詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

奇譚童話「草原の光」四 & エッセー

エッセー

箱男』と『砂の女

 

 地球に発生した最初の生き物は単細胞だった。それは、外界から隔絶するための細胞膜を持っていた、ということは、周りの環境から独立を宣言した最初の個体であったということだ。しかし、外界から栄養を貰わなければ死んでしまうという悲劇性を持っていた。外界が養分を与えなければ、死んじまう。彼は個体でありながら、周りに頼らなければならない存在だった。これが生物という存在の基本的なかたちだ。

 

単細胞が増えるには外界からの栄養を蓄え、そのエネルギーで分裂する必要があった。そのまま分裂しないでいると、栄養過多となって肥満化し、細胞壁が破れる危険性があったからだ。分裂することでその危険がなくなり、おまけに仲間たちがどんどん増えて群となり、その辺りの環境を支配することができるようになった。

 

しかし、いろんな種類の単細胞が出てくるにつれ、小さな単細胞はアメーバのような大きな単細胞に飲み込まれる危険性が増してきた。彼らは生き残りのため、鰯のように密に固まって防御しているうちに、あるとき互いの細胞壁がくっ付いてしまい、栄養を流通する穴まで開いて、個の生存を助け合うようになった。多細胞生物の誕生である。

 

多細胞になってしまうと、多くの細胞が組織を維持するために働かなければならず、役割分担を課せられるようになった。外側の細胞は、中側の細胞に栄養を与えなければならなくなり、オーバーワークになってしまった。そこで、しだいにブラックホールのような穴を開けて栄養を取り込もうと考え、ついでに各細胞の老廃物をそこから出すグッドアイデアを思い付き、ど真ん中に一気通貫の消化器官ができた。その周りの細胞は栄養の吸収と老廃物の排出に専念するようになり、効率化が促進された。

 

多細胞生物にとって、分裂は組織の解体を意味していた。そこで、仲間づくりのために生殖細胞を使った「有性生殖」が開発され、分裂やその他の無性生殖がつくるクローンとは違ってほかの遺伝子が入り始め、生物の多様化が爆発して、多種多様な生物ができてきた。その末裔が人間というわけである。

 

つまり、人間は多細胞生物でありながら、単細胞であった時代の感性を無意識のうちに引き継いでいるのではないかと僕は思っている。その体もまだ発展途上。白血球などの免疫細胞が仲間の組織細胞を敵だと勘違いして攻撃する免疫疾患を見ても明らかなように、いろんな団体の内輪もめと同じように、体内では単細胞どうしのケンカも起こっている。また、単細胞だろうが多細胞だろうが、外界と隔絶した個体でありながら、外界に頼らなければ生きていけないのが生物の性(さが)なら、人間もその例外ではない。

 

社会という組織を多細胞とすれば、一人ひとりの人間は単細胞だろう。人付き合いが嫌いな人間も、社会のお世話にならなければ生きていけない。食うためにはお金が必要だし、なければ政府や慈善団体に頼るか、道端の残飯を漁る以外にない。ちゃんと生きようとすれば、何らかの組織に入って多細胞化し、何らかの役割を担わなければならない。

 

安部公房に『箱男』という作品がある。彼は小さなダンボール箱を身に纏うホームレスを見て、作品のアイデアを得たという。作品自体は難解な不条理小説だから、僕に解説する技量はないが、ダンボールの中で穴から外界を覗いている男は、「単細胞」に回帰したのだと思えた。いろんな組織が社会を運営する環境では、単細胞への回帰は孤立や孤独を意味する。ダンボールの箱は、多細胞社会から身を守る細胞壁なのだ。しかし当然だが、箱の中で生きるためには、食い物を外界から取り入れる必要がある。そこでバブル方式は破綻し、外部とのコンタミ(汚染)が起こる。

 

