詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

小説「恐るべき詐欺師たち」(最終)& 詩

宇宙人待望論

(戦争レクイエムより)

 

昔、神が存在しなかったとき

男たちは力任せに人を殺し、強姦し、略奪を繰り返した

僭主たちは強引に他国へ侵攻し、町々を破壊し尽くした

悲嘆に暮れた多くの人々は平和を願い、幸福を望んだ

そのとき、一人の男が、超越的な神を持ち出して

世界を統一しようと目論んだのだ

人々は幸せを求めて、言葉巧みな男の言に耳を傾け

超自然現象である神に、混乱する世の平定を託した

 

しかしそんな神の代理人は一人ではなく

様々な民族が様々な神を創り上げ

神の名を騙って僭主と同じ振る舞いをし

いまになっても神どうしの戦いは繰り返されている

科学が発達するにつれ「神は死んだ」と主張する者たちも増え

神なき時代の僭主たちが古の亡霊となって

再び跋扈するようになってきた

 

人々の我欲が変わらないなら

時代の感性も古代と変わらず

そんな古代人が核兵器を持つに到っては

世界の滅亡も空言ではないだろう

 

最近、忍びの宇宙人たちが

UFOを大胆に飛ばし始めたのも

地球の滅亡を見越したからに違いない

彼らは預言者たちの言うとおり

流星群のように降ってきて

こう宣言するのだ

 

「武器を捨てなさい。いまから地球人は

宇宙人の管理下に入ります」

 

 

 

 

スケープゴートになった男

 

妻に毒づかれた次の朝の始まりに

顎の下に白い髭がふさふさとしていることに気付き

一夜にして老人になったのだろうと杖を探したが

その手は彷徨うための蹄に変わっていた

驚いて妻を呼んだがメエメエ啼くばかりで

またも箒で叩かれ寝室を追い出されるしまつだ

しかし糞はしっかりたれてやった

外へ出ると長い睫毛は陽光を遮り

わが牧場は妙なる色彩で満ち溢れていた

すべてはご馳走だ 有り余るほどの…

延々と 遠く隣の爺さんの牧場までは

食い放題のグラス・バイキング

草々は百色の微細な緑で喜びを演出し

よりどり緑の味わいを堪能させてくれる

仲間たちは我が物顔に黄色い出っ歯をひけらかし

サクサク草むしりに熱中する …なんという心地よい歯音

いつになっても腹を空かせるローマ貴族のように

いつになっても食べ続ける楽しみは続き

選ばれし者の至福がアダージョで流れる

ああ神はなぜヤギたちに豊かな食い物を与えてくださったのだろう

ああ神はなぜサルどもに卑しい飢えをお与えになったのだろう

見よ ヤギたちの幸せに満ちたやさしい顔つきを

見よ 妻たちの不幸せに満ちた苦渋の顔つきを

そのとき 私と妻の視線が合ってゾクゾクと戦慄が走った

かつて私に降り注いだ肉欲の眼差し まるでオオカミだ

嗚呼何たる失念 今日は年に一度の結婚記念日

待ちに待った大盤振る舞いの日 

貧しさゆえの捧げものの晩餐に

綿々と生贄のように生きてきた私が

綿々と生贄を演じてきたヤギの身代わりに

軽々しい命を妻に捧げなければならないとは…

そうだ、神は万物を等しくお創りになったはずだ

幸せな者にも不幸は訪れ 不幸な者にも幸せは訪れる

しかし決して稀でない例外として

不幸な者にはさらなる不幸が…

 

 

 

 

 

小説「恐るべき詐欺師たち」十(最終)

 

 東京へ向かう汽車の中でチエと太郎は同じシートに座り、太郎は悔し涙を流した。

「嗚呼、確実な効果を狙ったからニセ薬に覚醒剤をたらしたんだ。この作戦のキーポイントだったからな。バカだよ、最悪だ。最悪の結果だ!」

「シャマンにどう報告するの?」とチエ。

「電話で報告するさ。君もしばらくはシャマンと会わないほうがいい。面が割れてるからな。いずれ人相書きも出回るさ。ちきしょう、釣り上げた魚の糸が切れやがった」

「それよりも私たち、とうとう人殺しね……。明日のトップニュース」

「殺そうと思ったわけじゃない。年寄りは恐いぜ。確かに間違いだった。嗚呼バカめ! それに俺は変なアイデアを思い付いちまったんだ。年寄りを中毒にしちまえば、中途解約はないだろうってな」と言って、太郎は頭を抱えた。

