ネクロポリスⅩⅠ
あてどもない放浪は、広大な塩湖に阻まれた
死の海の畔の岩に、ギリシア風の戦士が腰を掛け
浮き沈みする無数の塩玉を眺めていた
それは赤子の魂のようにまん丸だった
俺は金平糖のように尖っていたのさ……
アテネに滅ぼされた小さな島の大将だよ
あいつらは身勝手なさざ波に無抵抗を選び
我慢しながら少しずつ育ってきた
俺たちはプライドを背負ってここに来て
息子たちの魂を眺めている
あいつらはここで、真珠のように光っている
世の中から戦争を無くす方法を教えてあげよう
人が物を奪った場合、見て見ぬ振りをすることだ
人が物をくれとねだったら、全部を与えてしまうことだ
人が自分の土地に家を建てたら、自分が出て行くことだ
人が自分の頬を叩いたら、もう一方の頬を差し出すことだ
それでも気がすまないというなら、気の済むまで殴ってもらうことだ
失ってしまっては生きていけないその馬鹿げたプライド
それすらも欲しいというなら、目の前で潰して丸めてあげることだ
生きる意欲が無くなってしまったら、死んでしまえばいい
徹底的に吸い取られ、空気のようになってしまうことだ
お前の魂は、じりじりと焼かれた砂漠の上昇気流に乗って霞となり
いつのまにか世界から忘れ去られてしまうだろう
確かにこれは、お前の夢みる平和ではない
しかし死は、まったく戦争のない平和な世界だ
響月 光(きょうげつ こう)
詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。
響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体一一〇〇円+税)
電子書籍も発売中
世にも不愉快な物語
恐るべきリケジョたちⅢ
そしていよいよ最終組の手術が行われ、無事終了。二人は無菌室で五日間養生したあと、首まである分厚いガウンを着せられてホールに戻され、呆然とした。出迎えた連中は全員ふんどし姿。しかも顔から爪先まで緑と肌色のチェック模様になっている。特に顔は、両目の周りがひし形のブチになっていて、まさにピエロ状態。
「なんだよお前ら、みっとも悪い恰好して」
タコは思わずふき出したが、連中はひどく憂鬱そうな目つきでタコを見返し、なにもしゃべらなかった。モナが二人の着ているガウンを次々に剥ぐと、二人とも同じ模様になっていたのにはさらにビックリだ。ミドリとマコがニコニコしながらやってきた。
マコは二人の体をくまなく見ながら、「光合成皮膚は完璧に定着しましたね」とつぶやいた。
「先生、チェック模様はないだろ。チェスでもするつもりかよ」とタコが怒っていうと、マコは平気な顔で「いずれは新しい皮膚が育って、いっぽうの色に統一されますわ」と答える。
「どっちの色だよ」とモツ。
「もちろん緑色ですわ。緑は葉緑素の色です。だって、葉緑素がなければ光合成はできませんもの」
ミドリがいった。
「まいったな。緑色になっちまったぜ!」
タコは吐き捨てるようにいって、「もとの体に戻してくれよ」と食ってかかる。
「それは困りますわ。だって、契約なさったんですし、契約書にも書かれています。まさか、契約書を読んでらっしゃらない?」
「あんな長ったらしいもの、読めるかよ!」
すると、二人を除く仲間たち全員がゲラゲラとわらい出した。
「あきらめろよ。俺たちゃ契約書にサインしちまったんだからな」とトラ。
「そうさ、俺たちとおんなじ文句を繰り返してもむださ。俺たちも最初は食ってかかったが、いまじゃもうあきらめが付いたんだ。まさかあんた、これから就職活動しようってわけじゃないだろ。世の中の人間が気味悪がったって、アウトサイダーには関係のない話さ。全身にタトゥーを入れたと思えばいい。自分さえ気にならなきゃそれでいいんだ。それによ、光合成が始まりゃ残飯を漁りに出かける面倒も解消さ」
