詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー「百毒繚乱」& 詩ほか

エッセー
百毒繚乱

 北国では雪が融け、茶色一色で満たされていた野原のあちらこちらから、黄や緑の淡い色合いが現われ始めてきた。その瑞々しさに胸ときめかす人も多いに違いない。反対に、茶系統の色を綺麗な色と思わないのは、それが死んで枯れた植物の色だからだろう。草の多くが、冬になると水分を吸収する力を失って枯れていく。それは寿命という自然の循環システムだが、気まぐれな天気のせいで干ばつにでもなれば、土台の土からも水分が失われ、冬を待たずに枯れていく。そしてそれらはすべて、潤いのない茶色という汚らしい色調に統一される。

 きっと人間だけでなく、草食動物も肉食動物も、猿や熊のような雑食動物も、茶色を綺麗だとは思わず、緑色を見て胸ときめかすに違いない。緑色は苛酷な冬を凌いだ生命を象徴する色だ。草食動物にも雑食動物にも緑したたる植物たちは生きる糧だし、肉食動物にとってもそこに集う草食動物が糧になる。さらに、草食動物の胃袋に溜まった緑色のお粥は、肉食連中のビタミン剤でもある。そして彼らの仲間が死んだときにも、潤いのある色調が徐々に失われ、最後には干からびた茶色になるのを知っているだろう。茶色はミイラとか、死を象徴する色でもある。

 ならば緑を育む大地の色はどうだろう。土は茶色だと日本人は思っているが、酸化した鉄分のせいなので、鉄分が少ない地域ではきっと灰色になるだろうし、含まれる鉱物によって、黒だとか赤だとか地方ごとにいろんな色があるという話だ。でも、住んでいる人たちは、それをさほど綺麗だとは思わないだろう。草の生えない土は、厳しい環境を意味するから。僕自身、むき出した土の広場や崖を綺麗と思ったことはない。子供の頃はそんな地面で遊んでいたが、泥だらけになって家に帰ると母親に叱られた。広場は毎日子供たちが蹂躙するので硬い土のままだが、普通はすぐに草が生え、緑で覆われる。そして昆虫たちが集まり、それを目当てに小鳥たちが飛んできて、それを狙って野良猫も集まり、たちまち小さな生態系が形成される。

 多くの人が裸の土に違和感があるのは、普通は雑草が生えて緑で覆われるからだ。草が生えないのは、それを阻む何かしらの理由が存在する。寒すぎたり水がなかったり、陽が差さなかったりすれば生えないが、それらに耐性のある植物だったら生えるに違いない。しかし、厳しい気象条件がなくても草がまったく生えないとなれば、人も動物も不気味に思うだろう。普通ではありえないことで、ふだん見ることのない景色を見てしまったことに対して本能的に恐怖を感じる。我々動物は五感を通じて危険を察知する。腐った食べ物は臭いで分かるし、入るべきでない場所は目で判断できる。それらの五感から得る結論は「死」だ。

 そんな場所には死んでしまった土が横たわっている。土にも生死があるのだ。水気のない沙漠は死んだ土だから植物が育たない。植物が生えるには太陽と水だけでなく、土の中で生活するミミズや線虫、菌根菌などの土壌微生物も必要だ。だから沙漠に植樹しても、成長した木が葉っぱを落として、そいつを分解する生き物や微生物がいる循環システムができるまでは、人が面倒を見なければならなくなる。たくさん植樹しても雨が降らなければ、永遠に水を与え続けることになるだろう。

 ところが周囲の土地には植物が生えて、そこだけがずっと赤土だとすると、そいつは不気味な現象になる。誰もがそれを見て、自然の摂理に反すると思う。その土はきっと死んでいて、草はもちろんミミズも微生物も生きていられないということになるからだ。きっと原因のほとんどは毒物だ。例えは火山や温泉地で硫化水素の出るところは独特の硫黄臭がし、「賽の河原」とか「地獄谷」とか呼ばれて観光地になるが、人が訪れるのは、その異様な景色が地獄みたいな不気味さをたたえているからだ。毒気のある湯気で付近の植物は育たないし、近くの小川に魚も棲まず、淀んだ硫化水素でまれに人が死ぬこともある。この毒はウラン鉱の放射能や地下水に含まれる有害な鉱物とともに、自然由来の毒ということになる。