「バカだわ。そんなのすぐにバレるに決まってる。これからどうするの?」

「ほとぼりが冷めるまで外には出ない。君もそうしたほうがいい。あんなボロ宿屋でも監視カメラくらいはあるだろう。きっと俺たちバッチリ映っているぜ」

「あんな山奥にカメラなんてないわよ。外に出ないなんて私はいやよ。シャマンに相談するわ。あなたも相談しなさいよ。しばらく海外に逃れるって手もある」

 

「さしあたって、君のアパートに転がり込んでもいいかな?」

「冗談。どんな理由で?」

「本部ビルの目と鼻の先に住んでるし、出入りしていたのがバレたらシャマンにも危害が及ぶ」

「そんな近くに住んでいるのがおかしいわ。あんたもシャマンのストーカー?」

「君はどうなんだ? シャマンに憬れているだろう?」

「シャマンのような偉大な存在になりたいわ」

「みんなシャマンの虜なのさ。シャマンは魔女か妖怪だ。俺たちの心を奪って獣にしちまう」

「まるで泉鏡花の世界ね」と言って、チエはわらった。

「わらいごとじゃない。俺たちなにやってんだ。頭を冷やせよ。人里離れた山奥で年寄りどもを踊らせてさ。狂気の沙汰でないとすればブラックユーモアか? 気が付いてみたら、一緒になって俺たちも踊らされていたんだ」

「誰に?」

「シャマンさ」

「言いがかり。こんなザルプランを思い付いたのはあなたでしょ!」と言って、チエは太郎の頬を思い切りつねった。

 

 

 その晩太郎はチエのアパートに転がり込み、二人は関係を持った。チエにはまったく気がなかったのに、成り行きでそうなってしまった。太郎は持っていた覚醒剤の結晶を少しばかり、チエのソフトドリンクに入れたのだ。明くる朝になって、狭いベッドの横に好きでもない男が全身汗まみれの裸で寝ているのを見てひどい嫌悪感に襲われ、シャワーを浴びた。クラッシュによる脱力感の中で、妊娠したのではないかという恐怖も襲ってきた。

 チエはいびきをかいている太郎にタオルを投げかけ、その上から爪を立てて揺さぶった。太郎は目を覚まし、寝ぼけまなこでチエのつり上がった目を見て、自虐体に苦笑いした。

「あなた、私にスピード飲ましたでしょう」

「さあ、記憶にございません……」

「出ていって。早く出てってよ!」

 

 太郎は黙ったまま起き上がり、性器を隠そうともせずにテレビのスイッチを入れた。ニュースが太郎たちの引き起こした事件を報道しているのを見て、太郎はヒューと口笛を吹いた。マラソン老女は崖下で死んでいた。合計三人が死に、ケンカでも五人がケガをした。全員が覚醒剤を打たれていることが発覚し、インタビューされた老人は「昔ポン中だったから気が付いていたよ」と答えていた。宿屋に防犯カメラは無かったが駅にはあったらしく、太郎を含めて三人の容疑者の姿が映し出された。チエはサングラスとマスクをかけていたので映っていてもまだ安心だ。

「万事休すだ。俺はここから出ないよ」と太郎は言って、裸のままキッチンに水を飲みに行った。

「お願いだから出ていって!」

太郎はチエの言葉を無視し、ソファーに座ってテレビを見ながら、「もう俺は降りるよ。このまま脱会だ。シャマンは正常じゃない。あいつはやっぱ魔女さ」と言った。

「シャマンを悪く言うなんて、許せないわ!」とチエは震え声で太郎を罵る。

「まあ聞けよ。君はこのままだと、また殺人を犯す。捕まったら死刑だ」

「死刑なんて恐くないわよ」

「どうだい、二人で脱会して自首するんだ。君は大した罪にならない。しかし、あと一人殺せば死刑さ」

「あなた、何でシャマンの会に入ったの?」とチエは信じられないといった顔付きでたずねた。すると太郎は薄わらいを浮かべながら「君はシャマンの手管を知らないようだね。本部の地下になにがあるか知ってるかい?」と逆にたずね返した。

「知らないわ。何があるのよ」

 

