詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

ホラー「線虫」一、二 & 詩

街角霊(怨霊詩集より)

 

私 あのときの一人です

夢を楽しむ明るい少女

たくさん花束ありがとう

知らない私に高価な花を

覚えていますよ一人ひとり 

やさしい方たち見かけます

でも 私のことはうわの空

忘れてしまった悲しい記憶

いちど花をくれたんだから

きっと死ぬまで捧げてほしい

みんなみんな 忘れてしまうから…

 

いつも悲劇は繰り返す

たちまち冷たい熱いお湯

ケロッと忘れたうちのタマ

忘れないでね待ってるから

忘れることは滅びること

ずっと昔のことでさえ…

 

 

呪縛霊(怨霊詩集より)

 

お前は知らないだろう

お前を造ったプロメテウス

その生き様はお前と同じだ

岩も縄も必要ない

妻も子供も上司も客も

お前のすべてに纏わりつき

がんじがらめに縛られて

ノドのホトケを締め付ける

お前にとって自由など

トイレの中の白日夢

嗚呼俺の苦しみを

お前に伝えてやりたいが

哀れな姿にほだされて

少しは俺も勉強した

のり移る必要はない

みんなみんな呪縛霊

 

 

 

ホラー「線虫」

 

 

 五十年ほど前に琴名村の名主の息子が仏心に目覚め、出家して十年ばかし遍歴の旅に出た後、故郷に戻って泉中寺を建てた。町となった今はその孫が住職を引継いでいる。

 この坊主は好色で、以前は隣町の色里でしばしば見かけたが、地元で噂になって檀家にとがめられたこともあり、最近では平服姿をとんと見かけなくなった。しかし、噂というのはしつこいもので、今度は別の噂が立つようになった。境内に女を囲っているというのである。

 単なる噂として片付けられないのは、あれほどの色道楽をきっぱり断つことは難しいという世間の常識だけではなかったからだ。ちょうど同じ頃、古女房とは別の女が住み着いた。三十前後の痩せた女で、昼間外出することはめったにない。病み上がりのような蒼白い顔をしながら、眼差しに不思議な色気をたたえる美人である。しかし、この女は亭主とともに住み着いたのだから、妾という噂はいささか的が外れているのだが、風評は面白い方向に展開していった。

 あの夫婦は実は兄妹か親子で、住職の愛人であることをカモフラージュしているというのだ。夫は五十くらいに見えるが同じように痩せて蒼白く、歳の離れた兄妹と思われても不思議はない。しかし、死んだ魚のような白目は妻の妖艶な眼差しとはかけ離れていて、夢も希望も捨ててしまった敗残者のように見えた。

 住職はこの夫婦のために、檀家の反対を押し切って本堂裏の森を伐採し、住居と畑を造って提供した。そこまでして、なぜゆえに夫婦を境内に住まわせなければならないのか。住職の奇妙な行動は、限りなく黒に近いという風評に変わって面白おかしく広がっていった。

 

 戸籍上ということで言えば、本当の夫婦なのだ。夫の吉本は生物学者で、戦時中は陸軍の秘密研究隊で生物兵器を研究していた。終戦を迎えたときには、研究隊長が研究資料と引き換えに、米軍から隊員への優遇を約束させた。しかしその中に、吉本は含まれなかったのである。なぜなら、吉本の研究資料が見つからず、また、仲間の取調べでも名前が上がらなかったため助手として扱われ、そのまま丸裸で焼け野原に放り出されてしまったからだ。

 しかし何も研究していなかったというと、そうでもない。頑固者で、仲間との共同研究を拒み、一人で黙々と研究を続けていた。上官の命令に従わない研究隊員がお咎めを受けず、陸軍に拘束されなかったのは、研究所にとって欠くことのできない存在だからでもある。実は、吉本の研究内容はトップシークレットの研究だった。秘密が外にばれると非常にまずいことになった。

 研究のテーマは酒だ。日本酒でも焼酎でもない。得体の知れない酒だが幻というわけではなく、思う存分に飲むことができる。食糧危機の戦時中に穀類を使わず、いかに良質の酒を大量生産するか……。

 所内では「悪魔酒」という愛称で呼ばれ、名目上は生物兵器になっていたが、いつのまにか下戸以外の隊員全員がこの酒をたしなむようになっていた。一度飲んだらまた欲しがり、二度、三度と重ねるうちに止められなくなる。アルコール中毒ではない。酒の配給は断たれ、研究隊員たちはそれまでエチルアルコールを水で薄めて飲んでいたが、仮に対抗馬が年代物の超高級ウイスキーであっても物足りなくなってしまうほど、悪魔酒には後を引く美味さがある。

