詩人の部屋 響月光

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エッセー 「 首狩りについて」& 詩

エッセー

首狩りについて

 

 いまの日本と台湾は友好的な関係を結んでいるが、台湾人であるウェイ・ダーション監督の映画に、2011年のベネチア映画祭に参加した『セデック・バレ』という映画がある。日本の台湾統治時代に起こった「霧社事件」という抗日暴動(1930年)を取り上げた作品だ。先住民族のセデック族が警察官とのトラブルから蜂起して、運動会中の日本人(婦女子を含め)130人ほどが首を刎ねられ、反乱は始まった。日本軍と日本警察がセデック族を多数殺害して二カ月ほどで鎮圧し、このとき毒ガスが使われたという話もある。

 

 以前の台湾は漢人が支配していたが、大日本帝国漢人を追い払うことによって植民地支配が可能になった。しかし山岳部には昔から互いにけん制し合う複数の先住部族が存在し、喧嘩を繰り返していた。そこで駐在所をたくさん配置して多くの警察官を送り込み、彼らをコントロールすることにした。日本人は「生蕃(野蛮な原住民)」という言葉を使って彼らを軽蔑し、建設工事への強制徴用や不当低賃金など、奴隷扱いをするようになった。植民地政策では生蕃を日本人としたが、それはあくまで名目上のもので、中国でも韓国でも台湾でも、支配下の現地人は「なんちゃって日本人」であったわけだ。いまでもロシア支配下ウクライナ人は「なんちゃってロシア人」として扱われているのだろう。

 

 日本人の多くはセデック族を「野蛮人」だと思っていたが、それは彼らに「首狩り」の風習があったからだ。そのため日本政府は邦人化の一環として、この悪習を禁止した。しかし彼らの文化には「敵の首を狩ったものが一人前」という考えがあり、男が立派に成人するための通過儀礼のようなものだった。どうやら日本人は、敵を打ち(撃ち)殺す行為と敵の首を狩る行為には文明上の大きな隔たりがあると思ったようで、セデックの雄々しい誇れる習慣を壊してしまったわけだ。しかし太平洋諸島だけでなく、世界中に男たちの「首狩り」風習は存在した。僕は若い頃、上野の国立博物館で、南米の首狩り族の作品(頭骸骨を抜き、乾燥させて小さくなった生首)が並べられているのを見て驚愕したことがある。当時は怖いもの見たさの客を誘因するために広告掲示までされていたが、いまでは作品共々お蔵入りになっている。時代が変わったと言うべきだろう。

 

 日本でも、つい最近の江戸時代まで、小塚原刑場や鈴ヶ森刑場では罪人の首が切り落とされ、さらし首になっていた。戦国時代には農民たちも積極的に武将の首を刈り、首実検で敵将の首級と認められると報奨金を貰うことができた。明治時代に入ると欧米文化の影響で首を並べることは無くなったが、フランスでは1939年までギロチンで首を刎ねる公開処刑が行われていた(その後も非公開で行われ1981年に死刑廃止)。元々ギロチンは「フランス革命」で死刑囚の苦痛を和らげる名目で採用されたが、公開処刑について言えば、現在でも世情が不安定になると支配者は恐怖政治に走るから、世界のどこかで見せしめとして残っている。

 

 首というのは、人間の五体の中で個人を判断する上の証拠となるもので、いわば個人そのものの象徴的部位だ。人は他人を体で判断することはできず、首で誰だか判断している。オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』では生首を、愛する相手の象徴として扱っている。ユダヤの王女サロメは、囚われの予言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)に一目惚れして愛を迫るが、にべもなく拒絶される。彼女はどうしても彼に口づけしたいと願い、義父のヘロデ王に殺害を唆して首を貰い受ける。ヨカナーンの首が銀の皿に乗って来ると、血塗られた唇に接吻し、愛する男の唇を奪ったことに満足する。ヘロデ王は娘の異常な振舞いを恐れ、部下に命じて彼女を殺させる。しかし愛を所有の一形態だと考えれば、サロメの狂気は過剰な所有欲の一形態だと捕らえることもできるだろう。1936年に起こった阿部定事件では、定が愛人と性交中に相手の性的要望に応じて首を絞めながら、力が過ぎて殺してしまい、未練のあまりに相手の性器を切り取って大切に持ち歩いた。これも切ない愛の過剰な所有欲の一形態で、そのときの象徴は首ではなく、エクスタシーの象徴たるポータブルな性器だった。