「まあいい。君には関係のない場所だ。それより、もう殺人はナシさ。君は洗脳されているんだ。殺される人間をかわいそうだとは思わないのかい?」

「おわらいだわ。あなたはいまのいままで何していたの?」

「俺の計画には人殺しはなかった。あれは単なる事故だ。しかし、君のは計画的殺人だ」

「だから何よ。みんなで長い間討論したじゃないの。『殺人有利』っていう結果が出たのよ」

ディベートかよ。ハーバード出の頭のいい連中がディベートしたって解答なんか出ないで終わるだけさ。しょせんは猿の考えることだもの。しかもその猿は九億もいて、勝手に妄想し勝手に蠢いているんだ。まとまるわけがない。いいかい、俺たちにもアウシュビッツの看守にも原爆を落としたアメリカにも正当な理由はあるんだ。でも、正当な理由ってのは、場所が変われば不正当な理由になるのさ。けれど真実が一つだけある。人が殺されることだ。ただそれは現象以外のなにものでもない。しかし、人間という猿には理由が必要なのさ。理由がないと不安になる動物だもの。で、勝手な理由を捏造するのも猿どもの特技だ。けどよ、理由なんか単なる自己満足に過ぎないのさ」

「あなたのように考えると世の中は何も進展しない。なら私は行動を優先させるわ。それから理由を考えましょう」

「まあいい、勝手にしろよ。俺は降りた。君は信仰のために人を殺す。いいだろう。ならば自爆テロだな。自己責任だ。君も一緒に死ねよ。少しは社会も許してくれるだろう。君は神の軍団の一兵卒なんだからな。英雄になる早道は突撃して玉砕することさ」と言って、太郎は下卑た微笑を浮かべた。

 

 チエは虚しさと空腹感でガタガタと震え、胃液と一緒に絶えがたい恐怖がこみ上げてくるのを感じ、吐き気を催してトイレに駆け込んだ。嘔吐の痙攣が何度も襲ってきたが、胃液一滴すら出てこなかった。

「嗚呼汚らしい、みんな吸収しちまう鈍感な体。あいつの精液もとっくに血になっちまった」と自分の体に向かって呪いの言葉を発した。身も心も神に捧げた体を所有した気になっている下衆な男から、一秒でも早く逃れたい気持ちになった。

「あなたが出て行かないなら私が出て行くわ」と言ってチエはバスローブから外出着に着替え、さっさと部屋を後にした。

 

 ところがアパートを出たとたんシャマンからメールがあり、なるべく早くに顔を出すようにとの指示だった。チエは渡りに船とばかりにさっそく本部に向かった。シャマンはチエに会うなり、「失敗しましたね。みなさんどこに行かれましたか?」とたずねた。

「分散して逃げました。太郎さんは家が本部に近いということで、私の家に潜んでいます。自首すると言っていましたわ」とチエ。

「それは危険ね。仲間を向かわせて説得させますわ。全員、ほとぼりが冷めるまで国外へ出てもらいます。あなたはとんだとばっちりを受けましたね。私にも責任がございます」

「とんでもございません。でも夜中、太郎さんにレイプされました。知らぬ間に覚醒剤を飲まされたんです。きっと鬱憤晴らしです」と言って、チエはポロポロと涙を落とした。シャマンはチエを抱いて「かわいそうに……」とつぶやき、そのままチエが落ち着くのを待った。チエは畏れ多い気がして、少しばかり離れてシャマンの顔を見ると、シャマンも涙を流している。

「神の試練は、いつもこのように苛酷なものです」と言って、シャマンはチエをソファーに座らせ、自分も横に腰掛けてチエの背中に手を回した。

「目的が達成されるまでに数多くの試練が襲ってきます。そしてそれらを乗り越えて頂点に立つと、また次の目的が遠くに見えてくる。人間、歩みを止めるときは死ぬときです。辛ければお泣きなさい。でも、涙はすぐに枯れてしまう。枯れてしまえばもうそれは過去のこと。過去は忘れて、再び走り出さなくてはいけません。私たちには目的があるのですから……」

「分かりました。あの人も失敗してやけになっていたんです。許しますわ」

「いいえ、卑劣な行為を許してはいけません。私たちの神は、右の頬を打たれれば左の頬も差し出せとは言いませんわ。許すことは運命を受け入れることを意味します。苛酷な運命に対しては戦うべきです。受身のベクトルは負のエネルギー、滅亡のエネルギーです。許さずに横に置き、しばらくは放置しなさい。軽蔑し、侮蔑し、横をすり抜けるのです。あなたの任務は一つです。高い目的に向かってエネルギーを集中させ、爆発すること。もしそれが滅亡を導いても、激しく散ることに意義があるのです」

「分かりました。シャマンの教えに従います」とチエが言うと、シャマンはベネチアレースのハンカチを出してチエの涙を拭い、その濡れたハンカチで自分の涙を拭った。

 

