詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー 「肥満は進化である!」& 詩

エッセー
「肥満」は進化である!

(適応進化の非学問的考察)

 巨大隕石が落ちて恐竜とともに絶滅した海洋生物に、アンモナイトがいる。時代によって形は異なるものの、幾何学的に美しい螺旋構造(対数螺旋)がダ・ヴィンチやガウディなどの芸術にも影響を与えた。しかし一部は螺旋から逸脱したグロテスクな形に進化し、絶滅する後期白亜紀には北太平洋地域で繁栄する。専門家に言わせると、それは末期的な退化ではなく、泳ぎ回る生活を止めて海底生活を選んだ連中が、餌を獲る口を常時上に向けるために取った適応進化だという。適応進化は、生き物の特質が周囲の環境に対応して変化していく現象だ。それぞれが体のバランスを最優先に、いろんな方向に殻を成長させたから螺旋が崩れて不統一になったが、絶滅しなければ徐々に再統一化していき、結果として海底属の標準スタイルができ上がっただろう。きっと美しさは断念してイソギンチャクみたいな姿になり、足をゴカイのように揺らせて小さな魚たちをおびき寄せたに違いない。

 適応進化なら、アンモナイトに限らず世の動物すべてに当てはまる。しかし我々が美しいと思う動物は、魚にしろ獣にしろ、どれもスピード感に満ちている。二足歩行の人間は太古から獲物を獲り逃がしてきたから、逃げ足の速い連中に憧れを抱いただろう。だから海底のカレイやヒラメは、美味いとは思っても美しいとは思わず、水の抵抗を抑えた流線形の回遊魚を美的と思う。魚も鳥も、海や空を自由に舞う連中は美しい。獣の場合も、空気抵抗を抑えたチータやガゼルは、無駄な脂肪や筋肉がなくて美しい。彼らが太れば、たちまちスピードが落ちて死んでしまう。反対にライオンは、獲物を押さえつける必要があるから力士タイプの躯体になり、その分鈍足で餌の獲得率は低くなった。彼らは逞しくても、美しいとは言えないだろう。

 人間は樹上から地上に降り、新しい環境に適応すべく進化してきた。北方で進化してきた連中はそれなりに脂肪を蓄える必要があったから、南方で進化してきた連中よりも鈍足だったに違いない。しかし毛皮を纏うだけの知恵があり、アザラシみたいな体型になる必要もなく、適度の鈍足に留まった。いずれにせよ、チータは体の小ささをカバーするため、ライオンは鈍足をカバーするため、人間はその両方をカバーするため、集団で狩りをしてきたというわけだが、人間だけが槍などの飛び道具を使用できた。

 これは、人間の脳みそが二足歩行のバランス的な助けを借りて肥大化し、四つ足歩行の法則からズレた適応進化を始めたことを意味する。それは結果的に文明を創り、中でも最大のエポックは農耕の開始だったに違いない。彼らは自らの文明で環境を変え、その中で脳も体も進化するようになった。自分が創った環境に適応しながら、自らの形態を変えてきたということだ。その代表的なものに「肥満」がある。農耕によって狩りを放棄した一群は、野山を走り回る必要もなくなり、主食である穀物澱粉の取り過ぎで余分な脂肪を蓄えるようになった。そしてそれは遺伝的な体質にもなった。

 「肥満」という言葉は農耕民族から発せられたものだろうが、これは退化ではなく適応進化の一つなのだ。例えば「鎌状赤血球」は貧血を起こす病気だが、マラリアに感染しにくいことから、かつて流行した地域ではそんな血を持つ人々が一部存在する。これも適応進化だ。肥満の場合、耕作で食糧が豊富になり人口も増えたけれど、最大の脅威は不作で、時たま飢饉が起きて餓死者を出した。しかし脂肪を蓄えた連中は筋肉だけの連中よりも生き残る確率は高かったに違いない。だからそれは体質として代々受け継がれ、水を飲んでも、空気を吸っても太る一族が出現することになる、……ということは「肥満」は農耕社会においては退化現象ではなく、適応進化ということになる。それは来るべき飢饉に備えた体内貯蔵システムなのだ。人間は自らが創造した環境に適応して進化していく。ならば、その環境に適応できずに滅亡すれば、きっとそれは自業自得だ。

 昔、アフリカのどこかで飢饉が起こったとき、ニュースでカソリック系救済団体の司祭と子供たちの集合写真を見たことがある。司祭は超太っていて、子供たちは超ガリガリに痩せていた。僕はその強烈な対比に唖然としたが、飢餓地域における「肥満」は明らかに生き残るための進化形を暗示していた。飽食の国からやってきた司祭と、極貧国の子供たち……。そしてその国の政治家や金持ちたちも痩せてはいなかった。確かに、食糧が豊富な土地では肥満は万病の元で、進化とは言えないだろう。しかし食糧が乏しい土地では、栄養摂取率の高い人間は適応進化型と言える。あるいは一部の金持ちは、自分たちが創り上げた社会環境の中にどっぷり浸かって肥満を維持することができるのだから、それも適応進化と言えるだろう。

