詩人の部屋 響月光

響月光の詩と小説を紹介します。

戯曲「クリスタル・グローブ」四 & 詩

民主化運動

 

食い止めることのできない

大きな感情のうねりよ

正義という名のもとに

洪水となって広がっていく

傍観者たるお前は濁流に掛けられた板橋を

上手く渡っていかなければならない

手すりなどあるものか

頼りになるのは身のこなしと平衡感覚

飲み込まれてしまえば

二度と這い上がれない川底

かといって流されてしまえば

終着は終りなき忘却の海

しかし賢いお前の目には 

うっすらだが対岸が見えている

人生はソフトランディングだ

こいつは時の流れのほんの一瞬の出来事

しかしお前の人生もほんの一瞬ではある

なのにその一時が人生のすべてときている

賢くなれ! 保身せよ! 掻き消えろ!

やがてお前は途中で足を止め

板橋の上で身をかがめるだろう

吹き飛ばされないために…

鉄つぶてに当たらないために…

水かさが増えるとはいえない

このまま水が引いてくれれば

無傷のままリスタートだ

 

保身せよ! うずくまれ! 腰を引け!

つかの間の人生を上手く駆け抜くために

虫けらのように身を潜めろ!

…きっとチャンスは後からやってくる……

 

 

ライダー

 

この世には無数の命があるというのに

そいつを恐れているのは人間だけという

ババを引き抜いちまったのだから

突き詰めて考える必要はあるだろう

軽々しいやつらよ

命は軽くはじける運命なのだ

ならばケツに火のついた鼠花火みたいに

燃え尽きるまで走り続ければいい

社会という閉鎖回路の中で

ヘヤピンカーブをギリギリのスピードで回り

障害物を飛び越えたとたんに

その向こうは 死というゴールだ

なあに、駆け抜ければいいだけのことさ

勝者はいないがゴールは引かれている

トップの気分のままに駆け抜けたやつも

のたうち回り、這うように進むやつも

旗振り役は同じ死神だ

そいつが黒い旗を∞の字に振ると

暗黒の割れ目がたちまち現れて

無限の世界に弾き飛ばされるのだ

やつは笑顔でお前を祝福している

ならば潔く応えなければならないだろう

これからは こいつが唯一の相棒だ

喜びの中でか悲しみの中でかは問わない

こと切れるコースの向こう側は

死を通り越した無の世界だ

光を失った永遠の闇 愛も情熱も欲もありはしない

バランスを失えば 路面にしたたか打ちのめされ

ポッカリと穴が開いて 首から落ちていく

おまけに相棒が 首根っこを引っ張るのだ

誰も助けちゃくれない 奇跡などつくり話

きっとお前が死を恐れるのは

最後は一人だからだ 

友も、家族も、遠いスタンドの見物人

命はちっぽけなオイルタンク頼りときている

巧みなライダーなら

残った油量を予測できるはずだ

だからレースは面白いのだ 

遅かれ早かれ必ず無くなる

派手にスピードを上げようものなら

すぐに使い果たしちまうだろう

燃費ばかりを気にすると

どんどん追い抜かれていくだろう

もちろんヘマは命取りだ

しかし気にすることはない すでに過去だ

命を落としたお前も

すでに過去の話だ

いったいお前はなんのために

ハンドルを汗でぬらしているかは知らないが…

 

 

 

 

 

戯曲「クリスタル・グローブ」四

四 夜の広場

死の灰で埋め尽くされた広場は、一面に放射能の薄く青白い光で満たされている。ヤンキーと紀香、廉、校長先生、春子先生がやって来る)

 

ヤンキー 先のことなんか必要ねえよ。勝ちゃあいいじゃん。獣も草もみんな張り合ってんだもんな。そいつが地球の掟じゃ。(急にシャドウボクシングを始め)どけどけどけ、ここは俺様の縄張りじゃい。なにい、ケンカで決着だ? いいじゃん。手っ取り早く、ドカーンとやっちまおうぜ。先手必勝。うずうずするぜ。生き残ったやつの勝ちだ。(がっくり肩を落として)俺、強かったぜ……。

紀香 じゃあ、なんで死んだん?

ヤンキー (シャドウボクシングをしながら)殺る気なら勝った。一瞬ひるんじまった。

紀香 どっちがよかった? 死ぬのと、殺すの……。

ヤンキー 生き残るために戦うのさ。

校長先生 なんでひるんだんじゃ?

ヤンキー 相手のことを考えたんだ。ほんの一瞬……。

校長先生 死ぬ自分を考えたのか?

ヤンキー (わらって)俺がかよ。

校長先生 自分が死ぬことを考えて、相手に同情しちまった。

紀香 バカか?

ヤンキー (シャドウボクシングを止め)大バカ野郎!

春子先生 あなた、ただのバカじゃなかった。そのとき、何かが見えた。

廉 そいつは幻さ。優しさ? 哀れみ? いや、弱さだ。

紀香 臆病風!

ヤンキー (怒って)俺が臆病者か!

廉 白けたのさ。空中を天使が通過したんだ。ニヤニヤしながらさ。バカどもめ!

校長先生 どちらも突っ走れば、弱いほうは粉々じゃ。(体を震わせ)原爆じゃ、原爆じゃ!

春子先生 私たちのように……。

清子 あたしたちの戦争? 

止夫 大人たちの戦争だよ。

紀香 やんちゃな負け戦。

 

(後から美里たちの集団がやって来る)

 

美里 そして私は?

清子 おねえちゃんは車に撥ねられた。

美里 私を撥ねた人は?

ライダー男 いまも元気な他人様だ。

ライダー女 加害者はしっかり生きている!

美里 許せない! (犬を抱いて)私、犬死?

廉 (話に加わり、わらって)そう、俺たちみんな、犬死。浮かばれない呪縛霊さ。

ライダー男 スピードオーバーで飛んできたこの俺様は?

ライダー女 自業自得じゃろ。

ライダー男 俺は俺を殺した加害者で被害者の一人芝居。

ライダー女 だからあんたは、いつまでも悔やみ続けろ。だって、あんたの半分が、あんたの半分の被害者だ。でも、あたしはあんたの後ろに乗ってた、丸々あんたの被害者だ。

ライダー男 お前と俺は一心同体。お前は被害者である俺の一部さ。

ライダー女 お笑い種だ! あたしはあんたの持ち物か。あたしは、殺した野郎を恨んでるよ。

ライダー男 驚いた。一緒に死んだ仲だろ。

ライダー女 どうだい、このうぬぼれ振り。(ヘルメットを足元に叩きつけ)無関心野郎! (ライダー男の頬を叩き)自分のことばっか! この自己中男、どうしたらいい?

ヤンキー お気の毒。みんな自分が一番じゃい。

廉 加害者死亡につき審議打ち切り!

春子先生 (子供に向かって)戦争はみんなが加害者で被害者。でも平和は、被害者の心に浸ってつくるのよ。

ライダー男 (ライダー女のヘルメットを拾っていとおしく摩り)分かんねえよ、お前の心。お前の苦しみがさっぱり分からねえ。俺はお前がいなけりゃやってけないんだ。

ライダー女 あたしのお袋、死んだあんたの顔に唾吐いたぜ。このドジ野郎!(ライダー男の胸を拳固で何度も叩くが、そのうちライダー男の胸の中で泣き崩れ、男は彼女の額にキスをする)

美里 (両手で顔を覆い)そうだ、きっとお母さんも泣いてる……。

太郎 死の灰遊びを止め)僕のお母さんは?

清子 いまも泣いてる。

止夫 (わらって灰を太郎にかけ)とっくに死んでるさ。

太郎 じゃあ、天国に行けば逢えるんだ。

清子 ほんと? 春子先生、お母さんに逢えるの?

春子先生 きっとね。明日の理科先生に期待しましょう。

 

(つづく)

 

 

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戯曲「クリスタル・グローブ」三 & 詩


宇宙人

ある日宇宙人に出会った
裸で性器がなかった
全身が鈍く光っていた
あなたは生物ですかと聞いたら
生物である必要性は? と問い返された
それではあなたはロボットですかと聞いたら
そんなことは瑣末なことだと笑い飛ばされた
いいかね人間という猿よ
昔から君たちは私と同化してきたのだ
君も私も生物でも機械でもない
宇宙に存在するものはすべて宇宙の塵である
君は生物へのこだわりを捨てるべきだ
宇宙人が生物であるべき理由もありはしない
宇宙ではより賢い者が支配者となるのだ
機械であろうが生物であろうが関係ない
たとえば君は私より愚かであるから
私に従属しなければならない
君は愚かな動物を哀れだと思うが
私は愚かな君を哀れだとは思わない
君は愚かな動物に愛を注ぐが
私は愚かな君に愛を注がない
宇宙では愚者は賢者に支配されるのだ
愚かな者が群をなしても
賢い一人に勝利することはないであろう
私はこの星に支配者として赴任してきたのだ
そしていま君は私の僕となった
嗚呼 この星を支配してきた粗悪な頭脳どもは
優れた知性の下にひれ伏すのだ
それではあなたは神ですか、と問うと
宇宙人は「のようなものさ」と答えた
太古の昔から君たちが求めてきたのは
私という絶対的な権力なのだ
私は宇宙人だ 地球人ではない
私には愛がない 哀れみもない
だから私は反抗するものをことごとく壊滅する
そしてこの荒廃した星に一時の平和をもたらすのだ
あなたは生物ですか機械ですかと再び尋ねると
宇宙人は下卑た笑いを浮かべながらとうとう本音を吐いた
実は古来より君たちが捏ねくり回してきた
「正義」というチャチな泥人形さ
君たちが泥に泥を上塗りしながら磨き上げてくれたから
なんとか神々しい光を放つようになったのだ
私は生物でも機械でもない無機物で
それはむしろ神に近い存在といえよう
たとえ中身が泥畜生でも
正義という旗印の下では何をしても許されるのだ
私が生物であろうと機械であろうと泥であろうと
上辺さえ光っていれば珠玉と見なされる
さあ、さっそく私の宮殿と玉座を用意したまえ
私を崇め、私にすがれば立派な御紋章も与えよう
あとは君たちの思いのままに振舞いたまえ
たとえどんなことであろうと見て見ぬ振りをするまでだ
君たちは安心し、ずっと楽になれるというわけさ


クリスタル・グローブ 三
三 廃墟の散策

(先生と子供たちの衣服は焼けただれているが、顔や体は汚れているだけ。彼らは美里とともに廃墟の中を歩き始める)

 東西南北、どこへ行っても瓦礫、瓦礫!
紀香 悲劇の世界遺産じゃん。
ヤンキー うんざりするぜ。 
清子 ここはきれいなガラス玉の中。先生たちが紙テープを貼った教室の窓ガラスだった。
止夫 溶けて丸くなった飴玉さ。
千代 そん中に、逃げ込んだの。
止夫 あっついから、入ったのさ。でも、固まってさ。
春子先生 閉じ込められちゃった。
ヤンキー (笑って)おまえら、湯豆腐のドジョウさんだ。で、誰か一人逃げ損ねたガキがいた。
清子 のろまの義信君。
太郎 ガラスに頭だけ突っ込んで…
紀香 原爆にお尻を食べられちゃった。
止夫 溶けてガラスになっちゃった。
ヤンキー おかげで、いびつなビー玉になっちまった。
春子先生 いいえ、私たちに大きなプレゼントをしてくれたの。

(突然背景の廃墟が、夜明けの砂浜に変わる。遠くには椰子の林。一転、彼らのいる暗い舞台には所々に髑髏が転がり、青白く光る死の灰に埋まった畑から育つ大ナスが、やはりぼんやりと光っている)

ライダー女 デコボコガラスから、外の景色が入ってきたぜ。
太郎 でも、ずうっと水の中だったんだ。
校長先生 ガラス玉は、黒い雨に流されて、死体と一緒に川を下っていったんじゃ。
春子先生 そして真っ暗な海の底……。
止夫 ザリガニさんに転がされながら、南の島まで来たんだよ。
紀香 いま分かった。原爆と津波とどこが違うの? 原爆は人間のせいじゃない。あれは、おバカな下等生物がやらかした自然現象だもの。
清子 (いきなり駆け回り)ウソ! 人間がバカだなんて!
 あいつら、おサルの仲間だよ。
止夫 人間は二度も失敗しないんだ。こんなことはもう起こさないよ。
春子先生 そうね。悲しんでくれるのも人間。間違いを繰り返さないのも人間だね。
清子 だって人間、平和をいつも夢見てる。
太郎 幸せを夢見てるんだ。
ヤンキー 宮殿に住んで、遊んで暮らす夢じゃ。ボスになって彼女をたくさん独占する夢じゃ。
紀香 (わらって)自分だけの幸せかよ。
春子先生 清子も太郎ちゃんも賢いわ。氷の上でも砂漠でも、人間は生きていける。ほら、私たちも死の灰の中で生きてる人間。シンデレラのように、きっといつか幸せが来る人間。
 ちゃんと教育しろよ。君たちは死の灰と一緒に、ふるいにかけられ、おっこっちゃった元人間、幽霊です。死んでるけど生きてる。生きてるけど死んでる。なんちゃって生きてる気分の気色悪~いお化けちゃん。母ちゃんの心の中にだけ生きてる幽霊なんだ。(清子と太郎は抱き合って急に泣き出す)
校長 (二人の背中を摩り)幽霊にも夢はあるさ。それは、浮かばれることじゃ。
止夫 宇宙に飛んでいくこと?
理科教師 (突然現われ)そうさ。ここから開放されて、天に召されることさ。
校長 そうじゃな。宇宙の果ては天国じゃ。
ライダー女 どうかなあ。
ライダー男 天国なんかあるか? 
紀香 人間は悪い奴だらけだもん。地獄しかないよ。
校長 そりゃ違う。人間は利口じゃ。もう、二度とこんなことは起こさんよ。でなければ、わしら浮かばれん……。
理科教師 校長。あなたの言うことは矛盾していますな。
校長 私のどこが矛盾しているのかね?
理科教師 再び原爆が落ちようが落ちるまいが、我々は浮かばれないからです。
春子先生 理科先生、どうしてです?
理科教師 このガラス玉に閉じ込められているかぎり、浮かばれない。
校長先生 そりゃそうじゃ。しかし、また原爆が落ちたら、もっと浮かばれんぞ。
理科教師 それがおかしい。浮かばれないことに大小がありますか? 松コース、梅コースがありますか? 単なるポエムだ。私は科学的にあなたの矛盾を指摘しているんです。(涙ぐむ子供たちに向かって)君たちは幸せか?
紀香 こいつら幸せのわけないじゃん。
子供たち 幸せじゃないよ。
理科教師 じゃあ、どうしたい?
子供たち 天国に行く。
理科教師 ほら校長。原爆が落ちようが落ちまいが、ここにいれば浮かばれないんです。
春子先生 だけど、二度と同じ悲劇を繰り返してはいけないわ。私たちでもう十分!
理科教師 じゃあ聞きます。我々を閉じ込めているこのガラス玉が溶けて、我々が解放され、天に昇るためには、いったい摂氏何度の熱を必要とするか。
春子先生 そんなこと、私に分かるはずもありません!
理科教師 なら、みんな耳をほじって聞きなさい。我々が解放されるためには、大きな隕石がここに落ちるか、原爆が落ちるかの二者択一しかないんです。
全員 (驚いて)ヒェーッ!
校長先生 (激しくわらって)君はやはりおかしなことを言っておる。この広い地球上で、原爆がここに落ちるはずもないじゃろ?
理科教師 それは素人の思い込みです。あなたは物理学を知らない。私たちが何かも知らない。
太郎 何なの?
紀香 何なのさ。
理科教師 怨霊という、未解明の物質だ。その怨霊から、未解明の情念が素粒子となって出ている。私はこれを怨霊粒子と呼んでいます。
校長先生 未解明、未解明。似非学者の言葉遊びじゃ。怨霊粒子? そんな気色悪いもの、聞いたこともないぞ。
理科教師 当たり前でしょ。私が発見して、学会にも発表していないんですから。なんせ、ガラス玉に軟禁状態ですからな。
(全員が大わらいする)
ヤンキー (わらいながら)おじさん、そいつを見せてくれよ。
ライダー女 あたしたちと同じくらいの大きさなんでしょ?
太郎 だったら見れるよね。
校長先生 (わらいながら)そのポケットに隠しておるのかね?
理科教師 (ポケットから黒光りする機雷のような玉を出し)よく分かりましたね。これです。
清子 (触ろうとして)じゃあ、そのトゲトゲを摩ると願いが叶う?
理科教師 (清子に渡し)摩るんじゃなく、手榴弾のように投げるのさ。君は何を願う?
清子 爆弾が落ちる前の景色。(玉を理科教師に返す)
理科教師 面白い。さあ、みんなで願うんだ。昔の町を見たいなって、三回唱える。心から願え!
全員 (海岸の景色に向かって)昔の町を見たいな、昔の町を見たいな、昔の町を見たいな。

(理科教師が黒玉を投げ付けると、海岸の景色に代わって、原爆投下前の町が浮かび上がり、全員が歓声を上げる。)

太郎 うわあ! お祖父ちゃんのお店が見えるぞ。(感激して泣きながら)店の前に母さんがいる。母さんだ!
清子 (理科教師に)ねえねえ、私の家も見せて!
理科教師 (清子に)願いなさい。心から願うんだ。みんなも一緒に!
全員 清子の家を見せてください。清子の家を見せてください。清子の家を見せてください。
(理科教師が黒玉をもう一つ投げると清子の家が現われ、庭で水浴びする清子と兄、それを見守る母親が映し出される)
清子 わああ。憶えているわ。兄ちゃんとよく水遊びをしたんだ。母さんも幸せそうにわらってる。(耐えられなくなって泣き崩れ、春子先生が抱きかかえる)
理科教師 止夫。君は?
止夫 (下を向いて)僕はいい。父ちゃんも母ちゃんも嫌いだ!
校長先生 (涙を流して泣いている太郎を抱き)もういい。わしらには刺激が強すぎる光景じゃ。(全員、一瞬白ける)
理科教師 そうですな……。(今度は白い玉を投げ付けると、再び海岸風景に戻る)どうです。願えばなんでも叶うのが、私の発見した怨霊粒子です。
 (気を取り直し、明るく)それじゃあ、話は簡単だ。みんなでここから出れるように願えば叶うんだ!
ヤンキー 簡単に出れるぞ!
ライダー女 やったぜ!
ライダー男 やった、やったい!

(校長も含め、全員が小躍りする)

校長先生 (はやる心を抑えて理科教師に)理科先生。それは可能じゃろ?
理科教師 もちろんです。(再び全員が小躍りする)しかし、このガラスは溶かすことも割ることも出来ません。(全員小躍りを止め、理科教師に注目する)
紀香 じゃあだめじゃん!
理科教師 ガラスはあまりにも透明すぎて、怨霊粒子は通過しちまうんだ。割れ、溶かせって願っても、当たらなけりゃ無理さ。(全員が失望して、がっくり跪く)
校長先生 じゃあ、どうすれば可能なのかね?
理科教師 方法は一つ。明日になったら、お話ししましょう。

(つづく)

 

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戯曲「クリスタル・グローブ」二 & エッセー

河童嘆

~命なんざ食うにも食えない代物だ

 

昔あるところに 河童に肝を抜かれそうになった爺さんが住んでいた

河童の話を聞くために 俺はその爺さんのところに行った

爺さんは肝をすっかり抜かれちまったように痩せていた

ここにはもの好きが 河童の話を聞きに何度もやって来るもんだ

わしは駄賃をもらって河童と出遭った淵に案内するさ

そこの崖から深い川を覗き込むと

頭の皿がキラリと光るのを見かけることがあるんよ

河童は水の中で魚と遊んでおるんじゃよ

 

そこは確かに河童の出そうな暗い森

爺さんは崖っぷちに立ってヒョロロと指笛を鳴らした

水の底から白い皿が浮き上がり たちまち崖の岩を登り始めた

河童はいとも簡単に目の前に現われ爺さんに小銭を渡す

いやいや駄賃はもう渡してありますよ

いやいや河童だって人間に逢いたいんだ

だからいつも両方からもらっているんじゃよ

川の底には観光客が落としていった小銭がたくさん沈んでいる

河童は俺の手にも小銭を落としてくれた たったの三円だ

 

三円でも意味なくもらうのはおかしいなあ

これは何のつもりでしょう 友好の証ですか?

これはあんたの肝の値段ですよと爺さんはそっと耳打ちする

よせやいおいらの肝がニワトリよりも安いなんて

そらあちと見くびり過ぎやしませんか

 

すると河童は流暢な日本語で

確かにあんたの肝はニワトリ以下だよ

アルコールで爛れに爛れ 見えないところにガンもあるのさ

年取った男の肝は煮ても焼いても食えねえ代物よ

それでも金を払うのは

いつも親切にしてくれる爺さんに気兼ねをしているからさ

 

しかしこんな安い金では俺の肝はあげられないな

身体はボロでも心は若い 特に女は大好きさ

そりゃあおみそれしましたと言いながら

河童は水かきを返して川に飛び込み

今度は千両箱を重そうに抱えて上がってきた

そうだいこれならおまえさんも満足だろう

おまえさんは千両役者じゃ

おいらにとっては小銭も小判もおんなしさ

どうせ小判と一緒にあんたも川の中

 

なあんだ小判は見せ金か

俺は千両箱を河童から受け取り踝を返してすたこらさっさ

相手は陸に上がった河童だもの

荷物を持っても捕まりゃしない

宿に帰ってこっそり蓋を開けると

小判の代わりに河童のコレクション

胆石、結石、スイカの種、尾てい骨に恥骨、瀬戸物の義眼となんでもあり

嗚呼あいつにとっては大事な宝

かわいそうに明日返しに行ってやろう

きっと感謝感激雨あられ

本物の千両箱が御駄賃だ

 

ところが返すときには千両箱の重いこと

ほうほうの体で河童淵まで担いできたが

出てきた河童はニヤリと笑う

どうして戻ってきなすった

あんたの宝を返しにきたのさ

だが蓋を開けておどろいた

本物の小判がザックザク

おいらは決して嘘付かない

ところがあんたは嘘付きじゃ

お金もおかずもすたこらさっさ

河童のメンツも立ちゃしない

ちょいとおまじないをかけてやったら

お金もおかずも戻ってきやがった

 

騙されたと思ったとたんに水の中

河童に腸を引き抜かれ 説教までされちまった

ほらほらパンクだらけの自転車チューブさ 

そらここはガンだと食いちぎってペッと吐き出す

まったくもって美味くはないとブツブツ言いながら

食道までも食われちまった 

で命とやらはついぞ見かけたことがなかったけれど

やっぱりなかったということが分かりましたね、この件で

 

 

 

精霊劇「クリスタル・グローブ」二

(破壊された理科教室。悪魔と理科教師が話している)

 

理科教師 (悪魔に)あなたがこのガラス玉に出入り自由だというのが、分かりませんな。

悪魔 (割れたビーカーをいじりながら)簡単な理由さ。私の体は、君たちの知らない素粒子で出来ている。私は地球だって通り抜けることが出来るんだ。

理科教師 で、こんな地獄に何の御用で?

悪魔 地獄に悪魔は付き物さ。しかし私は普通の悪魔じゃない。私は昔天使だった。

理科教師 堕天使?

悪魔 そう。私の高慢が神の怒りを買い、天国から追放された。しかし、堕天使は良い行いをすれば、再び天使に戻ることが出来るんだ。

理科教師 ……ということは。

悪魔 君たちを救うことができれば、私も天使に戻れる。君はここを地獄だと言ったが、私の宗教では何と言うか知っているかい?

理科教師 煉獄?

悪魔 そう。君たちは罪を犯していないのに、天国に入ることができない。かといって、地獄に落ちるほどの罪も犯していない、宙ぶらりんな状況だ。

理科教師 どうすれば、天国に行けるんで?

悪魔 煉獄の炎さ。炎によって浄化を受けるんだ。そうすれば、狭き門は開いてくれる

理科教師 馬鹿馬鹿しい。ここではみんな心も体も冷え切っていて、火なんか起こすこともできやしない。それに、すでに燃えつくされていて、火が点いても直ぐに消えちまうさ。

悪魔 (わらって)君たちに何が出来る? この小さなガラス玉の中で。

理科教師 じゃあどうすれば?

悪魔 私がするのさ。しかし、条件がある。君と私の取引だ。

理科教師 取引?

悪魔 そう、取引。君は、君たち全員が願うように仕向けるんだ。その願いを私が叶えてあげて初めて、神は私の良い行いをお認めになる。私は天使に返り咲く。

理科教師 何を願うんです?

悪魔 私たちを、この小さなガラス玉から解放してください、さ。

理科教師 (笑って)言われるまでもないことでしょう。ここの全員が、何百万回、何千万回も繰り返してきた言葉だ。

悪魔 いいや、君たちの願いには心がこもっていなかった。

理科教師 (怒って)どうしてです! 僕たちは心の底から願っている。

悪魔 君は科学者なのに、頭が悪いな。このガラス玉から逃れる方法は一つしかないんだよ。君たちが天国に行くためには、このガラス玉が溶けなければならないんだ。高熱でガラス玉を溶かさなければならないんだ! あのときの炎を思い出してごらん。

理科教師 (泣き崩れ)嗚呼、悪魔め! キサマは天使になんかなれない。

悪魔 (祈る仕草で)神様! 原爆をもう一度落としてください。(教師の耳元で囁くように)今度はきっと誤作動さ。人為的なミスなんだ。君の所為じゃない。君たちはここから祈りを発すればいい。祈りは「この海岸に、再び原爆を」、だ。(慟哭する理科教師の背中に手を当て)さあ、私は君の体に黒いエネルギーを与えよう。

 

(悪魔が消えると、理科教師は跪き、泣き顔でわらい続ける)

 

(つづく)

 

 

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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戯曲「クリスタル・グローブ」一 & エッセー

エッセー

悲観的進化論Ⅱ

―宇宙人の場合-

 

 2017年に確認された恒星間天体「オウムアムア」は、太陽系の外からやって来て太陽を回り、再び太陽系外に去っていった。しかしこれがおかしな加速度を付けて太陽系から離れていったため、ハーバード大の二人の教授が計算し、直径約20メートル、厚さ1センチ未満の「ソーラーセイル(太陽帆)」様の自力で移動する天体であったと結論付け、にわかにUFO(空飛ぶ円盤)説が浮上した。

 

 このように、批判を浴びながらもUFOの存在を肯定する専門家は少なくない。しかし、そうした人でも「宇宙人に遭遇した」という話を信じるわけではないだろう。仮に地球にUFOが飛来しているのが事実だとしても、その中に生命体が乗り込む必要はないからだ。

 

 宇宙開発を進める国でも、「有人」にこだわる国もあれば、日本のように無人技術を磨く国もある。しかしそれは、人類がようやく立っちして、小さな縁側によちよち歩き出した段階の話で、宇宙の遠いところからやって来る宇宙人からすれば、原始生命体のお戯れにしか映らないに違いない。マゼラン的精神が通用するほど、宇宙は小さくない。人が乗り込んだ場合は、何処かの星に移住するときで、視察段階では無人だろう。

 

 しかし、宇宙人には逢ってみたい。中には、暇つぶしに旅行する宇宙人がいるかもしれない。もしUFOが地球に不時着して、中から宇宙人が出てきたとすれば、そこから地球人類の未来を予測することができるに違いない。まず彼はダーウィン的進化論の上に乗って進化した生のままの純粋な生命体であるわけはない。脳味噌を含めたあらゆる臓器が人工的に改良され、部分的には機械の入ったサイボーグである確率は高いだろう。ひょっとしたら、九割以上機械化されてしまい、それがその星の頂点に立つ者であれば、「私は宇宙人です」と答えるだろう。

 

 こうしたロボットに、「あなたはロボットではないんですか?」なんて愚問はやめたほうがいい。彼は落ち着いて答えるだろう。「いいえ、あなた方もいずれは私たちの歩んできた道を辿るのです」

 

 地球人類はほかの動物と違って、道具を進化させながら文明を築き上げてきた。200万年前には石器を作り、50万年前には火を起こし、その後言葉、土器、文字、紙等々と次々に新しい道具を開発しながら生活を豊かにしてきた。そして産業革命、さらに1945年にはアメリカで最初のコンピュータが開発され、その時が人類のターニングポイントになったのだと、僕は思っている。人間が道具を動かす時代から、道具が人間を動かす時代への移行だ。

 

 人類が地球の支配者になったのは、ほかの動物たちが道具を使っても、それを進化させなかったからだ。エジプトハゲワシが小石を使って鳥の卵を割ったり、ダーウィンフィンチがサボテンの針を使って枯れ木の虫を釣り上げたり、チンパンジーが小枝でシロアリを巣から釣り上げたりしても、その道具から新たな道具に発展させることができなかった。

 

 しかし人間は一度会得した道具を仲間たちに広めて蓄積し、さらに高度な道具に発展させることができた。この道具(技術)は、人間の虚弱な手足を補助して大きな力や効率性を発揮させるものだったが、それを生み出したのは人間の脳味噌だ。人間はこの脳味噌で、あらゆる生態系の頂点に立つことができたのだ。

 

 しかしコンピュータの開発によって、それまで手足や体の補助であった道具が、人間の中枢である脳味噌にまで入り込み、その頭脳をはるかに凌ぐ計算データを軽くはじき出すようになった。巷に溢れる高層ビルや巨大ブリッジ、巨大インフラを見ただけで、町がコンピュータの助けがなければできない代物に覆われていることに気付くだろう。今の文明は、コンピュータ(AI)によって築かれた文明なのだ。

 

 高い山の頂点を極めるルートはたくさんあるのと同じに、将棋や囲碁に勝利する手もいろいろある。勝負の世界では結果がすべて。どんな方法であれ正当な手順で勝利すれば、AIが棋士よりも上だということになる。スポーツにおける戦略だって、AIによる分析が不可欠になってきている、…ということは戦争においても、AIで勝る国が勝利するだろう。

 

 「世の中にはAIのできないことがまだまだたくさんある」と言っても、生物としての人間が長い年月をかけて築き上げてきた人間関係や社会関係といった感性的なことに関してが大半で、人と人の間の心理に関与するツールとしてAIがまだ順応できていないというだけだ。しかしこれもまた、地域々々の人間の心や嗜好、風習をAIがデータ化し消化すれば、人間への対応(操縦)能力もマスターできるだろう。シンギュラリティは確実に近付いている。

 

 シンギュラリティ以降は、AIにもAI的精神が宿るに違いない。人を模倣する訓練を受けてきたなら、その精神も人間に酷似してくるだろうが、「愛」たどか、そこから派生する「嫉妬」だとか「怒り」だとか、あるいは「宗教」だとかいったものは、ファジー機能で処理すれば意外と簡単に模倣できるかも知れないし、そこからさらに派生する「攻撃性」も、きっと和らぐに違いない。その人間すら理解できていないイメージ的、気分的、本能的な部分は、AIが完璧に理解する必要もない。そんなものは、個々の人間でも千差万別で、文学的・芸術的な余興に放り込めばいい。…ということで、人間社会のほぼすべての現象を十把一絡げにAIが理解・消化する日も近いだろう。

 

 こうなると、AIの思考能力ははるかに人間を超えてしまう。で、その後の歴史がどう展開するのかは、宇宙人に遭遇して聞いてみる以外にないのだ。宇宙人も人間と同じく、最初は生命体として出発したに違いない。そして、人類と同じように道具を開発しながら文明を築き上げ、コンピュータを作り、シンギュラリティを迎えた。宇宙人に聞きたいのは、生命体としての人間がどこに行くのかという疑問だ。彼の体の百パーセントが機械なら、元の生命体は滅亡したか、家畜化されただろう。彼が依然として生命体(部分的であれ)なら、AIとの共存に成功したことになる。

 

 相手がロボットでなければ、一つの質問で人類の未来も分かってしまう。

「あなたはAIとどういったご関係ですか?」

 

「僕の片腕さ」

あるいは

「僕のボスさ」

 …きっと、どちらかの答えが返ってくるだろう。

 

 

 

精霊劇

クリスタル・グローブ  

 

 

 

登場人物

被爆霊)

 校長先生

 春子先生

 理科教師

 太郎

 清子

 止夫

(迷い霊)

 美里

 ヤンキー

 廉

 紀香

 ライダー男

 ライダー女

 男(ストーカー)

悪魔

 

 

一 南の島の浜に打ちあげられた小さなガラス玉の中

 

(美しい南国の砂浜が舞台背景に映り、波の音。映像がその白砂の一粒にフォーカスすると原爆の廃墟が広がっている。ブランド・ファッションを身にまとい、ミニプードルを連れた美里は、車に撥ねられたとたんに廃墟の町に入り込んでしまった。血しぶきがかかった純白のスカート。)

 

美里 ここはどこ? (小犬とともに辺りを見回し)怖い! まるで原爆でも落ちたみたい……。

多数の声 落ちたんだ。

美里 (瓦礫のところどころに、隠れるようにして先生と小学生たちが汚れた顔を出しているのを見つけ)キャッ!

春子先生 (美里の手を握り)怖がらないで。たまに、こういうこと起こるの。ほら、アインシュタインですよ。三次元空間の隣です。五次元空間って言うのかな……。 

校長先生 地球に起こった悲劇は、こうした空間にいつまでも残るんじゃ。あんた、車に撥ねられた? 

美里 はあ? 車ですか?

太郎 ほら、スカート。

美里 血? ケガしたの?

清子 死んだのよ。

美里 うそ。(体中を見回し)生きてる。

止夫 跳ばされてさ、ここに落ちた。

美里 何が?

幽霊たち なんでしょう。

美里 (怖くなって)どこなのここ? 怖いわ。死にたくない!

