思で運営されていくはずが、スイスと違って日本はあまりに主権者が多いので、選挙で代議士を立てているわけだ。代議士は、国民が自分に票を入れてくれるように、あの手この手で敵対勢力を排除しようとする。

 

 その代議士が政権を取れば、国民から選ばれたというわけで、いかにも国民の総意とばかりに(国民への忖度か、思い込みか知らないが)どんどん自分の考えで政策を進めていくし、法律まで作ってしまうわけだが、トータルで結果オーライなら次の選挙も勝つだろうし、ダメなら負けるだろう。H氏は、それで責任を取れるのだからいいじゃないか、というわけだ。

 

 しかしグローバリズムの中で、世界の協調が求められる現代では、昔と比べて「国民」の感性も大分変わってきている。国民一人ひとりがインターネットで世界と繋がっている時代だ。昔のようにお上の一声で、国民が一丸となって戦闘態勢に入る時代でもないし、国民は世界中の批判を大分気にしている。特に主権在民の日本では、中国や北朝鮮、ロシアの国家体制に批判的な国民が圧倒的で、そうした観点で政治を見ている(戦前の日本国民は上述の国々と変わらなかったが)。「国民」の体質は大分変わっているのに、菅政権は世界の民主主義国家が眉をひそめるようなチョンボを犯してしまったわけだ。たった一つだが、大きな汚点だ。

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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定価(本体一一○○円+税)
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アバター殺人事件(五)& 詩

美しい五月に

 

難病で死んでいく彼は、いつも若い奥さんに話していた

僕は千人のアバターでできていて

その一人として地球に生まれたんだ

ほかの九百九十九人は宇宙のあちこちに散らばっていて

そのうち九人は僕と同じ病気に罹っている

けれど残りの九百九十人は健康で

いろいろなことをしているのさ

だから僕は眠りに落ちると

星の王子様のように

いろいろな星の自分になれるんだ

そこではいろいろな女性と結婚していて

いろいろな家庭を築いている

いろいろな星だからいろいろな境遇にあるけれど

九百九十人はとっても幸せな人生を送っているんだ

けれど残りの九人は僕と同じ病気だから

傍から見れば幸せな人生じゃないだろう

でも地球の僕がいかれちまったら

その九人の僕のどれかを選ぶつもりさ

どの僕も残り少ない人生だけど

ここよりは長生きできると思うから…

僕は宇宙で一番の幸せ者になりたいのさ

だって、その九人の奥さんはどれも

君のアバターなんだから…

 

星の王子様が病気で死んだ明くる日から

奥さんは毎晩ベッドの中で

彼との楽しかった思い出を一つずつ

何万光年向こうの王子様に語りかけてきた

ちょうど千夜話したその明くる日の夜、どうしたことか

一つも思い出せなくなって大粒の涙を流した

すると彼女の額に星屑のような涙が落ちてきて

王子様の懐かしい声が聞こえてきた

僕との思い出話は君からの贈り物として

千人の僕に一つひとつ届けたよ

でも、これからの贈り物は

僕との思い出であってはいけないのさ

それはどうしてかって?

だって君からもらった僕へのご褒美は

千人の僕に等しくなければ喧嘩になっちまうからさ

君はもう、僕のことを思い出してはいけないんだ

 

明くる朝彼女は目覚め、窓辺に立つと

透明な五月の陽が差し込み

花々のつぼみは開き始めて

鳥たちが愛のうたを賑やかにさえずっていた

若葉の陰でブーケを手に微笑む男に

彼女は恥ずかしそうに笑みを返した

こんな朝早く、おかしな人……

千一個目から千が取れて

一個目の思い出がカウントされた

彼女は晴れ晴れとした心で

階段を駆け下りた

 

 

 

 

アバター殺人事件(五)

 

 ユウはというと、自力で牢屋から抜け出したわけではなかった。牢屋の中で横になっていると、鍵を開ける者がいた。敵国の兵士だが大統領の暗殺を狙う反政府組織の一員で、殺されたキタニ中尉の仲間だった。ユウはレーザー銃を与えられ、二人で空飛ぶ円盤に向かったが、衛兵に見つかって激しい銃撃戦となった。ユウを解放した兵士は撃たれて倒れ、「成功を祈る」といってこと切れた。殺人光線の飛び交う中、かろうじて円盤の場所まで逃げおおせたユウが音声認証でハッチを開けて乗り込むと、武器庫から仲間が二人出てきて、ユウを出迎えた。

「我々は壊滅的な被害を被った。おそらくこのアジトで生き残ったのは我々だけだろう」

「わが国の存亡は、君にかかっているといっても過言ではない」

「急ごう、目指すは彼女らが拉致された敵国の宮殿だ」

 ユウは二人の言葉にうなずいて操縦席に着き、円盤を飛び立たせた。すると、後ろで秘密基地が爆発音とともに炎上するのが見えた。

「ミッション関連資料はこれで灰燼と化したな」

「しかし、どこかに仲間が隠れていたかもしれない」とユウ。

「我々はみんな死を恐れない。君たちの成功のためには、喜んで犠牲になってくれるさ」

「必ずミッションを成功させてくれ」

 二人はユウを鼓舞した。

 

