詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

エッセー「 武士道と戦争」& 詩

エッセー
武士道と戦争

 日本人は「武士道」という言葉に凛々しさや頼もしさを感じるようだ。いざ戦争になれば、頼るのは兵隊さんなのだから、当然のことだろう。彼らが武士道の精神を投げ出し、背を向けて逃げ出したら、国は滅びてしまう。

 しかし、「武士道」という言葉ができたのは江戸時代と遅く、その最初は武士の処世術のようなものだったらしい。武名を高めて主君に認められ、自分や一族の発展を有利にするというもので、就職活動の基本的姿勢のようなものだ。武士はしょせん「ケンカ屋さん」で、だからその中には「卑怯な戦法でも勝てば良し」とする思想も含まれていたらしい。道理はどうであれ「勝てば官軍」というわけ。さほど高邁な思想があったわけではないし、主君が喜べばそれで良い話だった。

 これは、「相撲道」とは違うところだろう。昔、白鵬が立合いで「かわし(注文)」や「猫だまし」をしたことに、「大横綱のやることか」と批判が集まったが、相撲がスポーツではなく「神事」であるなら仕方のない話だ。僕は相撲の神事的な部分が嫌いで、なるべく見ないようにしている(子供の頃は大ファンだった)。頻発する「横綱の責任」という言葉にも辟易するが、それは僕が無責任な人生を歩んできたからだろう。相撲協会三角錐の頂点に相撲の神様「野見宿禰(のみのすくね)」が鎮座し、その下に横綱や役員が侍るプチ・ヒエラルキー社会だ。で、神様が横綱に「注文を付けるな」と注文を付けるわけだ。このプチ封建社会に注文を付けた元横綱貴乃花氏に先日引退したハリさんに代わって、市井の僕は「アッパレ!」を与えよう(少々古い話だが…)。

 しかし、僕のように相撲を国際的スポーツにしてほしい人も、何々道という「道」が付くものに特別の意識を持つのは、古来より神道儒教道教(中国思想)の影響を受けてきた日本人の属性だと思う。だから柔道が国際的スポーツになった今でも、「シコシコ勝てばいいじゃん」と言う外国選手に対して、日本の選手は「美技」にこだわりを持つわけだ。「道」は美や真実の根源らしいから…。

 ともあれ「武士道」が、今の人々が思うようなものになったのは、幕藩体制の維持のために利用され、朱子学と結びついて武士の道徳律として定着してからだ。親孝行や目上の者を尊び、名誉を重んじ、家名を存続せよと言ったって、結局は主君たる徳川将軍に忠誠を誓えということに行き着く。※

 将軍が恐れていたのは大名たちで、下級武士から地方の殿様まで一律に倫理規定の網を掛ければ、うまい具合に収まる。大名たちが造反や仲間内のいざこざなど、将軍をトップとするピラミッド体制を少しでも揺るがせば、武士の道を外したとして取り潰すよと脅しをかけたわけだ。だからこの道徳律の裏には、関ヶ原以前の「下克上」や「裏切り(寝返り)」といった武士の血(本性)を押さえつける意図があった。

 基本、武士は闘争意欲が強く、スポーツ選手と同じに一人ひとりが金メダルを狙っている。だから武士集団は○○競技チームのように、キャプテン(大名)の下にまとまって敵を負かし、全員が胸に金メダルをぶら下げようと頑張るわけだ。ところが江戸幕府は国を平定し、日本○○競技連合のような巨大な組織になってしまったから、将軍(理事長)はゴマすり連中を役員にして周りを固め、現行体制に批判的な連中をピラミッドの下部に追いやるわけだ。それが俗に言う「外様」というわけで、スポーツ界では時たま外様の反乱が起きてマスコミ界を賑わしている。これは武家社界やスポーツ界に限らず、政界をはじめ、およそ「界」の付く塊には共通の界奇現象でもある。