「さて、神からの指令が下りました」

「といいますと……」とチエは不安そうにたずねる。

「画竜天晴のお仕事です」

 チエの顔から血の気が失せ、体を震わせたのに気付いて、シャマンは「これもまた、乗り越えなければいけない試練ですわ」と付け加えた。

「こんなに早くご命令が下るとは思っていませんでした」

「早々の失敗によって、神はほかのプランがドミノ倒しになることを怖れておいでです。あなたのすばらしいプランまで失敗に終わらせてはなりません。神も私も、あなたに期待しているのです。時間がありません。できるだけ早く。少なくとも明日までにケリを付けてください」と言って、ハンドバッグから小さな薬瓶を出し、チエの手に握らせた。

「イズー姫の母がつくったと言われる、アイルランドに伝わる毒薬です。これをスポイトに一滴とり、飲み物に入れるのです。一滴で十分ですわ。心臓を麻痺させ、解剖しても分かりません。ご老人ですから、虚血性心不全という診断になります」

「ありがとうございます」とチエはシャマンに礼を言った。

「あなたのミッションが成功すれば、あなたは神の軍団、地球師団の英雄になれるのです。あとひとふん張りね。仕事が終わったら、しばらくアメリカに行っていただきます。さらに英語を勉強するのです。あなたは幹部候補生なのですから」

「ありがとうございます」

 

「それでは、勝利のために禊ぎの儀式を行いましょう」と言って、シャマンはチエを地下に設えられた禊ぎの間に連れて行った。太郎が言ったのはこの施設に違いない、とチエは思った。床も壁もカッラーラーの白大理石でできたアトリウム風になっていて、イオニア式の円柱で円形に囲まれ、入り口には「神のみぞ勝利者なり」と銘が刻まれている。円柱の内部は三十平米ほどの浴場で中央に大理石の丸い浴槽が掘られ、なみなみと湯がたたえられている。天井はドーム状のプラネタリウムになっていて、いまは夕焼け空に一点明星が輝き、列柱も湯もシャマンのギリシア風衣装まで金色に染まっていた。

「さあお脱ぎなさい、裸になるのです。清めてさし上げましょう」と言って、シャマンは衣装を留めていた肩のピンを外した。まとわり付いていた白蛇が気絶したかのように、肩から足首にかけてスルスルスルと衣装がはだけて金色の裸体があらわになった。チエはその美しさに思わずアッと声を出し、これは黄金製の女神像だと思った。あまりにも神々しい女体の前で貧弱な裸をさらけ出す恥ずかしさがあったが、「さあ」というシャマンの誘いを拒否する勇気もなく、シャマンは神の使いなのだから比較する存在ですらないことを自覚すると、少年のような中性的な体を見せる勇気も出てきた。湯気の向こうからは、きっと姉と弟が手を取り合っているかのように見えるだろう。二人は湯に沈んだ薄広の石段を降り、胸まで浸かって顔を見合わせると同時に微笑んだ。しかし、シャマンの口から出た言葉は意外なものだった。

 

「あなたは太郎チームの失敗の一部始終を見ていました。そのとき、あなたの魂はどこにいましたか?」

チエにはシャマンの質問が分からず、「おっしゃる意味が分かりません」と素直に答える以外なかった。

「あなたは当事者だったのに魂は傍観者だったのです。魂は否定したい現実を前にすると、いつも体から抜け出して傍観するのです。人が溺れ死のうとするときにも、魂はアメンボウのように水の上にしゃがみ込んで、自分の体が沈んでいくのを見つめているのです。私の言うことが分かりますか?」とシャマンは言って、湯気の向こうでキラリと瞳を光らせた。

「なんとなく分かります」

「はっきりと分からなければいけませんわ。失敗や悲劇を強引に引いていくのは運命で、その力に抵抗できないことを悟ると当人すら傍観者になるのです。そのあとには死か脱落のみ。けれどあなたは、最初から傍観者然としていました。太郎チームの課題は、事前に失敗事例のシミュレーションをしなかったことです。NASAが打ち上げるミッションでは、それは許されません。あなたは外部の目で、計画を検証しましたか?」

「いいえ、しませんでした……」

「会社で言えば、あなたは外部取締役の役割を担っていたのです。彼らは自分たちの計画に有頂天でした。成功を信じ、失敗の可能性を考えませんでした。それを冷静な視点で検証して不備を指摘するのは外部取締役の役目です。私は単なるお手伝い、傍観者をあなたに期待していたわけではありません。でも、幹部候補生だと思って何も言いませんでした。そこは私の失敗です」