 そのように考えれば、ジャガイモ太りの北の人々は、来るべき燃料不足の冬に備えた適応進化と言えるかもしれない。彼らは、飢餓にも寒さにも抵抗力を発揮するに違いない。しかし、話は肥満に留まらない。「農耕」とくれば、次は「産業革命」だ。これ以降、人類は多種多様な機械を生み出し、その機械が生み出した社会環境に自分を合わせる形で適応進化を続けてきたのだから……。つまり天変地異で機械システム(現代システム)が崩壊すれば、多くの人々が祖先帰りできず、本来の抵抗力を発揮できずに死んでいくことになるだろう。

 人間は「適応進化」で脳みそを著しく進化させてきた。ならば、スマホ漬けの子供たちの大脳皮質が薄くなる「スマホ脳」現象はどうだろうか。これを退化と思う人もいるだろうが、僕はきっとこれもIT環境やAI環境の発展に伴った適応進化であって、単純に脳の退化とは断言できないと思っている。元来人間の脳みそは、鈍足かつ虚弱な生き物である自分たちが、厳しい狩猟環境を克服するために適応進化させてきたものだ。そのルーツが獲物の獲得である以上、戦いの遺伝子や異なる群れどうしの敵対遺伝子は連綿と引継がれていき、たとえ農耕社会から派生した穏やかな遺伝子が混じり合ったとしても、基本的な柱が変わることはない。だから、多くの若者たちが熱中・興奮するゲームは、未だにバトル、バトル、バトルの連続だ。

 人間は、これからますますAI環境の中で進化するのだから、昔は自分でやっていた仕事をAIにアウトソーシングして、空いた時間を漫画でも見て楽しく過ごせば良い。周りの環境が人間にとって楽になればなるほど、考えることも苦悩することも少なくなり、それで大脳皮質が薄くなっても、それは外部環境に乗じた人間の「適応進化」で片付けられる。これからAI技術がますます進化して、いずれはシンギュラリティを迎えても、すべての仕事をAI任せにすれば済むわけで、全人類がローマ貴族のように楽しく暮らせばいい。

 仮にAIに支配されていると思っても、適応進化した人間の脳味噌がAIから支配権を取り戻すことはまず不可能で、ならばAIを信じて、その御意思に従い、その慈悲にすがる以外にないだろう。大国が小国を侵略・支配して、大国の王様や貴族が大きな宮殿を造るよりか、AIに支配されるほうがよっぽどマシに思える。少なくともAIは、占領下の人民を搾取して、宮殿や宴会場やハーレムを造ることはないだろう。彼らにはそんな薄っぺらな欲望はありえないと信じよう。それは、薄っぺらな大脳皮質の発火現象に過ぎないのだから……。日本の歴史を振り返れば明らかなように、平安貴族が武士の支配下に置かれても、天皇は象徴として生き残ってきた。きっとAIの支配下でも人間は象徴として生き残り、蹴鞠やゴルフ三昧で楽しく過ごすに違いない。

 もちろん、周囲の環境に対応することが「適応進化」なのだから、対応する必要のない機能はどんどん退化していく。セグウェイのような乗り物が常識になれば、足腰の筋肉は必要がなくなり、退化する。しかし、便利な乗り物を環境の変化ととらえれば、足腰の衰えも「適応進化」の範疇に入れて無視すればいい。健康志向ブームが続く昨今はそんな考えに否定的な人も多いだろうから、ランニングでもして頑なに抵抗すればいい。子供たちの大脳皮質が薄くなろうが、足腰の筋肉が衰えようが、そんなものはAIやセグウェイで十分カバーできるだろう。人間がおバカになっても、闘争本能や戦争本能は連綿と続いているのだから、視点を変えれば昔から大して進化していないとも言える。ひょっとしたら、全然進化していないかもしれない。ならば中途半端な大脳皮質など、悩みの元になるだけだ。

 それよりも、いま考えなければならないことは、恐竜もアンモナイトも隕石の襲来で絶滅した事実なのだ。絶滅前のアンモナイトは、仲間や捕食者との戦いに負けた一部が、海底に生きる場を見出して美形を捨て、グロテスクに進化した。農耕民族は餌の乏しい狩猟に疲れ、澱粉で胃袋を満たす道を選び肥満化した。現代の若者はスマホに熱中して、余分な大脳皮質を軽量化させ、その後の文化を直情型に変えていく。これらの適応進化は外部から地球にやって来た劇的な環境の変化でたやすく消滅するが、いま問題化しているのはそんなことではない。人間が自ら創造してきた環境に、人間自身が適応できなくなってきていることなのだ。