 結局、外様の部下が反旗を翻して明治維新となったが、武士の時代が終わっても「武士道」だけはしっかり引き継がれた。明治憲法で「兵役の義務」が定められ、徴兵検査に合格した男子は全て武士になっちまったからで、政府はこの封建的な道徳律が利用できると判断した。結果として、第二次世界大戦で敗れるまで、日本の男たちは武士道の精神を背負って次々と自爆・玉砕していった。アメリカはしかし、真珠湾攻撃のことを「宣戦布告を遅らせた卑怯なやり口だ」と未だに非難する。けれど卑怯な戦法でも勝てば良しとする思想が「武士道」の腰骨に含まれているのだから致し方ない。

 日本は「攻撃直前に出すつもりだった」と言い訳するが、直前だろうが奇襲であることは変わりなく、だからといって「武士道」精神を傷付けることもない。昔から武士たちは機先を制して勝ってきたのだから、騙し討ちだって戦法の一つだろう。スポーツ選手だって反則すれすれの技を批判されるいわれはないが、戦争の場合、そもそもルールなんて存在するのかも分からない(一応「戦時国際法」なるものはあるが、強制執行力はないのだから、違反したって経済制裁ぐらいだろう…)。

 つまり、昔の武士だろうが今の軍隊だろうが、勝たなければならないという使命は金科玉条なのだ。一騎打ちの時代も集団戦法の時代も、さらにはロボット兵器の時代も、核兵器の時代も、武士も軍隊も勝つために生きてきたプロフェッショナル集団に変わりはなく、常勝軍団であり続けなければならない。

 2015年にロシアのプーチン大統領が、クリミア半島への軍事介入のときに、「核兵器使用を準備していた」と発言したが、垂直統治機構で軍を掌握している彼の言葉が示すとおりで、軍隊は勝つために何でもやらかす集団なのだ。

 危惧するのは、そういった集団が核兵器を握っていることだ。しかも軍隊は、時たま政府の命令を無視して暴走する。1932年に中国にできた「満州国」は帝国陸軍関東軍)の暴走によるものだ。あげくに日本政府は軍に振り回される形で太平洋戦争に突入した。最近では「金正恩キム・ジョンウン)は北朝鮮軍の操り人形に過ぎない」なんて専門家が言い出すぐらいだから、政府(背広組)が軍(軍服組)を掌握(制御)するのは並大抵なことではない。

 その血気盛んな軍隊が、核兵器を使用することに踏み切った場合、相手の核反撃をかわす意味でも、最初から一気に先制攻撃を仕掛けるだろう。使用される核兵器は半端でないはずだ。病原菌に対する抗生物質と同じで、一気に叩き潰さないと、敵はゾンビのように復活し、戦いは泥沼に陥ってしまう。ことにパワーバランスが拮抗する国に対しては、中途半端な攻撃はしないはずだ。

 …ということは、どこかの大国がひとたび核兵器を使えば、たちまち核による全面戦争に拡大する可能性があるということだ。しかも最初の一発は誤判断あるいは誤操作かもしれないし、勝敗の決着は秒単位の出来事かもしれない。かつてパリを占領したヒトラーが、シャイヨ宮殿からエッフェル塔を眺めたように、どこかの国の国家元首がねじ曲がったスカイツリーを眺める日が来るかもしれない。恐ろしい未来だ、と言うよりか、我々はそんな時代に両足を突っ込んでいるのだ。そして当節、「権威主義」VS「民主主義」という新冷戦の水面下で、沸々と熱水が湧き出し始めている。

 地球市民の皆さんは、火傷をする前に両足を抜く必要に迫られているけれど、重い足かせが付いていて、足湯のように気楽に抜ける状況ではない。結局、世界各国が一丸となって、血気盛んな武士たちの暴走を止める手立てが必要になってくるわけだ。恐らく片方の足かせを解く鍵は、各国政府の外交手段に違いない。もう片方の足かせの鍵は、その政府を支持する国民の冷静な判断に違いない。政府と国民の二つのベクトルが一致し、その相乗効果が温和な知的行動を促し、初めて外交的解決は上手く進行するものなのだ。