 吉本は、この誘引効果を拷問やスパイ活動のツールに応用する研究をしていたというが、仲間たちにとってはそんなことなどどうでもよく、自ら進んで被験者に加わった。捕虜を使って生体実験を行う前には、どうしても酒を飲みたくなる。そんなとき、手っ取り早く飲めるのが悪魔酒だった。また、生体実験に供される捕虜たちを大人しくさせる手段としても、悪魔酒は有効だった。ところが、悪魔酒には単なるアルコール以上の依存性があった。

 止められないのである。麻薬と変わらない。しかし、吉本が進駐軍により放逐されたため、酒を断たれた全員に阿片中毒様の禁断症状が現われた。身体中に無数の虫が這いずり回るような激しい感覚で、しまいには皮膚を食い破って外に出てくる。幻覚ではあるが、これが現われると通常の精神状態には戻れない。彼らすべてが精神に異常を来たし、激しく悶えながら死んでいった。

 

 当時、消えた吉本を必死に捜していたのが武藤である。武藤は下戸のために、酒の魔手から逃れられたただ一人の研究隊員だった。仲間たちの悲惨な病状を前に、救う手立てを知っているのは吉本しかいないと考え、必死に行方を追った。吉本自身が悪魔酒を飲んでいたので、無事に生きていれば治療法を心得ていたことになる。しかし、戦後の混乱期には人捜しも多く、自分が生きることに必死で誰もまともには応えてくれないような状況の中、最後の仲間ものたうち回って死んでしまい、捜す理由は消失した。

 

 

 医師免許を持っていた武藤は、その後内科医となっていろいろな病院を転々とし、一年前に琴名町の町営診療所に赴任した。そして、先日あの中毒患者を診たのである。運ばれた患者は身寄りがなく、身体中から虫が出ていると叫びながら悶絶死した。武藤は死体を近隣の総合病院に運び、山田という外科医の助けを借りながら解剖を行うことにした。解剖の所見が、あの仲間たちと同じであることを密かに期待していたのだ。

 案の定、アルコールで肝臓が肥大はしていたものの、これといった疾患を発見することはできなかった。しかし武藤は、あの当時の解剖は稚拙で不十分であったと後悔していた。精神異常が症状なら脳を見るのは当然だが、当時は脳についての知識が無く、頭蓋骨を切るのも仏に失礼と考え、開くことはなかった。その後、少しは脳味噌の知識も身につけたから、今度は開こうと思ったのである。山田は手馴れた手つきでドリルを回し、頭蓋骨の上の部分を円周状に穴を開けていった。それから穴と穴の間を乱暴に鋭利なノミと金槌で割っていく。死んでしまえばこんな手荒な扱いかと武藤は驚きながら、マンホールの蓋を開くようにして内部を覗き込み、顔を見合わせた。

「先生ですか、この冗談」と言って、山田は懐中電灯を頭蓋骨内に当てた。脳味噌も脳膜もない。脊髄のほうまで髄らしきものは一切見当たらない。

「僕は内科医だもの、こんな高等な芸当はできませんよ」

「ミイラにしようと思ったんじゃないの? ミイラの場合は鼻の奥から脳味噌を抜く。それを食べた?」

「バカバカしい。僕を疑っている?」

 頭蓋骨の中はからんどうで、脳髄を抜いたやつがいたとしても、どこから抜いたのかが分からない。

「ヒントはありましたよ。僕はさっき気が付いたんだ」と言って、山田は死体を回して背中を見せた。尻の上の中央部分に小さな穴が開いている。

「ほら脊髄液を採る場所。ここから脊髄に針を入れて、バキュームをかけて吸い込んじまった」

「そんなことできます?」

「分かりません。でも、きっと尻尾まで脊髄も抜かれていますよ」

 二人が首と背骨の骨を割って調べると、やはり髄はまったくなくなってしまっていた。

「面倒だな。先生でなくても、誰かがやった悪戯だ。あるいは、髄が大好物のバクテリアでもいるんですかね。どっちにしろ、このまま葬り去ったほうがよさそうだ。先生も、いらぬ嫌疑をかけられるのは嫌でしょう。脳味噌を食っちまったなんて……」

「疲れますな、その冗談。しかし、トラブルはもっと疲れますからな。先生のご一存でよろしくお願いいたします」と武藤は、ニヤリとした下卑たわらいで礼を言った。 

 

 帰宅の車の中で、誰がこんな悪戯をしたものかといろいろ考えたが、武藤にはまったく思いつかなかった。死体は武藤の診療所の一室で夜を明かした。しかし、部屋にはしっかりと鍵をかけ、その鍵の場所を知っているのは武藤と看護師ぐらいだった。ひょっとしたら看護師が……、と思って武藤は大きく横に首を振り、ガムを口に放り込んだとき、昔のあの一シーンを思い出したのだ。