 月もない真夜中、円盤は王宮の五○メートル上空でピタリと静止した。しっかりと闇にとけ込んでいるので、下からはまったく見えない。すでに戦争は終わっていたから、敵も油断していることは確かだ。二人が顔中に黒いペイントを塗り始めたので、ユウも塗ろうとしたが止められた。

「君を危険な目に遭わすことはできない。君の活躍の場は地球さ。我々二人がハーレムに降りて彼女たちを救出する」

「円盤下部のハッチを開けてくれ」

 ユウはいわれるままにハッチを開け、二人は細いロープを垂らして降りていった。降りたところは中庭で、昼間は女たちでにぎわう場所だが、そこには侍女が一人待ち受けていた。

「我々が助け出すのは一人だ」

「どちらの女?」と侍女がたずねる。

「ルナという女。エリナという女は残しておく。我々はルナを救出したあと、エリナとともに王宮に留まる。彼女がここに留まることは、ルナの地球での活動を活性化させるという我々の判断だ」

 侍女は二人をルナの住居に案内した。中にいた二人の侍女を射殺したあと、ベッドで寝ていたルナを叩き起こした。

「君を助けに来た。上空にはユウの円盤が待機している。君を助けるために来たんじゃない。君がミッションを遂行するためのお膳立てだ」

「ミッションというのは、私が地球で夫を殺すということ?」

 ルナは再確認のためにたずねた。

「分かりきった話だろ。地球で、怒れる僭主のアバターを殺すのが君の仕事だ」

「了解したわ。エリナの部屋に行きましょう」

「それは危険だ。まず、君の安全が担保されてから、エリナの救出に向かう。君が無事に円盤に搭乗したら、エリナを救出する手はずだ。地球での作戦は、エリナがいなくてもできるからね」

「分かったわ」

 二人の兵士はルナを中庭に連れ出し、円盤から垂れている細いロープをルナの胸に巻きつけた。二人はルナが円盤の中に入るまで見届けると、唐突にレーザー銃を乱射し始めた。駆けつけた王宮の衛兵たちと銃撃戦がはじまり、二人の兵士はあっけなく射殺されてしまった。ユウとルナはそれを上空から見ていた。

「エリナは戻れなくなったの?」

「すぐに地球に戻れるさ。地球での我々のミッションが成功すれば、怒りの国に革命が起こり、大統領の宮殿も解放される。エリナもその分身とともに地球に帰還できるというわけだ」

 

 地球への帰還の間、二人は濃厚に愛し合った。無重力空間では三六○度、どんな体位を取ることも可能だ。宙に浮き上がり、手と足を蛇のように絡ませ、何度も何度もインサートを繰り返した。精液が白い水玉となって空間を漂った。細かい一粒がルナの鼻の穴に迷い込み、青竹を割ったような香りが広がって脳髄を痺れさせた。無重力空間でのセックスは、どの宇宙飛行士も体験したことのない史上初の人体実験に違いなかった。宇宙人のルナは、宇宙人のユウを激しく愛していたし、宇宙人のユウも宇宙人のルナを狂おしく愛した。そして地球人のルナは、地球人のユウを激しく愛さなければならない立場になっていた。彼女は夫を殺すミッションを背負って、地球に帰還するのだから――。それはユウも同じだった。ユウはレンの一○○倍も優しかった。

「地球に戻っても、私を捨てないでね」

アバターたちが夫婦であるかぎり、僕たちは地球上でも夫婦になる必要があるんだ」

「そう、私とあなたが夫婦になるためにも、夫を殺す必要があるんだわ」

「でもそれは、いうべきことじゃない。自分たちのために殺人を犯すわけじゃないからね」

 無重力空間では、男と女の肉体は均一に溶け合って強靭な愛が生成される。二人は互いの体を溶け合わせながら延々とセックスを続け、空飛ぶ円盤は二人が夢中になっている間に、あちらの穴に吸い込まれ、こちらの穴から飛び出して地球に向かい、神田の所定の場所に着陸した。二人はセックスの最中で、さらなるエクスタシーの極みを味わったところで同時に目を覚まし、「アッ!」とオボケな声を上げた。

 

 

 

 ルナとユウは椅子から飛び降りると、すぐにエリナの寝ている椅子を取り囲んだ。エリナは死んだように寝ているが、呼吸に乱れはない。事務局長が部屋に入ってきて、心配そうにたずねた。

「いったいぜんたい、どうして彼女は目覚めないんですか?」

「彼女の魂だけ、まだあちらにいるんです」とユウがいった。

「それはまずいな。まずいですよ。だって、ずっとここに寝かしておくわけにはいかないでしょ。魂がこっちにないのなら、意識が戻るわけもない」

「とにかく、円盤は無事戻ってきたんでしょう」

ルナは思い切りハンドルを回して扉を開け、円盤の置かれている部屋に入った。そのあとからユウと事務局長も付いてくる。三人は丸椅子に座って、円盤のハッチが開くのを待った。しばらくするとハッチが開いて、ドッペル・ユウとドッペル・ルナがタラップを降りてきた。二人はデッキチェアに座って、手を握り合っているユウとルナを見つめた。