 隣国中国を例に取れば、新彊ウイグルや香港などで、民主主義国の反感を買っているし、ロシアはロシアで、クリミア進攻問題などで反感を買っている。特に中国に対する米国民の感情は最悪で、暴力事件も起きている。問題なのは、ロシアや中国だけでなく、民主国家の多くの政権がポピュリズム政権であることだ。これは民主主義の最大の弱点でもある。ポピュリズム政権は、国民感情に沿った政策をチョイスする傾向が強く、アメリカ現政権も中国に対する行き過ぎた制裁をするのではないかと危ぶまれている。

 かつて日本も日中戦争を起こし、1930年代から1940年初頭にかけてアメリカを中心とした「ABCD包囲網」という強力な経済制裁を食らって石油を断たれ、ドイツやイタリアと手を組み、太平洋戦争に突入していった。仮にバイデン政権が来年11月の中間選挙の票獲りを睨んで、国民感情を利用した形で中国に包囲網的な経済制裁を加えれば、習近平政権がどのような対抗手段に出るかは分からないものの、今の中国の現状から、一触即発の事態になる可能性は否定できない。当然、日本もアメリカの子分としてイギリスやオーストラリアなどと共に包囲網に参加せざるを得ないだろうし、中国は中国でロシアとの関係をより強固なものとしていくに違いない。

 しかし今でこそ、日本人は習近平体制に対して悪感情を持っているが、中国国民に対しては別の感情を抱いているに違いない。それは、かつて日本軍が中国に侵攻した苦い過去への悔恨の念だろうし、さらには太古の時代から連綿と続いてきた文化交流が日本にもたらした、莫大な文化遺産に対する感謝の念だ。日本はアメリカなどと違い、中国との永い繋がりがあることを忘れてはいけないし、何よりも彼らは隣人なのだ。

 ならば我々の取るべき道は明白だろう。日本政府も日本国民も、過度な感情に走ることなく、冷静・沈着な姿勢でアメリカと中国の対立状況を見据え、両者の行動が行き過ぎた場合には、その危険性を指摘するぐらいの若干ニュートラル(第三者的)な立ち位置を保持することだ。これは、ずる賢い態度とは違う。今回、北京オリ・パラに日本政府代表団の派遣が見送られたことについて、自民党の佐藤外交部会長は「時期が遅すぎる」と苦言を呈したが、僕は岸田首相が冷静・沈着な姿勢で状況を判断し、絶妙のタイミングで出したと思っている。おかげで中国の態度もさほど硬化はしなかった。佐藤氏は元自衛官だから、血気盛んなのだろう。

 およそ対立と名の付くものは、最初は小さくても連鎖反応的に大きく発展する危険性は常にある。加えてアメリカは、イラク進攻のように時たま大胆なことを仕出かす国民性を持っている。喧嘩腰の両者の主張や行動がぶつかり合ったときには、必ずそれを緩衝させる第三者は不可欠で、それが日本の役割だと思っている。これは駅のプラットホームでの喧嘩も同じことで、止める者が必要なのだ。過去の苦い経験を思い出せば、日本政府も日本人も、そうした役どころを演じるのは名誉挽回にも繋がることだろう。かつて武士たちが中国にもアメリカにも喧嘩を仕掛けたのだから……。

 岸田政権はコロナ対策について、最悪の事態を想定して対処すると宣言しているが、日本にとって、国際情勢の最悪の事態は恐らく台湾有事だろう。アメリカが介入すれば、日本も必ず戦争に巻き込まれる。中国も台湾もアメリカも日本も、誰も戦争を好ましいとは思っていないはずだ。こうした危機を回避するには、外交的手段以外にはありえない。各国政府の冷静な外交と、それを支える各国民の沈着な国民感情が不可欠なのだ。かつてABCD包囲網が日本を戦争に駆り立てたように、過度の経済制裁が台湾有事を引き起こさないように、日本政府も日本国民も冷静に賢く振舞い、政府は最善の道筋を探って行くべきだろう。当然その努力は起こってからではなく、起こさないための努力であるはずだ。