「まあチューウィンガムでも噛んで、忘れなさい」

 進駐軍の軍医からガムをもらった武藤は、口一杯に広がる強烈なハッカの香りで覚醒し、軍医の診断を冷静に受け入れた。軍医は、神経衰弱による幻覚だと診断し、武藤の言うことを取り合わなかった。仲間の死水を取り、死体を前に連夜の看病疲れからうとうととし始めたとき、ちょうど死体の尻のあたりから青白い液体が一筋の流れとなって流れ出し、床の節穴から床下に落ちていく幻覚を見たのだった。武藤は驚いて立ち上がり、液体に目を近づけた。それは液体ではなかった。体長二センチほどの線虫の大群だった。

「バカバカしい」

 武藤は声を立ててわらい、霞のような思い出の首根っこを掴んでパンドラの箱に押し込め、無理やり蓋を閉めた。しかし、箱が一度開いたからには、生きのいい記憶は飛び出してしまったあとで、自由勝手に浮遊しはじめた。きっとあの患者は悪魔酒を飲んでいたに違いない、ならば吉本も生きているに違いないと確信したが、すぐに否定した。これはあくまで仮説だから、科学的手法で証明すべきなのだと思った。死の床にある仲間たちのために、必死に吉本を探したあの情熱が体中によみがえるのを感じた。納得できる結果を得られなければ、死ぬまで悔いは残るだろう。

 

 警察署に報告かたがた、死んだ男が泉中寺の墓守であったこと、住職が遺体を引き受けて通夜が営まれることを知った。武藤は看取った医師として通夜に出席した。そして、偶然のように吉本を発見したのである。当時は歳よりもずっと老けた感じがしたが、老け顔は老けないと言われるとおり、五十くらいになった今はかえって若く見える。法要が終わると、さっそく吉本に声を掛けた。

「君はいつまでも若いね。僕を覚えているかい?」

 吉本は振り返り、赤茶けた血管が張り巡る白目を武藤へ向け、しばらく凝視してから吐き捨てるように言葉を返した。

「覚えているさ。めっぽう酒に弱い男だ」

「そうだ。君の酒に飲まれなかったただ一人の下戸さ。おかげで僕はここにいる。君はいまだに悪魔酒を造っているんだろ?」

「どうしてそんなことを聞く」

「今日の仏は僕が看取ったんだ。死んだ仲間たちの症状と同じだ」

「警察に訴えるかい?」と言って、吉本は皮肉っぽくわらった。

「いいや。しかし、悪魔酒については非常に興味があるね。もし、君が研究を続けていれば、ライフワークの研究に違いない。だいぶ進展したんだろう。しかし、いまだに秘密主義かよ。この世の中で悪魔酒のことを知っているのは、君と僕だけかい?」

「さあね。で、何がお望み?」

 両の白目は怒りでどす赤く変色し、「いくら欲しいんだ」と続けた声も震えている。

「金なんか興味ないね。研究の内容を知りたいだけさ。あれは一応、殺人兵器として研究していたんだろう。この平和な時代に君はいまだに兵器の研究を続けている。興味津々さ。恐らく君はテロリストだ。面白い。なんだったら、助手を引き受けてもいい。君のような優秀な学者が一生かけて没頭している研究なんて、面白そうじゃないか。断ったっていいぜ。酒は非売品なら罪を問われることも……」と武藤が滑らかな口調で続けようとすると吉本は遮り、「分かった分かった。こういうことも覚悟していたさ。ところで君は、なんであんな殺人研究隊に志願したんだ?」と切り返してきた。武藤は返答に窮した。

 吉本はニヤニヤと笑いながら、「同じ穴の狢さ。英雄気取りの狂った連中だ。隔離された敷地内に長い間一緒に暮らしていたんだ。俺は君の性格も、性癖だって知っているさ。君はサディストで男色だ。俺は単なるサディストさ。君のが一枚上手の卑劣漢だ。君は捕虜とだって寝たんだろう。それから、じっくりと殺しにかかった」と悪態を吐いた。

「言葉で人を刺す才能は昔と変わっていないな。しかし、僕は自分の趣味で志願をしたわけじゃない。祖国愛に燃えていたからだ。医学研究者は患者の命を救うために実験動物を犠牲にする。兵器研究者は、祖国を救うために実験敵国人を犠牲にする。どこにその差があるんだい? 人を噛む犬も、鉄砲を撃ってくる敵兵も、僕には同じに見えたのさ。高邁な使命感ってやつは、人間をグロテスクな怪物に変身させる」

「まあいいだろう。君の詭弁哲学は後でゆっくり聞くさ。分かった、明日から俺の助手にしてやろう。働き次第では、共同研究者に格上げしてもいい。そのかわり、今の仕事はきっぱり辞めてもらいたい。そして何よりも口を閉ざすことだ。沈黙は金なりさ」と続けて、武藤に右手を差し伸べた。

 

(つづく)

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

 

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

 

 

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