 しかし草が育たない場所に温泉も有毒な天然鉱物の地下水も流れていないとなれば、その原因のほとんどが人由来だろう。誰かがそこに毒物を埋めたか、地下水に毒物を流したか、あるいは化学工場の跡地だったり、付近の工場から近くの川に毒物が流れ込んだりだとか、結局そんな原因に行き着いてしまう。水俣病(水銀)やイタイイタイ病カドミウム)などは、公害訴訟となって世界的にも名を知られたが、土の異常がなくても、水俣病では最初に魚好きの猫がおかしくなり、イタイイタイ病では飼い馬が骨折したり、付近の鉄橋がやたら錆びるなど、不気味な予兆を人々は感じていたという。

 ウクライナのチョルノービリ原発は1986年に爆発したが、木が育たない「赤い森」と呼ばれる汚染地域に最近進攻したロシア軍が塹壕を掘り、土ぼこりを吸い込んだ若い兵士たちが被曝した。これは無知な上官の命令によるものだが、ここら辺の土は微生物が少なく、埋めた遺体も腐らないと噂されている。また、1955年から20年間に及んだベトナム戦争では、ジャングルに潜む敵兵を炙り出そうと米軍は枯葉剤を空中散布し、付近では奇形児の生まれるケースが急増した。

 第二次世界大戦末期、中国大陸から日本軍が撤退するときに化学爆弾を地中に埋めたため、それを知らずに土を掘り返した農民が汚染されるケースも未だにあり、日本政府は処理に追われている。ずいぶんの量を作ったものだ。毒はシェイクスピアの戯曲でもおなじみだが、ヨーロッパでは錬金術の伝統もあり、当時の貴族は敵将を殺すために盛んに研究して化学も進化した。いまでもこの伝統はしっかり引き継がれ、ロシアがウクライナ戦争で使用するのではないかと危惧されている。ロシアは化学兵器禁止条約に加盟しながら陰で作っているらしいし、すでに逃亡スパイや反体制の政治家・ジャーナリストの暗殺に使ったと疑われている。

 こうした毒物の多くは即効性だが、匙加減で遅効性の毒にもなる。硫化水素は猛毒だが微風で飛んでしまうので、地獄谷が観光地として成り立っているわけだ。昔ナポレオンの死因を調べた学者が、骨に溜まったヒ素の量から毒殺説を主張したが、従来どおり胃がん説に落ち着いた。当時のワイン樽はヒ素で洗っていたらしく、ワイン好きのナポレオンの骨にヒ素が溜まっても不思議ではないとの結論だ。でも「和歌山毒カレー事件」にも見られるようにヒ素が猛毒なのは事実で、胃がんになった原因はヒ素かもしれない。

 「薬は毒だ」と言う人がいるが、毒か薬か分からない物質から特効薬が開発されるわけで、当然副作用は付き物だ。それに、猛毒を薄めれば薬になることもある。トリカブトなどは漢方薬に使われるし、ヘビの毒だって、その成分が降圧剤や鎮痛剤に使われたり、手術の際の組織接着剤に使われたりしている。抗がん剤は正常細胞ともどもがん細胞を殺す毒だし、一般的なワクチンは死んだり弱めたりしたウイルスやばい菌を体に入れて免疫細胞を特訓し、これから侵入するだろうウイルスなどに備える薬剤だ。だから抗がん剤もワクチンも人によっては副作用が厳しく、使うか使わないかはご本人の最終判断に委ねられている。

 こうしてみると、人を殺すものも人を救うものも、世の中には多種多様な毒が存在している。殺すことに特化して言えば、即効毒はすぐに分かるから判断しやすいが、問題は遅効性の毒物だ。この種の毒は判断が付きにくく、毒であることを知らずに使って命を縮めてきた時代もあった。それらの多くが個性的な特徴を持っていて、見た目で効くと思われ薬になっている。ヒ素や水銀は古代中国で長寿の秘薬だったし、秦の始皇帝は水銀を長年愛飲し早死にしている。