 また、人権問題については、できるだけ多くの国の政府がプロテストを表明しなければならないし、日本政府も逸脱することはないはずだ。しかしこれは、ほかの人権問題と同様、地球市民一人ひとりが真剣に考えなければならないものだと思う。中国と経済関係の強い発展途上国でも、黙認するのは政府だけで、その国の人たちは「否」と考えているに違いない。インターネットが張りめぐらされているグローバルな時代に、人権問題は環境問題や核問題とともに、地球市民がプロテストを盛り上げていくべき御三家だと思う。各国国民のストライキが認められているように(弾圧する国もあるが)、地球市民には自発的な不買運動は認められているのだから……。政府間の軋轢は戦争を引き起こすが、地球市民のプロテストは戦争を招かない唯一の解決法だと考えている。なぜなら、それは国境を越えたビッグウェーブなのだから……。


(※)これは今の中国で、習近平が政権維持のために打ち出した「共同富裕」の思想にも共通するところがある。習近平が恐れているのは、過去に鄧小平が「改革解放政策」を唱え、社会主義体制を維持したまま資本主義を導入する「社会主義市場経済」を進めた結果、現在のような貧富の格差ができ上がってしまった。
 置いてきぼりを食らった貧乏人たちが政権に反旗を翻すのではないかと恐れた習近平は、一部の大金持ちの財産を巻き上げ、多くの貧民のルサンチマン(嫉妬)を解消するポピュリズム政策を考え付いたわけだ。しかし、中国の経済成長を支えてきたのは大金持ちたちで、出る釘を打つ平準化政策が成功するものかは疑問視されている。経済発展の足を引っぱる可能性が大きいからだ。といって金持の蓄財を放置すれば、いずれ社会主義の根本概念も崩れ去ってしまう。中国は大きなジレンマを抱えている。じゃあどうするか。内なる問題を火山のように外部に噴出させればいいのか? その外部はまさか台湾じゃないだろうな!

 

冥界の王宮

木々は色づき
稲穂は頭を垂れ
朽葉色の秋がやってきた
魔王はバルコニーから地上を仰ぎ
愛する王妃に想いを馳せた
妃は大地の豊穣を母とともに見届け
やがて冬の王宮に戻ってくるだろう

妃を喜ばせるため
夏の間に王宮の改装を行ってきた
直すべきところはすでに直し
外壁は灼熱の溶岩で血色に染め上げ
大人しかったファサードの壁面彫刻は
罪人たちの阿鼻叫喚を
満面に散りばめた
正門である地獄の門の彫刻も
妃の帰還を祝福するべく
四十八手の拷問に禁じ手を加えた

あとは仕上げが残るのみ
広大な王宮の床一面に
人肌色の絨毯を敷き詰める
職人たちの足で汚さぬよう
奥の寝室から始めたが
半分ほどで材料不足に陥った

腹心のタナトスヘカテーを呼び
世界中からかき集めろと発破をかける
二人はそれぞれ
悪疫を詰めた大袋を背負い
地上に上っていく

しばらくすると
大量の材料が資材置場に搬入された
施主が指図する中
鬼たちはまず
産地ごとに異なる色合いの
選別から始めなければならなかった
暗色系は落ち着いたリビングにふさわしい
淡色系は客をもてなす鏡の間にうってつけ
廊下はすべて黄色系に統一すべきだろう
入れ墨入りはアラベスク風に
水煙草の間にでも敷いてみるか…