 

 しかし愛の裏には憎があるように、首や性器が愛の象徴だとするなら、それは憎しみの象徴にもなり得る。愛が所有の一形態なら、憎しみも所有の一形態だからだ。恐らく、飽きも所有の一形態なのだろう。子供は親から買ってもらった玩具を、飽きるとたちまち壊し始める。アン・ブーリンは、ヘンリー八世に飽きられ結婚1000日後に斬首された。人間の行動が基本的に我欲をエネルギー源にしている限り、人間の究極の目的は万物を自分の所有下に置くことなのだ。歴史上の多くの王様が、それを目指してしのぎを削ってきた。例えば髑髏盃は、憎き敵王を成敗した記念として、その首の一部である頭蓋骨を盃に加工して晩酌に使うもので、世界各地の歴史書に書かれている。日本でも、織田信長浅井長政などの髑髏盃を作らせたり、水戸の黄門様がコレクションしていたとの話がある。

 

 当然のことだが、それは下々の民でも変わらない。敵の首を狩ることは、敵を自分の所有下に置くことだ。恋敵の性器を破損することは、恋敵を不能にして自分の精神的所有下に置くことだ。結果として敵も恋敵も、自分の足元にひれ伏すことになるわけだ。王様が妃の元彼を殺すことはあったし、巷でも恋敵の性器を蹴り上げて玉を潰す事件は、良く耳にする。 

 

 首級の場合、部族間にしろ国家間にしろ、戦乱期には多くの仲間や家族を殺されて敵への憎しみを倍加させている。そうした状況では、敵の首は憎しみの象徴となり得るだろう。それは同時に、仲間に自分の実力を示すための象徴としての役割を担っている。平和時において高級時計が金持ちの象徴なら、戦乱時において首級は英雄の象徴というわけだ。巷のおじさんがロレックスをチラつかせるように、戦士が敵の首を腰にぶら下げても不思議ではない。戦いが永続的に続いて、首のコレクションが慣習となっても、それを「野蛮人」と決めつけることはできないわけだ。ブチャの虐殺を見ても分かるように、戦乱期においては全てが野蛮行為なのだから……。

 

 首は、たとえ骨を抜かれてこぶし大に縮小しても、簡単に個人を判別できる代物だ。戦士にとって敵の首が象徴なら、それはいまの兵隊の胸を飾る「勲章」と同じ物ということになる。だから小さくしたり頭の皮を剝いだりして、それらを腰にぶら下げ、俺はこんな豪傑を成敗した、こんなに多くの首を刎ねたと自慢するわけである。それは同時に、戦乱時代の象徴的風俗と言える。いまの世界も戦乱時代に入りつつあるが、現に我々が目にしている戦争で、両国の親分が兵隊たちに授与する勲章も、千人以上の敵兵の首を腰にぶら下げることができないから、その象徴として勲章を授与するわけで、我々は戦乱時代の象徴的風俗をキラキラ光るメダルに代替して目にしていることになる。親分は、御国のために身を挺して戦ってくれたことを感謝するわけだが、ぶっちゃけた話「多くの敵を殺してくれてありがとう」ということになる。

 

