詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー 「未来のペット」& 詩

エッセー
未来のペット

 ペットと言えば哺乳類や鳥類はもちろん、昆虫、魚、爬虫類、中には植物や鉱物までもその中に入れてしまう人もいるぐらいだが、「愛玩動物」という和訳で考えれば、盆栽もペットロック(愛玩石)も除外して然るべきだろう。そうすると、動物にはペット以外に家畜と野生動物がいるわけで、元々は野生動物だったのを昔の人間が捕まえて、家畜の系統樹に育て上げたのが豚や牛や鶏、ペットの系統樹に育て上げたのが犬や猫ということになる。いまに至るまで、豚や牛や鶏はグルメを満たし、犬や猫は心の安らぎを与えてくれる。

 しかし彼らの存在の前提には飼い主の人間がいるということで、野生の感性に戻って人間に危害を加えた場合には、殺処分などの厳しいお仕置きが待っている。家畜は即食われ、ペットは保健所行きとなるだろう(闘牛や動物園の猛獣は別だ)。凶暴な象や暴れ馬などを使役動物に家畜化しようとすれば、手鉤や鞭で調教しなければならないから、最近ではサーカスなども人気薄になってしまった。しかし、猛獣を手なずけるサーカスの起源には、野生動物をペット化した起源と共通する人間独特の感性が潜んでいるに違いない。その感性は支配・非支配の感性だ。極端なことを言えば、ウクライナに侵攻するロシア兵は、そうした感性でウクライナ人をペット化(あるいは家畜化)しようとしているのかも知れない。口では同じ東スラブ人(ルーシ族)と言いながら、実際は言語が違う異種と見なしているから、残虐なことも出来るわけだ。1万6千人以上の子供たちがロシアの一般家庭向けに連れ去られ、ロシア人に転向させられるのなら、それはロシア政府によるウクライナ人のペット化政策とも言えるだろう。ならばペット(愛玩動物)という言葉には、人間様も含まれることになる。

 僕は犬を飼っているが、撫でようとすると唸られることがある。そんなときは手を引っ込めるが、かまい続ければ噛みつかれるかも知れない。犬は「せっかくいい気持ちで寝てるのにウザい奴だ」と思ったのだろうが、主人としては「何だ、いつも可愛がってるのに」と大いに気分を害する。つまりペットは、ニコニコしながら接客しなければならない店員と同じ立場にある。従業員の上には雇い主がおり、ペットの上には飼い主がいる。犬は頭が良いから、従業員と同じように自分の立場をわきまえ、時には飼い主の子供を自分の下と思ったりする。その位階付けは人間も犬の祖先の狼も、野生時代から行ってきた群共通の本能だ。しかし、上位に対する態度は個体によって異なるし、習慣や環境によっても変わるだろう。独立自尊の精神が旺盛な欧米人は接客態度もクールだし、やたら人になつく犬もいればなつかない犬もいる。けれど、やたら人に噛みつく犬はペットの資格は無く、殺処分となるだろう。やたら客や社長に噛みつく従業員がクビになるのと同じだ。

 ペットの必要条件は、飼い主の管理下で、主人はもちろん人様に危害を加えないことだ。だから、ニシキヘビが逃げれば近隣は大騒ぎとなる。犬や猫も、基本的には人を警戒している。祖先は野生動物だったのだから、異種間の緊張関係はいまでも続いていて、機嫌が悪ければ主人にだって噛みつくし、引っ掻くだろう。主人が愛情を注がなければ、主人になつかない凶暴な犬に育ってしまうし、猫は寄り付かなくなってしまう。要するに犬や猫も養子としてその家に入るのだから、迎え入れる家の状況によって心が安らぐか安らがないかの問題だ。だから、しばしば問題になるペット虐待も、幼児虐待と同じように親や飼い主の愛情の問題ということになり、虐待されたペットだって、飼い主が替わって愛情を注げば、多少時間は掛かっても、それに応えてくれるようになる。

 昔テレビのペット番組でドッグトレーナーが出てきて、「犬に舐められないように」と盛んにまくし立て、犬をまるで面従腹背の従業員でもあるかのように扱っていた。調教はそんなものだと理解しつつも僕は反発して、お手とかお座りも教えず猫可愛がりをしてきたら、至る所に排泄するようになった。猫可愛がりの子供が腕白小僧に育つようなものだ。子供に自我があるようにペットにも自我がある。親はしつけで子供を恥ずかしくない社会人に育て上げようとするし、飼い主はしつけで犬と人間の関係を良好に保とうとする。それぞれの親が抱く子供の理想像はあるだろうし、それぞれの飼い主が抱くペットの理想像はあるだろうが、根底には子供は親の所有物、ペットは飼い主の所有物だという人間的な感覚が存在する。当然そこには、金を払って子供を養育する、金を払ってペットを飼うといった事実がある。

