詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

火星移住(全文)& 詩

火星移住(全文)

 

国際連携主催のスパコン・コンクールで勝利したのが、量子コンピュータ「ピッコ」だ。地球温暖化は当然制御不能、気候変動による食糧難が世界を苦しめている。アメリカをはじめ主要各国が自国優先主義を標榜する中、世界同時核戦争の危機が間近に迫っていた。核の商人が暗躍し、かなりの弱小国までもが核ミサイルを持ち、大国といえども無血勝利することは不可能になりつつある。そこで主要各国は弱体化した国際連合を解散し、新たに国際連携を発足させたのだ。加盟を拒否した国は国際連携軍によって集中攻撃を受けるため、参加国はほぼ一○○パーセントとなった。

国際連携会議では大国の拒否権がなくなり、すべての議案が多数決で決まる。問題は山積みだが、喫緊の課題は世界的な食糧危機における食糧分配システムの構築だ。しかし、各国は自国民を守るために互いに譲らず、多少のゆとりがある国も、国際連携への食糧提供を頑なに拒んだ。

「これでは国際連合と変わりません。会議が踊っていては、第三次世界大戦を招くばかりです。今後一○年間に限って、世界ナンバーワンのコンピュータに世界統治を任せるのはいかがでしょう」

 人間ではらちの明かない問題をコンピュータに任せてしまう。コンピュータの決めたことは人間の責任ではない。どの国の政府も罰を科されることはない。某国の提案は、すんなり多数決で可決されてしまったのだ。そして、世界の統治を任せられる優秀なスパコンを選ぶため、コンクールが開かれたというわけだ。

 

 結果として、日本の誇る量子コンピュータ「ピッコ」が選ばれたわけだが、その翌日には世界的な食糧難に対する明快な解決策を叩き出していた。

「さすが機械だ。アルゴリズムは我々が口に出せないことを平気でやってのける。簡潔、明快、そして残酷。腐った部分は取り除く。しかしこれは、現状打開の唯一の解答に違いないし、地球史の必然でもあるのです。歴史は繰り返すという意味ではね……」

 提案者はそう発言したが、「しかし必要な人間たちは必要だ。それは新型病原菌のパンデミック時と同様、医者、政治家、資金源としての金持、特権階級云々になるだろうが、それもアルゴリズムが的確にチョイスしてくれるでしょう」と付け加えることを忘れなかった。

「いよいよ地球規模のスパコン維新が始まった。あとはスパコンシェフのお任せ定食といきましょう。資源を食い荒らす非生産連中は、わが地球からの所払いを言い渡す!」

 国際連携議長は小槌を思い切り振り下ろして、一○年間にわたる休会を宣言した。

 

 

 

勉の誕生日に赤い封筒が届いた。赤い封筒は赤紙といい、七○歳になってから毎年届くことになる。生き続けるかぎり毎年やってくる。生涯に何通の赤紙をもらうかは、その人の運にかかっているのだ。勉は赤紙を手に涙を流した。明日香の赤紙は五日前に届いていた。誕生日が五日早かったからだ。で、夫婦は二つそろったところで開封することにした。巷では「ご開封の儀」と呼ばれ、誕生日と一緒に祝うのが通例だ。二人はいつも誕生日を一緒に祝ってきたから、開封祝いも一緒にやることになった。勉にとっては誕生日と開封を祝うことになる一大イベントである。しかし、どれをとっても楽しいことなんかなにもなく、むしろ悲しいぐらいだ。夫婦の誕生パーティーは息子の克夫が企画し、親戚や知人、元同僚も参加して盛大なものとなった。

 

当日の会場はまるで結婚式のような華やかな雰囲気の中、フルコースの料理が次々と運ばれ、来賓の客たちが次々とお祝いの言葉を述べた。もちろん、最近主流になった本物そっくり料理である。いよいよデザートという段階になると、巨大なケーキが出てきて二人がナイフを入れ、シャンパンで乾杯となった。しかし、肝心なのはそのあとの「ご開封の儀」である。開封するのは二人の結婚時に仲人を務めた元専務の山田。残念ながら、彼の妻は数年前に当選してここにはいないが、山田は御歳九二の強運高齢者として崇拝されていた。長い人生の中で宝くじをはじめとする懸賞、入試、コンクールなどなど、そういった類のものに落ち続けてきた強運の持ち主だ。

まずは司会者が、今年四月に発表された削減目標を解説する。

「みなさまご承知のとおり、スパコンがはじき出した人数ですが、今年度は世界で九八六四万五七一四人の方が削減されます。もちろんこれは、今年中に起こるかもしれない天変地異などは考慮されておりませんので、年末調整によって若干上下する可能性はあります。そして肝心のわが国の割り当てですが、残念ながらやはり弱小国に対するジャパン・プレミアムがかかりまして、いささか多目の数値が出ております。二九六万三九七六人。現在わが国の七○歳以上の人口が二、八六四万二七二六人ですから、当選確率は一○・三%ということになります。これは決して少ない数値ではございません。それでは、占いの先生、おまじないをお願いしたします」

羽織袴、八卦観の風体をした高齢者が登場。ご開封の儀に占い師は不可欠な存在で、しかも占いの言葉は一言、「外れ~」で終わり、謝礼一○万円を頂戴してさっさと消えてしまう。本番前に消えないと殴られかねないからだ。筮竹をシャラシャラ鳴らしながら「お二人とも外れ~」の言葉が鳴り響く。会場は盛大な拍手となり、夫婦は席を立って喜び、酒を持ってテーブルを回りはじめる。そしてすべてのテーブルを回ったところで、いよいよ本番、待ちに待った当選結果の通知だ。

「それでは生神様といっても過言でない、御歳九二歳であられる山田様、ゴッドハンドでご開封をお願いいたします」

 仲人の山田が立ち上がると、バックミュージックがベートーベン第五「運命」のジャジャジャジャーンに変わり、会場がピンとした緊張感に包まれる。仲人はまず、勉の封筒を開き、中から出てきた赤札に書かれた文字を溢れんばかりの笑顔で読み上げた。

「落選!」

 すると、満場の拍手が上がり、巨大な空間スクリーンに「落選」の文字が映し出された。次に仲人は明日香の封筒を開けてしばらく呆然とし、消え入るような声で「当選」と読み上げた。この文字もすぐにスクリーンに映し出される。場内「ア~ア……」というため息の中、仲人は肩を落として席に座り、明日香はその場で失神。

 さて、宇宙移住抽選会の赤札は本人が生き続けるかぎり、毎年政府から送りつけられてくるものだ。当たりか外れかの二者択一。外れたやつは小躍りし、当たったやつはへたり込む。勉は外れたのにへたり込んだ。明日香のいない余生など、死んだほうがマシだと思っていたからだ。

 

 

 

それから数年後、勉の誕生日に送られてきた赤紙は当たりくじだった。勉は小躍りして喜んだ。明日香はもう火星に出発したのだろうか……。勉も火星移住を希望していたので、いずれ別れた明日香と再会できるに違いない。当選者は収容前に収容所の見学が義務付けられている。勉は期待に胸を膨らまして見学会に参加しようとしたが、「火星移住は一○○年後だぜ」と克夫に言われ、腰砕けとなってしまった。

途中駅ごとに人が乗り込んできて、北海道の終着駅に下りたのは約一○○人の招待客だった。駅名は施設名と同じ「火星移住ベースキャンプ」で、施設と同じ深さの地下に造られている。プラットホームには赤い絨毯が敷かれ、それは五○メートル先の施設入口まで続いていた。宇宙服風ユニホーム姿のスタッフが二○人、整列して見学客を出迎える。若い女性たちで満面の笑みを浮かべていたが、反対に見学者たちは全員が頬を強張らせ、まるで強制収容所に到着した囚人のような顔つきだった。

「ようこそおいでくださいました。私はキャンプ・キャプテンの小林と申します」

女性たちの後ろから出てきたのもやはり女性だが、こちらはどう見ても六○は越えている感じの太った女性である。

「あなたも宇宙移住年代ですか?」と、見学者の一人が施設長にたずねた。このとき初めて、見学者からうすわらいが漏れ、ちらほらと黄色い歯が見えたりもした。しかし、わらいはすぐに収まり、全員がもとの硬直した表情に戻った。

「そう、私もあと二年で抽選が始まりますし、それが楽しみでもあります。みなさんの中で、抽選に当たって喜ばれた方はいらっしゃいますか?」と小林が聞くと、勉を含め一○人ほどが無表情なままにだらりと手を上げた。