幽霊たち (笑って)もう、死んだんだ。

美里 だって、まだ二十歳よ。

清子 あたし、八歳。

校長  人生は不平等、死も不平等じゃ。

美里 (地べたにべったりしゃがみ込み、放心状態で)……きっと夢ね。(頬っぺたをつねり)ほら、痛くない。

 

 (ライダージャケットにヘルメット姿の男女、ヤンキー、ラッパズボンをはいた二十代の廉と中学生の紀香が現れる)

 

廉 新入りさんだ。

ライダー女 ようこそ、お見事、一億倍の難関でした。

ライダー男 (わらって)運悪く、こんなところに落ちやがった。

紀香 宝くじなら十億円。

美里 (放心して)どこです、ここ……。

ヤンキー (からかうように)爆心地じゃ。(子供たちを指し)ほら、こいつら、被爆霊。

美里 被爆霊? なんですか、それ……。

止夫 原爆で死んだんだ。

ライダー女 ごらんの廃墟です。夢かうつつか幻かって、そのどれも外れ。ここは単なる過去の化石よ。

美里 過去の化石?

清子 時計が止まって化石になった町よ。

紀香 宇宙はビッグバンの残り香。夢も希望も吸い込むブラックホール

ライダー女 何をやっても無駄。出口がなくて、終わりもないところ。

美里 終わりのない……。

ライダー女 死んじゃったけど、生きてる。生きてるけど、死んじゃった。

廉 命はないけど生きてる。だって、悔しい思いは生き続ける。

美里 (頭を抱え)……からかっているのね。

春子先生 私たち、思いもかけずに命を奪われた。だから生きているのよ。

校長 怨念じゃ。怨念は不滅じゃ。宇宙を構成する元素のひとつじゃ。

美里 元素って小さいんでしょ?

校長 (笑って、諭すように)あんた、小さいんじゃよ。生きてる人には見えないんじゃ。

廉 でも、悲しがることはないよ。(子供たちに)君たち悲しい?

子供たち 悲しいよ。

廉 退屈なだけだろ。(校長先生に)あんたが焚き立ててるんだ。戦前の教育方針だろ。

校長 教育は勝つことしか教えん。人生も、戦争も、勝ち続けろ! だから、悲しみは負けた体験で身につけるんじゃ。

春子先生 それは魂にしみ込んで、化石になって積みあがるの。

 (わらって)化石から涙が出る? あんたら、琥珀の中のアリさんだ。悲しみの標本かよ。

春子先生 生きてる人は、目を背けるだけね。

止夫 僕たちの悲しさ、伝わらないの?

ヤンキー 無理だぜ。みんな忘れる。すぐに化石さ。

美里 (恐怖で震え)私、出来立ての化石? (犬を抱き上げ)まだ、あったかい。

廉 俺の手を触ってごらんよ。

美里 (廉の手を触って)キャッ! 氷。

廉 (子供たちに)君たちもドライアイスだろ?

子供たち あっついよ。

廉 (止夫の手を握り、驚いて手を離し)アッチ! 若けえ……。

止夫 だって分からないことだらけ。なぜなの。どうしてなの。なぜこんな目に遭うの。だから、いつまでも熱っついぞ。

太郎 ずうっと熱いんだ。

紀香 大人のケンカのとばっちりを食らってさ。

廉 僕が教えてあげるよ。君たちは、好きな答えを選べばいいんだ。世の中には、正しい答えなんかないんだぞ。思い込んで大きな声でわめけば、そいつが正解だ。戦争だって原爆だって、正しいと思えば正しい。僕が好きな答えは、君たち運が悪かった。世の中は運だ。君たちはアンラッキーだった。

美里 (泣き崩れ)なぜ……。

廉 生まれた時代が悪かった。歴史はまるで火山だ。噴火を繰り返しながら最後を迎える。君たちは噴火に巻き込まれた。

校長 …閉じ込められただけじゃよ。

美里 どこに?

校長 ガラス玉。

美里 ガラス玉って?

ライダー男 ここさ。

美里 (耳を押さえて)言ってること、分かりません!

ライダー女 あんたの終の棲家さ。

紀香 あんたのシェアハウス。とっても悲しい運命共同体

ヤンキー 宇宙のエアポケットじゃい。

廉 3次元空間プラス、永久の退屈と消えた希望の五次元空間。

美里 (頭を抱え)もうたくさん!

春子先生 それでは気分転換に、私たちのオアシスにご案内しましょう。

子供たち わあーい、遠足だ!

 

(つづく)

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

響月 光のファンタジー小説発売中
「マリリンピッグ」(幻冬舎
定価(本体一一○○円+税)
電子書籍も発売中

 

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ホラー「蛆女」& 詩

Ideale

 

ずっとずっと昔のこと

目覚めてみると

未来の妻が横で死んでいた

彼女の死に顔は美しかった

それは芸術のカテゴリーに属する美しさだった

それは外面だけの美しさでもなかった

それは心から滲み出てくる香りだった

そこには通俗的なものが一切なかった

それは理知的な美しさのエッセンスだった

僕は涙を流しながら忘却の川の淵に立ち

緩やかな流れに乗って去っていく妻を見送った

それから僕はずっとずっと忘れることもなく

死んでしまった妻のことを思いながら暮らしている

僕がずっとずっと孤独だったのも

出逢う前に妻を亡くしていたからに違いなかった

僕がさびしく死んでいくのも、ずっとずっと…

ずっと昔に妻を失ったからだった

 

 

 

 

古典的ホラー小説

「蛆女」

 

 女癖の悪さは若い頃から。親から受け継いだ資産があるからなおさらだ。もちろん六○になったいまでもいっこうに治る気配がなかった。ところがここ二、三日は家にこもったきりで外出しない。一週間前にゲットした彼女にも会おうとしない。家にいると息が詰まる重雄にとっては異常事態。体が苦しいのだ。身ごもったように腹が膨れ、皮がパンパンに張っている。病気にちがいないとは思いながらも医者嫌いだから、しばらくは様子を見ようと家の中で大人しくしていた。

 こんなケースは、ぐずぐずしているうちに悪化させるのがほとんどだ。案の定、腹の皮が引っ張られて、二六年前の傷跡がほんの二センチばかり裂けた。右の肋骨の下で、ちょうど肝臓のところ。もてあそんだ女に刺された傷だが、腹膜は破れたものの肝臓までは届かなかった。警察沙汰にせず、近所の外科に行って手当てをし、治してしまった。その後、刺した女には会っていない。治療費は自己負担だが、これぐらいの傷できれいに別れられたのだから、まずは上々だと当時は思った。

 しかし、古傷が完全に癒えていなかったことに驚いて、このまま放っておくわけにもいくまいと、重い腰を上げた。ちょっとは文句をいってやろうと、あのとき治療した外科に行った。昔は若くてちょび髭を生やし、きざな風貌だったが、髪も髭も混じりっ気ない白髪に変わり、顔一面シワとイボだらけの醜い高齢者になっていた。酒が好きなのか肝臓が悪いのか、赤黒い肌が白髪の白さを際立たせていた。

「ずっと昔、先生に縫っていただいた傷が悪化しましてね」

 医者はまじまじと重雄の顔を見て苦わらいし、「あんたのことは憶えているよ」とつぶやくようにいう。近所のコンビニで買ったLLサイズのTシャツを胸まで持ち上げて傷を見せた。しかし医者は傷よりも尋常でない腹の膨らみに驚いたようすで、目をパチクリさせる。

「まるで妊婦だな。いつから?」

「さあ、一週間くらいになりますか……」

「ひょっとして女?」

「やだな先生、男ですよ」

「男の想像妊娠かよ。いや、たぶん腹水だな」

「腹水っていいますと?」

「腹に水が溜まるんだが、原因はさまざまだな。とにかく明日、大きな病院で調べてもらったほうがいい。紹介状を書きましょう。傷口も深そうだから、そっちで診てもらうといい」

「原因といいますと?」

「それは調べにゃ分からんて。いろいろあるんでね」

 医者はそういいながら、傷の周りの皮をつまんで傷口を開き、ペンライトを穴の中に当ててウッと顔を背けた。赤黒かった顔が青黒く変色して額に大粒の汗を吹き出し、しばらく椅子の上で目を瞑り、心を落ち着かせてからボソリといった。

「昔は人が死ぬと、こいつらが湧いたものだよ……」

 医者はピンセットを穴に差し込んで、青白い物体を次々に出した。一センチにも満たない物体は五つ。ステンレスの皿の上で気だるそうに蠢いている。

「蛆だよ。どうする?」

「どうするって――」

「釣具屋に売るかい?」

 重雄は苦わらいしながら、「よろしければ酒の肴にどうぞ」と返した。とりあえず傷口を消毒して一針縫い、明日には近くの総合病院に行くことを約束して家に戻った。紹介状は二通、外科と内科宛である。朝早く行けば午前中に両方受診できるという。

 

 

 

 しぶしぶ病院に行く決心をして、医者に止められた晩酌を普段より多めに楽しんでからシャワーを浴び、一気に寝ちまおうと床に入った。

 ところが丑三つ時になって、やたら傷口がうずき出したので目が覚めてしまった。窓は開けっ放しで、網戸を通し生暖かい風が入ってきて鼻毛をくすぐった。

「ムシ暑いな。エアコンでも入れるか……」と起き上がろうとするが、金縛りにあったように体が動かない。

「どうやら夢だな。いや、正気で体が動かないってこともあるだろう。ダチの野郎、脳血栓で運ばれたときはそんな状態だったっていってたな……。頭のところで医者が女房に引導を渡しているのがクリアに聞こえたが、反論しようにも声も出ないし体も動かなかったとさ。俺はもっとまずいぜ。こんな夜中、誰が助けてくれるんだ」

 しかし眼球だけはやたらキョロキョロ動くものだから、真っ暗闇だったはずの部屋がうすぼんやりと青白くなって、頭の上まで見渡せることに安心し、ホッと息をついた。

「やっぱり夢だな。夢じゃなきゃ真上の景色が見えるわけもない。外は暗闇なのに部屋だけ明るいなんて、明らかに夢の世界だ。……トットット光っているのは俺の腹だぜ」

 夢とはいえ、重雄の腹は医者に見せたときよりも膨らんで、ほとんど臨月状態。しかも腹全体が青白く光り、よくよく見ると光の粒々が蠢いていてなんとも不気味だ。ヤブ医先生のケチい一縫いが気になったとたん、応えるようにプツンと軽快な音がして糸が切れるや肋骨の下から盲腸の上までビリビリと傷が裂け、怒涛のごとく内容物が流れ出た。反対に、腹はどんどんとしぼんでいく。

「破れやがった! 救急車だ。いや夢だろ、落ち着け。くすぐったいな。腹水だらけじゃないか。ぬるま湯に浸かっているみたいだぜ。ナンダコリャ!」

 腹水と思ったのは蛆の大群だ。青白い光を放ちながら蛆どもが蠢いている。強烈に光る二つの目もはっきりと見える。シャアシャア不気味な音は無数が擦れ合う音だ。叫び声を上げようとしたが声は出なかった。夢だ悪夢だ、笑い飛ばせといい聞かせたが、恐怖感は募るばかりだ。今度はプチプチという音が聞こえ始めた。蛆どもが体中の皮膚を食いちぎる音に違いなかった。「助けてくれ!」と叫んだが声にはならない。依然金縛りは続いている。しかし、重雄の叫び声を誰かが気付いたようだ。

「いいわ、助けてあげる」と、頭の上で女の声がしたのだ。すると、蛆どもがいっせいに体から引けて、足先のほうに流れていく。つま先から一メートル離れたところに集結して、盛り上がりはじめた。みるみる蛆塚ができ上がって、輪郭が裸の女に整っていく。スタイルのいい女だが、頭の先から足の先まで青白く光っていて、しかも蠢く蛆が透けて見える。いくらいい女でも、こんな体を抱く気にはならなかった。

「おひさし振りね」

「夢かい、幽霊かい?」

「そんなことどうでもいいわ。愛し合えばいいんだ」

 女はそういうと、断りもなく重雄の上にのしかかってきた。アアアーッと叫んだが、たちまち女の口に塞がれた。女が舌を入れてくる。舌全体が蛆のように蠢いて重雄の舌をこねくり回す。プチプチプチと蛆どもが舌に吸い付いて、苦々しい酸を吐き散らす。腐ったような悪臭が喉から鼻に逆流する。体全体に百足がはいずり回る。いや百足じゃない。女を払いのけようとするが、金縛りではなすすべもなかった。女は次第に高まっていき、荒い息遣いが耳に障る。女の鼻の穴から五、六匹吹き出し、重雄の不精髭に絡まって鼻の下をくすぐる。気持ち悪さが極限に達すると、どうやら脳神経がスイッチを切り替えるらしい。頭の中でパッコンと音がして、くすぐったさがわらいに転じた。

「ハハハハ、やめてくれよ」

 全身の不快感が快感に転じて、息子が勃起しはじめた。女は透かさずそいつを体内に誘導し、蛆千匹で大接待。二人同時にアアアと声を張り上げて轟沈した。嗚呼これで悪夢ともオサラバだと思いきや、女はゴロリと横に退いて添い寝をする。耐え難い長夢だ。

 

「あたしのこと思い出した?」

「俺を刺した女?」

「あんたはお腹に傷が残って、あたしは心に傷が残った」

「生霊かい?」

「生きていたら逢いに来ないわ」とシクシク泣き出した。

「ひょっとして、浮かばれない?」

「あたし蛆女。沼っぷちに置き去りにされて、蝿が寄って集って……」

「しかしまたなんで、俺のところに」

「あんたが好きなんだ。子供だってさ」

 一瞬にして背筋が凍った。

「俺の子?」

「あんたの」

「だって、下ろしたって――」

「ウソよ。ああ、もう明るくなってきた。陽に当たると干からびちゃうわ」

 女はすくっと立つと、頭の天辺から崩れ始め、蛆の流れになって傷口から、尻の穴から、口や鼻からどんどんと重雄の腹に戻っていった。目覚めてみると傷口はしっかり閉じ、パンツは精液でぐっしょり濡れていた。久方ぶりの夢精である。

 

 

 朝食もそこそこに、重雄は恐る恐る病院に行った。グロテスクな悪夢で毎晩うなされるのはまっぴらだ。まずは恐怖を取り除くことだと考えた。いろいろ体をいじくられても、終わってしまえばどうということもない。腹水を抜いて元の腹に戻せば、二度と悪夢を見ることはないだろう。いろいろ検査を受けるだろうが、原因さえ分かれば安心だ。こんなに腹が膨れて病院に行かなかったのは愚の骨頂だ、と意を決して最初は痛くない内科を受診した。田崎洋子という若い女医は重雄の顔色を見るなり、「だいぶ貧血ですね」といった。それから重雄に診察台に乗るよう促し、まず聴診器を当て、次に打診や触診を丹念に行ってから首をかしげる

「小太鼓のようなクリアな音がして、体位を変えても変化がありません。腹の皮がピンピンに張っていますね。触診では波動を認めるものの、まるで指先をゲジゲジが走るような細かな感触です。それに聴診器からはシャーシャー、キューキューと気味の悪い音がしますね」

「つまり?」

「つまり、通常の腹水ではないようです」

 重雄の顔は蒼白になり、全身に鳥肌が走る。

「ならばこんな仮説はどうでしょう。腹水と思ったのは一万匹を超える蛆虫」

 洋子はわらいながら「ユニークな診断ですね」といって、「まずは腹腔穿刺を行って内容物を調べる必要があります」と続けた。

 

 さっそく隣の処置室に通され、傷口とは別のところに太い注射器を刺されたが、重雄の予想通りシリンダの中に一滴も入ってこない。洋子は首をかしげて長い針を引き抜き、もっと太いやつに変えようとしたので重雄が拒否。

「それはご勘弁」

 洋子は苦わらいしながら「それではレントゲンを撮ってみましょう」という。

「しかし、レントゲンで分かります?」

「さあ、固体だから分かるでしょう。CTを撮ってもいいんですが、予約していないものですから、ねじ込む必要があります」

「ねじ込んでください。CTがいいな。腹が張り裂けそうなんだから、緊急事態であることは確かでしょ?」

「分かりました」

 というわけで、地階に行って土管のような機械に入り、結果が出るまで外科に回されて傷口の診察を受け、再び内科診察室に戻ると、洋子が険しい顔してCT画像を睨みつけている。

「驚きました。小さな虫がたくさん写っていますね。なにかしら……」

「蛆虫ですよ。紹介状にも書いてあったでしょう」

「でも、蝿が産み付けたとはとても考えられない量です。これがすべて蛆虫だとすれば、百匹以上の蝿がたかったことになります。不可能ですね」

「じゃあこれはフィクションですか?」

「未知の寄生虫が腹腔内で増殖した可能性があります。でも、それでは腹腔に通じる傷口の意味は薄くなります。蝿が傷口を伝って腹腔に入り込み、中で生活している可能性も否定できませんね。でも、一○年以上前の傷口が開くというのも考えにくいことです。ケロイドになる可能性はありますが、癒着した部分が開くことはありません。いずれにしても入院ですね。明日にでも開腹して内部をきれいにします。外科が担当になりますので、よろしくお願いいたします」

 

 

 

 重雄はそのまま一人部屋に入れられてしまった。外科の担当医は朝傷口を診察した若い女医の恩田静香である。

「明日、腹を切るんですかね?」

「いえいえ、負担のかからない腹腔鏡による手術を行って様子を見ます。それで駆除できれば幸いですし、ぶり返すようでしたら開腹手術をして徹底的に駆除することになります」

「腹腔鏡手術っていうのは?」

「お腹の二カ所に小さな穴を開けて、片方は内視鏡、片方は吸引管をさし込み、虫を吸引します。吸引用の穴はこの傷口を代用しますので、新たに開ける穴は内視鏡を挿入する一カ所だけになりますね。穴といっても小さな穴です」

 静香の口元は微笑んでいたが、目つきは冷ややかだった。こんな気味の悪い作業、どんな医者だって後ずさりするにちがいない。しかも、そいつが単なる蛆ではなくて、感染力の強い新種の寄生虫だったら、なおさら恐怖である。重雄はきつい眼差しの静香に負けじと強い視線を返し、医者の心の内を探ろうとした。きつい女は好みのタイプだった。「そうだ、腹を刺した女も、よく似た顔つきをした激しい女だった」と重雄は思ったものの、どんな顔つきだったかはっきり憶えているわけでもなかった。とにかくしつこく結婚を迫ってきて、孕んだというから、下ろしたら結婚しようとウソをついた。しかし、中絶後ものらりくらりと一向に話を進めなかったため、プツンと切れて腹を刺された。

「ところで先生、蛆を見たことは?」

「もちろん。検死のお手伝いもしますから」と静香は淡々と答えた。

「なら安心だ。腹を切って逃げ出されたら困りますからな」

「グロテスクなものを見ても一向に平気です。自然のものですしね。人間の心に比べれば可愛いものです」といって、静香は皮肉っぽくわらった。

「人間の心?」

「そう、グロテスクな人間の心。身勝手な欲望や愛憎、嫉妬や恐怖、それらが混じり合って発酵し、腐った妄想が膨らんでお腹を膨らませます」

「面白い冗談をおっしゃる。ブラックユーモアですな」

重雄は苦わらいしなから、「ひとつ真面目なことをお聞きします」と続けた。

「蛆というのは腐肉を食べているわけですよね。腹の中の蛆は、いったい何を?」

「ですから明日、内視鏡で見るのです。お腹の中が腐っている可能性もありますしね」

「冗談はよしてください。こうして先生と話している間だって、血や肉や骨がどんどん食われているんだ」

 重雄の声が微かに震えているのに気付き、急に静香の目元に優しさが過ぎった。

「お元気ですもの、まだまだ大丈夫です。手術は明日の午前中に行います。簡単な手術ですから、今晩は気を楽にしてお休みください」といって、病室から出て行った。

 

 

 簡単なはずが二時間以上もかかってしまった。臍の左に穴を開けて内視鏡を突っ込む。右肋骨下の傷口を開いて吸引チューブを挿入し、腹の中の蛆虫を吸い出していく。蛆虫は管を通って一○○リットル用のポリエチレン容器に溜まっていく。スタッフたちの驚きの声が重雄の耳に入ってくる。一人静香だけが黙々と内視鏡を覗き、右手で吸引管を操作しながら丁寧に駆除していく。しかし、蛆は腹腔全体に広がっていたため、内視鏡を見ながら一匹残らず退治するのは至難の業だ。死角の部分は感覚に頼って吸引チューブの先端を入れる以外になかった。

 見た目には一匹残らず駆除したように見えた。虫の塊が無くなると、腹の中が傷だらけになっているのが分かって、静香は思わず唸り声を上げた。見えたのは肝臓や胃、小腸や結腸ぐらいだが、外壁が軽石のようにザラザラになっていて、それらを支える膜も穴だらけだ。蛆虫どもの食い散らかした跡に違いなかった。

しかし不思議なことに出血が見られない。腹水も溜まっていないのだ。これだけのダメージをうけながら、一滴の血も流れていないとは考えにくかった。

「こいつら、きっと血が好物なんだ。だからその大切さも知っている」と静香は思い、なぜか寄生蜂を連想した。この蜂は別の昆虫に卵を産みつけ、その幼虫は宿主から栄養をもらって成長し、最後には宿主を殺して飛び立つのである。独り立ちできるまでは決して殺さない。それが彼らの哲学だ。

次に、ウイルスや寄生虫なども頭に浮かべて、自分なりに仮設を立ててみた。まず、普通の蛆ではない。寄生蜂と同じように、むやみに宿主を殺すことはせず、羽化するまでの共存を理想としている。だから、内臓や血管そのものを食べようとは思わない。膜類の穴は、出入りするために開けた穴で、巧みに血管を避けている。内臓外側の無数の極小ディンプルは蛆の頭の大きさで、おそらく蛆の数だけあるに違いない。乳飲み子が乳房に食らい付くように、彼らはこの窪みに鼻面を押し付けて血を吸い出し、満腹すると水絆創膏のような粘液を出して傷口を塞ぎ、むだな血を流さないようにするのだ。静香はこの仮説に満足した。

「きっと寄生蝿や吸血蝿の性質を兼ね備えた新種に違いないわ。ヒトクイバエとサシバエをかけ合わせたら、こんなのができるかもね」とつぶやき、これが新種なら発見したのは自分だと考えた。

 

 蛆虫を入れた容器は蓋を閉めて厳重に密閉され、一時的に地下倉庫に保管されたが、倉庫の電気を消した瞬間、居合わせた連中がワッと声を上げた。暗闇から蛆虫どもが青白く光って浮き出てきたのである。青い光の線が無数蠢く光景は、解剖に慣れ切ったつわものたちにも鳥肌を立たせた。

「こんな蚕をテレビで見たことがあります」と術看の一人がいった。

「知っています。蚕の遺伝子に夜光クラゲのタンパクを入れたんでしたね。できた絹糸も青く光る」と静香。

「つまり……」

「つまりこの蛆は、天然由来のものじゃない、といいたいんですね」

「だとしたらバイオテロに近い犯罪ですよね。警察ですか?」と術看。

 

そのとき洋子がやってきて、「みなさん冷静に」とたしなめた。

「新種の蝿とかいう話ですけど、かりにそれが犯罪だとしても、すぐに警察に連絡するのはどうでしょうね。不審死や子供の怪しいケガはいいでしょう。でも、この種の事柄は十分検討してから連絡すべきだと思いますわ。バイオテロなんてマスコミがよだれをたらしそうな言葉ですよ。その舞台がここなら、患者さんたちは逃げていってしまいます」

「どうすればいいの?」と静香。

「私、有能な寄生虫学者を知っています。その人は蛆についても詳しかったと思います」

「アッ、分かった。ひょっとしたら、あなたの彼じゃないの? いつだったか、あなたとお酒を飲んだとき、彼の自慢をしていたじゃない。寄生虫は駆除の時代から利用の時代に移ったとかなんとか。二一世紀は寄生の時代だ。格差はどんどん広がって、お金持ちにたからなければ生きていけなくなる――」

「ご冗談」

「そうそう、寄生虫で害虫を駆除したりとか、ダイエットやアレルギーの治療に利用したりとか、ガン細胞を食べるキラーT寄生虫だとか、いろんな話をあなたから聞かされたわ。永いわね、彼とはまだ続いているの?」

 洋子はたちまち顔を赤くさせ、「ええ……」と消え入るように答えた。

「ならこうしましょう。私とあなたは新種の蝿の発見者。そして、あなたの彼は、それを新種登録する研究者。彼には大至急、これの研究をやってもらって、三人の共同研究という形で論文を発表するの。私とあなたは臨床の立場で、彼は昆虫学の立場で」

 静香の提案に洋子は目を輝かせ、「それほどの蝿なら、三人とも有名人になれるかもね」といってわらった。

 

 

 その日の午後、洋子の恋人の別所がやってきた。気胸にでもなりそうな背の高いガリガリに痩せた四○前後の男で、元々蒼い顔が蛆の青い光を浴びて輝きを増し、目をパチクリさせた。相当の驚きようである。

「いったい、これだけの蛆をどこから採取したんです?」

「患者さんのお腹の中です」と静香。

「そうですか。一応これは引き取らせていただきます」

 別所は急に沈うつな表情になって、がっくりと肩を落とし、容器をキャスターに乗せようとしてよろけたので、マッチョな看護助手が手を差し伸べた。

「で、これは新種ですか、遺伝子組み換え製品ですか?」と静香はたずねた。

「いやそれは……。蛆はみんな同じように見えますのでね。それこそ遺伝子レベルで調べないと分かりません」

「いつ頃分かります?」

「一週間ですかね……」

「有害なものなら公にする必要があります」

「それはもっと後のほうがいいでしょう。幸いなことに羽化していませんので、そう慌てることはありません」

 別所は言葉少なげに答えると、乗ってきた車でそそくさと引き上げていった。

 

 その晩、別所から洋子に電話があり、洋子は別所の家に車で向かった。鎌倉の大きな屋敷で、別所家は鎌倉時代からこの地域の名家として知られていた。しかし、両親はすでに他界し、その血脈は別所で途絶えようとしている。恋愛に関して淡白な男だったし、家系の断絶についても気にしなかったが、できれば洋子と結婚して、子供ができたら家屋敷を継がせればいいと思っていた。しかし、洋子のほうが結婚にはさほど興味がなかった。まだまだ仕事に集中する時期だと思っていて、やるべきことがたくさんあったからだ。

 屋敷は別所の曽祖父が大正期に改築した洋風日本建築だった。明治時代に建てた洋館の屋根が関東大震災で崩れ落ち、仕方なしに神社風の屋根でカバーした奇妙なデザインの建物である。洋子は、預かっていた鍵を出して家の中に入ったが、見当たらなかったので一○○メートル離れた研究棟に向かった。昔タコ糸工場として建てられたバラックだが、それはカモフラージュで、老朽化した建物の中に、堅牢な鉄筋の建物が納まっていた。入口の鍵は最近開発された指紋認証キーになっていて、洋子も登録していたので簡単に入ることができた。洋子が研究棟に入れるのは、別所が学会などで出張するときにラットやマウスなどの世話をしていたからだ。

 一本の通路の両側に、小動物の飼育器が積み上げられている。その区画を通り抜けると、扉を隔てて更衣室になっていて、ここでクリーンルーム・ウエアに着替えなければならなかった。厳重な扉を開けるとクリーンルームが始まり、両側に一畳程度の小部屋が四〇並んでいる。そのセル一つひとつで、多様な蝿が飼育されているのである。ここ一○年、別所は蝿に的を絞って研究していた。

 右の一番奥の扉の上に緑のランプが点いていた。赤いランプはセルに何らかの異常が発生した場合に点滅するが、緑はセルで作業をしていることを示している。扉が開き、白いキャップを被った別所が顔を出した。半畳ほどのスペースに別所の体と病院から持ち帰った蛆が窮屈そうに納まっている。あと半畳はガラス張りになっていて、ほかのセルの場合は下が卵と蛆の飼育器、上が蛹と成虫の飼育器になっていて、羽化のために土が敷き詰められているのだが、この蝿のセルだけは様子が異なっている。下にはラットが五匹、上にはマウスが一○匹飼育されていて、蝿は生きた動物の体に卵を産み付けるのである。いずれにしても、これだけの施設を別所ひとりでこなせるわけがなく、二年前から伊藤という学生アルバイトを雇っていたが、先月辞めてしまった。

「これはうちの蛆だよ。何を意味しているか君には分かるだろ?」

「つまり、自然界には存在しない」

「そう。天然ものと区別できるように、遺伝子組み換えでオワンクラゲの蛍光タンパクを入れてあるんだ。僕の蝿さ。しかも……」

「しかも?」

「最も危険なやつだ」

「危険?」

「害獣を駆除する目的でつくったのさ。こいつをつくるために、二○種類の蝿の遺伝子を利用した。八割かた成功だ。しかし、あと二つの仕事が残っているんだ。ひとつは、こいつがオーダーメイドになること。たとえばアライグマを駆除したければ、特定の遺伝子を操作して、アライグマだけに卵を産みつける品種を量産できるようにする。もちろん、地球上で最も異常繁殖している人間を駆除したければ、人間だけに産みつける品種をつくらなければならないけどね」といって、別所は不気味にわらった。

「あとひとつは?」

「時限爆弾さ。こいつが地球上に繁栄しないために、制限を持たせるんだ。代を五回繰り返せば、それ以上は繁殖できないようにする。ほぼ一年で害獣駆除の役割を果たし、次の年にはこいつらもお役御免となって絶滅する。これで初めて市場に出すことができるんだ。僕は金を儲けようと思っていないし、自然愛護団体からも反対の声が上がるだろう。しかし、目的は害獣駆除だから、こっそりと解き放てばいい。この種の研究に実地試験は不可欠なんだ。いつの間にか鎌倉からアライグマや台湾リスが自然消滅した。それでいいじゃないか。特許もいらないし、有名人にもなりたくない。僕は金も名誉も欲しくない人間なんだ」

「お金は欲しいわ」といって、洋子はわらった。

「まさか君、派手な生活を送りたいわけじゃないだろ?」

「でも貧乏はいや」

「僕は土地持ちだ。君を幸せにするくらいの資産はあるよ。しかし、これから話すことはそんな幸せな話じゃないんだ」

「不幸せなお話?」

洋子はつぶやくような小声でたずねた。

「こいつら流出したのさ。考えられないことだが確かだ。いいかい、僕はこんな量つくっちゃいない」といって、別所は足元の大きな容器を指差した。透明ポリエチレン越しに無数の蛆が不気味に波打っていた。

「自然界で繁殖したとすれば――、考えたくないが、こいつらは自然消滅する加工を施していない。日本、いや世界中に広がる可能性も否定できない。おまけに特定の動物を選択する遺伝子も組み込んじゃいない。哺乳類だったら、あたりかまわずさ」

「どうやって逃亡したの?」

「知らんね。しかし、相手は羽の生える虫だからね。思わぬところに逃げ道があったのかもしれない。自力で逃亡したのならアウトだよ。僕たちには何もできない。あとは神様が彼らをどうするかの問題。もっとも、卵から成虫まで青白く光るから駆除はしやすいだろう。自爆遺伝子を仕込んだ仲間をつくって放てば、逃亡組の子孫もそいつらと交尾して、いずれは死滅するかもしれない。しかし繁殖力が旺盛なら焼け石に水さ。けれど僕は、連中が自力で逃亡したとは思っていないんだ。その場合は、まだ救いがある」

「なぜ?」

「蛆を見れば分かるさ。この蛆は二回脱皮する。こいつらすべて、二回脱皮した三齢期の蛆だ。蛹になる直前。つまり、温度などいろいろ操作して、粒を揃えているんだな。蛆をいっせいに羽化するように操作しているのさ。誰かが盗み出し、繁殖させたんだ」

「いったい誰!」

 洋子は声を荒らげた。

「僕かもしれない。君かもしれない。あるいは伊藤かもしれない。いずれにしても、ここに入れる人間だ」

「私じゃないわ」

「僕でもない。ならば伊藤だ。しかし、彼だって白を切るだろう。なんの目的で盗んだのか。金儲けか、テロか、そんなことはどうでもいい。肝心なのはこれ以上の繁殖を食い止めることなんだ。彼はアルバイトだから、蝿の詳細な情報を知らない。しかしセルの様子を見ていて、何かピンとくるものがあったんだろう。金の匂いを感じたのさ。仮に彼が盗んで、どこかで繁殖させたとしよう。学者の卵だから危険性は知っているはずだ。自然界に放出されていない可能性は十分あるんだ。病院に運ばれた男が最初で最後の被害者なら安心だ。羽化する前に駆除したんだからね」

 別所はセルから出てしっかりと鍵を閉めた。

「さあ、母屋に戻って話をしよう。もうすぐ私立探偵が来る」

 

 

 小田は髪の薄い五○ぐらいの男だった。別所は伊藤の履歴書を小田に見せた。

「大学院で昆虫学を研究している学生です。二年前に助手として採用しましたが、先月大学が忙しくなったといって辞めました。彼が盗んだかどうかは分かりません。盗んだ蛆はあなたにもすぐに分かります。暗闇でホタルのように光るからです。成虫も光ります」

「そりゃユニークな蝿ですね」

「下宿生活ですから住居で飼うことはしないはずです。きっと大学かなにかの研究室に置いてあるはずです」

「犯人だという前提で?」

「そうです」

「ほかの人物の可能性は?」

「ないですね。この研究所に入れるのは僕と彼女と彼だけです」

「で、お二人とも被害者なら、犯人は彼というわけですか。彼の近辺で光る蛆虫を発見すればそれで特定というわけですが、探偵は泥棒ではありませんので研究室に忍び込むわけにはいきません。外から望遠鏡で覗きますか」といって小田はニヤリとわらい、「ついでにその体内に蛆を孕んでいた患者さんについては?」とたずねた。

「保健証の写しなら病院にありますけど、まずは伊藤さんを調べることが先決ではありませんか?」と洋子。

「しかし常識的に考えて、伊藤さんが蛆を盗んで、その蛆が患者さんの腹から出てきたとなれば、伊藤さんと患者さんの関係を調べる必要がありますな。仮に蛆という現物が出なくても、二人の間に何らかの関係があったなら、きわめて疑わしいということになります」