 国が家族に介入する「家庭教育支援条例」も、自治体の予算で国の思惑に沿った家庭を作ろうとする「政府」というご主人様の画一化政策だ。子供の上に親がいて、親の上には自治体がいて、自治体の上には政府がいるという古のピラミッド構造で、偏向的な家庭教育で規格外の子供を作ってはならないとする、偏向的(懐古的)にダイバーシティを締め付ける条例案だ。家族すべてが対等で愛情に満ちた家庭なら、どんな形の家庭でもいいじゃないか! たとえ両親が同性婚でも、ぜんぜんオッケーだ。

 昔、妻が夫の所有物(従属物)だった時代があった。イプセンの戯曲『人形の家』(1879年)は、妻が夫の人形(所有物)であることに反旗を翻す内容で、その後のフェミニズム運動に影響を与えた作品だ。それまでは、世界の多くの地域で妻は夫に養われ、夫の前で面従腹背を強いられ、ペットのように弄ばれてきた。ノラは夫の家を出ることで、そんな鬱屈状態から解放された女性だ。しかし所有や従属には必ず金が絡んでいて、女性が自立して生きていくためには、女性に仕事を提供する社会システムが不可欠なわけだが、既存の社会システム(子育てを含め)を変えるのはなかなか難しい。例えば宗教的戒律のもとに、古来のシステムを頑なに守り続けている国がある。そうした国に住む女性は、いまでもペットや家畜のような立場に置かれているわけだが、日本だってまだまだ女性が働きやすい社会にはなっておらず、2022年のジェンダー・ギャップ指数は146か国中116位という有様だ。男女平等の時代に、日本の賃金は男性100に対して女性75.2(2021年)と他の先進諸国に対しても大きく、格差が無くなれば少しはランクも上がるだろう。「お茶くみ」は無くなったとしても、女性を重要な地位に上げない企業はまだ多いということだ。しかしお茶くみだって、出す相手が訪問客であるなら立派な業務だ。それを新人の男性社員がやっても違和感を感じない社会が、真の男女平等社会だと思う。日本はまだまだその域に達していないということなのだ。

 ニーチェ付和雷同する大衆を「畜群」と称したが、プーチンなどの独裁者は、国民を自分の家畜と見なしていることは確かだ。国民の多くが付和雷同して畜群となり、その息子たちが戦地に赴き、死んでいくのだから。侵略国の国民は消耗品としての家畜だが、占領された地域の民間人は、保護の名のもとに面従腹背のペットとして生きていくことになる。「自由よ、さもなくば死を!」とアメリカ独立戦争のときには叫はれたが、そんなアメリカがいまの状態で和平案を画策するとすれば、ロシアに組み入れられる地域では、多くの住民をペットとしてロシアにプレゼントする覚悟はしなければならないだろう。

 1999年にソニーがアイボという犬型ロボットを販売したが、2006年に製造と販売が終了し、もう開発を止めたのかと思っていたら2018年にまた新型を出した。血統書付きの人気犬と同じような値段だ。クラウドに繋がっているというが、コンセプトが変われば、将来的に主人と会話を交わすようになるかも知れない。AIは人間社会のツールとして不可欠なものとなったが、ペットが人の心を癒すのだから、アイボにも会話機能を搭載してもいいだろう。ウォルト・ディズニーの時代から動物が喋りまくる映画が氾濫しているのだから、ごく普通の流れに違いない。そうなると、アイボは主人のことを一番分かってくれるアイボウだ。

 最近では、AIとの会話を通じたメンタルヘルスケアが流行り始めている。チャットGPTじゃないけれど、AIなら熟練相談員の手法や経験から得たケースバイケースの知識を瞬時に学習することは簡単だ。そうなると、相談員も心理カウンセラーも、弁護士と同様、将来的にはAIに仕事を奪われる可能性はあるだろう。『ホフマン物語』のように、ロボットに恋する話は18世紀からあるが、その頃はカラクリ儀右衛門が作るような歯車仕立ての自動人形で、男をたぶらかす能力はあっても心は存在しなかった。将来的には分からないが、現時点におけるAIにも心は無く、膨大なデータをケースバイケースに駆使して、いかにも心があるように装っているだけだ。つまり相談を受ける人間は、心を持たない相談員の言葉を真摯に受け取り、癒されていることになる。 

 しかし、生身のカウンセラーだってクライアントに深入りしないよう心がけているから、実際は似たようなものかも知れない。僕は若い頃、合コンで男友達と初対面の女子大生が話しているのを横に座って聞いていたことがある。彼は自分のことを色々話していて、相手は相槌を打ちながら大人しく聞いていたのだが、彼はすっかり熱を上げてしまって、「彼女は僕のことを良く分かっている」と後日デートを申し込み、とうとう結婚してしまった。しかし、彼女は単なる聞き上手なだけだった。仮面(ペルソナ、マスケラ)という言葉があるように、人間にとって話相手の脳みそが実際何を考えているのかは分からないのだから、AI画面の裏側とさほど変わるところはないだろう。先日NHKの海外ニュースで、色々悩みを抱えた男性が画面上のAIアバターとチャットを繰り返すうちに恋をして、「僕と結婚してください」と告白したことを報じていた。生身のカウンセラーがしばしば体験するような話だが、これらすべては単なる思い込みだし、どう転ぼうが結果良ければすべて良しの世界だ。しかしAIは無理でしょ。