「私と同じ考えの方が一○人もいらっしゃるなんて、素敵ですわ」

 小林がいうと、手を上げた一人が反論した。

「いや、死んだほうがマシだと思っているんで」

 再び全員が力なくわらった。

「なるほど、私とは違う理由から当選を喜ばれたわけですね。でも、本質的には私と同じ考えだということが、ここを見学すればお分かりになると思います。確かに地球の現実は死んだほうがマシかも知れません。高齢者医療は法律で禁止されました。誰もが死ぬときは哀れです。でもみなさん、ひょっとしたら未来はいまよりもずっとマシになるんじゃないかと思われたことはございません? でしたら、死ぬのはナシですよ。いまよりずっとマシな未来へ行く方法はあるんですから。その一つがこの施設です。ここは日本が開発した先進設備なのです。では、みなさんをご案内しましょう」

 

 一同は小林の案内で「火星移住ベースキャンプ」と書かれた自動扉を潜り抜け、最初に広々とした食堂に通された。バイキング方式で、ここ二○年ぐらい映像でしかお目にかかったことのないような豪勢な料理が所狭しに並べられているが、アルコール類は一切置かれていない。

「食材はすべて本物です。しかもこれらは火星で作られたものです。お酒はありませんが、最初にお腹を満たしていただき、じっくりと当施設のメリットを考えていただこうという企画です。みなさんが新入社員の時代には、こんなお料理は楽しんでいらしたと思いますが、二○年前から日本でも配給制度が始まり、多くの方々の口には一切入らなくなりました。どうぞ、思う存分楽しんでください。それに、なにか質問がございましたら、どんどんお聞きください。どんな疑問でもお答えいたします」

 ステーキやフォアグラなどの肉類はもちろん、イセエビやアワビ、マグロの刺身といった魚介類まで、すべて本物だと聞いて多くの見学客がほお張り、ふだん食べ慣れているニセ食品との味の違いに驚いた。とはいうものの、一○人程度が食事に手を付けるのをためらっている。

「すべて火星産ですか?」と誰かが聞いた。

「そうです。現在、地球と同じ環境へ向けてのテラフォーミングが進んでいますが、火星全域が完璧に地球化するのは一○○年後です。でも、赤道付近はすでに地球化が進んでおりまして、小規模ながらも海ができ、魚介類の養殖も始まっています。もちろん、穀物や野菜、牧畜も、です」といってから、小林は「どうなされましたか? 体調でもお悪いのですか?」とすぐ横の一人にたずねた。彼女は皿も取らずに突っ立っている。

「気分が爽快になるような薬でも混ぜられていると、施設の正確な評価はできませんから」との答えだ。するとぱく付いている隣の見学客が「評価しようがしまいが、強制的に入れられるんだぜ」と口を挟んだ。

「強制的という言葉には賛同できませんが、火星移住はご高齢の方の義務であることは間違いありませんね」

 小林がいうと、男はステーキをクチャクチャと噛みながら「義務を逃げれば捕まっちまうのを強制的っていうのさ」と反論した。

「ですからこのような見学会が催されているわけです。ベースキャンプと火星を十分に知ることで、強制的という言葉は誤解から出たものであることを理解していただけます。もちろん法律がありますから、義務は果たさなければなりません。でも、そのあとはお気持ちの問題になります。みなさんが心配なさっているのは、火星には自由がないのではないか、ということですよね。でもいまの地球、どこに自由がありますか? みなさんがいまお暮らしになっている社会に自由はありますか?」

「ありゃしないわ。歳を取れば取るほど、ますます肩身の狭い思いをしなければならないんだから」と近くの女性が会話に入ってきた。

「でも、火星にはあるのです。火星では思う存分生きることができるんです。取り巻く環境が厳しければ厳しいほど、人は心の中で火星を夢見ます。囚人だって火星を思うと自由を感じることができるんです。ある朝目覚めると、みなさんは理想郷にいた。でも残念ながらいつもの夢だった。いままではね。ところが火星は違います。実際に地球化しつつあります。みなさんの理想郷を実現する第二の地球なのです」

「そりゃ天国のことじゃろ」と誰かがいうと、食堂に爆笑が起こった。

「天国は死んでから行くところですわ」

「やめようぜ、まるで説法を受けているようだ!」といって、遠くのテーブルに腰掛けていた男が立ち上がった。遠目でも真っ赤な顔をしていることが分かる。ポケットにウィスキーでも忍ばせていたのだろう。

「殺人法ができて、毎年、老人の削減数が国ごとに割り当てられるんだ。今年は俺たちがその餌食になった。じゃあどこに集められて殺されるんだ。ここじゃないか。ここは絶滅収容所だろ?」

 男は全身をわなわなと震わせていた。しかし小林はまったく動じず、ニコニコと微笑み続ける。事実、見学者の中にはこんなことをいう者は必ずいたので、手馴れた対応ができるのだ。

「それは大きな誤解です。見学会はそうした誤解を解くために催されているんです。まず、ここは人を殺す施設ではございません。一○○年後に火星移住が解禁するまでの移住者の待機所なのです。ちょっと良子ちゃん、こっちに来てちょうだい」

 バイキング料理の給仕をしていた美しい少女が皿をテーブルに置いて、小林の横にやってきた。

「さあ、自己紹介してちょうだい」

「ハイ、私、良子と申します。この食堂で働き始めてから一○年になります。主に給仕と調理を担当しております」

「一○年というと、子供の頃から働いているの?」と誰かが質問すると、「はい〇歳から働いております」と答えたのでまた爆笑。

「あなたは人間?」と小林が聞くと、「いいえロボットです」と答えた。

「残念ながら、彼女はアンドロイドでした。でもみなさん全員、人間だと思われましたよね。彼女と人間の違いは分かりますか?」

 誰も答えられないのを見届けてから、「こうすれば一目瞭然ですわ」といって、小林は良子の襟首のところに手を回した。すると突然、良子は硬直して動かなくなった。

「どうです、良子ちゃんの電源を切りました。もう彼女は微動だにしません。ちょっと押しただけで倒れてしましますが、かわいそうなのでそんなことはしません。さあ、もう一度電源を入れてみましょう」

 小林がもう一度襟首に手をやると、良子は再び動き出した。

「どう良子ちゃん。いまあなたの電源を切ったの、知っています?」

「はい、首の後ろをいじられたので、そうだとは思いました。でも、切れているときはなにも分かりません」

「そりゃそうだわ。電気がなければ考えることはできないもの。ではみなさん、もう一度お尋ねします。人間とロボットの違いはなんでしょう」

「ロボットは人間がつくったけれど、人間は自然がつくったロボットです」

 答えたのは勉だった。勉はやはりポケットに隠し持っていたウィスキーの小瓶を空にしていた。とても素面でこんな施設は見られないと思っていたからだ。

「そうです、私とまったく同じ意見ですね。人間を含めて生物は自然がつくったロボットなのです。バクテリアのような下等なものから、高等な人間までいろいろですが、ロボットだって玩具のようなものから良子ちゃんまでいろいろです。古くから人間機械論という考えがありますが、良子ちゃんを見ればそれが正しい思想であったことが分かります。彼女は人間と同じ高等な知識と感情を持って、ここで働いています。話していても違和感はまったくありません。彼女の脳味噌は、人間と同じことを考えているのです。しかも作業能力は人間以上です。じゃあロボットが人間と同じだとすれば、その逆も可なりです。人間は自然がつくった機械です。この施設のベーシックなコンセプトは、人間は機械であるということです」

「ということは?」と勉。

「機械はある目的を持って製造され、その目的を達成すると廃棄されます。それを人間に当てはめると、人間は目的を持って世に生まれ、目的がなくなると死ぬことになります。たとえば会社では、社員は会社の目的を達成するため雇われ、ボロボロになるまで使われてから解雇されます。老後は職を失って、目的もないままに生き続けるというのは、昔の言葉でいうとガソリンを使ってエンジンを空ぶかししていることだと思います」

「きついこというなあ。だから早いところ火星にでも飛んでけっていうのかよ」とどこかで声が上がった。

「そうではございません。いまの世の中では、高齢者は目的を持つことができないといいたいのです。目的という言葉が悪ければ、生き甲斐とかゆとりとか、そういった言葉でもかまいませんわ。なにも社会に尽くすことだけが目的ではございません。自己実現も目的です。自分のやりたいことをする。自分の思い描いていた環境を獲得する。でもいまは、そんなことを達成できる世の中ではございません」

「しかし、希望はある」

勉はいって、皮肉っぽくわらった。

「そのとおり。希望は火星です。火星に活躍できる場があるなら、機械はスクラップにしません。ストックされるのです。経年劣化しないように保管すればいいんです。そして、使うチャンスが来たときに起動させます。ご理解いただけたでしょうか。この施設は、神様が創造したあなた方を、バラ色の未来に託して保管するストックヤードなのです」

 

 

 

 一時間後に見学が始まった。広々とした見学通路で、どこまでも一直線に続いていてどん尻が見えなかったので、アッと声を発する者もいた。とても歩ける長さではないと思ったからだが、通路の半分がゆっくりと動いていたので全員がホッと胸をなで下ろした。

 最初に個人情報のデータベースを保管している部屋に案内された。百坪ほどのスペースの真ん中に一メートル四方の正方形のコンピュータが二台置かれ、ピンキーにされた人たちの脳情報が納められている。