トメはそういって、タコの肩をポンポンと軽く叩いた。タコは一人暮らしが長すぎて、体を触られるのが嫌いだった。カアッと頭に血が上り、肩でトメの手を払いのけた。血が上ると普段はユデタコ状態になるはずの顔だが、なぜか旧皮膚部分は緑に染まり、移植部分は黒緑になった。
「もう、ひもじい思いをすることはありませんわ」
医者のマコは動じることなく、すました顔して説得する。それがますますタコの癇にさわった。
「とにかくこんなみっともないのはいやなんだ。おいモツ、お前も同じだろ?」
「うん、まあ、基本的にはいやだけどな。しかし……」とモツは言葉を濁す。
「なんだよ、こんなんが好きなのかよ」
「そりゃ、こんな色で外へ出るのはいやさ。ダンボールの中でずっといるわけにもいかねえしな。光合成ってえのは、日向ぼっこしなきゃだめなんだろ?」
「陽に当たることは必要ですね」とミドリ。
「陽に当たれば当たるほど、満腹感が得られます」とマコ。
「でも、あの河原に戻る必要はありませんわ」
そういって、ミドリは優しい眼差しをタコに向けた。
「じゃあ、どこに行きゃいいんだよ」
タコは睨みつけるような視線でミドリに応戦した。
「ずっとここにいていいんです。ここに根を生やしてください。枯れるまでここにいていいんですよ。ここで思う存分枝を広げて暮らしてください」
「そりゃどういうことだい。ここは養老院かよ」
「いいえ、研究所です。だから、あなたたちを観察する必要があるんです。あなたたちは新人類を創造するための貴重な資料です。ずっといてくれなくては困るんです。それも契約書には書いてありますけど――」
「契約書なんか読んでないっちゅうの! しかし、なんだ。死ぬまでメシも食えるし、酒も飲めるってわけだな?」
「ええ、それはお約束します。食べたければいつでも食べられるし、飲みたければいつでも飲めますわ。でも光合成が始まれば、空腹になることもありませんけどね」
「おいら、やっぱりこのままでいいぜ。ダンボールの家よか、ここのがよっぽど快適だからな。体が緑になったって、ここにいりゃ困ることもねえさ」とモツ。
頭に上っていた血が徐々に落ちてくるにつけタコは落ち着きを取り戻し、その脳裏には凍てつく冬の寒さとうだるような夏の暑さが浮かんできた。寒い明け方に目を覚まして、残飯を漁りに街まで出ていく光景を思い出した。あれは生き地獄だ。古新聞をクチャクチャに丸めてボロ着の中に詰め込み、まるで宇宙遊泳をしているような膨れた恰好でフラフラと歩いていく。磨り減った靴底では凍った道路は滑りやすく、ツルリとすべって尻をしたたか打ち、袖口から新聞玉が二、三個転がり出る。そいつをまるでオムスビのように大事に拾って元の場所に詰め込み、湯煙のようなため息をつきながら立ち上がって再び歩きはじめる。「嗚呼俺は、なんでこんなんなっちまったんだ」と毒づきながら、そいつを怒りに変えてグリコーゲンをふりしぼり、一歩一歩足を進めていく。いつのまにか、タコの目から大粒の涙が流れ出てきた。ワンワンと泣き出したからほかの実験台はみんな驚いたが、先生二人はきわめて冷静だった。
「安心してください。私たちはずっと一緒ですわ」とミドリ。
「もうずっと、ひもじい思いをすることはありませんわ」とマコ。
「本当だな。ウソじゃないんだな。俺たちは家族なんだな」
タコは「家族」という言葉を口に出したのがひどく恥ずかしくなって、より一層顔を黒くさせた。
「私たちはみんな家族ですわ。一〇人のオジサマたちと五人の娘たちの大所帯です」
ミドリはそういってタコに近づきハグした。若草の匂いがタコの鼻の穴に入ってきて、後頭部を痺れさせた。嗚呼、葉緑素の爽やかな香りだ。人に体を触られるのが嫌いなタコも、このままずっとハグしていたいような気になって、ふんどしをわずかばかし盛り上がらせた。
(つづく)