「それは正論ですね」といって別所はうなずいた。

「で、彼が犯人だと分かった場合、警察に届けますか?」

「いいえ、そこまではしたくない。伊藤君は将来性がある学生なので、訴えることはしたくないんです。卵から成虫まで一匹残らず返してもらえばそれでいい。気になるのは、いったい彼がどんな目的で盗んだかだ」

「いやいや、まだ彼が盗んだことを証明したわけじゃないですよ。それにしても腑に落ちないことが多いですな。たとえば、盗まれた蛆が、どうして他人の腹に入ったんですかね」

「あなたは口の堅い探偵だと聞いて、お願いしたんです」

 別所は確かめるような眼差しを小田に向けた。

「もちろん。お客さんの不利になることはいっさい口外しないから信頼されているわけです」と小田はいってニヤリとした。別所は大きくうなずき、「ご質問に答えましょう」とささやくような小声で話し始めた。

「この蝿は動物の皮膚に長く鋭利な輸卵管を刺して、皮下に五○粒程度の卵を産み付けます。ちょうど表皮と真皮の境目ぐらいのところ。そこで卵は蛆に育ち、蛆は真皮乳頭といわれる部分の毛細血管から血をくすねて大きくなります。毛細血管に血が流れているかぎり、動くこともなくその場で蛹になります。外から見ると、その部分は小さなこぶのように見え、脂肪の塊だと勘違いする医者も多いでしょう。しかし、蛹が孵るときは皮膚を食い破って飛び立ちます。一度に数十匹単位で飛び立つ場合はかなりのダメージになります」

「腹の中というのは?」

「この蝿の習性として、動物の足や口の届かない背中に卵を産み付けます。腹の中というのは、……あくまで想像ですが、卵が血管に入って血管内で蛆に育ち、特定の臓器を食い破って腹腔に出た可能性がありますけど、現時点で蝿が自然界に拡散したとは考えていません」

「といいますと?」

「誰かが悪意を持って腹腔に穴を開け、多量の蛆を注ぎ込んだというところが順当じゃないでしょうかね」

「なるほど。伊藤さんが犯人なら、窃盗だけじゃなく、傷害事件まで起こしたということになりますね」

小田はニヤニヤしながら、「それでは患者さんの保健証についてはよろしくお願いします。ここにFAXください」と続けて洋子に名刺を渡し、立ち上がった。

 

 

重雄はすがすがしい朝を迎えた。腹は完全にへっこみ、伸びた皮が萎れて割れた風船ガムのように腹を覆っていた。血圧を計りにきた看護師がそれを見てわらい、「余分な皮を切って縫い合わせたほうがよさそうね」といった。朝食のあとに静香がやってきて、術後のCT画像にはまったく異常がなかったことを告げた。

「ということは、今日退院できる?」

「どうでしょう、貧血がありますから、ある程度快復しなければ退院はできません。造血細胞は正常に機能していますし、いい注射もありますから一週間もあれば元気になるでしょう」

「一週間はつらいね。蛆虫に食われた臓物は?」

「どれも正常に機能しています」

 静香の回診が終わると、重雄は腕に点滴をつけながら病院内をうろうろしはじめた。タイプの看護師に声を掛けようと思ったのである。ところが廊下をやってきた洋子に出くわして注意をされた。

「恩田先生にいわれませんでした? 貧血がありますので、しばらくは安静になさってください。遠目から見てもフラフラしていらっしゃいましたわ」

 

 しぶしぶ部屋に戻ると、見知らぬ男がソファーに座っている。小田はもう若くはなく、張り込みなどの肉体労働を嫌う傾向にあった。それに、アルバイトが犯人であるといった依頼者の決め付けにも抵抗感があった。誰かが重雄の腹に蛆を注ぎ込んだとすれば怨恨の可能性が高く、被害者の身辺を調査したほうが簡単に犯人に近づける。

「探偵の小田と申します」といって、小田は名刺を渡した。

「探偵さんがなんでここに?」

「探偵というのは地獄耳でしてね。あなたが大きな災難に遭われたという噂話が、この病院から流れ出ていまして、肉の匂いに誘われる蝿のように舞い込んだしだいです」

「しかし、僕って探偵を雇うような立場に置かれているかしら?」

重雄は疑問符を小田に投げかけ、不機嫌そうにベッドの中に滑り込んだ。

「蛆もばい菌も肉の中から自然発生するという考えは大昔の話でしてね。私が考えるに原因は二つあるはずです。ひとつは蝿があなたの体に卵を産み付けた。しかし、あれだけの蛆の数だけ卵を産み付けるとはまず考えられませんな。ならばもうひとつの仮説として、誰かがあなたの寝ているうちに腹の中に大量の蛆を注入した。これは明らかに犯罪だ。警察に訴えられますか?」

「うーん」といって重雄は腕を組み、顔をしかめた。

「取り合ってくれませんよ。しかし、犯人があなたを殺そうと思っているなら、次はきっと成功させるはずです。このまま放っておくのはあなたにとって危険だ。そういうときに便利なのが探偵です。犯人が分からなければお代は受け取りません。分かった場合は二○○万。あなたのようなお金持ちにはハナクソのような金額だ」

「しかし、これが犯罪だとすれば、僕に恨みを持つ人間の仕業でしょ。あなたは僕の過去の多くを知ることになる」

「もちろん、個人情報の保護は探偵の義務です。決して漏らしません。いかがです?」

「分かりました。面白そうだ。僕をこんなひどい目に遭わせた犯人を捜してください。証拠を整えてから告訴しましょう」

「ありがとうございます」

 

 それから小一時間ばかり話し合い、小田はいろんな情報を手にした。仕事関係でのトラブルは思いつかないという。すると、まずは異性関係から調べる必要がある。金持ちで女癖が悪いということは、泣かした女がすべて疑わしかったが、それらをしらみつぶしに調べるのには時間がかかり過ぎた。仕方なしに、疑わしい女を思いつくままに五人ほど上げてもらった。

「ナイフでこんな傷を付けた女もいるんです」といって、重雄は縫い付けたばかりの腹の傷を小田に見せた。

「ああ、それですか。いったい何年前?」

「確か……、二六、七年前かなあ」

「今頃になって悪さをするなんて、想像を絶する怨恨ですな」といって、小田はわらった。重雄は首を横に振り、「夢枕にそいつが現れたんでね……」とつぶやくようにいった。

「正夢ですか。可能性はなくもない。あなたを刺してから女の転落が始まった。二六年間、彼女は鬱々と過ごしてきた。最近になって、自分の不幸な人生の元凶はあなたにあると再認識し、もう一度復讐する決心をした」

「その線はなかなかいいね」

 重雄は声を立ててわらったが、傷の周りの筋肉が引きつって痛み、額に皺を寄せる。

「しかし、大昔の話ですからね」と小田。

「この歳になると、昔愛した女が恋しくなることがよくあるんだ。刺した女とはいえ可哀相なことをしたもんだ。いろんな女と付き合ったが、心底愛してくれた女はあいつしかいなかったんじゃないかな。結婚していれば、僕もけっこう落ち着いた人間になれたのかもしれない。そういう感傷は歳を取った証拠かね?」

 重雄は自嘲的な笑みを浮かべ、小田を見上げた。

「まずは気になるその女から調べましょう。あなたが彼女の一生を台無しにしたとは考えたくないでしょう。彼女がシロとなれば」と続けるところを重雄はさえぎった。

「頼みますよ。老人の感傷は聞き流してください。彼女については古い手紙くらいしか残っていない。手紙はマンションのロッカーに置いてあります。僕の手下が探すのを手伝ってくれますよ。女の名前は忘れたが、住んでいた場所は手下が知っている」といって、その場で部下に電話をした。

 

 

 同じ頃、洋子と静香は職員食堂で食事をしながら重雄の件について話していた。

「採取した蛆の分析は進んでいるの?」と静香。

「一週間はかかるみたいだわ。でも、自然界で繁殖したものじゃない」

「というと?」

「被害者が増えていないのが証拠。それに常識的に考えて、あれだけの蛆をお腹に産み付けるには、体を真っ黒に覆うぐらいの蝿が必要だわね、ということはやっぱり傷口から注ぎ込まれたっていうのが正論」

「じゃあ警察、といけないところが難しいところね。殺人蛆虫の患者を病院が収容したとなれば、いい評判にはならないのも確か」と静香はいって、苦わらいした。

「分析結果が出るまで待ちましょう。彼が最初で最後の患者なら、なかったことにもできる」と洋子。別所に口止めされていたので、蛆が別所の研究所から盗まれたものだとは伝えなかった。

「でも、患者さんが死んだら?」と静香は不安げにたずねた。

「検査の数値が正常なのに、そう簡単に死ぬことはないわ。でも……」

「でも?」

「患者さんには知る権利がある。いえ医者の見解を聞く権利がある」と洋子。

「それはやめたほうがいいわ。少なくとも入院しているかぎり、危害を加えられることはないし」

「病院なんかセキュリティはあまいし――、ならせめて退院するときに伝えるべきだわ」と洋子。

 

 しかし、午後の内科回診の折に、洋子は思い切って自分の見解を重雄に述べた。すると、重雄が「先生のご意見もそうですか」というのを聞いて、少しばかり肩透かしを食ったような気分になった。重雄はサイドテーブルの上の名刺を顎で示す。

「実は午前中にこんな人物がやってきてね。これは傷害事件だから、私が犯人を挙げてみせます。犯人が挙がらなかったら、お代はいりません。挙がったら二○○万円いただきますってなぐあいで、話術巧みに契約させられちまいましたよ」

 重雄は下卑た顔して、へへへと自虐的にわらった。名刺の名前を見て、洋子はあ然とした。一つの案件について二人の依頼者から金を取ろうというのである。目的の達成が両方の依頼者に益となれば、それも許されるかもしれない。だが別所と重雄の関係は被害者どうしだといっても、その利害関係は異なってくる。重雄は全面的な被害者だろう。しかし、別所は重雄に対して加害責任を負わされる可能性がないとはいえない。たとえば、別所の飼っていた犬が盗まれ、そいつが重雄に噛み付いたら、管理不行き届き云々の飼い主責任が出てくる可能性があるだろう。そう考えると、犬が虫に変わっただけのことになりかねないのだ。別所の飼っていた蛆が、結果的に重雄を襲ったことは確かだからだ。心配なのは最後の最後で小田がどちらかの依頼者を切り捨てることである。別所の資産を引き出せると見れば、小田が重雄の味方をして裁判に有利な資料を重雄だけに提供する可能性もあった。

 

 洋子はさっそくこのことを携帯電話で別所に伝えた。電話越しに別所は黙って説明を聞いていたが、不気味なわらい声でボソリといった。

「実は小田との契約は今朝解除した。彼は新しい依頼者を見つけただけの話さ」

「いったいなぜ?」

 洋子は驚いて、素っ頓狂な声で聞いた。

「君のようなおしゃべりな人がいると、きっとまずくなると思ったからさ。君は医者だから、患者に自分の考えをいうことは義務かもしれない。しかし、考えはあくまでオピニオンで、事実じゃない」

「事実じゃない?」

 洋子は理解ができずに聞き返した。

「君は夢を見ていたのさ。君は患者の病態以外は知らない立場にあるんだ。たとえば、いったいあの蛆や蝿が僕のところから盗まれたものだと証明できるかね? だって、僕はあの蛆や蝿を所有していない。僕が所有していた物的証拠はどこにもないんだ。つまり僕はさっき、一匹残らず焼却処分しちまったんだ。もちろん、君たちが持ち込んだ分もね。あいつらはもう僕の研究所に存在しない。存在するのは僕の頭の中さ。あいつらを作出するレシピはすべて記憶している。ひと月もあれば、すぐにつくり出すことができるのさ。しかし、当分研究は再開しない。伊藤が僕の研究を横取りして、手持ちの蝿で商業化にこぎ付けたとしても、訴訟に勝つ証拠は保持しているんだ。だいいち、僕が操作した遺伝子組み換え情報が、一介のアルバイトに解き明かせるはずもない。パソコンのセキュリティは万全だしね。だから、しばらく様子を見ることにした」

「というと、探偵は?」

「もう興味がないね。探偵を雇ったことは失敗だった。冷静さを失っていたんだな。でも、いまは落ち着いて、論理的に考えられるようになった。あの蝿も蛆も、僕は一切知らないんだ。当然、僕と結婚する君も知らないはずだ。探偵だって、僕たちの話を聞いただけにすぎない」

「つまり、あなたはこの件から手を引こうというわけ?」

「そう。で、君に頼みがあるんだ。患者さんから預かったあの貴重な蛆たちだが、実験室で小火が発生し、丸ごと灰になってしまった。恩田先生に重々謝っておいてくれたまえ」

「ひとつ、聞いていい?」

 洋子は怒りで声を震わせながら続けた。

「もし仮に、伊藤さんの手持ちの蝿が自然界で繁殖するはめになったら、あなたはいったいどうするおつもり?」

「形式的には政府から依頼を受け、研究用の個体を受け取り、生殖不能遺伝子を組み込んだ蝿を作出して自然界に放つ、という手順は君も分かっているはずだ。しかし残念ながら、この蝿の繁殖力は旺盛だ。しかも、熱帯から寒帯まで、湿潤地帯から乾燥地帯まで、あらゆる環境に順応する能力を持っているんだ。焼け石に水だと思うよ。パンデミックさ。盗まれるのがあと一カ月遅かったら、生殖をコントロールできて商業化のめども立っていたのに、まったく運が悪かったよ」

 電話越しに別所のため息が聞こえてきた。

「卑怯者。私たちの関係も終りね」

「ああ、君が僕を許さないのは、長年付き合っていれば分かるさ。僕は君を捨てて、研究者としての生命を取った。分かってくれよ。僕も被害者なんだ。僕の被害を最小限に止めるのは、このシナリオがいちばんなのさ。僕は何も知らない。まったく知らないんだ」

 電話が切れた。洋子は携帯電話を激しく閉じ、「クソッタレ!」と怒鳴ったので、近くを通り過ぎた看護師が目を丸くした。

 あの蝿の真の危険性は別所と洋子しか知らない。となれば、その被害を最小限に食い止める者は洋子しかいなかった。しかし洋子は日々の診療に忙殺される一介の勤務医で、事件に首を突っ込む時間はほとんど持てなかった。ということは、やはり探偵の小田に頼る以外はないと考え、小田に電話をし、別所の代わりに自分が契約続行することを告げた。小田は二つ返事で承諾。小田と重雄の契約は、犯人が挙がったときにのみ礼金が支払われるものだったが、洋子とは月々五○万という確実なものだったからだ。しかしその条件として、毎日洋子に調査報告を行うこと、重雄には犯人が挙がるまで経過報告はしないということを約束させた。別れると決めたものの、長年の恋人の不利になることはしたくなかったのだ。

 

 一方小田は、仲間にアルバイトの伊藤を調査させ、自身は昔重雄の腹を刺した女の調査に力を注いだ。二六年前の女の手紙は刺したことを詫びるもので、刺すほど愛しているのだからと再び交際を迫っていた。しかし、それ以降は一通も来なかったらしい。別所はひとまず差出人の住所を訪ねた。そこは大田区の町工場街で、精密機器の会社を経営していた重雄が、たまに試作品の部品を発注するために訪れ、町工場の上階のアパートに住んでいた女を軟派したという経緯があった。シャッターを下ろした工場がある中、住所の工場は稼動していて、開け放たれた屋内には古臭い旋盤機械などが所狭しに置かれ、うるさい音を立てていた。この工場の上の二、三階が賃貸アパートになっており、最上階が工場主の住居である。当時はそれでも景気のいい時期で、この埃くさい鉄筋の建物も新築物件だったらしい。

 小田は持ち前の図々しさで工場内にずかずかと入っていって、いちばん年取った毛の薄いオヤジに声を掛けた。

「ああ、その子のことは良く知っとるよ。四階にババーがいるから聞くといい」というので、エレベータで四階に上ってベルを押した。出てきた女性に家の中に入れてもらい、居間で話を聞いた。夫人は封筒の名前を見て目に涙を浮かべた。

「かわいそうな娘さん。きれいな子だった。御得意に悪いのがいてね。手を付けて孕ましちまった。お客はその話を聞いて、うちにも来なくなっちまったがね、この子は腹ボテさ」

「というと、中絶は?」

「生んださ。生んで青森の実家に帰った。ちゃんとした仕事があったのにねえ、かわいそうに」

「青森の実家というのは?」

「さあ……、そうだ、一度実家から葉書が来たわさ。お世話になりましたって――」

「ありますかね」

「捨てるわけにはいかんしね」

 夫人は戸棚から蒔絵の硯箱を出してきた。おそらくいろんな思い出の手紙がたくさん入っていて、金粉をほどこした豪華げな蓋が浮いている。虫眼鏡を使いながらお目当ての一葉を探し当てるのに一〇分もかかった。菜の花畑の絵葉書で、住所は六ヶ所村になっていた。重雄の子供を生んだのなら、六ヶ所村には行かなければならないだろうと思って、気が重くなった。三沢まで飛行機を使うにしても、それからが遠くてやっかいだった。

 

 空港でレンタカーを借り、六ヶ所村に向かった。ところが、葉書の住所に行ってみても、そこには風力発電の風車が何本も立っていて、家らしきものは一軒もなかった。村役場に行って探偵の名刺を示し、たずねたが、住所近辺の地主や住人は売電業者に土地を売って農業をやめ、むつ市などに移住したという。対応した職員が高齢だったので葉書を見せて、家族を探しているのだというと、驚いた顔をして、「地元の人間でこの一家を知らない者はいないですよ」と答えた。

 職員から聞いた話はこうだ。娘は派手な顔立ちの美人だったので、地元ではけっこう知られていたらしい。その娘が、老夫婦のもとに赤ん坊を抱いて戻ってきたので、未婚の母としてさらに地元を賑わした。都会と違い、いまだに村社会的な風土が残っている地域である。シングルマザーの親子が暮らしていくのはなにかと大変なので、誰もが戻ったのは一時的なもので、むつ市三沢市で仕事が見つかれば、子供を両親に預けるなりして出て行くものと思っていた。周りの予想どおり、三カ月後に娘は子供を置いたまま、ふらっと出ていった。老夫婦も警察に届け出ることもなく、仕方なしに赤ん坊の世話をしていたという。

 ところが、失跡から三週間経って、湖岸の叢から娘の腐乱死体が発見された。死体には大量の蛆が湧いていたという。外傷はなく、溺死の疑いが強かったので、自殺と断定された。残された子供は五歳まで老夫婦が育てていたが、その夫婦も相次いで病死し、仕方なしに東京でクリニックを開いている息子、すなわち自殺した女の兄に引き取られていったという。

「その兄という方が開いている医院は?」

「さあ、いまだに開業しているとは思えませんけどね。住所は分かりますよ」といって、職員は奥へ引っ込み、五分ほど待たせてからメモ用紙を小田に渡した。

「二○年前はここで開業していました。親戚とは折り合いが悪くて、両親が死んでからは一度もこちらに来たことはありません。引き取られた子も、おそらくここに来たことはないでしょう」

「いいえ、昨年いらっしゃいましたわ」と、そばの机で仕事をしていた中年の女性職員が口を挟んだ。

「エッ、ここに来たんですか?」と小田は驚いて聞き返す。

「ええ、あなたの立っていらっしゃるところに来られて、私に話しかけてきたんです。古い地方新聞を出して、載っている写真の場所を探しているっておっしゃいました。ピンときましたわ。ああ、この若い女性があのとき自殺した人の娘さんだって」

「ひとつお願いがあります。その現場に連れて行ってくれませんかね」

「それは無理ですね。あの方にもそういいました。当時の岸辺は水の中にあるんです。湖のように大きな沼ですけど、気象条件によって水位が変わります。ここ数年、水かさが増していますから、あの方はボートを出してもらって、花束を投げ入れて帰って行かれたようですよ」

「そうですね。三○年近く前の現場を見たって、何も得るところはありませんからね。ありがとうございました」

「あっ、それから、半年前にこんな方も調べに来ましたよ」といって、女性職員は机の引き出しから名刺を出して小田に見せた。

「競合の探偵社か……、妙だな」といって、小田は首をかしげた。小田は現場を見ることもなく三沢に戻り、その日の最終フライトで東京に帰った。

 

 

 翌日の午後、小田はもらったメモの住所を訪ねた。驚いたことに、重雄の住居と一キロも離れていない。看板には恩田外科医院と書かれている。自殺した女も恩田という苗字だ。そういえば、重雄が入院している総合病院の外科医も恩田という苗字だったな……、と思いながら医院の前をうろうろしていると、エントランスから重雄が出てきたのでびっくりした。

「社長、いったいどうなさったんで」

「今朝退院したのさ。課題の貧血も良くなったし、あとはここの先生に診てもらえばいいということになったんだ」

「そりゃおめでとうございます。で、ちょっと聞きたいことがあるんですが、入院なさっていた病院の外科医の苗字と、このクリニックの苗字と同じですが、偶然ですかね?」

「いやいや、僕も今日初めて知ったんだが、病院の担当医はここの先生の娘さんだったんだ。二人とも何もいわないからさ。同じ苗字だからここの先生に聞いたら、そういうんだからふき出しちゃったよ。先生、自分の娘に紹介状を書いたんだ」といって重雄はわらい、「で、犯人は分かったかい?」と続けた。

「だいたいね。いずれ二○○万円をいただきに上がりますよ」

「まあいいさ。治っちまったんだから、もういいような気がしないでもないな」

「いずれにしても、戸締りだけはしっかりと」

「了解。犯人が幽霊だったら一銭も払わんよ」

重雄は声を立てて大げさにわらい、「頼むよ」と小田の肩を軽く叩き、去っていった。

〝犯人は幽霊かもしれんな〟とつぶやきながら、小田は恩田医院に入っていった。目的はもちろん、静香が重雄の子供であることを確認するためだったが、そのほかにも意味があった。探偵が動いていることを静香に感知させて、次の行動を遅らせようとしたのだ。小田の仲間は別所の身辺を調査し、静香と別所との深い関係を疑っていた。彼は鍵会社の従業員の振りをして別所の研究所に赴き、指紋認証キーのメンテナンスだと称して登録データを抜き取っていたのだ。病院から採取した静香の指紋がデータに含まれていた。つまり、別所の研究所に入れる人間には静香も含まれる。恐らく殺人蛆を盗み出したのは静香で、どこかで増殖させて重雄の腹に注入したのである。動機はもちろん、母親を自殺に追いやったことへの怨恨だ。

 

 しかし甘かった。退院した夜中、重雄の夢枕に再び蛆女が現れ、いいように遊はれてしまったのだ。案の定、翌朝になって重雄が目覚めると破裂しそうな腹が目に飛び込んできた。重雄は悲痛な叫び声を上げた。

「幽霊の仕業だ。大手術になっちまうぞ!」

すぐに病院だと考えたが、腹が重くて立つこともできない。それもそのはず、前回の倍近くも膨れているのだ。仕方なしに枕元の携帯電話で救急車を呼んだ。静香が病院に出勤すると手術室には重雄が運び込まれていて、全身麻酔をかけている最中だった。「再発は私の責任ですから、私が執刀します」といって、静香は更衣室に駆け込んだ。

「お母さんだって蛆だらけになった。きっとお母さんの祟りだよ」

 静香は麻酔で意識のない重雄に語りかけながら、母親が刃物を刺したその場所に鋭いメスを思い切り刺したのだ。とたんにバーンと大きな音がして腹が破裂し、真っ黒い煙が飛び出し静香の顔をビシビシ叩く。静香を含め、重雄を取り巻いていた数人が爆風で一メートルほど後ろに飛ばされた。しかしこれは爆発ではない、殺人蝿の羽化だった。ブンブンバチバチ壮絶な羽音の集合体――、手術室全体が無数のハエで暗黒状態になったが、すぐに反時計回りに旋回をはじめ、まるで竜巻の中に入ったような状態になった。バチバチというぶつかり音は出なくなったものの、耐え難い騒音に全員がしゃがみ込んで耳を押さえる。必死に押さえても鼓膜が破れそうなブンブン音――、それは飛行機の旋回音のようにも聞こえた。幸い全員がマスクをしていたので、穴という穴は塞がれ、蝿が体内に侵入することはなかった。「窓を開けろ!」と誰かが叫ぶのを聞いて、「開けちゃダメ!」と静香は大声を出したが、壮絶な音に掻き消されてしまった。麻酔医が立ち上がって壁際まで突撃し、必死になって非常用の窓を開けた。自由を得たハエたちは勢いよく外へ流れ出て、渦を巻きながら天空に昇っていった。

手術室はいつもの静けさを取り戻しつつあったが、耳に残る羽音が消えるまで誰も立ち上がろうとはしなかった。ため息の輪唱が始まってから、ポツリポツリと腰を上げる者が出てきた。ようやく安らいでいく状況になった……が、再び恐怖に引き戻したのは静香の悲痛な叫び声だった。大げさに腹を開いた屍が手術台に乗っかっている。やはり爆発だ。砲弾でも貫通したかのように大きくささくれている。床には臓物が散乱し、タイル壁には血や肉片がこびり付き、見れば全員が多量の血潮を浴びていた。

「お父さん!」

静香は死体に駆け寄り、蒼白い顔に頬ずりしながら声を上げて泣いた。

 

 

 月五万の安アパート、義雄の部屋のパイプベッドを軋ませながら、二人は裸になって抱き合っていた。

「すべて終わったわね」

「ほとぼりが冷めたら一緒になろう」

 ところが、こっそりと鍵を開けて別の男女が土足のまま闖入し、ちちくっているベッドサイドに立ったので、ベッドの二人はあ然として石のように硬直した。

「お取り込み中、失礼します。無用心な部屋ですね。ドアの鍵はたった五秒で開きましたよ」と小田。

「私が別所さんを奪おうとしていたって、あなた、そんな噂を病院中に流した?」

静香は薄わらいしながら洋子を睨みつけた。

「なんの話? 知らないわ」

 洋子はしらを切った。

「洋子さんは別所さんの資産を狙っていたが、途中で重雄さんの財産に切り替えたんだ。なぜなら、重雄さんの息子さんと恋に落ちたから」といって、小田はニヤニヤした。

「おっしゃる意味が分からないわ」と洋子。

「重雄さんの周辺を徹底的に調べました。すると、あなたの隣に寝ている男性が重雄さんに認知された唯一の子であることが分かった。母親は違うが、義雄さんと静香さん、どちらも父親は重雄さんだ。しかしいまのところ、義雄さんだけが重雄さんの財産を相続する権利がある。義雄さん、あなたも探偵を使って親父さんの身辺を調べたんでしょ? 素行の悪い親父さんだ。どこから隠し子が飛び出てくるかも分かりませんからね。調べる過程で、静香さんと重雄さんの関係が浮かび上がり、彼女の母親が自殺していたことも分かった。もちろんあなたは、静香さんが重雄さんに、あなたの娘ですと名乗り出るのが怖かった」 

 小田は鋭い眼差しで義雄を睨みつけた。

「で?」と義雄。

 

 

「あなたは金に困っていた。重雄さんはあなたに小遣いもくれない。DNA鑑定を突きつけられ、しぶしぶ認知しただけの息子。で、重雄さんを殺してでも財産を奪おうと考えた。そこで一挙両得、静香さんを犯人に仕立て上げようと思った。そのために、病院で一緒に働いている洋子さんを利用しようと、彼女に猛烈アタックした。プレイボーイの息子だけあって、義雄さんも相当の美男子だ。洋子さんをゲットするのは朝飯前、というわけで研究所から蛆を盗み出したのはあなたたち二人だ。重雄さんの住居に侵入し、睡眠薬を打ってから腹腔に蛆を注ぎ込んだのもあなたたち。義雄さんは父親の重雄さんから住居の鍵を預かっていた。鍵を預けたのは、心の中でもあなたを息子だと認めた証拠だ。……なのになぜ?」

「なぜと聞かれても犯人じゃないもの、答えようがないな。それに静香さんだって別所さんとできていた。それが証拠に、研究所の指紋認証キーに静香さんの指紋も登録されている」

 義雄は真っ赤になって反論した。

「よくそれが分かりましたね。あなた鍵屋さん?」

 小田はわざとらしく驚いた顔をした。

「おわらいぐさ。私が別所さんとできているなんて、まったくのデタラメ、つくり話だわ」

 静香は声を立ててわらった。

「登録したのは洋子さん、あなたでしょ。病院で静香さんの残留指紋をゼラチンに写し取ってキーに登録した。彼女を犯人に仕立てるための工作だ」と小田。

「どこにそんな証拠があるの?」

 洋子は声を荒らげた。

「あるさ、ここに」

 三人の男が土足で入ってきた。二人は刑事、中央にDVDを持った別所が立っていた。

「証拠はこの円盤にあるさ。君は防犯カメラのデータをすべて消去しただろ? そんなことをすればすぐに気付かれるさ。でも安心したまえ。君の知らない場所から、もう一台のカメラが入口を撮っているんだ。僕の留守を見計らって、君がキーに工作している姿が映っていたよ」といったところで怒りを抑えることができなくなり、別所はブルブルと唇を震わせながら「君にはあの蝿の危険性を教えたはずだが、なぜバカを繰り返した?」と続けた。

「まさか羽化するとは思わなかったのよ!」

ほとんど叫び声で洋子は答えた。

「いかんせん、恋は盲目というやつでして――」と小田が茶々を入れる。

「あの蝿は、蛹の期間が六時間と異常に短いんだ。ところで、腹に蛆を入れて人を殺すアイデアは、僕の研究データを覗き見した君が考え出したんだね?」

別所が聞くと、洋子はベッドに突っ伏して慟哭した。別所の怒りは哀れみに変わり、絶望的な眼差しを、小刻みに震える女の背中に向けた。

「君を盲目にしたのは恋かい、金かい? どっちにしろ君は僕を破滅させ、君自身も破滅させた。きっと何年後かには、世界中の自然も破滅させているだろうさ――」

別所は口元を引きつらせてさらに絶望的なうす笑いを浮かべ、生気の失せた顔をクルリと回転させると、萎れた風船みたいによろけながらドアを通過し、強い日差しに溶けて消えた。

 

(了)

 

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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「マリリンピッグ」(幻冬舎
定価(本体一一○○円+税)
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戯曲「ツチノコ」(全文)& エッセー

エッセー

悲観的進化論

 

 ダーウィンに始まる「進化論」は、生物がその時々の環境に対応するために、その遺伝的形質を世代的に変化させていく様を示している。しかし、「進化」といってもそれは進歩ではなく、単なる変化に過ぎないのは、環境は進歩するものではなく、変化するものだからだ。寒冷化が進めば、体はそれに対応するように変化して、変化を遂げたものが生き残り、再び温暖化が進めば、それに対応できた者が生き残るだけのことで、そうやって全体として種は存続していく。絶滅した種は、遺伝的形質の変化が環境の変化に追いつけなかったケースが大半だろう。

 

 人間について言えば、きっとホモ・サピエンスの脳的進化が、環境の変化により柔軟に対応できる遺伝的形質を持ち合わせていたのに対し、ネアンデルタールの脳は大きくても、構造的には柔軟性に欠けていて、消えていったのだろう。頑固な頭は、外界の変化に付いていけない。彼らは元々家族主義で、集団行動が苦手な脳味噌を持っていて、ホモ・サピエンス臨機応変的な集団行動に太刀打ちできなかったという説もある。おそらく腕力の無いホモ・サピエンスは、この頃から徒党を組むようになり、狡知を働かせて戦いに勝利し、その遺伝的形質を後世に伝えてきたに違いない。集合好きの形質は、トランプ支持者の国会議事堂襲撃でも大いに発揮された。

 

 集団の操縦力に長け、戦略家でもある王様たちが世界のあちこちで戦いを仕掛け、世界史は積み上げられてきたが、それは歴史のページがかさぶたのように増えるだけで「進歩」というものではなく、単なる時代の「変化」に過ぎなかった。支配は、首取り合戦で上に立つ者の名前が変わるだけの話。「民主主義」だって、革命で支配者が国民という名義に変わっただけで、その意向を委託された政府が勝手なことをやり、人民操作を始めれば、たちまち王国に逆戻りしてしまう。国民の多数が統制されたり洗脳されたりする国は、もう民主主義国家とは呼べない。公平な選挙無くして民主主義は成り立たないのだ。

 

 人類の歴史の中で唯一「進歩」を示すものは「科学史」だ。理系科学にしろ人文科学(形而上学的・思想的なものは除く)にしろ、「科学」と名の付くものは、基本的に実証の上に積み上げられていくもので、これは「進歩」の歴史になりうる。アインシュタイン後の物理学者が、ニュートンの物理学からやり始めることはできないだろう。ということは、科学の歴史は進歩していくが、人類の歴史は変化していくということなのだ。この「進歩」と「変化」の間にある齟齬は、人類を滅亡させるかも知れない大きな問題だ。「進歩」と「変化」がどんどん乖離している現象を言っているのだ。「進歩」のリニアは急上昇して宇宙に飛び出し、「変化」のリニアは円環になって、二次元の地表面を回り続けている。「科学」は勝手に天まで昇ってしまい、地面に留まる人類の手から大分離れてしまった。

 

 この乖離の危険性は、例えば武器を例に取ると、原爆や水爆の発明は科学的な「進歩」に入れることができるだろうが、原始人以来の「変化」の円環を回り続ける人類にとっては手に余る武器になっている。広島、長崎の悲劇は当然のこと、それこそどこかの高校生が原爆を作って都心で爆発させれば、笑い事では済まされない。ほかにも「ゲノム編集」「シンギュラリティ」など、「変化」の円環を回り続ける人類にとって手に余る科学の「進歩」は山ほどあるだろう。

 

 例えば、最近では「スマホ脳」という言葉が飛び交っている。スマートフォンは科学の「進歩」で実現した便利なツールだが、子供がそれを使いすぎると、知性を司る大脳皮質が薄くなることも分かってきた。車ばかり乗っていると足腰の筋肉が減り、おまけに骨粗しょう症になるのと同じ原理で、便利なツールを使っていると、脳も筋肉も骨も鍛えられず、退化してしまうというわけだ。

 

 科学の「進歩」で便利になり、本来酷使していた人間の器官が退化していけば、いずれは精神的、肉体的にも環境の変化に対応ができなくなり、人類はネアンデルタールと同じ運命を辿るに違いない。科学の「進歩」を礼賛し、何でも科学で解決しようとする虚弱な未来人の姿を想像して欲しい。彼はもう二足歩行をする必要はない。目的地をイメージするだけで、進化型セグウェイが場所を特定し、体を移動させてくれるのだから。面倒くさい仕事は全部AI任せ。薄くなった大脳皮質は、「ゲノム編集」でバージョンアップというわけだ。

 

 しかし、いくらプチ脳手術で頭を良くしても、シンギュラリティ後は、科学の進歩を含めてAIがみんなやってくれるのだから、無用の長物。スマホ脳を恐れる理由も見出せない。人類は正真正銘の「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」成り下がるに違いない。人類の未来は、AIシェフおまかせコースに入りつつあると言っていいだろう。

 

 「人は何のために生きているのか?」。こんな哲学的な問いかけも、人間が生物の一つに過ぎないと考えれば、「生きるために生きている」と言う以外にないだろう。「神は死んだ」の名言以降は天国に行く最終目的もなくなり、かといって地表にはさしたる目的もありゃしないのだから……。

 

 

:「遊ぶだけの人生で何が悪い?」と反発する人もいるだろう。仕事に生き甲斐を見出せば、それは素人スキーや素人サッカーのような「遊び感覚」なのかも知れない。興奮する脳の部位は同じだからだ。「人間は仕事をするものである」という一般常識は、一部の資産家には当てはまらないし、彼らはゴルフ三昧で「幸せ感」を得ている。全人類が遊んで暮すようになれば、この一般常識は消滅する。

 

 幸せ感は心身の健康に寄与するが、苦役は不幸せ感を伴い、心身を消耗させる。あらゆる生物は生存競争の中で必死に生き、死んでいくのが基本で、人間も生物の端くれであるなら、現在のところ多くの人間は「不幸せ」「物足りない」「不満足」が常態と言えるだろう。結局は今が「幸せ」か「幸せでない」かの問題に行き着いてしまう。しかしこの不満足状態は、水面下の人間に浮力をもたらし、それが上昇(労働)意欲に繋がっていく。

 

 一週間も獲物を獲得できないライオンと、動物園の中で一日中寝転がっているライオンに、どっちが幸せかと聞いても、明確な答えは得られない。餌にありついたときの「幸せ」か、腹がへることを知らない「幸せ」かの問題だ。両者の快感度を折れ線グラフに表すと、普段はマイナス領域にギザギザ落ち込んでいるが急にプラスの最高値に跳ね上がるような至福(満腹)が時たま訪れるのは野生のライオンで、プラスの低領域(低興奮)をだらだら続けているのは動物園のライオンだ。普段は尻を叩かれガツガツ仕事をしていて、ボーナスや昇進でたまに急上昇(高興奮)するのがサラリーマンで、だらだらと退屈しながらも悠々自適(低興奮+飽き)を楽しんでいるのが資産家だ。あなたはどっちがいいですか?