「ここには、万が一保存された方々が再生に失敗された場合、それを修復するための情報がストックされています。たとえばコネクトームと呼ばれる個人の脳神経回路の設計図、および遺伝子情報、そして自己アイデンティティに不可欠な記憶情報など、お客様の心の情報です」と小林。

「それらは僕の家にもあるよ。妻の明日香はここに収容されたけれど、僕はその情報を3Dホログラムで表現できる機械を買って、毎晩明日香と話をしていた。しかし、ホログラムはしょせん幽霊のようなもので、キスもできやしない。最近、そっくりさんロボットに変えましたよ」

 勉がいうと周りから一斉にわらいが起こり、「そんな執着心を和らげる薬もありますよ」と誰かがからかった。

「脳情報の売買は禁止されていますから、それはこちらに保管しているものではないですね」と小林。

「もちろん、明日香がここに来る前に安い金で即製にコピーしたものですから、似て非なるものですな」

「こちらの脳情報は、ほとんど本物と変わりません。情報量はスキャナーの性能で決まりますからね」

 小林は自慢げにいった。

 

次に入った部屋はバーチャル・リアリティ空間だった。どこか美しい山々に囲まれた広大なお花畑で、様々な高山植物が可憐な花を開いていた。

「加工される方々は、まずここで火星を想像していただきます。そう、ここは火星のショールーム、一○○年後の火星のリゾート地をイメージしています。あそこをご覧ください」と小林が指差したところに山小屋風の建物があり、その周りのテーブルに加工前の五○○人ほどが着席して食事をしていた。楽しそうなわらい声が聞こえてくる。

「最後の午餐ですかな?」と誰かが聞いた。

「しかし加工前に胃袋をいっぱいにしていいのかな?」と誰か。

「いいのです。お料理はすべて一時間以内に消化され、排出されます。本物ではありませんが、味や満足度は本物と変わりません。ここは火星での新生活の一場面を、先取りして楽しんでいただきます。そして、食事の後はお昼寝の時間です」

「寝ている間に加工されちまうのか」と誰か。小林は何も答えなかった。おそらく食材に睡眠薬でも入っているのだろうと勉は思った。

 

作業場は通路より二メートルほど低い位置にあり、全面ガラスで仕切られていた。中の様子を見て、今度は一○○人全員がアッと驚きの声を発した。広い部屋にストレッチャーが五○○台ほど整然と並べられ、その上に下半身をシーツに覆われた高齢者が横たわっていた。髪も眉も剃られ、目は目隠しで覆われていていたが、胸を見れば男女の区別ぐらいは付いた。スタッフが五○人ほど、時たまシーツを剝いで全身を観察している。小林が口を切る前に、「どうしてマスクを付けていないんですか?」と誰かが尋ねた。

「ロボットだからです。ロボットは息をしませんからね。キャップはロボットも被ります。鼻毛はありませんが髪の毛はありますから」といって、小林はニヤリとわらった。

「つまり汚れ仕事はロボットの領分と、しっかり区分けはできているんだ」

「そういうことではございません。一連の工程で扱う薬液は劇薬指定を受けているものなので、法律上ロボットが行うことになっております。本当は人間が関わるべき仕事ですが、薬液が皮膚に付くと皮膚細胞が不活性化します」

小林は明快に答えて話を続けた。

「さて、ここは控えの部屋でございまして、いま五○○人の方が横たわっていらっしゃいますが、決して死去されているわけではございません。全身麻酔は三時間有効ですので、三時間以内に処理が行われます」

「この工程の前は見られないんですか?」と勉は小林に聞いた。

「個人が特定できる工程は遠慮していただいております」

「なるほど……」

「この工程につきまして、ほかにご質問はございませんか?」

 すると、小林の横の女性が手を上げた。

「この人たちは私たちの前の年の抽選会で当選した方たちですよね」

「いいえ、その前の前の年ですね。施設の処理能力が当選者の数に追いついていないのが現状です。それは加工施設の問題ではなくて、保存スペースの問題です。活断層だらけの日本には、安全な地層などほとんどなく、ここのような安定した花崗岩層も少ないのです。それでも国際規約に則り、施設のない小国から受け入れているのです。でもご安心ください。新たなストックヤードがモンゴル砂漠の地下の岩塩層に建設されていて、じきに完成の予定です」

「というと外人がここに葬られ、我々は外国に、しかも砂漠に葬られるっていうのかい?」

 勉は驚いて小林に尋ねた。

「いえいえ、そういうことではございませんわ。こちらでも拡張工事は進んでいるのです。ですから、選択していただくことになりますね。こちらへの入所は二年待ちでして、お待ちの間は地上施設に入っていただくことになります」

「エッ、自宅待機じゃないの?」

 横のほうで素っ頓狂な声が上がった。

「ですから、外国の施設をご希望の方は地上施設に入所いただく必要はございません。こちらはなにぶん希望者が多いものですからね。法律的には当選から五カ月以内の入所ですので、地上施設がつくられたわけです。広大な施設内は自由行動ですし、美味しい食事が三食出ます」

「家族とは面会できるのかよ」と男性の声。

「法律上、それは禁止されております」

強制収容所じゃんか!」

全体がざわつきはじめたが小林は動じることなく、「まあ、この話は全工程の見学が終わった後に詳しくご説明しましょう。それでは、次の工程をご紹介します」といって動く歩道に誘導した。

 

 次の部屋は縦長に大きくて、昔の食品工場にでもありそうな長さ五○メートルほどの細長い機械が横に五台ほど並んでいた。機械の内部はカバーに覆われていて見えなかった。食品なら、材料を均等に裁断して粉を付けて、揚げて乾燥させてパック詰めまでやってもこの半分の長さで間に合うはずだ。一台のサイドに四人ずつ、五台で二○人が従事しているが、もちろん全員アンドロイドだ。投入口には人を乗せた自律浮上走行のストレッチャーが列をつくって順番待ちしている。順番が来たストレッチャーは曇りガラスの向こうに隠れてしまうが、ぼやけていてもやっていることは分かった。目隠しを取られ、丸裸にされた人体は、ストレッチャーの足のほうが高くなって、頭から機械にゆっくりと落ちていく。四人は体が横にずれ落ちないように両側から支えているみたいだ。任務を終えた空のストレッチャーは、横に動いてからゆっくりと先ほどの控えの間に戻っていく。その間に、傾いた台を水平に戻していった。

一方、加工され製品化された人体は反対側から出てきて、そこにもストレッチャーが控えていた。なにかピンクの物体を乗せて次の工程に運んでいくのが見えるが、投入側からは影になって良くは見えなかったので、小林は見学者を五○メートル先のそちら側に誘導した。ストレッチャーの台は水平で、出てきた体は、薄い金属製の板に乗せられてストレッチャーの上にすんなりと収まり、そのまま次の工程に運ばれていった。

「ここは加工部門の心臓部です。五台の機械で、三時間以内に五○○人の方を処理いたします。この機械の中はきわめて単純で、一人の方が入られてから出られるまできっちり三○分かかるように設計されています。中はある液体のプールになっています。微振動や超音波、電磁波、ナノバブルなどを駆使して、さまざまな振動や乱流を発生させ、全身に満遍なく液体が浸透するように工夫されています。次に、余分な薬品は飛ばされ乾燥されます。それらに要する時間が三○分というわけです」

見学者からはショックのあまり、すすり泣く声も聞こえてきた。

「いったいナノバブルがなんの役割を果たすのかね?」と、学者風の男がたずねた。

「いいご質問ですね。専門的な話になりますが、ナノレベルの酸素の泡が大きな役割を果たしています。ピンクの液体には酸素の泡が十分に含まれています。この気泡は液体が固まった後もそのままの形で残ります。これは、生き返るときに大きな役割を果たします。再生のとき液体は溶け、バブルは活性化します。まっ先に生き返るのが全身の細胞ですが、心臓や肺などの再起動が遅れるため呼吸ができず、体中の細胞が酸欠状態に陥って細胞死を起こしかねません。でも心肺が動き出すまでの間、細胞内のナノバブルが命を繋いでくれるのです」

「なるほどね」

 男は二回ほど続けて頷いた。

「みなさん、あの半透明になったピンクの体を見てショックを受けた方も多いと思います。生きた人間を加工するというのは恐ろしいイメージがあります。でも、この工程の液体は『即時自律再生保存液』、愛称『ピンキー液』という画期的な保存液なのです。薬に漬ける前に血液を抜くなどの前処理は一切必要ございません。もちろん、消化器内の残存物は排出されていますが、たとえ残っていても問題ありません」

「あれは完全な死体じゃないか。機械の中で、全身麻酔をかけられた人間が安楽死させられているんだ!」と誰かが叫んだ。すると小林は大げさにわらい出して、「それは大いなる誤解ですわ」ときっぱり反論した。

