詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

ホラー「線虫」三 & 詩

収縮をはじめた宇宙

 

遠い未来 恐らく数千年も先のことだ

その先の未来は過去であるというおかしな事態が発生した

膨張する宇宙は宇宙の果ての壁にぶつかって

本能的に収縮をはじめたに違いなかった

人々は宇宙が巨大なアメーバであることを発見したのだ

宇宙が収縮をはじめると 究極の目標はビッグバンに設定される

無限大のシリンダー空間から砂粒以下のハナクソまで

宇宙の運動は巨大なピストン運動であったことが実証されるだろう

人々はそんな途方もない御伽噺の中で生きていることに失望した

特に科学者にとってもっともやっかいな問題が発生した

宇宙の収縮期においての時間の取り扱いである

時間はアインシュタインの予言どおりに逆流を始めたのである

世の中はまるでフィルムを逆に回したように過去へと退化していった

いやこれは見方によれば進化とも言えるし 変わりゃしないという奴もいるだろう

しかし世の中でいちばん喜んだのが幽霊どもに違いなかった

骨壷は墓から引き出され 焼場で再生されて肉付けされ

魂を吹き込まれて遺族の元に帰っていった

もちろん喜んだ遺族もいれば悲しんだ遺族もいる

遺産をもらった息子や再婚した妻には深刻な問題が発生した

殺された人間は生き返って殺人犯を捕らえるが

そもそも生きているのだから殺人はなかったことで和解した

幽霊の次に喜んだのが老人たちである

白髪は黒髪に 禿には毛が蘇り むらむらと異性を求めてうろつきはじめた 

ところが政府が調査をして意外な事実を発見した

多くの貧乏老人がまたまた辛い人生を繰り返すのが嫌で自殺を試みたという…

しかし宇宙の収縮期において自殺は不可能なパラドックスである 

人のみ授かった唯一の特権を神に取り上げられてしまったのだ

全宇宙の起点は逆転した すべての人間は母胎に戻って死んでいく

嗚呼 この事実が新たな課題を人間に投げかけた それは寿命の問題だ

もっとも喜ばしいと同時に悲しい出来事は 死んだ幼子が蘇ったことなのだ

幼子は墓場から出てすぐに母親の子宮に戻り消えてしまった

母親はしぼんでいく腹を擦りながら別れの涙を流した 二度の絶望…

世の中はもちろんのこと 人生も悲喜こもごも…

時間が逆行しようとするまいと 慣れてしまえば同じことだ

いや 慣れる以外になにもできない無能な人間ども…と言うべきか

ただひとつ 余命がはっきりとして人々は覚悟を決め

その分少しは賢くなったに違いないが 

ささやかな財産は子供にもどって落としてしまった 

嗚呼 そして人々はようやく理解することができただろう 熟成も老成も無味乾燥

世の中なんにも変わらなかったということを…

今はあの戦争の最中だが 兵隊たちはゾンビのように蘇り

嬉々として鉄砲を打ち合っている 

死への恐怖をまったく忘れて…

 

 

 

ホラー「線虫」三

 

 

 武藤が勤務医を辞めるにあたって、後任の医師が決まるまでに二カ月も要してしまったが、その間に吉本は世間体を配慮したものか、研究所としての体裁を整え、武藤を助手に迎え入れる準備を終えていた。まずは酒造免許を取った。次に、小屋の入口に悪魔酒造研究所と看板を掲げ、寺と研究所の敷地の間に柵を作り、境内を通らなくても出入りができる裏道を造った。費用はすべて寺が負担したといっても、研究にかかる費用も住職が払っていたわけで、檀家はそんなことを知る由もなかったが、騒ぎ出したのは目に見える柵が出現したからだ。檀家たちは境内の一部が売られたものと勘違いし、群れをなして寺に押し寄せたのである。ところが住職も吉本も落ち着き払って檀家の群れを本堂に招き入れた。そこには一斗樽が二つ置かれていた。

「今まで秘密にしておりましたが、実は地場産業の育成を考え、地元名産の酒を研究しておりましてな。このたびようやく良い味のものができまして、ちょうどいい機会ですから試飲をしていただこうと、ここにご用意いたしました」と住職。