 古代ローマの水道管は純度の高い鉛で作られ、人々は脳をやられてローマ帝国の文明が滅びたと言われている。しかし、当時の甘味料に鉛が含まれていたからだとか、ワインの醸造鍋に鉛を使っていたからだとか、そもそも彼らの遺骨に鉛が多く含まれていた事実はないと主張する学者もいたりして、真相は分からない。鉛は柔らかくて加工しやすいため、昭和時代には子供たちが塊を手にして遊んでいたし、中には舐めたりかんだりする子供もいた。もっとも、いまの子供たちはもっと危ない道具で遊んでいる。最近「ゲーム脳」という医学用語を聞くが、ゲーム中毒で大脳皮質が薄くなるのなら、スマホだって毒仲間に入れて良さそうだ。

 鉛は白粉に混ぜると伸びが良く、昔の歌舞伎役者は鉛入りの白粉を使っていて、慢性鉛中毒で死んだりした。添加剤の鉛が禁止されたのは1934年のことだったという。水道管に戻れば、資金不足の水道局は今でも部分的に古い鉛管を使っていたりする。WHOのガイドラインに適合しているから安全だと主張するものの、僕は「ガイドライン」という言葉を信じていないので気味が悪い。このラインはご都合主義で上下するし、同じ事柄に対しても専門機関によって基準が異なるし、毒に対する感受性は人によってまちまちだ。コロナの重傷者基準が国と東京都で違っていたのを見れば分かるだろう。

 福島原発事故の汚染水放出問題だって、結局は「毒をどれくらい海で薄めれば安全になるか」ってなガイドラインに行き着いてしまう。漁民が反対したって、いずれは我慢できなくなって小便小僧みたいに無理やり放出するだろうが、安全といったって即効毒が遅効毒になるだけの話だ。空手漫画では敵の肝臓と脾臓の急所を突けば三年後に死ぬ技があったりしたが、毒物の世界でも一年殺し、三年殺し、十年殺し、二十年殺しなどなど、いったい何年殺しまで延長させれば、安全基準に適合するのかはお釈迦様でも知らんぜよ(古い表現ですが)。

 巷に出回っている健康食品だって、ひょっとしたらボディーブローのように寿命を縮めているかもしれない。いろんな医療団体のホームページを開くと、葉酸などのビタミン類、アミノ酸などを摂り過ぎるとがんになる、なんて怖い話を載せていたりする。大豆のイソフラボンを摂り過ぎると認知症になる、なんて話も最近ある。健康になろうと思って金を使い、いろいろ試してみても却って命を縮めるんじゃ、普通の食生活だけを続けたほうがよっぽど増しだ、と思ってもそうは問屋が許さない。薬問屋を金銭的に支えているのは健康志向の方々ですから。

 いまの時代、物流は世界規模なので食い物も世界中からやってくるから、農作物にはいろんな防虫剤やポストハーベスト農薬が降りかかっているし、お菓子にはいろんな発色剤や防腐剤、合成甘味料も添加されている。これらの多くは天然素材じゃなく、石油などから作る合成化学物質だ。日本はEUやアメリカほど厳しくないので、海外で禁止された化学薬品が日本では規制の対象になっていなかったりする。たとえば人工甘味料アスパルテームアメリカで禁止されたし、防腐剤の臭素酸カリウムはEUで禁止されている。皆さんも、かびないパンを見て気味が悪いと思ったことありません?(会社名は出しません)

 高邁な人は、高価な無農薬野菜を買ったり、地産地消で防腐剤の入っていない食品を食べたり、中には自給自足を楽しむ人もいるが、そのベースとなる畑だって昔と同じ自然の土だと思ったら大間違い。空気も水も地球を循環しているし、その中には石油・天然ガス由来の毒物や原発事故由来の放射性物質が紛れ込んでいるから、土壌だけが純であり続けるわけにはいかない。江戸時代の人々は地産地消が基本的な生活だったろうが、いまの人間は世界経済や世界物流といったグローバル・システムに組み込まれちまっていて、その欲望もグローバル・スタンダードに統一され、古の食生活に戻ることはほぼ不可能だ。

 世界規模の食品流通システムの中で、やれ本場フランスのワインだ、やれ本場ドイツのソーセージだ、などと嬉しがって飲んだり食ったりしながら、一緒に防腐剤の亜硫酸や亜硝酸を味わっている。昔、「毒女・毒男」という差別用語があったが、いまの人間は地球上に循環する毒を体内に蓄積し、毒人間としてそれなりの耐性を付けながらも、老年期にはがんを発症して、三十年殺しの憂き目に合っている。そんなことになるまいと、高邁な人は必死に抵抗を試みても、地球の生態系や地球循環システムが隅から隅まで化学毒に汚染されているのだから、無駄な抵抗はやめたまえ。未来の地質学者が現代の地層を調べれば、マイクロ・プラスチックを始めとする多種多様な毒を発見して、「毒新世」時代とでも名付けるだろう。いや、すでに「人新世」と名付けられていたかしら……。