「あんなになった死体がピンピンになって戻ってきたら、それでも死体だといいえますか? この発明で、人間は死から解放されたんです」

「たしかに生き返れば死体じゃないな。心臓が止まっていようが、そいつは死体じゃない。眠っているだけだ。でも証拠がない」と勉。

「証拠はいくらでもお持ちします。みなさん全員が証拠を見たいとおっしゃるなら」

 小林がいうと全員が手を上げたので、「了解です。いまはひとまず冷静にお願いいたします」といって、再び動く歩道に全員を誘導した。

 

 歩道はすぐにかまぼこ型のトンネルに入り、ゆるやかなスロープでさらに下っているようだった。

「加工工程は先ほどで終わり、次はベースキャンプの主要部であるストックヤードです」と小林。

トンネルを移動するのに五分ほどかかったが、扉が開くと全員が驚きの声を上げた。かまぼこ型のトンネル壁は透明になり、巨大な倉庫の中心を移動していた。天井の高さは一○○メートル近くあり、両側の棚は天井まで伸びているようだった。前方は闇の中に消えていて、どこまで続いているのか分からないが、見える範囲ではピンクの人体がびっしりと納められ、空きがないように見える。人体を乗せたストレッチャーが横の空間をいろんな高さに浮きながら追い抜いていく。反対に空になったストレッチャーは見学者とすれ違い、加工工程に戻っていく。一台のストレッチャーが通路脇の空中に止まり、人体を乗せた金属板がストレッチャーから浮き上がって、さらに上部に上っていく。どうやら上層にはまだ空きスペースがあるようだ。

「巨大な死体置場だ」と誰かが叫んだ。

「いいえ死体ではありません」と小林。

「しかし、蘇る機会がないとすれば?」

 勉は反論した。

「蘇る機会は一○○年後に来ます。火星移住の開始です。これは国際的な採決事項ですから確かです。もちろん、火星がいやだという方には別の移住先もご用意しております。月基地の拡張工事は進んでいます。それに、太陽系以外にも地球に似た惑星が見つかっています。また、偉大なるツィオルコフスキー博士が提案した巨大宇宙船、スペースコロニーの建造も設計段階に入っています。ほぼ一○万人を収容できる宇宙船が代を重ねるごとに大きくなり、最終的には一千万人以上が住む新しい惑星となるのです。そこでは皮膚細胞に葉緑素を入れ込んだ光合成人間が食事もしないで活動しています」

「全身緑色の宇宙人ね。どっちにしろ、年寄りは地球から追い出されるわけだわ」と女性の声がした。

「年寄りを生き返らせてなにかいいことがあるのかい?」と勉の後ろの男がいった。

「現代医学に年寄りという言葉はありません。火星では、地球で禁止されている若返りも解禁です。若者の肉体を持たなければ宇宙開拓はできませんからね」といって小林はわらった。

 勉は一瞬めまいを覚えた。昔の話だが、勉の祖父は医者で、若返り研究に携わっていた時期があった。しかし世界的に禁止され、研究も頓挫。同時に七○歳以上の高齢者は保険適用外となり、いまでは人類すべてがろくろく医者にもかかれない状況だ。

「ひとつ、根本的な質問をしたいんですが……」

勉は疑惑の目つきで小林を見つめた。

「なんなりと」

 小林は動じることなく素直な眼差しを勉に返した。

「いったい何の目的でこれらの老骨が必要になるんです? 一○○年後の人類が骨董品を蘇らせる? すでにロボットだって人間以上の能力を発揮するんです。月や火星の開発はロボットで十分。老人を目覚めさせて若返り治療を施すだけだって、相当の手間と金がかかる」

ヒューマノイドは一○○年後には製造禁止になります。世界中のシンクタンクが予測していることです。このままロボットが進化すれば、いずれ人間はロボットに支配されてしまいます。すでにいまの世界がそうでないとはいい切れません。各国の人口削減数は、不公平がないようにAIが決めているんですからね。それを運用するのが人間だということで、かろうじて人間の尊厳は保たれています」

「しかし一○○年後を予測することはできない」

「誰もね。でも、希望を持って眠るほうが、絶望して死ぬよりはマシですわ」

「二度と目覚めなくてもね」と勉がいうと、あちこちで薄わらいが聞こえた。

「さて、この先は延々と同じ光景が続きますので、見学コースはここで終わりとなります。この先では拡張工事が行われております。最終的に全長二キロほどになります」

「保存されるのも順番待ちなら、生き返るのも順番待ちときているわ。これだけ在庫があるんだから、目覚めるのは一万年後かもしれないわ」と後ろの女がいうと、「一万年後には人類は滅亡しているさ」と誰かが口を挟んだ。

「この方たちは一○○年後に芽を吹く、いわば人類の種なのです。あるものに晒されると、たちまち復活するのですからね」

 小林は意味ありげに含みわらいをした。

「あるものとは?」と勉。

「後ほどご説明します」

 

 

 

見学路は終わり、スケルトンのエレベータに乗り込んだ。一○○人乗りのエレベータは上昇し、下からは見ることのできなかった在庫品たちを確認することができた。溜まるばかりの在庫品が五○○段、下から上までびっしりと保管されている。見学者たちは、一○○年後の人間がこれらを本当に生き返えらせるものか疑いを持っていた。これらは不必要となった人間たちなのだ。くじに当たった高齢者たちは、永い眠りに入る前に希望項目を選択しなければならない。多くは火星を選択するだろう。しかし変わり者は、月に行くか、太陽系外の惑星に行くか、あるいは地球に留まるか悩むことになる。月への移住は五○年後から始まるというが、居住区域は地下空間で、生活にはきびしいところだ。太陽系外の居住可能と思われる惑星は多数見つかっているが、確実性が証明されているわけではない。自殺希望者や生きることに喜びを見出さないニヒリストはこちらを希望するかも知れない。当然のこと、地球に留まることを選択する高齢者はけっこう多い。こちらは世界人口の推移を鑑みながら、徐々に保存人体の再生が始まるというが、宇宙移民法が廃止され、天寿を全うできる社会に復帰することが前提となっており、果たしてそんな社会に戻るかどうかははなはだ疑問だった。

 

 勉はすでに火星に移住することを決めていた、というか七○歳で当選した妻の明日香が火星行きを選んだので、そうしようと思っただけの話だ。勉は明日香を愛していたし、生き返ってから再び伴侶を見つけるのも面倒だった。いずれにしても明日香を送り出してから今日に至るまで、明日香のことを忘れることはなかったから、喪失感は年々増していくようにも思えた。ひょっとしたら明日香はまだ地上の待機所で加工される順番を待っているのかもしれない。そう考えると、もう一度会いたいという気持ちが募ったが、連絡は一切取れない仕組みになっていたのでどうすることもできなかった。勉は火星で、明日香と再会することを切に望んでいた。それだから、保存人体が本当に生き返るのかを、ぜひともこの目で見たかったのだ。

 

 

 エレベータは巨大倉庫の天井を突き抜け、そのまま高い山の側面につくられた展望ラウンジに到着した。海抜マイナス五○○メートルから、一気に海抜二○○○メートルまで上昇したことになる。ガラス張りのラウンジには真夏の陽光が差し込み、一転して明るい雰囲気に満ちていた。低い山々の向こうには海が見えたが、どこの海かは分からなかった。テーブルには酒類や軽食類が用意され、ロボットウエートレスが三台並んで出迎え、見学者たちに頭を下げた。右手奥のテーブルでは、中東から来た政府関係者が一○人ほど談笑していた。左手奥にはアフリカからの政府関係者が座っている。こちらは二○人を超えていた。日本の独自技術で生まれた最先端の人間倉庫ということで各国からの見学者も多いし、積極的な技術協力も求められていた。

「さて皆さま、ひととおり見学が終わりましたので、ここにはアルコール類をご用意しています。オードブルも豊富です。ローマ貴族のような宴会も可能です」と小林。

「ロボットが奴隷代わりを務めてくれるんだから、人間どもはローマ貴族みたいな生活をしてもいいはずだがな……」と誰かがいうと、「俺たちの犠牲で、そういう時代が来るのさ」とほかの誰かが口を挟んだ。

「つまり私たちは奴隷以下ね。人減らしの対象ですもの」と誰かが付け加える。

「さて皆さま、一つだけ皆さまのご疑念に答える義務が残されています。つまり、本当に生き返るのかということです。しかし、法律的には、保存人体は国の許可なくして蘇生してはならないと定められています。で、許可申請を行い、昨年度から例外的に見学会一回につき一体、一時的に蘇生させることを許可されました。つまりデモンストレーションとして一体を蘇生させることができるようになりました。もちろん三時間以内に再加工することが条件です。最新の薬剤は、何度でも投入が可能です。当然のこと蘇生される一体は、ここにおられる皆さまにご関係の方がベストです。三時間だけお話ができます。そこでまず簡単なくじ引きを行いますが、蘇生させたい方の国民番号を知らない方、参加をご希望されない方は後方へお下がりいただき、ご飲食をお始めください。また、ご希望の方がまだ加工されていないケースもございますので、あらかじめご了承ください」