「しかし、悪魔酒とはまたずいぶん大胆な名前を付けられましたな」と、振り上げた手の収めどころに窮した檀家総代は、にがわらいしながら言った。

「さあ、実際に売り出すとなるともっと良い名前を考える必要もあろうかと思いますが、ちゃんとした工場も建てなければならんわけですし、最短でもあと一年はかかろうかと思います。まずは試飲をしていただき、酒の味にはうるさい方々もちらほらお見受けしますから、忌憚のないご意見をうかがいたい。その前に、私がほれ込みました杜氏の先生をご紹介いたします」

 住職によって吉本は紹介されたが、さんざん妙な噂を流していた檀家たちはまともに吉本の顔を見られない。吉本は薄笑いを浮かべながら、使用人たちに試飲の用意をさせた。すると堂内の緊張は氷解し、たちまち私語でざわつきはじめる。

「なんだ、どぶろくか」と、白く濁った酒を見た一人ががっかりした様子でつぶやく。最初は恐る恐る湯飲み茶碗に口を付け、少しばかり口に含んで舌の上で転がしたところで、一転ゴクリゴクリと。酒の喉元を通り過ぎる音が聞こえるほどに堂内は静まり返り、ピンと緊張した異様な空気の中で檀家たちは次々に茶碗の酒を飲み干した。

「もう一杯」としわがれた老女の声がした瞬間、いたるところから「私も」「俺も」という声が立ち、今度は騒然とした光景に急変した。使用人たちは忙しなく給仕に追われ、二つの樽はたちまち空になった。追加の樽が運び込まれてからはもう止まらない。ご本尊を前にして、飲めや歌への大宴会が始まってしまった。そしてしまいには、全員がだらしのない格好で寝込んでしまったのだ。

「住職。これでうるさい連中も片がつきましたな」

「しかし、毎晩のように酒をせびりにくるかもしれん」

「だから早くに工場を建ててくださいよ」

「ご安心なさい。きっとこの方々が工面をしてくださるよ」

 二人は悪魔酒を茶碗に注ぎ、乾杯をした。

 

 その明くる日は武藤の初出勤日。境内で午前様の檀家たちと出くわしたときに、連中が悪魔酒を振舞われたことを知ったのだ。

「先生、お目が高いですな。なんで医者を辞めてこんなところに勤めるのかとみんなでいぶかっておったんだが、あの酒は地方の名産品になりますぜ」

 檀家集団の中にいたなじみの患者に声を掛けられ、武藤は頭から血が引いた。

「境内からは入れませんぜ。柵をしたんだ。お寺がどぶろくを造ってるなんて聞こえのいい話じゃない。門に戻って、右に行けば研究所の表示が出ていますよ」ともう一人。

これだけの人数が悪魔の酒に取りつかれた。吉本に対する激しい怒りが沸き上がったが、長年の医療で培った冷徹さで、ぐっと押さえ込むことができた。いやこれは吉本も指摘したように、秘密研究隊育ちの生まれ持った冷酷さなのかも知れなかった。一瞬、彼らのその後の経過を観察したい気持ちがよぎったからだ。武藤は、顔を赤くさせながら呟いた。

「落ち着け落ち着け。あいつは治療法も心得ている。僕の使命は、治療法を引き出して、あいつのやろうとしていることをぶっ潰すことだ」

 

 檀家たちと一緒に山門まで戻って別れると、しばらく砂利道を右方向に歩き、研究所の看板を左折して新しくできた緩やかな傾斜の小路を上っていく。急に刑務所のような高い壁が現われた。黒光りする真新しい鉄格子の門前に吉本が幽霊のように立っている。ようこそ奈落へ、とでも言いたそうな出迎えである。

「君は檀家たちに酒を振舞ったのか?」

「出くわしたのかい。連中は上機嫌さ」

「しかし、悪魔酒を飲めば悪魔に飲まれる」

「いやいや。結果は分からんよ。いずれにしろ、治験の検体が増えたということだな」

 吉本はふてぶてしい笑みを浮かべ、重い鉄扉を開いた。傾斜のある雑草だらけのだだっ広い庭の向こうに、粗末な小屋が建っていた。小屋の窓越しにこちらを覗う女の顔が見え、武藤は思わず釘付けになった。美しい女を妻にしたものだと感心した。吉本は小屋には向かわずに塀の内側の坂道を上り、塀にぶつかる生垣の隙間から墓地の中に入った。そこには、地面から突き出たピラミッド状の墓石らしきものがこちらを向いている。墓石は三メートルくらいの高さで、なぜか墓参道とは反対側に、緑青を吹き出した青銅の扉が付いている。武藤は憂鬱な気分になった。軍の秘密研究所を思い出したからだ。