 こうして考えると、首狩りの習俗は野蛮な行為ではなく、野蛮の一症状に過ぎないことになる。それは殺戮の象徴にはなり得るが、野蛮な行為そのものではない。野蛮な行為とは、「人を殺す行為」そのものなのだ。つまり首を狩り取る前に相手の心臓を停止させる行為が野蛮なのだ(人殺し以外にも、怪我をさせたり人の精神を殺すなどの野蛮な行為は色々あるし、安楽死などの難しい問題もあるだろうが、ここでは言及しない)。ならば首狩り族が野蛮人とされるなら、戦争中の兵隊も野蛮人にしなければならない、…ということは、死刑制度も野蛮な行為の一つであるのは確かだ。刑法も裁判官も処刑場も、人を殺すことにおいては野蛮な行為を運営していることになる。人は神ではなく、それを取り巻く環境が様々な価値観(偏見)の錯綜する人間界であるかぎり、正義の女神の代理人たる裁判官の判断で罪人を殺す行為は、「首狩り」を野蛮であると決め付けるような感情的・人間的な心象に左右されているからだ。だから、殺人犯が情状酌量で刑を軽くされるのなら、それは裁判官の偏見であったかも知れないし、残虐な殺人を犯して死刑を宣告された場合でも、同じく裁判官の偏見かも知れないわけだ。ならば、司法の判断で決まる死刑制度は即刻廃止すべきだろう。裁判官の心象で死刑判決が出るのなら、せめて終身刑に止めるべきだと思う。

 

 殺人においては、いかなる理由があるにせよ、それは野蛮な行為だと言えるだろう。現在、地球のあちこちで殺戮が繰り返されているのだから、それらは古来から継続している野蛮行為と断言できるし、どんな殺され方をされようが、殺した人間が時の政府から表彰されようが、それらは認められる行為ではないということになる。人の命に軽い命、重い命があろうはずはない。相手がどんな悪人でも、「成敗する」という言葉が生き続ける限り、世界に平和は訪れないだろう。悪人だって、場所が変われば英雄として崇められるのが現実世界だ。ヒトラーを崇める人々が、世界中にいるではないか……。それならば、世界中の人々の感性が纏まって、「野蛮」に対する統一したイメージを持てたときに始めて、きっと恐らく、この世から諍いや戦争が一掃されるはずだ。その時が来るまで、「野蛮人」という蔑称が死語になることはないだろう。いまのところ、全ての人間が大なり小なり「野蛮人」なのだから……。

 

 

 


WATERMARK

 

水が無くては生きていけないなら
水は命そのものだ
水が無くては干からびてしまうのなら
水は人生そのものだ
水は地底の闇の中から
この星の悲しい涙のように湧き出てきて
穢れなき透明さで小さな傷痕に蟠り
一筋の涙となって溢れ出たのだ
そして私は二つの針穴の窪みに涙を溜めながら
地上の眩しさに泣き出したあと
手足をバタバタと抗いながら
溢れ出る小川に放り込まれたのだ

 

岸に這い上がる力も無いままに
水に浮かんで流れに身を任せ
昔、魚であったことを思い出し
流れには逆らえないと悟ったろう
人も魚も流木も、流転する万物の片割れだ
私は捥がれた枝のように力なく転がりながら
ひたすら生きるためにしっかり目を見開き
諦めの中で糧となる芥を探し始めたのだ

 

小川がやがて大河となると
流れ込む芥も増えて水は穢れ
私は浮身の惨めさに心を痛めながらも
パクパク口を開けて食らい続け
太々しく膨らみ、土左衛門のように平然と
身も心もともに穢れていったのだ

 

そしていまようやく
目的地のとば口に辿り着き
ラッコのようにぷかぷか浮きながら
呆れるほど空色の大海を眺めている
そこには暗雲の蜃気楼すら見渡せず
地の底から飛び出たときと同じに
私は赤子のような不安で怯えている
水が循環することを願うことすらなく…

 

 

 

 

 

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エッセー「首狩りについて」& 詩|響月 光(きょうげつ こう) 詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。