 二○人が後方へ下がり、八○人が残った。ウエートレスが持ってきたのは、八○個の玉が入った箱。太古の昔からあるくじ引きだ。

「この箱の中にある玉の七九個は白色ですが、一個だけピンク玉が入っています。そのピンクの玉を引き当てた方がご指名する権利を得ることができます。したがって、どなたかがピンクを引いたときに決定いたします。さあピンクショックの始まり始まり!」

 全員が一列に並んで順番に玉を引いていった。勉は一○番目に並べたことに満足だった。人が当てるのを見るより、自分が外すほうがまだマシだと思ったからだ。勉の前は誰も当たりを引かずにすぐに順番が来たが、勉が引いたのもやはり白だった。勉はチェッと舌打ちして、引いた白玉をウエートレスの抱えた籠の中に投げ入れた。

 引き当てたのは二二番目に並んでいた背の高い男だった。とても七○以上には見えないぐらいに若々しく、ハンサムだった。男は思わずニヤリとほくそ笑んだ。

「おめでとうございます。あなたのご家族が再生されることになりました」と小林がいうと、「知り合いでもいいですよね」と男が質問した。

「知り合いといいますと?」

「つまり僕は独身だし、ここに入っている親族はだれもいないけれど、昔ささいなことで別れてしまった恋人が眠っているんです。彼女を蘇生させて謝りたいし、一○○年後になるかも知れないけれど、二人が生き返ったときには一緒になろうと約束してやりたいんだ」

「それはかまいませんけれど、その方の国民番号は?」

「もちろん知っています」

「ならオッケーですわ。ここにその番号をお入れください」と小林は小さなパネルを差し出し、男は九桁の番号を押した。

「ありましたわ。ここに保管されています。それではこちらへ」と小林は男を案内し、「残りの皆さんは残念でしたが、お酒や軽食などで、どうぞおくつろぎください。二○分後には再生される方とともに戻ってまいります」とほかの者に声をかけた。

 

 小林と男はエレベータで倉庫に戻っていった。勉も含め、外れた連中はヤケ酒で乾杯ということになった。

「残念ね。亭主は金のインゴットをどこかに隠したまま眠っちまったのよ。なんとか聞き出そうと思ったんだけどね」と女が冗談っぽくいった。

「いやいや、ぜったいいわないね。生き返ったときに文無しじゃあ女を口説くこともできないからな」と横の男が返すと、周りでわらいが沸き起こった。

「どっちにしろ、生き返ったらすぐに若返り手術を受けなきゃいけない。とにかく資金は必要さ」

「ナンセンス。みんな裸にされて薬に漬けられるんだ。一○○年後に生き返ったってスッポンポン。結局未来社会の温情に頼らざるを得ないのさ」

「惨め。一○○年後にジジババを受け入れてくれる社会がある? 火星だって若い人たちのものよ」

 見学者たちは酒を飲みながら、ぐちをいって時を過ごした。誰も蘇生実験に関心があるわけではなかった。一○○年後だろうが一万年後だろうが、生き返ってなにか楽しいことがあるのか想像もできなかった。現実の社会は重苦しく、誰一人七○歳まで生きようとは思わないと口にするが、七○歳になったからといって自殺者が増えるわけでもなかった。抽選に当選して初めて死を意識し、自殺を考える。ピンク色の保存人体は自殺死体と同じ意味しか持たない場合が多かった。仮に一○○年後に生き返っても、バラ色の人生が始まるとは想像できなかったからだ。つまり、彼らは自殺と同じ気分で施設に収容され、加工される。しかし自殺者が何かを期待しながら自殺するのであれば、施設に収容される人間も、ほんの少しだけ何かを期待して入るだろう。それはおそらく、ひょっとしたら目覚めたときに天国にいるといったようなたわいもない夢想かも知れなかった。

 

 きっちり二○分後に、大きなエレベータから二人の人間と三台のヒューマノイド、ピンキーを乗せた一台のストレッチャーが出てきた。ストレッチャーに乗せられたピンキーは黒い布に覆われている。見学者たちは飲食を中断し、ストレッチャーの周りを取り囲んだ。するといつの間にか、遠くに座っていたアラブ人やアフリカ人までもが集まってきた。小林は、頭の方から布を腰の位置まで剥いだので、胸の大きさから女であることが分かった。周りからため息ともつかぬ驚きの声が上がった。七○歳以上とは思えぬほど若々しかった。髪を剃られた形の良い頭蓋は半透明で、前頭葉の一部が透けて見える。閉じた目蓋の下の眼球も見えて、不気味な顔つきになっていた。垂れ気味の胸の間からはうっすらと胃袋が見えていた。まるでプラスチック製の人体模型のようだった。

「前列のみなさん、皮膚を押してみてください」

 小林がいうので、人体に近い見学者は人体に触れた。勉も腹のあたりを人差し指で押してみると石のようにカチカチだった。

「どうです、ダイヤモンドに近い硬度があります。肉体は透明なピンク色ですが、すべての組織は破壊から免れています。体中の全細胞、血液、リンパ液、どれをとっても壊死した部分はありません。組織は完璧に保存されています。ただし時間は止まっています。スイッチの入っていないロボットと同じ状態ですが、金属のような経年劣化はありません。この方を再起動するにはスイッチを入れるだけでいいんです。でも、ロボットと違い体にスイッチはありません」

「難解ですね」と勉はいった。

「簡単ですわ。この方は酸素のナノバブルに加えて、触媒となる特殊な気体のナノバブルも加えられています。この触媒がありますと、たとえば未来の人たちが蘇生法を知らなくても自律蘇生できるということになります。発見者が地上に運び上げた途端に。つまり、スイッチの役割を果たすのは、太陽と触媒です」

「太陽に当てるんですか?」

学と名乗る彼女の元愛人が聞いた。

「もちろん再生時に触媒液に付ける方法もあります。最近では触媒の粉を振り掛ける技術も開発されています。もちろんその場合は誰かの手助けが必要です。でも、ここの収容者は体内に満遍なく触媒が行き渡っておりますので、酸素と太陽があれば再生します。日光が指先に当たるだけでも復活します。陽光の刺激で指先の血液から融けはじめ、それをきっかけに全身の血液も体中の保存液も融け出して細胞は目を覚まし、その活動で摩擦熱が発生して体が温まり、その刺激で心臓が再起動します。すべてオートマチックに行われます。もちろん動物の赤ちゃんみたいに、一分後には立ち上がれます。さあ太陽の降り注ぐテラスに行きましょう」

 

 広大なテラスの右隅には、昔懐かしいパラソルとデッキチェアが一○○組ほど並んでいた。左側には、円盤型の小型飛行体が二機置かれていた。その中央は縦横二○○メートルの広いデッキで、ストレッチャーとともに全員が移動すると、周囲には森のイリュージョンが立ち上がり、パラソルも飛行機も消えてしまった。本物の陽光が偽物の森と溶け合って神々しい幻想的な背景となり、人間の復活には最適な環境をつくり上げた。学は一人で恋人の復活を見守りたかっただろうが、衆人環視の中でやらなければデモンストレーションの意味もない。

「さあ、瞬きをしてはいけません。体中の薬品がみるみる細胞から溶け出し、流れ出していきます。このとき、酸素のナノバブルは体液や細胞内に留まり、酸欠を免れます。液体は紫外線と反応して無害化されていますので、皆様にかかっても安全です」

 ロボットが外国語で小林の言葉を通訳したので、外国の人たちも安心してグッと寄ってきた。ストレッチャーから液体が滝のように落ちて床に跳ね、しぶきが全員にかかった。透けていた肉体が高い部分から低い部分へ向かって瞬く間に濁り始め、白みがかった肌色を取り戻していく。プラスチック人形が人間に戻った瞬間、激しい痙攣が一○秒間起こり、その後ゆっくりと胸が上下に動き出した。心臓が鼓動し肺が呼吸し、血液が回り始めたのだ。突然パチリと目を見開いたとたん勉はアッと声を発したので、周囲の視線が勉に注がれた。

「明日香じゃないか!」

 

 

 

 学は落ち着いた口調で「あなた、ご亭主?」といって薄わらいを漏らした。勉は状況が分からずに「どういうことですか?」と学に聞き返した。

「彼女はあなたの妻かも知れませんが、僕の愛人です」

 どっとわらいが沸き上がった。その中で、勉と小林だけが呆然としていた。小林にとっても珍ケースだったが、始まったばかりのパフォーマンスだから今後の対策は考えなければならなかった。蘇生対象を調べなかったのは施設側のミスだし、ほんの一分もあれば確認できたことだ。