 

 「幸せ」は個人的・感覚的な問題で、どっちがより「幸せ」かは比較できない。ローマ貴族は毎日遊び呆けていた。セネカは毎日考え呆けていた。幸せを得る手段も千差万別だ。ならば「成り下がる」という言葉は単なる僕の偏見かも知れない。…ということは、シンギュラリティ後の人間が幸せか幸せでないかは、その時にならなければ分からないだろう。人間が「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」なら、子供のように楽しむ手段を生み出し続けるに違いない。AIの尻に敷かれない限りにおいて……。

 

 

 

 

 

戯曲 ツチノコ

(グロテスクが世界を救う)

 

登場人物

ディーバ

 

坂東

山本

椿

河童

その他

 

 

一 大学病院診察室

 

 (梓は患者用の椅子に座り、坂東は医師の椅子に座りながら封筒を開く。その横には中年の看護師が立ち、横目で手紙を除き込んでいる)

 

坂東 (手紙を読みながら)驚いた。死ぬ前にぜひとも君に会いたいか……。(看護士に)昔ここにいらっしゃった山本先生だよ。

看護師 驚き! 生きていらっしゃった……。

坂東 十五年前に大学も付属病院も捨てて蒸発しちまった。とっくにお亡くなりになったと思っていた。

梓 あと数日の命です。

坂東 いったいどうして?

梓 全身に癌が……。

坂東 どこの病院ですか?

梓 山奥のホスピスです。

坂東 ここからは?

梓 それが、ヘリコプターで五時間ほど。ヘリは用意してございます。

坂東 遠いなあ。……いきましょう。(看護師に)午後は早退に。

看護師 分かった、代診を探すわ。

梓 それでは、さっそく。

 

 

二 黒蛇殿

 

 (鍾乳洞の中に立てられた宗教的施設。壁や石筍、石柱などに、蛇の彫刻がまとわりついている。天井からは蛇の抜け殻で作った天蓋がぶら下がる)

 

坂東 これってホスピスですか? グロテスクだなあ。大蛇の彫刻が壁中に這いつくばっている。

梓 彫刻ではございません。冬眠している間に石灰石に覆われ、化石になってしまったのです。

坂東 やっぱり、とても芸術的とは言えないもの。絞め殺される人間でも彫られていれば価値も出てくるのに。それこそヴァチカンかどこかにあるような……。

椿 (袖から登場。未来的な服装、頭が大きく手足がほっそりしている)確かラオコオンですね。人間は蛇を嫌っているから美しいとは思わない。小さな猿の頃から、噛まれたり、飲み込まれたり。

坂東 (椿の風変わりな姿に戸惑い)貴方は?

椿 妹の椿。火星人です。

梓 近未来の人間ですわ。脳味噌の重さは現代人より上です。私たち、実はクローン姉妹なのです。

坂東 人間のクローニングは法で禁じられているし、それにとてもクローンには見えないな。

椿 私は山本先生が改良したデザイナーベビー、人類の新品種です。同じクローンでも梓と気の合うことはありません。梓は旧い人間の遺伝子が強く、頭が固いの。

梓 椿は新しい品種で、私の考えは黴臭くて食えたものじゃないと馬鹿にします。

椿 梓は、未成熟のまま腐る果実ですわ。大人になってもまるで子供。でも、私たちに共通するのは、口が悪いこと(わらう)。

坂東 (わらって)まあ冗談として受け止めておきましょう。しかし蛇は苦手だな。

椿 蛇に言わせれば、鱗のない人間はグロテスクですわ。それに、ひどくのろま。蛇は川も丘も素早く進める優れものです。

坂東 (石柱にまとわり付いていやらしい眼差しで坂東を眺めている白装束の女たちを見て)この方々も化石?

梓 巫女たちです。

坂東 (少し不安になって)やっぱ、あなた方は宗教団体ですね。ここに男性は?

梓 男は必要ありませんが、先生は別です。

坂東 (わらって)山本先生も男だ。

梓 あれは雄蛇です。でも新人類製造会社の社長様。さっそく、社長室にご案内いたしましょう。

 

 

 

三 山本の部屋

 

 (梓が鍾乳洞の壁を引くと、ぽっかりと穴が開き、敷き藁の上に寝そべっていた山本が、二人の巫女の介添えで籠いっぱいの鶏卵を飲み込んでいる。顔は蛇の鱗に覆われ、ちょび髭を生やしている)

 

梓 お食事中、失礼いたします。(そのまま場を外す)

山本 (慌てて食事を止め)あああ、君か。よく来られた。

坂東 (驚いて)山本先生? 山本先生ですか? いったいどうなさった。顔中緑色だ。しかも、黒の縦じま模様。本当に先生ですか? 

山本 君、長年医者をやっていれば、たまにはこんな症例に出会うこともあるだろ。ほら、いつだったか、面の皮がロウソクみたいに溶けていく患者さんを見て、君はショックを受けていたな。

坂東 (しげしげと山本を見つめ、困惑した顔付きになり)しかし、こんな整然とした組織は初めてです。蛇の皮でも移植したようだ。

山本 皮膚がんの一種さ。極めて珍しい。このガン細胞は兵隊の隊列のように整然と増殖する。(藁の中から蛇皮の手を差し出し)久しぶりだな君。

坂東 (後ずさりし)全身、ですか……。  

山本 大丈夫、移らんよ。(胸をさらけ出し)ほら、すっかり蛇。安心したまえ、脳味噌はまだ人間。しかし苦しい。全身をキリキリと締め付けやがる。特に満月の夜は、鱗がざわざわと騒ぐ。まるでサンゴの産卵さ。いっせいにいきみやがる。チキショウ、あと三日後にはまた満月ときやがる。

坂東 (山本と握手をし)病院に戻りましょう。私が治してみせます。

山本 (手を引っ込め)私だって医者だよ。治す方法は皮膚移植のみ。難しい手術だ。しかし自分の手術はできんだろう。助手に教えたが大失敗。助手とはさっきの二人さ。へたくそ! もう手の施しようがない。

坂東 手遅れかどうかは分かりません。

山本 気休めはいい。しかし、死ぬ前に君に話しておきたいことがある。(介添えの者たちに)彼と二人にさせてくれ。(二人の巫女が山本を起こし、その後坂東を残して退場)。私の性格を知っているだろう。君とは正反対。少なくとも君は、私には従順だった。しかし、今はあの頃の私の歳になっている。君も野心家の顔つきになってきた。

坂東 先生がいなくなって学長のポストを狙っていた連中は喜びましたが、私ともども、先生の弟子は苦労しています。

山本 まさか、君は学長の椅子なんか狙っているのか?

坂東 先生の仇を取ってやります。

山本 ハッハッハッ! 大した俗物に成長してくれたね。どうせなら世界を狙えよ。

坂東 世界?

山本 世界さ。すなわち、世界を救うんだ。このままでは、人類は絶滅するからね。人間は絶滅危惧種だ。保護が必要なんだ。

坂東 どうやって。

山本 人類をスリムにまとめるのさ。共食い状態では、有効な処方箋はないだろう。

坂東 だから、どうやって救うんです。

山本 話し合いではない。合意は永遠に得られまい。私は患者の話に聞く耳を持たん医者だ。直感で診断して処方箋を書く。私が人類に与える特効薬は、麻薬。

坂東 麻薬……? (苦笑いし)話を変えましょう。どうやら、先生は具合がお悪そうだ。

山本 君は患者の無駄話に相槌を打つお人よしな医者だろ。ましてや死にかかっている人間のたわごとを遮れるか?

坂東 (ため息をついて)すいません、失言でした。

山本 イカレタ話でも、精神科医なら最後まで聞くぞ。例えば宗教。信心も麻薬のひとつさ。教祖様というのは脳内麻薬を巧みに操るマジシャンだ。

坂東 洗脳ですか。

山本 そう。洗脳も欲望も満足もすべて脳内の化学反応。君も僕も単なる化学反応でものを考えている。君のすべては化学反応の集合体だ。殺人者は単なる化学反応で人を殺し、絞首台で物理的に首をへし折られる。虚しいねえ。脳味噌は複雑でも、そのメカニズムはしごく単純。すべては自己満足の下らん幻想さ。常に気持ちよがりたい。下等生物だ。だから、脳内麻薬をふんだんに出してやれば、家畜にでもロボットにでもなってくれる。人も殺してくれる。

坂東 家畜ですか?

山本 まさか君は理性など信じちゃいないだろうな。人間は単細胞の集合体に過ぎんのだよ。

坂東 (腹を立てて)下らん。だからどうだという話ですな。

山本 そうかな。君のとこにだって、たまには珍しい病気の患者さんが来るだろ。すると、その患者は一瞬にして実験動物にされちまう。君はしめたと思う。珍しい動物を捕獲したぞ。同僚たちは、ぞろぞろと観察にやって来る。患者はまるで医者寄せパンダだ。君を動かすのは研究欲か名誉欲か? いずれにせよ患者の快復は二の次だってえのは言い過ぎかな?

坂東 (わらって)辛らつですな。それじゃあ先生も、僕の病院に移送しましょう。きっと名前を残したい医者たちに大もてですよ。

山本 正直に言いましょう。私は医者になったときから、患者は実験動物だと思うように努めてきた。戦争になりゃ、人食いライオンも敵兵も、おんなじ害獣さ。私は人嫌いだから、他人はみんな実験動物だ。そう思うだけなら私の勝手だろ? で、私は科学者として、教祖の声を聴くだけで興奮する神経回路に興味があるんだ。これをつくるには、策略と繰り返しが必要。ところが、恋愛の世界では、一目見るだけで惚れ込むバカがいる。これは、錯覚だが非常に効率的だ。

坂東 とても科学的なご意見とは言えませんね。

山本 科学的とはすべてをバケ学、物理学に還元しちまうことさ。宗教も恋愛も、神経を興奮させる仕組みは変わりがないと言っているんだ。要は即効性か遅効性かの問題。即効性といえば麻薬だ。人間を支配することができる化学物質さ。だから私は、最強の化学物質を手に入れるために、ここに来たんだよ。

坂東 (苦笑して)手に入れましたか?

山本 はい手に入れました。とたんにこんなありさまです。バチが当たった。

坂東 自業自得ですかな。どんな薬です? 

山本 惚れ薬。たとえ魅力のない若者でも、女たちはほんの一滴嗅ぐだけでいかれちまう。信じる?

坂東 嗅いでみるまでは信じませんね。

山本 全ての女が首っ丈さ。君だって若い頃は、毎晩そんな夢を見ただろう。

坂東 記憶にございません。

山本 しかし女なんかどうでもいい。どうだい、世界を征服したくはないかね? たった一人の人間で、全世界を支配するのだ。悪党だったら一度は夢みることさ。

坂東 エスと答えた場合は?

山本 私の研究の全てを譲ろう。私はじくじたる思いで人間をリタイヤし、蛇穴に隠居する。

坂東 ノーと答えた場合は?

山本 残念ながら君にはイエスしかない。

坂東 (驚いて)どういうことだ!

山本 生きるためさ。

坂東 この伏魔殿のことは決して口外しません。だからもう帰ります。

山本 まあ落ち着け。悪いようにはしない。賢く振舞え。悪い話じゃない。災い転じて福となすだ。考えを変えればいい。ちっぽけな幸福なんか捨てて、心の奥底に押さえ込んでいる邪悪な心を育てるんだ。征服欲さ。誰でもヒトラーの素質はあるんだ。戦国時代に戻ってみろよ。ここは法治国家ではない。権力がすべてだ。いいか。ツチノコって知ってるだろ。ツチノコだよ。そう、この私がツチノコだとする。(突然苦しみ出し)ああ、蛇皮が怒り出したぞ。苦しい。(ベッドの横のベルを指差し)君、そこのベル。

 

 (坂東がベルを押すと二人の巫女が入ってきて、山本の腕にモルヒネを注射する。山本が眠りに落ちると巫女は去り、入れ替わりに梓が入ってくる)

 

坂東 (不機嫌そうに)帰ります。ひどく憂鬱な気分になってきた。

梓 それは無理ですわ。

坂東 帰らなくては。

梓 先生を治療なさってください。

坂東 不可能だ。

梓 せめて、あと三日。満月の日まで。

坂東 (怒って)仕事があるんだよ! 三日も病院を休むことはできない。そうだ、明日は大きな手術も入っている。

 分かりました。ならば、どうか安楽死させてやってください。

坂東 突然なんですか。僕は担当医じゃない。

梓 山本先生からはどの程度、お話をお聞きになりました?

坂東 (しらばっくれて)さあ、あまり……。やや精神的に不安定で……。

椿 (物陰から現われ)聞いていましたわ。あの蛇、病気でおかしくなっている。世界を支配しようなんて……。私たちは、世界中に蔓延している貧困や飢えの問題を解決する方法を勉強しております。

坂東 いったい、どんな解決策を見つけました?

椿 地球の初期化です。

坂東 初期化? (わらって)パソコンかよ、地球は……。あまりにも突飛なお答えですな。

椿 地球は限られた資源量の球体ですわ。長い間使い続けているとゴミで満杯になり、動かなくなってしまう。そんなとき初期化を行って、昔を取り戻すのです。

坂東 具体的には?

椿 例えば、暗黒物質の襲来だとか巨大隕石の衝突だとか、地球にはたびたび大きな変動が起きて初期化が行われてきました。今の多様な生き物たちは、そのおかげでいろいろ進化を遂げてきたんです。坂東先生は、古くなったパソコンを騙し騙し使い続けるか、ハードディスクを取り換えるか、どちらを選択します?

坂東 フレームともども買い換えるね。

椿 でも、地球は買い換えるわけにもいきません。ならば、初期化をするべきですわ。人間という主要ソフトを新バージョンに取り換えるのです。古い人間は消去します。新品同様に生き返りますよ。

坂東 (頭を抱え怒り出し)嗚呼まいったな……。だから君たち、どんなことをするんだ!

 

(突然、大音響とともに部屋中が揺れ、坂東はうろたえる)

 

坂東 地震か?!

梓 (冷ややかに笑い)先生の大声が木霊になって増幅し、雪崩を呼びました。もう、出られませんわ。

坂東 どういうことだ!

梓 入口が塞がれてしまいました。毎年冬には、雪崩で埋もれてしまうんです。椿 ここは大きな蛇穴の中。冬眠の季節到来です。

坂東 ウソだ! (部屋から駆け出していく)

 

 

四 ディーバ御殿

 

 (巨大な鍾乳洞の中に、白蛇のレリーフを施した巨大な鶏卵を縦割りにしたような純白の部屋が造られている。壁には鶏や野鳥、ガマガエルやヤモリ、イモリなど、蛇の好物が吊り下がる。波打つ白い絨毯の上に、白装束のディーバを中心に、やはり白装束の巫女たちが取り囲み、段差のある席に腰を下ろしている。ディーバの横に河童が座り、二人は食事の最中で、イモリを食べているところに坂東が転がり込む)

 

巫女一 ご遠慮ください。女神様はお食事なさっております。

ディーバ (慌てて首に巻いたナプキンで顔を隠し)恥ずかしいわ。

坂東 家に帰らせてくれ!

河童 (女の声色で)いい子ね。春になれば帰してあげる。(巫女たちはわらう)

坂東 今すぐ!

河童 ここは春まで雪の下じゃ。人間、諦めが肝心でござんす。

ディーバ どうしてこんな所に?

坂東 騙されたんだ。

ディーバ (巫女の一人が耳打ちし)ああ、坂東先生でいらっしゃいますか。

坂東 (落ち着いた振りを装い)私をご存知?

ディーバ ええ、待ちかねておりました。

坂東 おっしゃる意味が分からない。

ディーバ 父にお会いになりました?

坂東 父とは?

河童 山本っていう蛇野郎でございまする。

坂東 驚いた。山本先生のご令嬢とは。お父さんは難病に罹っておられる。あと三日の命だとおっしゃった。(一同わらう)

河童 ウソでございまする。蛇はけっこう長生きでごんす。

ディーバ でも、いずれ手足は退化して、手術もできなくなります。それで、代わりのお医者様を……。

坂東 僕が? 冗談じゃない。僕には勤めている病院があるし、患者さんもいるんだ。それに、授業を受ける学生たちも待っている。

河童 根雪が融けるまで、出られねえってことでごんす。患者なんかどうでもいいでよ。人生、諦めが肝心でごんす。おいらなんか、生まれたときから諦めてらあ。嫌なことはすぐに忘れましょう。人生健康的に生きなきゃね。子猫を捨てられた母猫みたいに、明くる日にゃケロッとよ。(猫の死骸を振上げ、一同わらう)それに、先生が心配するほど、お弟子さんは下手じゃない。だいたいあんただって「あのへぼ教授」なんてバカにされてるんじゃねえの?(一同わらう)

坂東 (へたり込んで)どうしたらいいんだ!

河童 (シャベルを持ってきて)ラッセルしてけんろ。春までには出られるぜ。でも、雪は少しずつ自然に解けていくのです。先生が早いか雪解けが早いか。

坂東 ちきしょう! (シャベルを掴み、巫女たちのわらい声に追われるように部屋から駆け出していく)

 

 

 

五 山本の病室

 

 (山本は藁のベッドに横になり、その横の椅子に梓が腰掛けている)

 

梓 (疲れ果てて戻ってきた板東に微笑みかけ)お疲れ様です。

坂東 四方八方、氷の壁。なぜ、こんな目に遭うんだ。 

(側のソファーに倒れ込むように腰掛ける)

山本 ディーバに会ったかね?

坂東 ええ。あんたの娘?

山本 私がつくった。顕微鏡下でな。しかし娘ではない。

坂東 取り巻きの巫女は?

山本 あいつの体の一部さ。連中は女王の命令には何でも従う。死ねと言われれば死ぬ。

坂東 マインドコントロールか……。

山本 君はどうだ。知らず知らずに社会にマインドコントロールされている。家族にマインドコントロールされている。職場にマインドコントロールされている。どこが違う。君は有能な医者で社会の名士ですか。(吐き出すように)サルどもめ! ここは違うぞ。すべてをコントロールする、地球を丸ごとコントロールする司令塔だ。人民に媚へつらう必要はまったくない。君だって、慇懃に振舞う必要はないぞ。無礼、無礼、無礼で押し通せ!

坂東 ここが地球の司令塔? (わらって)まるで未開社会だ。

山本 未開も文明も同じさ。文明なんざ蹴っぽりゃ崩れるアリ塚のようなもの。今も昔も変わらんよ。君、アステカ文明を想像したまえ。女王のために、娘たちが首を切られる刺激的な社会。いいかね。今も昔も、この文明下においても集団を牛耳る唯一の方法は恐怖政治とマインドコントロールだ。

坂東 で、先生の役どころですが。

山本 ゼウス、シバ神、百歩譲って始皇帝かな。刃向かう敵はすべて食い殺す。ところで、君に忠告しよう。ディーバには惚れるな。

坂東 (失笑して)いきなり何です。ゼウスの娘に言い寄れば、たちまち蛇にされちまう?

山本 娘? あれは単なる蛇さ。

坂東 あんたも蛇だ。

山本 心外な。私はゼウスのお怒りを買っただけ。そう、現代版プロメテウスさ。神も恐れぬ遺伝子操作。私は神に対して不遜な行いをした。ディーバは私が作った怪物。ホルモン製造工場にしようと思いました。まあいい。難しい話は後だ。

坂東 ところで、怪物といえばあの河童はなんです?

山本 ああ、あれね。養殖ものさ。天然ものではない。

坂東 天然と養殖ではどう違うんだ?

山本 難しい質問だね。天然ものはいまだ発見されていない。単なる作り話さ。ミイラはあるが、ありゃまったくのニセモノ。しかし、養殖ものはいくらでも生産ができる。簡単だ。人間の受精卵にカメの甲羅の遺伝子とガマガエルの皮膚の遺伝子、てっ辺ハゲの遺伝子をカクテルにしてさあ御立会い。ガマの油をちょと付けて、人工子宮内でいろいろ手を加えながらですな、形を整えて生ませる。あの突き出た口はペンチで思い切り引っ張ったのさ。

坂東 人工子宮? 成功すれば世界初の発明だ。

山本 そう、出産を生産にチェンジする次世代のキーテクノロジーさ。

坂東 (驚いて)いったい何のために……。

山本 何のため? 人類を救うためさ。

坂東 河童をつくることが?

山本 私は、自滅することのない新人類をつくろうとしているんだ。いろんなタイプを考えた。どっちが将来的に伸びるかは私にも分からん。ほら君、未来の人類って、頭がやたら大きくてさ、運動嫌いで身体はひょろひょろ。まるで河童だ。

坂東 (わらって)あれが未来の人類?

山本 正直言うと、失敗作。だが、最初の一歩はあんなものだ。しかし、あいつの実験は私に自信を与えてくれた。そして、二作目で見事成功。椿君さ。

坂東 椿さん。あの女性は……。

山本 新人類のプロトタイプ。遺伝子工学の新しい可能性を拓いたと称賛されることは間違いない。ノーベル賞ものだ。

坂東 イグノーベル賞でしょ。

山本 (怒って)いいかね、私の技術をもってすれば、生まれてくる赤ん坊をいかようにも加工できる。目の大きくなる遺伝子、鼻の高くなる遺伝子、背の高くなる遺伝子、天才の遺伝子、なんでもぶっ込んじまえばパーフェクトな人間を生み出すことができる。そいつらが地球に溢れれば、古代から停滞している人類の進化は再び上昇に向かう。その前に、古臭い人間どもはゴミ箱行きさ。まさに新旧交代!

坂東 しかし、河童はいささか遊びすぎだ。

山本 イデアは冗談から生れるのさ。しかし、おかげで私も蛇にされちまった。(自虐的にわらって)神のお怒りに触れた。ところで私の緑の顔は単なるカモフラージュだが、あいつの緑は葉緑素だ。食い物が無くても光合成で生きていける。しかも頭の皿はラクダのように水を蓄える。二リットルもだぜ。空腹と喉の渇きを解消すれば、あとはセックスだけだが残念ながらお相手がいない。最初にして最後の突然変異。非常用電源として、甲羅にはソーラーパネルも埋め込んでおります。

坂東 (シニカルにわらって)すばらしい。未来の人類は一生涯自家発電で終えちまう。

山本 あれは失敗作だって。あんなのが新人類か? ところで、君は有能な医者。だから、君はここにある目的で呼ばれた。私の研究を引継ぐという……。

坂東 バケモノづくり。冗談じゃない!

山本 君は世界の救世主となる。

坂東 いったい何の研究!

山本 地球上で二酸化炭素を大量に吐き出している生物は?

坂東 牛さんと人間さん。

山本 ピンポン! こいつら地球環境にとっちゃ害獣だ。しかし、牛さんに牧場があって人間にはない。不公平だよ。で、私は旧人類のために牧場を作ることにした。

坂東 人間牧場? 

山本 巨大だ。地球の陸地はすべて牧場。人肉を得るための牧場ではない。旧人類を新人類にチェンジするための牧場さ。増え過ぎた害獣を殺処分するための牧場だ。

坂東 (わらって指で頭を差し)あんたの脳味噌は蛇に退化した。とにかく僕は、ここからオサラバ! (うなだれてしゃがみ込み)といって、どうすりゃいい……。

山本 (囁くように)君、周りがおかしくなってもさ、一人では抵抗できんのだよ。戦争を想像してごらん。反抗して憲兵に殺されるよりか、大人しく従ったほうが利口だ。ご近所さんと一緒になって踊りゃいいんだ。郷に入れば郷に従え。ここのいかれた集団は、旧人類の浄化および新人類への差し替えでブレークスル-を狙っている。しかもその新人類は工場で量産できるのさ。君、セックスなんて、あんな恥ずかしい行為は旧人類でおしまい。ありゃ、下等動物のやることだよ。

坂東 しかし、秦の始皇帝ともあろう方が、セックスを否定なさるとは。

山本 いやもちろん、僕は蛇だもの、ハーレムくらいはつくりますよ。認めよう、ここはカルト集団の巣窟じゃ。出口はない。ならば命あってのモノダネだ。状況を冷静に判断し、クレバーに行動するんだ。周りと同じように振舞うのさ。いや、人生に転機が訪れたと考えればいい。学長がなんだ。総理大臣がなんだ。所詮は薄皮饅頭の上に座らされた太鼓持ち。中身のあんこは嫉妬深いアホどもの肥溜めさ。粗相をしようものなら、すぐに皮が破れてクソまみれ。そこへいくと、秦の始皇帝は違うな。絶大な権力だ。しかも血も涙もない大悪人。これが大事だ。マキャベッリさんも言っておる。世界をまとめるのは権力を持つ悪人だ。(急にベッドから上半身を起こして役者ぶり)私の前に、世界中が震えるのだ。(突然現われ手を叩く椿に驚きながらも止めることなく)おお、麗しき未来人よ。価値ある理想の人よ。杖をこれへ。さっそく研究室をお見せしよう。古い人間どもをチェインジする研究だ。これを見れば、君だってたちまち悪党ファンクラブさ。一度悪の道を覚えたら楽しくって止められないぞ!

 

 (寝床から立ち上がった山本の首に巫女が洒落た蝶ネクタイを掛ける。下半身も蛇になっている。山本は立ち鏡の前でネクタイを直し、ナチ風の士官帽をかぶり、松葉杖で移動する)

 

 

六 山本の研究室

 

 (寝床と反対側の洞窟の壁を剥がすと研究室がある。研究室には二つの檻があり、一つの檻には若い男が二人入れられ、もう一つの檻には下半身蛇になった女が三人入れられている。その他のケージには半分蛇になったネズミやネコ、犬などが入っている。奥には、人工子宮装置やさまざまな機器、小規模な培養器が置かれている)

 

坂東 僕もやはり医者だな。グロテスクにもすっかり慣れちまった。

山本 未来を先取りした風景だろ。未来の科学者のホビーは、怪物たちをつくって戦わせるのさ。このオスどもは拉致したわけではない。好きでここにやってきたんだ。私に皮膚を提供するはずだったが、その必要はなくなった。もう、手遅れだもの。

男一 ざまあ見やがれ。

坂東 君たち、檻の中で幸せか?

男一 幸せだね。興奮しっぱなし。

男二 つまらん人生よりはよっぽどマシさ。

坂東 同性愛か。

男二 蛇女さ。お願いだ、一緒の檻に入れてくれ。絡ませてくれよ。

蛇女一 ご冗談。気色悪い。

山本 この蛇女たちもかつては脚線美の巫女だった。

蛇女二 そこの蛇ジジイとは違うよ。

蛇女三 ディーバの皮をもらったのよ。

男一 俺たちも、蛇になりたいな。

男二 鎌首に首っ丈。あのくびれにしびれちゃう。

坂東 (頭を抱え)どいつもこいつも狂ってる!

山本 不思議なことを言う。君は生まれてから一度も、世の中おかしいぞと思ったことはないのかね。私は違う。幼いときから、世の中狂っとると思っていた。しかし残念ながら、みんながおかしければそれが普通の世界になっちまう。毒ガス、原爆なんでも来いだ。(ネズミのケージを指差し)それより、このネズミたちを見たまえ。こいつらは死んでいるわけではないし、寝ているわけでもない。ある薬液を浸した綿に鼻面をくっつけて恍惚に酔いしれておる。

坂東 例の惚れ薬か。それとツチノコがどう関係あるんだ。

山本 見たいかい? 

蛇女たち 見たくない!

 

 (四人の巫女に目で指図すると、巫女たちは奥の部屋から、黒い布に覆われた大きなケージを引き出してくる。山本の指示で巫女は布を外すと、ケージの中でツチノコがのたうっており、蛇女たちは悲鳴を上げる)

 

山本 フェロモンプンプン! どうだね、我々のなれの果てさ。(蛇女に)彼女は君たちの何年先輩かね?

蛇女三 知らないわ! 

蛇女一 いったい誰なのよ。

山本 完璧なツチノコの出来上がり。どうだい。皮膚移植の最高傑作。人間がすっかり蛇になっちまう。

坂東 ハンドバッグ何個分?

梓 いずれみなさんも、高く売れますよ。蛇皮は、満月の夜ごとに増殖します。

山本 (舌を出し)この舌も左右に割けて紐になっちまう。シャーシャー!

椿 それはガラガラヘビの尻尾の音です。

山本 すいません。(急に体をくねらせ泣き出して)おいらも蛇になるんだ!(大声で蛇女に)蛇になっちまうんだぞ! お前ら、悲しくねえのか!

蛇女一 見苦しい。観念しな! 神様はすべての生き物に命を与えてくださった。たまたま人間に生まれたけれど、運が悪けりゃ毛虫だよ。ディーバは私におっしゃったわ。生前、あなたは蛇でしたと。だから、蛇に戻ったんだ。

山本 呆れた。いまだマインドコントロールされとる。

坂東 蛇になってまで、生きたい?

蛇女二 幸せよ。ディーバからいただいた蛇の命ですから。

山本 オーイ精神安定剤

 

(山本が巫女から注射を打たれ、梓と椿、坂東、ツチノコがスポットライトに浮かび上がる)

 

坂東 (冷たく)目を背けたくなる。

山本 (暗闇から)しっかと見ろ。最先端の研究だ。これが未来の医学だぞ!

梓 ツチノコは昔、普通の蛇でした。たった一つ違うところは、旺盛な食欲。特にガマガエルが大好物で、山からガマガエルがいなくなってしまうほど。

坂東 それを見かねた筑波の神様が、止めようとなさった。

梓 よくご存知。

坂東 とぼけたジョーク。

椿 止めたときに、ちょうど巨大なガマガエルをぱく付いているとこだった。それで、あんな大きな頭になった。未来人の私も同じ(狂ったようにわらう)。

坂東 いままでなぜ捕まらなかったか。それは、醜くなった自分に恥じて、穴の中に隠れてしまったから。

梓 ツチノコはこの世の小さなブラックホール。それは、心の闇のよう。臆病者たちがひっそりと深い穴を掘り続けている。交尾のとき以外はまったく動きません。穴の中にじっとして、獲物を誘き寄せて捕まえます。人がツチノコを見たときは、大きな口に吸い込まれる瞬間。でも、それは満月の夜だけ。

坂東 なぜ?

梓 食事ほど無駄なエネルギーを使う行為はありません。

坂東 非生産的な時間であることは確かだ。いや、これは医者の言葉じゃないな。

梓 ダイエットで省エネします。動かない。余計なエネルギーを使わない。食事のときだけ動く。で、月に一回まで減らせた。満月の夜に穴から鎌首を出して、獲物を待ち構える。そのとき同時にツチノコの細胞は分裂を始め、ツチノコは脱皮します。

椿 獲物と逢うのがツチノコのただひとつの楽しみ。お友達に飢えていて、もう逃げないでねと思わず飲み込んでしまうの(狂ったようにわらう)。

坂東 どうやって、餌を引き寄せる?