「君たちは我々から分離したが、すぐにまた融合したようだね」

ドッペル・ユウはいって、微笑んだ。

「おかげさまで」とユウが返した。

「そこの中年のおじさんは、席を外してくれないかな」

 ドッペル・ユウが渋い顔していったので、事務局長は仕方なしに部屋から出て行った。

「忘れてはいないだろうが、君たちは重要な任務のために地球に戻った」とドッペル・ユウ。

「分かっています」とルナが返す。

「時間がないのよ。私たちには時間がないの。さっそく、ミッションをスタートすべきだわ」

 ドッペル・ルナが少しばかりいらいらしながら催促した。

「しかし、あわてるなよ。うまくやる必要があるんだ。君たちは確実に成功させなければいけない」

「うまくやります」とユウは答えた。

 ドッペル・ユウはポケットから小瓶を出し、「さてその手段だが、我々の星には優れた毒薬が存在するんだ。こいつは心不全を引き起こし、そのくせ薬物反応は出ないというやつ。こいつを異なる宇宙の君たちに届けるのは難しいが、不可能じゃない。ほら」といって、小瓶をいきなりガラス越しのユウに投げつけた。不思議なことに、小瓶はガラスに当たる瞬間に消えてしまった。

「消えた小瓶は君のポケットにあるさ」

 ユウがポケットを探ると、まさしく液体の入った小瓶が出てきた。瓶の大きさも一○倍になっている。

「UFOが地球上を飛行できるのも、この異次元物質変換技術があるからよ。でも、生命体には使用できないわ」とドッペル・ルナ。

「それが君たちの手段だ。さっそく今晩、レン大統領の分身を殺すんだ。その毒薬なら完全犯罪は成立する。かわいそうに君の夫は若くして逝ってしまうが、少なくとも我々と君たちはウィンウィンの関係にはなれる。あちらでもこちらでも、ユウとルナは夫婦になるべきだからね。それが異次元宇宙間の予定調和というやつさ」

 ドッペル・ユウはそういって、右手の親指を立てた。

「成功を祈っているわ。吉報を待っています」とドッペル・ルナも二人を応援したが、急に心配そうな顔つきになって付け加える。

「でも、たとえ完全犯罪が可能だとしても、私たちには一抹の不安があるわ。だって、あなたたちはプロの殺し屋じゃないもの。国運を賭けたミッションを無事にやり遂げることができるかしら」

「このさし迫った時にそんな心配をするなよ。一か八かだ。我々は君たちの成功をただただ祈るだけさ。しかし、君たちがプロでない以上、我々プロとともに殺人計画を練ることも必要になってくるな」とドッペル・ユウ。

「というと?」と、ユウが分身にたずねた。

「この場で綿密な計画を練るんだ。ルナに聞くが、今日、ご亭主は家に帰ってくるのかい?」

「そうだ、思い出したわ。私たち夫婦と夫の両親は、党の後援会長宅に招待されていたんだわ。月に一度は会っているの」

 ルナは内心ホッとして胸をなでおろした。少なくとも、今晩は計画を実行する時間的余裕がないだろうと思ったからだ。

「まずいな。我々の計画は一日でも早く実行しなければならない。レン大統領が一日生き延びれば、一○○万人の国民の命が奪われるんだ。ユウ、その毒薬をルナに渡したまえ。もし可能であれば、後援会長の夕食会で実行してほしい。衆人環視の中で難しいとなれば明日に延ばしてもいいが、明日君のご主人は帰宅するのかい?」

「帰らない確率のほうが高いわね」とルナ。

「なら、やはり確実なのは今晩さ。きっとチャンスがあるだろう。乾杯があればなおさらいい。シャンパングラスに二、三滴垂らせば十分だ。ご主人は一気に飲み干すだろう」

「もし完全犯罪が失敗して、僕たちが逃げなければならなくなったら?」

 ユウが少しばかり声を震わせながらたずねた。

「要はレンが死ぬことなんだ。君たちが犯人だとばれれば、ここに逃げてくればいい。僕と君、僕の妻と君の妻は合体して、我々の宇宙で幸せに暮らせばいい。もちろん、君たちの体は心の抜けた脳死状態となるが、宇宙友好協会の会員たちが守ってくれる。つまりホームシックにかかったら、いつでも地球に戻れるんだ。あらかじめ体を南米に運んでおいて、そこで入魂してアマゾンの密林地帯で暮らすこともできる。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。僕は君の分身で、君は僕の分身だ。君が捕まって縛り首になったとしても、僕は君と一緒に死ねることを誇りに思うよ。少なくとも我々の国では、僕たちは多くの国民を救った英雄として讃えられるんだからね」

「分かった。なるべく早いうちにミッションを成功させる。エリナを地球に戻すためにもね。とりあえずこの毒は君に渡しておく。今晩実行だ」といってユウはルナに小瓶を渡し、二人はマンションを後にした。

 

(つづく)

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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