「理解できません。僕と結婚する前に、あなたの恋人だったというんですか?」

「いえいえ、そうじゃありません。知り合ったのはあなたとの結婚後です」

「いずれにしても虚偽申告は困りますわ」

小林は顔を真っ赤にして、強い口調でいった。意識を取り戻した明日香は、黒いシーツを首のところまで引き上げ、二人の会話を空ろな眼差しで見つめていた。

「お目覚めよ」と誰かがいうと、勉は明日香の右手を握った。すると、学は反対側に回って左手を握る。明日香は薄わらいを浮かべて勉を見つめてから学のほうに顔を向け、もう勉を見ようとしなかった。

〝こいつら、同じわらい方をしやがる……〟

勉の顔はピンク色になって体も固まってしまった。

「夢を見ているの?」

「夢なんかじゃない」

 学は明日香に接吻しようと屈んだとき、明日香の右手が勉の手を振り払ったので、勉はショックのあまり声も出せなかった。明日香と学は抱き合って、長すぎるキスが続いた。小刻みに震える明日香の背中を、勉は呆然と見つめた。感激して泣いている。愛人との再会に、だ。

「ご関係者の方には個室をご用意しております。ほかの方はラウンジのバーでおくつろぎください」と小林は気を取り戻していった。ストレッチャーは明日香を乗せたまま別室のほうへ動き出した。学は明日香とキスをしたまま、ストレッチャーと歩調を合わせた。勉はその後をとぼとぼと付いていった。

 個室の扉が開くと、学が蔑むような眼差しを勉に向けた。

「二人にさせてくれませんかね」

「しかし、僕は彼女の亭主だぜ」

 勉の声は震えていた。

「それは昔の話でしょう。くじに当たったのは僕だ」

「彼女のご要望を聞くのがいちばんですわ。私が中立の立場でお聞きします」と、後からやってきた小林が口を挟み、四人は一時的に部屋の中に入った。

「明日香様、ご気分はいかがですか?」

「これからですか?」と明日香は不安そうな眼差しで小林にたずねた。明日香の記憶は加工前に午睡したところで完全に途切れていた。

「そう、これからです。その前に、あなたのご主人と彼氏をお連れしました。重要なことをおたずねしたいんです。あなたが一○○年後に復活なさったとき、火星での連れ合いとしてどちらの方を選ばれます? いずれこのお二人も保存されることになりますから、あなたの横の席にどちらをお連れするか、ご要望をお聞きしたいんです」

「学さんでお願いします」

 明日香は即答した。

「一時的な気の迷いじゃないんだろうね」

 全身の血管がキュッと収縮して、紅潮していた勉の顔は蒼白になった。

「彼は白馬の騎士よ。だって貴族だもの」

 そういって、明日香は勉を睨みつけた。明日香の鋭い眼差しは、「女房も救えない貧乏人!」といった感情に満ちていた。貴族という言葉が金持を意味するなら、勉は完全に負けたと思った。これ以上食い下がる意欲も失った。

「分かった、好きにしろ。僕は君とは違う旅に出るさ。そうだ、どこか遠い星。そこにはきっと、君以上の素敵な女性がいるだろう。それじゃあ君たちの幸せを祈って、僕は退散する」

 部屋を出たとき、勉の目から涙があふれ出たが、すぐにわらいがこみ上げてきた。要するに良くある話だ。しかし愛人をつくっていたなんて驚きだった。「よほど俺に不満だったのだろう。ひょっとしたら、必死にパトロンを探していたのかもしれない……」と勉は思った。最悪の気分だった。

 

 個室には大きなベッドが用意されていた。ピンキー状態を解凍した直後でも肉体が健康であることを示すために意図されたものだ。学と明日香は激しく愛し合った。まるでロミオとジュリエットのように初々しいセックスだった。長い愛の営みが終わった後、二人はしばらく語り合った。

「子爵様、あなたに見捨てられたと思ったわ」

「君を見捨てるわけにはいかないさ」

「私、すべての女に勝ったの?」

「そうだよ。僕は君の偉大さに気付いたんだ」

「もうピンキーにならなくていいの?」

「それどころか、僕たちは青春に戻って結婚するんだ」

 二人は、再び抱き合って長いキスをした。学は明日香が助ける価値のある女であることを確認するために、ここに来たのだ。学がくじに当たるよう施設長に金をつかませたものの、そのまま二人が駆け落ちするには桁違いの袖の下が必要だった。そこで、ひとまず明日香を再石化させ、資金が調い次第、金と引き換えに石のまま搬出することにしたのだ。

〝嗚呼、なんて俺はケチい男だ!〟

 学は幸せで涙する明日香を見つめながら、申し訳ない気持ちで一杯になった。チャンス到来なのに、白馬に引き上げ損ねちまったのだから……。

 

 

 

 帰りがけ、勉は車内で酩酊してトイレで嘔吐し、ショートステイ・センター駅に途中下車してしまった。家に帰るまでに平常に戻す時間が欲しかったし、今日のことを息子夫婦に話す前に落ち着きを取り戻したかった。上りの列車から降りたのは勉一人だったが、ちょうど下り車線にも列車が入ってきて二○○人ほどが降りた。ほとんど二人連れか三人連れで、中には老人の顔つきをした者もいたが、六五歳以上はこの施設を利用できないことを勉は知っていた。出迎えたのはセンター長の小林とアンドロイドの案内嬢で、勉は思わず「アッ、さっきはどうも」といってしまった。小林はけげんな顔つきをしたが、すぐに理解できたようで、「ああ、火星移住ベースキャンプの小林ですね」といってニコリとわらい、「彼女はロボットでして、私は本物です」と続けた。

「そっくりですな……」

 勉は呆然としながら呟いた。どちらが本物かは分からないが、ニヤリとして「残念ですが、六五歳以上の方は見学できません」という。

「そりゃ残念だ。息子に頼まれたものでね。親の意見を聞きたかったようです」と口からでまかせをいった。

「そうですか、それではどうぞ。こちらのお食事も火星組に負けないぐらい豪勢ですわ。でも、見学前にお酒は出ません」

「いいですよ。もう十分いただきましたから」

 小林は手を差し伸べて勉と握手をし、二○○人の先頭に立って施設内に案内した。地下施設は火星ベースキャンプとほとんど変わらない造りになっていた。最初にホールでにぎやかな食事会が始まった。豪華な食事を目の前にしても、ショックから抜け切れていない勉は喉に通らなかった。

 勉と同じ一人での見学は一○人程度だ。二人連れは同性のカップルが多く、男女のカップルは少なかった。三人の場合は一人異性が入っている場合が多く、三人とも同性の場合は同性愛者に違いなかった。というのは、二人が一人の愛人を共有しているだろうからだ。いずれにしても、彼らのほとんどが金銭的に余裕のない独身者だった。

 小林は施設の説明を始めた。ここは自ら率先して生命活動を休止する人たちのための施設だ。男同士でも、女同士でも、男女でも、親子でも、関係はどうでも良く、一八歳から六五歳までの誰でも入所可能だ。ショートステイだから、ピンキー期間は二年間。二年ずつ交代にストックされる。まだ実証試験段階だが、将来一○○万人収容できれば、二○○万人の活動人口を一○○万人に半減させることが可能になる。参加するメリットは報奨金だ。無事二年間の活動休止を終えたときに、出所金が支払われる。あと二年間は十分に生活できる金額だ。その金を使い果たした頃に、次なる休眠期間がやってくる。いわば貯蓄のようなもので、二年間寝ているうちに働かずして次の二年の生活費を貯めることができるというわけである。自分の体を定期預金にするようなものだ。

「しかし、たとえば僕の相棒が約束の日に来なかった場合は?」と誰かが尋ねた。

「そうしたケースはまずありませんね。約束違反の方には罰則として、配給切符が支給されないことになっています。お金もなく配給もストップされれば、飢死する以外ありませんものね。それに、相方が来なかった場合でも、お約束の日には目覚めるように決められています。もちろん二年間の報奨金も出ます。遊んで暮らしてお金がなくなりましたら、ほかの相方を見つけてまたいらしてください。二年間寝て、二年間遊んで暮らす。それとも、サスティナブルに苦しい生活を続けていかれるか。どちらがいいか、もうお分かりでしょう。意識がなく夢も見ない二年間は、ご当人にとっては一瞬の感覚でして、まったく苦しむことがありませんからね」

「一人での参加はできないんですか?」

 一人組の勉が尋ねた。

「もちろん可能ですわ。でも、多くはありません。そのまま永遠に目覚めないのではないかと心配なんです。そんなことは決してないのですが、政府の方針はコロコロ変わると思っておられる方が多い。で、やっぱり信頼できる方とタッグを組まれることになります。ところで皆さん、ショートステイシステムにはもう一つ大きなメリットがあることをご存知ですか?」