 「人新世」という地質年代区分の新造語は、いまの「完新世」時代に割り込む形で提唱され、地質学以外の学問分野でも注目されている。人間の活動が、火山の大噴火や小惑星の衝突と同じように地質学的な変化を残しているとされ、地質学者に言わせるとそれは1950年前後から始まったらしい。20世紀後半から人間活動が爆発的に増大し、二酸化炭素やメタンガス、フロンの大気中濃度が上がって、気候温暖化や成層圏のオゾン破壊、海洋酸性化、森林減少など地球環境に甚大な影響を及ぼしているのだから、いまは一万年前から続く「完新世」ではなく、「人新世」という名称に変えるべきだというわけだ。

 それは生態系にも当てはまるだろう。「人新世」時代には二種の生態系、自然由来の生態系と人間由来の生態系が存在するのだ。自然由来の生態系は、水、大気、陽光を原動力とする太古からある生物間の相互関係と、それが循環していく社会だ。人間由来の生態系は、水、大気、陽光に加え、地球の支配者である人間のグローバルな経済活動、社会活動を原動力とする新しい生物間の相互関係と、それが循環していく社会だ。共有する原動力は水、大気、陽光だが、それは20世紀前半までの自然由来の生態系を動かしていた水、大気、陽光とは似て非なるものだ。これはつまり、自然由来の生態系と人間由来の生態系が対等じゃなく、自然由来は人間由来の尻に敷かれたことを意味している。人間が生み出した数々の毒が、自然由来の生態系を人間由来の生態系に組み込んでしまったのだ。

 人間は「毒」を操る動物である。毒を創り出し、それによって救われる人もいれば、それによって滅びる人もいる。毒によって人生を楽しむ人もいれば、苦しむ人もいる。毒によって世界のグルメを楽しみ、ドライブを楽しみ、最後にはがんを患い苦しんで死んでいく。巷に毒は溢れ、複合汚染となって自然をも蹂躙していく。「人新世」時代には、人間由来の毒物が水を汚染し、大気を汚染し、それによって素直な陽光反射や地熱放出を妨げ、気温を上げる。いままで自然の生態系を享受してきた多くの生物は、人間由来の生態系への順応を強いられている。人間はロシア軍のように、自然の住人たちにこう警告するのだ。

「この場所は我々のものだ。従いなさい。さもなければ去りなさい」


戦争ごっこ
(戦争レクイエムより)

土に埋められた子供の怨霊たちが
いろんな国や時代の兵士に扮装し
大人顔負けの戦いを楽しんでいる
矢や鉄砲玉は煙のような材質で
流れ弾に当たっても痛くはなかった

「生き埋めコーナー」と板に書かれた崖があった
崖の上から崖の下に向かって穴がいくつか掘られていて
上では穴ごとに兵隊に扮した子供が数人
座らされた捕虜役の子供を取り囲んでいる

捕虜は後ろ手に縛られて目隠しされ
最後のタバコを吸っている
吸い終わるといよいよ生き埋めとばかり
兵隊たちは捕虜を持ち上げそのまま穴の中に落とし
わらいながらシャベルで上から土を被せ始めた

ところが埋まった捕虜は崖下の穴から
ひょっこり顔を出してニコリとわらい
穴から抜け出すと再び崖の上に戻り
こんどはお前が捕虜だとばかり
友達の兵服と交換して同じ遊びを繰り返す

僕はひどく憂鬱な気分になって
遊ぶようすを見つめていた
「君たち、飽きないの?」
子供たちはキョトンとした顔付きで僕に注目する
「君たちは友達どうしなのに、どうしてそんな遊びをするんだい」
「敵を穴に埋めるのが楽しいのさ」
「きれいな蝶々の羽をもぐのと同じことだよ」
「なるほど、遊びだ。単なる遊びだな」
僕は納得した