多細胞社会は他人と交わる社会で、そこから友情も生まれ、恋愛も生まれ、資産も生まれ、地位も生まれる。しかし、そんな良いことばかりではない。そこには競争も、軋轢も、失恋も、破産も、いろんなトラブルもあるだろう。箱男は戦々恐々と、箱の穴から恐ろしい社会を窺っている。彼はダンボールという細胞壁を破って、無防備の体で外に出て行こうとは思わない。安部公房は「人間を愛することはできても隣人を愛することはできない」というドストエフスキーの言葉を引用しているが、「人間」は抽象概念で、「隣人」は実際の利害関係者なのだから当然だ。結局「隣人愛」も利害が絡めば、兄弟でも裁判沙汰になる。この利害で言えば、人間関係の損得の「損」を重視してしまえば、引きこもりや箱男的な状況に追い詰められていく以外にないだろう。箱男は多細胞社会のマイナスの側面をやたら浴びてしまい、ヤドカリのように箱の中に閉じこもったに違いない。劣悪な条件でも、彼にとっては安心できる城なのだ。

 

しかし「箱男」は独身の立場で、家族となるとまた違ってくる。独身が孤立しようが、破滅しようが消滅しようが個人の問題だし、自分のやりたいことをできるのも独身の特権だ。同じ作家の『砂の女』では、カップルという家族的状況を描いている。砂丘を抱える村が舞台で、砂の被害から村を守る最前線の家に旅の男は落ち込み、女主人と肉体関係を持ってしまう。二人に与えられた仕事は、日がな一日襲ってくる砂を掻き出して、村を守ることだった。夫婦関係を持った男は村の一家族として、村落共同体の一員になってしまうのだ。つまり、家族は多細胞社会の粘着性を持つ、理想的な単位ということになる。例えば酸素の場合、Oは個人でO2は家族ということになり、O2のほうが、社会的には安定的で信頼されやすい(少なくとも以前は)。男はしまいに、村から課せられた理不尽な労働環境に置かれながら、女から逃げようとする意思を失くしていく。

 

多細胞社会にあっては、社会の一員として愛する家族のために社会的生活を営まなければならない。社会を維持するためには、細胞それぞれが税金を納めなければならない。金の問題はともかく、子供が生まれれば、義務教育を受けさせなければならない。義務教育は、多細胞社会の構成要素としての健全な細胞を作る仕事で、感性をはみ出させないための矯正手段にもなっている。細胞は統一した規格品でなければ凸凹が生じ、グロテスクなケロイド組織が出来上がってしまうからだ。

 

砂の女』では、冷厳な村の掟が通奏低音で流れているが、今のコロナ渦で多細胞社会のお国柄が表れているのを見たような気がする。日本が村社会的感性を綿々と継承しているのは、マスクの装着率を見れば明らかだ。マスク着用は協調性を表し、これは農耕民族の村落的感性。また、政府の苛酷な要求に従順な飲食店には、村社会の悲哀を感じる。反対にイギリスのマスク離脱は、責任を個人が引き受ける個人主義の表現手段だ。南米諸国では開放的気分を求めるラテン気質が跋扈して規制に反発し、ケロイド化している。一方中国では上からの強力な圧力で有無も言わさず押さえ付け、うまい具合に収束した。

 

どんな形であろうと、『箱男』のように多細胞社会からの隔絶を選択する人間はいるだろうし、『砂の女』のように劣悪な環境で崩壊寸前の状態を続ける家族もいるだろう。コロナ渦で、多細胞社会の状況がますます厳しくなる現状で、孤立化する箱男や為す術もなく徒労を繰り返す家族が増えていくのだとすれば、小説以上の不条理を感じざるを得ない。

 

 

 

 

 

奇譚童話「草原の光」

四 結婚パーティ

 

みんなが踊りまくってると、ほかのエロニャンたちも集まってきた。だだっ広い草原の中で、新郎、新婦たちを取り囲み、地域の元彼、元彼女、元々彼・彼女、その他もろもろ全員が食い物を持ち寄り、盛大な結婚披露宴が始まった。山積みされた食い物はほとんど野草、果物さ。

 

地底の土が主食のモーロクにとっちゃみんな始めての食材だった。新しい環境に慣れるために我慢して食べ、失神し、吐き出し、気を取り戻してまた食べたな。でもやっぱ、土や泥には叶わない。モーロクたちは、側の草を抜いた後の土を手でこそいで口に放り込んだ。栄養満点の土だから、味も良かったな。