 誰も手を上げる者はいなかった。

「二年間履くのを忘れていた靴は新品ですか?」

「いいや、空気に触れて少しは劣化するでしょ」と誰かが答えた。

「でも、酸素のない宇宙空間ではどうでしょう」

太陽風があるから劣化するでしょう」とほかの誰か。

「でも、ピンキーはまったく劣化しないのです。石になれば空気もシャットアウト、太陽の降り注がない場所に保管します。つまり、目覚めたときは二年の眠りに付くときと同じ状態です。時が完全に止まります。ということは、その間老化はなく、寿命を倍に引き伸ばすことができるのです。法律で若返りや長寿医療が禁止されている現在では、これが唯一の若返り治療というわけです」

「バカバカしい!」と勉が大きな声で反論した。

「どうせ七○歳になれば抽選会が始まってピンキーにされちまうんだ。誰も長生きなんてしたいとは思わないさ」

「それは違いますわ。火星での優雅な生活を楽しむためには、肉体が若いに越したことはありませんからね」

「…………」

 勉は返す言葉もなく、苦わらいした。

 

 

 

 食事付きの説明会のあとは、やはりピンキー加工現場と広大なストックヤードを見学し、それから屋上に移動して、午後のやや傾きかけた太陽の下で、感動的な新旧交代劇を見物した。硬直したピンク色の人体が、太陽の光を受けてみるみる軟化していった。ピンク色の液体がすべて落ちると、ストレッチャーに乗った若者は目覚めて起き上がり、ロボットから与えられたバスローブを身に付ける。見ていた相棒が近付いてハグし、話しかけた。

「ご苦労さん。無事生還したな」

「ウソだろ、さっき麻酔室に入ったばかりだぜ。しかし君は少し老け込んでいるな」

「あれから二年が経ったんだ。その間僕の生活は惨めだった。予約したことでほかの奴よりかはマシになったが、それでも配給は十分じゃない。でも君はこれから先二年、優雅に暮らしていける。今度は僕が眠る番さ。君にとって二年間は瞬きほどの長さだった。だから、すぐに立ち上がることもできたんだよ。さあ、二年間、ゆとりのある生活を楽しみたまえ」

「ありがとう。で、僕たちのエミーは?」

「ああ、彼女ね。残念だがエミーはここに来ていない。彼女は自殺したよ。しかし、悲しむことはない。なんたって君はいままでの君じゃないからな。二年間楽に暮らせる金持ちになったんだからな。もう、女のほうから寄ってくるさ」

「信じられないな。さっきエミーと別れたばかりなのに……。それに彼女は、僕の出所を楽しみにしていたのに……。いったいなんで自殺なんかしたんだ?」

「残念だが、僕はすぐに加工場に行かなきゃならないんだ。彼女の自殺のことなど話している時間はないんだよ」

「しかし僕は、君にエミーを託したんだぜ!」

「ハハハ、もっと気楽に考えろよ。君は金持ちになったんだ。人生が変わったんだ。体中にまとわり付いていた貧乏神が飛んでったんだ。不自由なく暮らせるんだ。たとえエミーがいなくても、彼女はきっとつくれるさ。君はハンサムだし金もある。それにエミーは、君の知っているエミーじゃない。二年も経てば老け込むものさ」

「放っておいてくれ!」

 生き返った若者は相棒に目もくれず、二台のアンドロイドを供に、とぼとぼと歩いてエレベータに乗り込んだ。

「女なんて、どうでもいいじゃん!」

 大声で叫んだのは勉だった。しかし、若者は振り返ろうとしなかった。相棒は悲しそうな顔つきで、しばらくの間閉じられたエレベータを見つめていた。ほかの見学者たちも顔を曇らせ、哀れな若者を見送った。

 

 

 帰りがけ、反対側のプラットホームの奥に「地下刑務所」という表札の門があることに気付いた。

「なんでこんなところに刑務所なんだ――」

勉は知り合いがここに収監されていることを思い出した。妻殺しの罪で懲役二○年を食らい、現在も服役中である。ここに来たのも何かの縁だと思い、差し入れぐらいしてやろうと反対側のプラットホームに回って門のところに来た。

「予約なしで面会できる?」と門番の警官ロボットに聞くと、「面会は自由です」と答える。

「ただし、二台のロボットが付きます」

「差し入れの売店は?」

「そのようなものはございません。受付であなたの名前と国民番号、面会対象者の名前と国民番号をお願いいたします」

「相手の番号は分からんが、名前と生年月日、罪状くらいなら分かるよ」

「それでけっこうです。当刑務所は自由な雰囲気の開放的刑務所として、見学も随時受け入れております。ただし、逃亡の可能性を考慮して、ロボットが二台付くのです」

 受付で手続きを済ませ、二台のロボットに挟まれて分厚い鉄格子扉の前に立つと、扉が自動的に開いて、中に入ることができた。長い一本の廊下の両脇が牢屋になっているらしく、格子扉の上の札に懲役一○年以下から二○年、三○年、さらに終身刑もあって奥に行くほど刑が重くなっている。

 先導のロボットが懲役二○年の扉の前に立つと、扉が開いて看守ロボットが顔を出した。

「受刑者の棚は二○二です」

 嗚呼、またしてもストックヤードだ。通路の両側に一○段の棚が並んでいて、ピンキーたちがびっしり置かれていた。

「知らなかった。無知だよ。囚人がまっ先にされるに決まっている」

 嫌なものを三度も見せられた勉は、人生最悪の日に違いないと思った。しかしロボットは、容赦なく勉を知り合いのところに連れて行った。彼は二○○列目の下から三段目に寝ていて、ちょうど勉の胸ぐらいの位置にツルツルの頭部があった。脳味噌と眼球が薄っすらと透けて見え、人体模型のようだったが、輪郭でなんとなく知り合いの顔つきだと思えた。

「女房が死にたいといったから自殺幇助して二○年だ。彼女抽選に当たっちまったんだ。いったいいつから?」

「ピンキー化作業は五年前から始まりまして、いまでは全国の囚人ほぼ全員がピンキーになっております」

「彼はあと何年で出所できるの?」

「いまのところ未定です。開設以来、出所した人間はおりません。懲役五年以下でもシャバに戻されておりません。罪人の人権まで考える時代ではございませんから」

「そうだろうな。まっとうに生きてきた人間だってピンキーにされちまうんだ」

「石眠技術により刑務所の運営費は大幅に削減されました」

「そりゃそうだ。看守もロボットだしな」

「で、棚が満杯になったら?」

「大昔は離れ小島や新大陸などに追いやられましたが、今日では宇宙空間に追いやられます。ですから満杯になることはありません」

「死刑は廃止されたはずだろ?」

「死刑ではありません。移民ないしは所払いです」

「ものはいいようだな。ピンキー自体、現実からの所払いさ。老人、囚人、要のない奴らは固めるに限る。久しぶりに友人の変わり果てた姿を見ることができた。僕もこうならないように襟を正して生きるとしよう、いや、僕もすぐにこれだ」

 勉は友人の頭を乱暴に撫でた。

「ロボットの世界では電源を切られて棚に置かれることは当たり前のことです。この状態では拘禁ノイローゼもありません」

「まあ、いろいろな見解があるわな。ありがとう、勉強になったよ」

 勉はニヤリとわらって、ロボットのゴツい肩をポンポンと叩いた。

 

 

 

 克夫の職場は海抜マイナス二千メートルの最深部に設置された小規模マグマ発電所である。施設が必要とする電力のすべてを賄っているが、働いている人間は克夫と同僚の二人だけで、ほかはすべてロボットだった。二人の任務は極秘扱いで、それだけに給料も高い。その代わり、親兄弟にまで秘密にしなければならなかった。二人とも、その掟を破った場合はどうなるかを理解していた。

 施設の下にマグマ溜まりがあって、噴火の可能性もないわけではなかった。そこで、近くの海底とマグマ溜まりを結ぶバイパスを掘って、マグマ活動が活発になった場合は海に逃がすようにしてある。発電システムの隣に、バイパスの掘削機を下ろすために開けた縦穴があり、バイパスに通じていた。この穴は工事終了後に塞がれるはずだったが、上からの命令でそのまま放置された。もちろんハッチが五重に付けられ、ここからマグマが噴出することはまずない。一年前まで、このハッチが開けられたことはなかった。しかしいまでは開けることが日課になっている。マグマ活動も大人しく、危険性はなかった。

 仕事場に戻ると、克夫はさっそく耐熱服に着替えて縦穴の脇に行った。エアコンが機能しているものの、室温は四○度近い。直径二メートルほどのパイプで、円い縁が床から一・五メートルほど立ち上がっている。ロボットで事が済む作業だが、施設長の命令で二人の人間が付き合わなければならなかった。克夫が中を覗き込むと、二メートルほど下に、閉じられた第一ハッチの鈍い銀色が認められた。二人はいわば死刑執行人だった。

「今日も三○○体。しかしいずれは五○○体。受け入れた分、追い出すことになる」

肩越しに相棒がいった。

「楽じゃないね」と克夫はいって、後ろを振り向いた。エレベータの扉が開き、廃棄物を乗せたストレッチャーが三○台出てきた。縦穴とエレベータの間には広いスペースがあるが、いつも三○体ずつの火葬だった。 