「違うよ。お山の大将だよ。大将は腹を立てたらなんでもしていいんだ」
子供は真顔で反論する
「そうか、王様と奴隷を行ったり来たりだ
埋められる君は楽しいのかい?」
「誰がいちばん早く穴から抜け出せるか、競争してるんだ」
「穴の中で息もしないで、縄を解いて生還するんだ」
「下手すると死んじまうんだよ」
「生き返って埋めた奴に復讐するのが楽しみさ」

「そうだそうだ、もっともっと憎しみ合わなきゃ戦争にはならんぞ!」
僕は生前を思い出して怒鳴った
大将だと言った子供が泥爆弾を投げ付けた
「憎しみなんか必要ないね」
「お山の大将はお金持になるために作戦を生み出し
憎しみに駆られる兵隊を動かすのさ」
ほかの子供たちも大将を真似して
いっせいに泥爆弾を投げ付ける
僕はあたふたしながら逃げようとした
それでも捕まって穴に放り込まれ
上から土を被せられた
「近頃の子供は教育がなっていない!」
憤慨する僕の禿げ頭に土は容赦なく降りかかった…


肉腫

溢れる細胞たちが、暗黙のマニュアルに従って
極めて整然と ミケランジェロダビデを目指し
あるいはミロのヴィーナスに憬れて
理想のフォルムを創り上げようと努力しながら
どいつも方向を見失い 失敗し 諦念し
結局 納まりどころをわきまえつつ終息する
――抜きん出る必要はない 普通ならいいのだ 

しかしお前は異分子、破壊分子
反抗的に なぜゆえ醜悪を目指しているのだ
そうだ細胞たちは 民人が好む生き様であるような
坂の上の雲を見上げて 一生懸命努力しているというのに
反抗心を剥き出しにして こう叫ぶのだから
努力すれば報われるなんざちゃんちゃらくだらん迷信さ!
俺はそれを証明してやるのだ 運命の苛酷さを思い知れ!

まあいい できてしまったことは水に流そう
占領された民のごとく 大人しく…
というより侵略者は 水にも流れやしないふてぶてしさ
嗚呼これからは 死ぬまで育つお前と生きていくのだ
ハイエナないしはメフィストのごとく私の魂を狙って…
ならば むしろ私は醜悪なお前に愛着を覚えるというのが
少ない余生の処世術 

…嗚呼、片足に捕り付いた重々しい足枷よ…
いくらお前は醜いとはいえ権力者だ
私の従属物であるのに私を支配する
しかしかえって私の精神は浄化されつつあるのも事実だ
お前 赤々とした血肉と灰色の心を好む冥府の番犬よ
すべての邪悪はお前に吸い取られ
お前はそれを糧に 怪物のように逞しく成長していく
お前が育つほどに 私の解脱は進んでいく ごらんこの清貧さを…

けなげで優等な細胞たちは いよいよ照準を神の領域に定めたらしい
ごらんよ 私の心は透明な水をたたえる湖の
岸辺に戯れる小波にからかわれながら洗われて 
ほとんど透明に 神の心に迫りつつある
ギラギラとしたどす黒い油はすっかり流れ去り
小波に漂うクラゲのように限りなく透明になりつつある
オフェーリアが生きることを諦め 流れに身を委ねて笑いながら
現実から離れていくときのような…
――それは狂気の中の静けさだ…

奇譚童話「草原の光」
二十五

 で、楽ちんな乗り物が無くなっちまった。たちまち身の丈二メートル以上の草に阻まれて、これ以上の前進が難しくなった。それでもヒカリは草をかき分けながら前進していったんだ。ひょっとしたら大きな草食恐竜に出くわすかもしれない。だったら乗り物になってくれるだろう。でも必死に前進したけど、だんだん疲れてきたのさ。
 そしたら前方からザワザワドンドン音がしてきて、大きな草食恐竜がやってくるに違いないってみんな喜んだ。でも草の上から顔を出したのは、ティラノだったのさ。驚いたしがっかりしたけど、こっちには祖先帰り銃があるから、怖がることはなかった。ティラノもこっちに気付いたけど、ニヤニヤしながら低姿勢で話しかけてきたんだ。
「ああら、ヒカリ殿下じゃござんせんか」
「僕のこと知ってるの?」
「知ってるの知ってないのって、あなたはこの星の王様になるお方でございますから」
「僕が王様?」
「そうですよ。あなたはティラノ帝国の皇帝でございます。これから千四百億円かけて造ったヒカリ宮殿にお連れしますから、お背中にお乗りくださいませ」
 そう言うとティラノはヒカリに背中を向けて大人しくお座りした。ヒカリも疲れてたんで、お言葉に甘えてティラノの背中に乗ることにしたんだ。

