詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

ネクロポリスⅤ

老人は、断崖の岩に腰かけ涙する男を見かけた
男は老人に便箋を一枚渡し
「妻が棺桶に入れてくれた手紙です」と言った
それは「死んだあなたを送るうた」というタイトルの
とても悲しい詩だった

生きているつもりでも
心の中では死んでいました
だいぶ前のことよ
あたしを叩いたとき
片隅にあったガラスの愛が
カラカラ軽い音して割れました
愛の破片はあたりに飛び散り
二人の体にいっぱい刺さった
致命傷 毒を塗った矢じりたち
じわじわと 毒が回った
最初はとても厚かったのに
冷えれば冷えるほど
融けていく氷のガラス
重い心で渡れば水の底
知っていたくせに 私も死んだこと
生きてる振りが滑稽な人形芝居
さようなら あなた
さようなら あたし
胸を突き刺す
あなたの白けた眼差し… 

 

プチ叙事詩ネクロポリス」について

 『ネクロポリス』は連作となっていて、少しばかり叙事詩的な要素を持っている。老人の目を通して、死後の世界を描いているが、同じ死後の世界を描いて超有名なのがキリスト教徒だったダンテの叙事詩神曲』だ。『神曲』の描く死後の世界は、地獄、煉獄、天国と縦方向の階層構造になっている。生前罪を犯した者は地獄に落とされ、恐ろしい責め苦を味わうことになる。その上の煉獄では、地獄で悔悟に達した者や悔悛の余地ある者などが、今で言えば免停を食らいそうな連中が道路掃除をするような軽いお勉めをして、難関の天国行きを願う場所だ。
 しかしイエス自身は、娼婦や姦淫の罪を犯した女などを許しており、昔は「慈悲と許しの宗教」だったキリスト教が、いつの間にか権威主義の国家宗教体制になってしまったことを『神曲』は示しているのだ。教会(坊さんたち)に功徳を積めば天国に行けるかもしれないし、少なくとも地獄行きは免れるだろう、と民衆に思わせるには、この三層構造は必要不可欠な説教だった。加えて「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」などを見てスカッとする勧善懲悪大好き人間にとっても、悪人を懲らしめる物語は何かしら心地よい響きがあっただろう。もちろん、良からぬ考えを一瞬抱いても天国行きはキャンセルだから、民衆の道徳教育はバッチリだ。
 しかしイエスは、「誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも差し出せ」だとか「汝の敵を愛せよ」だとか言ったぐらいだから、報復がろくな結果をもたらさないと知っていた。現に、世の戦争はすべて、相手の行動に対してこちらが反対行動を起こすことから始まっている。(相手は相手で、あれやこれや侵略の正当性を主張して、天国行きは確保しようとする。)イエスがダンテの『神曲』を読んだら、きっとビックリしたに違いない。「死後の世界って、死んだ悪人に報復する世界だったのか……」
 これに対して『ネクロポリス』は、死んでしまえばすべてが許される世界だ、というか許す神も裁判官もいない世界なのだ。当然、地獄も煉獄も天国もない。あえて言えば、『神曲』で言うところの「辺獄」(キリスト以前の人間など洗礼の恵みを受けなかった者が、呵責こそないものの希望なく永遠に時を過ごす場)に似ている。もちろん運命の女神はいるが、彼女はあくまで下界の人口調節を担う釣り師で、時たま釣り糸を垂れて、獲物をあの世に釣り上げているのである。
 現世は鴨長明の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という無常の世界だが、あの世の『ネクロポリス』は河のどん詰まりの大きな水溜りで、水の出口がないから、じわじわ平面的に広がっていく世界だ。河のような流れはなく、時も止まっているように見える(なんちゃって相対性理論)。ここには天国などなく、死者たちの目的も失せている。彼らは一つの場所に止まろうが徘徊しようが自由である。目的がなければ、導く者も邪魔をする者もいない。主人公の老人はオデュッセウスのように漂泊することを選び、いろんな死者たちに出会うのである。
 現世では常に「無常の悲しみ」が通奏低音として流れている。若い頃は超美人でも、齢を重ねれば誰も振り向かなくなる。愛する子供を事故で失ったりもする。人々はそれらを忘れようと、いろんなことに金を使い楽しもうとするだろう。老人たちは「幸せな老後だ」と思い込んだり、過去の良い思い出に浸るだろう。
 しかし、ゆく河のどん詰まりであるネクロポリスでは「無常」も消えてなくなり、流れのない澱んだ永遠が口を開けている。そこには「無常」に組み込まれていた「幸せ」も「楽しみ」もない。そこにあるのは「永遠の悲しみ」だけだ。人々は死んだときの状態で投げ出されるため、程度の差こそあれ、すべての霊魂に悲しみが染み付いているのだ。生前辛かった人間は、その悲しみを背負い込んでやってくる。家族に看取られ、幸せの中に死んでいった者も、別離の悲しみを背負ってやってくる。霊魂たちはそれぞれの悲しみとともに円盤状に広がる無限宇宙をさまよい続けるのだ。この作品では、二十歳前に飛行士として戦争を体験した老人を主人公とし、詩の内容も「戦争」に偏っていることは否めない。
 オデュッセウスをはじめ、シューベルトの『冬の旅』でも、ワーグナーの『さまよえるオランダ人』でも、あるいは『道』のジェルソミーナでも、さまよう人々には悲しみが付きまとう。彼らは、イデアの中にあって地上ではいまいちつかみどころのない「愛」を求めてさまよい続ける。もちろんドン・ファンカサノバティル・オイレンシュピーゲルのように、快楽やスリルを楽しむための放浪もあるけれど……。


響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。


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