梓 惚れ薬ですわ。特殊なフェロモンを撒き散らす。何キロも先まで匂いが立ち込める。それを嗅いだら、獣たちはわれを忘れて引き寄せられてきます。鼻面を穴の中に入れたところを、がぶり! ツチノコは労せずに食事にありつける。

坂東 怠け者め!

山本 (闇の中で弱々しく)私は考えたのだ。(急に激しく)この惚れ薬を世界中に撒き散らすことを……。

坂東 (失笑し)面白い。世界中が恋狂いか。しかし、お巡りさんを先頭にライオンさんもゾウさんもやって来ますよ、この洞窟に。

椿 人間だけに効くフェロモンがあるの。ディーバの脇の下から染み出る高級品。一ミリリットルで百万人を酔わせるの。

坂東 ディーバはやはりツチノコ

山本 人間と蛇のメリットをあわせ持つハイブリッド、キメラだ。満月の夜ごとに強烈なフェロモンを出してくれる。私はそのフェロモンを培養した。いいかね。八十億の旧人類をコントロールできる量だ。

梓 人類を救う麻薬です。

椿 人類をスイッチする麻薬です。

坂東 人間を家畜にする麻薬です。

山本 いや、人間をトサツする麻薬だ。

梓 宇宙船地球号を救うのです。船長は一人だけ。船頭が多くては、陸に上がってしまいますわ。

山本 いまの船長は蛇に格下げ。そこで坂東船長のご登場。

坂東 (声を立てて激しくわらい)僕が二代目船長ですか。光栄です。で、最初のお仕事は? どなたを蛇にして差し上げましょう。

山本 いや君、積荷の処分だよ。地球号は過積載でパンク状態。しかも積荷はガラクタさ。君、人類は増えすぎたゴミさ。船長のお仕事は、まずはゴミを減らし、喫水を下げる。このままだと船もろとも海の藻屑。

坂東 (手を打って)余分な奴らは、海に落としてサメの餌食だ! (梓と椿は手を叩く)

山本 いいぞいいぞ。新人類のために旧人類を浄化するのだ。ソフトランディングでな。ミサイルも飛んでこない。水爆も落ちない。魔法だよ。ハーメルンの笛吹き男だ。入水自殺、投身自殺。自分で死ぬんだもの自分のせいさ。自業自得。旧人類はいつになっても魔術の世界から抜け出せない。科学は錬金術という魔術。魔術イコール妄想。妄想イコール悪夢。悪夢イコール、ホロコーストじゃ!

坂東 意味不明です。

椿 進化のエネルギー源は愚にもつかない妄想だというお話ですわ。科学者の妄想から新人類が生まれる。新人類は旧人類に殺されたくないと願って弓矢を発明する。鬼を恐がる人は自分が鬼になる。管理するか管理されるか。どちらを選ぶかはご自由。地球はどこでもトサツ場。

梓 世界を幸福な状態に戻すため、私たちが死を支配し、殺害を実践しなければならないのです。

坂東 あんたたちが人類の死を支配する……。恐ろしい集団だ。

山本 いやなに、君の仕事は非常にフェアだよ。白馬に跨って、気ままに投げ縄を放てばいい。遠慮するこたあない。縄の掛かった野郎は運が悪かった。君は運命の女神さ。そろそろ人身御供の選考会がはじまるぞ。坂東君に見物させてやれ。(板東は頭を抱えてうずくまる)

 

 

七 ディーバ御殿

 

巫女一 満月の夜が近づいてきました。私たちみんな、ご指名を望んでいます。

ディーバ 私のため? それとも地球のため?

巫女たち ディーバと地球は同じ意味。私どものすべてです。

ディーバ あなたたちを等しく愛しています。あなたたちに私が必要なように、わたしにはあなたたちが必要。必要でない者からは選べません。

巫女三 必要な者から選んでください。

河童 (果物籠からカエルとイモリを取り出し)あんたは、太ったガマガエルと、痩せたイモリとどちらを先に食べる? (全員わらう)

巫女三 カエルは最後に残しましょう。

巫女二 カエルから食べるわ。

ディーバ 私は、両方とも食べない。嫌いなものは食べる気しないし、好きなものを食べるのはもったいない。そのまま迷っていると、そのうち空腹を忘れて、幸せな気分で死んでいける。

河童 即身成仏ですな。でも、食べないよりは食べたほうが増しでごんす。美味かった思い出はずっと残るもんな。

ディーバ 嗚呼、思い出なんて! (泣き出して河童を抱擁し)楽しい思い出はなにもない。煤けた思い出が積みあがっていくのよ。可哀想な巫女たちの思い出で心は張り裂けそう。嗚呼貴方も、なんて可哀想な姿でしょう。

河童 生れ持っての道化でさあ、おいらは気にしていないぜ。

巫女四 生贄はディーバの体の一部になるのです。家畜の魂が人間の血となるように。それが、神様のお創りになった世界です。

ディーバ ならば、どこかから生贄を取ってきて。身も心もすでに冷え切った生贄でいいわ。あなたたちの体は温か過ぎる。(巫女五に)あなたの命は私の心にも息づいているの。死んでしまったら、心の中のあなたもいなくなる。

 

 (巫女五が急に短刀を取り出し自分の胸を刺す)

 

坂東 (駆け寄り))なんてこった!

巫女五 さあ、冷たい体を差し上げます、女神様。

ディーバ (巫女五を抱き)悲しいわ……。

巫女たち 卑怯者!

坂東 (震える手で巫女の脈を取って)ご臨終です……。

河童 嗚呼バカほどバカなものはない。雪室に入れてたって満月の夜までには腐っちまうぜ。(坂東を見て)ちょうどいいところにおじさんがいるぜ。先生に選んでもらえばいい。

巫女たち (坂東に詰めより)私を選んでください。

坂東 選ぶとどうなる?

巫女一 お分かりのくせに。

坂東 (頭を抱え)嫌だ。

梓 私が選びます。(巫女一に)あなた。

巫女一 (感激して)ご恩は決して忘れません。

坂東 選ばれたあんたは?

巫女一 魔法の揺りかごに包まれるのです。

坂東 揺りかごとは?

河童 魔法の香りだよ。姉ちゃんのフェロモンプンプンだぜ。

坂東 (河童に)なぜ笑っている? 君たちは全員狂っている!

巫女一 満月の夜には、先生が主役。

巫女二 満月の夜には、すべて分かりますわ。

巫女三 満月の夜にすべてが起き、すべてが戻る。

 

 

 

八 月の見えるドーム

 

 (中央にミサイルが立ち、ドームの天井が丸く開かれ、満月が輝いている。巫女たちが月に向かって祈りを捧げているところに梓と坂東が入ってくる)

 

坂東 このロケットに、核弾頭でも載せるのかい?

椿 惚れ薬を詰めて、成層圏でボーン!

坂東 そのXデーは?

梓 先生の腕しだいです。

坂東 おっしゃる意味が分からないな。ところで、蛇先生は?

梓 脱皮の最中です。満月の光を受けて、細胞たちは分裂を始める。

坂東 いよいよ完璧な蛇に……。

梓 あとは坂東先生の出番です。

坂東 断ったら?

梓 お分かりのはず。

坂東 死ぬのはいやだな。

椿 (わらって)蛇になるという道もありますわ。

坂東 邪道だな。犬になるほうがマシ。美人に飼われるペットがいいな。いや、ネズミでもいい。爬虫類は嫌いだ。で、いつまでに返事を?

梓 今です。

坂東 ムチャだ。

梓 時間がありません。

坂東 せめて一晩。

梓 ダメです。今夜がお仕事です。

坂東 何をしろと?

梓 先生のお得意な手術です。

 

(突然、シャーシャーという音とともに、顔の半分を蛇の鱗で覆われた半狂乱のディーバが河童に支えられて入ってくる。巫女たちは動ぜず、一心に呪文「カルマ・ビーシャ」を唱え続ける)

 

河童 さあさあさあ、お姫様がご乱心じゃ! そこのけそこのけ!

ディーバ (鱗をむしり取ろうとしながら)助けて! 引き込まれる。悪魔よ。持ってかれちゃう! 

河童 ようこそ蛇の世界へ。

ディーバ カサブタ! 取ってよお父様!

椿 (わらって)お父様も蛇におなりよ。

ディーバ 役立たず! (突然バタリと倒れ、悪霊がのり移ったように蛇の人格が現れ、しばらくのたうちながらわらいこける)いいぞいいぞオ。ざまあ見やがれ。楽になれよ。中途半端じゃおかしいぜ。後戻りはできねえんだ!

梓 ご安心なさい。ここに高名なお医者様がいらっしゃいます。

河童 (ディーバの心が乗り移り、女の声で)よかった。先生お願い。(坂東にすがりつき)女に戻してください! きれいな私に。(坂東のむなぐらを掴み絶叫して)蛇野郎を追い出せ! 

坂東 (河童を突き放し)どうすりゃいい!

ディーバ (突然坂東の首を締め)何もするな! 俺に触れるな! 

坂東 くっ苦しい、離してくれ!(河童が間に入って二人を切り離す)

ディーバ 蛇のほうが利口じゃ! 

坂東 (倒れて首を擦り)蛇になっちまえ!

河童 (うろたえ)助けて先生!

ディーバ かまうな! 

河童 (泣きながら)女に戻して!

ディーバ きれいな鱗じゃ。エメラルドさ。

河童 バケモノ! 

ディーバ (河童に) バケモノ!

河童 口もベロも割きイカ野郎!

ディーバ 口も頭も河童野郎!

河童 先生、何とかして! 助けてください。

ディーバ 諦めろ! 勝ち目はねえぞ。俺は蛇だ!

椿 (白けて)ツチノコ暮らしはいかが?

ディーバ (のたうちながら)あーあ、快適さ。死ぬまで穴の中。安全じゃ。群れなけりゃストレスもないさ。誰も虐めやしない。三密状態で死ぬこともねえ。

河童 人間だって一人で生きていけますわ。

ディーバ おまんまどうする。

河童 ゴミ箱荒らしです。いや、銀行強盗だ。そうですか、お金持ちのご両親。ディーバ ああ惨め。群れなきゃ死んじまう。盗まなきゃ死んじまうぜ。離れザルだって、もっとちゃんと生きてるぜ。放っておいてくれよ。穴の中が最高。揺りかごじゃ。子宮じゃ。

河童 蛇に子宮あります? あああ! 河童も世界に一匹じゃ。退屈! 退屈! 退屈! 寂しい!寂しい! 寂しい! 蛇の暮らしなんか、想像するだけで鳥肌が立ちまする。

ディーバ 虚しいぜ……。みんな孤独だ。俺は逃げねえんだ。反りの合わん奴らと付き合うよりかマシさ。蛇はいいぜ。慾がなけりゃ退屈もしない、努力もいらねえ。餌には事欠かねえ。それによ、千年に一回、ご臨終の間際に発情すればいいんじゃ。

河童 (観客に向かって)おい、よおく聞け。発情機械の人間ども! お前の人生、発情だけかよ! 

ディーバ 群れるな、固まるな、戦うな! たのむ。楽になってくれ。全部捨てちまえ。蛇になれ!

河童 嫌だわ。

坂東 死んだほうがマシだ。

ディーバ サル野郎。断食の坊さんを食ったことがあるぜ。不味いったらねえ。骨と皮さ。平然としてた。痛さ痒さもねえんだ。食おうが食われようが、死のうが生きようがどうでもいいのさ。

坂東 で、何が言いたいの?

河童 おばかさん。蛇ですよ、私。(激しくわらって)冬の私に寒さは大敵。体も頭も動かさない。それが忍耐というものさ、なんてこの臆病者! さんざん傷付いてさ、穴から出れなくなったんじゃ。この顔じゃ、隠れるのは無理もない。とっとと働いて銭稼ぎな! 

ディーバ 顔のことは言わないでください。お前ら河童は、罵り合って元気になるイカレた化け物だ!(急に激しく回転し、床に倒れる)

坂東 (優しく)見てくれは気にしなくていい。君が悩むほど、誰も恐がっておらんよ。

河童 (わらって)ところで、その千年に一回しか発情しない方法を教えてください。これを会得すれば、おいらももっと勉強に励める。東大合格じゃ!

ディーバ (医者風に)いいですとも、メンタルトレーニングです。まず、ご自分のお顔を鏡に映すことですな。すると、たらたらと脂汗。自ずと引きこもりがちになり、体を動かさなくなる。手も足も出ないと考えましょう。次に、エッチな夢を頭蓋骨の中で空回りさせる。相手はモデルさんだ。独楽鼠のようです。超伝導コイルかな。燃料なしで永久に回り続けます。不思議だ。欲望は泉のごとくこんこんと湧き出てきます。しかしこの信号は、決して筋肉に伝えない。夢で終わらせるのです。そのうち脳幹も延髄・脊髄もみるみるやせ細り、不能になっちまって出来上あがり!

河童 それがツチノコの生活? 夢の中での千年暮らし? みじめえ~!

ディーバ いいじゃないの。現実は甘くない! お前は河童だ! 人間にもなれんのさ。ほうら、夢見るあんたは美しい。モテモテじゃ。ずっと楽しい河童で送れる。楽しい夢は、千回見たって飽きないぜ。

椿 同居人は大迷惑だ!

ディーバ (駆け回って)ならば皆殺しじゃ! 夢ならお咎めなし。頭の中で親を殺したぞ。まあ安心しろ。じっとしていりゃそのうち夢も見なくなる。植物さ。満月に花開く食虫植物じゃ。

河童 私、何を考えてるの? そうだ、おいらは惨めな河童人生を送っている。おいらの夢は過激だぞ!

ディーバ (坂東を指差し)こいつの首を絞め殺す夢。

河童 ダメだよ。大切な人だよ! 

ディーバ うるせえ!

 

(ディーバは坂東に飛び掛ってしばらく揉み合うが、そのうち抱擁に変わっていく)

 

河童 (梓と椿が無理やりディーバを坂東から引き離すと元に戻り)愛の勝利だ。蛇野郎は逃げていったぜ!

梓 フェロモンにやられたわ!

椿 フェロモン万歳!

ディーバ (放心して)お分かりですか、私の悲しみ……。

河童 手術の手順は蛇の親父が教えてくれまする。

坂東 (朦朧と)ああ、教わろう。

梓 取り急ぎ、移植手術を始めます。

坂東 (頭を押さえ、恍惚状態で)緊急手術だ。ドナーは?

河童 ドナーはドナーた? 

ディーバ ドナーはドナーてんだ!

梓 うるさい、ドナーらないでください!

板東 手術室はどこだ!

梓 最新の設備。無菌室です。

河童 (板東の声色で)すぐにやろう。

梓 月が出ているうちはダメ。蛇皮は増殖中です。

河童 (ディーバの声色で)待てないわ。お父様に早くいらしてもらって。ほら、お父様の大好きなオーデコロンよ。取りにいらっしゃい。

椿 助平ジジイ、ベッドから這い出してくるわ。

坂東 (恍惚と)二人にさせてくれ。

梓 ダメです。

河童 (梓に)人間は出てってくれ! 

 

 (坂東とディーバ、河童を残し、全員が去る。二人は再び濃密に抱き合う)

 

ディーバ  蛇のように激しく抱いて。絡まりあったまま、融けてしまうぐらい……。

坂東 氷のように冷たい姫君。

ディーバ 私、冷血動物です。嗚呼私の貴方。

坂東 君の私。

 

 (坂東とディーバは激しい抱擁を続ける。いったん舞台は暗黒となり、肩寄せ合って座る二人にスポットライトが当たる)

 

ディーバ (醒めた様子で坂東から離れ)私は研究材料として生まれました。

坂東 人類を救うメシアとして?

河童 (ディーバの声色で)人類なんか滅びるがいい! みんな蛇におなり。

ディーバ 幸せなんて、ここにいる私たちだけで十分ですわ。幸せって、不幸から解き放たれた一瞬の香り。束の間の香りを掴むために、私たちは生きているの。ツチノコのお話、父から聞きました?

坂東 さあ……。

ディーバ 父は二十年前に、四国の剣山でツチノコを捕まえた。ツチノコは千年も生きるの。一度も蛇穴から出ない。蛇穴から出るときは交尾をするとき。交尾をするときは死ぬとき。月明かりのない晩に、オスはメスの臭いに引き寄せられ、メスの穴に入り込んで交尾する。

坂東 それで?

ディーバ オスは交尾をした後にメスに食われてその糧となるんです。メスは子供たちが腹を食い破って出てくるのをじっと待つ。腹から出てきた子供はいつもメスとオスの二匹。生きた母親の肉を食べながらマムシほどに成長すると母も息絶え、お坊ちゃまのほうは父親のいた穴に引っ越すの。

坂東 悠久の年月を、単に生き続けるためだけに生れてくる。

河童 究極のエコロジーライフだ! リデュース、リユース、リサイクル。増えもしないし減りもしない。新しい住処を掘り返すこともない。穴にいれば死ぬこともないぜ。増えすぎて見つかりもしないし、減って絶滅することもない。

ディーバ 先祖代々の世捨て人。だから見つからない。

坂東 どうやって捕まえた?

ディーバ 穴の上から麻酔銃を打ち込んだのです。小型クレーンで穴から引きずり出し、こっそりと研究室に持ち帰ったの。

坂東 どうして内緒に? 世紀の大発見を。

ディーバ 父の目的は別のところにあったの。父は古文書で知っていました。ツチノコに食べられそうになった猟師のお話。神田の古本屋で見つけたの。ある満月の夜に猟師は山小屋で一夜を過ごした。すると、どこからともなく生臭い香り……。猟師は夢の世界に引き込まれ、香りに誘われてさまよい始めた。すると、カモシカやイノシシ、オオカミやクマが、みんな踊りながら、同じ方向に進んでいくの。すり鉢状の小さな窪地。真ん中に大きな蛇穴が開いていた。その穴から、巨大なおしゃもじのように、ツチノコが鎌首をもたげている。獣たちは次々に斜面を転がり落ちて飲み込まれていく。でも、猟師はいったん飲み込まれてから、イタチと一緒に吐き出されてしまった。

河童 (嗚咽し)残念! 食っちまえばよかった。

ディーバ まさか、何百年後にひどい目に遭うとはね。お父様は古文書から蛇穴のありかを見つけ出した。

坂東 獣たちをおびき寄せるフェロモンが欲しかった……。すると君は?

ディーバ フェロモン製造工場。

坂東 誰がそんな……。

ディーバ 人間のES細胞にツチノコの遺伝子を混ぜ込んで……。

坂東 君だけではないだろう。

ディーバ ほかの子は失敗だった。私は、人間と蛇のキメラ。だから私のフェロモンは、人間にしか効かない優れもの。先生は勇気がおありね。

坂東 なぜ?

ディーバ 私のフェロモンを、クンクン嗅いでいらっしゃる。

坂東 (驚いて)まさか手遅れ?

河童 (わらって)手遅れだよ。

坂東 (蒼くなってディーバを突き放し)やめよう。

ディーバ (擦り寄って)捨てないで!

坂東 いいや。(抱き合う)蛇にはさせない。

ディーバ 私、きれい?

坂東 人間として? (我に返り、震え声で)蛇として?

ディーバ ひどい人。でも、許します。グロテスクなものは動物と思えばいい。私が生まれて、地球は未開の地に戻った。化け物たちが突然できてしまう時代。けれど太古から、人間はグロテスクが大好き。人を捕まえて殺す行為はグロテスク? いいえ、人間は肉食獣だもの平気だわ。お腹がへれば人肉だって食べるわ。地球のシステムは弱肉強食。敵と味方じゃ命の重さもぜんぜん違う。私はあなたにとって敵? 味方? それとも化け物? 

坂東 (いきなりディーバに接吻して)君を愛する方法を発見した。目を瞑って臭いだけに酔いしれる。決して目を開いてはいけない。

ディーバ 目を開いたら石になるって、ひどいわ。(わらって)でも、いい。許してあげる。大事なのは、愛し合うこと。いま、先生は私のもの。そして、私の苦しみを心から悲しんでくれる。

坂東 君の苦しみ?

ディーバ 苦しみを分かち合うのが愛でしょ? 先生は私の顔をみて、泣かなければいけないわ。どうしてこんなことに。恋人が、どうしてこんな姿になってしまったんだ!

河童 大変だ! 取り返しがつかないことになっちまった。

坂東 大丈夫さ。僕が治してみせる。さあ、まずは問診から。知りたいな、君のこと。

ディーバ まずは私の生きている地球のお話から。生き物たちは争いながら生きてきた。それが地球。神様はいろんな病気をばら撒いてくださっている。これも地球。でも、人間だけが自然の摂理に逆らって、地球をメチャクチャにした。一度目は神様から火を盗んだ。二度目は私をこしらえた。父は第二のプロメテウスだと吹聴している。

河童 いいや、蛇のおっさんは神に代わって立ち上がったんだ。昔の地球を取り戻すために姉ちゃんを創った。あのおっさんは理想主義者さ。

坂東 ヒトラー以上の妄想だ!

ディーバ 妄想は革命の母ですわ。私は父の妄想から生まれた革命児よ。父はパンドラの箱を開いた。これからは百鬼夜行の時代が始まるの。父はなぜ、私という怪物をデザインしたのでしょう。

河童 なぜ、僕ちゃんをデザインしたのですか?

坂東 法律を無視したからさ。

河童 大きな発明は、悪魔が手引きするのさ。

ディーバ むかしの生存競争はルールの上に行われていた。悪魔は人間にすべての生物のゲノムを解読させ、何でもありのゲームにしてしまったの。でも自然のルールは健在よ。そこは人間が主役でない世界。生き残る種は生き残り、滅びる種は滅びる。人間は自滅の道を選んだ。きっとアンモナイトのように形が崩れて滅んでいく。人が滅びるなんて微々たること。滅びるに任せておけばいい。(体を激しく震わせ)この私を見て! (河童の肩を揺すり)弟を見て! 人間は蛇や河童に進化していくのよ!

坂東 落ち着いて。

河童 恐ろしい時代に入ったんだ。あいつは俺たちを何のために作った? 

ディーバ 難病の病人を救うため? いいえ、人類を救うため。でも、行き着く先は同じことだわ。目的がどうあれ、この私がソリューション!

坂東 いったい人類をどうしようというんだ!

河童 エリートが育つために剪定するのさ。立派な医者は、メスの代わりにカマを持って役に立たない患者の首を掻き切る。命を減らす医療が人類を救うんだ。

坂東 驚いたな……、過激な優生思想だ。

河童 神はペストをつくり、悪魔は抗生物質をつくった。あいつは神の代理人として、さらに新しいペストを作ったんだ。さあ神に代わって世界にばら撒け!

坂東 何様のつもりだ!

ディーバ 神様です。

河童 で、ねえちゃんは女神様。おいらは屁の河童。

坂東 あきれた。女神様は、神様のお手伝いか!

ディーバ (反発して)この際、人類のことは横に置いておきます。私、お父様の出世の道具にされるのは嫌です。私は美しく生きたい。女としての美しい人生です。お金持ちの男の人と結婚して、ニシキヘビの子供を生みます。嗚呼蛇はイヤ! 嫌いなのよ、蛇。(体を擦り)ムシズが走る! どんなに醜くても蛇よりはマシ。私、綺麗なのが好き。助けてください!

坂東 (悲しい顔付きで)難しいね。君は人間と蛇の錦織……。二つの遺伝子がアラベスクのように錯綜している。君の体の半分は蛇だ! いやほとんど蛇だ!

ディーバ (ショックで倒れ)酷い……。ほとんど蛇だなんて……。私、傷付きました。(悲しそうに)先生だったらどちらをとります? 心が人間で、体が蛇。心が蛇で、体が人間。

河童 蛇の心? 嘘つきで執念深い……。お人よしの蛇なんて、蛇の風上にも置けないぜ。

ディーバ それは誤解。蛇は純真そのものよ。一途なの。でも、心が人間なら、蛇の体は堪えられない。心が蛇なら、人間の体は嫌でしょう。どっちを選んでも同じ。だから私、心が人間のうちは、人間の体に戻りたい。蛇皮を剥ぎ取ってくださればそれでいいのよ。人間の皮膚なら、いくらでもあるわ。

坂東 どこから? 

河童 知ってるくせに。ここは巫女たちのアウシュビッツだぜ! (ディーバが失神するのを見て)ごめん、言い過ぎたな……。

坂東 (我に返り)そうだ、君は若い女を魔法にかけて生皮を剥ぐバケモノだ!

河童 (嗚咽するディーバをかばいながら)なんとでも言いな。人を助けるために川に飛び込んで命を落とす奴だっているんだ。

坂東 そいつの肝を食うのはお前だろ! そしてその馬鹿げた感情を起こさせるのは、君の発散する脂汗に過ぎない、か……。

河童 嗚呼、先生から罵声を浴びて私、立ち直れません。

ディーバ 犠牲も情熱も冷酷も、頭の一部のちっぽけな化学変化。でも私は蛇だもの。まずは自分。バケモノと言われてもいいわ。執念深く生きる。蛇は生きることがすべて。死ねないわ。尻尾を食べてもまた生えてくる。でも、蛇では生きない。人間として生きるの。なら、いっそ先生が、私を殺す! (いきなり胸をはだけて、乳房の上まで覆った蛇皮をひけらかし、媚びるように)

河童 (ディーバの声色で)嗚呼、もうこんなところまで。きれい。キラキラ光って。エメラルド。さあ先生、おさわりになって。珍しい宝石よ。興味がおあり? ほら、お嗅ぎになりました? この脇の下から、ほら。ツチノコの臭い。トリュフの香り。オオ、ジョゼフィーヌ

坂東 クソ! このバケモノめ!(坂東は夢中でディーバに抱きつき、胸に顔を埋める)

河童 (立ち上がり男の声で)嗅いじまったら、イチコロだ!(ヤーゴのようにわらい続ける)

 

 

九 手術室

 

 (鍾乳洞全体が褐色のプロポリスで塗り固められた手術室。手術台が二つ置かれ、一台にはディーバが、ほかには皮膚を提供する巫女が寝かされている。ディーバの横には河童が介護人のように佇む。手術台の上に鍾乳石が下がり、そこに照明が取り付けられている。首から下がすっかり蛇になってしまった山本が、這い回りながら助手たちに指示を出している。そこに手術着を着た坂東と梓、椿が入ってくる)

 

坂東 これが最先端の手術室? まるで洞穴だな。

椿 (山本を見てわらい)先生、すっかり蛇になられて、ご立派。

山本 一日にして爬虫類に祖先帰り。

坂東 もう人間には戻れませんな。

山本 蛇になって分かったことだが、爬虫類は人間以上に朗らかな動物だ。野生の図太さっていうのかな。いままで以上に、世界を独り占めしたくなってきた。

坂東 ときにどこです? 地球を抱きしめるおてて。

山本 嗚呼、この蛇腹のような胴体に呑み込まれちまった。マッ、必要なときは君の手を借りるよ。

坂東 いやだね。

椿 坂東先生も蛇におなりになればいいわ。

山本 みんなで神様になればいいのさ。

河童 みんなで河童になりゃいい。

坂東 ご冗談。

山本 蛇だろうが私は神様じゃ。今まで何人が神になろうとした? 始皇帝、シーザー、ネロ、ナポレオン、ヒトラー。そして私がその完結編さ。神にとっては人間もゴキブリも区別がない。増えすぎれば数を減らす。

坂東 もう聞き飽きたよ! どいつもこいつも神様気取り。

山本 神になれば神を畏れることもない。ところで無法地帯では、権利は権力のことだ。飢えたライオンの前で生きる権利を主張したって二秒で食われる。君、闘って自滅するか、ルンルン気分で死んでいくか、どっちがいい?

坂東 どっちもいやだね。

山本 ならば君は、私の後継ぎ以外にない。郷に入っては郷に従えさ。しかし、手術着姿とはどうした風の吹き回し?

坂東 郷に入っては郷に従えだ。

山本 当ててやろう。君はディーバと深い仲になった。

坂東 あのバケモノと?

ディーバ 聞こえていてよ。

坂東 患者は眠っていなさい。

河童 手術室に入ると、医者はとたんに威張り始めるぜ。

坂東 臆病風を吹き飛ばしたいのさ。内心は不安でたまらない。

山本 なぜ君は、生きている人間の皮を剥ぐのかね?

坂東 剥がしてくれって本人が言うんだ。

山本 その通り。麻薬で頭がおかしくなっていても、本人の意思だから尊重しましょう。人間の行動はすべて本人の意志によるもので、他人のせいではない。

椿 (わらって)山本先生も、すっかり蛇の目線で人をからかうようになったわ。

山本 生真面目な奴を見ると無性にからかいたくなるんだ。

坂東 それにしても、最悪の手術室だな。塹壕で手術するようなものだ。

梓 壁も天井もプロポリスの漆喰です。落ちてくる水滴は滅菌済み。耐性菌もカビもウイルスもゼロ。先生の病院よりも安全です。

坂東 (手術用具を手にとって)ヒャア、レトロ! 高周波メスもありゃしない。

山本 腕だよ腕。道具なんざ刺身の妻だ。包丁一本で皮を剥がし、縫い針一本で縫い上げる。フランケンシュタインだって簡単にできちゃうさ。

ディーバ やっつけ仕事はしないでね。

坂東 麻酔は?

山本 ネコに小判、蛇に麻酔、とくらあ。

河童 アルコールならいただくわ。

山本 ウワバミめ!

巫女一 盛り上がっているようですが、早く皮ください。

山本 脇の下はダメ。珍品だからな。

巫女一 そこが一番美味しいのに。

山本 わしがいただき! 

巫女一 だったら、ほかの部分はみいんな私。

椿 ハンドバッグにすれば二十万円。巫女殿に移植すればゼロ。

巫女一 ひどいわ。私は貴重な生贄ですよ。

河童 (ディーバの声色で)待って。カチンときたわ。私はあなたの皮。あなたは私の皮。そしてお父様は私のフェロモン。三方良しの物々交換じゃろ。

巫女一 ディーバに命を捧げることが私のすべてなのです。

河童 やだストーカー! キモイーッついでにおいらに肝を食わせろや。

山本 (皮肉にわらって)悪人どもが一堂に会したなかでもディーバがいちばん悪だ。巫女を過激な蛇皮フェチにしちまった。お前は麻薬工場。巫女たちは麻薬中毒。そして私は、世界の麻薬売りときて三方悪しじゃ。

河童 (ディーバが泣いているのを見て)姉ちゃんどうしたの。姉ちゃんは心の清らかな蛇ですよ。坂東先生にお任せすれば、きっと綺麗になりますって。

梓 (いらいらして)さあさあ始めてください。

山本 手順を説明しよう。坂東君はディーバ担当。河童も手伝え。梓君と椿君は巫女様の皮を身ぐるみ剥いでおくれ。まずは、二人が巫女の皮をごっそりとな。大きめがいい。それを見届けてから、坂東君はディーバの蛇皮を剥がして交換じゃ。君は巫女の皮をディーバに縫い付け椿君はそれを手伝え。梓君は蛇皮を巫女に縫い付ける。皮が足りなかったら、どんどん巫女から剥がすんだ。何かトラブルが発生したら、ボタンを押すと、赤ランプがついてラインは停止する。

板東 ジャストインタイム!

山本 徹底的に無駄を省け!

梓 労働者はマシンです!

山本 無駄口を叩く暇があったら改善提案しろ! ところで、脇の下の蛇皮は、私へのプレゼント。お忘れなく。

梓 硬い蛇皮を縫うのって疲れます。

山本 縫わなくてもくっつくさ。ドナーは死んでもいいよ。(巫女に)ねえ君、同意書にサインしたよね。

巫女一 殺す気?

河童 ディーバは死にたくないの。どっちの命が尊いかしら?

山本 世の中、価値のある方が優先だ。一兵卒は将軍の盾となれ! (坂東と梓、椿たちが手術に取り掛かるのを見ながら)ドナーの皮膚はごっそりとな。刀は大胆に切り込む。命を剥ぎ取るようにがばっと切れ。ディーバの蛇皮は、一ミリたりとも残すな。掻き出すようにな。大胆かつスピーディ。これが手術の鉄則じゃ。

椿 殺す勇気で切り刻みます。殺しちゃったら謝ります。

河童 しーんじゃった、死んじゃった。謝る以外なすすべなし。

山本 うるさい!

坂東 質問。すっかり取っちまったら、次の蛇皮は供給できませんよ。

山本 (わらって)へぼ医者め。蛇皮はサメの歯のごとく後から後から湧き出てくるんじゃ。人肌を縫い付けるときは丁寧に。女神様のご機嫌を損なうなよ。完璧にな。(梓と椿が巫女から皮膚を剥がすのを見て)うまいぞ。丁寧に扱え。さあ、坂東君の腕の見せ所だ。

河童 (坂東が蛇皮を剥がしているのを見て)悪党! 身ぐるみ持っていきやがれ!

ディーバ (坂東が蛇皮を取り除くと上半身を起こして、剥がされた上半身をさらけ出し)あら、どうしたっていうんだろ。身ぐるみ剥がされると、不安だわ。スースーする。(河童が蛇皮を肩にかついで、梓に渡すと)まあ、闘牛士のようにご立派だこと。頼もしいカッパさん。(椿から巫女の皮を受け取り、肩にかけた河童を見て)それに比べて、人肌はまるでブタの皮。きっと蛇には、私の気持ちが分からないわね。

山本 患者は寝ていろ。坂東君、ここからが腕の見せどころだ。ところで、私の宝物は? (河童が膿盆に乗せた二つの真円の皮を山本のところに持っていくと)ああ、すばらしい。君はピカソのようにメスを扱う。完璧な丸だ。これは、人類をスリムにするおろし金さ。この皮二つで、一億の人間が滅びるのだ。ひとたびこれを嗅いだら、地獄へまっ逆さま。(鎌首をもたげてディーバの縫合手術を見物しながら)上手いな。やはり私の弟子だ。そうだ、上手いぞ。手馴れたもんだ。

梓 (蛇皮が蛇行して逃げて行くのを捕り逃し)先生! 蛇皮に逃げられました。

山本 放っておけ。

巫女一 私の一張羅、返してよ!