 

カマロは土を食べるナオミを見て、自分も食べてみた。

「マズッ!」

ナオミはニッコリ土から出てきた大きなミミズを頬張り、「地底人は洞窟の中の土が主食だし、そこにいろんな苔を育てて副食にするの。ミミズは貴重な蛋白源よ」って言った。

先生は初めての酒に驚き、「こいつは美味しいし、気分も良くなる。いったいどうやって造るのかね?」とシメットに聞いたな。

「簡単さ。まずは土を掘って穴を作り、その底や壁に粘土を塗って水を通さないようにするんだ」とシメット一。

「いろんな果物を頬袋に詰め込んで、唾を出しながら噛み砕いてドロドロにする」とシメット二。

「そいつを穴にペッペと吐き出して、上に大きな葉っぱを乗せて雨が入らないようにする」とシメット三。

「一年間ほったらかしにすれば、猿酒の出来上がりさ」とシメット四。

「唾の中のバイ菌がお酒を造ってくれるのさ」とシメット五。 

先生は目を丸くして口のお酒を器に吐き出し「つまりこのお酒は君たちの唾の結晶ということかな」と聞いたな。

シメット六はそれを飲んで「そういうこと」って答えた。

 

エロニャンたちは、モーロクの吐き出したものを美味い美味いと食べてる。モーロクは気味が悪かったけど、モーロクはモーロクで胸焼け対策に土を手でつまんで口に入れるんで、エロニャンたちも食文化の違いを実感したんだ。

 

極めつけは猿酒だ。モーロクには酒を飲む習慣はなかったけど、エロニャンたちはみんな大酒飲みで、またまた猿猫人間のシメットがラインダンスをおっぱじめ、それに合わせてエロニャンはみんな勝手に踊り出した。モーロクたちも仕方ないので、見よう見まねで踊り、全員がニャーニャー掛け声を掛けながら踊りの流れとなって、神殿に向かっていく。

 

神殿ってのは、たぶん十万年前の海岸の崖っぷちに建てられていた町の廃墟で、途中に崩れかかった小さな女性の石像が立ってた。どう見てもそいつはモーロクの姿をしていたな。

「ここは昔、海の底だったんだ」とカマロ。

「あたしたちはみんな、このマドネッタちゃんにお祈りしてから神殿に行くのよ」とアマラ。みんなは踊りを止めて、女性の像に手を合わせ、神妙に通過すると再びドンチャン騒ぎで神殿に向かう。

 

 大昔の海岸だったところにエロニャンたちがごろ寝してて、踊る集団がやって来たんで慌てて加わり蔦の尻尾を繋いだ。集団は砂浜から石塀を乗り越えて石畳の広場に出て、両側が廃墟の石階段を三百段上ってモザイク模様の小さな広場に出た。そこから六二段の階段を上ったところに廃墟になった寺院があって、大きな扉の横の小さな入口からモーロクの男女が顔を出したな。先生は驚いて「君たちはモーロクだな!」って叫んだけど、二人は首を振ったんよ。

 

「僕はウニベル」

「私はステラ」

 

「でも君たちは、僕たちモーロクにそっくりだ」とケント。

「冗談、冗談。僕たちは、新しいお客さんの姿を真似て出迎えるんだ」

 ウニベルはそう言ってニヤリと笑ったな。

「私たちカメレオーネよ」とステラ。

「彼らは地球の人じゃないんだ」

 カマロはケントに説明した。

「空飛ぶ円盤が故障して、地球に不時着したんだ。でも修理マニュアルを無くしちゃった。もう一万年もそれを探しているのさ」

 カマロが話している間に、二人はエロニャンの姿に変わっていたんだ。一瞬の出来事だったな。

「驚いたな。いったい君たちの本当の姿はどうなんだい?」

 先生が聞くと、「カメレオンそっくり」といって、二人はたちまち小さなカメレオンに変身した。体の色が二秒ごとに変わるので、見詰めてると眼がチカチカする。とくにモーロクは眼が弱いから、思わず顔を背けたな。