 人間はその誕生以来、自らが地球の環境を変えながらそれに適応進化し、繁栄の歴史を築き上げてきた。しかし、そのどん詰まりに、「温暖化」という自業自得の壁が立ちふさがっている。当然、適応進化でこれを乗り越えることは不可能だろう。人間は利便性を追求するあまり、あまりにも地球環境を変え過ぎてしまったため、後戻りもできずに立往生している状態だ。この状況から脱する方法は二つしかない。薄っぺらな大脳皮質を駆使し、さらなる産業革命で環境を転換するか、あるいは、肉を切らせて骨を断つ気概で退化を開始し、多くの利便性を放棄してがむしゃらに歴史を後退させるか……。

 しかし、きっともう一つの方法が残されている。2045年のシンギュラリティまで何とか我慢すれば、あとはAIの「おまかせ定食」に期待できるかもしれない。AIに支配されても恐れることはない。すでに我々人類はその支配下にあることを知らないだけなのだから……。ならば、すべての責任をAIに押し付ければいい。たとえ残酷な未来が待ち構えていようが、人類がトリアージされようが悲しむことはない。現に我々は毎日のように、残忍な兵隊とAI殺戮隊によるバトル映像を見ながら、ウンザリしているではないか……。人間のいままでやらかしてきたことと、これからAIがやらかすことに大きな差があるわけではない。我々の残忍性は破壊による快楽を伴うが、AIの残忍性は淡々粛々と実行されるだけの違いだろうから……。

 けれど問題は、2045年まで人類は持ちこたえることができるかだ。そこで僕は提言したい。いまから医者のアドバイスを無視して、太る穀物をどんどん食べて肥満遺伝子を醸成し、一族を肥満体質に仕立て上げましょう。これから「温暖化」が加速すれば、地球上で飢餓が蔓延ることは明々白々だ。備えあれば憂いなし。水を飲んでも太る体質さえ創り上げれば、AI救援隊が来るまで、なんとか持ちこたえることができるでしょう。きっと……(希望的観測ですが)。

 



妄想

妄想はやせ細った終末の防寒服さ
塩の洞窟に投げ込まれた枯れ枝
リアス式の心の襞に、嘘っぱちの水晶がへばり付き
それなりに凍てつく風をかわしてくれる
こいつ、死に損ないの老いぼれ
いつからそんなチープな結晶を纏ったのさ
キ奴に守られていると思っちゃいけない
抱え込んで必死に孵そうとしているのか?
老眼鏡で、じっくり透かして見てみろよ
蟻んこの涙や化石になった玉虫の夢色
ムダだね 朽ちたわが子を背負い続けるお猿さん
もうとっくにガラクタ、生き返りはしない
いつの時代のおまま事でしたか…

風車に突進するなんて危ないよ
笑い者もいいところだ
狭い歩幅でゆっくり百八十度回転し
ひとまず夢のまたその先に背を向けて
たまには歩いてきた道を振り返ろうぜ
見渡す限りにおいては
きっとどこまでもどこまでも茨の道
嗚呼道が見えないなら、それがきっと思い出さ
お前の過去は妄想からも消えちまった
何の足跡もありゃしない、だからといって
きっと未来だって見ちゃいけない代物さ
使い慣れした夢の糞袋が山積みだ
夢を糞みたいに出し続けた糞ったれ野郎!

 

戦争

動物たちが仲間と固まり、異種を恐れるように
人間たちも仲間と固まり、異種を恐れている
動物たちが内輪でつるみ、異種を排斥するように
人間たちも内輪でつるみ、異種を排斥している
動物たちが集団で自分の餌場を守るように
人間たちも集団で自分の土地を守っている
いま起こっていることは、動物たちの戦争だ

 

核爆弾

潰れちまった家族は夢の一部だったに過ぎない
吹っ飛んじまった戦友は運が悪かったに過ぎない
逝っちまった恋人は単なる感傷の産物だろう
紙が燃えるようにすべてが灰となり
たった一つ残ったのは案山子のようなお前の身と心
引き潮のように呆然と、怒れる復讐を待っている
嗚呼、お前は人よりも前に無垢な動物であることを…
破れた皮膚から中身を引っ張り出すがいい
そいつはボロボロの布切れに過ぎないが
有史以前からの怨念が染み付く長い長いDNAだ
無数のハエたちが吐き出す反吐にまみれた
耐え難い臭いを放つ惨劇の歴史…
そしてそれが地球規模で始まったとき
怒れる人々は雲散霧消し
歴史は繰り返さなくなるだろう

 

 

 

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