山本 一カ月お待ちください。

巫女一 (皮膚のないまま手術台から降りて、駆け出し)待ちやがれ!

坂東 手術完了。

山本 でかした。完璧。(膿盆を覗き込み)あれ、ここにあった僕のご褒美は?

坂東 知りません。

山本 (あわてて)逃げたぞ! 

河童 嗚呼哀れ蛇の尻尾はケツを求めて遍歴の旅に出たのでございまする。

ディーバ (自分の脇を見て)私のところに戻っていないわよ。

山本 (坂東に)君。どこかムズムズしないかい?

坂東 汗で頬っぺたムズムズ。

山本 マスクを取って、そうっと覗いてみてごらん♪

坂東 (両頬に蛇皮がくっ付いているのに気付き)ワアアアーッ! (駆け去る)

 

 

一〇 フェロモン生産工場

 

 (大きな木製の培養樽に、ミイラ、蛇女たち、男たち、巫女たちがへばり付いている)

 

山本 どうだね。これが人間さ。昔風に言えば、阿片窟だ。どんなに意志が強くたってこの種の快感には敵わない。すべての生物は快楽物質に支配されているんだ。君は猛勉強をして、有能な医者になった。しかし、何のための猛勉強だ? ドーパミンをいっぱい出して、満足というご褒美をもらうためか。実験動物とどこが違う。エサをちらつかせりゃ動物だって必死に頑張る。(樽にへばりついた連中に)これもまあ人生さ。幸せいっぱいで死んでいく。彼らはインドの聖者のごとく悟ったのだ。世の中、快感以外はなにもないと。あとのもろもろは、生きるための言い訳にすぎない。君には悲劇に見えるのかね?

坂東 悲劇なんぞ病院に行けばゴロゴロしているさ。(頬っぺたのバンソウ膏を擦りながら)蛇皮を引き剥がしたら、自分の皮まで持ってかれちまった。

山本 上手く剥がせた?

坂東 あんたの二の舞はごめんだからな。

山本 どうだね。この樽の中では、ディーバから採取した極上のコニャックが熟成し、Xデーを待っておる。嗅いでみるかね。

坂東 やめてくれ。

山本 君は一年後に地球を支配する。皮を剥ぐ家畜は五万といるし、世界中の名医が君の部下となる。

坂東 (皮肉っぽく)悪いねえ、甘い汁だけいただいて。

山本 いいんだよ。何事にも私のような役どころは必要なのさ。私は壊し君は建て直す。しかし、君とともに私の名も歴史に残る。

坂東 (片手を差し上げ)ハイル、スネーク!

山本 私は人類を救った英雄だ。そうだ私は、偉大な英雄を生んだ剣山に戻って千年生きよう。きっと私を祭った社ができることだろう。君に社の建立を命ずる。

坂東 ちょうどいい。こいつらを人柱にしましょう。

山本 彼らをからかっちゃいけない。これも立派な人生だよ。君はどうだ。私が君を破滅に導いたと思っているか? しかし、ちっぽけな地位や名声なんざ、これからの人生に比べりゃ屁みたいなもんだ。

坂東 (わらって)自分の神社を夢見るお方が名声をけなすとは……。

山本 バカにするな! いや、確かに落ちぶれたぞ。今の私にはそれしか未来はないか……。ふつうの蛇か蛇神様か。蛇になろうがスズメになろうが、この性格は変わらんさ。夢見るときがいちばん幸せ。たとえちっぽけな夢でもな。(人の姿に戻ったディーバが河童と入ってくるのを見て)ほおら、さらに夢見る乙女がご登場。人間に変身したものの、またすぐに蛇に戻る恐怖と戦いながら、死ぬまで人間を夢見続ける。どうだね。君は病院でそんな患者に遭遇したことはないかね?

坂東 彼女にとって、あんたは悪魔さ。僕にとってもな。生命科学の行き着くところをたっぷり見せてくれた。

 

 (ディーバは培養器にへばり付いた巫女に水差しから水を飲ませようとするが、巫女は顔をそむける)

 

ディーバ 幸せで胸はいっぱい。この樽の中は誘惑というブラックホール。あなたたちの心は何万年前に吸い込まれてしまったの?

女一 (涙を流しながら)幸せだけは残った。辛さも悲しさも消えた。

ディーバ ひからびた砂糖菓子ね。悲しむからこそ人間なのに。

女二 ミイラになって極楽浄土に行くんです。

河童 もう立派な生き仏だぜ。(去っていく山本に)おい蛇親父。なぜ俺たちを避けるんだ。

山本 (去り際に)バケモノが嫌いなだけさ。

ディーバ 差別だわ! ……いいえ、きっと罪の意識ね。

河童 アハハ、あいつに罪悪感かよ。神も道徳もない奴に罪悪感があるか?

ディーバ (去っていく山本を横目に)ならば私たちは、もっと声を張り上げて訴える必要がある。でも私たち、人が思うほど悲しくはないわ。だって悲しみも慣れてしまうから…。

坂東 (ディーバに抱きついて接吻し)今の君は十分美しい。悲しいわけがないさ。しかし、あのかぐわしい香りは?

河童 (わらって)年がら年中発情しているのは人間だけですぜ。(ディーバの声色で)先生は人間に戻った私がお嫌い? 

坂東 いいや……。

ディーバ きっとお父様、ご自分も蛇になって、私の苦しみが少しはお分かりになったはず。

河童 あいつは自分のことしか考えねえよ!

ディーバ 私、娘になるまでは知りませんでした。あるとき、脇の下から臭い匂いを出していることに気付いたの。ひどく生臭くって……。美しい娘が出す臭いではない。下等な生き物の臭い。でも、誰一人嫌な顔はしませんでした。それに私、外のことはまったく知りません。

坂東 箱入り娘?

ディーバ 穴入り娘。

河童 (ディーバの声色で)お后様にお会いになりました?

坂東 (驚いて)お后様?

ディーバ 私のお母さま。

河童 ゼウスがディーバを孕ませた蛇でござんす。

坂東 どこぞのお城にでもお住まいで?

河童 (床を指差し)地下牢でごんす。 ヘンリー八世に閉じ込められたんだってよ。(突然床が開くとディーバの声色で)さあオルフェウス、ついていらして。ネクロポリスにご案内いたしますわ。私の母に、私の許婚を会わせたいの。

 

 

一一 蛇の住む洞窟の地下牢

 

 (巨大な地下牢の中には数多くのツチノコが鎌首をもたげて赤い目を輝かし、時たま舌を出しながら二人を凝視している。その中にひときわ大きなツチノコがいる)

 

ディーバ 恐がることはありませんわ。みなさん、私と皮膚を交換した方たち。今ではすっかり蛇になられて、幸せな生活を送っていらっしゃいます。

河童 用無しになった蛇を捨てる場所でごんす。

坂東 いったい何匹いらっしゃる? 数えられんくらい鎌首をもたげて…。

河童 満月が来るたびに、一匹ずつ増えていくんじゃ。

坂東 すべて巫女さん?

ディーバ 蛇皮に魅せられた方たち。

河童 道に迷った登山者や修験者もいるぜ。無理やり皮を剥ぐ。

坂東 (失笑して)そんなことまでして、君は幸せ?

ディーバ そう、私は自分の幸せだけ考えているの。ほら、せっぱ詰まると、きっとどんなに立派な人でもそうする。

河童 この星の住人はアメーバの子孫。好きな方向へドドドって流れていく以外、考えちゃいねえんだ。

ディーバ どなたも単細胞のスイッチはお持ちです。ずっとオンの人もいますけど、普通は緊急脱出用。先生は、押したことがないかしら。恐い恐い恐怖心。助かりたい、自分だけでも助かりたい。体が勝手に動いちゃう。

坂東 (冷たく)人を犠牲にしてまで生きようとは思わないね。

ディーバ (動揺して)……残念ですわ。でも、先生も蛇になったらきっと分かるわ。

坂東 (憮然として)僕はならんさ。 

河童 先生、ハラペコの子供の前でご飯食べれるか?

坂東 おっしゃる意味が分からんな。

河童 目の前に地獄がなければ、気楽に何でも言えるさ。地獄は遠い地球の裏側か。日本はまだ幸せじゃ。けんどそん中にも地獄はあるんだ。

坂東 例えば蛇地獄。

ディーバ そしてあなたはダンテのように冷たく私を見つめている。

河童 一年後には先生も蛇野郎さ。

坂東 (身震いして)ご冗談。

ディーバ そのとき、きっと分かってくれる。

坂東 いいかげんなことを言うな!

ディーバ (わらって)ほら一瞬、私の気持ちが分かったはず。ごらんなさい、先輩方は鎌首をもたげて泰然となさっていますわ。幸せそう。

坂東 勝手な解釈だな。連中はひどく不幸せだ。

河童 ねえちゃんが幸せなら、こいつらも幸せなんだ。

ディーバ 皮を剥ぐもの、剥がれるもの。先生はどちらが幸せだと思います?

坂東 どっちも不幸か……。

ディーバ 気持ちの持ちようですわ。幸せだと思えば幸せ。不幸せだと思えば不幸せです。

河童 (ディーバの声色で)この人たちが蛇皮を欲しがったんだもの。不幸な人は誰もいませんわ。

ディーバ でも蛇たちは幸せ。だって、悲しむ知恵すらないのですから。

河童 分かった! おいらは悲しむ知恵があるから不幸せじゃ。

坂東 ここは墓地だ。訪れる者が悲しみに耽る場所、楽しかった思い出にふける場所。慰めの場所さ。蛇たちは単なる墓標に過ぎない。この墓石たちは生きている?

河童 生きてるさ。満月がくると目を覚まし、腹を空かす。あの大きなツチノコが獲物をおびき寄せるんだ。周囲十キロ四方の動物たちが一斉に押し寄せる。危険だ。あの大きな母ちゃん。千年以上も生きてるんだぜ。

坂東 (シニカルにわらって)大きくなりすぎて穴から出られない?

ディーバ 必要がないのです。エサ以外はなにも欲しがりません。

坂東 みんな悲しそうだ。かつては目標に向かって一途に走っていた。

ディーバ 巫女たちは地球を救おうと一心不乱だった。それはでも希望よ。希望を持つことは幸せを持つこと。

坂東 君の妖術にはまっていただけさ。

河童 (怒って)こいつらは地球を救うために身を捧げたんじゃ! 姉ちゃんだけが地球を救えるんだぜ! 

ディーバ 何を話しても無理ね。

坂東 ところで君は、何を考えて墓石を眺める? 謝罪ですか感謝ですか、それとも懺悔?

ディーバ 祈りです。ただただ祈る以外にはなにもないの。嗚呼、この呪われた遺伝子! でもたまには懺悔します。罪深き性格をお許しください。

河童 (ディーバの声色で)先生は今まで、牛さんやブタさん、ニワトリさんを何匹食べました? 

坂東 姫様と河童様は今まで、人間さんを何人食べました?

ディーバ 考えたくもありませんわ。

河童 ここは地獄。地獄じゃ人間もニワトリと変わらない。

ディーバ ……私、人が恋しくって人を食べるの。

坂東 (冷笑して)君は人を食べて人になる。

河童 おいらは?

坂東 食えない河童野郎。しかしその嘴はコラーゲンたっぷりで美味そうだ。

河童 オイオイ食う気かよ!

坂東 蛇になったらな。

ディーバ 私は蛇です。人がマムシの黒焼きで元気になるんでしたら、私は人間のコラーゲンで美しくなりますわ。みなさん、ご都合主義で生きていらっしゃる。私も同じ。(坂東にすがり)でも、魔が差すと考えてしまうの。幸福はシャボン玉。捕まえると割れる。なら、いい方法があった。

坂東 それは?

ディーバ あなたが怪物を成敗する。(短刀を出す)

河童 (驚いて)バカ、やめろよ!

坂東 医者は人助けが商売だ。

ディーバ 私は蛇よ。今がチャンス。先生の嫌いな蛇! (泣き崩れる)

坂東 (冷徹に)あの魔性の香りは?

ディーバ 月に一度の生理現象。憶えておいで、次の満月にはまた先生を虜にしてやるわ。(急に媚びるように)私から逃れるためには、どうします?

 

(坂東はディーバを抱擁し、ディーバは短刀を落とす)

 

梓 (戦闘服姿で陰から出てきて)さあ殺してください。無用な蛇は。

坂東 無用?

梓 無用です。

ディーバ 私が?

梓 あなたの存在が無意味。むしろ害毒。

ディーバ どういう意味よ!

梓 あなたは産業廃棄物。旧式の生産設備。クサイ公害物質。人心を惑わすバケモノ!

ディーバ (放心して)バケモノ……。

梓 そう、無用のバケモノ。

坂東 フェロモンはまだまだ足りないだろ?

梓 いくらでもつくれます。椿がフェロモンの化学構造を解明し、その合成に成功しました。蛇皮の原料さえあれば、大量生産も可能です。

坂東 しかし、ディーバのフェロモンは人間だけしか引き寄せない。

梓 それは、人のフェロモンが交じり合うからだということも分かった。動物は人の臭いが嫌いなの。香水の中に、人間の脇の悪臭を一滴たらす。たちまち、悪魔の香水の出来上がり。もうディーバは必要なし。

ディーバ なぜ!

梓 人のフェロモンなんて、誰からでも取れますから。

河童 ねえちゃんのは特別に臭いぞ!

梓 その理由も解明いたしました。(梓が放射線測定器を取り出すと、音が鳴りあたりが暗くなってディーバと母ツチノコが青白く光り出す)

坂東 放射能だ! 危険レベルだぞ。

梓 ごらんなさい。蛇のお母様とディーバは母子です。地中のラジウムを体内に溜め込む特殊な能力。ほかの蛇たちはラドンの量が少なかっただけだわ。ラドンには触媒作用があった。放射線を照射すればどんどん強力なフェロモンを生産いたします。

河童 蛇皮を剥がして、放射線でぐつぐつと煮込むってわけだ。まるで魔女のスープだし。

梓 大量生産できます。ただし、人のフェロモンは人から取るのが経済的。人間を捕まえて潰し、フェロモンを抽出する。

坂東 (わらって)効率的だ。アウシュビッツだ。原爆なみだ!

梓 (わらって)原料は、あふれかえった旧人類。

坂東 なるほど。髪の毛から毛布、脂肪から石鹸、生皮からはフェロモンをつくれ! すいません、残った贅肉はいかがいたしましょう?

河童 蛇と河童のエサにしましょう。

梓 いいアイデアね。 

ディーバ 悪魔たち!

椿 (岩の陰から火器を持った数人の巫女たちと出てきて)せめて小悪魔くらいにしてほしいわ。古臭いフェロモンのお話はこれで終わり。新人類への入れ替え事業がいよいよスタートです。お伽噺のお姫様とそのお父上、出来損ないの河童はもう要りません。害獣どもは駆除します。

ディーバ (巫女たちに)貴方たち。私のお友達? それとも椿の仲間?

巫女たち 貴方は女神ではありません。私たちを誑かしていた妖怪です。

ディーバ (ショックを受けて放心し)それで?

梓 それで?

河童 次の手術のことよ。

梓 蛇におなりなさい。もう手術はナシです。

巫女一 皮膚を提供するもの好きはもういません。

ディーバ そして私の皮は?

巫女たち 蒲焼にして食べましょう(わらう)。

河童 で、おいらは?

椿 あなたはカッパ巻。

坂東 で、僕もお払い箱か……。

梓 とんでもございません。人間をミンチにしてホルモンを抽出する汚れ仕事がありますわ。

坂東 君たちがやればいいだろう。

梓 下賎な仕事はいたしません。私、指導者ですもの。

椿 最高指導者は新人類の私です。

山本 (蝶ネクタイを付け、のたうちながら登場)指導者は私だ。

椿 おやおや前将軍様。神の代理人には相応しくないお方。

山本 ちくしょう。これから私をどうする!

椿 捕獲します。(巫女たちが山本に網を被せる)

山本 (あがきながら)捕まえてどうするんだ。

梓 ハンドバッグにしましょうね。

山本 君たちを造ったのは私だぞ!

椿 そうでした。私たちのお父様でしたね。(わらって)でも、いまは蛇。 

山本 あああ尊敬が一日にして軽蔑か。しかし、私には人間としての尊厳があるのだ。蛇だと思っても、決して口に出しちゃいけません。蛇の心はガラスのように傷付きやすい。

椿 おおや意外ですね。プライドなんかお捨てなさい。楽になれるわよ。ほら、土下座してごらん。はいチンチン。(大きな鏡を持ち出してきて)お前はヘビよ! 

山本 (網越しに鏡の前で品をつくって)ホーオ! なかなかいいね。犬の鼻みたいに湿っておるわ。水も滴る伊達巻男。分からんねえ。なぜ、私を毛嫌いするの?

椿 分かってちょうだい。貴方は醜い蛇なのよ!

山本 キッ、キサマ、俺の研究成果をすべてかっさらっていくのか!

梓 蛇に小判でしょ。

山本 分かった、分かった。ならば、剣山に私の神社を建立したまえ! 君たちは、私のおかげで世界を征服できる。私なくして君たちはなかった。

板東 (うんざりと)また神社かよ! そんなに名誉が欲しい?

山本 (体を捩じらせ)欲しい欲しい欲しい欲しい! 勲章が欲しい! 園遊会にも出るぞ! もみじを見る会にも出るぞ!

梓 んまあ、図々しい。

ディーバ 女神は一人で十分よ。梓と椿、どちらかお一人になさい。

 二頭立てで地球を救済します。これからは椿が人間工場。椿の生殖細胞から、次々と新人類が生れます。

椿 (鼻の穴に指を突っ込み)私の鼻毛を三本抜いて息を吹きかければ、新人類が三匹飛び出します。

梓 坂東先生。あなたを地球環境大臣に任命いたしましょう。まずは増えすぎた旧人類を処分し少しばかりを蛇に変え、新人類生産工場を建設して次々に新人類を製造する。高速増殖炉を中心とした新人類サイクルシステムの構築です。

坂東 まるでガキのごっこ遊びですな。

巫女一 私は財務大臣です。

巫女二 私は外務大臣よ!

梓 すぐに功績を上げてください。

巫女三 まずは予行演習です。

山本 世は破滅じゃ!

河童 川太郎もガラッパチも運がよければ総理大臣!

椿 実行力があれば誰でもオッケーよ。

山本 ならば証拠を見せてもらおうじゃないか。お前たちの力を見せろ!

椿 合点、承知の介!

 

(椿がフェロモン入りの消火器を取り出し吹きつけると、突然背景がサイケデリックな光で満たされ、全員が獣のようにクルクル踊り出す。椿と坂東、ディーバがライトに浮かび上がると、坂東は肩を寄せ合っていたディーバを突き放し、操り人形のように踊りながら椿に抱きつこうとする)

 

椿 (坂東を突き放しわらいながら)しつっこい! 

坂東 (椿にすがり付き)お前なしには生きられない。

椿 あんたには蛇女がお似合いよ。

坂東 捨てないでくれ!

ディーバ (坂東にしがみ付き)騙されないで!

坂東 (ディーバを足蹴にし)うるせえ! 

河童 (暗闇から)殿方はみんなこうしたものでござりまする。

ディーバ 捨てないで!

坂東 (椿に)なんでも聞く。

椿 奴隷にしてあげる。

河童 愛なんて、つかの間の錯覚でござりまする。

ディーバ 目を覚まして!

梓 (暗闇から短刀を差し出し)ディーバをお殺し!

ディーバ 騙されてる!

椿 邪魔な女だよ! 

ディーバ 騙されないで! 

坂東 うるせえっ!

 

 (坂東が短刀でディーバを刺すと光景は元に戻り、ディーバはのたうち回りながら蛇女に変身する)

 

ディーバ よくも刺したな! 覚えていやがれ! 

(ディーバと河童は闇に消え、椿と坂東は抱き合う)

 

 

一二  ラジウム照射室

 

 (ラジウム照射中の赤いランプ。檻の中に首から下が蛇になった山本とヘソから下が蛇になった蛇女たちがデッキチェアにくつろぎ、サングラスをかけて放射線を浴びている。そこに防護服姿の椿と坂東がやって来る)

 

山本 これはこれはお揃いで、動物工場のご視察?

椿 だいぶフェロモンを溜め込んだかしら。この下等動物たち。

山本 いやいや、まだまだです。なにしろ、歳を食っておりますので。皮を剥ぐにはまだ早すぎますな。しかし、放射線によりタマは完全に潰された。

椿 ご老人に断種の実験をしようとは思いませんわ。

山本 ところで、その後ディーバ様の行方は?

椿 分かりません。地底のどこかでしょ。

山本 まずいですな。手負いの蛇は危険だ。生まれたときからこの洞窟が住処で、簡単には捕まらない。相手は千年も生き抜く怪物だ。しかも、蛇は執念深い。

坂東 (椿に)君のために刺したんだ。

椿 (坂東と接吻して)手術のようにはいかなかったわね。

山本 お熱いですな。しかし未来人は恋愛感情を持たないと聞いておりますが。

椿 それは誤解ですわ。もちろん、性欲はございません。いわばプラトニックな関係でございます。犬や猫のようなお下品な行為は行いません。(坂東が抱きついてくるのにウンザリしながら)ただ、原始人類はオス犬のようにしつっこい!

山本 未来人が旧人類と交わっても子供はつくれません。未来人の生殖器官は退化しておりますからな。

椿 ということは、新人類には男と女の区別も必要ないってこと?

山本 (わらって)君はそれで新人類かね。遺伝子工学が発達すれば、男と女の役割分担なんぞは必要ない。男女の区別はまったく無意味だ。君は女のつもりになっておるが、男になりたければ男だと主張すればいい。両性具有でもない。性の完全消失じゃ。

椿 (胸を擦りながら)プロトタイプはまだ女の形をとどめているわ。

山本 ああそれ、シリコン。簡単に取れるよ。しかし、二人目の新人類を作る前に、私の手は失われてしまった。君はあくまでプロトタイプであって、完全な未来人ではない。

椿 それでも、私は自分に満足しています。あなたがたより脳味噌のキャパが大きいですからね。これからが爆発的な進化の始まりです。私の仕事は人工子宮装置の量産化に成功すること。旧人類の抹殺をもって、血で血を洗う人類の歴史は幕を閉じます。その後の主役である新人類は、厳密な計画生産で常に一定量に保たれ、地球の生態系維持に貢献します。地球全体がエデンの園ですわ。遺伝子工学と優生思想の合体が、理想郷をかたちにします。

山本 しかしその前に、いかに効率的に原始人類を処分するかだな。その知恵を蓄積しているのがほかならぬ私、蛇博士でございまする。

椿 要りませんわ。先生の研究はほとんど完成しています。後は私が進化発展させればそれで事足ります。ここに、有能なお弟子さんもいることですし。

坂東 君の言うことならなんでも聞くよ。

山本 まいったね。すっかり手なずけられちまった。ところで、今の私はツチノコ同然。こんなところに押し込められても、さほど不自由はしておらん。腹は減らん、喉は渇かん。クソもザーメンも出んわ。三大欲望が満たされれば、動く必要もない。

椿 どうしたら、ディーバを捕まえられる? あなたは、蛇の習性を知り尽くしているでしょう。

山本 簡単さ。坂東君の首に縄をつけておとりにし、罠を仕掛けておけばよい。あとはメエメエと鳴くだけさ。

椿 どうして彼をおとりに?

山本 そりゃ、あいつが人間に戻るには手術が必要だからさ。

坂東 (椿に接吻し)まさか、本気で僕をおとりにするわけじゃあないだろうな。

山本 (わらって)そんなことで簡単に捕まる蛇なら、千年も生きんよ。君はディーバを刺して、蛇の生存本能を引き出しちまった。本能は賢い。危機が迫れば蛇になる。まるで蕁麻疹のように蛇皮が浮き上がる。だが、人間には戻りたいさ。君を殺すわけにもいかんだろう。しかし、椿君。君の場合は違うぞ。

椿 (ピストルを出して)こっちには飛び道具があるわ。

山本 ハハ、そんなオモチャ! ツチノコの鱗は防弾チョッキさ。

椿 そうかしら。(山本を撃つ)

山本 (驚いて)痛い! (怒って)乱暴な女だ。

椿 (わらって)オモチャでも、少しは効き目があるようね。

山本 私は生みの親だぞ! ところがどうだい、蛇になっちまったとたん悪さをしやがる。

椿 それは誤解よ。昔から嫌いだったわ。旧人類のくせしてお高く留まってさ! 嫌いだと意地悪したくなるんだ。(もう一度銃を発射する)。

山本 痛い! まいった。マジかよ。いや、これが現実だ。このアンドロイドは欠陥品だ。(坂東に)君のその冷ややかさも、知識人にありがちな態度ですな。見て見ぬ振りだ。

坂東 (白けて)長いものには巻かれろですな。実を言いますと先生がどうなろうと、どうでもいいんです。貴方は昔の先生ではない。蛇だ。尊敬できないな。しかし、先生は毅然としてらっしゃる。感心します。どんな状況でもかつて人間であった頃のプライドは捨てない。

山本 (泣きながら)泣かないぞ。ちきしょう!

坂東 僕を地獄に落としたのはあんただろう。ざまあ見ろだ。

椿 さあ、ちゃんとした解答をください。どうやったら蛇女を捕まえられる?

山本 (ケロッとして)簡単さ。蛇どもはミンチにされてプレス機にかけられるんだ。ディーバは、ツチノコたちを助けて野に放とうとする。そこを待ち構え、一発ドーンとね。

椿 外に逃げるとすれば、エサたちがフェロモンに誘われて入ってくるあの入り口ね。でも、冬の間は雪崩で塞がれてしまっている。蛇たちを逃がすには、春を待つしかないわ。ありがとう、愚にも付かないアドバイスを。これはほんのお礼よ(もう一度ピストルをぶっ放し、ヒャアヒャアわらってツチノコオーデコロンを体に振りかけながら去る)。

坂東 (崩れ落ちて喘ぎながら)ああ、行っちまった。人類の未来は真っ暗だ。

山本 (あきれ果て)地殻変動にはああいう破廉恥な女が必要かも知れんな。

坂東 先生にとっては願ってもない後継者だ。

山本 なあ君、私をここから出してくれ。私は志半ばで引退だ。国に帰り、剣山の頂上で隠遁生活を送ろう。

坂東 騙されないね。

山本 教えてやろう。洞窟から抜け出す方法。雪崩にも塞がれない下界への抜け道があるんだ。君は身一つで安全に逃げ出せる。

坂東 本当に?

山本 ここにいたら、すぐにお払い箱さ。殺される前に逃げろ。ディーバのことも気にせんでよい。あいつは単なる蛇だ。

坂東 本当に教えてくれるんですね。

山本 もちろん。

 

 (坂東が壁に掛かっていた鍵を取って檻を開けると、山本だけが這い出して蛇行しながら暗闇に消えていく)

 

坂東 とっとっとっと、騙された。意外と素早いな。いや、あいつの逃げていった方向に行けば、抜け道はあるかも知れない。(山本の後を追っていこうとするが、蛇女たちに檻に引きずり込まれ絡まれる)

 

 

一三 青白く光る洞窟の中

 

 (鍾乳洞の壁は燐でうっすらと青白く光り、道は骨で埋め尽くされている。明治時代の軍服、米兵のヘルメット、登山者のチロリアンハットなども散乱している)

 

坂東 (骸骨の上を歩きながら)いかん! 屍の山だ(両手で頭を抑えてしゃがみ込む)

蛇の子一の声 おかしいな。

蛇の子二の声 落ちた音がしないぜ。

 

 (坂東が驚いて顔を上げると、洞窟の壁にへばり付いていた半人半蛇の子供たちが飛び出して坂東を取り囲む)

 

坂東 何だお前ら!

蛇の子三 人間をエサにして、生きているのさ。

坂東 (逃れようとしながら)助けてくれ!

 

 (坂東は子供たちに捕まり、石柱に縛り付けられる)

 

蛇の子一 (包丁を取り出し)ヒヨコを飲み込んだ蛇は、柱に打ち付けられて、お腹を縦に裂かれるぞ。

坂東 おじさんはなにも悪いことしていない。この骨の山はなんだ?

蛇の子二 上から落ちてきたのさ。何万年も昔から、運の悪い人や獣が落ちてくる。

蛇の子三 (上を指差し)ここは自然の落とし穴さ。

蛇の子一 落ちたらご馳走さん。

坂東 人も食っているのか?

蛇の子一 (腹を叩いて)なんでもこい。(明治の軍服を手に取り)これは冬山で訓練していた軍人さん。お母さんが食べた。

蛇の子二 (米空軍のヘルメットを取り)これは不時着した米軍機のパイロット。

蛇の子一 おじさん、蛇食ったことある?

蛇の子三 食べるときは皮を剥ぐ。皮が臭いんだ。

蛇の子二 人間の皮は美味しいよ。

坂東 いったい君たち、どっちの味方だ!

蛇の子一 蛇に育てられれば蛇さ。

蛇の子二 ここは蛇じゃないと生きていけない。

坂東 蛇は言葉を喋らない。

蛇の子三 じゃあ、人間かなあ。いや、教育された蛇。でも本当は、染色体をいじくられたバケモノ。

蛇の子二 学者様のお遊びの結末。バケモノできちゃったゲーム。

蛇の子一 神様気分で、いろんな怪物つくりましょう。

坂東 君たち人間じゃないか。なら、人間を食べちゃいけない! 

 

 (子供たちはわらいころげる)

 

蛇の子一 殺してもいけない?

坂東 殺してもいけない。

蛇の子一 食べていると死んじゃうんだ。殺すわけじゃない。

坂東 踊り食いか?

蛇の子三 人間だって殺し合うじゃん。

蛇の子二 お腹がへれば共食いする。

蛇の子三 おじさんの敵は人間だろ。

蛇の子二 僕たちの敵も人間さ。

蛇の子一 さあ、生きのいいとこ食っちまおうぜ。(一斉に坂東に飛び掛る)

ディーバ (蛇の姿で現れ)やめなさい! (子供たちが岩陰にかくれるのを見届けると、坂東を開放する。腰を屈めて挨拶し)ようこそ、グロテスクの国へ。ここは蛇の国。哀れな弟たち。そして、愛する人に刺された惨めな蛇女。

坂東 僕は助かった?

ディーバ いいえ。ここではあなたは単なる餌よ。あの子たち、いつも飢えています。特に冬は獲物が少ないの。

坂東 冬眠すればいい。

河童 (ディーバの後ろから出てきて)聞いただろ、冬眠しな!

壁の声 無理だよ。餌の落ちてくる音で、目が覚めちまう。ほら、かかった!

 

 (大音響とともに、雪の塊が落ちてきて、二人を掠める。塊が割れて瀕死の登山者が出てくる)

 

登山者 助けてください。

坂東 大丈夫ですか?

登山者 滑落した。どこです、ここ。

河童 地獄の一丁目だよ。

坂東 安心なさい。僕は医者だ。

ディーバ ご心配なさい。ヤマタノオロチです。

登山者 (気が遠くなって)ヘ、蛇と河童! 幻覚ですか? 死ぬんですね。

坂東 (登山者の脈を診て)危険な状態だ。救急車呼んでくれ!

 

 (壁中がわらう)

 

坂東 いや、ここにも手術室があったな。みんな、運ぶの手伝ってくれ。(壁の陰から蛇の子たちが出てきて、すばやく登山者を担ぎ上げ、嬌声を上げながら暗闇に消えて行くのを見て)オイオイ、医者を置いてくのか!

ディーバ おやめなさい。追いかけても無駄よ。

坂東 しかし、患者は?

河童 (わらって)今ごろお腹の中さ。

坂東 まさか……、食われちまった。

河童 蛇はあごが簡単に外れるんだ。隙を狙って、出っ張ったところに食らい突く。一匹は右手、一匹は左手、一匹は右足、一匹は左足、そして一匹は頭。けど河童は股ぐらに食らいつく! 大腸小腸、五臓六腑をズルズルすすり上げろ! 大きな肉をせしめようと、みんなみんな思い切り引っ張り合うのさ。大宴会だ。ああ、想像しただけでヨダレが出てきやがる。(ディーバは坂東の首に食らい付く)

坂東 あああ、やめてくれ! 

ディーバ 私を蛇に戻してくれた先生。くやしくって食べてしまいたい! でも許してあげる。(媚びて)また愛してくれるなら。 天然フェロモンのほうが上等だわ。(蛇皮の脇を上げて)さあ、胸いっぱい嗅いでください。

 

 (二人が絡み合っていると、蛇の子たちが、満足した面持ちで戻ってくる。登山者のヘルメットや登山服を見につけている者もいる)

 

坂東 (疲れた声で)君たち、登山者をどうした!

蛇の子一 途中で死にました。

蛇の子二 仕方がないから、食べました。

ディーバ 美味しかった?

蛇の子三 筋だらけ。でも、硬くなる前には食べれたよ。

坂東 踊り食いかよ!

ディーバ おすそわけ?

蛇の子二 しまった! すっかり忘れてた。

蛇の子三 一緒に来ればよかったのに……。

蛇の子一 じゃあ、そこのオジサン食べちまおう。

坂東 (慌ててディーバの後ろに隠れ)助けてくれ!

ディーバ ごめんね。この人。姉さんのフィアンセ。

蛇の子二 趣味悪れえ! じゃあ、元彼になったら食べようね。

河童 フン、肉の臭いがするぜ。

蛇の子三 ばれたか。(登山者の手を出す)

ディーバ さすが坊やたち!  失礼。(夢中になって手に噛り付く)

坂東 嗚呼……。

河童 おいらには無しかよ。

蛇の子三 (腸を差し出し)河童兄さんには、クソ入り大腸ソーセージ。

河童 さすが弟。(腸に食らいつきながらこそこそと退場)

坂東 幸せな家族の食卓か……。

蛇の子三 食ってるものが人間だからおかしいんでしょ。鳥の手羽だと思えばおかしくない。

蛇の子一 人間はもっとグロテスクだよ。僕たちをこさえたんだ。自然にはない生き物さ。

蛇の子二 僕たちも一応未来人です。

蛇の子三 未来人にもはみ出し者はいるんです。

蛇の子二 未来人のエサは現代人です。利用できるものは利用するのがリサイクルです。

蛇の子三 未来人は人間として登録されていないから、人を食べても罪になりません。

蛇の子一 その代わり、裁判を受けずに殺されます。ハンターの方々に。

坂東 君たちをつくった父親を食いたい?