「この穴が刑場だということは、施設長も就任まで知らなかったとさ」と相棒。

「上の奴らは最初から予定していたんだ。いずれこの施設はパンクするし、対処法は考えておく必要があるとな。数年後には自動化されて、我々もお役御免さ。石にされなければいいが……」

「そりゃ願ったりだ。地球資源は限られている。貧富の差は永遠に解消されない。排除される人間はいつの時代にも存在する。これらは俺たちと同じ、当たりくじ、いや外れくじを引いた人間の化石だ。排除と廃棄は同義語さ。昔は細々と生きていけた。でもいまは違う。最低限生きるための資源も枯渇しつつあるんだからね」と相棒。

「進展のない愚痴はそこで停止! いまはヒトラーの代わりにスパコンが命令する。ではさっそく命令に従い、廃棄作業にかかるか。ロボット諸君、五段チューリップ満開」と克夫が命令を下した。

 

ハッチは五つあるが、真ん中の第三ハッチは非常用で通常は開いている。ロボットには自律的に仕事をこなすストレッチャーも含まれていた。ハッチは上の二つが開いて、下の二つは開かなかった。ここを開けてしまうと、地下からの熱風が一気に吹き上がる場合もあり、二人は黒焦げになってしまう。閉じられた第四ハッチと開かれた第二ハッチの間は約一○メートル。この空隙にピンクの人体が次々と投げ込まれ、第四ハッチにぶつかるが、硬くて欠けることはない。そして、上部の二つのハッチが閉じられたあとに、下部の二つのハッチが開き、火炎地獄に落ちていくことになる。おそらくこの瞬間が臨終だ。ピンキーは永遠に再生されない廃棄物だと信じる必要があった。

二人は縦穴の両側に並んで直立した。ストレッチャーは横に整列し、同僚が呼ぶと一台一台縦穴の横にやってきた。二人は深々とお辞儀をする。お辞儀が終わると、克夫が厳かに「ご投入」と声を上げる。ストレッチャーの寝台は穴の上まで伸びて垂直になり、胸部を支えていたアームを解除する。人体は足から穴の中にサッと落ちていき、数秒後に穴の底から鈍い音が聞こえた。

同じことが三○回繰り返され、ストレッチャーがすべて空になったところで、同僚が「上のハッチを閉め、下のハッチを開けたまえ」と叫ぶ。この一言で、廃棄物はすべてきれいに処理された。あとは自動的に下の二つのハッチが閉じられ、セレモニーは終了だ。これを一○回繰り返すことになる。

「君の親父さん、ここにぶち込まれなくてよかったぜ」

「いや、いずれはこうなる運命さ」

 二人は、空になった三○台のストレッチャーが六台ずつ重なってエレベータに乗っていく様を見ながら、同じように口を尖らした。ロボットの振る舞いに逡巡はなく、一糸も乱れなかった。畜殺場のようにすべてが自動化されていた。

〝なんてお行儀がいいんだろう。こいつらは理想的な兵隊だ。人殺しという仕事を黙々とこなす。こいつらの爪の垢でも煎じて飲む必要がありそうだな……〟

 いつものように同僚はトイレに駆け込んで嘔吐する。克夫は白々しく見つめていた。

 

 

 明くる日も、地獄の釜の蓋を開ける時間がやってきた。

「今日はトータル六○○体だ」

「すべて身寄りのない連中かね?」

 克夫が聞くと、「家族持ちが一体含まれています」とロボットが答えた。

「独り者は打ち止め?」と同僚。

「いいえ、再生ショーに引き出され、再加工に失敗した者です」

「よく失敗するな」

 エレベータから降りてきた六○体を横一列に並ばせると、一体だけ臍から上が鮮やかなピンクで、下が黒く変色しているものがあった。上半身はうまく再石化したが、下半身は壊死してしまったらしく、強烈な腐臭がした。両手も上腕から壊死していた。

「クッサ、こいつから処分しよう」

克夫はふと耳たぶに付けられた国民番号を調べ、顔面蒼白になった。

「なんてこった、ママだ!」

「ママは禁句です」とロボット。

「僕はこの腐った下半身から生まれたのさ」

克夫は自虐的にわらいながら、顔を歪めた。

「今日は母親殺し?」

 同僚は薄わらいを浮かべて、蒼白な顔を覗き込むように見つめた。

「人類の感覚では、母親殺しは罪だな」

「きっとロボット君がいい知恵を考えてくれるさ」といって同僚は隣のロボットの肩を軽く叩き、「どうだね、こいつのこだわりは分かるかね?」と聞いた。

古代ギリシア以来の悪しき風習の類で、動物的な感情です。しかし愛情は絶対的なものではありません。いがみ合って愛情が壊れる場合は間々あります。飢餓状態では家族内で奪い合いも起こります。王様になれるなら、親でも兄でも殺します」

「つまり、腹ペコ親子は喧嘩をおっぱじめる。ライオン以上、ゾウ以下。どうだい君、君の地位が危なくなるのなら、そんなこだわりは蹴散らすべきじゃないのかね?」

「親は殺せんよ」

克夫はキッパリ断った。

「だからロボットさ。人間は降格に繋がるが、ロボットの過失は昇格だ。バージョンアップされるからね」

「スクラップもあるでよ」とロボットはいってわらった。

「いやいやポンコツロボの融通のなさに抜け道があるのさ。ロボットは異常事態を上に報告しなければならない。しかし、異常事態としなければその義務はない。そうだろ?」

 同僚はロボットにたずねた。

「そうです。たとえば、ここに運ばれてきた対象はすべて燃やさなければなりません。ですが、規定には体のすべてを燃やせという文言はありません」とロボット。

「さすがだ。すぐに抜け道を示してくれる。我々は六○体すべてを廃棄する義務はあるが、下半身だけ投入すれば、それは一体としてカウントしていい」

「なるほど、生きた部分は残して腐った部分だけ捨てればいい。少なくともピンク部分は再生できるからね。レアなケースで手違いが起こった」

 克夫は目を輝かせた。

「ロボット諸君、一刀両断だ」

「腐れ部分は水圧で千切れます」

 一台のロボットが腕から水を噴射して、数秒で胴体を切り離し、ついでに腐った両腕も肩から切り落とした。

「家に持ち帰って飾るがいいや。窓際に置くなよ」

「持ち出し禁止事項に上半身の文言はありません」とロボット。

「たとえバレても、このポンコツの所為にして終わりさ」

「一○年間バージョンアップされていません」

「こんなときはポンコツが役に立つ」

「あなた方も出世コースを外れています」とロボットが返す。

「ロボット以下さ」と克夫。

 ロボットを含めて全員がわらい、ルーチンワークを開始した。最初に明日香の腐肉がマグマに投げ込まれた。それから次々とピンキーたちが投入され、三○体すべてが投入されるまでに一○分もかからなかった。ストレッチャーたちは去り、一台のヒューマノイドが明日香の上半身を机の上に置いた。ピンク色の宝石でできた彫刻のようだ。痩せて乳は垂れているが、喜びに満ちた顔つきで固まっていた。

「メチャ明るいぜ」

克夫は大きな袋をロッカーから持ち出してきた。ピンキーは硬くて、ちょっとやそっとの衝撃で割れることはない。突然、エレベータから小姓ロボットが一台出てきて、「施設長がお呼びです」と二人に告げた。

「ストレッチャー諸君。後は君たちに任せた」と同僚。二人は施設長室に向かった。

「チクショウ! これから俺と親父は、母ちゃんの胸像を眺めながら酒をカッ食らうってわけかよ……」

 その親父も、来年には石にされてしまう。克夫の目からドッと涙があふれ出た。

 

                                      (了)

 

 

三角関係

 

わたしのすべてはチッポケな頭の中

悪魔がふにゃふにゃした豆腐の上で空回り

口から飛び出て悪さをはじめる 

止まりゃしない速さで 止まりゃしない激しさで

二人の間にゃカルシウムの二重サッシ

覗くこともできない

ぶち破ることなんかとてもとても

あなたのしらない脳味噌が

わたしもしらない脳味噌に

わたしもしらない脳味噌が

あなたのしらない脳味噌に 恋をした

それってわたしのもの

それともあなたのもの

あるいは誰かのもの

楽しく 悲しく はかなく さびしい わたしの脳味噌

はげしく 赤く 暗く むなしい あなたの脳味噌

つめたく 不思議で あたたかく わからない 誰かの脳味噌

弾き飛ばされた あなたの脳味噌で

悪魔がふにゃふにゃした豆腐の上を空回り

鉛のスピードでパンパン穴を開けた 二人の間の二重サッシ

流れ出たのは腐った豆腐 わたしのすべてとあなたのすべて 

わたしとあなたのむなしい妄想

捨てるか燃やすか ただの生ゴミ

さようなら おばかさん

さようなら 素敵な誰か

さようなら わたしの人生

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

 

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

 

 

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