「俺はここからは入らないんだ。家からも入口があってね。しかし君はここから入ることになる。鍵は預けるよ」

 吉本は大きな鍵をポケットから取り出し武藤に渡した。武藤は鍵穴に鍵を挿し込んで、ガチャガチャと手間取りながらも、中途半端の深さのところで上手く回転させ、ギーッと音を立てながら重々しい扉を開いた。現われたのは地下への長い石段である。ピラミッドにでもありそうな重々しい大谷石の階段を見て、武藤は顔をこわばらせた。どうやら行き先は奈落のようだ。「恐がることはないよ」と言いながら吉本はニヤリと笑い、先に下りていった。

 

「ここらあたりは昔、石切り場だった。お寺だって、石を切り出した空洞の上に建てられているんだ。死体を安置する場所には事欠かない。どうだい。昔を思い出した?」

 秘密研究所も銅鉱山の廃鉱跡を利用して造られた。この石段は研究隊員の出入口を模しているように見えなくもない。二人は狭く長い石段を下りていった。

「そういえば、君は地上に出ない男として有名だったな」

「それだけ研究に没頭していたのさ。いや、地下にいれば爆弾の洗礼を受けることもない。研究を邪魔する余計な雑音も聞こえてこない」と吉本。

「しかし、僕は地下生活には耐えられなかった。ときたま、地上の空気を吸いに浮き上がったさ。なぜだか分かるかい?」

「さあね……」

「あの腐臭さ。生体実験をした捕虜たちの死体が放つ……」と言いながら武藤は突然めまいを感じ、吉本の肩に手を掛けた。

「どうした?」

「いや、なんだか人間の腐った臭いを嗅いだような気がしたんだ。甘酸っぱい、あの耐えられない……」

「君はそれで医者か?」

 吉本は声を立ててわらった。

 

 しかし幻覚ではなかった。石段を下りるほどに腐臭が強くなっていく。石段を下り切ったところで目にしたのは、広大な地下墓地だった。青白い月明かりに照らされているようにうっすらと見える広間は、直径十メートル、高さ五メートルほどの円筒状で、高い所まで無数の横穴が整然と穿たれている。その一つ一つに青白く光る頭が見えるのである。それらの微光が照明の役割を果たしている。黒い髪、ごま塩、白髪、ふさふさとした髪、小さな頭、そしてハゲ頭を見たときに、ホール内の重く淀んだ腐臭にはそぐわない頭皮の艶やかさに、武藤は唸り声を上げた。

「どれも死んだばかりじゃないか!」

「そう見えるだけさ。死後五年以上の仏もいる。まあ、エジプトのミイラに比べれば新鮮だ。ここは身寄りのない仏の共同墓地さ。この寺では土葬が慣習だ。地下には戦国時代からの採石跡が縦横に張り巡らされている。壁はどこでも墓穴になる。だから俺は、ここに研究所を造ることにした。君、秘密研究所で俺が何をしていたか、まさか忘れたわけじゃないだろ。酒造りの前の仕事さ」

「ミイラ……」

 武藤は、吉本が死体愛好者と噂されていたことを思い出した。

「君。俺の研究はどれも取るに足らない趣味だと思われていた」と吉本は吐き捨てるように言った。

 生体実験で死んだり、廃人になって薬殺された捕虜たちの死体は外に出すわけにもいかず、坑道の奥の奥まで運ばれ、竪穴に放置された。しかし、土を被せても腐臭が研究施設や捕虜の牢獄まで漂ってきて、これに悩まされた研究隊長は、その対策を一人の研究隊員に命じたのだ。同僚との協調性がなく、手を焼かれていた吉本である。酒の研究を始める前のことだったが、三カ月以内に臭いの問題を解決してみせ、研究隊長を驚かせた。隊長がその解決手法を聞いても「ミイラにすればいいのであります」とわらいながら答えるだけだったが、そのうち「あいつは捕虜の死体を自分の糞に変えている」という妙な噂が流れるほど太りはじめ、血色も良くなった。しかし誰も、殺した捕虜たちのたたりを恐れて、処理現場を確認することはしなかったのだ。