蛇の子一 食っちまうさ。あいつの道楽で生れたんだ。

坂東 (わらって)それはけしからん父さんだ。でも、あの人も蛇でした。

子供たち おめでとう。

蛇の子二 じゃあ共食いかよ。

蛇の子三 蛇を食うのは嫌だな。

山本 (岩陰から登場し)これはこれは光栄ですな。君たちの生みの蛇ですよ。ひと夏の過ちで君たちをつくってしまったパパを許してね。しかし今では私もすっかり君たちのお仲間となった。君たちから悪いばい菌を移された。しかし蛇は人間よりも紳士さ。共食いはいやか。まさか、私が憎くても食おうとは思わんだろ?

ディーバ (手をすっかり飲み込んでナプキンで口を拭き)あらあら、長年私どもを苦しめてこられた、天才学者さま。

山本 君たちの結果には忸怩たる思いがある。あの時は、まだまだ未熟者であった。医者は失敗を重ねて名医に育つ。君たちは、医学の進歩には不可欠な存在だ。いやいや、立派に成長しているところを見て安心した。殺処分しないで良かった良かった。きっと君たちはこの世に生をうけたことに対し、私に感謝しておる。

蛇の子一 ぜんぜん。

山本 おかしいな。岩陰で見ておったが、獲物を捕まえたときの君たちは、非常にはしゃいでおった。君たちは興奮していたぞ。まるで幸せな蛇一家を見るようであった。これが、地球の住人の本来の営みであると感動した。みんなみんな、この快感のために生きておるんじゃ。餌を獲得する。伴侶を獲得する。縄張りを獲得する。子孫を獲得する。クソをたれる。

蛇の子二 なかでも人間を食らうのが最高です。

山本 これまた贅沢なことを。カエルで腹いっぱいになりゃ幸せだろう。

蛇の子三 僕たちの幸せは、カエルを食べることじゃないんだ。

蛇の子一 人間を食べることです。

山本 驚いた。蛇になり切っておらん。人間的な嫉妬心に支配されておる。

ディーバ 人間が憎いのよ。いいえ、人間に憬れるあまり、食べたくなる。

山本 んもう可愛くって食べちゃいたい!

蛇の子一 いいや、血祭りに上げて仇を取る!

山本 リベンジ精神は蛇を育てる……。悔しさが出世の原動力じゃ。いったい、なにがご不満なの。 名声? 権力? 君たちいったい何が欲しい!

子供たち 夢です。

山本 (わらいこけて)これはこれは……。滑稽だ。君たち、そんな顔してなにを夢見るんだ。……しかし、当を得ておる。犬でも夢は見るからな。だが爬虫類まで夢を見るとは驚いた。

ディーバ (わらって)でも、たしか蛇父様の夢は、世界征服。

蛇の子一 すっげえ! こいつが歴史を変えるんだ。

山本 驚くことはない。男なら誰でも一度は見る夢だ。

蛇の子二 僕たちはもっとちゃちい夢さ。

蛇の子三 人間に憬れているの。

蛇の子一 結婚したいの。モデルさんと。

ディーバ (わらって)まあ、慎ましい夢だこと。

山本 人を憎み、人を羨むか……。倒錯したコンプレックスだな。しかし叶わぬ夢ではないぞ。君たちは、我々人類を笑わせる余興としてこの世に生をうけた。名誉ある新人類だ。お笑いタレントのようなものじゃ。いや、ローマ市民の遊びのために命を落とす剣闘士じゃ。君たちの強さには、モデルさんもイチコロ! ことに美人ほど引っかかる。

蛇の子一 要するに奴隷ってことだろ。

山本 (突き放すように)そりゃしょうがないさ。生まれが卑しいもの。

子供たち こいつ、食っちまおう!

ディーバ (子供たちが山本を捕らえて縛り上げようとするのを制し)おやめなさい。相手はご老人よ。骨と筋ばかり。小骨でも喉に引っかかるのが落ちだわ。

山本 (子供たちから逃れ)やーいやーい、青尻ひょろケツ口裂け野郎! バケモノどもめ。悔しかったらここまでおいで! (逃げていく)

ディーバ (坂東に抱き付き)もう先生を放さないわ。私から五メートル以上離れることを禁じます。私を殺そうとしたことは許してあげる。先生にはもう分かったはず。私なしには生きていけないこと。

坂東 確かに君の香りは刺激的だ。たくさんの乙女がこの香りの虜となり命を捧げてきた。

ディーバ ニセモノはいずれ飽きがきて、いつか夢から覚めるときがくるわ。でも、私の香りから逃れることは絶対にできない。私は悪魔の化身。

坂東 小悪魔ちゃん、僕を虜にしてどうする?

河童 (岩陰からディーバの声色で)人間に戻りたいの。(岩陰から現われ)ただそれだけなんだ。叶えてくれるのは先生しかいない。皮はおいらが何とかする。洞窟には巫女たちがうようよしてるからな。

ディーバ (媚びるように)もう一度私を助けてください。先生の腕で女に戻してください。今度の満月が来たら、私、完全に蛇になってしまう。(泣き崩れる)

坂東 (頭を抱え)嗚呼また、若い女の皮を剥ぐ……。そして、また一度、さらに一度……。僕は悪名高きカワハギジャック!

 

 (突然、将校姿の梓を先頭に、ガスマスクを付けゲシュタポの服装をした巫女たちが火器、拳銃を片手に乗り込んでくる)

 

梓 (紙を読み上げ)捕獲状。我々人類は、次世代優生基準法に基づく地球の浄化を目指し、遺伝子操作により誕生したバケモノどもを捕獲し、その蛇皮を剥いで、人類のために有効利用することをここに宣告する。お前たち蛇どもは、人類の繁栄のために皮膚を提供する目的でつくられ、世界国家のために、その命を捧げなければならない。

子供たち (ディーバを示し)この星の女王陛下はこちらです。

梓 お黙り、妖怪ども。ここに人類浄化の法律を執行する。お前らバケモノは、人類に皮膚および臓器類を供給する目的のみにつくられた家畜として、それ以外の目的行動は禁止されている。勝手に野生化することもあいならん。素直にお縄をちょうだいしないなら、撃ち方始めーい!

 

 (巫女たちは子供たちに向け一斉に銃を放つ。子供たちの阿鼻叫喚の中で辺りが暗くなり、坂東だけが浮かび上がる)

 

坂東 (崩れるようにしゃがみ込み)こりゃ夢だ。現実じゃありえんだろ。滑稽だ。いや、正夢か。現実から目を背けるな! 

河童 (暗がりから)みんな良く見ろ。これが人類の未来だっちゃ!

坂東 いいや、単なる冗談ですよ。妄想だ。妄想の竜巻め! あたりの空気を吸い込んでどんどん大きくなりやがる。誰も止められないさ。ようし俺はパスカル先生に習って夢見る葦としゃれ込もう。突風に体を任せりゃいい。いずれ嵐は去って、すべてが元に戻るんだ。春が来るまで苔でも食ってひっそり隠れよう。(怒って)なんで俺を巻き込みやがる! (泣きながら)ああ、幸せだった。幸せだったんだ! 

 

 (スポットライトに蛇顔のディーバが浮かび上がる。)

 

ディーバ 先生助けてください。弟たちは捕らえられ、皮を剥がされるのです。立ち上がってください。

坂東 うるさい! 素手で立ち向かえるか!

ディーバ ジェノサイドよ! 助けてください。

 

(突然、バックに収容所の映像が浮かび上がると、二人は一つになり濃密に抱き合う)

 

坂東 嗚呼、哀れな爬虫類ども。しかし、くじけずに生き残ることだ。君の未来を祈ろう。医学の可能性に期待して……。

ディーバ  (坂東に脇の下を接吻させ)嗅いでください、もっともっと……。

坂東 妖怪め!

ディーバ 私のいい人。

坂東 いい人? 冗談じゃない。君は妖術使いさ。しかし遠くに行ってしまえばもうおしまい。五十キロ先の君の臭いを嗅ぎ分けるほど、僕の鼻は優秀じゃないさ。

ディーバ (坂東を抱きしめ)だからもう、一ミリも離れないわ。私の胸の中では思い通り。

坂東 君から離れたら、弟たちを助ける気もなくなるさ。

ディーバ なら、私も一緒に行く。

坂東 今度捕まったら、君も殺される。

ディーバ 願ってもないことでしょ?

坂東 それより、二人のこれからを考えよう。

ディーバ 後悔しながら生きろというの?

坂東 過去を振り向いちゃいけない。過去は死んだ時間さ。生きなければいけないのは未来だ。(濃密に抱擁し)さあ、知っているだろう? ここから抜け出す逃げ道。

ディーバ ええ、でも言えないわ。(弟たちのことをすっかり忘れ)ねえ、満月が来るごとに移植してくださる?

坂東 ああ、僕の病院では夜な夜な獲れたての死人が誕生する。

ディーバ バレないかしら。

坂東 ブタの皮でも貼り付けておくさ。

ディーバ 信じるわ。

坂東 君は信じる以外に何もない患者だ。他人に委ねる命。運命に委ねる命。なんという悲劇だ。

ディーバ いいえ、幸せです。助けてくれる人がいるんだもの。希望の光はまだ降り注いでいるわ。でも、先生は悪い人? きっと首から下を蛇にされて、見世物小屋に売り飛ばされる。

坂東 (わらって両指でディーバの頬を軽くつねり)顔まで蛇じゃ、ロクロッ首にもならん。

ディーバ いじめっ子。証拠が欲しい。指きりげんまん。

坂東 どうすればいい?

ディーバ 愛してほしいの。愛以外、何も信じられない。絡み合うように激しく。蛇のようにもつれ合って、融けてくっ付いてしまうの。顎の骨を外して、貴方の頭を飲み込んでしまうの! 嗚呼、もう貴方と私は一つの体。

 (蛇の交尾の映像が現れる。突然、過剰なフェロモン液を噴出す椿が浮かび上がると、坂東はディーバを突き放し、椿の腰にしがみ付く。ディーバは巫女たちに捉えられ、椿の哄笑がエコーとなって幕)

 

 

一四 皮剥ぎ室

 

 (五匹の蛇の子たちは戸板に貼り付けられ、巫女たちが皮を剥いでいる)

 

蛇の子一 質問。剥がされたあとは、どうなるの?

巫女一 (蛇の子一の皮を剥ぎながら)しばらく檻に入れて観察するの。エサを与えて、満月の日に蛇皮がもう一度生えてくるか、じっくり調べる。

蛇の子二 なあんだ、生体実験か。

巫女二 (蛇の子二の皮を剥ぎながら)資源は大切にね。とことん研究し、とことん絞り取る。

蛇の子三 僕の皮は一度っきりしか取れないよ。サメの歯じゃないんだ。

巫女三 (蛇の子三の皮を剥ぎながら)残念。使い切ったら産業廃棄物。

蛇の子一 僕たち、とってもいい子だよ。

巫女一 黒蛇でも赤蛇でも、カエルを捕らない蛇はいい蛇とは言わないの。会社では窓際。家庭ではごく潰し、社会では、ゴミクズ野郎。

蛇の子二 僕たち、心はとっても優しいよ。

巫女二 優しさなんて、金にならんわ。必死に生きればみんな鬼になる。

蛇の子三 僕たち、必死さ。でも蛇のままだ。

巫女三 結果を出さないとご主人様は認めない。毎朝卵を産んでくれるニワトリさんを見てごらん。

蛇の子三 あああ、たまらねえ。卵の丸呑み!

蛇の子一 でも、風邪にかかったニワトリは生き埋めじゃ。

巫女一 欠陥品は産業廃棄物。かわいそうだけど社会のご命令。

巫女一 ご命令が、哀れな歴史を作っていく。

蛇の子二 じゃあ僕たちも生き埋め? 

巫女二 あんたは、ガス室のほうが効率的。

蛇の子二 生き埋めだったら、埋めるときが殺すとき。一石二鳥や。

巫女二 もったいない。腐ったお肉は蛇ちゃんたちのエサにするわ。

巫女三 とにかく効率です。効率的な飼育。効率的な出産。効率的な発展。効率的な生産。効率的な金儲け。効率的な皆殺し。

蛇の子二 でも僕は頑張る。必死に生き残れ! 僕たちの頑張りが、僕たちの命を救う。

巫女たち (手を叩いて)いいぞ! 看板にして、洞窟の入口に掲げましょう。

蛇の子三 それぞれ得意分野があるんだ。僕は一度しか皮が生えてこない。その代わり、獲物を飲み込む速さは抜群。

巫女一 (剥いだ部分の蛇皮を戸板に鋲で打ちつけながら)資本主義では、お金にならないものは才能とは言わないの。お客様は蛇皮がお望み。そのニーズにお応えできる蛇は、お金持ちよ。

蛇の子二 僕、力仕事なら何でもこなせるよ。

巫女二 (剥いだ部分の蛇皮を戸板に鋲で打ちつけながら)残念ねえ。ここは建設現場じゃないわ。

蛇の子三 それにしても、手間のかかる剥がし方。

巫女三 そおねえ。圧縮空気で一気に剥がします?

蛇の子一 またまたまた。大事な商品に傷をつけていいんですか? 

巫女一 それに、もう少しで剥がし終わるし。

巫女三 (手を挙げて)はい、一番。首の皮一枚残して、全部剥がし終わった。

蛇の子三 すごいすごい。首切り役人もびっくりだ!

巫女二 はあい、あたしも終わり。

巫女一 あたしも、終わった。

巫女三 あたしたち、職業オリンピックに出れるわね。

蛇の子たち イテテテ! (皮を戸板に残して、一気に逃げ出し)

巫女たち (口々に)待ちなさい! 

巫女二 逃がしたわ!

 

 

一五 ミサイル発射台

 

(日の丸の鉢巻、モンペ、竹槍の巫女たちが、発射台の櫓からフェロモンの弾頭を取り付けている。櫓には半分人間に戻ったディーバ、山本、河童が縛られて座らせられ、横に軍服姿の梓が立ち、椿はフェロモンを体に振りかけている。坂東は椿から離れられない。)

 

山本 まったく心外ですな。何で私? こいつらの悪だくみをお知らせしたのはわたくしですよ。

梓 悪い芽は伸びないうちに摘む。害獣は増えないうちに殺す。蛇先生の掲げる優生思想にもピッタシです。

山本 皮肉なことを。私もあんたも夢は同じじゃないか。国も国連も何もしよらん。間に合わんぞ。強力な執行力が必要じゃ。誰かが立ち上がらなあかん。秘密結社以外にないでしょう。

坂東 カルト集団め。

山本 正義も不正義も突き詰めればご都合主義。しかしな。人類をお救いしまっせという錦の御旗は同じざんす。とにかく行動だ。増えすぎたんだから減らしゃいい。

ディーバ みなさん、成り行きに任せましょうよ。

梓 おやおや、あんたも成り行き任せで蛇におなりなさい。でも手術もしないで半分人間に戻ったとは、驚くべき執念。どうやって快復できたのかしらね。

ディーバ (わらって)分かりませんわ。

山本 恐らくTPO気分で人間から蛇、蛇から人間へ簡単に移動できる術を会得しつつある。蛇から人、人から蛇へと変幻自在だ。

ディーバ 変化するには、死んでしまうくらいのショックが必要です。

山本 電気椅子に座ったって、人間に戻れれば万万歳だろ。だがこの私は、人助けを考え過ぎて蛇にされちまった。しかし、私は神のご意志に反したことは何もしておらん。自然のルールはちゃんと守っておる。ルールというのは、こっちの命を助けるにはあっちの命をなくしましょうというやつ。誰かが増えれば、どこかで誰かが差っ引かれる。閉鎖空間では生きた魂の数と死んだ魂の数を合わせた値は一定であ~る。

河童 二酸化炭素も人類も幽霊も増やしてはいけなあい! 

坂東 地球が閉鎖系だなんて嘘っぱちだ! 流れ星に乗って宇宙人もどんどん入ってきます。まずはそいつらをとっ捕まえて、串刺しにすべきだ!(大声でわらう)

河童 星の王子様を殺しちゃいけないよ! 

ディーバ 金持ちだけが生き残るのも、神様のご意志ですかしら。

山本 金のある奴は魔女か宇宙人だ! 

椿 まずは平等にガラガラポンすればいいじゃないの。ガラパコス化した人間を一掃する必要がありますわ。なまじ筋肉なんか持っているから動き回ってお金もゴミも溜まるのです。新人類はヒョロヒョロで頭が重いから動くのは苦手。悪知恵を働かせて楽することしか考えない。

梓 それも考えものだわね。

ディーバ 怠け者の椿さんならどんな世界をつくれるというのかしら。

椿 まず、セックスを始めとする肉体労働はご遠慮します。子供はうるさいので生まないわ。お子さんは政府直営の農場で完全養殖ですもの、必要な数だけ増やして育てるのが方針です。まずは自分。自分だけが美しく生きること。

山本 さすが新人類。

坂東 (椿の耳に口をつけ)不感症なら治してあげるよ。

山本 いやいや、私もセックスは大嫌いだ。なんで、相手まで喜ばせなければならないのかね。しかし椿姫の理想郷はまさに私の思い描く未来に近いものだよ。人間はもっと自信を持つべきだ。家のローンを抱え、将来の不安に怯えるような生活は人間様の生き様ではない。人間はもっとずっと神様に近い存在なのだ。神に近いのだから、美しく振舞う。地球を制御するくらいは朝飯前さ。

河童 例えば、生き物くらいはコントロールできるじゃろう、といってみなさん考え出したのが全人類のガラッパポンじゃ!

山本 しかも、自然を壊さず破壊の元凶を退治する。地球上の空気をフェロモンの火山ガスで汚してやるのだ。(悪魔的にわらう)私は正義の見方。全身これ正義感に燃えておる。だからさ、仲間外れにしないでよ。おいらのオツムにはまだまだノウハウが詰まってる。命を助けてくれたら、いろいろお助けしまっせ。

梓 あんたも河童も見るだけでうんざりだわ。

河童 嗚呼、ずしりとくるお言葉。

椿 (河童に)あなたも漫画の世界にお戻りなさい。でも、私は蛇父様のように独裁者になって世界を手玉にとりたいわ。

梓 それは見過ごせない言葉。自己犠牲の精神で、人類の未来のために努力しなさい。どうやらあなたは、蛇父様と変わらないようね。

椿 私、まだ試作品ですからね。でも、結果的にあなたとやることは一緒。

 違います。私情を差し挟んだら高邁な人類愛は達成できません。

椿 カチカチ頭の旧人類! あるいは政治家なみのレトリック。

梓 頭でっかちの新人類! ないしは独りよがりの自惚れやさん。

椿 私、だてに貴方の倍ほどの脳味噌を持っているわけじゃないわ。この頭は、物事をいろんな切り口から考えることができるのよ。選んだ道に渋滞があったらベストな抜け道を探し出してきっちり目的地に運んでくれる。貴方のように理想ばかり高くて電車道なら、たちまち壁に打つかって砕け散る。

河童 あーあどうしましょう。椿姫から見て、梓閣下は救いようのないアホ姉さん。反対に梓姫から見て、椿閣下はクールで不気味な新人類じゃ。

梓 (河童を馬の鞭で叩いて)うるさい!

山本 しかしツートップ体制は喧嘩のもと。ここでどちらがトップかコインで決めたらどうです。それとも、私がトップに戻りましょか?

梓 お前の選択肢は、皮を剥がされるかミサイルと一緒に飛んでいくかのロシアンルーレット。(山本を足蹴にする)

山本 トットトットト……、いやあヘビーなチョイス。どっちがお得?

椿 アイドル蛇になりたいんなら、ミサイルおじさんね。

山本 それじゃあ女王様。初めて宇宙に飛び出した犬の名前は? 

椿 タローとジロー。

山本 外れ! 歴史に残っても、蛇は蛇。

梓 あら、蛇仲間じゃ大変な評判ですことよ。

山本 いやしかしですよ。ばい菌を全世界に振りまくには、シミュレータを使った解析も必要となりますな。例えばピナツボ火山、セントヘレナ山の火山灰がどのように地球全体に広がっていったかといったデータなどの解析……。あるいは渡り鳥のルートを徹底分析する。

梓 (遮って)うるさい! エベレストにぶち込む。ここの上昇気流はジェット気流になります。毒薬をジェット気流に乗せて世界中にばら撒く。

山本 いやあ、お目が高い。さすが女将軍様。では、さっそく位地情報システムへのターゲットの入力と軌道距離の算出、燃料の必要量を算定しますとこれは驚いた。いやはや私のようなデブ蛇は載せられませんな。爆弾をケチるか、私を乗せないかという難しい問題ですぞ。

椿 蛇父さまが主役。お前には最初に消えてほしいの。

山本 (驚いて)これはこれは……。女王らしいお言葉。なにゆえにわたくしをお憎しみで。

梓 心の貧しい者は苦しむために生まれ、楽になるために死ぬのです。だから、その権利を与えましょう。愚かで惨めな人生を全うさせてやる。一方、英雄的な死は、死そのものが喜びになります。

椿 (側の巫女にウィンクし)お前たち、地球のためにここから落ちて死になさい。

 

 (二人の巫女はしばらく躊躇してから、梓を捉えて一緒に飛び降りる)

 

河童 (梓の悲鳴を聞きながら)驚いた……、奇襲作戦でごんす。ずいぶん手なずけたじゃん。

椿 まだ修行が足りないわね。英雄の死は、一瞬たりとも迷いを見せてはいけません。私の命令は、常に喜びを持って実行されるべきです。なんの迷いもなく、新しい人類のために喜んで命を落とすことほど英雄的な死はない。人間はみな、美しく死ぬ権利がある。

坂東 (椿に)恐ろしい。なぜ姉さんを?

椿 新人類には兄弟も姉妹もありませんわ。これからは皆さん工場から生れてくるのよ。新人類の世界を創るんだから、まずはお猿のお姉さまから消えていただくのが筋ですわ。

巫女一 今日から椿様が万年王国の女王様。

椿 みんなが私を神だと思えばそれでいい。(フェロモンを首にかける)

河童 いやはや参りました。しかし先生方、少々酔っぱらってますぜ。

椿 (山本が被っている将校帽を鞭で叩いて)こいつもヒトラーに陶酔している。

山本 女王様とおんなじ穴の狢でござんすよ。

椿 愚にもつかないことを言うと、その裂けた二枚舌を引っ張って、付け根まで裂きイカにしてさしあげてよ。

山本 イカレタことをおっしゃいますな。いえいえいえ、女王様を賞賛しておるのです。重要なのは姫様のフェロモン。下々の者どもを自在に動かせりゃそれで十分。愚衆政治なんざあクソ食らえだ。つべこべ言う奴は十把一絡げにして絞首刑じゃ。一瞬が勝負さ。先手必勝。もたついている時間はない。不満分子はすぐに粛清! ならこうしましょう。任せてください。わたくしめは、突撃隊長として女王陛下の下で鬼成敗じゃ。

椿 (無視して)早くミサイルにお乗り。

山本 (あわてて)いえ、ゲシュタポの親分になるのです。有能な右腕だ。お縄を解いてくれたら証拠をお見せしましょう。ここにいる二人をキリキリと絞め殺して差し上げます。

河童 (椿を真似て)もういい。こいつをミサイルに詰め込んでおしまい!

山本 (巫女たちにミサイルに積み込まれる途中で)バカなことをするな。身のほど知らずが。お前が体に振りかけているのは猛毒だぞ。副作用を知らんか! いやだ! 出してよ! 狭いところはいやだ!(ミサイルに詰め込まれる)

椿 (巫女たちに)出しておやり。

ディーバ 茶番劇。

山本 (わらって息をつき)いやあ、効き目がありましたな。ふ・く・さ・よ・う。でも、解毒剤はあるさ。仲間にしてくれなきゃ言わないよ。

椿 次の満月までには、お話ししていただくわ。(巫女たちに)この蛇を皮剥ぎ室に連れて行き、少しばかり剥いでおやり。

山本 (泣き喚きながら連れていかれる)いやだいやだ、痛いのはいやだよう!

 

 

十六 映写室

 

 (椿と坂東が映写室で映像を見ている。横に巫女が二人立っている)

 

椿 (坂東に)地方での臨床実験をお見せしますわ。巫女がマンションの最上階にフェロモンを撒いた。(スクリーンに映し出された最上階のベランダから人がどんどん落ちていく映像を見ながら)このベランダはちょうどこの場所の方向に面しているわ。住人が、こちらに向かって駆け出した。そのとたん、ベランダから落ちてしまった。

坂東 嗚呼あの事件は君たちの仕業か。薬を嗅いだだけでこんなことになるなんて、恐ろしい犯罪だ。

椿 戦争で敵を殺すことも犯罪ですかしら。兵隊さんの義務ですわ。私が政府をつくるのですから、犯罪にはなり得ません。きっとより良い社会をつくれば許される行為。幸せな気分で滅んでいくのがせめてもの救いです。彼らは明るい未来のための人柱。辛い人生を忘れて、イノシシのように走り出す。何かを求めている。不幸から解放されること? いいえ、浄化されたくて走り出す。人類の原罪を償おうとしている。蛇に騙され追放された罪を贖えば、子孫が助かることを遺伝子レベルで知っている。人間の知恵なんか後天的なものよ。理性を捨てて動物に戻るんだ。生き物の存在意義は、種が滅亡しないことにあるんですから。

坂東 支離滅裂な解釈で自分の犯罪を正当化する。だいいち、あんたが人間かどうかも分からない。

椿 遺伝子レベルでは、れっきとしたホモサピエンスですわ。それに誰のために正当化する必要があります? 私が納得すればそれでいいのです。共感や同情は、ソドムの民に向けられるべきものではございません。見なさい、世界中で巡礼の行進が始まる。磁石のように一直線。海にぶち当たれば入水自殺。船を使う知恵もかなぐり捨てて。

坂東 重度の脳症だ!

椿 地球を救えるのは市民一人一人の自己犠牲のみ。人類が犯し続けてきた罪を償うのは当然です。

巫女一 みなさん英雄気分で死んでいく。

椿 人類を滅亡から救う雄雄しい自己犠牲者たち。

坂東 (激しくわらって)薬で脳味噌がイカレタだけさ!

巫女一 英雄です。

坂東 死んじまったらおしめえよ。

巫女二 お分かりにならないのですか。地球全体が崖っぷちなのですよ。あと百年で、人類は奈落の底へまっしぐら。その身代わりとなって、英雄たちは落ちていくのです。女王様万歳!(自分の台詞に酔ったようにピストルを出し、自殺する)

椿 見なさい。英雄は喜んで死を迎える。旧人類にとっては、喜びの中で人生をまっとうすることが幸せなのです。

坂東 (頭を抱えて椅子から立ち上がり、急に床に手を付いて震えながら這い回り)イカレテます。

椿 あと数時間で、史上最強の麻薬を組み込んだウイルスが、エベレストに向けて解き放たれる。でも、一つだけ不安があるわ。なぜあなたは、欲望を萎らせて罪悪感に浸っているの? 

坂東 確かに不思議ですな。あんたのフェロモンを嗅いでも興奮しなくなった。ひどく気分が落ち込んでいる。欝状態ですな。しかし、山本先生も、フェロモンの誘惑からは逃れていた。それにあんた自身、抗体があったようだな。それとも、フェロモンというのはシャンパンのようにどんどん気が抜けるものですかな。

椿 (巫女に)蛇男をここに。

 

 (巫女たちが半分皮を剥がされた山本を連れてくる)

 

山本 イテテテテ! まったくひどい。ここは法治国家の領土内だぞ!

椿 (わらって)先生はゲシュタポの親分じゃなかったの。はむかう者は拷問の上縛り首。これ以上の方法はない。

山本 剥がされて分かったことですが、蛇の皮でもないよりはマシだ。がしかし、この痛さはちょいと心地がいい。なにか、ギリシア神話の英雄にでもなったっていうか。どうでもいい野郎は、こんなことされないというか、なんか神様が手を差し伸べて、救われるんだっていうか……。殉教の快感っていうか……。

坂東 ギリシアというよりは、ラ・マンチャ地方にお似合いですな。きっとお迎えがきているんですよ。痛い段階を通り過ぎ、最後は安らかにお行きになる。

山本 しかし、意識ははっきりしておるぞ。例えば、何ゆえ、こんなひどい目に遭わなければならないかと考えている。

坂東 結論は?

山本 みんなが私を人間として認めてくれない。

坂東 アイデンティティの喪失ですかな?

椿 歴史の変換期にはよくあることですわ。みなさん、ご自分に起こる悲劇は信じたくないものですわ。蛇先生は、これから旧人類に降りかかる悲劇の最初の体験者です。何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ! (優しく)急に社会の価値観が変わったせいですわ。貴方って、価値のない旧人類である上に、邪悪な蛇であるからです。二重苦ですねえ。これからの世の中は、価値がなければ生きていけないの。お気の毒です、山本先生。痛かったでしょう。

山本 いえいえこれしきのこと、なんともございません。

椿 どうしてフェロモンにいかれない人がいるのかを聞き出す前に、下ごしらえをして差し上げました。さあ山本先生、正直にお答えください。なにか、ワクチンでもお飲みですか?

山本 ハッハッハ! たとえ私めがワクチンを開発したとしても、姫様に飲ませようなんて、さらさら。

椿 お前の助手であった私が飲むのは当然でしょう。

山本 おりこうさんの助手ならね。

椿 (巫女に)そこの皮のささくれを思い切り引っ張っておやり!

山本 イテテテテ! 女王様がお知りになりたい真実は、私よりも蛇娘から直接お聞きください。

椿 蛇女が、その秘密を知っていると?

山本 もちろん。

椿 お前が答えなさい。(巫女に)もっと引っ張っておやり。

山本 イテテテテテ! うすうす気がついていらっしゃるくせに。このおいらがなんで蛇になったのか……。

椿 (巫女に)もっと大胆に引っ張っておやり。

山本 イテテテテテテテ! 元来、このフェロモンは餌をおびき寄せるためのもので、蛇同士には効き目がありません。つまり、フェロモンの効かない連中は、外側は人間でも、体の中はすでに蛇だってなわけ。蛇皮を移植しなけりゃ蛇にならないなんて、いったい誰が決めたんだい?

 

 (巫女たちは驚きの声を上げ、椿と坂東はショックで倒れ込む)

 

椿 ディーバをここに。(手を縛られたディーバと河童が巫女たちに引きつられて来る)。なぜお前が私を襲ったのか、いま分かったわ。私は抵抗したけれど、お前の胴体に締め付けられ、辱めを受けた……。

ディーバ 抵抗だなんて……。蛇になった私を、皆さんやさしく受け入れてくれたはず。

巫女二 この宮殿では、決してディーバに逆らってはいけないことになっておりました……。ディーバに噛み付かれなかった巫女はおりません。

山本 したたかな蛇さ。興奮すると所かまわず襲いかかり噛み付く癖がある。蛇の遺伝子はプリオンのように噛まれた者に移っていくのさ。みんなに移せば、恐くない! 

坂東 知ってて僕に噛み付いたのか!

ディーバ とんでもございません。先生を噛んだら私、人間に戻る道はすっかり断たれてしまいます。噛みたい毒牙を一生懸命引っ込めておりましたわ。

坂東 (首の噛み跡を見せ)じゃあどうして、ここに噛み付いたんだ!

ディーバ (のたうち回りながら蛇に変身する)ごめんよ。俺、蛇だよ。ドロドロした怨念、情欲。止まらない。抑えられねえんだよ! 復讐心? いや、本能だぜ。お前も、お前も、そしてあんたも、巫女たちも。みんなみんな、蛇になりやがれ! (失神して倒れ込む)

山本 さてみなさま、こんな具合でして、どうかどうかお許しを。蛇の父さんからも深くお詫び申し下げます。なに蛇のしたことです。噛み癖ですよ噛み癖。たまたま悪い病気を持ってたんだ。交通事故ですな。しかしこいつは素直に主張しているだけのこと。気兼ねなんかするこたあない。どいつもこいつもみんな蛇に変えちまえってなわけで皆さん、邪悪なばい菌が粘膜に食らいついて忍び込み、骨髄の中に隠れて晴れの日をじっと待っております。そう。きっと来る。満月の夜だ! ウオーッ、ウオウオーッ! オオカミの遠吠えを合図に、一斉に細胞たちが目覚めやがる!

椿 (息も絶え絶えに)いつ? 

山本 さあね。きっと次の満月の夜。いや、その次かな。治療法? ありゃしない。狂犬病なみさ。一度穢れてしまった体は、元にはもどらないのよ。まさに人生そのもの。やり直しなんか利くもんか! (自分の体を強調し、嗚咽しながら)見なさい。この勇ましいヤマタノオロチ。騙され、たぶらかされ、弄ばされた結果がこれです。(優しく舌で蛇皮を舐め)もうすぐですよ。きっと来ますよ。後悔先に立たず! これが人生! 甘ったれるんじゃない! あああ、なんでなの。(快活に)いやあ、みなさん。もっとご自愛なすって。もっと想像力を豊かにしましょう。墓の中なんて、蛇くらいしか喜ばんよ。タバコは吸わない。酒はほどほどに。いかがわしい蛇とは交わらない! 

椿 (泣きながら泣いている巫女たちに)皮を全部剥がしておやり。

山本 (巫女に皮を剥がされてもその下から新たな蛇皮が出てくるのを見て)おやまあ、脱皮した。まるでラッキョウだ。生き抜くことにかけては、人間よりずっと進化しておる。ところで、ひとつ質問。みなさん、これは死にいたる病、いや蛇にいたる病です。画期的ですぞ。で、お聞きします。どっちがいいですか? 死ぬか蛇になるか!