「申し訳ございませんでした。まったく気が付きませんでした……」とチエはつぶやくように言って目頭を熱くさせ、両手で顔を抑えた。

 

「神は私たちに命がけの仕事を期待しているのですよ。でも、一か八かの賭けではありません。魂のこもった丁寧な仕事です。昨日のことを思い出してください。死者が出ても、病院に連れて行くとかウソを言って山林に埋める手はありました。いきなり逃走というのは、死者が出た場合のシミュレーションを怠ったために対応が分からず、焦りが出た結果です。途中で放棄せず、最後の最後まで諦めなければ小惑星探査機だって地球に戻って来られるのです。三日間バレなければ入金もされていたでしょう。神は失望されていましたよ」

 チエは溜まりかけていた涙腺を再び絞り切るまで大泣きした。まるで子供のようにしゃくり上げるチエを、シャマンのふくよかな胸が抱きしめた。

「さあ、これで後悔の涙は忘却の泉に流れ去りました。あなたの禊ぎはこれで終了です。神は二度の失敗を望まれません。私もあなたが成長したことを信じています。さあ、今日中に決行しなさい。吉報をお待ちします。その前に、清められたあなたの体に神が降臨され、勇気を授かります」

 シャマンはチエの額に接吻した。柔らかい唇の感触がチエの神経を痺れさせ全身に広がっていった。その唇は滑るように鼻に降りていき、チエの唇と重なった。チエはシャマンに抱きかかえられるようにして、奥の小部屋へと向かった。そこは妙なる香りが満ち、丸い部屋全体が巨大な純白のクッションで満たされていた。チエはシャマンに手を引かれて中心に来ると、シャマンとともに横になって合体し、降臨の瞬間に向けて鋭利で刺激的な感覚を高めていった。

 

 

 

 チエは午後になって徳田財団に戻った。まずは一階の事務所に行き、そこに居た蒲田に耳打ちした。

「今日中に決行します」

蒲田は、「グッドラック」と言ってウィンクをし、手を差し伸べた。チエは鎌田と握手をし、次に殿山とも握手を交わした。それからエレベータで五階に向かった。徳田の執務室に入ると徳田は立ち上がり、頭蓋骨にへばり付いている面の皮を皺くちゃにさせて満面の笑みを浮かべた。たった十日間空けただけなのに、一年も会っていなかったような喜びようだ。

 

「それで、援助する子供たちの国は見つかったかい?」

「お父様、調査にはあと少しかかりますわ。北アフリカに行ったんですけれど、民主化暴動が起こりまして、危険なので一旦帰国しました。でも、アフリカの情勢は分かりましたから、今度は南米の調査に入ります」とチエ。

「そうかい、着々と進んでいるんだな。安心したよ。現地に学校を建てるんだ。それにこっちにも建てて子供たちを留学させ、日本の製菓技術を教えるんだ。寮もつくろう。蒲田君にそこらへんは任せている。君は世界中で最もかわいそうな子供たちを捜すんだ。食う物も無く、病気になっても呪術師しかいない国の子供たちだ。僕はそれほど長くない。けれど子供たちの笑顔を見ないでは死に切れないのさ。君は僕の手足になって捜すんだ。僕たちの援助を最も必要としている子供たちを捜すんだ」

 徳田はそう言うと、やせ細った両手でチエの手を握った。すでに泣き過ぎて腫れていたチエの目から大粒の涙が止めどなく流れ出た。“ごめんなさい。神様はお父様とは反対の意見をお持ちなのです”とチエは心の中で叫んだ。“日本もどんどん貧しくなっているのよ。私たちだって生きていけなくなるのよ。みんながみんなハッピーになる世界なんて、もうありえないのよ!”

 

 

 チエは徳田をソファーに座らせると、「いまお茶を入れますからね」と言って、部屋の一隅にある小さな流し台に向かった。丸盆の上の急須に茶を入れ、電気ポットの湯を注ぎ、毒薬を多めにたらした。茶たくを二つ急須の横に置いて湯飲みを乗せる。ふと、こんな日常的な仕草はいつからやっているんだろうと思ったとたん、幼い時のままごとがセピア色で浮かんできた。

“まるで子供の遊びだわ。悪夢の中で遊ばれているようだ……”

 徳田はゴクリとお茶を飲み、「ほろ苦いね」と言った。「人生の味ですね」とチエは笑いながら答え、一気に飲み込んだ。  〔了〕

 

 

 

 

 

 

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