 すると二人は気にして、またまたエロニャンに変身。

「僕たちはたまに変身して、エロニャンと一緒に遊ぶんだ」ってウニベル。

「深呼吸すると、空気が入って大きくなれるのよ」ってステラ。

「彼らカメレオーネは、神殿を守っているんだ」

 アマラはそういってステラにキスした。

「さあ、子供たち、出てきなさい」とステラは言ったな。

 

 すると大きな扉が開いて、無数のカメレオンが飛び出し、全員がモーロクに変身したんで、お祭りのような人だかりになったんよ。

「一万年前は二人だったけど、いまじゃ子孫がたくさんできた」とウニベル。

「だから、空飛ぶ円盤が直っても、みんな帰ることはできないわ」ってステラ。

「いったい君たちに寿命はあるのかね?」

 先生が聞くと、ウニベルは笑って答えたな。

「トカゲの尻尾切りって知ってる?」

「聞いたことあるな」

 

 するとウニベルは「ウーン!」て力んでウンチをたれたんだ。そのとき尻尾も取れてヘビみたいにクネクネ暴れ出した。暴れてるうちに尻尾の太いところが変形して、頭と胴体が出来上がってきた。で、オギャーオギャーって泣き始めたんで、子供が生まれたって先生にも分かったんだな。

「あんた、また子供産んだの?」ってステラは怒った。

「ごめん、先生に見せたかったのさ」

「そうか、君たちは分裂して子孫を残すんだ!」って、先生は感激して叫んだ。

「それに僕たち自身も死なないのさ」

「あたしたちは体の部品が古くなると自動的に捨てて再生するから、死ぬことはないのよ」とステラ。

「でも、分裂する気力をなくしちまうと、死んじゃうんだ。取れた尻尾も、僕の場合は再生まで一年かかるさ」

 ウニベルは言って、ため息をついたな。ウニベルは高齢者なんだ。

 

「で、生きる気力は?」

 先生が聞くと、ウニベルはニヤリと笑い、「生きるって分裂することさ。僕は一万歳だけど、気は若いのさ。みんな故郷に帰りたいんだ。そいつがエネルギーになるのさ」

「あなたたちの星って、そんなに素敵なの?」

 ナオミが聞くと、ウニベルはナオミとそっくりに変身して、「君は僕を見て、どう思う?」ってたずねるんだ。

「まるで鏡を見ているみたい」

「そう、鏡さ。君は自分の素敵な姿を見たいって思うんだ。すると鏡は君のありのままの姿を映し出してくれる。でも地球では、鏡を見てがっかりする人もいるよね。ところが、僕の星の鏡は違うんだ」

「あなたの星の鏡はどう違うの?」

「僕の星じゃ、本当の自分を見ることなんかできないのさ。鏡だけじゃない。僕も、恋人も、友達も、食べ物も、自然も、みんな僕の理想に合わせて変化しちまうんだ」

「だから誰もがっかりすることはないのよ」とステラ。

「でも本当は、自然が僕に合わせてくれてるんじゃない」

「あたし自身が周りの人や自然に瞬間的に同調しちゃうから、ガッカリする暇もなく楽しくなっちゃうのよ」

「じゃあ君たちは、夢の中で生きているんだね?」と先生。

「そうじゃないさ。思うままに生きてるんだ。僕の夢は無数のバリエーションがあるのさ。だから僕の気がつかないうちに、夢のほうが勝手に環境に合わせちゃう」

「それって、信念だとか理想がないってこと?」

「ちょっと違うな。どれでも楽しければ、そんなの必要ないもの。結局僕がカメレオーネだからなんだ」と言って、ウニベルは愛らしく笑い、たちまちカメレオンの姿に戻った。

 

「君の言うことは難しくて分かんないけど、地球じゃ、それが上手くいってる?」とケント。

「上手くいけば、故郷に帰ろうなんて思わないさ……」ってウニベルは返した。

「きっと上手くいかないのは、この神殿に昔の人たちの壊れた夢が溢れているからだわ」

 ステラはカメレオンの姿で、客たちを神殿内に導いたんだ。

 

(つづく)

 

 

 

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