「俺は画期的な死体処理法を思いつき、あの研究所から追い出されずに済んだし、外地へ送られることもなかった。そして、死体処理の研究を酒造りに生かすこともできたんだ」

「ミイラづくりが酒造りに生かされるとは初耳だな」

「ミイラはウソさ。死体を腐敗菌でなく、乳酸菌で発酵させれば腐ることはない」

「しかし、乳酸発酵させたフナ鮨はひどい臭いだぜ」

「だからそれもウソ。死体を腐らせない妙案って何だと思う?」

「……」

「蛆さ。蛆に食わせちまえばいい。食い意地の張った蛆を品種改良で作る。肉が腐る前に平らげるような早食いの蛆だ」

「しかし、蛆はやがて蛹になり、蝿となってお空へ飛んでいく……」

「詩人だねえ。それなら、羽の生えないやつがいい。さて、君だったら何にする?」

「……」

「君は医者だが、俺は生物学者だ。秘密研究所の建てられた廃鉱は、特殊な環境だった。あんなに優秀な学者がそろっていたのに、誰も気が付かなかった。君も知らないだろう」

「特殊な環境?」

「俺たちはきっとガンで死ぬ。あの廃鉱は、非常に高い放射線に晒されていたんだ。銅の鉱脈の下には、きっとウラン鉱脈があったはずだ。」

「知らなかった……。少量のラジウムは金庫に保管されていたが、線量測定器はどれも壊れていたからな」

 すると、吉本は横穴の一つからガイガーカウンターを持ち出し、スイッチを入れた。ガリガリガリという不気味な音がホールに響き渡る。

「なんだよ。ここも放射能で汚染されている」

「そうさ。この地下の深くにはウランの鉱脈があるのさ。あの研究所と同じだ。しかし、恐がることはない。俺はこうして元気でやっている」

「冗談じゃないな。ひどい線量だ」

「まあいい。話を戻そう。俺は、死んだ捕虜たちを横に並べて、一体一体に懐中電灯を当てながら、死体の腐り具合を調べていた。そんなとき、君だったらどんなことを考える?」

「我々はしかし、研究のことしか頭にはなかった。実験で死んだ死体を解剖するのも日課だった」

「いやいや、俺は君よりももっと死体のことを考えるんだ。この世にオギャーと生まれてから、いったい何歳まで幸せに暮らしていたんだろう。恋人はいたのかな。なんの因果で爆撃部隊に配属され、焼夷弾を東京に落とさなければならなかったのだろう。おまけに、宝くじに当たるくらいに運悪く、オンボロ高射砲に被弾し、落下傘で降りたところを住民に捕まって拳固でボカスカ殴られ、あげくの果てには後ろ手に縛られ、実験動物としてここに送られてきたんだ。そんなことを考えるとひどく悲しくなり、いとおしくなり、添い寝でもしてやりたい気分になってくる……」

「正常と異常の境は、本当に添い寝をしたかどうかだな……」

「君は研究所で流れていた噂を知らないのかい? 俺が腐った肉を食っているという」

「本当に食ったのかい?」

「あれはデマさ。しかし君たちの罪償いとして、捕虜たちの家族に、せめてきれいな死体を見せてやりたいとは考えたのさ。それは、腐臭に悩まされていた隊長の意向にも合致する研究テーマだ」

「やはりミイラだ。その前に解剖で切り刻んだ肉片を縫い合わせる」

「違うさ。話は戻るが、俺は端から鼻を押し付けて、一体一体の腐り具合を調べていった。それぞれの死んだ日時と、腐臭の相関関係をまずは調べようと思ったんだ。ところが、一体だけ、まったく腐臭のしない死体があったのさ。しかも、死んだ日付は一番古かった。驚いて、そいつの顔に光を当てた。二十歳前後の若い白人だった。高い鼻の穴から、キラキラ光る白い何かが出てきたんだ。何が出てきたと思う?」

「蛆だ」

「と最初は思った。しかし、ピンセットでつまみ出してみると、それは蛆に似ていたが、蛆ではなかった。放射線環境で変異を起こし、巨大化した恐るべき生物」

そう言うと、吉本は死体搬送台を一番下の穴のハゲ頭に持っていき、手馴れた手つきで死体を引き出して搬送台に乗せた。横穴にはコンベヤのようなものが敷かれてあり、高い所の死体も小型クレーンで簡単に引き出せる仕組みになっている。

「こいつは熟し切っている。収穫時さ。さあ、君の経験から、死後どのくらい経っているかを当ててごらん」

 五十くらいの小太りの男で、うっすら青白く光っているのは気持ちが悪いが、死んでいるようにはどうしても思えないのである。今にも目を覚まして、起き上がりでもしそうな生きの良さだ。武藤は恐る恐る、右の瞼を持ち上げた。「生きている!」と叫んで武藤は思わず手を引っ込めた。

