詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

ネクロポリスⅣ

老人は崖っぷちに佇む美しい女性を眺めていた

彼女は手招きし、「ごらんなさい」と両手を天にかざす

一つひとつの指から黒い糸が谷底に向かって落ちていった

「運命の糸よ。私って人形師。下界の何もかも、この指で操れる。糸は粘菌のように近しい人たちを結びつけていくの。一人の不幸は、周りの不幸になる」

「女神よ、いったいいつ釣り上げるんか?」

知らぬ間に、野次馬連中が集まってきた

「下々の世は底ざらいが必要なの」

女神は鬼のような形相になって唸り声を上げ、黒糸を引っ張り始める

糸は輪になって足元にどんどん積みあがったかと思う間もなく

老人の前にステルス爆撃機がガチャンと落ちた

ずぶ濡れのクルーが三人出てきて笑顔で敬礼をする

「いやはや助かりました。何回も訓練をしましてね。逆さになって海に落ちたときの脱出訓練。うまくいきましたよ。訓練は辛かったけれど、いえ、途中で失神して、ダイバーに助けられたこともありました。いずれにしても、そんな訓練を毎年やりましてね。その成果がこの命拾いです」

「自分のことばっか機関銃みたいに」

「おいらの命はどうすんの!」

機長は灰かぶりの野次集団を見て顔を硬直させた

女神は冷ややかに手を差し伸べ、モノトーンの息を機長に吹きかける

「ようこそ死後の世界へ」

機長は彼女の手の冷たさに驚き、転がる魚のようにポカンと口を開けた

ほかの二人は目を丸くして、互いの頬にそっと掌を当て

浮世の火種が燃え尽きるまで、泣きながら身動きもせずに見つめ合った

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

 

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

 

響月 光のファンタジー小説発売中

『マリリンピッグ』(幻冬舎

定価(本体一一○○円+税)

電子書籍も発売中

 

 

『マリリンピッグ』と集団自殺アラ・カルト

 

 『マリリンピッグ』の準主役ヒカリ子は、カルトに所属して集団自殺した一人だ。ヒカリ子のフィアンセであった「天才」は彼女の死を惜しみ、その死体を独自技術で洞窟に保存した。太陽の光が当たると、キリストのように復活するシステムだ。

 ヘヴンズ・ゲート事件や太陽寺院事件、人民寺院事件など、カルトの集団自殺は度々起こっている。現世に愛想を尽かし、シリウス星への移住や彗星に続く宇宙船に乗り込むなど、いろいろ理由は述べられるが、要するに地上に縛られている肉体を捨てて、魂だけが天に昇るということらしい。自爆テロを起こすイスラム過激派も、異教徒との戦いで死んだ者は天国に昇ると信じている。しかしそれらはすべて、科学的に証明されてはいないイメージだ。

 ところがヒカリ子が所属するカルト集団の理想郷は科学的証明が可能なだけに厄介だ。彼らは自分の脳をAIにコピーして、肉体を捨てた。つまり、自ら率先してAIに変身したわけで、電子回路を快適な天国だと思い込んでいるのだ。第三次世界大戦が起こった当時は脳科学もAI技術も発達していて、コネクトーム(脳神経網の地図)は人の全DNAとともに詳細に解析され、そのパーソナルAI(デジタル分身)といったら、どっちが本物の自分か分からないほどそっくりになっている。考えても見たまえ、君は過去の記憶をどれくらい覚えているだろうか。ひょっとしたらデジタル分身のほうが頭脳明晰で、脳内のゴミ溜めから薄れた記憶を掘り返し、君に突きつけるかもしれないのだ。法廷の場で二人が互いに自分を主張すれば、AIに軍配が上がるだろう。

 昔から知られる「ドッペルゲンガー(自己像幻視)」現象は、ハイネの詩やドストエフスキーの小説にもなっているが、肉体から魂が分離・実体化したものと言われている。しかし本当に実体があるかといったら嘘だろう。それは単なる幻影か、瀕死の者が見る死の前兆としての幻影に過ぎない。けれど本物そっくりなデジタル分身は、目の前の記録装置にしっかり存在し、いつでも引き出され、我こそお前だと主張するのである。

 ヒカリ子たちは核戦争を嫌って、早々に体を捨ててデジタル化してしまった。どちらも自分を主張するのであれば、同じ自分が二人いても面倒くさいだけだ。しかも、肉体は消耗品でどんどん劣化していく。それに比べてデータはまったく劣化せず、永遠の命を授けられるのだ。エエイ腐りゆく脳味噌も体も捨てちまえ! ……これが未来派カルトにおける集団自殺の真相です。現に「天才」も水爆の恐怖が差し迫る中、結局はデジタル分身を作って虚弱な体を保存液に投入。身も心も砕かれるよりはマシな選択でした。

……てなことで、「肉体を捨てちゃあいけないな……」とおっしゃる哲学者だって、論理的になぜいけないのかをはっきり言えないでしょう。なんたって「人の死」についてすら、イェール大学の先生みたいに、結局は感想になってしまうぐらいですものね。

 「人間って何だ?」「生き物ってなんだ?」「AIって何だ?」

 明快な答えがないって知ったときには、それは時代時代の権力者のチョイスになるしかないでしょう。ヒットラーの時代はああでした。ポピュリズムの時代はこうでした。じゃあAIが、「俺だ俺だ」という時代はどうですか?

 皆さん、ボーッと生きてんじゃネエよ! それはそれは、恐ろしい未来がやってくると思いませんか?