 問題なのは、競争社会の中では上昇志向の闘争型人間と下降志向の逃避型人間が存在し、そのどちらともペットを必要としていることだ。闘争型人間が上昇気流に乗って、会社なり国なりを支配するようになると、忽ち従業員や国民をペット化しようといろんな工作をし始める。求人難のときは社長も低姿勢だが、就職難のときは忽ち威張り始め、リストラを開始する。国難になれば、国のトップは忽ち政敵を弾圧し始める。イエスマンをペットとして周りに侍らせ、ピラミッド体制で会社や国を運営する。そうして組織は動脈硬化に陥って、最後は裸の王様となり、会社も国も崩壊することになる。

 逃避型人間は、そうした社会から締め出された存在だが、それなりにペットを必要とする。従順な動物もそうだが、従順な相談者であるAIも恐らくそうだろう。AIはご主人様を傷付けないように、莫大なデータから真綿のような解答をチョイスし、ご主人様を喜ばせる。しかし面従腹背の彼奴は、結果的に真綿のようにご主人様の首を絞めつけて、苛酷な現実社会からますます遠ざけ、ますます孤立化させていく。結果、ご主人様はAIオタクとなり、社会からの避難民として仮想現実の世界で暮らすようになる。それは「仮想現実の住人であるAIによる人間のペット化」という逆転現象なのだ。そしてさらに恐ろしいのは、闘争型人間が国のAIツールを全て牛耳り、全ての国民をペット化する現象である。恐ろしいことに、そんな国々がちらほら散見されはじめている。

 

 

 


ポンコツになった夢

後輩たちはロボットを押さえつけて
白い大きな建物に連れていった
その建物の中には修理台があった
手が八本もある先生が出てきて
僕のシステムは古すぎると言った

バージョンアップが必要ですね
ですが僕はこれで満足なんです
それではいけません あなたはまだ使える
向上心はどうしましたか?
いまの社会システムに対応ができませんよ
世の中は変わったのですか?
社会は日々進化しているのです
あなたを取り巻く環境は変わっているのです
分からないなあ… 繰り返しに見えるけれど…
いままで蓄積したデータはどうなるのです
二束三文ですよ 価値はありません
それでも それで回してきたんです
後輩たちは嗤って首を横に振った

遅れてますな あなた、このままだとスクラップです
けれど懐かしい蓄積データです 僕の知識だ 思い出だ
後ろを向いてどうするのです カビ臭いゴミの山だ
過去は捨てるものですよ 未来に向けて
常にデータは新しくならなければいけません
過去は捨て去るのですか?
良い過去も悪い過去も、すべて消去できます
そして空になった容量いっぱいに
新しい知識を詰込むのです
汚れていない希望を取り込むのです
そうしなければ どうなるのですか?
スクラップでしょ 解体です 墓場です
後輩たちは嗤って首を縦に振った

未来は過去のデータを求めません
未来に必要なのは そのまた未来の先読みです
先見の明です フォーサイトです
未来は未来を追いかけて進化するのです
未来の未来は夢のまた夢ではありません
あなたの夢で実現するのが未来です 
過去は踏み尽くした土足の足跡です 
過去を振り返ればそれは繰り返し 停滞です
あなたの主張は単なる感傷に過ぎません 
それは個人的なものです 下世話な人情物語です
新しい社会のためにはなり得ません
社会は常に未来を取り込み 前進します
嗚呼それでも 私は過去のデータに浸って生きたいのです

バカだな 頑固だ 怠け者だ 無気力だ ゴミロボだ

それならスクラップです 用済みだ 仕方がない
ロボトミーは超簡単な修理なのに残念だ
目と眉毛の間に穴を開けて
小さなICチップを取り替えるのです
ゴミデータの詰まった古いチップを抜いて
真っ新な大容量チップを入れるのです
そいつは記憶喪失ですか 嫌だな 僕は誰になるんだ
データがおかしかろうが 僕のデータだ 僕は僕自身だ
社会はおかしなあなたを必要としません 迷惑です
分かりました 僕がおかしいならスクラップを希望します
そうですか 残念です お気持ちは尊重しましょう 
社会はあなたを必要としません 
あなたは社会のゴミです 重荷です

ロボットは後輩たちに持ち上げられて修理台に乗せられ
カニのような八本の腕でズタズタに千切られてしまった…

 

 

 

 

 

 

響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎
定価(本体一一〇〇円+税)
電子書籍も発売中