坂東 蛇になってまで生きたいか!

山本 いいじゃない。人間だって、ちょっと前までは猿だった。蛇だっておんなし生き物ですぞ。ナメクジよりはマシだ。

坂東 ナメクジのほうがマシだ!

山本 (椿に)将軍様。あなたはどうですか。

椿 死んだほうがマシよ!

山本 (落胆して)ショックです。そんなに醜い? 単に面の皮が厚くて、サイケな模様になってるってだけで……。確かに、悪趣味なグリーンに金赤の水玉模様。それにいま流行のスネークウォーキング。私ってグロテスク?

巫女二 (泣きながら)一年に一回ならいいわ。

山本と坂東 カーニバル! (二人で楽しそうにわらう)

山本 ひどい差別。動物扱いだ。しかし諍いが起きないよう、人間と蛇は住み分けが重要ですな。例えば、蛇族の居住区。

椿 (うんざりして)森にお帰り。

山本 人類を救おうなんて、もうどうでもよくなったでしょ。なるようになりゃいい。旧人類は絶滅した。いいだろう。それに変わる新人類は蛇さ。どいつもこいつも、我輩の責任であります。

坂東 旧人類撲滅作戦は中止ですな。蛇になるよりはレトロ人間のほうがずっとマシだ。

河童 おんなじじゃ。これからはこのおっさんのようなイカレタ科学者がどんどん出てくるんじゃ。

山本 科学はまさに両刃の剣ですな。いやはや、自分にその切っ先が刺さるとはビックリだ。いえいえ、人間は進化するスタイルを得たってわけ。おバカな人間もとうとうスネークスルー。おリコウものの蛇に大変身。猿族からオサラバだ。地球温暖化に対抗するには、サボテンの遺伝子も必要だな。

坂東 そりゃ妙案だ。しかし、刺だらけで抱き合うこともままならない。

山本 いいじゃない。カマキリをごらんなさい。死ぬ気になってセックスすれば、地球が蛇で満杯になるこたあない。しかも、蛇は知恵の神様ですからな。みんなから嫌われ続けていると賢くなるもんです。鍛えられるんだな。それに何回皮を剥がされたって、皮はまた出てくる。何回ぶち込まれても、悪さをする盗人と同じ。で、わが娘の性癖も永遠に続く。しかも、けっこうちゃっかり者。みんなに病気を移してご満悦だ。さらに、この娘には密やかな夢があるんだ。さあ、皆さんの前で言ってごらん。

ディーバ (はにかみながら)恥かしいわ。

山本 恥ずかしがる顔か?

ディーバ (顔を赤らめ)意地悪なお父様。

山本 なら、わたくしめが代わりに発表いたしましょう。

河童 (嬉しそうに)人間のおべべを着て、街に出てみたいの。

山本 (女の声色で)そして、いろんな人たちを蛇にしたいの。

ディーバ お友達をつくりたいだけよ。

山本 しかし、お友達をつくるには、蛇は隠さなければいけませんな。ところが、田舎娘であることを隠すようなわけにはいかない。つい尻尾が出ちまう。

河童 見つかったら腹を割かれて蒲焼よ!

山本 お嬢さん。民族の誇りはどこへ行った。我々はむしろ、蛇族であることに誇りを持たなければならない。(椿に)どうです、女王様。蛇族としての誇りをお持ちですか?

椿 舌を引っこ抜くよ!

山本 あんた蛇ですよ、蛇。それが証拠に、いまこの場で、蛇にしてさしあげましょう。

坂東 満月でもないのに。

山本 意外と頭が固いねえ。君も新説をはなから否定する医者の一人だな。病は気からと言うでしょう。満月の振りをして、細胞どもを騙しゃいい。(丸鏡を出して、椿にあてがい)ほら、鏡の中のあなたを見つめてごらん。鏡は満月だ。もう、鏡の中のお前から目を離すことができない。蛇ににらまれた蛇は蛇の目石になるんだ。石になろうと想像しなさい。鏡の中の蛇の目は、すでに真っ赤なルビーだ。目の周りから鱗が現れ、将棋倒しとなって増えていくぞ!(椿と巫女たちの顔が蛇に変わり、悲鳴を上げながら走り去る)

河童 (腹の底からわらいながら)おいおい河童になる奴はいねえのか!

山本 (わらって)お前は川に帰りなさい。ここは蛇穴の中。穴の中は、退屈かつ退廃的だ。

坂東 あんたの妄想も、退屈から生まれた。

山本 いいねえ。退屈は発明の母か。想像したまえ、不遇時代のヒトラーの夢を。退屈な人生は耐えがたい。富も名誉も退屈だ。唯一、神様だけが面白い。

坂東 反吐が出る!

山本 おや、学長の座を夢見ていた坂東様のお言葉とも思えませんな。皆さん大なり小なり妄想をお持ちです。妄想は歴史を動かす梃子のようなものさ。だが、私はもっと進化しておる。孤独です。孤独なテロリストは、違う目線で世の中を動かす。もっと大胆に。

河童 お前の真っ赤な目で世界を見れば、地平線まで血の海だぜ!

山本 いいかね。地球は薄皮饅頭さ。かろうじて秩序は保っているが、中身はドロドロ。ならば、その上で暮らす俺たちも根無し草同然。根元がしっかりしなけりゃ、落ち着くわけはないでしょう。びくびくしながら神様にお祈りを捧げ、なんとか生き残ってきたってわけだ。そこで、私のような頼りがいのある暴君の登場を誰もが待ち望む。わたくし、一瞬にしてストレスのない広~い土地を、生き残った方々に差し上げましょう。

坂東 立派なマニフェストですな。

河童 ハッハッハッ。市民生活なんぞ霞のようなものじゃ。河童の鼻息でひと吹きさ。

山本 しかし残念ながら、河童や蛇には市民の権利なんぞありません。この世界、天国もあれば地獄もある。次の満月には坂東君もすっかり洞穴の住人。そのときになって、分かるんです。決して元へは戻れない。世間からは名医として尊敬され、たまには三ツ星レストランで夕食を取り、月に一度は秘密の愛人とのセックス。男なら誰でも羨むその生活は、蛇になったとたん、遠い遠い過去の思い出だ。しかし、それはのっけから蜃気楼であった、と君はようやく理解する。あああ、楽しみだぜ。(蝶ネクタイを伸ばして体を捩じらせ)君のスネークウォーク。

坂東 しかしそもそもあんたが蒸発したのは、病院の権力闘争に負けたからでしょ。

山本 (興ざめて)なんだ、藪から蛇に下らんことを。私は君のようなちゃっちい男か? 

坂東 ちゃっちい蛇野郎さ。

山本 黙れ! お前、医者のくせに人間を知らん。どんなに偉大な人物でも、そいつのエネルギー源は猿のケツに等しい。なぜなら、社会も所詮猿の集団だからな。私のちゃちさなんぞ君に指摘される筋合いのものではない。要は、人生を全うしたいのさ。とでかいことをしてな。私は猿の英雄として死を迎える。

ディーバ ならば、特等席がございます。お父様。早くお乗りにならないとすっかり蛇になってしまいますわ。

山本 そうだ、ようやく決心がついたよ。私は爆弾を体に巻きつけて勇ましく死んでいく。英雄になるんだ。どうだ、まいったか。いままで私を虐めてきた奴らに意趣返しだ。さあ、ミサイルに乗り込むぞ。エベレストの上空に来たら、自爆しましょう。私の蛇皮は粉々に砕け散り、たなびくジェット気流に流されて、キラキラ輝きながら世界の果てへと飛んでいく。やがて、天使のようにしなやかに、黒猫のようにヒラリと地上に舞い降りると、公園の土の中に密かに忍び込み、ヒルのごとくカップルがやってくるのを根気よく待ち続ける。執念深く、持続的に、繰り返し、平々凡々と、日常のありきたりのシーンのように、私の怨念はじわじわと大陸に浸潤していくのだ。土に埋もれた一片の蛇皮から、やがて世界を凍りつかせるウイルスが、バクテリアどもを蹴散らしながら、土ぼこりといっしょに舞い上がり、坊ちゃん嬢ちゃんのお口に吸い込まれて、いかれた頭にして差し上げましょう。人間はどんなにか弱い動物であるか、証明いたしましょう。世の中、まともなオツムじゃ生きてけない。親御さんもいかれたオツムをお望みじゃ。某国立大学をお出になってお役人になったが途中で追い出され、退職金もらって天下り、ってその梯子で稼いだお金がたったウン十億かよ、ってチャチイ話で白け切ったところでいざシュッパーツ!

 

 (山本は勇ましくミサイルに乗り込み、ディーバがスイッチを入れると大音響、閃光とともにミサイルは崩れ去る。衝撃で、フェロモンが撒き散らされ、粉々に砕け散った山本の蛇皮が辺りに散乱してのたうち回る。ディーバと坂東はすっかり蛇となり、幻想の中で熱く抱擁する) 

 

ディーバ 今は亡き父は自分を犠牲にして、世界を救われたのです。

坂東 ご立派なお父様でした。一握りの人々だけの幸せが許せなかった。

ディーバ 父のもくろみは成功しました。人間たちはみな蛇になり、私たちには人間になる夢だけが残されました。

坂東 化石が見る夢のようにはかない。あなたは今までに、何回死にました?

ディーバ ずっとずっと化石のままよ。生きている気はしなかった。

坂東 いいや、あなたは人間に変わると、その瞳は輝いていた。あなたにもハレの日はあった。

ディーバ 蛇が人間を飲み込む恐怖に怯えるハレの日々。

坂東 恐れはあなたが人間である証拠だ。しかしなぜ、楽になろうとしなかったのですか?

ディーバ 生きていたのは夢の中。夢と現実は厚いガラスで仕切られて……。

坂東 いいや……。あなたは蛇のように賢く、野太く生きてきた。本能的に、生きる目的を知っていた。

ディーバ 生きる目的?

坂東 あらゆる生物の目的は、続けることしかないのです。続けるために生きるのです。続けるために食べる。続けるために戦う。続けるために交わる。続けるために生きる。

ディーバ 何を続けるのですか?

坂東 存在です。単なる……。

ディーバ いいえ、父は破滅するために生きたのです。

坂東 お父様は誰かの心に存在し続けるために生きようとしたんです。人間としてね。だから、人間でなくなったとき、絶望した。絶望は死と同じ言葉だ。しかし、死は絶望から救ってくれる。

ディーバ 私は絶望していても生きている。

坂東 君には希望がある。僕という……。

ディーバ ならば、あなたと二人で野太く生きていく。

坂東 驚いたな。君はまるで蛇のように逞しい。

ディーバ いいえ、私たちは人間として生き抜くのよ、逞しく。

坂東 さあ、街へ出よう。冬ごもりは終わった。人間たちの世界に出るんだ。雑踏に紛れて人の皮を剥ぎながら、蛇であることを隠して、野太く生きていくのだ。

 

(突然洞窟は都会の映像に変わり、二匹の蛇は手を取り合って走り去る)

 

(おわり)

戯曲「ツチノコ」(最終)& 詩

独り舞台

 

俺はいま、地球というプレハブの舞台に立って

おそらく奈落に落ちるまでの短い間

落ちるまいと必死に何かを演じているんだ

役柄については何も聞かされちゃいない

俺自身、誰かも思いつかない

ただ一つ言えることは

ほかの奴らも滑稽に何か演じているんだが

お互いにさしたる関心もなく

基本的には独り舞台だってことだ

しかしどいつも必死に演じ、絶えず動いている

どいつも名優のように振舞おうとする

当然、一生懸命演じないと誰かに叱責される

しかしそいつが誰かは誰も分かっていない

上司? 社長? そんな奴らはどうでもいい

きっと神かもしれないし悪魔かもしれないし空想かもしれない

とにかく舞台の上にいる間は演じなきゃならないんだ

舞台の端には今にも落ちそうな連中が寝転がっている

脱落者予備軍さ

奴らは疲れていて、自暴自棄になっていて、落ちてもいいと思っている

しかし落ちたところにまた別の舞台があるっていうんだから最悪だ

その舞台はおそらく地獄で、天国じゃないだろう

だってあの世とこの世の仲立ちである坊さんが言うには

一生懸命演じなかった奴らは、必ず地獄に落ちるんだから

いやそいつは俺たちを手なずかせるために 

坊さんが作り上げたイルージョンに違いない

この世の舞台が地獄ならあの世の舞台も地獄

信じることで救われるってな……

ちゃんちゃらおかしい、信じる必要なんかない

だってこの世が独り舞台なら、あの世も独り舞台だ

あの世が無なら、この世も無に違いない

回りの脇役たちは藁人形だと考えればいい

じゃあ演じるってことは?

おそらく単に、何もないところで足掻いているだけの話さ

ほかの連中をあてにするなよ

藁を摑んでも、沈んでいくだけの話さ

だって俺たちの心は、うんざりするくらい重いんだからな

嫌になっちまうぐらい、重いんだよ

そのほとんどが、身に付いた垢なのさ……

 

 

 

 

戯曲「ツチノコ」(最終)

十六 映写室

 

 (椿と坂東が映写室で映像を見ている。横に巫女が二人立っている)

 

椿 (坂東に)地方での臨床実験をお見せしますわ。巫女がマンションの最上階にフェロモンを撒いた。(スクリーンに映し出された最上階のベランダから人がどんどん落ちていく映像を見ながら)このベランダはちょうどこの場所の方向に面しているわ。住人が、こちらに向かって駆け出した。そのとたん、ベランダから落ちてしまった。

坂東 嗚呼あの事件は君たちの仕業か。薬を嗅いだだけでこんなことになるなんて、恐ろしい犯罪だ。

椿 戦争で敵を殺すことも犯罪ですかしら。兵隊さんの義務ですわ。私が政府をつくるのですから、犯罪にはなり得ません。きっとより良い社会をつくれば許される行為。幸せな気分で滅んでいくのがせめてもの救いです。彼らは明るい未来のための人柱。辛い人生を忘れて、イノシシのように走り出す。何かを求めている。不幸から解放されること? いいえ、浄化されたくて走り出す。人類の原罪を償おうとしている。蛇に騙され追放された罪を贖えば、子孫が助かることを遺伝子レベルで知っている。人間の知恵なんか後天的なものよ。理性を捨てて動物に戻るんだ。生き物の存在意義は、種が滅亡しないことにあるんですから。

坂東 支離滅裂な解釈で自分の犯罪を正当化する。だいいち、あんたが人間かどうかも分からない。

椿 遺伝子レベルでは、れっきとしたホモサピエンスですわ。それに誰のために正当化する必要があります? 私が納得すればそれでいいのです。共感や同情は、ソドムの民に向けられるべきものではございません。見なさい、世界中で巡礼の行進が始まる。磁石のように一直線。海にぶち当たれば入水自殺。船を使う知恵もかなぐり捨てて。

坂東 重度の脳症だ!

椿 地球を救えるのは市民一人一人の自己犠牲のみ。人類が犯し続けてきた罪を償うのは当然です。

巫女一 みなさん英雄気分で死んでいく。

椿 人類を滅亡から救う雄雄しい自己犠牲者たち。

坂東 (激しくわらって)薬で脳味噌がイカレタだけさ!

巫女一 英雄です。

坂東 死んじまったらおしめえよ。

巫女二 お分かりにならないのですか。地球全体が崖っぷちなのですよ。あと百年で、人類は奈落の底へまっしぐら。その身代わりとなって、英雄たちは落ちていくのです。女王様万歳!(自分の台詞に酔ったようにピストルを出し、自殺する)

椿 見なさい。英雄は喜んで死を迎える。旧人類にとっては、喜びの中で人生をまっとうすることが幸せなのです。

坂東 (頭を抱えて椅子から立ち上がり、急に床に手を付いて震えながら這い回り)イカレテます。

椿 あと数時間で、史上最強の麻薬を組み込んだウイルスが、エベレストに向けて解き放たれる。でも、一つだけ不安があるわ。なぜあなたは、欲望を萎らせて罪悪感に浸っているの? 

坂東 確かに不思議ですな。あんたのフェロモンを嗅いでも興奮しなくなった。ひどく気分が落ち込んでいる。欝状態ですな。しかし、山本先生も、フェロモンの誘惑からは逃れていた。それにあんた自身、抗体があったようだな。それとも、フェロモンというのはシャンパンのようにどんどん気が抜けるものですかな。

椿 (巫女に)蛇男をここに。

 

 (巫女たちが半分皮を剥がされた山本を連れてくる)

 

山本 イテテテテ! まったくひどい。ここは法治国家の領土内だぞ!

椿 (わらって)先生はゲシュタポの親分じゃなかったの。はむかう者は拷問の上縛り首。これ以上の方法はない。

山本 剥がされて分かったことですが、蛇の皮でもないよりはマシだ。がしかし、この痛さはちょいと心地がいい。なにか、ギリシア神話の英雄にでもなったっていうか。どうでもいい野郎は、こんなことされないというか、なんか神様が手を差し伸べて、救われるんだっていうか……。殉教の快感っていうか……。

坂東 ギリシアというよりは、ラ・マンチャ地方にお似合いですな。きっとお迎えがきているんですよ。痛い段階を通り過ぎ、最後は安らかにお行きになる。

山本 しかし、意識ははっきりしておるぞ。例えば、何ゆえ、こんなひどい目に遭わなければならないかと考えている。

坂東 結論は?

山本 みんなが私を人間として認めてくれない。

坂東 アイデンティティの喪失ですかな?

椿 歴史の変換期にはよくあることですわ。みなさん、ご自分に起こる悲劇は信じたくないものですわ。蛇先生は、これから旧人類に降りかかる悲劇の最初の体験者です。何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ! (優しく)急に社会の価値観が変わったせいですわ。貴方って、価値のない旧人類である上に、邪悪な蛇であるからです。二重苦ですねえ。これからの世の中は、価値がなければ生きていけないの。お気の毒です、山本先生。痛かったでしょう。

山本 いえいえこれしきのこと、なんともございません。

椿 どうしてフェロモンにいかれない人がいるのかを聞き出す前に、下ごしらえをして差し上げました。さあ山本先生、正直にお答えください。なにか、ワクチンでもお飲みですか?

山本 ハッハッハ! たとえ私めがワクチンを開発したとしても、姫様に飲ませようなんて、さらさら。

椿 お前の助手であった私が飲むのは当然でしょう。

山本 おりこうさんの助手ならね。

椿 (巫女に)そこの皮のささくれを思い切り引っ張っておやり!

山本 イテテテテ! 女王様がお知りになりたい真実は、私よりも蛇娘から直接お聞きください。

椿 蛇女が、その秘密を知っていると?

山本 もちろん。

椿 お前が答えなさい。(巫女に)もっと引っ張っておやり。

山本 イテテテテテ! うすうす気がついていらっしゃるくせに。このおいらがなんで蛇になったのか……。

椿 (巫女に)もっと大胆に引っ張っておやり。

山本 イテテテテテテテ! 元来、このフェロモンは餌をおびき寄せるためのもので、蛇同士には効き目がありません。つまり、フェロモンの効かない連中は、外側は人間でも、体の中はすでに蛇だってなわけ。蛇皮を移植しなけりゃ蛇にならないなんて、いったい誰が決めたんだい?

 

 (巫女たちは驚きの声を上げ、椿と坂東はショックで倒れ込む)

 

椿 ディーバをここに。(手を縛られたディーバと河童が巫女たちに引きつられて来る)。なぜお前が私を襲ったのか、いま分かったわ。私は抵抗したけれど、お前の胴体に締め付けられ、辱めを受けた……。

ディーバ 抵抗だなんて……。蛇になった私を、皆さんやさしく受け入れてくれたはず。

巫女二 この宮殿では、決してディーバに逆らってはいけないことになっておりました……。ディーバに噛み付かれなかった巫女はおりません。

山本 したたかな蛇さ。興奮すると所かまわず襲いかかり噛み付く癖がある。蛇の遺伝子はプリオンのように噛まれた者に移っていくのさ。みんなに移せば、恐くない! 

坂東 知ってて僕に噛み付いたのか!

ディーバ とんでもございません。先生を噛んだら私、人間に戻る道はすっかり断たれてしまいます。噛みたい毒牙を一生懸命引っ込めておりましたわ。

坂東 (首の噛み跡を見せ)じゃあどうして、ここに噛み付いたんだ!

ディーバ (のたうち回りながら蛇に変身する)ごめんよ。俺、蛇だよ。ドロドロした怨念、情欲。止まらない。抑えられねえんだよ! 復讐心? いや、本能だぜ。お前も、お前も、そしてあんたも、巫女たちも。みんなみんな、蛇になりやがれ! (失神して倒れ込む)

山本 さてみなさま、こんな具合でして、どうかどうかお許しを。蛇の父さんからも深くお詫び申し下げます。なに蛇のしたことです。噛み癖ですよ噛み癖。たまたま悪い病気を持ってたんだ。交通事故ですな。しかしこいつは素直に主張しているだけのこと。気兼ねなんかするこたあない。どいつもこいつもみんな蛇に変えちまえってなわけで皆さん、邪悪なばい菌が粘膜に食らいついて忍び込み、骨髄の中に隠れて晴れの日をじっと待っております。そう。きっと来る。満月の夜だ! ウオーッ、ウオウオーッ! オオカミの遠吠えを合図に、一斉に細胞たちが目覚めやがる!

椿 (息も絶え絶えに)いつ? 

山本 さあね。きっと次の満月の夜。いや、その次かな。治療法? ありゃしない。狂犬病なみさ。一度穢れてしまった体は、元にはもどらないのよ。まさに人生そのもの。やり直しなんか利くもんか! (自分の体を強調し、嗚咽しながら)見なさい。この勇ましいヤマタノオロチ。騙され、たぶらかされ、弄ばされた結果がこれです。(優しく舌で蛇皮を舐め)もうすぐですよ。きっと来ますよ。後悔先に立たず! これが人生! 甘ったれるんじゃない! あああ、なんでなの。(快活に)いやあ、みなさん。もっとご自愛なすって。もっと想像力を豊かにしましょう。墓の中なんて、蛇くらいしか喜ばんよ。タバコは吸わない。酒はほどほどに。いかがわしい蛇とは交わらない! 

椿 (泣きながら泣いている巫女たちに)皮を全部剥がしておやり。

山本 (巫女に皮を剥がされてもその下から新たな蛇皮が出てくるのを見て)おやまあ、脱皮した。まるでラッキョウだ。生き抜くことにかけては、人間よりずっと進化しておる。ところで、ひとつ質問。みなさん、これは死にいたる病、いや蛇にいたる病です。画期的ですぞ。で、お聞きします。どっちがいいですか? 死ぬか蛇になるか!

坂東 蛇になってまで生きたいか!

山本 いいじゃない。人間だって、ちょっと前までは猿だった。蛇だっておんなし生き物ですぞ。ナメクジよりはマシだ。

坂東 ナメクジのほうがマシだ!

山本 (椿に)将軍様。あなたはどうですか。

椿 死んだほうがマシよ!

山本 (落胆して)ショックです。そんなに醜い? 単に面の皮が厚くて、サイケな模様になってるってだけで……。確かに、悪趣味なグリーンに金赤の水玉模様。それにいま流行のスネークウォーキング。私ってグロテスク?

巫女二 (泣きながら)一年に一回ならいいわ。

山本と坂東 カーニバル! (二人で楽しそうにわらう)

山本 ひどい差別。動物扱いだ。しかし諍いが起きないよう、人間と蛇は住み分けが重要ですな。例えば、蛇族の居住区。

椿 (うんざりして)森にお帰り。

山本 人類を救おうなんて、もうどうでもよくなったでしょ。なるようになりゃいい。旧人類は絶滅した。いいだろう。それに変わる新人類は蛇さ。どいつもこいつも、我輩の責任であります。

坂東 旧人類撲滅作戦は中止ですな。蛇になるよりはレトロ人間のほうがずっとマシだ。

河童 おんなじじゃ。これからはこのおっさんのようなイカレタ科学者がどんどん出てくるんじゃ。

山本 科学はまさに両刃の剣ですな。いやはや、自分にその切っ先が刺さるとはビックリだ。いえいえ、人間は進化するスタイルを得たってわけ。おバカな人間もとうとうスネークスルー。おリコウものの蛇に大変身。猿族からオサラバだ。地球温暖化に対抗するには、サボテンの遺伝子も必要だな。

坂東 そりゃ妙案だ。しかし、刺だらけで抱き合うこともままならない。

山本 いいじゃない。カマキリをごらんなさい。死ぬ気になってセックスすれば、地球が蛇で満杯になるこたあない。しかも、蛇は知恵の神様ですからな。みんなから嫌われ続けていると賢くなるもんです。鍛えられるんだな。それに何回皮を剥がされたって、皮はまた出てくる。何回ぶち込まれても、悪さをする盗人と同じ。で、わが娘の性癖も永遠に続く。しかも、けっこうちゃっかり者。みんなに病気を移してご満悦だ。さらに、この娘には密やかな夢があるんだ。さあ、皆さんの前で言ってごらん。

ディーバ (はにかみながら)恥かしいわ。

山本 恥ずかしがる顔か?

ディーバ (顔を赤らめ)意地悪なお父様。

山本 なら、わたくしめが代わりに発表いたしましょう。

河童 (嬉しそうに)人間のおべべを着て、街に出てみたいの。

山本 (女の声色で)そして、いろんな人たちを蛇にしたいの。

ディーバ お友達をつくりたいだけよ。

山本 しかし、お友達をつくるには、蛇は隠さなければいけませんな。ところが、田舎娘であることを隠すようなわけにはいかない。つい尻尾が出ちまう。

河童 見つかったら腹を割かれて蒲焼よ!

山本 お嬢さん。民族の誇りはどこへ行った。我々はむしろ、蛇族であることに誇りを持たなければならない。(椿に)どうです、女王様。蛇族としての誇りをお持ちですか?

椿 舌を引っこ抜くよ!

山本 あんた蛇ですよ、蛇。それが証拠に、いまこの場で、蛇にしてさしあげましょう。

坂東 満月でもないのに。

山本 意外と頭が固いねえ。君も新説をはなから否定する医者の一人だな。病は気からと言うでしょう。満月の振りをして、細胞どもを騙しゃいい。(丸鏡を出して、椿にあてがい)ほら、鏡の中のあなたを見つめてごらん。鏡は満月だ。もう、鏡の中のお前から目を離すことができない。蛇ににらまれた蛇は蛇の目石になるんだ。石になろうと想像しなさい。鏡の中の蛇の目は、すでに真っ赤なルビーだ。目の周りから鱗が現れ、将棋倒しとなって増えていくぞ!(椿と巫女たちの顔が蛇に変わり、悲鳴を上げながら走り去る)

河童 (腹の底からわらいながら)おいおい河童になる奴はいねえのか!

山本 (わらって)お前は川に帰りなさい。ここは蛇穴の中。穴の中は、退屈かつ退廃的だ。

坂東 あんたの妄想も、退屈から生まれた。

山本 いいねえ。退屈は発明の母か。想像したまえ、不遇時代のヒトラーの夢を。退屈な人生は耐えがたい。富も名誉も退屈だ。唯一、神様だけが面白い。

坂東 反吐が出る!

山本 おや、学長の座を夢見ていた坂東様のお言葉とも思えませんな。皆さん大なり小なり妄想をお持ちです。妄想は歴史を動かす梃子のようなものさ。だが、私はもっと進化しておる。孤独です。孤独なテロリストは、違う目線で世の中を動かす。もっと大胆に。

河童 お前の真っ赤な目で世界を見れば、地平線まで血の海だぜ!

山本 いいかね。地球は薄皮饅頭さ。かろうじて秩序は保っているが、中身はドロドロ。ならば、その上で暮らす俺たちも根無し草同然。根元がしっかりしなけりゃ、落ち着くわけはないでしょう。びくびくしながら神様にお祈りを捧げ、なんとか生き残ってきたってわけだ。そこで、私のような頼りがいのある暴君の登場を誰もが待ち望む。わたくし、一瞬にしてストレスのない広~い土地を、生き残った方々に差し上げましょう。

坂東 立派なマニフェストですな。

河童 ハッハッハッ。市民生活なんぞ霞のようなものじゃ。河童の鼻息でひと吹きさ。

山本 しかし残念ながら、河童や蛇には市民の権利なんぞありません。この世界、天国もあれば地獄もある。次の満月には坂東君もすっかり洞穴の住人。そのときになって、分かるんです。決して元へは戻れない。世間からは名医として尊敬され、たまには三ツ星レストランで夕食を取り、月に一度は秘密の愛人とのセックス。男なら誰でも羨むその生活は、蛇になったとたん、遠い遠い過去の思い出だ。しかし、それはのっけから蜃気楼であった、と君はようやく理解する。あああ、楽しみだぜ。(蝶ネクタイを伸ばして体を捩じらせ)君のスネークウォーク。

坂東 しかしそもそもあんたが蒸発したのは、病院の権力闘争に負けたからでしょ。

山本 (興ざめて)なんだ、藪から蛇に下らんことを。私は君のようなちゃっちい男か? 

坂東 ちゃっちい蛇野郎さ。

山本 黙れ! お前、医者のくせに人間を知らん。どんなに偉大な人物でも、そいつのエネルギー源は猿のケツに等しい。なぜなら、社会も所詮猿の集団だからな。私のちゃちさなんぞ君に指摘される筋合いのものではない。要は、人生を全うしたいのさ。とでかいことをしてな。私は猿の英雄として死を迎える。

ディーバ ならば、特等席がございます。お父様。早くお乗りにならないとすっかり蛇になってしまいますわ。

山本 そうだ、ようやく決心がついたよ。私は爆弾を体に巻きつけて勇ましく死んでいく。英雄になるんだ。どうだ、まいったか。いままで私を虐めてきた奴らに意趣返しだ。さあ、ミサイルに乗り込むぞ。エベレストの上空に来たら、自爆しましょう。私の蛇皮は粉々に砕け散り、たなびくジェット気流に流されて、キラキラ輝きながら世界の果てへと飛んでいく。やがて、天使のようにしなやかに、黒猫のようにヒラリと地上に舞い降りると、公園の土の中に密かに忍び込み、ヒルのごとくカップルがやってくるのを根気よく待ち続ける。執念深く、持続的に、繰り返し、平々凡々と、日常のありきたりのシーンのように、私の怨念はじわじわと大陸に浸潤していくのだ。土に埋もれた一片の蛇皮から、やがて世界を凍りつかせるウイルスが、バクテリアどもを蹴散らしながら、土ぼこりといっしょに舞い上がり、坊ちゃん嬢ちゃんのお口に吸い込まれて、いかれた頭にして差し上げましょう。人間はどんなにか弱い動物であるか、証明いたしましょう。世の中、まともなオツムじゃ生きてけない。親御さんもいかれたオツムをお望みじゃ。某国立大学をお出になってお役人になったが途中で追い出され、退職金もらって天下り、ってその梯子で稼いだお金がたったウン十億かよ、ってチャチイ話で白け切ったところでいざシュッパーツ!

 

 (山本は勇ましくミサイルに乗り込み、ディーバがスイッチを入れると大音響、閃光とともにミサイルは崩れ去る。衝撃で、フェロモンが撒き散らされ、粉々に砕け散った山本の蛇皮が辺りに散乱してのたうち回る。ディーバと坂東はすっかり蛇となり、幻想の中で熱く抱擁する) 

 

ディーバ 今は亡き父は自分を犠牲にして、世界を救われたのです。

坂東 ご立派なお父様でした。一握りの人々だけの幸せが許せなかった。

ディーバ 父のもくろみは成功しました。人間たちはみな蛇になり、私たちには人間になる夢だけが残されました。

坂東 化石が見る夢のようにはかない。あなたは今までに、何回死にました?

ディーバ ずっとずっと化石のままよ。生きている気はしなかった。

坂東 いいや、あなたは人間に変わると、その瞳は輝いていた。あなたにもハレの日はあった。

ディーバ 蛇が人間を飲み込む恐怖に怯えるハレの日々。

坂東 恐れはあなたが人間である証拠だ。しかしなぜ、楽になろうとしなかったのですか?

ディーバ 生きていたのは夢の中。夢と現実は厚いガラスで仕切られて……。

坂東 いいや……。あなたは蛇のように賢く、野太く生きてきた。本能的に、生きる目的を知っていた。

ディーバ 生きる目的?

坂東 あらゆる生物の目的は、続けることしかないのです。続けるために生きるのです。続けるために食べる。続けるために戦う。続けるために交わる。続けるために生きる。

ディーバ 何を続けるのですか?

坂東 存在です。単なる……。

ディーバ いいえ、父は破滅するために生きたのです。

坂東 お父様は誰かの心に存在し続けるために生きようとしたんです。人間としてね。だから、人間でなくなったとき、絶望した。絶望は死と同じ言葉だ。しかし、死は絶望から救ってくれる。

ディーバ 私は絶望していても生きている。

坂東 君には希望がある。僕という……。

ディーバ ならば、あなたと二人で野太く生きていく。

坂東 驚いたな。君はまるで蛇のように逞しい。

ディーバ いいえ、私たちは人間として生き抜くのよ、逞しく。

坂東 さあ、街へ出よう。冬ごもりは終わった。人間たちの世界に出るんだ。雑踏に紛れて人の皮を剥ぎながら、蛇であることを隠して、野太く生きていくのだ。

 

(突然洞窟は都会の映像に変わり、二匹の蛇は手を取り合って走り去る)

 

(おわり)

 

 

 

響月 光(きょうげつ こう)

詩人。小熊秀雄の「真実を語るに技術はいらない」、「りっぱとは下手な詩を書くことだ」等の言葉に触発され、詩を書き始める。私的な内容を極力避け、表現や技巧、雰囲気等に囚われない思想のある無骨な詩を追求している。現在、世界平和への願いを込めた詩集『戦争レクイエム』をライフワークとして執筆中。

 

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