 ヒカリと仲間が背中に乗ると、ティラノはさっそく歩き始めた。でも大きな頭が邪魔になって前方が見えないから、ヒカリはティラノの頭の上に登っていったのさ。ティラノの首は太くて短いから簡単に登れた。すると、前方に地べたに這いつくばって大きな口を開けたティラノが待ち構えてる。でも全身真っ白で、白いペンキを塗ったモニュメントみたいに見えるんだな。けど開いた口の中からギザギザの歯が見えたし、中がなんだか赤くてキラキラしてた。それでも、長いレッドカーペットが中からべろのように飛び出してる。で、ヒカリはティラノに聞いたんだ。
「あれは何?」
「あれでございますよ、お坊ちゃま。あれが地下宮殿の入口でございます。あの門構えは、我々ティラノのシンボルである口を表現しております。この星で最強の口でございます。ミサイルのような牙をご覧ください。この星で最強の牙でございます。多くの草食恐竜たちが毎晩のようにあの口を夢見てうなされ、オシッコを漏らしてガバッと飛び起きるのでございます。奴らにとってあれは、悪魔のシンボルでございます。しかし我々にとっては、あれはグルメのシンボルなのです」
「で、両横からチョロチョロ流れているのは?」
「ヨダレのようでヨダレではございません。地下水を排出しているのでございます。さあ、細かいことは気にせず、私が頭を下げますから、鼻から赤い絨毯にお降りになって、地下宮殿への栄光の道をお進みください」って言ってティラノは尻尾を上げ、鼻を地面に擦りつけた。なんだか分からないままヒカリは絨毯に降りて、そのまま栄光のレッドカーペットを歩き始めたら、ティラノが「エエイ、もう我慢できない!」って叫んで後ろからヒカリに食らいついた。ヒカリは騙されたと思ったが後の祭りで、一瞬で口の中に入っちまったものの、なんとか奥歯にしがみ付いたんだ。このまま胃袋に落ちたら溶けちまう。ティラノはヒカリを胃袋に落とそうと頭を左右に振ったけど、ヒカリは両腕と両足で必死にしがみつく。今度はヒカリを咬み砕こうと口をパクパク動かしたが、奥歯の咬み合わせが悪くて、上の牙と下の牙の隙間になんとか入り込むことができたのさ。

 すると突然宮殿の入口がむっくり立ち上がって、口から出ていたレッドカーペットを吐き捨て、「話が違うじゃねえか!」とティラノに向かって怒鳴りつけた。結局そいつもティラノで、顔も体も白粉を塗りつけてたんだ。で、今度は仲間どうしの壮絶なバトルになっちまった。両竜とも最初は口の大きさを誇示するために、牙を剝いて口を開けたまま、戦いの前の踊りを開始。踊りといっても、強さを誇示するように尻尾を上げ、頭やケツを振りながら左右に行ったり来たりを繰り返す。強さっていうより、ちょっと可愛さを感じたな。でもバトルになればどっちかが死ぬんだから、相手の頭が冷える時間を与えて、逃げるのを期待してるんだな。

 その間首の遠心力で、ヒカリは開いた口からうまい具合に草むらに飛ばされることができ、草葉の陰から観戦となった。でも噛み合いが始まると、さすがに迫力があったな。腕が小さいから、顔と顔がぶつかり合い、牙と牙の噛み合いだ。鼻と鼻がぶつかり合うと、鼻から血をドバッと出す。そいつがヒカリの顔にもかかったな。デカい頭で正面からプッシュしても、敵には尻尾があるからなかなか倒れない。だから、横に倒そうと頭をハンマーのように思い切り相手の顔にぶつけるんだ。ドンドンってすごい音さ。すると相手が怯んで少しばかり顔を背けたときがチャンスなんだな。すかさず隙のできた相手の太い首根っこに食らいつくってわけさ。でっかいづうたいで、けっこうすばっしこいんだ。
 そんなわけで、白粉野郎が運び屋野郎の首に食らいつき、牙をグイグイ肉の中に食い込ませていった。こうなると相手が倒れるまで、食らいついたまま顎の力をふり絞るんだ。そうすると運び屋野郎は呼吸ができなくて、だんだん意識が朦朧として、倒れちまうんだな。倒れちまったらもうおしまいだ。血の匂いを嗅ぎつけた小さな肉食恐竜どもがどこからともなく集まってきて、白粉野郎が倒れたティラノを食い終るのを行儀よく待つわけさ。