「いいや、死んでいるさ」

「しかし、黒目が動いたぞ」

「死んでも黒目は動くさ。生きている証拠とは限らんのだよ」

「バカな。死んだ人間の黒目が震せんするわけがない」

「思い込みはいかんな。君は科学者の端くれだろう。死んだ人間は動かないというのは非常に非科学的だ。足の神経に電流を流せば、死んでいても足は曲がる」

「つまり組織が腐っていないほど、新鮮な死体だ」

「いいや。これは五年前に死んだ男の死体さ。証拠が見たいなら、死体の口を思い切り開けてごらん」

 武藤はためらい、なかなか手が出なかった。本当は生きていて、噛み付いてくるかもしれないと思ったのだ。ひょっとしたら、こいつは殺し屋で、武藤の隙を狙って襲いかかるかもしれない。

「どうした。なにをためらっているんだ。君はそれでも医者か。死体を扱うのは慣れているだろう」と言って、吉本はうすらわらった。武藤はやけくそ気味にカバンからゴム手袋を出して手にはめ、死体のおとがいを思い切り下に引いた。そして、腰を抜かしてそのまま後ろに倒れ、尾てい骨を石の床にしたたか打ち付けた。

 口から溢れ出したのは大きな線虫の固まりである。二センチ程度のものからミミズ大まで、無数の線虫がとめどなく流れ出し、首の両脇部分の板に開けられた穴を通って、台下に吊り下がるガラス容器に入っていく。線虫の頭がときたま光る。それは睨みつける視線を感じさせるほど不気味に輝いた。死体はみるみる空気を抜かれた風船みたいにしぼんでいく。あげくの果てにはシート状になってしまい、中身の線虫はすべてガラスタンクの中に納まってしまった。

「だらしがないなあ。腰を抜かしたのかい。君が死体だと思っていたのは、皮袋だったのさ。昔の遊牧民は、羊の皮袋に水やワインを入れて運んだものだ。俺は、人間の皮袋に線虫を入れて飼っている」

「線虫? 線虫にもいろいろある。寄生虫だって線虫類の一種だ」

「こいつらのルーツは洞窟の苔や植物の根に寄生する土中の小さな線虫さ。それが突然変異を起こした」

「キラリと光る目ができた?」

「アハハ、あれは牙さ。肉を食いちぎる肉食動物の牙だ。丸い口の周りに十本くらい生えていて、複雑な動きで肉を摘み上げてちょん切る」

「しかし、頭蓋骨も背骨も腰骨も、うまい具合に抜いたものだな」

 武藤は腰を抜かしたまま、震え声で言った。

「みんな虫が食ってくれるさ。いいかね。死体は線虫の餌になるんだ。ハエが死体に卵を産みつけ、卵が孵ると蛆虫は肉を食って大きくなる。ちょうどそんなイメージだ。線虫が死体をほとんど食い尽くしたときには、死体は張りぼてとなる。この死体はもう用済みさ」

「どうするんだい?」

「昆布巻にして、どこかに放り投げる。千年後の人間がそれを発見し、千年前には首狩族がいたなどと嘘っぱちを唱える」と言って、吉本は紙のような死体を乱暴に台から引きずり下ろし、床に放置した。

「しかし、そのタンクの線虫はどうするんだ」

「想像がつかないのかね。君は科学者にはなれんな。すぐにピンとくるはずだよ」

「まさか……」

「そのまさかさ。これは米だ。俺はムシニシキと呼んでいる」

 吉本は顔面蒼白になった。そうだ。あの酒の白さは、どぶろくの白さではなかった。蛍光塗料でも入っているように、艶々と光る。それどころか、暗闇では蒼白く発光した。喉を通る酒の流れが見えるくらいだった。いったい悪魔酒の原料はなんなのかと研究隊員たちの間でも取りざたされたが、吉本は決してばらそうとしなかった。しかし、原料もわからない酒をなぜみんなは平気で飲んでいたのだろう。研究所には、酒の原料となる穀物は一切入れていなかったのにかかわらずである。ひょっとしたら捕虜の死体かもしれないと、仲間たちは薄々気付いていたに違いない。知っていても止められないほど、悪魔酒に飲まれていたのだ。

 

(つづく)

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

 

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

 

 

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