材料の配置が決まると
鬼たちはさっそく皮剥ぎを始めた
使う部分は腹と背だけ
あとは愛犬ケルベロスの餌となる

裁断した筒状の材料は
中に毛髪を詰め込み
長寿を全うしたニンフたちが
余分の髪で縫い閉じ
それらをさらに縫い繋げて
幅広の絨毯に仕上げていった

王は出来上がった絨毯の上に立ち
雲上と変わらない柔らかさに
大層ご満悦だった
これで后も喜ぶことだろう…

翌日、ハデスは地獄の門に立ち
ペルセポネを迎えた
王妃は新装の門を一瞥しただけで
ケルベロスの三つの口を撫でてから
涎で濡れた手を王に差し出した
王は接吻をして
二人は手を取り合い
絢爛たるファサードに向かって
仲良く歩いていった

円蓋を抜けて内廷に向かおうとしたとき
ひれ伏した無数の躯幹に気付いて
王妃は呆然と立ち尽くした

ようやく気付いてくれたことに溜飲し
王は満面の笑みを湛えて王妃を見つめ、語りかけた
今年は豊作そうで
お母上も喜ばれたことであろう

そうでもございません
流行り病で多くの百姓が死に
稲穂はそのまま立ち枯れております

まあ、そういう年もあろう…
どうだね、私の贈り物は気に入ったかね

殿ならではのセンスには毎回驚かされますわ
冬には冬の、春には春の趣があるもの
それは地上の僭王たちも変わりません
そうして天上も地下も
下々の歴史も創られていくのです
郷に入りては郷に従え
私はただ、貴方の熱い想いを受け入れ、微笑むだけですわ
多くの王の妻がそうしたように…

ペルセポネはため息をつき
真新しい絨毯の上に恐る恐る足を乗せ
二人は睦まじく奥床に向かった
絹のごとく人革をなめした
天蓋付きの寝台へ…


Muishkin gene

ムイシュキン公爵
発作で天に召されたとき
主治医は脳味噌を
ホルマリン漬けにした

百五十年後
好事家が発見し
若い学者に寄託した
「きっと地球外生物です」

学者は脳味噌を解剖し
くまなく調べたが
人類と異なる部分はどこにもない

薄切りにしてガラスに伸ばし
蛍光色素を垂らそうとすると
ふと、金色に光る
DNAに気付いたのだ

「生きているのか?
うようよいるぞ!」
電気泳動法を試すと
陽極に移動して
旋盤屑みたいに丸まり
金の玉になった

「地球だ!」
アフリカ、アメリカ、ヨーロッパ、
アジア、オセアニア、南極…
螺旋のスカスカを太陽風が抜けていく
からかうように、金粉を振り撒いて…

嗚呼、クルクル空回る金の鳥カゴ
極小宇宙の不都合な真実よ…
「貴重な宝がザルから逃げていくぞ!」
学者は悲鳴を上げ、倍率を拡大した

するとお日様の金粉が
螺旋のフィルターに引っかかり
にこやかに食らいついて
異常な速さで増殖している
まずは螺旋に金箔を貼り
ジクジクと沸騰しながら
金のペレットに育っていった

一握りの遺伝子が
地球をパンクさせないために
仲間をどんどん増やしている
「こいつら黄金の受精卵だ
倍々どころの騒ぎじゃないぞ!」

学者は雄叫びを上げた
ムイシュキンは人間だった
どこにでもいる人間だった
星々の狭間を暫し遊泳しながら
予言することなく帰還し、復活し
純朴な心でダフネを愛した
アポロンの末裔だった

そしてそのさらなる子孫が
力強く地球を支え始めたのだ
ムイシュキンは人間だった
黄金の月桂冠を頭に乗せ
永久に光明を失うことのない
人類のエッセンスだった…

ムイシュキンは人間だった
挫けることを知らない
どこにでもいる人間たちだった

 

 

 

響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎
定価(本体一一○○円+税)
電子書籍も発売中 

#小説
#詩
#哲学
#ファンタジー
#物語
#文学
#思想
#エッセー
#随筆
#文芸評論
#戯曲
#エッセイ
#現代詩
#童話