 で、白粉野郎は内臓をガッポリ食うと、口回りだけ赤くして満足気に顔を上げた。すると掃除屋どもが一斉に腹の穴に入り込んで、清掃作業を始めたんだ。白粉野郎はそれを横目で見ながら、地響きを立ててゆっくりどこかへ行っちまおうとしたんで、ヒカリは後ろから声をかけた。
「ちょっと待って。ティラノ宮殿の話は嘘だったの?」 
 すると腹いっぱいの白粉野郎は、うざいなって顔つきで答えた。
「ティラノが嘘つくわけないだろ。みんな王様になると贅沢になるんだ。お前だって絵本を見て、お姫様のいるお城に行きたいだろ」
「僕はそんな本見たことないな。僕の星には本なんてないんもん」
「じゃあ本物を見せてやるから、背中に乗れよ」

 そいで、みんなの反対を押し切って、ヒカリは白粉野郎の背中に乗ったのさ。で、仕方なくみんなも付いてった。それで頭まで登って前方を見ると、目の前に大きな宮殿が見えてきたんだ。でもそいつは趣味の悪い宮殿だったな。玄関の右に三匹、左に三匹薄ピンクのティラノが横並びして、小さな両手で大きな窓ガラスを立ててる。でもそのガラスから室内が見えるんで、ティラノが石の柱なのが分かるんだな。で、連中の頭の上にはティラノが山盛り乗ってて、尻尾を立ててる。連中は宮殿の屋根で、尻尾は尖塔なんだな。

 真ん中の玄関は、アプローチに向かってティラノの尻尾が庇みたいに飛び出てて、そいつが左右にゆっくり動いてんだ。雨除けのつもりなんだな。つまり、そいつのケツが入口になってる。だから両側の足はまっすぐ伸びていて、その上には体があるってわけ。通る奴はいつ体が落ちてくるか気が気じゃないけど、本物じゃなければ安全さ。

 白粉野郎は「降りろよ」って言うから、ヒカリは仲間たちを背負ってゴツイ尻尾から地面に降りた。それから長い赤絨毯のスロープを歩いて尻尾の根元まで来てから、上を見上げたんだ。すると尻尾の付け根の大きな窪みから「プーッ」って入城を告げるファンファーレの音がして、黄色いガスがヒカリの頭に振りかかってきて、それがすごい臭いなんだな。ヒカリは慌てて中庭に駆け込んだのさ。それを外から見ていた白粉野郎はゲラゲラ笑いながら、満足そうにどこかへ消えちまった。
 中庭は真四角で、真ん中にティラノの糞を積み上げたような噴水があって、天辺から茶色い水が吹きあがって丸い池に落ちてる。そいつがまた黄色い湯気を出してて臭いんだ。この噴水のあちこちから、草食恐竜たちの骨が飛び出てる。まるで土饅頭のお墓みたいなデザインなんだな。中庭を取り囲む壁もやっぱ外側と同じにティラノたちが窓を立てて並んでんだ。で、その窓にも宮殿の内部が透けて見えるのさ。それはすごく綺麗で、豪華なシャンデリアも見えるんだ。

 でも、ヒカリと仲間たちがあまりに臭くて、もう居られないって思ったんだな。もと来た道を引き返そうと思ってくびすを返したら、「おいこら逃げるのかよ!」って声がしたんだ。で、声のほうを見上げると、玄関で足を伸び伸びしてた恐竜が怒った顔して怒鳴ってんだ。きっと伸び伸びが苦しくて耐えられなかったんだな。両方の足柱がガタガタ震えだして膝がとうとう折れちまった。そしたら、宮殿は大きな音を立ててドミノ倒しみたいに一気に崩れたんだ。なんのこたあない。宮殿はティラノたちの組体操だったんだな。ヒカリは庭にいたから、押しつぶされることはなかった。でも、玄関野郎の大口が一瞬にしてヒカリを飲み込んじまった。ヒカリは奥歯にしがみ付くこともなく、唾液と一緒に、食堂を通って胃袋に落ちちまったのさ。

(つづく)

 

 

 

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